もしかしたら、アルスさんも変人なのかもしれない。
黒桐幹也は出勤する道中、ふと失礼な考えが頭に浮かんだ。
アルスとは、現在自分が勤めている会社の副所長のことだ。ちなみに名字は聞いたことがない。
蒼い髪と瞳を持つ見た目二十代後半の男性で、顔立ちは東洋のエッセンスを混ぜた西洋系。おそらくハーフというやつなのだろう。
会社では所長である蒼崎橙子の補佐を務めており、事務全般を統括している。直接的な上司みたいなものだ。
人柄もよく、社会人一年目の自分にも優しく仕事を教えてくれる。料理も得意で、何度かごちそうになったときには舌鼓を打った。
これだけならば、世間一般の優しい上司というイメージが当てはまり変人とは全くかすりもしないように思える。
だが、よく考えてほしい。変人でないのであれば、なぜ
しかし、現に会社は住宅地とも工業地帯とも言えない住所にある廃ビルにある。
しかも、彼はここを気に入っているようで頻繁にリフォームという名の改修工事を繰り返している。先日も、屋上と化した五階に本格的な屋上庭園を設置していた。この勢いでは、いずれ五階を完成させ六階を造ってしまうのではないかと思えてしまう。
……そういや、橙子さんとの関係も謎だな。
たった二人で会社を切り盛りしていたのだ。少なくとも、近しい関係のはずだ。
単なる上司と部下?それとも同じ志を持った同志?
違う、と幹也は切り捨てる。あの二人はそんなありきたりな関係ではない。
なぜそんな確信があるかというと、彼らはあの事務所で同居していることを知っているからだ。出勤初日、部屋の案内で二人の私室を紹介されたときに、何でもないかのように彼の口からその事実を告げられた。
ならば、男女の関係か?と問われれば、それも違うと幹也は断言できる。
理由は上手く言えないが、彼らにはそれ以上の絆があるように感じられる。まだ出会って一か月程度しか経っていないが、それでも幹也は二人の関係性が眩しいものだと感じていた。
そんな思案にふけているうちに、事務所がある廃ビルが見えてくる。
幹也は昇降機に立ち入り、ボタンを押す。
これもアルスがひとりで設置したものだ。なんでも、エレベーターがないと建築基準法に違反するのだとか。この昇降機も、彼が六階を増設するかもしれないという想像の根拠となっている。
四階に到着し、事務所の扉を開ける。すると──―
「ト~ウ~コ~。衝動買いはやめろとあれほど言っただろ!」
「し、しかしだなぁアルス。あれはビクトリア朝の頃のウィジャ盤なんだ。しかも突然の出物だから一目惚れしてしまったというかなんというか……」
件の人物が、蒼崎橙子に詰め寄っていた。
その人物は、魚らしき模様の入った紺の着物を着ている少女──―
「式じゃないか。どうしてここに?」
問いかけるが、式はそっぽを向いたまま黙っている。どうやら喋りたくない気分のようだ。
そんな態度に対し、幹也は少し安堵感を覚えてしまう。なんせ、彼女が昏睡状態から目覚めてまだ一か月しか経っておらず、なんとなく話しづらい関係に落ち着いてしまっていたからだ。
「こ、黒桐!黒桐じゃないか!!頼む!アルスを説得してやってくれ!!」
「説得って……橙子さんなにやらかしたんですか?」
「あれ?もしかして、理由も聞かずに私が悪いことを確信してるのか?」
「そりゃ、普段は橙子さんを甘やかしているアルスさんが怒ってるんですもの。相当な理由があるに決まってます」
「これはまた……君は洞察力に欠けているはずなんだがな」
「その言葉は聞かなかったことにします。で、なんで橙子さんが責められているんですか、アルスさん?」
幹也が問いかけると、アルスは深いため息と共に、衝撃の事実を告げた。
「すまない黒桐くん。君の今月の給料は無くなってしまった」
「えっ、つい昨日大きな仕事の報酬が振り込まれたばかりですよね。それが一晩で消えたとでも言うんですか!?」
「まことに遺憾ながらそうなんだ」
詳しい話を訊けば、なんと橙子の悪癖が発揮されてしまった結果だそうだ。
幹也はあずかり知らぬことだったが、実は蒼崎橙子には気に入った骨董品があると値段もろくに確認せず衝動買いし金を浪費してしまうという悪癖があるのだ。
普段はアルスが目を光らせており、浪費も最小限に抑えられていたが、昨日は創作活動に力を入れて疲労が溜まっており、うっかり早めに就寝してしまう。そのせいで、橙子の目に飛び込んできた骨董品を衝動買いすることを阻止できなかったのだとか。
「というわけで、今月伽藍の堂の社員は各自金策に走ってもらうことになる。安心してくれ黒桐くん。金がないのは俺も同じだ」
「いや安心できませんよ!」
「それもごもっともな意見だ。そこでだ」
アルスは本棚から一冊の本を取り出し、パラパラとページを捲る。
すると、中から一つの封筒が出てくる。どうやら本に挟んで隠していたようだ。
そこからアルスは、福沢諭吉が描かれている紙幣を取り出した。
「ここに一万円ある。これで数日は我慢してくれ」
「あ、ありがとうございます!では所長、僕は金策のため早退します。では」
震える手で一万円札を受け取った幹也は、憮然とした表情で早退する旨を告げ事務所を飛び出した。
「ところでアルス。私はあそこにヘソクリを隠していたことを知らなかったんだが」
「あれは本当の緊急事態のためのヘソクリだ、教えるわけなかろう。……期待しても、もうないからな」
「ちぇ~」
◆
黒桐くんが事務所から出て行ったことを確認すると、式が口を開いた。
「トウコ、話の続き」
「ああすまない、話が途中だったな。この依頼は──―」
橙子がどこからか持ってきた怪しい依頼の内容を式に説明しているのを尻目に、俺は日課となっている紅茶を淹れる。
しかし、今月はどう乗り切ろうか。幸い買い溜めしておいた食品や非常食があるため食うには困らないだろうが、先立つものがなければやれることも少なくなる。
橙子が受けた依頼も一日二日で終わるようなものでもなかろうし、即日入金は見込めないだろう。
仕方ない。ここは未発表の作品を売ろう。工房を漁れば、何個か一般向けのものが出てくるはずだ。それを以前知り合った美術商に売れば、なんとかなるかもしれない。
そうこう今後の計画を思案しているうちに、式が橙子からの説明を聞き終えたのか、革ジャンを羽織って事務所から出る。
おや、橙子から渡された資料が床に落ちている。どうやら彼女は必要ないと判断したようだ。
しかし、殺人事件の犯人の保護、しかも抵抗するのならば殺してもいいという保証つき。なんとも物騒な依頼だ。
興味を惹かれ、床に落ちた資料を拾う。どうやら中身は犯人の顔写真と経歴らしい。そこまで判明しているのならば警察に届け出ればいいのだろうが、そうも出来ない事情があるのだろう。ゆえに橙子に依頼が回ってきたわけだ。
さて、犯人はどんなやつなんだろうか。四肢を引き千切るような殺し方をするようなやつならさぞかし物騒な──ーんん?
「橙子、この写真の少女が本当に犯人なのか?」
依頼人が渡してきた犯人の顔写真。そこには、未成年の少女が写っていた。
「ああ、間違いなくその少女が今回の猟奇殺人の真犯人だ」
「この子が?まさか。まだティーンエイジャーだぞ」
「名前をよく見ろ。彼女は浅神家ゆかりの者だ」
「浅神家……そうか、日本の退魔四家の一つか。なら、凶器は超能力か」
「十中八九そうだろう。まったく、私はそんな輩嫌いなのだがね」
橙子は不愉快そうに煙草を灰皿に押し付ける。まぁ、超能力は我々魔術師とは違い理論も歴史も積み重ねもない、選ばれし者の力ってやつだ。それを彼女は心底嫌っている。
「犯人がこちら側の人間だというのは解ったが、俺が行かなくてもいいのか?」
「莫迦者、それでは式を雇った意味がなかろう。それに、今回は彼女の方が適任なんだ」
「まぁ、俺も無益な殺生は好まないから、やらないにこしたことはないな。なにより面倒くさい」
「しかし、万が一もありうる。大丈夫だとは思うが、その時には動いてもらうぞ」
「りょーかい。式が勝つことを祈ろう」
資料を仕舞い、橙子へと返す。
さて、俺は屋上庭園へと行くとするか。天気予報では数日後に台風が来るとの予想だ。今のうちに補強しておかなければ、栽培している薬草が全滅する可能性がある。
しかし、あんな娘が殺人を犯すとは、被害者となった不良たちはいったいどんな仕打ちを彼女に刻んだのだろうか。よっぽど酷いことなのは確かだろう。
まぁ、どうでもいいことか。報道によれば彼らは相当な不良らしく薬物にも手を染めていたとか。きっと今回の事件も、自業自得なのだろう。
しかし、式は大丈夫なんだろうか?直死の魔眼持ちとはいえ、肉体面は未だに人の延長線上にしかない。橙子の言う通り、万が一にも返り討ちの可能性は十分ある。
でもまぁ、大丈夫だろうな。以前橙子から聞いたが、病院の四階から飛び降りても無傷だったそうだ。その身のこなしはまるで猫のようだったらしい。
それに、俺が気にしても結果はなにも変わらない。それならば、自分の仕事を遂行することが一番だ。
浅上藤乃の件を頭の隅に追いやり、トンテンカンと、俺は屋上庭園の補強工事に勤しむのだった。
屋上庭園では危険度の低い霊草などを栽培しています。
ちなみに、幹也の仕事にはここの水遣りも含まれているとか。
矛盾螺旋編が終わった後、忘却録音編と殺人考察(後)編と続き空の境界編が終了。続いてロード・エルメロイⅡ世の事件簿編に移行しますが、矛盾螺旋、忘却録音、殺人考察(後)、これらのエピソードの間には約1か月ほどインターバルがあります。この間に閑話を入れるかどうかアンケートしたいと思います。
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矛盾螺旋と忘却録音の間に閑話入れろ
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忘却録音と殺人考察(後)の間に閑話入れろ
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どっちのインターバルにも閑話入れろ
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閑話いらねえ!早く事件簿編読みてえ!