純狐が親バカになる話 作:迦羅
翌日、地獄界は普段以上に慌ただしい様子を見せていた。
その理由は他でもない、勁牙組、鬼傑組、剛欲同盟といった畜生界の三大組織が一斉に地上への侵攻を開始したという情報が地獄界へと伝わったからだ。
そしてその状況に加えてさらに混乱を招いたのが、本来ならばこの騒動を抑える役割を持っている三途の川の沈黙、そしてそれをコントロールする伯封までもが静観を貫いているということだ。
その結果憶測や混乱が飛び交ってしまい、是非曲直庁も対処が遅れてしまっている。因みに先日の八千慧との会話の内容を知っているのは、本人達を除くと伯封からそれを伝えられた映姫のみだ。そして映姫も伯封の決定に賛同した。借りを返せと言われた以上こちらはどうしようもない。寧ろ博麗の巫女という解決策がある異変を起こさせることによって、早々に借りを返そうと考えた。故に伯封だけでなく映姫すらも、今回の件では動かない――その筈であった。
しかし今現在、伯封は単独で水の枯れた三途の川を歩いている。片手には水が一切入っていない柄杓を持ちながら。目指すは畜生界三大組織に所属しており今も地上へと侵攻している霊達の下だ。
今回動くはずの無かった伯封が行動に出たのは、ある情報が耳に入ったからだ。曰く、三途の川を渡っていた人間達が、幽世から侵攻してきた動物霊たちによって襲われている。
畜生界は基本的に力が全ての世界であり、人間は奴隷同然として扱われる。しかし映姫の裁きによって畜生界へと送られた人間達は皆生前に似たような罪を犯した人間達である上に彼らの存在が無ければ畜生界の存続に関わる為に伯封も映姫もそれを認めていた。
だが、まだ裁かれていない魂が被害を被るのは話が別だ。彼らの中には悪人もいれば善人もいるだろう。善人が動物たちの奴隷となるのは許されない。だからこそ、伯封は今こうして三途の川を歩いて渡っているのだ。
そうして暫く歩いていると、視界に沢山の動物霊が映り始める。そしてその動物霊に囲まれる様にして小さくなっているいくつかの人間の魂があった。
「退きなさい、動物霊達。彼らはあなた達の支配下の人間ではありません」
伯封がそう言葉を発することで、それまで人間霊に向いていた霊たちの視線が一斉に伯封へと向く。そのまま堂々と人間霊の下に向かって行く伯封をオオカミ霊は喉を鳴らし、オオワシ霊は羽を揺さぶる等威嚇をするが、誰も彼の歩みを止める事は出来ない。魂や霊を裁く彼に逆らえばどうなるのか、全員が知っているからだ。
「すみませんね…こちらの都合であなた達に迷惑をかけてしまって。ここを真っ直ぐ行けば、閻魔様の下へ向かうことが出来ますよ。あぁ、逃げ出そうと思わない方が懸命です。でないとあなた達の魂そのものが完全に消滅してしまう」
伯封の言葉を理解したのか、人間霊は動物霊を避ける様に空へと飛び立ち、映姫のいる三途の川の向こう側へと向かって行った。
「全く…あなた達畜生界の動物霊は襲って良い人間と悪い人間の区別もつかないのですか。これはあなた方の元締めに一度苦言を――「動物霊が騒がしいから何かと思えば、中々の大物が現れたものだ」――!」
彼の言葉を遮る様に声が聞こえると同時に、三つの大きな気配がこちらへと近づいて来る。伯封は声がした方へと視線を移し、手にした柄杓を背中の後ろに隠す。
「おや、てっきり貴女方は畜生界に残るものだと思っていたのですが」
「えぇ、私もそのつもりでしたよ。しかし部下から貴方が三途の川を渡っていると報告を受けましてね。流石に動物霊たちに貴方の相手は些か荷が重い」
「相変わらずの情報の速さ、そして身軽さです。勁牙組に鬼傑組に剛欲同盟。三つの組織の長が一同に会しているとは、中々見られる光景ではありませんね」
「よう!随分と久しぶりだな、伯封!」
ピリピリと緊張した気配を漂わせる伯封に対し、勁牙組の組長、驪駒早鬼は快活な笑みを浮かべながら片手を挙げる。その様子に伯封は思わず毒気が抜かれた様な感覚を覚えた。隣で聞いていた八千慧は鬱陶しそうに顔を顰めていたが。どうやら行動を共にしているからといって、仲が良くなった訳では無いらしい。
「んで、うるさい筋肉馬鹿は置いといて、閻魔の側近様がなんでこんな所にいる?私らを止めに来たのか?」
早鬼に対し剛欲同盟の同盟長である饕餮尤魔は警戒しつつ、しかし笑みを貼り付けながら伯封に問いかける。今の彼女達にとっては映姫と並んで会いたくない存在が現れたのだ。その反応は当然と言えるだろう。
「いえ、私は今回は動くつもりはありませんでした。貴女達の行動も黙認するつもりでしたし」
その言葉に八千慧を除いた全員が大なり小なり驚きと動揺を見せる。ここで戦うことになると考えていたが故に、彼の発言はあまりにも予想外であったのだろう。
「しかし、貴女方の目的はあくまで埴安神袿姫を打倒すべくの幻想郷への侵攻でしょう?それを止めるつもりはありませんが、人間霊を襲うとなると話は別です。彼らはまだ、貴女方の世界へと送られてはいないのですから」
「私らが何をしようと勝手だろ?それとも、ここで私らと戦うつもりか?我ら剛欲同盟の未来がかかっているんだ。付き合いのあるお前でも容赦はしないぜ?」
そう言って尤魔は手にしているスプーンを伯封へと向ける。それを合図に彼女の部下であるオオワシ霊も一斉に飛び立ち、彼の周りをグルグルと囲う様にして飛び回る。
しかし伯封は焦る事無く、背中に隠していた柄杓を尤魔に向ける。それを見た彼女は、笑みを張り付けていた先程までとは違いあからさまに表情を歪める。
「普段の貴女らしく無い言葉ですね。しかしそれは無駄な争いですよ、尤魔さん。今ここで私と戦うのは、貴女方にとって得策ではない」
伯封がその言葉を言い終えると同時に、彼の持つ柄杓に水が並々と溜まっていく。そして柄杓が水で満たされると同時に轟音が鳴り響き、オオワシ霊が飛ぶ高さを優に超える程の波が彼らの周りに現れ始めた。
彼が持つ柄杓は三途の川をコントロールするのに必要な道具であり、閻魔から認められた者しか触れることの出来ない代物だ。
所持者の意思によって勝手に水が溜まっていき、柄杓の中に入った水の量に応じて三途の川の水深や波の荒さが決定される。
「吸収できるのならしてみなさい。三途の川の水にはここを越えることの出来なかった様々な魂たちの悔恨が溜まっていますが」
伯封の言葉に、尤魔は大きく舌打ちをする。彼女の持つ《何でも吸収する程度の能力》は無敵に近い力を持つが、吸収した物は性格にも影響を与えてしまうという欠点を抱えている。
今ここで三途の川を取り込むのはあまりにもリスクが大きい。それ故に、今の彼女は彼を攻める事が出来ないのだ。
「・・・ここは大人しく地上へ向かいましょう。彼は見逃すと言ってくれているのですから」
するとここまで無言を貫いていた八千慧が二人にそうをする。それに尤魔は何も言葉を返さず、ただ黙って伯封へと向けていたスプーンを背中へと戻した。
「む、何故だ吉弔。怖気づいたか!」
「状況を考えなさい筋肉馬鹿。他の場所ならいざ知らず、三途の川のど真ん中で彼と戦うのはあまりにも分が悪い。たった数人の人間霊の為に今回の作戦が無駄になるくらいなら、大人しく地上を目指しましょう。伯封、それで宜しいのですか?」
「えぇ、地上へと向かうのは貴女達が畜生界で生き残る為なのでしょう?それならば私からは何も言う事はありません。尤も、一人は別の理由もありそうですが」
「・・・お前のその見透かした様な言動は、私は好きにはなれんな」
そう言ってフンッと鼻を鳴らす尤魔にしてやったりと笑みを浮かべながら、伯封は柄杓をひっくり返し溜まった水を捨てる。
すると先程までの高波が嘘のように消え去り、三途の川は再び水一つ無い荒野へと変わっていった。
「私はこれ以上は止めませんよ。このまま配下達を地上に向かわせるおつもりなら、どうぞ好きにしていただいて構いません。そして大人しく博麗の巫女にやられて来てください」
「伯封、またなー!」
「さぁ行きますよ。動物霊たち」
八千慧達の合図によって、動物霊はまた一斉に地上へと向かって行く。伯封も暫くそれを見届けていたが、やがて踵を返し地獄の方へと戻って行った。