黎明の軌跡 Break the Nightmare 作:テッチー
第1話 《ロア=ヘルヘイム》
「スピードを出す! 舌を噛むなよ、アニエス!」
ハンドルを握りしめて、ヴァン・アークライドはアクセルペダルを踏み込んだ。
加速するピックアップトラックの助手席で、アニエス・クローデルが慌ててシートベルトを締め直す。
「は、はい! なるべくなら安全運転でお願いしたいんですけど……!」
「そうしたいのは山々だが、諦めてくれ。なんたって周りが安全じゃねえんだからな!」
言いつつバックミラーに目をやる。耳障りな駆動音をがなり立てて、いかつい人形兵器が追ってきていた。
自律浮遊型、火器搭載歩行型、四足獣型などより取り見取りだ。まともにやりあった経験は少ないが、主には結社が運用しているタイプだとは知っていた。というか、さっきより数が増えている気がする。
「撃ってきました! 左に避けて下さい!」
「くそが!」
反射的にハンドルを切って車体をずらす。際どく逸れた弾丸が、道路の石畳を弾いた。
「ふっざけやがって! これ以上俺の愛車に傷がついたらどうしてくれんだ! フロントバンパーだけでも泣きそうなのによ。請求書は《身喰らう蛇》宛でいいのか!?」
「次は右です!」
「っと!」
左右に鋭く車線変更しながら、殺到する銃撃を回避し続ける。
自分で言うのもなんだが、俺のドライビングテクニックがなければとっくに穴だらけにされているだろう。
ピックアップトラックはヴァンクール大通りを疾走中。そう、ここはエレボニアの帝都ヘイムダルだ。
次の交差点を左折する。すると大きな鐘のモニュメントが出迎えてくれた。これも知っている。
「マジで頭がおかしくなりそうだぜ……」
エレボニア、クロスベル、リベール。それらの街並みが繋がっている。いや、町だけではない。風景、地方の村、森林地帯に至るまで、さながらパズルのように組み合わさっているのだ。
ハンドルを握る手に汗がにじむ。人形兵器の追撃は止まらない。おまけに視界を覆うこの“霧”だ。愛用の桃色ベレー帽を押さえ込み、アニエスも表情を固くする。
八方ふさがりの車の中で、ヴァンは毒づいた。
「一体何なんだよ、《バルドルの箱》ってのは!」
《★★――黎明の軌跡 Break the Nightmare――★★》
ほんの一時間前のこと。
七耀暦1208年8月27日9時55分。じわりと汗ばむ夏の朝。一階のビストロレストラン《モンマルト》で朝食を済ませて、ソファーで二度寝していた時だった。
まどろむ意識の片隅に、コンコン、と扉のノックされる音が聞こえた。
顔に被せていた車雑誌を払い、ヴァンは気だるげに立ち上がる。新聞の勧誘か、町会費の徴収か、いずれにしても直接ここを訪ねて来る人間は多くない。
あくびを噛み殺しつつ、玄関まで赴いてドアを開ける。
「………」
そこに立っていた人物を視界に入れて、一瞬言葉を失った。数秒の沈黙のあとで、我に返って自分から言う。
「まさかとは思うが、客か?」
「こちらのアークライド解決事務所にお願いしたいことがあって伺いました」
砂漠でも越えてきたのかと思うほどの煤けたフードで頭を覆う、いかにもな風貌の男性だった。フードのせいで顔は見えないが、恰幅の良さと声から男だとわかる。
「ヴァン・アークライドさんで?」
「そうだが……初対面で悪いんだが、あんた相当怪しいぞ」
「自覚してるよ。さて、上がらせてもらっていいかな」
「あ、おいっ」
気安い口調に変えて、男は室内に踏み入った。
「ああ、茶請けは結構だ。立ち話でいい。何しろ時間がないんでね」
「出すとは言ってねえし、話を聞くとも言ってねえっつの! そもそもうちの稼業はな――」
「知ってるさ、
ぴくりとヴァンの眉が動く。
「警察にも遊撃士協会にも相談しにくいことを引き受けてもらえるという請負人。相談できないことも、だったかな。本来なら4spgという形で掲示板に依頼を出す手順とは聞いているが、急ぎの事案でもあって省かせてもらった」
「そこまで知ってんのか。誰から聞いた?」
「言えない」
「なんでだ」
「事情がある」
「あんたな……お願い事しにきたって姿勢じゃないだろ」
「表の看板」
「あ?」
男は玄関側に首を巡らせた。相変わらず表情が見えない。いや、見せないようにしているのか……?
「そこに書いてあっただろう。“訳アリ客以外はお断り”と。そんな訳アリ客なら、口にできない事情の一つ二つあって然りだとは思わないかな?」
「そいつはごもっとも。とはいえ、こちらも黒い仕事に手を出すわけにはいかないんでね。あくまで請け負うのは灰色の領域だ。その境界を見定めるには、ある程度の事情は話してもらう必要がある。それさえできないってことなら、俺としては黒と判断せざるを得ない」
「なるほど。筋が通ってるね」
男はかすかに肩を揺らして笑った。
「前評判の通り、信頼できそうだ」
「試されるのは好きじゃねえな。そちらが合格判定でも、こちらが不合格判定を下すこともあるんだぜ」
「気を悪くしたなら謝ろう。だけど、それだけ重要で慎重なことなんだ。なにせ自分たちの命運を託すんだから」
自分たち、とそう言った。複数名が絡んでいるらしい。
「大げさだな。まるで世界を救って欲しいと言わんばかりだ」
「近いニュアンスだけど逆さ。むしろ世界を壊して欲しいんだ」
フードの男はそう言うと、背負っていたリュックサックから何かを取り出した。
全面を銀色の金属板で覆われた20リジュ四方のシンプルな立方体だ。
「《バルドルの箱》と呼ばれるものだ。これを探し出してくれ」
「いや、まさにあんたが今持ってるんだが……」
「そうじゃない、この《バルドルの箱》は――うっ!?」
男が急にふらついた。立っているのも辛そうだ。
「お、おい、大丈夫か?」
「最初に言った通り時間がない。もう取り込まれる……残りは
「は? 向こう?」
《バルドルの箱》が光を発した。虹色の光が拡大し、ヴァンを包み込んでいく。
「向こうに着いたら、この場所――アークライド解決事務所を探すんだ。強く思えば必ず見つかる」
「なんっ、なんだよ……っ!?」
やがて光は収束し、室内に静寂が満ちる。
そのわずか一分後。時刻は10時05分。
再び扉がノックされたが、応じる者は誰もいなかった。
●
「痛っ……」
ヴァンはゆっくりと体を起こして、辺りを見回した。
意識を失っていたらしい。フードの男は見当たらない。それどころか事務所の影も形もない。
「どこだよ、ここは。さっきの光は……」
自分が倒れていたのは石畳の道路のど真ん中だった。俺はどんなところで寝てんだ。危なすぎる。おぼつかない足取りで、とにもかくにも歩道側へと移動する。
まずは状況を整理しなくては。もはや染み込んだ思考ルーティンで、ヴァンは冷静に自身の現状を精査した。
「俺はヴァン・アークライド、24歳。職業は
わざわざ言葉にしての確認。自己認識は間違っていない。自分の感覚としては、記憶の混濁もない。
次に周囲の状況。
「……見慣れない街にいる。天気は霧が出ていてよくわからない。見える限りでは車通りどころか人通りもない。いや、人の気配さえない。しかし家屋や店舗に変なところはなく、どこまでも赤い街並みが続いて――」
赤い街並み――まさか?
「ヘイムダル!? エレボニアの帝都の……!?」
建物の伝統様式やこの雰囲気を見るに、そうとしか思えない。ワープでもさせられたのか。こいつは想像以上の異常事態が起きている。
「誰か! 誰かいないか!?」
呼びかけながら走り回る。
すると前方、霧の中に人影がよぎった。
「良かった! おい、あんた、待ってくれ! 俺はヴァンってもんで――」
待て。ここが本当にエレボニア帝国だとしたら、俺は不法入国ということにならないか。
ただでさえ微妙な時期のエレボニアとカルバード。自分自身ここにいる経緯が定かでないのに、うまく事情を話せるだろうか? 不審に思われて、憲兵呼ばれて、捕縛されて、他国の法律で裁かれるなんて転落コースは絶対にゴメンだ。
不意に湧いたその逡巡が、ヴァンの足を止めた。
刹那、目の前を硬質な光が擦過し、同時に前髪がはらりと散る。
瞬間的に払われた霧の先に、武骨なブレードを切り上げた体勢でこちらを睥睨する人型が佇んでいた。
「に、人形兵器ぃ!?」
二足歩行型の戦闘用マシンナリィだ。そいつはさらに追撃のブレードを振り下ろしてくる。
間一髪で飛び退いて回避。稼働音が霧の中に響き、人形兵器の双眸が赤い光を滲ませた。
早く逃げなくては。
その敵から離れようとするヴァンの視界に、赤い光点が次々と増えていく。同型の人形兵器が――五体。
とっさに背に回した右手が空を切る。
「ち……!」
ぎりっと奥歯を軋った時、耳にオーバルエンジンの音が届いた。
敵の増援だ。こりゃマジで詰んだか。……いや、違う、違うぞ。このエンジン音だけは聞き間違えるわけがねえ。イングレス社が誇る繊細かつタフな設計に、手間暇と金をかけてカスタムを重ねてきた俺の――
「俺のピックアップトラッ――」
ゴシャアッと猛スピードで突っ込んできたピックアップトラックが、人形兵器の一体をはね飛ばした。車のフロントバンパーは痛ましくへこみ、ブルーの塗装はザリザリにはげて下地がむき出しになっている。
「おっ、おあああっ!?」
「ヴァンさん、早く乗って下さい! というより運転代わって下さい! わ、私、無免許で運転しちゃいましたよ……」
窮地さえ忘れて慟哭するヴァンに、運転席からブロンド髪の少女が叫んだ。
「俺の車あ! ってかお前、誰だよ!」
「誰って……アニエスです! 忘れちゃったんですか!?」
「アニエス……? 忘れるも何も、そもそも会ったことなんて――うっ!?」
脳を直接揺さぶられるような強烈な目まい。見たことのない光景が、知らないはずの記憶が、かき乱され、かき替えられ、接合され、融合され、重ね合わされていく。
そうだ。アラミス高等学校の制服に身を包み、この少女はやってきた。亡き曾祖父の遺品である
いや、依頼の品はもう見つけた。
情報屋のジャコモを追って――彼は命を落とすことになったが――イーディス第七区の地下遺跡で《ゲネシス》という名のそれを。
しかし依頼はそこで終わらなかった。
八つあるという《ゲネシス》を全て見つけるまでを請け負うことになり、少女はほぼ押しかける形で《アークライド解決事務所》のアルバイトになってしまったのだ。
「アニエス……アニエス・クローデル……か」
まるですでに経験したことであるかのように、“彼女との出会いからアークライド事務所にバイトとして雇うまで”の記憶が脳裏に焼き付いている。
「話はあとです! とりあえず逃げましょう!」
「助手席に移れ!」
言い切るより早くアニエスを押し込み、ヴァンは運転席に飛び乗った。
「スピードを出す! 舌を噛むなよ、アニエス!」
●
「《バルドルの箱》……ですか?」
人形兵器たちはまだ追いかけて来る。エレボニア、リベール、クロスベルの風景を目まぐるしく過ぎ行きながら、ピックアップトラックは速度を上げ続けた。
「ああ、お前が事務所を訪ねて来るほんの少し前にフード姿の男がやってきて、その《バルドルの箱》を探せって言ったんだよ。それで気づいたら、この街に寝転がってたわけだ」
逃げ惑う最中で、手短にここまでの経緯をアニエスに伝える。
奇妙な感覚だ。“男がやってきてこの街に飛ばされた記憶”と、“アニエスがやってきてあの導力器を探し始めた記憶”の両方が、頭の中で同時に存在している。
それらは決して同じ時間軸では成立しない出来事であり、まるで二つの世界線を視ているようだった。
「それだけですか? フードの男性は他に何か言ってませんでした? 頼みごとをしに来たのに、いきなりこんな状況に放り出すなんておかしいです」
「確かにな……だが他にって言われても――ああ、そういえば向こうに行ったら俺の事務所を見つけろ、とか」
「ヴァンさんの? どういうことでしょうか」
「俺が聞きたいくらいだぜ。それよりもお前までここにいる理由はなんだ? どうやって来た?」
「それなんですけど――」
左側のサイドミラーが撃ち抜かれた。鋭い破砕音が会話を裂く。
「きゃああ!」
「ちくしょうが!」
俺の事務所って何がだよ。意味がわからない。せめてアニエスだけでも逃がせないか。
そう考えたのに、なぜか浮き上がった言葉は『強く思えば必ず見つかる』という、フードの男が最後に付け加えた一言だった。
この街はおかしい。普通じゃない。ならば一見して荒唐無稽で投げやりに思えるその言葉も、何かしらの意味があるのではないか? どうせジリ貧で手詰まりの状態。物は試しだ。
「《アークライド解決事務所》は俺の帰るべき場所だ! 出てきやがれ!」
叫びながらイメージする。なるべく精細なイメージだ。《モンマルト》の脇の階段を上がって、スチール製の扉を開ける。年季の入ったソファーと来客用の机。カーペットの柄に棚や書類の配置。そして冷蔵庫で冷やしてある甘い甘いデザートを。
「うおっ!?」
急に前方の空間が歪んだ。反射的にブレーキを踏んだが、まったく減速しない。ピックアップトラックは景色を巻き込むようにしてねじれる渦の中へと飲み込まれていった。
「おいおい……マジかよ」
前後不覚に陥ったのもわずか、視界はすぐに開けた。
眼前にはレストラン《モンマルト》が、いつもの店構えそのままに現れている。
後ろに振り返ってみると、人形兵器は追ってきていなかった。あれほどの数だったのに、一体すら見当たらない。おまけに今まで走って来た道もない。
ヴァンは車から降りた。アニエスも続く。
すぐには《モンマルト》に近づかず、まずは注意深く辺りの地形を確認して回った。
そこはおよそ直径100アージュほどの円形の大地だった。周囲の全ては崖になっていて、どこにも繋がっていない。車で来たのに、道が消えている。
その崖に囲まれた区域の中央に、《モンマルト》は建っていた。まるで自分のイメージした部分だけ切り取ってきたみたいだ。
「俺が先に行く。お前は後ろについてこい」
「……はい、お気をつけて」
一階のレストランに人影はない。ならば調べるべきは。
ヴァンは警戒しながら階段を登った。
到達した扉の前で足を止め、静かにドアノブに手をかける。“訳アリ客以外はお断り”のプレートが皮肉に思えた。
一度アニエスに目配せして、彼女が小さくうなずくのを確認してから、ヴァンは勢いよく扉を蹴り開ける。
果たしてそこに彼はいた。事務所の中央で、フード姿の男が立っている。
「聞きたいことが山ほどあるんだが」
「だろうね」
ヴァンの憤懣は当然とばかりに、男はあっさりと言う。
「もちろん可能な限りの説明はさせてもらうつもりだ。ん? さっそく同行者が増えているね」
男はアニエスを一瞥した。もっともフードのせいで、はっきり目線は見えないが。
「アニエスが来るのがわかっていたような口ぶりだな」
「別に彼女のことを知ってるわけじゃない。ただ誰かが来るだろうとは思っていた」
「さっぱりわからん……」
「君たちが知るべきことは多い。まずはこの場所のことを教えよう」
男は告げた。これから駆け巡ることになる舞台の名を。
「ここは《ロア=ヘルヘイム》。霧に覆われた夢幻の世界さ」
●
「《ロア=ヘルヘイム》?」
「結論から言えば、君たちが生きてきた現実の世界じゃない」
聞き返すヴァンに、男はそう重ねた。
「……異世界に取り込まれたって認識でいいのか? あんたが持っていた《バルドルの箱》とやらの力で」
「理解が早くて助かるよ。普通はすぐに受け入れられないと思うけど」
「そりゃあり得ない光景を見ながらここまでたどり着いたんでな。現実じゃないって言われた方が、まだ現実味がある」
ヘイムダルにはびこる人形兵器。各国の都市が融合した街並み。なぜか独立した区域に出現した《アークライド解決事務所》。何から何まで滅茶苦茶だ。
「いい加減にこちらから質問させてもらうぜ。うだうだと回りくどいのは好みじゃねえ。要点を絞って聞いていく」
「どうぞ」
「あんたの目的を教えろ」
「この《ロア=ヘルヘイム》には多くの人間が囚われている。その人たちを解放し、現実世界に全員を帰還させることだ」
「そのための方法は?」
「この世界のどこかにある《バルドルの箱》を見つけ出すこと。最重要事項だ」
「さっきあんたが持っていたものだろう。手元にないのか?」
「残念ながらね。この世界に入った時点で《バルドルの箱》の所有権は離れてしまっている」
「なぜ俺に頼んだ?」
「それは言えない。理由はそれを君たちが知れば、僕たちにとって不利益の事象が起きるからだ」
これがわからない。この男は
アニエスも不安げな表情で、会話の成り行きに固唾を飲んでいる。
「はあ……《バルドルの箱》……だったか。探せと言われても範囲が広すぎるんだよ。探し方の当てくらいないと厳しいぜ」
「依頼を受諾してくれるってことでいいのかな?」
「この状況で拒否権があるのかよ。半ば無理くり連れてきたくせに、どの口で言いやがる。そもそも俺自身が帰れないのが一番困るんでな」
「動機は何でも結構だ。強硬な手段だったのは自覚している。ではさっそく話を進めよう。まずはさっきのヘイムダルに戻ってくれ」
「おい待て。人形兵器のパレードの中にまた突っ込めってか」
「まあ、そうなるかな」
「はあ!? ハチの巣ルートまっしぐらじゃねえか!」
「そこにはそのヘイムダルエリアを作り出した人間がいる。その人物が最初の鍵となるんだ。必ず探し出して望みを叶えてあげて欲しい……っ」
男が足元をふらつかせた。
「望みを……叶える、だと?」
「さあ、もう行ってくれ」
男はヴァンとアニエスを事務所の外へと押しやった。見た目の恰幅通り、強い力だった。
「きゃっ!?」
「おい! わからないことだらけだぞ! まだ質問させろ!」
「大丈夫だ。君たちの道しるべになるものが手に入るようになっている。この世界の秘密は、そこから紐解かれていくだろう」
抵抗する間もなく玄関の外へと追いやられる。そしてガチャンと閉められる扉。
「あっ! 中から鍵をかけやがった! 俺の事務所だぞ!」
「返答、ないですね……」
押しても引いても開かない。どうしても行くしかないらしい。あのヘイムダルに。
「納得はできないが仕方ねえ。アニエスはここで待って――」
「もちろんついて行きます」
「あのな……」
ああ、また始まった。
「数日前に実戦を経験したばかりのやつに何ができる。相手は人形兵器だぞ。地下道の魔獣なんざとはわけが違う」
「武器がないわけですし、戦闘は極力避けていくでしょう? それにその誰かを探すなら目は多い方がいいですよね。ただでさえ霧で視界が悪くなっていますから」
艶やかで長い金髪に、白のハーフコート。清楚で穏やかな印象だが、実際は中々の行動派だ。よく言えば芯が強くて、悪く言えば強情か。加えて合理的に物を考えるものだから、きっちり理屈も通してくる。
それゆえに押し切られて、バイトとして雇う顛末になったわけだが……。
「ったく、わかった。離れずについてこいよ」
「はい!」
階段を下りる前に、ヴァンは扉に振り返って叫んだ。
「すぐに戻ってきてやるからな! 冷蔵庫のアイスは勝手に食うんじゃねえぞ!」
「……多分、食べないと思いますけど」
●
「アイスか。悪くないけど、残念ながら手が届きそうにないね」
男はうなだれ、両手を床についていた。その手は透けて、うっすらと床が見えている。
「いよいよ時間切れらしい。とうとう現実世界にも戻れなくなった。さて……僕はどこに飛ばされるかな」
ヴァン・アークライドか。なるほど面白い男だった。確かに彼ならばなんとかしてくれるかもしれない。会って間もないのに、そう思わせるに足る何かを感じた。
どうにか仕込みは間に合った。《バルドルの箱》へたどり着くための手順までは構築できた。あとはヴァンの行動力と発想力、そして運次第だ。システムにイレギュラーの混入が悟られないことを祈るしかない。
「それにしても《バルドルの箱》か……まさかまだ動いていたなんてね。ここ数年、作ったことさえ忘れていたのに……」
体まで光のつぶてとなって透けていく。はらりとフードが落ちた。
かつてエレボニアの内戦中に作成した“見たい夢を見る機械”。それが転じて“他者同士の夢を繋げる機械”となり、やがては取り込み過ぎた思念を渦巻かせ、“夢と現実を反転させる機械”へと変じた。
その事実を
「頼んだよ、
そう言い残すと、ジョルジュ・ノームは淡い燐光の中に消えた。
●
存在しているのは《モンマルト》と事務所を含む建物のみで、本来あるはずの旧市街の通りはない。階段を降りるとすぐに地面で、閑散とした景色が広がっているだけだ。
アニエスは周りを見渡した。
「そういえば、この辺には霧が出ていないですね」
「そうらしいな」
おかげで視界の見通しは良いものの、しかし特に何かが見えるわけでもない。周囲を囲む崖の向こう側は、茫洋とした虚空が延々と拡がっているだけだ。
先程の融合された街は、どこもかしこも霧に覆われていた。この霧にも何か意味があるのだろうか。
「あ、でもどうしましょう。ここに来た道は無くなっていますし、どうやってさっきの場所に戻れば……」
「そこは心配いらなさそうだ。見てみろ」
なんの前触れもなく、崖際の一角に赤色の橋がかかっている。石造りの橋の続く先は霧が発生していて見えないが、おそらくは。
腹を括るしかない。ヴァンとアニエスは再び車に乗り込んだ。
橋の横幅はピックアップトラック一台分といったところだ。車体をこすらないよう慎重に運転する傍らで、ヴァンはアニエスに訊いた。
「聞き損ねていたが、アニエスはこの《ロア=ヘルヘイム》とやらには、どうやって来たんだ?」
「私は……そうですね。夏休み最後の日に、ヴァンさんの事務所に行ったんです。もちろんバイトのつもりで」
「学校ってアラミス高等学校だよな」
「え、はい」
首都イーディスの名門校である。
なぜ今さら、と言いたげな表情を浮かべるアニエスだが、こちらとしては会ったこともなかった少女の経歴が、以前から知っていたみたいに頭の中にあるわけで――いや、そうではない。出会ったという記憶と経験が確かに存在しているのだ。この奇妙な感覚が正しいのか、確認したくもなる。
「話の腰を折って悪かった。それで?」
「えっと……事務所の扉を開けた途端に霧みたいなものに包まれて、気付いたら赤い街並みの中にいました」
「また霧か。それとお前の認識では今日は何月何日だ?」
「8月31日です」
「俺は8月27日だった。だがお前とここで出会った瞬間に、お前が事務所に押しかけてきて、俺がバイトとして雇った時までの記憶が拡張された。拡張という表現が合っているのかはともかく」
「でもおかしいです。私は8月27日以降も何回か事務所に行きましたし、ヴァンさんとも顔を合わせていますよ」
「こちらにいる俺と現実にいる俺が、二人いることになるのか? いや、そもそもこの日付のずれにはどういう意味が……一応確かめるが、アニエスの記憶はどこまである?」
「それは8月31日ですけど」
「そうなるよな」
一体どういう仕組みなのか。しかし現時点では推測するにも手がかりが少なすぎる。フードの男は“この世界の謎を紐解く道しるべになるものが手に入る”と言っていたが。
「ここに来てからの行動は?」
「しばらく霧の街をさまよっていました。そうしている内に、ヴァンさんが人形兵器に襲われているところを見つけて。でも魔導杖も持っていませんし、どうやったら助けられるかと焦っていたら、目の前にヴァンさんの車が唐突に現れたんです」
「なるほど。そしてアクセル全開で突っ込んできたと。行動力があるにも程があんだろ」
「き、緊急事態でしたし、無免許運転には目をつむって頂けると……。元の世界に戻ったらちゃんと出頭しますので!」
「真面目か! はあ、無免許はまあいいさ。問題はバンパーが破損したことだ」
「無免許の方が問題だと思いますけど……」
橋を渡りきる。相変わらずの視界の悪さでわかりにくいが、赤い街並み――ヘイムダルに戻ってきたようだ。
ヴァンは車を止めた。
「車だと走行音が敵を引き寄せるかもしれん。ここからは霧に紛れて歩きで行くぞ。はぐれるなよ」
「了解です」
ヘイムダルは人口80万人を誇るエレボニアの帝都だ。構造としては多くの地区に分けられており、地下には旧時代の遺物や複雑な水路が張り巡らされているという。
しかし今は通常とは違う。いきなりクロスベルやリベールの街が現れてもおかしくない。
家屋や建物に身を隠しながら、ヴァンとアニエスは霧の都市の散策を開始した。
「このヘイムダルを作り出した人を探すんですよね。そう簡単に見つけられるでしょうか。霧も晴れる気配がありませんし」
「さあな。気になるのは、フードの男はヘイムダルエリアと言っていたことだ」
「エリア……。他にも同様の場所があると?」
「わからん。とにかく今は手持ちの情報が少ない。俺たちに情報を与えなかったのも意図がありそうではあったが……」
「いずれにしても初回の関門、がんばって突破しないとですね!」
「前向きで結構だ。ろくな説明もなく放り込むからには、やり方次第でどうにかなる難易度なんだろうと思うぜ――っと、おしゃべりはここまでだ」
巡回中らしき人形兵器が見えた。自律飛行型が二機。サーチライトを光らせながら、地面すれすれを哨戒している。
「よし、この調子でやり過ごしながら――」
アニエスに振り返る。そのアニエスの背後で、大きな人型が両の目を赤くギラつかせていた。鉄塊のごとき大剣をすでに振りかぶっている。
「伏せろ!」
「えっ!?」
ヴァンが叫ぶと同時、幾多の閃光が視界に刻まれた。
人形兵器の凶刃が振り下ろされることはなく、鋼鉄の四肢がばらけて地に落ちる。何者かに切断されたらしいと理解した時には、それらの残骸は爆発の炎に包まれていた。
舞い上がる火の粉の中から、一人の青年が悠然と歩み出てくる。
「あ、あの、助けて下さってありがとうございます。えっと、もしかしてあなたが私たちの探している方では――」
「下がれ、アニエス!」
腕をつかんでアニエスを引き寄せる。男は剣を構えて、明らかに彼女を切ろうとした。
ヴァンは男から素早く距離を取る。
「なんですか、あの人、いきなり……! え?」
いきなりヴァンとアニエスの眼前の空間が光り輝く。煌めく粒子が形となって、アニエスには魔導杖が、ヴァンにはスタンキャリバーが、それぞれの手に携えられた。
「よくわかりませんけど、武器があれば身を守るくらいは……ヴァンさん?」
「最悪だ。最悪だぞ、これは」
ヴァンの頬に汗が伝う。
武器が現れた。要するに戦えってことか。何がやり方次第でどうにかなる難易度だ。冗談きついぜ。数分前の自分を蹴り飛ばしてやりたい。
はためく白コートに映える黒髪。持っている得物は東方伝来の太刀。何より雑誌やら報道で何度となく見たその顔。あいつは、あいつは……!
「あいつは大戦の英雄、リィン・シュバルツァーだ!」
――つづく――
お久しぶりです、テッチーです。
黎の軌跡、面白かったですね。やはりと言うべきか、新作をプレイすると沸々と書きたい気持ちに駆られてしまいます。
主人公はリィン・シュバルツァーからヴァン・アークライドへ。時は七耀歴1208年。しかし前作から数年経過しているとはいえ、世界観やキャラクター相関は《虹の軌跡》の地続きとなります。
未読の方でも既読の方でもその辺りがわかりやすいよう、人物ノートや前作のストーリー概略を更新予定です。
未執筆ではありますが、《虹の軌跡2.5 Dragon's breath》の全ストーリーを紹介できるものも準備済みですので、ご興味のある方はお目通し頂けると嬉しいですね。こちらはエリゼが主人公となります。
前作のエンディングまでお楽しみ頂けた方にはその後の物語を。初めての方には新たな物語を。
改めてお付き合い頂ければ幸いです。
※アンケートを追加していますが、完結から一年近く経って掲載しているので、気づく方は少ないかもです・・・見つけられた方はぜひご協力下さい!↓
《虹の軌跡》シリーズの読了について/当作は《虹の軌跡》→《虹の軌跡Ⅱ》→《黎明の軌跡》と時系列が続いています。今後の参考に以下の質問にお答え下さい
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《虹の軌跡》のみ読んだ
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《虹の軌跡Ⅱ》のみ読んだ
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《虹の軌跡》と《虹の軌跡Ⅱ》を読んだ
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《黎明の軌跡》が初読
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三作品とも読了済み