黎明の軌跡 Break the Nightmare   作:テッチー

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第10話 霧払いの葉

⑭【《ロア=ヘルヘイム》は過去、現在、未来が圧縮されて存在すると同時に、時間の概念が存在しない世界である】

 

 MWLエリアを開放した直後に、《幻夢の手記》の⑭番は開示された。

 解釈が難しいが、過去から未来にかけての時間軸としての繋がりは一本で、それらがこの《ロア=ヘルヘイム》に集約されているということだそうだ。つまりパラレルワールドのような分岐された世界から、自分たちがそれぞれに呼び込まれたわけではない。

 そして“時間の概念が存在しない”については、そもそも時間の流れが現実世界とは違うという意味だ。夢の中で長い時を過ごしたつもりでも、目が覚めたらごく短時間だったというのはよくある話である

 それらの結論は、分岐した世界に対して何らかの見識があるらしいエリゼと、暇さえあれば昼寝をするというフィーの推論から導き出されたものだった。

「色々とご迷惑をお掛けしたようで申し訳ないです……」

 全員で帰還したアークライド解決事務所。皆の前で、ティオ・プラトーはぺこりと頭を下げた。

 MWLエリアを創造した夢の主格者。願いに囚われてしまったことは、彼女に非があるわけではない。

 囚われからの解放後は意識の混濁があったが、それもすでに収まり、《ロア=ヘルヘイム》に来てからの経緯は思い出せているという。ただし他のリベール、エレボニア、クロスベル勢と一緒で、呼び込まれる直前の記憶は曖昧だそうだが。

 ティオは最初、カジノエリアにいた。カジノに興味のなかった彼女は、別室の小型スクリーンで映画を視聴していたらしい。

 その映画こそ《長靴をはいたみっしぃ》だったわけだ。

 ここで手記の⑭番が関係してくる。過去、現在、未来が圧縮されているからこそ、ティオは自身にとって未来であるはずの映画タイトルを観ることができたのだろう。

 しかしながら期待をマイナス方向に全力でぶっちぎったその展開は、彼女に深い悲しみを与えた。そして心の防壁が決壊した瞬間、みっしぃとの思い出の心象風景が具現。

 身を苛む悲哀を投影したがごとき青いドレスをまとい、カジノエリアを飲み込むほどに巨大なMWLエリアを創り出したのだった。

「ティオさんは悪くないわ。本当につらかったでしょうに……」

「うむ。むしろよくぞミシュラムを創造してくれた。揺るがぬ愛の成せる業であろう」

 エレインとラウラは、ティオのフォローに余念がない。みっしぃ愛好者の絆だ。

 そしてカジノ、ミシュラムに囚われていた者たちも夢から覚めた。

 クロウ・アームブラスト、アッシュ・カーバイド、ランディ・オルランド、ワジ・ヘミスフィア、シャロン・クルーガー、ジン・ヴァセック、アガット・クロスナー、トヴァル・ランドナーの八名だ。

 彼らは縁の深いメンバーとの再会に和みつつ、この世界と現状の説明を受けているところだった。

 と、ここで例の問題が浮上する。

「ミリアムさんがいませんが……」

 ミシュラムで遭遇したのにと、アルティナが言う。彼女に続きエリゼも挙手して、

「クレアさんも見当たりません。カジノでディーラーを務めていたはずです」

 解放されたエリアから帰還できていない二人。街エリアのスカーレットとサラや、城エリアのエリゼと同じ現象だ。

「まだ固有の認識に囚われているんだろうな。救出隊を編成するか。どういう望みを持っているかは不明だが、できるだけ顔見知りとか、仲のいいやつらで迎えに行ってやってくれ。その方が願望を予測しやすいからな」

 ヴァンの号令で、即席チームがすぐに組まれる。この辺りの迅速さはさすがだった。恒例の“解放エリアの取りこぼし確認ツアー”の開始である。

「浮かない顔ですね。何か気がかりが?」

 アニエスがヴァンのとなりまで来る。

「気がかりっつーか、先送りできない問題が表面化したっつーか。見ろよ、これ」

「えぇ、まあ、確かに、すごいことになってますね……」

 アークライド事務所はすでに満員だ。総勢20名以上の大所帯がひしめいている。

 ソファーに座りきれないやつは壁際にもたれかかってたりするし、廊下に出ているやつもいる。

 つーか《不動》のジンの体積がでか過ぎんだよ。そこにいるだけで棚がもう一個増えたみたいな圧迫感がある。

 あと勝手に俺の私室のベッドで、アーロンが仮眠してやがるのはなぜだ。枕の加齢臭がどうのこうの文句言ってたから、あとで優しく丁寧に殺してやる。ねーよ、24歳で加齢臭は。……ねーよな?

「一階の《モンマルト》ならスペースはあるが、宿として使える設備はねえ。合流したやつらの寝床の確保が最優先事項だ」

 

 

《――★第10話 霧払いの葉★――》

 

 

「アルフィンさぁ、ホントにもうああいうのやめて欲しいんだけど」

「ああいうのって?」

 とぼけた様子のアルフィンに、セドリックはむっとした顔で詰め寄った。

「ミシュラムの観覧車で、僕とシェラザードさんを二人きりにしたことだよ! 兄上とも結託してただろ!」

「セドリックが奥手だから背中を押してあげただけよ。むしろ感謝して欲しいのだけど」

「ありがた迷惑! 余計なお世話!」

「なによ、セドリックの内気! 弱虫! エリゼの前だけカッコつけ!」

「そ、そんなことない! アルフィンだってほら……その、そう、あれのくせに!」

 口合戦では基本的にセドリックは勝てない。こういう時に割って入って仲裁するのがエリゼなのだが、肝心の彼女はこの場に同行していなかった。

「うるっさいのよ、あなた達!」

 その代わりに二人を諫めたのがスカーレットだった。

「だって教官、アルフィンが……」

「スカーレットさん、聞いてください。セドリックが……」

「聞かない、知らない。二人だけの時にやってなさい」

 ぴしゃりと言い放ち、そろってしゅんと沈黙する。

 公的な場所ではともかく、担当教官を二年務めた実績から、エリゼ、セドリック、アルフィンに対するスカーレットの発言権は強い。実際、在学中の指導はかなり厳しいものだったらしく、新Ⅶ組として括られる三人にとっては、卒業してなお頭の上がらない存在だそうだ。

 そのやり取りを、エレイン・オークレールは後ろを歩きながら眺めていた。チーム編成はこの四人である。

 A級遊撃士には否応でも情報が集約される。紙面で紹介されない他国の裏情勢はもちろん、キーパーソンとなる人物の経歴なんかもだ。

 だからエレインはスカーレットの経歴も知っていた。それこそ“裏”に当たる情報だ。

 元は帝国中西部の裕福な農家の生まれで、生家を出た後はアルテリア法国に渡って七耀教会封聖省に入り、従騎士にまでなっている。

 だがギリアス・オズボーンの鉄道網拡大政策の煽りを受け、実家の農地は買収されてしまった。それをきっかけに自暴自棄になった父がまもなく事故死。一家は離散し、その絶えることのない憎しみをもって、彼女は帝国解放戦線の《S》としてテロ行為に加担。

 が、十月戦役の最終戦にて、身を賭してアルフィン皇女と《紅き翼》のクルーを守ったという。その功績を元に司法取引が成立し、またアルフィンたっての希望もあって、スカーレットは皇女付きの《紅の騎士》となった。

 そしてその第一の任務が、セドリック、アルフィンが入学することになるトールズ士官学院、特科クラス一年Ⅶ組の担任教官だったというわけだ。

 激動の人生ではある。葛藤もあったに違いない。しかしその目の生気を見る限り、良い選択だったのだろうと他人事ながら思う。

「何か?」

 背中越しの視線に気づかれたのか、スカーレットが振り向いた。

「いいえ。ただ引率の先生のようだと」

「引率の先生だもの。騒がしくてごめんなさい。少しは成長したかと思えば、まだまだ子供っぽいところも多くてね。卒業は無事にしてくれたのだけど、心配が尽きないわ」

「面倒見の良い性格なんですね。教官職はあなたに向いたお仕事なのでしょう」

「前職より多少は……どうやら私の過去を知っているようね?」

「ええ、仕事柄。申し訳ないとは思いますが、だからといって偏った先入観を持つこともありませんので」

「ご随意に」

 目的地が見えてきた。

 MWLエリアの一施設と化したカジノフロア――その跡地だ。倒壊後なので、瓦礫や建材がそこかしこに転がっている。すでに霧は払われているので見通しは良い。

 そこにせかせか働くメイド服姿の女中がいた。

「クレアさん!」

 セドリックとアルフィンが彼女に駆け出し、スカーレットとエレインが後に続く。

 クレア・リーヴェルト。エレボニア帝国、鉄道憲兵隊所属で階級は少佐だ。その体には微細な白い霧がまとわりついていた。

「やっぱりまだ囚われていたのね。ちょっとクレア、しっかりしなさい」

 同じ学生寮で一年以上過ごしたこともあってか、スカーレットにとっては気を遣わない間柄のようだった。そんな彼女が声をかけるも反応はなく、クレアは誰もいないテーブルにグラスを運んだりしている。

「一体何に囚われているんでしょう。エリゼの時と同じく、個人的な望みがあると思うのだけど……」

「エリゼさんの一件は禁句だってば」

 アルフィンとセドリックにも心当たりはないらしい。スカーレットの表情に影が差す。

「《ヨルムンガンド戦役》では色々あったからね。最終的に元の鞘には収まってくれたけど、思うところも多いんじゃない?」

「うーん、他には……いつも穏やかに家事全般をこなしてるけど、メイド服が本当はイヤだったとか……」

「え、そうかしら。クレアさんが鏡の前でターンする姿を、わたくしは何度かお見かけしたわ」

「それも禁句だって」

 新Ⅶ組一派には禁句条項が多そうだ。

「あなたの見解はどう? エレインさん。A級遊撃士の推察は力になるってことで、ついてきてもらったわけだけど。……まあ、クレアのことを知らなきゃ望みの汲み取りなんて難しいわよね」

「いえ、わかります」

 エレインは確信を持って、スカーレットにそう言い切った。

「うそ。本当に?」

「クレアさんは孤独なんだと思います。誰にも言えない悩みがあるんです。私にはそれが――いいえ、私だからこそわかります」

 疲れたのか、クレアはテーブル席の一つに腰かけた。浮かない顔で、卓上に視線を落としている。暗い雰囲気だ。

 エレインは彼女の前に相席した。

「直感ですが、彼女の願いは、“自分の悩みを打ち明けたい。わかって欲しい。あるいは共有したい”です」

「だったら……だとしたら言ってくれても良かったのに。私はクレアのこと……その、友人だと思ってるのに」

「スカーレットさんとの関係は紛れもなく良好なのでしょう。ですがそういう次元の話ではありません。この問題は刻一刻と自分の首を絞めていく、いわば呪いのようなもの」

 呪い。その言葉でセドリックたちに緊張が走る。

 エレインはうなだれるクレアの肩にそっと手を置いて、一言こうつぶやいた。

「――渾名が《氷の乙女(アイスメイデン)》ってつらかったわよね」

 瞬間、クレアはエレインを人として認識した。

「あなたは……わかってくれるんですか?」

「ええ……だって私も《剣の乙女(ソードメイデン)》だなんて呼ばれてるから。自分で名乗ったことなんて一度もないのに」

 誰が考えた渾名なのかと、割としっかりめに悩んだこともある。行政公認のネーミング委員会でもあるのだろうか。本気の抗議をしてやりたい。

「なんなら今はまだいい。でもこの先30代、40代となっていった時にもその二つ名で呼ばれ続けるのかと思うと、どうしてか手足が震えて視界の焦点が合わなくなるの。夜が過ぎて朝になるのが、とてつもなく億劫に感じる日があるわ」

「同じ悩みを持つ人がいたなんて……ふふ、少し安心しちゃいました」

「あなたとは仲良くなれそうね。私はエレイン・オークレールよ」

「クレア・リーヴェルトです。渾名被害者の会を結成しましょう」

 固い握手を交わすメイデンズ。同時にクレアにまとわりついていた霧が消え去った。

 悩みを共有する相手が現れたことで望みは叶い、彼女の夢が覚めたのだ。

「……ここは? アルフィン殿下にセドリック殿下、それにスカーレットさんも……?」

「良かったわ、クレア」

 スカーレットはクレアを抱きしめた。

「ただ、ただね。あなたが囚われているもの、なんなら《ヨルムンガンド戦役》のあれこれの方がまだ納得できたんだけど……」

「なんの話ですか?」

 

 ●

 

 友達グループ、カップル、親子連れ。ミシュラムの敷地内は人で溢れていた。もちろん幻影の人間たちではあるが。

 “ミシュラムはお客で満員になるもの”というティオの認識が反映されているのだろう。

 逆にみっしぃを追っていた時は閑散としていたが、それはティオの気持ちが落ち込み、他者と関わりたい心情ではなかったからだ。

 エリア解放されたのに、いまだに主格者としての認識の繋がりが残っているのは意外だった。

「この世界のことは大体わかった。不明確な点も結構あるが、まずは呼び込まれる人間についてだな。現情報だけで状況を整理してみるぜ」

 道すがら、クロウが言う。同行メンバーはリィン、アッシュ、アルティナのトールズチームだ。

「まずカルバード組は、この《ロア=ヘルヘイム》に七耀歴1208年から呼び込まれている。それ以外のリベール、クロスベル、エレボニア勢は1207年と、なぜか一年のタイムラグが発生している。そしてカルバード組は呼び込まれる直前のことをしっかり覚えているのに対し、1207年組の俺たちは記憶があいまいだ。いつ、どこで、どうやってここに呼ばれたか今一つ思い出せない」

「ああ。付け加えるとヴァンたちカルバード組は、仲間と合流する度に記憶の拡張が発生する。だがその現象は彼ら以外には起きない。俺たちの記憶は止まったままだ。だが少なくともクロスベル再事変を解決した後であることは確実だろう」

 と、リィンは言った。

 ここまでに“夢の囚われ”から解放された者たちが保有している記憶をすり合わせたところ、そのクロスベル再事変までは誰もが覚えていたのだ。ぼやけて判然としないのは、いずれもそれ以降の出来事である。

 しばらく思案していたアッシュが口を開いた。

「そこはポイントじゃないかもな。重要なのはクロスベル再事変までの記憶があることじゃなくて、今のところ呼び込まれている人間はクロスベル再事変を経験していることじゃねえのか?」

 つまりカルバード組を除いては事件に何らかの形で関わる“当事者”という括りだ。法則やルールを見つけ出す際の基本は、まず共通項を特定することである。

 クローゼでさえ《逆しまのバベル》攻略作戦に参加しているのだから、その意味でアッシュの見解は的を射ているものであったが、

「クロスベル再事変、ジンさんは関わっていませんでしたよ」

 アルティナがあっさり共通項を崩す要因(ファクター)を指摘する。確かにジン・ヴァセックはこの一件には一切介入していなかった。

「チビ兎が……」

「なんですか」

 自論を否定され、アッシュはアルティナを見下ろす。高低の身長差でにらみ合う二人を、リィンは間に入って仲裁した。

「あとはヴァンが中心になっていることかな。これだけ推測を重ねて話し合っていて、もしかしたら真実の解明に関わるキーワードも出ていたかもしれないが、ヴァン自身がそれを聞いていなければ《幻夢の手記》の新情報は開示されない」

 すなわちヴァンがいなければ、物事が進まないような仕組みになっているのだ。手記の存在は謎しかないが、それをヴァンが持たなければならないのは、なお謎である。一体彼は何者なのか。

「で、そのヴァン・アークライドだったか。信用できる相手なのか?」

「ああ、できる」

 クロウに問われて、リィンは即答した。

 ぶっきら棒ではあるし、無用に他人との距離を詰めない性格のようだが、その実の面倒見はよく、何よりアニエスを始めとした彼の仲間に慕われている。どこか身の内に秘めた黒い影を感じないでもないが、それこそ自分が言えた口ではない。

「ま、お前のお墨付きなら、俺もそれ以上は言わねえよ。最大限の協力はしてやるさ」

「よろしく頼む。クロウと一緒に行動する機会は、そうそうないからな。こういうのも新鮮だ」

 話しながらも、四人は広範囲に視線を巡らせていた。

 そして観覧車の近く、立ち並ぶ屋台の一つに目当ての人物の姿を見つける。二つの風船を手に、ミリアム・オライオンがてくてくと歩いていた。

「やっと発見しました。いつまでも世話のやける人ですね」

 ぼやきつつも、そこはアルティナが最初に駆け寄る。ミリアムには薄い霧がまとわりついていた。

 リィンが試しに払ってみたが、意味はまるでなかった。

「霧は取れない……か。やっぱり夢から覚ますには、ミリアムの望みを叶えるしかないらしい」

「でも困りましたね。ミリアムさんの望みを探すことから始めないと。やりたいことが色々ありそうですし、特定には時間がかかりそうです」

 アルティナが言うと、残りの三人は意外そうな顔をした。

「いやいや、マジかよ。お前の姉貴だろ?」とアッシュ。

「こいつほどわかりやすいヤツもそうそういねえぞ?」とクロウ。

 一人わからないアルティナに、リィンが教えた。

「ミリアムはアルティナと遊びたがっているんだ。みっしぃを探している最中に会った時も『アーちゃん、どこかな』って言っていただろう」

「え? いえ、でも……まさか」

 リィンに促されるまま、アルティナはミリアムの前に立つ。

「あ、アーちゃんだ!」

 ミリアムはアルティナだけを認識した。

「……ミリアムさん、やれやれです。でもまだ夢から覚めたわけじゃないんですよね?」

「んー? 夢ってなに? それよりさ、はいこれ、アーちゃんの分!」

「わっ」

 風船の一つを押し付けられる。

「いりません」

「いいからいいから! アイスもあるよ。食べる?」

「それはもらいますけど」

「あ、口元にアイスついてる。アーちゃんは仕方ないなあ。拭いてあげる」

「じ、自分でやりますから」

 それからもホラーコースターやビーチサイド、ショッピングに屋台巡りなど、ミリアムはアルティナをあちこち連れ回した。

 しかし一向に霧は晴れる気配がない。

「……おかしいです。これだけ遊び倒しているのに……」

「これまでにも度々あったパターンだ。遊ぶこと自体は手段で、目的とする望みが別にあるということだろう」

 リィンが言う。ミリアムはアルティナと手を繋いだまま、お散歩回遊中である。

「遊ぶことが望みでないなら、本当にわかりませんよ」

「これはもう、一つしかないぞ、アルティナ」

「心当たりがあると?」

「ミリアムはな。アルティナにお姉ちゃんって呼んで欲しいんだ」

「…………は?」

 長い沈黙のあと、アルティナが目を丸くする。

 クロウとアッシュはうんうんと頷いていた。

「ここまでの感じを見てる限りじゃ、それっぽいな。お姉ちゃんムーブを連発してたしよ」

「ほれ、とっとと呼べよ、チビ兎。それで望みが叶うってんなら安いもんじゃねえか」

「ああ、間違いない。しっかりと言ってやってくれ。しっかりとだぞ?」

「あ、圧がすごい……」

 特にリィンは娘の発表会を見に来た父親のごとき前のめりだった。娘への想いが強すぎて距離感を間違え、思春期になったらまっさきに嫌われるタイプの父親だが。

 男三人に詰め寄られ、アルティナはとうとう根負けした。

「……はあ、言います。言えばいいんでしょう? 言いますから、声が聞こえない位置まで離れていて下さい」

 リィンが首を横に振る。

「それはできない。俺はアルティナがミリアムをお姉ちゃんと呼ぶところを見たいんだ。恥ずかしがるな。いや、恥ずかしがってもいいから、ちゃんと呼ぶんだ」

「どういうこだわりですか。でも改まって呼べと言われると、それなりに抵抗が……」

「このまま放置したら、ミリアムを主格者として新たなエリアが発生するかもしれない。その場合はおそらく《アーちゃんエリア》みたいなのが創り出されるぞ」

「それはイヤ過ぎますが……」

 観念したらしく、力なくうつむく。

「ぉ……ぉねぇちゃ」

「もっと大きな声で」

 鬼教官のダメ出しが入る。十回近いリテイクを強要され、もはや精神消耗のアルティナは心を殺した。

「お姉ちゃんっ! 私、お姉ちゃんにいっぱい遊んでもらえて嬉しいですっ! これからもずっと一緒にいて下さいねっ!」

 可愛らしい満面の笑顔は、この果てなき煉獄からの解放に至る手段と心得たものだった。

 お姉ちゃん、ちゃん、ちゃん――とエコーがかかる。

 ミリアムの瞳が揺らぎ、すさまじい勢いで霧が晴れた。

 

【挿絵表示】

 

 ●

 

「ふう、これで全部でしょうか……」

 ミシュラム、鏡の城の最上層で、アニエスは運んできた木箱を床に下ろす。

 夢の囚われから解放されたティオは、この木箱を持ってきた。これは《幻夢の手記》の㉑番【一つのエリアを解放すると、その主格者から次のエリアに繋がるキーアイテムが手に入る】に準じた行動だ。

 その木箱がおよそ二十個近く。

「くたくたです……」

 一生懸命動いていたフェリは最後の一箱を床に置くと、へなへなとしゃがみ込んだ。

「帰ったら疲れの取れるハーブティーをお淹れしますね」

 さしものリゼットも体力を使った様子だ。

 その彼女の傍らで、アーロンも腰を下ろしている。

「つーか、これを今から城の入り口まで運ぶんだぜ? ヴァンの野郎やら不動のやつを連れてきた方が絶対良かったろ。タリぃな、マジで」

「仕方ないですよ。ヴァンさんたちはヘイムダルエリアの方に向かってますから。ただまあ、確かにもう少しこちらに応援要員を割いていても良かった気はします。……でもこれ多分、私たちへのペナルティでしょうし」

「面倒くせえオッサンだよな、我らが所長殿は」

 今更ではあった。

 ティオ解放時に木箱を渡されたものの、まだたくさんあるとのことだったので、やむを得ずあとで回収する形となり、そして現地派遣の命を受けたのがアニエスたちだった。

「で、この木箱は結局なにが入ってんだよ?」

「あ、それわたしも気になりますっ。大きさは一緒ですけど、軽いのも重いのもあったりで」

 フェリは興味深々で箱をつついたり、アーロンはつま先でごんごん蹴突いたりしていた。アーロンを引きはがしつつ、アニエスは箱に視線を転じる。

 開かないのだ。接着剤でもつけているかのように、ぴたりとふたはくっついている。

 だがそんなことより目を引くのがこれだった。

 箱の上部に張られた名前札。白紙に黒の印字で『リィン・シュバルツァー』『ラウラ・S・アルゼイド』などのエレボニア組、『ランディ・オルランド』『ティオ・プラトー』などのクロスベル組、『クローディア・フォン・アウスレーゼ』『アガット・クロスナー』などのリベール組。全メンバー分が用意されているのだ。

 札にはクロスベル警察のマークが刻印されていて、なんなら証拠物の押収品のように見えなくもなかった。

 次のエリア攻略に使うものだろうとは想像できるが、中身の予測はまったくできない。

 そして気がかりは、それらの箱にヴァンやアニエスたちのカルバード組の名前が一切ないことだった。

「……考えていてもわかりませんね。四つ目の《虹の影橋(ビヴロスト・シャドウ)》もまだ出現していませんし、時期が来たら勝手に開く――とは思いますが」

「ま、そんな感じかもな。くそっ、最後の一仕事と行くかよ」

 気だるそうに立ち上がるアーロン。不平不満をこぼしながらも、案外と言われたことはやる性格らしい。

 ヴァンを除いたこのカルバード組の任務は二つ。

 一つが、大量の木箱の回収。

 もう一つが、それらをアークライド事務所まで運ぶための、ピックアップトラックの救出。

 カジノエリアからMWLエリアへの捜索と、立て続けに色々あったから誰もが忘れていたが、ヴァンの愛車はゼムリアコインの借り受けのために、《西風信用金庫》に担保として預けられていた。

 しかしカジノフロアは倒壊。隣接していたIBCフロアも倒壊。そしてピックアップトラックは瓦礫と建材の下敷きに。

 その事実を知ったヴァンはこう言った。『お前らが責任もって救い出してこい。あと木箱全部運んで来い。返事は“はい”か“イエス”しか認めねえ』と。

 四人だとちょっとしんどくありません? とか抗議したかったが、悲憤に震えた声に異議を唱えられるものではなかった。ヴァンを押さえつけて無理やり車を質に入れたようなものなので、お怒りプンプンモードなのだろう。あとで甘いものをあげてご機嫌を直してもらわねば。

「それでは皆様、参りましょうか」

「あいよ」

了解(ウーラ)っ」

 リゼットの一声で銘々動き出す。

 そこに続こうとして、アニエスはふと思い出した。

「そういえば《西風信用金庫》の二人って……」

 いない、どこにも。ゼノとレオニダスだったか。なんとなく《ロア=ヘルヘイム》に囚われた人のように思えたのだが、そうではなく主格者のイメージで作られた幻想の人間なのか? 

 彼らはどっち(・・・)だ。

 リィンたちの知り合いかどうかもわからないが、仮に解放されたのだとしたら、いったい二人はどこへ消えたのだろう。

 

 ●

 

 霧の晴れたヘイムダルエリアを、ヴァンは遊撃士メンバーを連れて歩いていた。エレイン、ジン、アガット、フィー、トヴァルだ。

 正直、なんで俺が引率を、とは思う。

 裏解決屋というアウトロー寄りの稼業であるがゆえ、遊撃士たちとは折り合いがあまりよくない。ヴァンにとってはできれば関わりにはなりたくない人種である。

 ちらりと後ろを振り返る。非常にややこしいことが起きていた。

「フィーもこの世界に来ていたのね。でもあなたがいてくれるなら心強いわ。あら、髪少し切ったの?」

「えっと、初めましてじゃなかったっけ? エレイン・オークレールの名前は知ってるけど」

 クレア解放後にこちらに合流したエレインと、フィーの会話である。フィーは1207年から呼ばれているから、1208年のエレインにとっては顔見知りだが、フィーにとっては初対面となる。

「ほお、お前さんがエレインか。A級昇格間近なんだってな? 最年少でA級とかサラと並ぶなー」

「あ、いえ。私もうA級になっていまして……」

 これも1207年のトヴァルと、1208年のエレインの会話だ。1208年組はこの場ではヴァンとエレインのみで、それ以外が1207年となっている。

「エレインもA級か。立派になったもんだなぁ」

 ジンがしみじみとつぶやく。

 このたった一年の差で、話がかみ合わなかったりするのだ。なぜこんなずれが発生するのかは、まだ解明できていない。

 出会っているもの、出会っていないもの、これから出会うであろうもの、それぞれの自己紹介が済んだところで、目的地にたどり着いた。

 オスト地区の半地下にあるバーだ。

「お、いたいた。サラの姉御、永遠に飲んでんな……」

 そのカウンターの奥に座るサラ・バレスタインだった。遊撃士チームを連れてきたのはこれが理由だ。

 漂う霧が前より濃い気がする。

「事前に伝えた通りだ。ヘイムダルエリアの主格者であるシュバルツァーを開放したが、個人的な望みが強い人間はこうして囚われたままになることがある。で、姉御の望みってのが恋人が欲しいっていうか、年上の男に口説かれたいっていうか」

「なんつーか、うちのベテランが迷惑かけてすまん」

「ん、申し訳ない気分」

 帝国遊撃士協会としてトヴァルとフィーが頭を下げる。

 とにもかくにも男性陣が口説きにかかる。幸い“サラより年上”という条件はいずれもが満たしていた。

 先方はアガット・クロスナー。どかっとワイルドに、サラのとなりのハイスツールチェアに腰かける。

「久しぶりだな。元気にしてるか?」

「あら、アガット」

 認識した。しかも名前まで。やはり同業者を連れてきたのは正解だった。

「お前はいい女だ。こう……すごくいい女だから、酒を奢りたくなってしまうな」

 たどたどしい。口説きは全然慣れていないようだ。逆に効果があるか? と思ったがサラは浅いため息をついた。

「アガットは十歳以上年下じゃないと恋愛対象としては見ないでしょ」

「な、なんだそりゃ!?」

 エレインとフィーが若干引いていた。

「え、アガットさんってそうなの?」

「うん、ティータっていうちっちゃい子を見たら鼻息が荒くなって、モサモサともみあげが伸びてくるって噂が」

「もみあげってそんなシステムだったかしら……?」

 アガット撃沈。

 続いてはトヴァル。

「よう、サラ。どうした、また一人で飲んでんのか?」

「トヴァル? ちょうどいいわ、あんたも付き合いなさいよ」

 認識は問題なし。トヴァルはさりげなくカウンターに片肘をつくと、斜め45度からの照明とおしゃれなBGMの力を得て、いい男感を醸し出す。

「付き合う? それってどういう意味だ? お前さんさえ良ければ俺は――」

「あんたはとっととどこかの総長にでもアタックかけなさいよ。いい歳までずるずる引き延ばして情けない」

 トヴァル撃沈。

 ここまではある意味予想通り。本命はこの男だ。

「ふう、となりいいか?」

「あ、ジンさん。ご無沙汰しています」

 《不動》のジン、満を持して出撃。さすがのサラも姿勢を正した。

「まあ、人生色々ある。早いか遅いかはそれぞれだ。だが少なくともお前さんは魅力に溢れた女性であることは間違いない」

「は、はあ。どうも」

「おっとグラスが空いてるな。何か頼むか?」

 いかつめの無精ひげに反して、紳士的な振る舞い。話すよりも聞くことに比重を置くバランスが、醸成された男の渋みをこれでもかと演出する。会話の最中にはさむ相槌のタイミングも完璧だ。

「互い独り身だ。人恋しくなる夜もあるだろう。そんな時はいつでも連絡をくれ。お前さんのためならすぐに駆け付けて――」

「ジンさんはそういうのじゃないんで」

 撃沈からの沈没。ジンの屈強な肩幅が小さくなっていく。

「はい、撤収ー!」

 ヴァンの号令で一同は退散した。

 

 

「……放っておいたらダメなのか?」

 ぼそっとトヴァルがつぶやく。気持ちはものすごくわかる。

「その場合、新たなエリアができる可能性があると《幻夢の手記》にも書いてある。イケオジハーレムエリアなんて作られた暁には、もはや手のつけようがないぜ」

 ㉗番の【疑似エリアの解放条件も主格者の望みを叶えることであるが、正規の主格者ではない為、何かが手に入ることはない。故に別に放置していてもよい。でも放置し過ぎると新しいエリアができるかもしれないから、少しは気にしておいた方がいいのではないか】である。この“いいのではないか”口調は気になるところだが。

 ヴァンが答えると、全員の表情が沈んだ。そのエリアの面倒臭さは、これまでで一番かもしれない。

「とりあえず帰るか。これ以上できることもないしな」

 ジンの一言でヴァンは思い出した。

 アークライド事務所はもういっぱいだ。しかし全員と進捗の共有を図る必要はあるし、まとまった行動をする場合もある。未解明エリアの開拓や地図作成も重要だ。

 ヴァンはこれまでに判明している《ロア=ヘルヘイム》のルールを思案する。

 考え、考え――そして思いついた。これなら今からやるべきことをカバーしつつ、この先も増えるであろう人員の寝床の確保もできる。

「よし、お前ら。ひとまずうちの事務所から出ていけ」

 これにざわつく一同。エレインが抗議した。

「お、横暴だわ! 私たちは野宿でもしろって言うの!?」

「い、いや、勘違いすんな。説明してやるから――」

「そうだぞ、アークライド! せめてエレインだけはそばに置いてやれ!」

「ジ、ジンさん!? 何を言うんです!?」

 やいのやいの遊撃士グループが言い合いを始め、フィーあたりが(はや)し立て、最終的には顔を赤くしたエレインが詰め寄ってきた。

「いい加減にしなさいよ、ヴァン!」

「俺のせいなのかよ……」

 

 

 ――つづく――

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