黎明の軌跡 Break the Nightmare 作:テッチー
ティオは主格者としての権能を常に発動させているそうで、テーマパーク内は常にフル稼働だった。
パレード、ショップ、アトラクションを楽しむ幻影の人々の様子が、ミシュラムの入口ゲートの前からも見て取れた。
「そんじゃ行くか」
ヴァンが声をかけると、エレインはこくりとうなずいた。いつもよりどこか大人しい気がする。
「今さらなんだけど、どうして私をミシュラムに誘ったの?」
「ん? それは――」
高校の時の約束を果たせていないから。それがずっと心の底に澱として沈んでいる。お前への引け目の原因なんだと思う。
こんな異世界なんかのミシュラムで納得はしてくれないだろう。約束の代替えにならないことも、過去の清算にならないこともわかってる。
そもそも何を今さらって話だ。
でも言わなきゃいけない一言がある。
「ミシュラムはセドリック皇子が最初にミストマータらしき影を発見したエリアだ。一度自分の目でも見て回ろうと思ってな」
「そのガイド役を私に?」
「そんな感じだ。俺よりは詳しいだろ」
「それだけ?」
「ああ」
「そう。じゃあ早く済ませましょう」
そういうことじゃない。自分の発言で首を絞めてどうする。初手からつまずいたじゃねえか。
今、エレインの周囲の温度が下がったのを感じた。
《――★第18話 その観覧車は天秤に似て★――》
ヴァンたちの後方50アージュ。
『二人が動き出したわね。私たちも追うわよ。つかず離れずの距離を意識して』
レンの声が《Xipha》の通話口から聞こえた。「了解です」と応じつつ、アニエスは足を一歩踏み出す。ぶにょんと肉球が地面を押し返す感覚が足裏に伝わった。
「けっこう重いんですね。それに暑い……」
『仕方ないわよ。そういうものだし』
二人は着ぐるみの中にいた。アニエスがみーしぇで、レンがワルみっしぃだ。
着ぐるみ同士では声が届かない為、会話はお互いの《Xipha》でやり取りをしている。
「でもレン先輩。ばれないように上手く尾行すれば、わざわざ着ぐるみを使わなくたって良かったんじゃ……」
『相手はヴァンさんとエレインさんよ。生半可な追跡なんて簡単に見破られちゃうわ。みーしぇとワルみっしぃならミシュラムの風景に紛れられるし、ちょうど良かったじゃない。それに着ぐるみは尾行の伝統的必須アイテムだしね』
「初耳ですけど、その伝統。それはそうと、この着ぐるみなんだか臭いません?」
『んー? ……確かにちょっと汗臭いような。やあねえ、花の女子高生だっていうのに』
「そもそもが拾いものですしね」
ミシュラムの入口ゲートの脇の植え込みに、一固めになって落ちていたのだ。まるで誰かが脱ぎ捨てたかのように。
それを発見するや否や、レンはさっそくその着ぐるみを引きずりだして、迷いなく中に入った。先輩がそうしてしまったので、後輩であるアニエスも続かざるを得なかった。
『ミッションの再確認をするわ。私たちの目的はヴァンさんとエレインさんの会話内容や行動から、その関係性を推察、あるいは特定することよ』
「もちろん見つかっちゃダメですもんね。き、気をつけます」
『先回りしての仕込みも済んでるからね。乙女のスニーキングミッション、スタートといきましょう。気を引き締めなさい、アニエス』
「うーらっ!」
『……支援課のみんなも叫んでたけど、それ流行ってるの?』
●
本当はわかっていた。
ヴァンが私をミシュラムに誘ったのは、高校の時の約束を覚えていて、それを違う形だけれど果たそうとしていること。
さっきの台詞は体面を取り繕おうとして、とっさに出たのだろう。心を覆い隠すのはいつものことだ。
でもね。ちゃんと言ってくれなきゃ、こっちもあなたの気持ちに寄り添えないじゃない。
別に怒ってなんかないけど、怒った態度を崩せないのよ。私の性格はわかっているでしょうに。もっと上手く扱いなさいよ。
『はあぁ~……』
エレインの深いため息が、ヴァンのそれとも重なった。
とりあえず巡回という名目に付き合いつつ、アトラクションもやっていこう。見回りを兼ねてとはいえミシュラムを堪能できるなら、それに越したことはない。
「ヴァン。私、占いがやりたいわ。ミシュラムには有名な占いコーナーがあるの。少しの息抜きくらいはいいでしょ?」
「あ、ああ。もちろんだ」
「ありがと。こっちよ」
エレインの先導で、二人は占いの館に向かう。
中に入ると、なんだか妖しげな雰囲気の待合スペースがあって、一番奥には扉が見えた。
「開けなさいよ! いるのわかってるんだから!」
占い師のいる部屋に繋がっているであろう扉の前で、銀髪の女性が何やら憤っている。
「あら、シェラザード妃殿下だわ。どうしてこんなところに……」
「みっしぃが好きなんじゃねえか? お前と同じで」
「私は普通だと言ったはずよ」
「その設定、まだ続いてんのか……」
シェラザードは扉を無理やりこじ開けようとし始めた。
「こうなったら実力行使よ! 覚悟なさいよ、何年振りだと思―――ぶっ!?」
勢いよく開いた扉が、シェラザードの顔面を直撃した。
背中から床に倒れ込む彼女を、ヴァンとエレインは血相を変えて支える。
部屋から出てきた占い師は、三人の横をすり抜けるように走った。ヴェールで頭を覆っていて素顔は見えない。ただ女性であることはわかった。
「待って、姉さ――ぶっ!?」
すれ違い様に、占い師はシェラザードの顔面にバンッと一枚のメッセージカードを貼り付ける。いや“叩きつける”が正しいかもしれない。カードには『色々おめでとう』とだけシンプルに記されていた。
「うぅーっ、痛いぃ。でも絶対に逃がさないから……!」
ヴァンたちなど最初から視界に入っていない様子で、シェラザードは占い師を追って行ってしまった。
「妃殿下、あんなに走って大丈夫かしら」
「遊撃士の大先輩なんだろ? 心配はいらなさそうだが……占い師がいなくなっちまったな」
「いいわよ、もう。どうせ今日の運勢、なんとなくわかるから」
●
占いの館から各アトラクションにつながるメインストリートまで戻ってきたところで、ヴァンは特務支援課の面々と出くわした。
その中のリーダー格の青年が駆け寄ってくる。
「会えて良かった。少し前に事務所に行ったんだが、入れ違いになってしまってね。俺はロイド・バニングス。クロスベル警察に所属している」
茶色のくせっ毛にまっすぐな瞳。22、3歳くらいか。実年齢よりは少し幼く見える顔立ちだ。こいつは女泣かせだな、間違いない。
「ヴァン・アークライドだ。気軽に接してくれ。俺に会いにって、なんでだ?」
「リィンから聞いたよ。ヴァンが中心になって《ロア=ヘルヘイム》の謎を解き明かしてるって。俺たちを霧の囚われから解き放ってくれたとも。おかげで特務支援課もここまで合流することができた」
ロイドが後ろに控えていたクロスベル勢を紹介する。
カジノ、ミシュラムエリアで合流したランディ、ティオ、ワジに加え、先だっての学校エリアで解放したエリィ、ノエルだ。なぜかその集団の中にフェリがいるが。
「俺は別に中心になった覚えはないぜ。《幻夢の手記》を持ってるだけだ」
「それをヴァンが持っていることに意味があるんだろう。状況というピースを繋ぐパズル仕立ての推理は警察官の分野だ。力にならせてもらうよ」
白い歯を見せるさわやかな笑顔。握手を求めて差し出される手。すさまじい好青年だ。
「ぐああっ……」
「ど、どうしたんだ、ヴァン! 急に苦しみだして、胸が痛むのか!?」
「大丈夫よ。あなたが眩しすぎただけだと思う。ちょっと彼、性格が曲がってるところがあるから」
すかさずエレインがフォローに入る。いや、フォローにはなってない。誰の性格が曲がってるだと。
その折、フェリと手を繋ぐティオが、ロイドに話しかけた。
「ロイドさん。私、ミシュラムを回ってきますね。フェリちゃん教官にみっしぃの良さを知って欲しいので」
「わかった。いってらっしゃい、フェリちゃん教官」
「……気乗りはしませんが、ティオさんが一緒なら。じゃあ他の皆さんは各地の巡回と探索をお願いします」
テンション低めのフェリがそう言うと、支援課は素早く踵をそろえて、
『
ビシッと敬礼をすると、彼らは駆け足でその場を去っていく。まるで上官に接する態度だ。
なんでだよ、まだ霧に囚われてんのか?
「おーい、そこの兄ちゃんに姉ちゃん。射的やっていかんかい?」
別の場所に移動しようとした矢先、不意に近くの出店の店主から声をかけられる。
「射的? ミシュラムって、こんな祭りの出し物みたいなのもあんのかよ」
「私の知る限りはないわ。ただまあ、実際の仕様とは違うんでしょう。……いえ、変ね。完璧にミシュラムを再現できるティオさんなら、こんな不純物をミシュラムに創造するはずが……」
「不純物て」
「射的はいいわ。違うところに――」
「景品は限定のみっしぃストラップだとよ。《ロア=ヘルヘイム》仕様ってか。凝ってんなあ」
「何をしているの? 早くやるわよ」
スタスタと射的位置に立ち、店主からライフルを受け取るエレイン。構えがもう射的じゃなくて射撃だ。作戦遂行中のスナイパーの目付きで、黒光りする銃口を三段棚に並ぶ景品に向ける。
が、外す。外す。外す。
「う~っ」
泣きそうな顔をしている。そういや得物は剣だもんな。銃は不得手らしい。泣かれるのも怒られるもの困る。ヴァンはエレインのライフルを取って、
「お前よりは俺の方が命中率高いだろ。任せろよ」
「お願い! あと一発しか残ってないの。命を賭けて引き金を絞って!」
「マジかよ……」
銃を構える。よく狙う。ストラップだったか。的が小せえ。
「ほらほら兄ちゃん。かっこいいとこ見せなきゃね? どしたい、早く撃ちなよ。ヘイヘイヘイ、ビビってるう?」
「うっせぇ!」
腰をカクカク振りながら挑発してきやがる。
ふと思った。幻影の人間のくせに、やたらと自由な会話をしてくる。
そういえばカジノエリアでアニエスがディーラーに色仕掛けをかました時、そのディーラーは普通の人間のような反応をしたらしい。
幻の人を作るのも主格者のはず。ということは、
「モブみたいな群衆だけでなく、意思を持つかのように振る舞う役も作れるのか……?」
ふと頭に浮かんだことをつぶやいたその時、《幻夢の手記》が輝いた。
㉖【エリアの主格者の権限として、自らのエリアに囚われている人間、及びイメージで作り出した人間に対し、自身の望む役割を付与できる】
「うおっ!?」
光に驚いて、トリガーを引いてしまった。とっさに放たれたコルクの弾は、上方に逸れてはずれた。
「……命」
「やらねえよ!」
エレインさんが怖い。
「ん? ほら、あれ見ろ。なんかエレボニアの連中が集まってんな!? 行ってみようぜ!」
ここに留まるとやばい。エレインの背中を押して、ヴァンは無理やり射的店から離れた。
子供向けのショーなんかをやる屋外ステージだ。
数名のトールズ組が囲むそのステージの上では、ヴィータ・クロチルダとエマ・ミルスティンが向かい合って立っていた。
ヴィータという魔女がミシュラムで霧に囚われたままだとは、学校エリア攻略前にスカーレットから報告を受けている。
しかしなぜエマ? 彼女は学校エリアで俺のクラスの生徒だったから、多少の性格は知っている。
真面目。穏やか。委員長気質。
そのエマが、なぜかヴィータからネチネチ責められているらしかった。
「ん? ヴァンじゃねーか。どうした?」
ギャラリーとして後ろの方にいたクロウが、ヴァンとエレインに気づいた。
「見回りついでにちょっとな。こりゃどういうことだ?」
「ヴィータはエマの姉貴……みたいなもんでな。まあ、見てみろ」
そう言われて、ヴァンも視線をステージに向けた。
「――ねえ、わかってる? エマの消えちゃった魔女の力を取り戻すことができたのは誰のおかげ? あなたの口から聞かせてほしいわ」
「……姉さんだけど」
「え、なに、その言い方。不服? 不服なのかしら?」
「……そんなことない。感謝してるから」
「してるから? ずいぶんとお偉い物言いだこと。もしかして私と魔術の力が並んだとでも思ってる? 誰からもらった力かわかっているのかしら。……あら、そういえばエマ、眼鏡はもうつけないの?」
「ええ、別に目が悪かったわけじゃないし」
「残念、せっかく似合ってたのに。あの地味な丸眼鏡。地味なあなたにピッタリだったのに」
「………」
「黙りこくってどうしたの? もしかして怒ったの? ふふ、可愛い妹。そんなにむくれないで。ぷるぷると小刻みに震えちゃって。泣いちゃうの? 泣いちゃうの?」
「………」
「なんとか言いなさい」
「……なんとか」
「反抗的ね、すごく反抗的。私は素直なエマが好きなのに。そうだ。次はあなたが子供の頃に書いた小説を一ページ目から朗読してあげるわ」
「や、やめて! お願い、それだけは!」
「うふふ……あははは! その顔、最高よ」
ヴィータの高笑いの中、クロウが言った。
「微笑ましい姉妹だろ。妹との語らいがヴィータの願いらしいぜ」
「妹側の公開処刑にしか見えねえが。あと俺、今からすげえ重要なこと言うからな」
「おう、なんだ」
「姉貴側の霧、晴れてんぞ、とっくに」
「へ?」
ヴィータの霧は消えている。つまり望みは叶い、もう“囚われ”から解放されている。
ようするに正気に戻って尚、エマを責め続けているのだ。しかもあんなに楽しそうに。
「や、やべえ! お前ら、ヴィータを止めろ! あと委員長のメンタルケアもやっとけ!」
真っ先にクロウが走り出し、トールズ勢も慌てて駆け出す。
「やれやれ、いつも騒々しいヤツらだな。……ま、うちの事務所もよそのことは言えねえが。悪いな、エレイン。時間を取らせちまった」
「私は構わないわ。えっと……次はあれに乗りたいのだけど」
エレインが指さす方に見えたのは、大観覧車だった。
●
ヴァンたちがどこかに移動を始めた。すぐにそれを追いたいのだが、アニエスとレンは足止めを食らっていた。
「ほら、みーしぇとワルみっしぃですよ。みーしぇはみっしぃの妹で、その性格は――」
ティオが一生懸命説明しているのは、フェリにだった。フェリは疑念に満ちた目で、二匹のマスコットとの距離を取っている。魔獣とエンカウントした時と同じ警戒だ。
「な、なんでフェリちゃん? 私たちに対して攻撃態勢に入ってますけど」
『さあ、でも困ったわね。これじゃあヴァンさんたちを見失っちゃうわ』
《Xipha》でレンと話す。これくらいの小声なら、着ぐるみの外には聞こえない。
ティオの背に隠れるフェリが、ちょこんと顔だけ出している。あっ、フェリちゃん、それ可愛いです。
ティオが困っていた。
「フェリちゃん教官、誤解なんです。みーしぇにもワルみっしぃにも中の人なんていないんですよ。大人の世界なんて知らなくていいんです」
「そんなことないです。わたし、見ました。みーしぇにはジンさんが、ワルみっしぃにはアガットさんが入ってました。『あっちー、ふひぃー』とか言ってました」
「な、なんということを。ジンさんたちにはエーテルディバスター決定ですね……」
その会話で、アニエスもおおよその事情を理解した。
ミシュラムエリアで初登場した囚われ状態のジンとアガットは、着ぐるみバイトをやらされていたという。絶対に子供たちに知られてはならない、着ぐるみの裏側事情をフェリに見られてしまったのだろう。
「というかこのみーしぇの着ぐるみにジンさんが入っていたんですね……だからこう、なんと言いますか、熟成された汗のフレグランスが……」
『私はワルみっしぃだからアガットさんよね。ふう、親友の想い人の臭いに囲まれてるとか、この言い知れない背徳感がクセになりそうよ』
「よくわかりませんけど、変な世界から戻って来てください」
『でもどうする? 隙をついて走れば突破くらいはできそうだけど……』
「いえ、それではフェリちゃんの疑念が残ったままになってしまいます。全力の着ぐるみ仕事をやりきって、笑顔を取り戻さないと!」
『あなたも過保護ねえ』
要するにフェリは、こんなに愛くるしい着ぐるみの中身が、ごつくてむさい男たちだと思っている。そこの誤解を払拭するほどのパフォーマンスを見せれば、あるいは。
「行きます、レン先輩」
『了解。私の本気を見せてあげるわ』
強い決意と共に、二人はばばっと手足を広げ、コミカルに踊った。くるくるっと回り、ぴょんぴょんと飛び跳ね、軽やかなステップを披露し、
『エンジョーイ☆みっしぃ!!』
最後に完璧なコンビネーションでポーズを決める。
着ぐるみの中は煉獄そのもので、アニエスもレンも息を切らせていたが、肝心のフェリは「わあっ!」と声を上げて喜んでくれていた。
「ミシュラム、楽しいヨ!」
『いっぱい楽しんでネ!』
ここでティオが主格者の権能を使い、色とりどりの大量の風船を周囲に舞わせた。完全にフェリの目が空に釘付けになった。
今のうちにと、二人はその場を離脱した。
ヴァンたちはすでに観覧車に乗っている。どうにか追いついたアニエスとレンも、六つ後に来たゴンドラに乗り込んだ。
着ぐるみの頭が引っかかって入るのに苦慮したが、『ごめんね。なるべくエレガントにするから』の言葉と同時に、アニエスはレンに後ろから蹴り入れられた。
ありがとうございます、レン先輩。私、後輩なんで大丈夫です。レン先輩も蹴りとかするんですね。乙女のキックですよね、わかります。エレガントってなんでしたっけ。
のそのそと体を起こし、座席に座るアニエスみーしぇ。
「……勢いで乗ったはいいですけど、これ乗る意味ありました? 一周したお二人が出てくるまで、下で待ってた方がよかったんじゃ。声も聞こえませんし」
『声なら聞こえるわよ』
「え?」
戸惑うアニエスの耳に、ヴァンとエレインの会話が聞こえた。《Xipha》からだ。音声が混入している。
『座面の下に盗聴器仕掛けたの。通信波長を私たちの《Xipha》に合わせて、意図的に混線させてね。多少のノイズは仕方ないけど、まあ言葉の判別くらいならいけるでしょう』
「こ、これが最初に言ってた仕込みですか。でも観覧車に乗るにしても、どのゴンドラを使うかわからないのに……まさか」
『ええ、全部のゴンドラに盗聴器を仕掛けておいたの。自分の所有している認識の物を呼び出せるって、この世界はある意味便利よねえ。カルバード製の機器だから《Xipha》との互換はやりやすかったわ』
「盗聴器を普段から所有している認識ってどうなんですかね……」
もっと怖い話が出てきそうなので、これ以上の追及はやめておいた。勝手に人の会話を聞くのはモラル違反だと思うけど、ここまで来たら後には引けない。
●
ヴァンが右頬をぽりぽりとかいた。何か言いにくいことを口にしようとする時の癖だ。
学生時代にも度々見かけたことがある。付き合い始めか――いえ、その前だったと思う。
あなたは私に伝えたい気持ちがあって、私もあなたに伝えたい気持ちがあって、それを言葉に出すことはなくても、お互いに言いたいことは何となくわかっていて――そういう空気感が心地よくて。
あの頃に想像していた。所詮は夢見がちな学生の妄想に過ぎないけれど。
約束通り、二人でミシュラムに遊びに行くの。ルネにも内緒で。彼には見透かされていそうだけどね。
たくさんのアトラクションを堪能して、限定のランチを食べて、最後にこの観覧車に乗る。
太陽の傾いた夕焼け空を泳ぐようにゴンドラが動きだして――最初ははしゃいでいたけど、登るにつれて会話は少なくなって――それで一番上まで来たらね――っていう本当に冷や汗をかいてしまいそうな、赤面ものの妄想。
「何事もないわね」
「ああ、異常なしだ」
そして今、私たちの乗るゴンドラは頂点を過ぎた。巡回という名目で、さしたる異変があるわけでもなく、ゆっくりと地上へと向かう。
わかっていたこと。時間は逆しまには戻らない。
荷物を増やしたり、時に減らしたりしながら、過去から押し出されるように未来へと歩かされる。きっとそれが、大人になるということ。
私が知りたいのはね、ヴァン。あなたが減らした荷物の中に、私は入っていたのかということなのよ。
「最近どう?」
対面する座席のヴァンに目を向ける。お酒の飲み始めに使う万能ワードだ。彼は外の景色から視線を戻すと、肩をすくめた。
「人数も増えて大変だぜ。ま、その辺りの管理はシュバルツァーに任せっきりなんだが。レンにもちゃんと情報共有しとけって怒られたばかりで――」
「そうじゃない。あなたのことよ。わかってるくせに。仕事はちゃんとやってるの?」
ヴァンは嘆息した。
「裏解決屋ってのがそもそもグレーだ。ちゃんとって言っていいのかは微妙だが……まあ、楽しくはやれてんじゃねえか。毎日うるさくて疲れるけどな」
「そう。充実した顔してるものね」
「冗談だろ」
「でもあんまり深入りさせちゃダメよ。普通の子もいるんだから」
「弁えてるつもりだ」
普通の子。アニエス・クローデル。詳しくは知らないけど、彼女が始まりの依頼を持ちかけた。それをきっかけにヴァンの止まっていた時間が動き出したように思える。
他者と距離を置こうとするヴァンが、自らのそばにいることを何だかんだで認めている少女。これまでになかったことだ。
彼女から始まって、一人だった彼が、今では輪の中にいる。中心にいる。重心かもしれない。アークライド事務所はヴァンの居場所であり、ヴァンは仲間たちの居場所になりつつある。
正直、嬉しく思う。同時に寂しくも思う。私はあなたの居場所になれなかった。離れていってしまった。
私はアニエスさんと、何が違ったのだろう。
「……もう帰るか。何もなかったしな」
「本当に何もない?」
「ああ」
ゴンドラが地上につき、ヴァンが先に降りる。彼はふと右頬を指でかいた。
エレインはとっさにその腕をつかんでいた。
「いつもはぐらかして逃げようとして。今日は逃がさないわ。私に言いたいことがあるなら、はっきり言いなさい。……ちゃんと聞くから」
●
「もうやめましょう。これ以上は立ち入れません」
アニエスはみーしぇの着ぐるみの頭を脱いだ。数十分ぶりの冷たい空気が肌に触れる。
「それでいいの?」
同じようにレンもワルみっしぃの頭だけを脱ぐ。
揺れるゴンドラの中で、アニエスはこくりとうなずいた。
「お二人の会話は少なかったですけど、すごく通じ合っている気がして」
「私にはすれ違っているように思えたわ」
「決定的な言葉はありませんでした。でもやっぱり知るのは怖いじゃないですか」
本心だった。私の気持ちがどうであったとしても、私の入り込む余地がまったくないってわかってしまったら、今までと同じように振る舞える自信がない。ヴァンさんたちと会える週末のバイトを楽しみにしながら、平日の授業を受ける。そんな何気ない日々が崩れてしまうような気がする。
言葉にできない不安が胸の内を揺さぶってくる。
「別に本気でヴァンさんとエレインさんの関係を探ろうとしたわけじゃないですし、少し気になるかなってくらいですから」
「アニエス」
「だいたい、私はヴァンさんと出会ってまだ数か月しか経ってなくて――ああ、違いました。現実世界では出会ってまだ数日くらいです。笑っちゃいますよね」
「聞きなさい、アニエス」
強い口調で言われて、顔を上げる。聞いたことのない声。怒っている? あの優しいレン先輩が?
視界が滲んでいて、彼女の表情は良く見えない。
「勘違いは悲劇の始まりよ」
一転して静かな声で、レンはそう言った。
「本当に良くない。一方的な決めつけだけで、思い込みの関係性を自分の中に固定してしまうのは。そうして生まれた他者への疑念は、いつしか頑固な誤認へとすり替わる。妄想を真実だと思い込んでしまうの」
「別にそんなこと……」
「答えなんて見ずに決める方が楽だものね。その答えが間違いだろうが正解だろうが、究極的には関係ない。それ以上はしんどいことを考えなくて済むというだけの話」
「………」
「でもそういう決めつけは、可能性を殺すのと同じ。開けなくていい距離を開け、諦めないでいいことを諦め、始まってすらいないことを終わらせる。その寂しい誤解は、必ずあなたを孤独にするわ」
「………」
「相手には相手の人間関係があるもの。でもそれは、その相手があなたを大切に想わないという意味じゃない」
難しい話だったが、不思議と腹に落ちる話でもあった。
「……誰の話なんですか?」
「あなたが知らない、とある誰かさんの話よ」
「私はどうしたらいいですか?」
「もうわかってるくせに」
ゴンドラが地上に着いた。扉は閉まったままだ。園内スタッフはいないから、自分で開けないと外には出られない。
「さあ、どうするの? 私はこのまま二週目に行ってもいいけどね」
いたずらっぽく彼女は笑った。
●
観覧車を降りて、近くの広場に移動する。幻影の人間も誰もいなかった。
ヴァンはエレインだけと向かい合って立っている。
気の強い目だが、不安の揺らいだ目。案外と脆いところがあるくせに、気丈に振る舞う態度でそれを押し隠す。昔から変わらない。
お前に言いたいことは一つだけだ。ずっとずっと、一つだけなんだ。
「エレイン」
「はい」
息を吸って、拳を握る。
「悪かった。あの日、お前に何も打ち明けずに姿を消しちまって」
「高校辞めた時のこと?」
「そうだ」
間があった。エレインがヴァンを凝視する。
「言いたいこと、それ?」
「……まあ、これだが」
「そっか」
「なんだよ」
「別に。ほんのちょっとだけ期待してたことがあったから」
「は?」
エレインはわずかに顔をそむけた。
「でもわかったわ。それがヴァンが私に抱いていた負い目なんでしょう。だから無用な遠慮として態度に出ていた。だからはっきりさせておこうと思って、私をミシュラムに誘った。これでいいかしら?」
「エスパーか」
「わかっちゃうのよ、嫌味なくらいに」
エレインのことだ。俺が言う前からなんとなく察していて、俺に合わせてくれていたのだろう。
「私には置き手紙一つで、しかも詳しいことは何も書かずにいなくなったこと。怒っていないわけじゃないわ。悲しんだし、辛かった。わかる?」
「それは……悪い。俺にはもう謝るしかできねえが……」
「でも、あなたも悩み続けていたことはわかった。ミシュラムの約束を覚えていたことも……わかった」
「……エレイン」
「大人になっちゃったのよ。私にも言えないぐらいの事情があったってことくらい、とうの昔に理解しているわ。私が怒っているのはね。そういう後悔みたいな感情がありながら、あなたがずっと私を避け続けていたことよ! もっと早くに言ってくれたら良かったじゃない! 再会してどれだけ経ったと思ってるの! なんでこんな異世界で、それをやるのよ!」
「いや、だって……謝らせてもらえる雰囲気でもなかっただろ。会うたび、いっつもツンケンしてたしよ」
「なによ! 私が悪いの!?」
ダメだ。もうサンドバッグになるしかねえ。全面的に俺の不義理が悪いのは確かだ。
数年にも渡る不満を全てぶちまけられたところで、エレインはようやく落ち着いた。
「はあ、はあ……スッキリしたわ。今日はよく眠れそうよ……」
「何よりだぜ……」
代わりに俺は憔悴が激しい。
懐から取り出したそれを、エレインに差し出す。
「詫びにはならねえだろうが、良ければ受け取ってくれ」
「みっしぃストラップ? これ、さっきの射的の?」
「当たってたんだとよ、最後の一発」
上にそれたコルク弾は壁に跳ね返って、そのままストラップの一つを落としていたそうだ。
エレインの背を押してその場を離れようとするヴァンに、店主が後ろから渡しに来てくれていたのだ。
「ありがとう。けど――」
受け取ろうとしたエレインの両手は、しかしストラップを持つヴァンの手を包み込んでいた。
「この世界を脱出したら、次は偽物じゃない本当のミシュラムに連れて行って。そこで本当のストラップをプレゼントして」
「ああ、約束する」
「今度は守ってよ? それと謝るしかないって言ってたけど、それは違う。今なら教えてくれるかしら。どうしてあの時、黙っていなくなったのかを」
「それは……」
俺は普通じゃない。巣食われている闇がある。
言ったら、エレインはどう思うだろうか。怖がるだろうか。お前から離れていくかもしれない。
今さらか。かつては俺から離れてお前を傷つけたのに、お前が離れるかもしれないから教えたくないというのは、あまりにも身勝手だ。
「あの時、俺は――」
『毎度おなじみ、遊撃士協会~』
ガロロロと爆音を上げて、ジンの運転する遊撃士トラックが割って入ってきた。スピーカーも大音量だ。
とっさに互いの手を振りほどくヴァンとエレイン。
トラックの荷台のトヴァルが、お決まりの額をこする敬礼をかましてみせる。
「頼りになるお兄さんこと、トヴァル・ランドナー登っ場! ヴァン、来たぜ!」
「来た? 来たってまさか?」
「五番目の《
「いや、入り口に自分の車停めてっから――うおっ」
トヴァルはヴァンの袖をつかむと、荷台に引っ張り上げた。
「うし、ついでだ。エレインも来るか?」
「いえ、いいです」
「別に乗り心地悪くないぜ?」
「トヴァルさんが嫌いになったからです」
「え」
ガロロロと走り出すトラック。遠くざかる車体から、録音されているのだろう『毎度おなじみ、遊撃士協会~。民間の皆様の頼れる味方~』と軽く近所迷惑になるくらいのボリュームの決まり口上が響き渡った。
●
帝国には《トヴァル・ランドナー被害者の会》なるものがあると風のうわさで聞いた。会長はエリゼ・シュバルツァー嬢であるとも。
私もそこに入れてもらおうかしら。みっしぃ愛好同盟といい、《ロア=ヘルヘイム》に来てから所属する会合がどんどん増えていっている。
「五番目の《
七つあるエリアの五つ目。いよいよ後半戦だ。最後のエリアには一体何があるのだろう。そこを開放した時、この世界に何が起こるのだろう。
人の想いを絡めとる霧。敵対行動をとるミストマータ。何者かの意思が介在しているとしか思えない《幻夢の手記》。全てを明らかにしなければ、元の世界には帰れない。
依然として謎は深いままだが、対して自分の心は晴れていた。全部吐き出したからかもしれない。
一方的に言ってしまったのは反省だ。ヴァンにはヴァンの言い分があっただろうに。いや、それを聞こうとしてトヴァルが乱入してきたのだったか。
「エレインさん」
呼ばれて振り返る。そこにいたのはアニエスだった。
「アニエスさん? すごい汗だけど大丈夫? 走ってたの?」
「着ぐるみの中が暑くて――いえ、なんでもないです」
「そう? ああ、聞いたかしら。五つ目のエリアに行けるようになったみたいよ。私たちも急いで――」
「エレインさんはヴァンさんのことが好きなんですか?」
言われた意味が一瞬理解できなかった。言葉を反芻してエレインは固まる。
目の前の少女はポーチをぎゅっと握りしめ、まっすぐに自分を見つめていた。
――つづく――
《話末コラム①》【エマの魔女の力】
エマは十月戦役の最終決戦において、ヴァリマールのゼムリアブレードを精霊の道を用いて煌魔城に転移させた。
しかし限界を超えて術を行使した代償で、魔女の力を完全に失ってしまう。
エマは魔女の力を取り戻す方法がないか探したが、結局は見つからず、そのまま一年近くが経過した。
七耀歴1206年1月。エリゼの緋の呪いに端を発する帝都でのエンド・オブ・ヴァーミリオンの再顕現時の争乱で、ヴィータはアルフィンのアルノールの血と自身の力の半分を分け与えることで、エマの魔女としての力を復活させることに成功する。
結果、エマは以前よりも強大な力を得るに至った。
ヴィータにとても感謝しているが、折に触れてヴィータが「誰のおかげかわかってる?」的に絡んでくるので、さすがのエマも「ちょっともうそろそろ許してくれません?」な感じになっている。
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《話末コラム②》【うなる二人目】
みっしぃ系でうまく行かないことがあると、エレインもアニエス同様「う~っ」とうなる。
うなるエレインで“うなりン”などと呼ぶと、それなりの粛清を受けるから誰も言わない。
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《話末コラム③》【トヴァル・ランドナー被害者の会】
何かとやらかすトヴァルに被害を受けた者たちの会。エリゼを筆頭に、アリサやトールズ卒業組が結構入会している。逆にユミルの住民たちはトヴァルを慕っており、彼らの結成した《トヴァル・ランドナー後援会》とはバチバチの関係である。
しかしユミル領主令嬢のエリゼが被害者の会の会長のため、後援会の立場はすこぶる弱い。
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《話末コラム④》【現在の待機場所】
ヴィータ合流後に待機場所の再編成がかかっている。
①アークライド事務所:ヴァン、アニエス、フェリ、アーロン、リゼット、カトル、エレイン、レン
②バルフレイム宮(城エリア):アルフィン、セドリック、エリゼ、デュバリィ、スカーレット、クレア
③グランセル城(城エリア):エステル、ヨシュア、アガット、ジン、クローディア、オリヴァルト、シェラザード
④第三学生寮(ヘイムダルエリア/オスト地区):リィン、ラウラ、エリオット、フィー、ユーシス、エマ、マキアス、ミリアム、クロウ、シャロン、ヴィータ
⑤第Ⅱ分校学生寮(学校エリア):ユウナ、クルト、アルティナ、ミュゼ、アッシュ
⑥特務支援課事務所(ミシュラムエリア):ロイド、エリィ、ランディ、ティオ、ワジ、ノエル
⑦遊撃士トラック(エリア不定):トヴァル
※リベールチームはオリヴァルトやシェラザードを含め、グランセル城に固まった。
※分校Ⅶ組はブライト総合学院内に分校学生寮を発見し、そこを拠点とした。アルティナとアッシュはクレイグ邸から引き上げている。
※住所不定だったお姉さんチームは、クレアとスカーレットはバルフレイム宮へ、シャロンとヴィータは第三学生寮へと待機場所を定めた。エマが死ぬ。
※ジンとアガットがリベールチームとして移動したため、必然的に遊撃士トラックはトヴァルのみの待機場所となった。いいんだ。別にお兄さん、さびしくないぜ。