黎明の軌跡 Break the Nightmare   作:テッチー

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第20話 銀月の下で魔女は嗤う

 天井から吊り下げられた檻の中で、きゃんきゃん吠える映画女優。

 ウルズフロアに侵入したところを捕らえられたという彼女は、今から厳罰を受けるらしい。処刑だ。

「おい、ありゃあジュディス・ランスターじゃねえか。まさかとは思うが、あいつも雇ったのかよ……」

 嘘だと言ってくれと言わんばかりに、アーロンが問いただしてきた。

「いやいや、あんな面倒そうなやつをうちが抱えるわけねーだろ。あれだ。《幻夢の手記》的には、俺が雇用した“仲間”認定じゃなくて、縁で呼び込まれた“同行者”扱いだろ」

「だよなァ。ったく焦ったぜ。わりぃ、我らが所長殿がそんな迂闊なことをするはずがねえ。オレとしたことが早合点しちまった」

「ハハハ、アーロン君はまだまだだなぁ。だってほら、いつもの記憶の拡張が起きてないじゃないか。あのクソ痛え頭痛がまだ来てないしぃ痛ってえええーっ!」

 いつものクソ痛え頭痛が襲ってくる。んだよ、この時間差。黙って耐えられる痛みじゃねえ。全員が膝をつき、うめきながら床に額をこすりつける。

 立っていられるのは、同行者枠で記憶の拡張がなされないエレインだけだ。

 視界に映る全ての色が反転した。

 記憶に紐づく映像が、走馬灯のように脳裏を巡る。それらが経験済みの事象として、頭蓋の奥深くに叩き込まれていく。

 始まりは《黒月》のアシェン・ルウからの通信だった。

 これまでに様々な問題を解決してきたアークライド解決事務所に、ささやかなお礼をしたいとの申し出があった。

 そうして送られてきたのが、龍來(ロンライ)にある有名な温泉旅館《碧山楼》の二泊三日の宿泊チケット。要するに慰安旅行の招待だ。

 複数の思惑は感じる。だがまあ、労いの意味は本当だろうし、所員共々楽しませてもらうとしよう。何より俺に取ってあの場所は特別な思い入れがある。

 時をほぼ同じくして起こる女優のジュディスとZ1レーサーのマクシムの逢引スキャンダル。それはどうでもいいが。

 不意の遭遇から、エレインと二人きりでグラスを交わした夜。あいつの様子はどこか変だった。

 そして出発の朝。ユメも連れて龍來へ向かう道中で目にした、偉丈夫の駆る大型バイク。一瞬のすれ違いだったのに、なぜかその後ろ姿が深く印象に残っている。

 到着した龍來を満喫する最中で受けた、お忍びの女性客が音信不通という依頼。いや、もう、これ絶対アイツだろ。

 名所の瀑布の下で滝行をするジュディス・ランスター。唐突に襲い来る巨大魔獣。とうとう衆目の前で変身したグリムキャッツ。

 不可抗力で見てしまったジュディスの裸身。差し出す頬に走る平手の痛み。

 予期せずに出会うロックスミス前大統領。立ち込める霧の中に消えるユメ。彼女は《メア》に憑依されていた。

 そのユメを探して踏み入ったイシュガル山脈で邂逅したのは、侍衆《斑鳩》の副長――《白銀の剣聖》シズナ・レム・ミスルギ。

 多くの謎と人間が交錯した龍來旅行も終わりを告げ、帰路につく車中――記者のディンゴから暗号化ファイルがクラウドにアップされていることに気づいた。

 日の落ちかけた赤黒い夕暮れ、首都高が渋滞している――

「っ……なんでだ。どうして記憶の拡張が起こりやがる……!?」

 今現在、拡張された記憶の中でも、俺はジュディスを雇った覚えがない。“ヴァン・アークライドが雇用した人間が仲間と認定される”というルールだったはずなのに。

「ジュディス様に……契約書にサインをして頂いたのは、わたくしです」

 頭をふらつかせながら、リゼットが顔を上げた。

「は!? なんでだよ?」

「ジュディス様はマクシム様とのスキャンダルで、現在のマンションには戻れないとのことでした。女優業での貯蓄はおありでしょうが、とはいえ当面の身入りも必要。ジュディス様の身体能力はご存知の通りですし、裏解決屋としてのアルバイト雇用はヴァン様のプラスにもなるかと思いまして」

 イーディスへの帰りの車中で、なんか二人で込み入った話してんなと思ったらそういうことか。

 いや、一言くらい相談しろよ。なんでうちの従業員共は、そろいもそろって俺が知らない内に増えていくんだよ。

 そして他社から出向しているSCに、雇用契約を締結させる権限があるのはなぜだ……。

「つーか旅行に契約書の原本持って行ってたのかよ!?」

「こんなこともあろうかと」

「ねーよ、ねーんだよ、そんなことは」

「しかしありました。すでに事務所上階の部屋も、ジュディス様用に一室押さえておりますので」

「お前は未来を見通せる系女子か」

「そうであればもっと上手く生きることができたのですが。もちろんわたくしの記憶の拡張は皆様と同じ段階までですよ」

 今回の記憶は、中途半端なところで終わってしまった。雇用契約書にサインされるまでが拡張範囲になるから、車中で映像が途切れるのは当然なのだが。

 だから渋滞の原因が何なのかは分からない。ただのトラブルなのか? 首都高での事故は稀にあることだ。しかし、たかが渋滞と流せない嫌な胸騒ぎがする。

「急にうずくまってなんなの? 私は、あなた達とこの侵入者の関係を聞いているのよ」

 《ノルンの工房》の一階ベルザンディフロア。そのフロア長たるアリサ・ラインフォルトが詰問してくる。

「だから知らない人なんですよ。虚言癖でもあるんですかね」

 ヴァンは短く首を横に振った。

 知り合いであることを肯定したら、俺たちは工房から追い出されるかもしれない。そうなるとエリア攻略失敗だ。

 ここは慎重に言葉を選びながら突破口を探る必要がある。まずは初対面だと上手く信じてもらうことから――

「薄情者ー! あたしの裸見たくせにーっ!!」

「ああ言ってるけど?」

「彼女は心の病気なんでしょう。かわいそうに」

 あいつ、マジで余計しか言わねえな。こっちの段取りをことごとく破壊してくる。

「ねえ、ヴァン。ジュディスさんの裸を見たってなに? 私には記憶の拡張が起こらないからわからないのよ。教えてくれるかしら、ほら早く、今すぐに、可及的速やかに」

「あ、いや、ちょっと込み入った話だから、後でな?」

 エレインの瞳から光が消えた。すでに抜き放たれていた剣先が、ヴァンの首元にピタリと当てられる。

「すこし髭が伸びてるんじゃない? 異世界でもきっちりお手入れはしなきゃね。ジンさんみたいな無精髭はヴァンには似合わないわ」

「さ、最近忙しかったからなあ……そんで今も見ての通り忙しさの真っ最中で……」

「ん?」

 刃があごから首へ、ぞりっとスライドする。

「ア、アニエス! 誤解を解いてくれ!」

「エレインさん、真相はこうなんです。ジュディスさんは自分自身を見つめるために龍來(ロンライ)で滝行をしていたんですけど、それをヴァンさんが見つめていたという感じで」

「さ、最低!」

「説明に悪意しかねえ!」

 機密文書の黒塗りのごとく、大切な部分がごっそり抜け落ちている。アニエスだって記憶が拡張されているから、どういう事情かはわかっているはずなのに。

 勘違いのお怒り収まらぬエレインの相手はさすがに後にして、とにかく今はジュディスをどうするか考えるのが先だ。

 檻を見上げたヴァンの視界に、天井からするすると二本のコードが降りてきた。

「仲間じゃないというのなら証明してもらうわ。その二つのコードは檻にも接続されているものよ。躊躇することなく切れるかしら?」

 アリサはヴァンの足元に、ハサミを投げよこしてきた。

 コードは赤色と青色。

「間違った方を切れば、檻の中に致死レベルの電撃が流れるわ。侵入者は骨まで黒焦げになるでしょうね」

「お決まりの二択ってやつか」

 ヴァンはハサミを拾う。

 ジュディスは檻をがっちゃがっちゃ揺らしてわめいた。

「よく考えて! どこかにヒントがあるかもしれないわ!」

「じゃあ青で」

「よく考えてって言ってんでしょうが! もっと悩みなさいよ!」

「青好きなんで」

「やだああ! やめてよお!」

 

 

《――★第20話 銀月の下で魔女は嗤う★――》

 

 

 橋の上のリーシャ・マオに動きはない。彼女は門番に徹し、その場から一歩も動こうとしなかった。

「やっぱり心配?」

 ロイドはリーシャから視線を外し、「まあ、そうだな」と声をかけてきたエステルに振り返った。

「姿こそ普段のリーシャだけど、反応が俺たちに正体を隠していたころの《銀》みたいだった。感情が見えなくて、どこか淡々としている。上手く言えないが、少し寂しく感じるな」

「そうね、あたしも彼女は笑っている方が素敵だと思う」

「ヴァンにはああ言ったが、俺たちの手で助けたいってのが本音だ。仲間だからな、リーシャは」

「うん、わかってる。今はサポートに集中しましょう。あの二人もがんばってくれてるしね!」

 ロイドとエステルの視線の先には、湖を泳いで渡るランディとマキアスの姿があった。

 リーシャが見張りでいる以上、正面の扉を通って中に入ることはできない。だが施設の側面なら、どこかに抜け道もあるかもしれない。

 仮にそれがなかったとしても、外装は破壊可能なのか、どういう構造体なのかといった手がかりは得ることができる。

 それらを調べるための先遣隊として名乗りを上げたのが、彼らだった。

「ランディは単純に泳ぎたかったって理由もあったらしいが……」

「マキアス君が手を挙げたのは意外? ふっふーん、あたしにはわかっちゃうけどね。彼はいいところを見せたいのよ」

「え、誰にだ?」

「それはもちろんクレア少――っと、これ以上はあたしの口からは言えないわ」

「もう言ったも同然なんだが」

 リーシャにばれるのはまずいから極力静かに泳ぐようリィンからも指示を受けていたはずだが、マキアスはダイナミックなバタフライを披露している。バッシャバッシャとすごい騒々しい。たくましい男アピールのようだ。

 そこに感化されたのか、ランディもランディでクロールを使い、力強く波をかき分けている。

 平泳ぎで行ってくれ、平泳ぎで。帰ってきたら二人ともお説教だ。

 やれやれと肩をすくめた――その瞬間、轟音と共に巨大な水柱が上がった。

「な、なんだ!?」

 水柱の直上に、打ち上げられたマキアスが見えた。キラキラと顔の辺りが輝いているのは、衝撃で粉砕されたメガネのレンズだろう。成すすべなくきりもみ落下し、波しぶきにさらわれ、彼は湖の底へと消えていった。

 リーシャに反応があった。水柱の方向に目線を送り――しかしすぐに正面を見据え、不動の体勢へと戻る。

 ほどなくマキアスを救出してきたランディが浜辺に戻ってきた。脇に抱えたマキアスを砂の上にどさりと転がして、

「ちくしょうっ、マッキーがやられた! あちこちに浮いてるブイに爆雷符が仕掛けられてやがったんだ。誰か早く応急処置をしてやってくれ!」

 マキアスはぐったりとして動かない。焦るリベール、クロスベル勢をよそに、エレボニア勢は『セラスの薬余ってたっけ?』くらいの慣れた感じだった。彼はよくこういう目に遭うのか……?

「大変! マキアスお兄さん、大丈夫?」

 レンが珍しく慌てて、マキアスに駆け寄る。よく遊んでもらったらしく、レンは彼に懐いていた。しかしそこまでの関わりが、いつ、どこで二人にあったのかは、ロイドにはわからなかった。

「脈拍、心音微弱、呼吸状態も悪いわ。がんばって。意識をしっかり保つのよ!」

「うぅ……レン、ちゃん……最後の頼みが……」

「なに? なんでも言ってちょうだい」

「人工呼吸はクレア少佐に……」

 小声でぼそりと告げる。レンはふっと微笑んで、こくりとうなずいた。

「マキアスお兄さんに人工呼吸をしてあげて。ジンさん」

「お、俺がか?」

「肺活量凄そうだもの。人命には代えられないでしょ。深めのマウスツーマウスでお願いね」 

「深めってなんだ……」

 とはいえ遊撃士の本懐。民間人を見捨てることはできない。のしっのしっと近づいたジンは、気道確保の姿勢を取り、マキアスの鼻をつまみ、口を大きく開かせ――

「ふおおおお! 生き返ったーっ!」

 その一瞬が訪れる寸前に、マキアスは跳ね起きた。汗だくだ。

「あら、お兄さん。元気そうで安心したわ」

「ふう……危ないところだったよ、レンちゃん」

「どっちの意味かしらね」

「それこそどういう意味かわからないな」

 ははは、うふふ、と笑い合う二人。

 やはり仲が良いらしい。

 しかし爆雷符か。リーシャが仕掛けたのだろうが、これでは湖からの侵入も困難だ。

「ん? 今なにか……」

 ロイドが謎の施設に目をやった時、甲高い女性の悲鳴が聞こえた気がした。

 

 ●

 

「いやああああ!!」

 あっさりと切断された青のコードが床に落ちる。ジュディスの絶叫が工房内に響き渡った。

 電撃は流れなかった。

「はあ、はあ……ヴァン……! あんたね……っ!」

 ジュディスが恨みがましい目で睨んでくるも、どちらのコードを切ったところで電撃が流れないことはわかっていた。

 この全体招集には降りてこれず、天井近くの鉄骨で作業したままのカトルとリゼットが、二本のコードの根元に何か細工をしているのが見えていたからだ。

 だがアリサフロア長はジュディスを解放しようとしなかった。

「ヴァン・アークライドだったわね。侵入者の仲間でないことはわかったわ。あなたはお咎めなしよ。それじゃ改めて侵入者の処刑を執行するから。お待たせ」

「待ってないから! うぅ、ママ……」

 そうか。今のは俺が侵入者の一味でないことを判断するためであって、侵入者確定済みのジュディスはどうあっても処刑するつもりだったのか。そういえばアリサは、正解のコードを切ったらジュディスを助けるなんて一言も言っていなかった。

「もうこれを使うしかないでしょ」

 エレインがヴァンの胸元からネームプレートを抜き取った。

「あっ、お前、それはレンに渡す分の……!」

「状況を変えられる唯一の手段よ。悪いけど、遊撃士だからね。民間人の生命は全てにおいて優先するわ」

「あいつは民間人だが一般人じゃねえぞ。だがまあ……確かに仕方ねえか」

 レンを連れて来て、地下の管制室から情報をハッキングする作戦がパーだ。

 エレインがその未使用のネームプレート――《ノルンの工房》への入館証を掲げた。

「これ入口のところで拾ったんですけど、その人のじゃありませんか?」

「“ディースの証明”じゃない。未登録のようだけど、本当に落ちてたの?」

 ヴァンはジュディスに『話を合わせろ』と口の動きだけで伝える。

 ジュディスはぶんぶんと首をうなずかせて、

「そ、そうなの! あたしのよ、それ! どこかで落としちゃって? 必死に探してて? それで地下に迷い込んじゃってー? 見つかって良かったワー!」

 あいつ、本当に女優なのか。なんだ、その棒読みのセリフは。ニナ・フェンリィを見習え。

 アリサは考え込んで――やがて小さく嘆息した。

「わかったわ。今回だけは大目に多めに見てあげる。それをつけて、早く作業に戻るように」

 唐突に鎖が切れ、檻が落下する。けたたましい音と共に鉄格子が開いて、ジュディスが転がり出てきた。

 

 ●

 

「第五のメインエリアは《ノルンの工房》か。しかしアリサがいたなんてな。学校エリアにはいなかったから気がかりではあったんだが……彼女が主格者なのか?」

 アリサ・ラインフォルトはトールズⅦ組のメンバーだったらしい。心配そうにするリィンに「まだ特定はできねえ」と返して、ヴァンはグラスの水を飲み干した。

 アークライド事務所エリアのビストロ《モンマルト》。今日は各チームの拠点には戻らず、ここで情報の整理を行うことになっている。

 とはいえ三十名近い全員での意見交換はまとまり切らないので、例によってエステル、ロイド、リィン、ヴァンの四陣営のリーダーのみの会議だ。

 四人はテーブル席につき、それ以外の面々は談笑したり、体を休めたり、思い思いに過ごしている。

「ところでシュバルツァー。ありゃどういう配置だ?」

 なぜかキッチンの入口をトールズ勢の男子が固めている。まるで誰かを中に入れないようにしているかのようだった。

「ああ、大したことじゃない。ちょっとみんなの命を守っているだけだ」

「重大案件じゃねえか」

「夕食は俺たちが作っておく。全て任せてもらって構わない」

「帝国男子は料理ができるのかよ。なんか意外だぜ」

「生き残るためには自分で作れるようになる必要があったからな」

 かみ合っているようで、かみ合っていない会話だった。

 ヴァンは本題に入る。

「さて現状報告だ。まず俺たちは従業員として工房で働くことになった。工房内の設備は常にフル稼働。だが金属を加工してるって以外、何を作ってんのかは不明だ。十八時になったら定時で勤務終了。従業員は例外なく外に出され、扉も厳重に施錠された」

 定時という制度があるのは、学校エリアで時間の概念ができたからだろう。最初は《ロア=ヘルヘイム》になかった朝、昼、夕も存在するようになっている。

「工房は三層構造だ。地下が資材や物品置き場で、管制室もあるらしい。そこに機械操作に強い誰かを連れていって情報を引き出し、主格者特定やエリア攻略の足掛かりにするつもりだったんだが……」

「別の作業を命じられているカトルは自由に動けないし、ティオやレンを連れて行こうにも、最後の入館証をジュディスさんに使ってしまったってことだよな」

 ロイドが言う。

 ジュディスに関しては完全に誤算だった。あの入館証――アリサは“ディースの証明”と呼んでいたか。あれは首にかけた時点で個人登録がなされ、他者に譲渡することはできない仕様のようだった。

 つまりジュディスの入館証を使って、レンが工房に立ち入った場合、即座に探知機に引っ掛かり捕縛されるのだ。

「やっぱり現時点で入館証を持っているメンバーでの、夜間潜入しかないわよね」

 エステルが言う。

 その案はヴァンも同意だった。今回は主格者候補との遭遇が少ない上、自由に動けないから情報が入手しにくい。

 こちらからの行動が必要で、しかも行動するなら工房内に人がいない夜間を狙うしかない。

「だが問題は侵入ルートだ。正面は施錠されてて、おまけに夜でも《銀》の見張りがある。湖には機雷も浮きまくってんだろ? 近づけねえよ」

「一つ可能性がある」

 そう言ったのはリィンだ。

「《ノルンの工房》に泳いで接近したマキアスが、ブイの爆発で空中に吹き飛ばされたんだが……そこでかろうじて見えたらしい。ドーム型の屋根の一部分にダクトのようなものがあるのを。賭けてみる価値はあると思う」

「相変わらず帝国組の行動がおかしいが……いや待て。だからそこまで近づく手段がねえってのが問題で――」

「あるんだ。一つだけ。話してくるから、ヴァンは潜入メンバーを決めておいてくれ」

 リィンは席を立つと、誰かを探しに行った。

 

 ●

 

 霧にかすむ夜空では、大きな満月が淡い光を滲ませている。

 月光に照らされた《ノルンの工房》のシルエットは、暗い湖に浮かぶ半球の浮島のようだった。

 再び戻ってきた夜のレイクサイドビーチ。闇に紛れて身を潜めるのはヴァンたちカルバードチームと、ロイドたちクロスベルチームだ。それ以外は《モンマルト》で待機である。

「作戦は説明した通りだ。準備はいいか?」

 ヴァンが小声で言うと、潜入班の三人が首をうなずかせた。ジュディス、アニエス、カトルだ。

「目的を再確認すんぞ。目標は工房の地下、ウルズフロア。そこの管制室から、可能な限り情報を引き出してくる。当然だが、絶対に誰にも見つかるなよ」

 スニーキングミッションである以上、少人数編成が鉄則だ。

 人選理由については、まずカトルは必須。端末操作が求められる場面や、警備システムの突破が予想されるからだ。

 次にジュディスを選んだのは、捕まりはしたものの途中までウルズフロアに潜入し、その構造を把握しているから。

 しかし最後のアニエスだけは立候補だった。自分から潜入班に入りたいと申し出てきたのだ。ヴァンはフェリを入れるつもりだったが、意欲を無下にもできず、彼女を採用することにした。

「ヴァン。俺たちは先に配置につく。そちらの動きに合わせてこちらも動く。それでいいな?」

「了解だ。頼むぜ」

 ロイドを先頭に、クロスベルチームが移動を始めた。

 あいつらなら上手くやってくれるだろう。そんな根拠のない信頼がある。会って間もないのに不思議なやつらだ。そもそも俺が良く知らない相手を頼るって時点で普通じゃねえ。

 記憶の拡張を重ねるにつれ、自分の感性が変わっていくようだった。

 いずれ手放すなら、持たない方がいい。いずれ離れるなら、近すぎない方が良い。そんな考えが当たり前だったのに。

 出会って、過ごして、駆け抜けて。

 経験として刻まれたそれらの記憶の真ん中には、いつだってアニエスたちがいた。お前らのせいで俺の価値観が狂ったんだとしたら、どうしてくれんだよ。まったく。

「皆さんの準備はいかがですか?」

 潜入チームにそう確認してきたのは、エマ・ミルスティンだ。彼女だけがエレボニアチームからの同行者だった。

 トールズⅦ組の一人であるエマは、ヴィータと同じく帝国の伝承にある魔女だという。

「問題なし。しっかり連れていってやってくれ」

「お任せを。それでは潜入班のお三方は私の周りに集まって下さい」

 アニエスたちが集合すると、エマは魔導杖を砂浜に突き立てた。

 茫洋とした光が複雑な陣を描き、煌めく粒子が立ち昇る。

「……霊力(マナ)の作用まで再現されているなんて。ですが、これなら確実に術を行使できます」

「な、なにこれ、今まで観測したことがない種類の力場なんだけど……!」

「だ、大丈夫なの!? な、なんか浮遊感が」

「あっ、カトル君、ジュディスさん。下手に陣から離れたら危ないですよ! 体の半分だけ転移とかしちゃったら怖いですから!」

 アニエスの発想の方が怖い。

 顔を青くしたカトルとジュディスはエマにぴたりと張り付く。

「そんなことにはならないから心配いりませんよ。まあ、試したことはないからわかりませんけど」

 何気にさらりと告げると、エマは転移術を発動させた。

 光が膨れ上がり、すぐに収束する。もうそこに四人の姿はなかった。

 

 ●

 

「止まりなさい」

 鋭い制止が響く。よく通る声だった。

「やあ、リーシャ。夜だっていうのに、まだ警備の仕事をするのか。少しは休んだ方がいいんじゃないか?」

 橋の上で足を止めたロイドは、リーシャと相対した。

 ロイドの後ろにはエリィ、ランディ、ティオ、ワジ、ノエルがそろい踏みだ。

「十八時から翌朝九時まで、この扉が開かれることはありません。お引き取りを」

「別に中に入ろうなんて思っていないさ。少し話そう。立ちっぱなしも疲れるだろう」

「お引き取りを」

 警備員の職務のみ(・・)に準じる認識らしい。一方的な発言ばかりで、会話がほとんど成立しない。初期の《(イン)》としての行動基準が表れているのだろうか。

 《ノルンの工房》の上方が光った。あれは転移の光。エマが潜入班をドーム屋根まで連れて行ったのだ。

 気配を感じたリーシャが首を上に向けようとして、

「おっと、俺たちに集中してもらわないと困るな」

 ロイドは止めていた足を踏み出した。

「もう一度だけ言います。お引き取りを」

「何度でも言うよ。断る」

「入館証もないようですね」

「だったらどうなるんだ?」

 リーシャが消えた。次の瞬間、ロイドの側面に現れる。彼女の体躯を越える大剣がすでに振りかぶられていた。

 殺気さえ感じさせない冷徹な一閃。硬質な衝突音。盛大に散る火花。

 横から割って入ったスタンハルバードの刃が、リーシャの大剣を受け止めていた。

「容赦なしの重さだぜ……!」

 ランディのパワーでも容易には押し返せない。びりびりと彼の足を伝った衝撃が、橋の下の湖面を激しく波打たせた。

 素早く装備したトンファーを振るい、ロイドはリーシャに打ち込みを見舞う。流れるような体捌きで退き、リーシャは細い欄干の上に飛び乗った。まったくブレない驚異的なバランス感覚だ。

「全員、戦闘配置!」

 ロイドの指示が飛び、背後の仲間たちが武器を構えた。

「私とティオちゃんは後方援護につくわ」

「アーツもどかどか撃ちますから」

 エリィは導力銃、ティオは魔導杖を。

「あたしは中距離からの広範囲カバーで、リーシャさんの動きに制限をかけます!」

「じゃあ僕はその隙を狙って接近戦だね。流れ弾はゴメンだよ?」

 ノエルは二丁マシンガン、ワジは手甲を。

 それぞれの得物を手に、フォーメーションを取って散開する。

「一対六だが油断するな。相手は俺たちに容赦のないリーシャだ。特務支援課、行くぞ!」

 アニエスたちが《ノルンの工房》に潜入する間、勘の鋭いリーシャをこちらに引き付けておくことが目的だ。しかし本気の彼女相手に、果たしてどこまでの時間稼ぎができるのか。

 白霧をまとうリーシャが、闇夜を切り裂くように跳躍する。

 

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 ●

 

 激しくぶつかる戦いの音。クロスベルチームとリーシャ・マオの交戦が始まったのだ。

「足場が悪いですね。皆さん、お気をつけて」

 今のエマの転移距離はおよそ700アージュ。さらに行ったところか、見えているところにしか行けないという制限がある。

 しかしこの天井ドームは“見えているところ”で“浜辺からは約200アージュ”の距離。十分に転移可能範囲だ。

「す、すごい。本当に一瞬でこんなところまで。エリア転移とはまるで質が違う」

「えーっと、あったあった。あれがダクトね。ちゃんと内部に繋がってればいいけど……」

 転移術に驚愕するカトルと、その傍らで目的のダクトを見つけたジュディス。

 アニエスが言った。

「エマさんはどうするんですか?」

「ここで皆さんの戻りを待ちます。入館証のない私が入った時点で警備システムが働きそうですしね。それに帰りの転移も必要でしょう?」

「……あのダクトって降りるのはいいですけど、登ってこれるんでしょうか……」

「手足を突っ張れば、やってやれないことはない気がします。私が視認できる位置まで上がってきてもらえれば、遠隔転移で引き戻しができますので」

「が、がんばります」

「ええ、その意気で――っ!?」

 ぞくりとエマの背すじに悪寒が走った。

「皆さん、急いでください。早く!」

「え、えっ!? 急に何を――ちょ、押すのは……きゃあああ!」

 アニエスを先頭にして、三人をダクトに押し入れる。真っ暗な穴の中へ、叫びながら落ちていく。

 魔導杖を握りしめて、後ろに振り返るエマ。

 ドームの頂点に何かがいる。霧を揺らめかせる何者かが。いや、はっきりと人物の輪郭が見える。

「お、おばあちゃん?」

 圧倒的な存在感を誇ってそこに立つのは、ローゼリア・ミルスティン。幼女の姿をして、しかし齢は800歳を超える《魔女の眷属(ヘクセンブリード)》の長だ。

 おばあちゃんも《ロア=ヘルヘイム》に囚われていたの? 助け出さなきゃ――いや、違う。

 リーシャさんのような白い霧じゃない。まとっているのは黒い霧。というよりも、霧がそのまま人の姿を成している。知っている。聞いている。そうだ、あれは――

霧人形(ミストマータ)……!」

 まずい。ミストマータは謎が多い上、私たちに敵意を持っているらしい。しかも数人がかりで抑えるのがやっとのくらい、単体としての戦闘力が凄まじいという。

 私一人しかいないのに、なんでこんなタイミングで。ただでさえ規格外の力を持つ相手なのに。

 逃げる? できない。アニエスさんたちを置いては行けない。

 黒霧のローゼリアは魔杖を召喚した。すでにこちらを見据えている。襲ってくる。

「あらあら、ずいぶんと身を強ばらせて。助けてあげましょうか?」

 蒼い羽飾りがエマの視界に散る。

 艶やかな扇子を広げ、ヴィータ・クロチルダがエマの横に静かに降り立った。

「姉さん!? ど、どうしてここに?」

「一応は待機班だったんだけど、妙な気配の蠢きを感じたから様子を見に来たのよ。あ、ごめんなさい。エマは今の今まで気づかなかったのにね?」

 呼吸をするように心に傷をつけてくる。

 姉さんはアークライド事務所エリアの《モンマルト》にいたはず。あんな位置から異変を感知するなんて、この人もこの人で規格外だ。

「珍しく婆さまがやる気のようじゃない。いい機会だわ。一度本気でやり合ってみたいとは思っていたのよ。エマはどう?」

「ええ、胸を借りたい気持ちならあるわ」

「あなたの方が大きいと思うけど」

「そういう意味じゃありません」

 ローゼリアの目が、二人に向けられる。

『エマ……ソレにヴィータか。(ワラワ)に黙ッて、コんなところにマデ来テイタとは』

「ふうん、私たちのことを認識しているようね。本当に婆さまの口調そっくりだわ。いえ、そのものね」

「おばあちゃん、話ができるなら聞いて! 私たちはこの世界から――うっ!?」

 霊力の圧が増大する。息苦しいほどの圧迫感だ。

『ヌシらか、霧を晴ラすのは』

「魔導杖を構えておきなさい。話ができるだけで、通じてるわけじゃない」

 扇子で隠されたヴィータの口元は、微笑を浮かべていなかった。いつもの余裕がない。

 ローゼリアが宙に浮く。肉体が変貌し、成人女性のそれとなっていく。

 本気だ。本気の力を開放したおばあちゃんだ。

「ミストマータのことはまだよくわかってないのよね?」

「え、ええ。学校エリアで遭遇したっきりだとか」

霧人形(ミストマータ)という存在は、この《ロア=ヘルヘイム》において、おそらく何らかの重要な役割を担っている。私たちを敵視する理由もその辺りにあるのかもしれない。ちょうどいいわ。捕らえるわよ」

「できるの?」

「私を誰だと思っているのかしら。さあ、仲の良い姉妹のコンビネーションを見せつけてあげましょう」

「ええ……はい……仲の良い……そうね」

「これ以上ないくらい歯切れの悪い返事だこと」

 大きな満月を背に、ローゼリアは瞳を赤く光らせた。

『教エテもらおうカの。ヌシらが隠シている“夢の(ほころ)び”ノ正体ヲ』

 

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 ――つづく――

 

 




《話末コラム①》【“囚われ”と“幻影”】
 
 なんとなくヴァンたちが呼び始め、全員に定着した言葉。

★“囚われ”とは、現実世界から呼び込まれ、主格者のエリアに囚われた人間のこと。
 白い霧にまとわりつかれ、主観による認識に固定される。解放するには主格者の望みを叶え、エリアの霧を払う以外に方法はない。

★“幻影”とは、主格者が生み出したイメージの人間のこと。
 与えられた役割に準じて単純な行動を行う他、ある程度の自由意志に近い反応をするように創られたものもいる。
“幻影”は主格者の認識が色濃く反映されており、どこにでもいるような通行人もいれば、実在の人物が創造されたりもする。ただし心のコピーまではできないため、「この人物ならこういうことをするだろう」といった主観による再現である。
 
 尚、エリア攻略したあとでも、一般人的なモブ幻影は消えない。これは主格者の権能自体が継続しているからである。ヘイムダルやミシュラムにいる通行人などがこれに該当する。ただし主格者が「もういいや」と思えば消える。
 上記のエリアの幻影が消えていないのは、主格者であるリィンとティオが、「街には人がいるもの」「テーマパークには人がいるもの」という認識を持ち続けているからである。
 逆に城エリアにいたギャラリーたちがいなくなったのは、アルフィンとセドリックが「舞踏会も武闘会も終わったし、ガヤはもういいや」と思ったためである。

★例外として、現実世界の人間をモデルに創造された固有の幻影は、エリア攻略後に無条件で消える。
 これは主格者が正気に戻り、“彼らはここにいるはずのない人間”であると再認識したからだと考えられる。

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《話末コラム②》【ディースの証明】

 学校エリア攻略時にレンから渡された銀色のプレート。
 プレートを首からかけると名前が浮かび上がり、《ノルンの工房》の従業員として認識されるようになる。
 ディースとは豊穣や戦いを司る女神の総称であり、定められし人の運命に後から介入する力があるという。
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