黎明の軌跡 Break the Nightmare 作:テッチー
霧の晴れた青空を《ソルブライト》が降下してきて、ゆっくりと着地した。
アガットに支えられながら、ティータが機体から降りてくる。
記憶の混濁があるのだろう。オーバルギア・ギガント同士の戦いで破壊され尽くしたスクルドフロアを呆然と眺めていた。
彼女が《ノルンの工房》エリアの主格者だ。リベールチームの面々がティータとアガットの元へと駆け寄っていく。
「あ、あれ……? なんか体が勝手に……」
案じる仲間たちの間を抜け、ティータはくすぶる煙の中をこちらに歩いてくる。
ヴァンの前まで来ると、何かを差し出した。
「これをあなたに渡さないといけない気がするんです。どうぞ」
「オラクルトーナメントに勝利したらくれるっつー品か。いや、トーナメントじゃなくなったわけだが……」
それは銀色の鍵だった。何の変哲もないディスクシリンダーキー。
「こいつはどこを開ける鍵なんだ? わかるか?」
「あの、えっと……わたし……」
ティータの足元がふらつく。意識が朦朧としているようだ。
聞き取りができる状態じゃない。次のエリアに関わる何らかの鍵とは思うが。
「誰か手を貸してくれ。休ませた方がいい」
ぐったりとしたティータをリベールチームに引き渡し、ヴァンは周囲を見渡した。
どこのチームの機体も半壊状態だ。
トールズ勢はアリサ・ラインフォルトを保護している。気絶しているようだが、問題はなさそうだった。
片隅にジュディスの姿を見つけた。《デルタ=ドライブ》を無力化して、無事にウルズフロアから帰還したようだ。満身創痍でへたり込んでいる。
そして俺の《ナイトブレイカー堕天》も例に漏れず損壊が激しい。ターボチャージャーを使い過ぎたせいだ。機体のあちこちから真っ白い蒸気を噴いて、悲鳴に似た軋みを上げている。
くそ、痛ましい。すぐに元の車の形に戻してやるからよ。
「ヴァンさん」
「ふぉおう!?」
破壊神フェリちゃんサンが、すぐそばにいた。
「わたし、ずっと秘密兵器のままで終わっちゃいました。わたしもオーバルギアの操縦してみたかったのに……」
「そりゃあ残念だったなあ。またの機会ってことで」
そんな機会など訪れはしないがな。フェリは残念そうな顔をして、しかし食い下がってきた。
「お願いです、わたし操縦したいです、オーバルギアを復元して下さいっ」
「無茶言うな! 復元するのはピックアップトラック一択なんだよ!」
「イヤですっ」
「お前に拒否権があってたまるか!」
埒が明かない。今は先にやるべきことがあるのに。
フェリの相手をしながら、フロア中に視線を走らせる。
――いた。
「ヴァンさんっ」
「だー! ちょっと向こう行ってろ! ほら、これ貸してやるから!」
「なんですか?」
「主格者から渡された鍵だ。これで《ノルンの工房》のどこかが開かないか探索してこい。隠し扉とかあるかもしれねえ。失くすなよ?」
「隠し扉……!」
オーバルギアから興味が逸れたらしい。目を輝かせたフェリは、銀の鍵を握りしめて走っていった。フィーに付き添ってもらって、工房の中へと入っていく。
その姿を見送ってから、ヴァンは静かに歩き出した。
瓦礫の中を這ってその場から離れようとする一人の男の元へ。
「よお、どこに行くんだ?」
「う……」
彼の前に立ちはだかり、ヴァンは口の端を引き上げる。
「やーっと話ができるな。洗いざらい白状してもらうぜ、ジョルジュ・ノームさんよ?」
《――★第26話 liar & liar★――》
「何も覚えてないんだとよ」
部屋の中から出てくるなり、アーロンはそう言った。
アーロンに続いて廊下に出たヴァンも、疲れた様子で背中を壁に預けた。
「知らぬ存ぜぬの一点張りだ。しらばっくれてる可能性もあるが、演技かどうかが見極められねえ」
工房エリアで確保したジョルジュは今、アークライド事務所の空き部屋に軟禁している。
その部屋を取調室にして、彼を尋問しているのだった。
「かなりハードに詰めてやったつもりだけどよ。ちと甘かったかもしれねぇ」
「俺もダスワニ警部の責め方を真似してみたが、どうも上手くできなくてな」
「普段から人を追い込んだりなんざしねえからなァ」
「まったく心苦しい限りだ。良心の呵責に苛まれるぜ」
肩をすくめる二人にツッコむ人間はいなかった。
「おいおい、お手柔らかに頼むって言っただろーが」
尋問室前に集合するカルバード組以外では、ジョルジュと知己の仲であるクロウだけが立ち会っている。
最初に聞き取りに入らせたのはクロウだが、彼に対してもやはり『記憶が判然としない』という返答しかなかった為、尋問方式へとスタイルを変えたのだった。
「俺とアーロンじゃダメってか。なら人と切り口を変えてやってみるかね。どっかでキーワードが漏れたら《幻夢の手記》も反応するかもしれねえし。とりあえずアニエス、ついてこい」
「は、はい。尋問がんばります!」
アニエスを連れて再び室内へ。
簡素なスチールの四脚テーブルの前で、ジョルジュ・ノームは錆びついたパイプ椅子に座らされていた。
本当は手足に錠でもつけて拘束しておきたかったが、今のところ抵抗する素振りがないのと、クロウからも手荒には扱わないでくれと頭を下げられているから、そこは情状酌量の余地を与えている。
「自分が置かれている状況は理解してるか?」
ヴァンが問うと、ジョルジュは顔を上げた。
「……ここは《ロア=ヘルヘイム》という場所で、入った人間は自らの願いに囚われる夢の異世界。僕が君に事態解決の依頼を持ちかけた。そして君をこの《ロア=ヘルヘイム》に呼び落とした――と、そう思われている。だから僕が様々な事情を知っていると踏んで、こうして取り調べを受けている――で、いいのかな?」
「上々」
「だけど僕は何も覚えてないし、《ロア=ヘルヘイム》という言葉も初めて聞いた。何を聞かれても、答えられることはないんだ。それに最初に現れたっていうフード男が、僕である確証もないんだろう?」
「まあな。せいぜいその恰幅のいい体躯が特徴として合致するのと、あんたなら俺たちを《ロア=ヘルヘイム》に取り込む謎の装置――《バルドルの箱》ってのも作れんじゃねえかって、お仲間たちの見解だ」
「参ったな。つまり今のところ、全部憶測の話じゃないか。そもそも僕はカルバードに行ったことだってないのに」
「ああ。だから、あんたが〝全て嘘をついている”って憶測に基づいて、こういう対応をしてる」
「その憶測は間違ってるよ」
「なら“嘘を交えている”だ」
アニエスがジョルジュに対面して座った。
「アニエスと言います。初めまして、ジョルジュさん」
「こちらこそ初めまして。年若く見えるけど、どういう子かな?」
「アラミス高等学校の一年でして、事情があってヴァンさんの事務所で働かせてもらっています。さっそくですけど、知っていることを正直に話して下さい」
「うーん、さっきも言った通りなんだよ。正直、何もわからなくて……ん? 何をしているんだい?」
アニエスは胸ポケットから取り出したボールペンを、ジョルジュの指に互い違いに挟んだ。
そのまま卓上に手の平をつけさせて、ギュッギュッと上から何度も押す。
「えいっ、えいっ」
「いたっ! 痛い!」
「どうですか? しゃべる気になりましたか?」
「そ、そう言われても」
ヴァンはアニエスを止めた。
「あー、待て待て。えっとな、アニエス。お前は尋問と拷問を勘違いしてる」
「えっ、あっ、こういうの男子が学校でやってるの見て……あの、失礼しました!」
自分のミスに気づいたらしく、顔を赤くしたアニエスは部屋から逃げ去ってしまった。なんて程度の低い拷問なんだ。罰ゲームレベルでしかない。
アニエスと入れ違いで入って来たのはカトルだ。FIOとXEROSもいっしょだった。
『FIO、愚カナ人類、絶滅サセル』
『GRWWW……GROW! GYAOOU!!』
「虐殺マシーンにメカ狂犬と化してるじゃねえか」
「誰のせいでこうなったかわかってるの? ヴァンさんが愚かな人類代表だよ。どうやっても戻らないんだよ」
「もう初期化しちまえば?」
「はあ!?」
カトルが怒った。その怒りのまま、二機から伸びるケーブルと電極をジョルジュの頭に貼り付ける。
「……今度はなんだい?」
「嘘発見器みたいなものです。脳波と言動の差を感知したら、ペナルティの電撃が流れるようになっています。機械を騙すことはできないでしょう?」
「ちなみに出力は?」
「FIOとXEROSに任せてますが、低レベル設定にしているので、そんなに強くはないと思いますけど」
『殺ス、電撃デ殺ス』
「致死量の電気を流し込んで来る気満々のようなんだが……」
個人的にカトルの方法は嫌いではないが、マジで絶命されても困る。
殺意を撒き散らす導力ドローン共を連れて、早々にご退室頂いた。つーか、なんでアニエスもカトルも強硬手段なんだよ。
三人目はジュディスだ。
「どうも、ジュディス・ランスターよ。カルバードでは女優をやってるわ。訳あってアークライド事務所で一時的にバイトしてるんだけどね」
「訳ってのはスキャンダルだ」
「言わなくていいのよ!」
ジュディスにはたかれる。
「女優……? 本当にバラエティ豊かな顔ぶれだね」
「ふふ……どこまで余裕でいられるかしらね。これでも食らいなさい!」
ジュディスは次々とセクシーポーズを決めだした。悩殺する作戦らしかった。
「どうかしら? 知ってることを全部話すなら、もーっとサービスしちゃうかも?」
机の上に身を乗り出して、いやらしい女豹のポーズが炸裂。無表情のジョルジュとヴァン。
「あー、すまん。ちょっと手違いだ。これは違う」
「気にしないで欲しい。ミスは誰にでもあると思う」
「あたしを間違い扱いするんじゃないわよ! 恥ずかしかったのに!」
恥ずかしかったのかよ。
いったん外に出る。仕切り直しだ。
「ダメだな。こうなってくると、マジで記憶を失ってるパターンもあるかもしれねえ」
シュバルツァーたちに言わせれば、これまでに様々なことがあったらしいが、今さら敵に回るような男ではないという。
であれば情報提供を渋るってのが、そもそもおかしい。本当に記憶がないから言えないのか……?
もしくは『ジョルジュ・ノームはフード男』の説からして違うという可能性もある。ここまで来てそれは考えたくはないが――いや、待てよ。
フード男は俺に協力を依頼してきたくせに、《ロア=ヘルヘイム》のことを全然教えようとしなかった。道しるべ――すなわち《幻夢の手記》に従うようにとの示唆だけだった。
ジョルジュも頑なに何も告げようとしない。この黙秘のスタンスには通じるものがある。
「くそ、もう一押しが足りねえ! エレインなら何とか情報を引き出せねえか!?」
「……難しいわね。引っ掛けとかはヴァンが散々仕掛けたんでしょ? 私は基本的に正攻法のネゴシエイトしかできないもの」
フェリなら猟兵特有のアレコレな聞き出し方法――たとえばアニエスやカトルがやりかけた強硬手段の八割増しぐらいえげつないのを平然とやってのけそうなものだが……あいつはまだ《ノルンの工房》の探索から戻ってきていない。遊びすぎだろ、何やってんだ。
「うーん、正攻法じゃなくていいなら、私がやってみてもいいけれど……」
控えめに挙手したのはレンだ。気乗りしていなさそうな口調で言う。
「ただお淑やかなレディーからは少々外れたことをしちゃうから、できればヴァンさんには見て欲しくないわね」
「何をするつもりだ、何を」
「乙女のヒ・ミ・ツ?」
可愛らしいウィンクをしてみせるが、なんか怖い。
「あ、でもちゃんと会話は扉の外から聞いててね。いつ重要な話が出てくるかわからないし、ヴァンさんが聞いてないと《幻夢の手記》が開示されないんでしょ?」
「ああ、まあ、そうなんだが……一応気をつけろよ?」
「あら、心配してくれるの? 大丈夫よ。いざとなっても、たぶん私の方が強いから」
警戒からは程遠い軽い足取りで、すたすたと部屋の中に入っていくレン。
ヴァンは扉に耳を当てて、中の様子をうかがう。
『こんにちは、ジョルジュさん。そういえば今まであんまり話す機会もなかったわね。ごきげんいかが?』
『レンちゃんか? 君までいるだなんて……』
『リベール、クロスベル、エレボニア、カルバード、よりどりみどりって感じね。それはそうと、この世界について知っていることがあるなら、ぜひ教えて欲しいわ。とにかく今は情報が必要なのよ』
『またそれか……。何度も言うが――』
『何度も言う必要はないわ』
『え? レンちゃん、どうして大鎌を……』
ジャキン、ジャキンと金属のこすれる音。
『何かを隠していても別に構わない。隠している事さえわかれば、それでいいの』
『や、やめ――う、うわあああっ!』
すんごい悲鳴が廊下まで響き渡った。
●
ミシュラムエリアのレイクサイドビーチから《ノルンの工房》へと伸びる掛け橋。
その中腹ほどに、一匹の黒猫が佇んでいた。
「いた、セリーヌ!」
エマが近くに駆け寄るも、セリーヌは大きな関心を示さない。
工房エリアの霧は晴れたが、彼女はまだ固有の夢に囚われているようだった。
「会話はできるか?」
「難しそうです。工房の中では現場監督として動き回っていましたが……その時とは様子が違いますね」
リィンが訊き、エリゼがそう答える。
「突っついてみたら、何かしらの反応があるかもしれないわよ。木の枝とかどこかに落ちてないかしら」
「やめて、姉さん。雑なのは」
ヴィータは楽しげだ。
エマ、リィン、エリゼ、ヴィータの四名が、即席のセリーヌ救出チームである。
エマは思った。
私が来るのは当然だ。リィンさんは騎神のことでセリーヌとは関わりが深いし、エリゼちゃんもセリーヌを慕っているという。
十月戦役勃発時、トリスタから離脱したリィンさんをセリーヌが最初に助けたことがその理由と聞いたことがある。
誤解されやすい性格なのに、そうやってセリーヌを好いてくれるのは素直に嬉しかった。
うん、リィンさんとエリゼちゃんはわかる。
姉さんはなんで来たの?
胡乱げな目でヴィータを見ると、その視線が合った。
「姉さんはなんで来たのって顔してるわね」
「ええ、その通りだけど」
「私の可愛い妹の大事な使い魔が、夢から覚めていないのよ。こんな面白――心配になるのが人情というものでしょう」
「面白いって言おうとした?」
どう考えても興味本位の暇つぶしだ。
「クロチルダさん……なんだかんだでエマやセリーヌのことが放っておけないんだな」
「ふふ、なんだか微笑ましいです。優しいお姉さんなんですね」
シュバルツァー兄妹は、ほのぼのと感銘を受けている。
なんという勘違いを。
「ち、違うんですよ、お二人とも。姉さんは面白半分でついて来たくらいで、実は全然心配とかしてなくて、むしろ弱みの一つでも握れたら儲け物くらいの気持ちで――」
「ひどいわっ!」
ヴィータはくずおれた。舞台上でスポットライトに照らされたがごとき悲劇のヒロイン感だ。
悲嘆に暮れた震える声音で言う。
「でも、そう……そうよね。私、元々はリィン君たちの敵側の立場だったものね……今さら仲良くするなんてできるわけないわよね。ふふ、馬鹿な私。なんで勘違いしちゃったのかしら。私の力が少しでも役に立つならってここまでついて来たのだけど、余計なお世話だったのね……ごめんなさい」
「クロチルダさん!」
リィンとエリゼはヴィータに寄り添った。
「エマ、少し言い過ぎじゃないか? 色々あったとはいえ、最終的には協力してくれただろう?」
「確執があったのは私も聞き及んでいます。第三者が口を挟めることでないのも承知していますが……これではあまりにも……」
「いいの。いいのよ、二人とも。その気持ちだけで十分。エマにはわかってもらえなくても――いいえ、いつかはエマにも理解してもらえるようにがんばるわ。たとえどれだけ時間がかかったとしても」
なんですか、なんなんですか。私が頑固で壁を作ってるみたいな雰囲気になってるんですが。
リィンさんとエリゼちゃんが『姉妹なんだから仲良くしようよ』みたいな悲しい目を向けてきてますけど、違いますからね?
隙あらば私のこと散々にいじめてきますからね、その人。うなだれる姉さんの口元が笑ってるの気づいて下さい。
「さあ、気持ちを切り替えて、セリーヌの望みをみんなで見つけましょう」
そして姉さんが仕切り出した。
「セリーヌの望みか……難しいな」
「湖に映る自分の姿を眺めているように見えます。深く考え込んでいるようですね。まるで自分と向き合っているみたい」
「もしかして使い魔としての使命に悩んでるんじゃ……おばあちゃんの後を継ぐ大任も背負っていますし…‥‥」
「魚食べたいだけでしょ」
バッサリとヴィータが言う。
「さ、さかな? だから湖を見つめているのか……? だがそういう事なら――エリゼ!」
「はい、兄様!」
リィンとエリゼは釣り竿を呼び出し、橋から釣り針を湖に投げ入れた。
「セリーヌさんのためなら釣り上げてみせます。今一度ホエール・オブ・ユニバースを!」
「俺もエリゼには負けていられないな! 待っていてくれ、セリーヌ!」
「あのー、お二人とも? さすがに魚ということはないと思いますよ? もう少し検討してから――」
「え、竿で一匹ずつ釣るの? まどろっこしいわ」
ヴィータが扇を振ると、湖上に竜巻が立ち昇った。巻き上げられた何匹もの魚が、ビッチビッチとセリーヌの周りに降り落ちてくる。
「ニャッ!?」
跳ね回る魚の群れに囲まれ、セリーヌの目がらんらんと輝いた。
活きのいい一匹にかぷりと噛みついて、
「お、おいしーっ!」
あっさりと霧は晴れた。
「ほらね、やっぱり猫だし。使い魔ってベースになった生物の習性が反映されるものじゃない。ふふ、感謝しなさいよ」
「どうして姉さんは色々台無しにしちゃうようなことするの?」
●
「ごめん、お待たせ!」
ジュディスが転移でやってきたのは、《ノルンの工房》の上層――スクルドフロアだった。
崩壊したフィールドには大きな瓦礫がいくつも転がっていて、そこに特務支援課の姿もあった。
「ああ、ジュディスさん。待ってたよ」
振り返ったロイドが言う。
「ちょっと尋問が長引いちゃって。あたし達じゃ無理だったから、レンちゃんにバトンタッチしてきたとこなのよ」
「レンが? 大丈夫かな……」
「大丈夫じゃない? ジョルジュさんは叫んでたけど」
「絶対大丈夫じゃない……」
レン・ブライト。アニエスの通うアラミスの生徒会長。
茶目っ気がありながら冷静な一面もある少女だが、これまでにあたしとの絡みはほとんどない。
「それで、どこにいるのかしら?」
「そこだ」
高く積み上がった瓦礫の頂に、リーシャが腰を下ろしている。その体には薄い白霧がまとわりついていた。
セリーヌもリーシャも、工房エリアでは主格者のティータ以外がまだ解放されていない。
「リーシャ! あたしよ! 聞こえてるでしょ!?」
リーシャは沈黙していた。もう仮面はつけていない。その瞳はどこか虚ろで、遠くを眺めている。
ウルズフロアでの戦いの最後に、リーシャはジュディスの名を呼んで、《デルタ=ドライブ》の爆発から遠ざけてくれた。
てっきり夢から覚めたものだと思っていたが、あの時点ではまだ霧は晴れていなかったそうだ。
それなのにどうして、あたしのことをジュディス・ランスターだと認識できたのか。
「とりあえずリーシャの望みの特定だな……何か予測できるものはあるか?」
ロイドが仲間たちに訊く。
「ってもよぉ、経歴や生業も特殊なやつだからなあ。俺たちの想像が及ぶかどうか」
「ランディさんがそれ言います?」
ティオが細めた横目でランディを見た。
ワジ、ノエル、エリィもリーシャに声をかけ続けるが、彼女は微動だにしない。
「くそ、ダメか。ジュディスさんは思い当たることはないか? リーシャとは長い付き合いだと聞いているが」
「ちょっとこっちに来てくれる?」
「え、なんだ?」
ロイドの腕をつかんで、少し離れたところに連れていく。そして、じぃーっとその顔を注視する。
彼がロイド・バニングス。おそらくはリーシャの本命。
彼女が未だに霧に囚われているのは、ロイドに関わる固有の望みがあるからだろうとは察している。しかしそれをわかっているのはあたしだけだ。
下手に大勢に打ち明けてしまっては、リーシャの気持ちを蔑ろにすることになってしまう。
「えーと、ジュディスさん?」
「ジュディスでいいわ。年も近いっぽいし。あたしもロイドって呼ぶから。ねえ、ロイドにとってリーシャはどういう女性なの?」
これくらいの聞き方ならアリ? アリよね? あとでリーシャに怒られるのはイヤよ。
「そうだな……リーシャはかけがえのない仲間だ。たくさんの場面で助けてもらった」
「はいはい、そういう感じで来るとは思ったわよ。そうじゃないのよ。もっとこう……なんていうの? ほら、あるでしょ? ね?」
「要領を得ないな。何が言いたいんだ?」
「それで捜査官だなんて聞いてあきれるわ! 難解な謎解きやってんじゃないのよ! せいぜいクロスワードパズルくらいなもんよ!?」
「すごい怒られる……」
なるほど、リーシャが苦労するわけだわ。そしてライバルも多そうな感じ。
切り口を変えてみよう。
「それじゃあ……あなた、大切な仲間と離れ離れになったことってある?」
「あるさ。何度もね」
「その時のことを思い出してみて。どうやって乗り越えてきたの? その人のことを大切に想う言葉を投げかけて、その都度取り戻してきたんでしょう? 同じことをするだけでいいのよ」
「そうか……そういうことか」
ロイドはトンファーを両手に携えた。
「え、なんで?」
「まあ、見ていてくれ」
ロイドはそのままリーシャに近づいて、
「降りて来い、リーシャ。一対一だ。俺と勝負しよう」
「……ロイドさん」
やはりロイドだけは認識した。
リーシャは瓦礫の頂上から軽やかに跳躍し、着地と同時に大剣を引き抜く。
支援課のメンバーが固唾を飲んで、成り行きを見守っていた。
「戦う、とは?」
「言葉通りの意味だ。俺が負けたら、ここは大人しく引き下がろう。ただし――」
ロイドはトンファーを突きつけた。
「俺が勝ったら、君は俺がもらう」
ズッギューン! という効果音が聞こえた気がした。
「あーっ! それあたしのですよ!?」
「いや、あなたのってわけじゃないからね!?」
ノエルが大声で訴え、エリィが即座に否定する。
「次にそのセリフをもらうのは僕だと思っていたのに、ずるいじゃないか」
「どう間違ってもお前じゃねえよ!」
「ランディさんでもないと思いますが」
ワジが不服そうにもらし、ランディがツッコみ、ティオがかぶりを振った。
「……いいでしょう。ですが、そう易々とやられる私ではありませんよ」
「承知の上さ」
対峙するロイドとリーシャの闘気が膨れ上がった。
「はああああ!」
「うおおおお!」
互いに特攻。ぶつかり合った大剣とトンファーが火花を散らす――と思いきや。
「ああ~、やられましたあ」
大剣がくるくると飛んでいき、ざすっと地面に突き刺さる。
リーシャは制止していたトンファーに自らちょこっと接触すると、ごろんと仰向けに倒れた。
「え、あれ? リーシャ?」
「くっ、負けました。仕方ないからロイドさんにもらわれます」
その一言と同時に霧が勢いよく晴れた。リーシャの瞳にハイライトが戻り、焦点が定まっていく。
夢から覚めて、正気に戻ったのだ。
しかし一向にリーシャは体を起こさない。ジュディスが近づき、その顔をのぞき込む。
「リーシャ、大丈夫?」
「ジュディス……? ああ、うん、おぼろげに覚えてるわ。ねえ、ジュディス。一つだけ教えて」
「ええ、なんでも聞いて」
「私いま、もしかして恥ずかしいことになってる?」
「だいぶ」
●
扉が閉められる直前に隙間から見えたのは、ぐったりと首を垂れるジョルジュの姿だった。
「うーん、何も言わなかったわね」
部屋から出て来たレンは、肩をすくめてみせた。
「やっぱり《幻夢の手記》にも反応はなかったかしら?」
「ああ、これといって特には……つーか、あいつ悲鳴あげてたが」
「隠し事があっても、大体はあれで吐くんだけどねぇ」
「何をやったんだよ、マジで……」
とはいえ、レンが責めても詰めても口をつぐんでいたのなら、本当に知らない可能性もある。
もしくは記憶が戻っていないというイレギュラーがジョルジュにのみ起きているか、だ。
「……いつまでも部屋の前に集まってるわけにもいかねえな。交代で見張りを立てて、いったん解散するか。まずは俺が見張るから、お前らは休んでろ」
ヴァンは廊下にあぐらをかいて座った。
メンバーはそれぞれの居室に戻っていく。
さて、どうしたものか。軟禁状態を継続するのは限度がある。実際にフード男であってもなくても、その記憶さえないのだとしたらこの行為自体が無駄だ。
「ヴァンさん」
声をかけてきたのはアニエスだった。他のメンバーはすでにいない。
「どうした。部屋に戻らねえのか?」
「いいんですか? 見張りをお任せしてしまって。《デルタ=オラクル》との戦闘から、ヴァンさんだってまともに休んでいないのに……」
「別に構わねえさ。それに座ってりゃ十分休憩になる。アニエスもとっとと自分の部屋に戻って――」
「私はここがいいです」
アニエスはヴァンのとなりに腰を下ろした。両膝を抱えて、どこか落ち着かないように見える。
「何か話したいことでもあんのか?」
「別にそういうわけでは――いえ、エレインさんのことが聞いてみたい……かも」
「エレイン? 話すと長いし、またの機会にな」
「時間ならあるでしょう。長くてもいいですよ」
「なんで急にエレインのことを聞きたがる。そういや工房エリアで、ちょっとお前ら変だったよな。普通にしてるようで、どこかぎくしゃくしてた。さては何かあったな?」
「うっ」
「図星か。なら逆に俺が事情を詮索してもいいんだが」
「仕返しはやめて下さい。……言いませんし」
アニエスは諦めたらしい。
「そういうわけにはいかねえな。だんまりを決め込むってんなら、そのフレッシュなわがままバディに聞いてやる。ねちっこく、じっくりとな。朝日が昇る頃には、必ずお前は俺に従順になってるぜ……」
『は?』
いや、俺のセリフじゃねえよ。
二人そろって眉根を寄せる。
レンが廊下の角から、半分だけ顔をのぞかせていた。
「ごめんなさい。ヴァンさんに伝えることがあって戻って来たんだけど、アニエスがいたから。ついヴァンさんの心をアテレコしちゃったわ」
「アニエスがいたからの意味はわかんねえし、ついでに俺の心でもねえし」
「わがままバディってなんですか……」
レンはクスクスと笑う。
「で、俺に伝えることって?」
「ちょうどいいからアニエスも聞いておきなさい。ジョルジュさんのことなんだけど、あの人やっぱり嘘をついてるわ。たぶん記憶も取り戻してる」
「俺も怪しいとは思ってる。だが何も言わなかったんだろ?」
「引っかかってる点は二つ」
レンは断言した。
「《ノルンの工房》で霧が晴れた時、ジョルジュさんは這ってあの場から遠ざかろうとしていた。見つかりたくない理由があるから逃げようとしたってことよね。それはつまり、その時点ですでに記憶があったから」
「確かに。もう一つは?」
「私を見て『君までいるのか』と言ったこと。咄嗟に出るにしては、この言葉は少し不自然じゃない? 全てではないにせよ、取り込まれる人間をある程度把握していたようにも受け取れる。私を指して〝君までいるのか”なら“どこまでならいる”と思ってたのかしらね」
その通りだった。レンはわずかな違和感を見逃さない。
「なぜ偽るのかの目的まではわからないけど、気をつけたほうがいいわ。ジョルジュさんからは目を離さないで」
●
「ないなー」
「ないね」
「ないですね……」
ミリアム、フィー、フェリが順に言う。
上層のスクルドフロアから中層のベルザンディフロアに入り、そしてウルズフロアまで降りて来て――今はその最深部。《デルタ=オラクル》が作られていた建造ドックに隣接する研究室に三人はいた。
「どこにも合わないですよ、この鍵。困りました……」
フェリの手にあるのはヴァンから託された鍵だった。主格者であるティータがヴァンに渡し、これを持って工房内の探索でもしてこいと言われたのである。
付き添いとしてフィーに声をかけ、もれなくミリアムもついて来て、ちびっこトリオが結成されたのだった。ちなみにそのチーム名は、三人連れ立って動いているところを見たランディに付けられたのだが、『もう私はちびっこじゃない』とフィーは不服をもらしていた。
さておき、鍵の合う扉はどこにもなかった。それどころかベルザンディフロアの重機類は全て停止していて、照明も落ち、工房全体が死んでいるかのようだった。
「あれ? その鍵の持ち手のとこ、なんか文字が書いてあるよ」
ミリアムが言う。
「あ、本当ですねっ。えーと……フリッグの鍵……? 誰の名前でしょうか」
「鍵の持ち主じゃないの?」
「フィーさんのお知り合いにいるんですか、そのフリッグさんって」
「いや、いないよ」
答えながら、フィーはカチカチと端末モニターをいじっていた。照明さえつかないのに、この端末だけは導力源が消えていないようだ。薄暗い部屋にモニターの明かりだけが灯る。
フィーの脇からフェリが顔をのぞかせた。
「なんなんでしょう。このCR、TW、ANっていう三つのフォルダは……」
「これなら何のことかわかるけど。このウルズフロアの責任者はジョルジュだったんだよね? だったら『クロウ』、『トワ』、『アンゼリカ』を意味してるんだと思うよ」
「へー、でもなんでですか?」
「同期で親友だからでしょ。……あれ、ANフォルダだけロックがかかってて開けられないね。……まあいいか」
クロウ、トワのフォルダにはバイクを作ったり、一緒に出かけたりといった日常の思い出が収められている。アンゼリカのフォルダが開かない理由は、フィーは察しているようだったがフェリにはわからなかった。
「もう探す場所もないね。とりあえず帰ろっか。お腹も空いたし、甘い物食べに行かない?」
「賛成ー!」
「
おー! と三人そろって腕を掲げる。
転移では戻らず、他愛ない雑談を交わしながら中層まで引き返し、入口の扉をくぐった時だった。
「あ、この扉には鍵穴がありますね」
フェリがそれに気づいた。試しに差し込むと、ぴったりとはまる。
「えー! 単純に工房の戸締り用の鍵ってことー?」
「せっかくだし、閉まるかどうかくらいは一応試してみたら?」
そう言われて、フェリは鍵を左に回した。ガチン、と音がして大きな鉄の扉は施錠される。
「やっぱり入口の鍵でした。他に誰か通るかもしれませんので、元通りに開けておきますね」
次は右に回し、ガチンと開錠する。
その瞬間、鍵が光り輝いた。
「わっ!?」
「下がって、フェリ!」
「み、見て! 鍵の持ち手の部分!」
《フリッグの鍵》と刻まれた文字がかき消え、代わりに銘打たれた文字は《フェリちゃんの鍵》だった。
正面の扉にも異変が起きていた。
無骨なねずみ色の金属扉が色鮮やかに変貌し、可愛らしい花柄で満たされる。
その花模様に囲まれて、さらに浮かび上がってきた文字を、ちびっこトリオは異口同音に読み上げた。
『フェリちゃんの工房……?』
――つづく――
《話末コラム①》【ブルーライオットの名前の由来】
エレボニアβチーム(トールズ分校組)のオーバルギア・ギガントを、《ブルーライオット》と名付けたのはアッシュである。
その名前はブルー(青い)ライオン(獅子)にちなんだものだとアッシュはユウナに説明し、ユウナはそれをかなり気に入った。
しかし実際はブル(雄牛)ライオット(暴動、騒動)――すなわち暴れ牛を意味しており、アッシュがユウナのイメージに当て込んだものだった。
ミュゼだけはこのことに気づいていて、そして何の指摘もしていない。
果たして一番悪いのは誰なのか。
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《話末コラム②》【フリッグ】
フリッグとは結婚と家庭を象徴する守護女神であり、光を司るバルドル神の母とされる。
衣装の帯に家事を象った鍵束を下げ、地上で貞淑な生活を全うした夫婦には、その死後にフェンサリル宮殿に迎え入れ、幸福な暮らしを送らせるという。
ゆえに不埒な教官や人たらし攻略王なんかは、フェンサリルには出禁にされる可能性が高い。
ちなみに金曜日を意味する『Friday』は、元来はフリッグの日という『Freitag』の名残である。
同じく北欧神話の女神であるフレイアも名の由来とされることがあり、フレイアの日を示す『Freija's day』が変化して『Friday』になったとも言われるが、多くの英和辞典ではその語源をフリッグの日として紹介している。
なお日本の金曜日は七曜(七耀ではない)の金星にちなむが、これはローマ神話のヴィーナスに由来する。
神話こそ異なるものの、ヴィーナス(愛、豊穣、美)、フリッグ(愛、豊穣、家庭)が有する神格はいずれも似通っており、その類似性が金曜の割り当てとして重なったのは偶然なのか意図的なのか興味深い。
そしてその鍵を、家事が得意で家庭的なティータが手にしていたのも偶然なのか意図的なのか――