黎明の軌跡 Break the Nightmare 作:テッチー
七番目が空エリアであることは判明したが、問題はそこまで行く方法がないことだった。
最後の《
ノルド攻略を終えた今でも、ラウラの
ぐるぐると唸る腹をさすりつつ、クロウは言った。
「《パンタグリュエル》から聞こえた声の主は、多分ナーディアとラピスだな。あの二人がいるってことは、残る二人もいるかもしれねえ」
「だろうね。まあ、僕らは待機中にできることをやろう」
ジョルジュも太鼓腹をさすっていた。運悪く、彼もラウラの料理にやられたそうだ。
「……できること、ね」
二人の視線が向いた先には、サーキット場のコースの中でトワを追い回すアンゼリカの姿があった。
「攻略済みエリア恒例の“囚われ”確認だ。主格者が夢から覚めても、固有の望みが強いやつは霧に囚われたままになることがある。前例で言えばエリゼとかリーシャとかヴィータとか。現在進行形で言うならサラとか」
「うーん……でもトワもアンもあれで平常運転だから、囚われたままかはわからないかな」
「近づきゃ判別はできるだろ」
観覧席から柵を乗り越え、クロウはサーキットコース内に飛び降りた。ジョルジュは回り道して入場ゲートから入ってくる。
「あっ! クロウ君にジョルジュ君!? 助けて! アンちゃんが飛びついて来てばかりで話もできないの! というかここ、どこなのかな!?」
「おー、トワは解放されてんな」
「逆にアンはまだのようだね」
「なんで二人とも落ち着き払ってるの!? ねえ!?」
アンゼリカに組み敷かれたトワは、じたばたと助けを求めている。
対してアンゼリカには、微量の白い霧がまとわりついていた。やはり“囚われ”だ
しかし彼女の願望ほどわかりやすいものはない。
「お待たせしました! 言われた人たちをお連れしましたよっ」
フェリが転移で現れた。ノルドエリアは攻略済みなので、エリア間転移が可能になっている。
フェリの後ろにはアルティナ、ミリアム、ティオがいる。
「アンゼリカさんの夢を覚ますんですよね。わたしたちは何をすればいいんでしょうか?」
「なに、難しいことじゃねえ。あいつと遊んでやりゃあいいんだ。とりあえず抱きつきに行ってくれ」
「え、それだけでいいんですか?」
「十分過ぎるぜ」
まずフェリとミリアムは楽しそうに駆け出し、アルティナとティオは露骨に嫌そうだったが、やむを得ずの体で二人の後に続いた。
「えへへっ、つかまえましたっ」
「アンゼリカも久しぶりだねー!」
「ミリアムさんだけでいいのに、なんで私まで……」
「できればエレボニアチームだけで処理して頂けるとありがたいのですが」
四人のちびっこが、アンゼリカを密着して囲む。
「エ、エンジェル……!?」
ふんふんアンゼリカの鼻息が荒くなり、すんすん彼女らの匂いを嗅ぎだした。
弛緩しきった顔はとても万人にお見せできるものではない。それを目の当たりにしているジョルジュの心情はいかに。
「だ、大丈夫か、ジョルジュ。気をしっかり持てよ?」
「今さらさ。アンのこういう光景は何度も見てきたし。ははは」
「笑い声がかすれてんぞ」
ますますヒートアップするアンゼリカ。得体のしれない言葉をつらつらとつぶやき始めた。
「Oh……so sweet…so cute…Angel…My Angel……si-ha-si-ha-!」
無言で眺める男二人。
「Nice! very nice! you are candy! I want to eat sweets! Fooo! Marchen Garten! howhowhow!」
そこにトワも加わり、三人で見守る。
「ummnn……Dragner……hazaaaaard‼︎」
闘気に象られた龍が天空へと駆け昇る。
なんか知らんが、望みは果たされたらしい。
《――★第34話 ホワイトライ★――》
「バルクホル――ベルガルド師父はどちらに?」
「シュバルツァーと話がしたいらしくてな。ついさっき第三学生寮に行かれたぜ。ニアミスだったな」
ガイウス・ウォーゼル。師父の最後の弟子。だから面識はないまでも、彼のことはヴァンも意識していた。
いつもの応接間で、テーブルを挟んで対面する。
「ここがアークライド事務所か。他の人たちは?」
「今はほとんど出払ってる。エリア攻略後恒例の取りこぼし確認ってやつでな。ノルドエリアの広さは桁違いなんで、どうしても巡回は総動員になっちまう」
「そうか……それは申し訳ない」
目を伏せるガイウスの前に、アニエスがティーカップを置いた。
「あまり気になさらないで下さいね。ガイウスさんが悪いわけではありませんから。レン先輩だって学校エリアの主格者でしたし」
「レンが先輩……? 君は?」
「アニエス・クローデルです。カルバードのアラミスという高校に通っています。レン先輩は私たちの生徒会長なんですよ」
「カルバードに留学に行くことは耳に入っているが、まだ少し先の予定だったと思うが」
「あ、そうでした。ガイウスさんは1207年で、私たちは1208年ですものね。本題の前に《ロア=ヘルヘイム》のことをお話しておきます」
ヴァンの横に腰かけたアニエスは、事の始まりから今に至るまで、そして判明した霧の異世界のルールをガイウスに説明した。
「――なるほど。事態は理解した。その《バルドルの箱》というのが
「可能性もなくはないが、今はまだなんとも言えねえ。まあ仮にそうだとしたら、聖杯騎士の仕事の範疇だろうしな」
各地に散在する古代遺物の回収と管理こそが、アルテリア法国の封聖省所属である彼らの命題だ。
人間を取り込むタイプの古代遺物など聞いたことはないが、ないと断言もできない。
だが《バルドルの箱》はそれとは違う気がする……。
「さて、本題に入らせてもらう。この《アンドヴァリの指輪》についてだ」
メインエリア攻略後に主格者から譲渡されたアイテム。異能を打ち消すシルバーリングだ。
「こいつはどうやって手に入れたんだ? 最初から持っていたのか?」
「覚えていない……いや、誰かから渡されたような……」
「そいつはどんなやつだ。顔はわかるか?」
「すまない。記憶がおぼろげで思い出せない」
「……了解だ」
レンから報告を受けていたのだ。
アルフィンとセドリックは《ゼムリアコイン》。ティオは《ヴァナディースの学衣》。ティータは《フリッグの鍵》。レンは《ディースの証明》。主格者が有するそれらの特殊アイテムを、初めから持っていたわけではないという。
話を統合するに、おそらくは“誰か”に渡された。
この世界のどこかに黒幕がいる。
「これ以上の新情報はなさそうだな。もう一つの確認をするか。指輪の力で消したオライオン姉妹の戦術殻。あれは呼び戻せたんだよな?」
「ああ、アガートラムとクラウ=ソラスか。もちろん二人に返しておいた。ずいぶん怒られてしまったが」
ヴァンとアニエスは互いにうなずき合った。
「《ロア=ヘルヘイム》に来てすぐ、俺たちも消されたものがある。《Xipha》にインストールされていたホロウコアと、年代物のオーブメントだ。それを戻せないか?」
「やってみよう」
ヴァンから受け取った《アンドヴァリの指輪》を、ガイウスは自らの指にはめた。
他者に譲渡しても、主格者には使用権限が残っている。リングに光が灯った。
「……できないみたいだ」
ガイウスはかぶりを振って、外した指輪を卓上に置いた。
「無理だったか。まあお試しのつもりだったしな。仕方ねえ」
「そもそもメアちゃんと《ゲネシス》が消えた理由が、《アンドヴァリの指輪》が原因とも限らないですしね」
「いや、指輪の力による消失であるのは間違いないと思う。詳細まではわからないが、確かに
主格者はアイテムやエリアと繋がりがある。ティオがミシュラム全域を把握できるのと同じだ。
「だとしたら、なぜお前さんに呼び戻せないんだ?」
「俺が消していないからだろう。自分で消したもの以外は戻せない」
「呼び戻せるのは消した本人だけ。なら最初にお前さんに指輪を渡してきたやつの仕業って線が濃厚か……」
時系列で考えるなら、シュバルツァー戦後にメアと《ゲネシス》を消した何者かが、その後ガイウスに《アンドヴァリの指輪》を渡したことになる。
「黒幕……ね。目的が読めねえのが何とも不気味だが」
“《王》のために世界を完結させる”というのは、ベルガルドと交戦したセリスを模した
まだ謎は多い。
次が七番目の――最後のエリア。
主格者からのアイテムは新エリアの攻略に役立つはずだが、超常現象を消す指輪の力で、空に浮かぶ《パンタグリュエル》にたどり着くことができるのか。
そして俺たちは、本当に《ロア=ヘルヘイム》から元の世界に帰還できるのか。
「どういう形かで《
「はぇっ、ヴァンさんが私に指輪を……っ!?」
●
第三学生寮のリビングにベルガルド・ゼーマンがいる。
二アージュ近い体躯に、獅子のたてがみのような白髪。偉丈夫というのはこういう人のことをいうのだろう。
「――うむ、エリゼ嬢の淹れてくれた紅茶の風味。香りはもちろんのこと味も申し分ない。兄君もさぞ鼻が高いだろうな」
「ええ、自慢の妹です」
「に、兄様、そういうのいいですから」
謙遜も何もあったものではなく、ストレートに肯定するリィン。エリゼはテーブルの下で袖を引っ張ったが、リィンはこの恥ずかしさを理解してくれていないようだった。
第三学生寮を待機場所にしているメンバーは、ほぼ出払っている。
残っているのはリィンとエリゼだけで、そこにベルガルドが来訪したのだった。
ひとしきり場が和んだところで、ベルガルドが切り出した。
「突然の訪問を失礼した。学生時代にガイウスが過ごした場所や、仲間たちを見ておきたくてな。話はよく聞かされていたのだが、あまりに楽しそうに話すもので以前から興味があったのだ」
「そうでしたか。いえ、こちらこそ《吼天獅子》の名はかねがね。崑崙流の師範とも伺っておりますし、直にお会いできて光栄です」
「何を言うのか。八葉の若き剣聖の武勇は共和国にも轟いておる。聞けばユン・カーファイ殿の指南で東方文化にも明るいとか。ぜひ一度飲み語りたいと思っていた」
段位や称号に対する敬意は、武術の系統や流派、年齢さえも越えるものである。
ベルガルドもリィンも、この時間を楽しんでいるようだった。
「おっと、エリゼ嬢にはいささかつまらぬ話題であったかな。この歳になっても生来が無骨ゆえ、気遣いの至らなさはご容赦頂きたい」
「まさか。私も剣術の端くれは修めておりますので、お二人の会話は興味深いです」
見た目の厳つさとは似ても似つかない、細やかな配慮ができる方だ。
気さくでもあるし、色々気になっていることが聞けそう。
「殿方同士の語らいを割って申し訳ありません。少しばかりベルガルドさんに確認したいことが」
「ん? なにかな」
「単刀直入に質問しますが、なぜ聖痕を発現できたのでしょうか。いえ、というよりもその聖痕は
突飛な問いに思われるかもしれないが、返答如何によっては前からあった一つの疑念に答えが出る。
それは私にとって重要なことだ。
「……ふむ。こちらも率直に答えると、聖痕を出せた理由はわからない。普通に考えればできないはずだが、あの時はできないという考え自体なかった。そして今はもう出せない」
「なるほど……では次は兄様にお聞きします。工房エリアの《デルタ=オラクル》戦で神気合一を使われた際、兄様の髪は白く染まっていたことにお気づきでしたか? 瞳も赤かったです」
「いや、知らなかった。そうだったのか? ……だとすると少しおかしいな」
初期の神気合一とクロスベル再事変時のそれとでは、そもそもの質が違う。
元々はリィンの身に巣くう黒い存在を媒介として発現しており“鬼の力”とも呼ばれていた。
しかし黄昏を経て元凶を消し去って以降は、己が力を引き出す練気法として改めて《神気合一》という名で用いられている。確か《無想神気合一》だったか。
髪が白く、瞳が赤く染まるのは“鬼の力”の頃だけだ。
「大前提として、聖痕をガイウスさんに譲渡しているベルガルドさんはそれを使うことはできません。兄様も黄昏以前の神気合一は別物なので、“鬼の力”に起因する能力は、今は使うことができないはずです」
それでも力を行使できた理由。
「ここからは私の仮説ですが……ベルガルドさんの聖痕と兄様の旧式神気合一は、お二人の認識による再現だったのではないでしょうか」
「そう言われれば思い当たる節はある。聖痕とはこれ以上無いほどに異能だ。しかし《アンドヴァリの指輪》で消されたりはしなかった。魂に宿した本来の聖痕ではなく、ただの再現であるがゆえ、異能とは見なされなかったということか」
「そして今使えないのは、ガイウスさんと再会し、かつ聖痕を受け入れてくれていることを知ったから。ベルガルドさん自身が手放した力であることを強く再認識したから……とか」
「筋の通った論だ。納得できる」
ベルガルドは
「なら俺の神気合一は? 髪と目の色が変わることから、確かにかつての再現なのかもしれないが……なぜ今になって」
「今になってというより、この世界だからかもしれません。兄様が《ロア=ヘルヘイム》で初めて神気合一を使ったのは、ヘイムダルエリアでのヴァンさんとの戦闘でしたよね? 霧に囚われていた時です」
「……俺にとって神気合一が一番印象強い時期は、鬼の力が混じっていた十月戦役から黄昏の間だ。それを認識が歪んでいた“囚われ”時に使用したから、無意識に当時の力が再現されていたってことなのか」
「夢から解かれても、感覚はそのまま残ったのでしょう。だから《デルタ=オラクル》戦で使った神気合一も、髪色が変わる旧式の再現だったのではないですか?」
「なるほど……今思い返せば、無想神気合一よりも衝動性や攻撃性が大きかった気がする。ヴァンとの戦いでは特にそうだった。それがわかった以上、自分の意思で切り替えはできると思うが……これは気をつけないといけないな」
やはり、そういうことか。
「良い観察眼をしておる。しかしエリゼ嬢はなぜそこに着目したのだ?」
「それは――」
アリアンロードのミストマータに遭遇した。
騎神は召喚も再現もできないので、彼女とは生身で戦うしかない。しかし今のままでは絶対に勝てない。
聖痕も“鬼の力”も再現できた。
ならば、かつて私を縛っていた緋の呪いでさえも――
「内緒です」
暗黒竜《ゾロ=アグルーガ》の力をこの身に再現できるなら、戦闘力は桁違いに上昇する。それならアリアンロード相手でも、あるいは。
ベルガルドの疑念を、エリゼは悟られないよう笑顔で受け流した。
●
放課後は文芸部の部室か図書館にばかり行っていたから、授業以外でギムナジウムを訪れることは滅多になかった。
考え事をしながらトールズ本校内を歩き回っている内に目について、ふらりと立ち寄った次第だ。
ギムナジウムに入って真っ直ぐ進むとプールがある。水の音がするから、誰かが使っているらしい。
ラウラかアルティナか、水泳部組が水練でもしているのかもしれない。そういえばエリゼも水泳部だという。
ちょっと様子をのぞきに行こうとして、エマはその途中の練武場にも誰かがいることに気づいた。
「はあ、はあ……動きが良くないな」
そう独りごちるのはヨシュアだった。彼は一人で剣を振っている。動きが良くないと言うが、その体捌きは素人目に見ても無駄のない一流のそれだった。
「……エマさん?」
練武場の入口で足を止めていたエマに、ヨシュアが気づいた。
「あ、すみません。立ち見するつもりはなかったんですが」
「いや、こちらこそ。少し体を動かしたくて、ここを使わせてもらったんだ。修練場があって助かったよ。さすがは士官学校の設備だね」
控えめな笑顔に汗が光る。
イケメンだ。一癖二癖強いトールズ男子勢と比べると、なんとまあ爽やかなことか。わずかに影があるところも、目を引くアクセントになっているのだろう。
恋仲だというエステルとは――なるほど対照的だ。
「お一人で稽古だなんて、なんだか珍しいですね。何か思うところが?」
「大したことじゃないよ」
「刃鳴りの音がぶれていた気がします。そういう時は心に陰りがある時だと、ラウラさんやリィンさんから教えてもらったことがあります」
「……参ったな」
「剣士の気構えに関してできるアドバイスなんて私にはありません。でもお話を聞くくらいはできますよ」
「けどエマさんに話すようなことじゃ……」
「今までヨシュアさんとお話する機会はあまりなかったですが、そういう相手の方が気兼ねなく話せる……かも?」
「はは、トールズはみんな世話焼きなのかな。遊撃士に向いてるかもしれないね。……じゃあ少しばかり時間をくれる?」
ヨシュアは練武場の床に腰を下ろした。彼に倣ってエマも座る。
「ノルドエリアでミストマータに出会ったんだ」
「ええ、聞いています」
ノルドエリア攻略後に、情報共有はなされている。
チームで分散させられていた時はわからなかったが、ノルドは季節や天候ごとの区画に分かれていて、各地の相互連動を利用しながら攻略を進めていくものだった。
その冬エリア――氷の洞窟でヨシュアはかつての恩人のミストマータと遭遇した。
剣帝レオンハルト。結社の元№Ⅱ。
あのマクバーンを含め、誰もが認める実力者であり、また人格者でもあったという。ついでにカッコイイというのはヴィータからの追加情報だ。
「レーヴェは恩人っていうのかな。そんな一言ではとても言い表せない間柄だけど、とにかく僕にとっては大切な人でね。何度も刃を交えて、信念もぶつけ合って、それで最後にはわかり合えて……そして、看取った」
ヨシュアは遠い眼差しで、ここではないどこかを見ていた。まるで在りし日の思い出を眺めているみたいに。
「全ては終わったこと。託されたものは受け取ったし、後悔はない。だけど敵がレーヴェの姿で現れて、また戦わないといけないとなった今……やっぱり迷いが生まれてるんだ」
「……
「そういえばエマさんも雷エリアでミストマータに会ったんだったね。知己の関係だそうだけど、君の大切な人なのかい?」
「違います、違います、断じて違います」
「え、ごめん」
サーキットエリアからノルド攻略までに遭遇したミストマータは五体。
ローエングリン城のアリアンロード。雨エリアのセリスとリオン。冬エリアのレオンハルト。そして雷エリアのガイラーだ。
「新たに得た情報をまとめてみましょうか。今までの考察で正解と思えるものもあれば、間違いだと立証されたものもありますので」
「そうだね。端的に挙げると、まずはベースとなっている本人の記憶や経験があることかな」
これはミストマータのセリスとリオンが、ベルガルドとの過去の出来事を語ったことからも間違いない。
「セドリック殿下とエリゼちゃんが遭遇したアリアンロードは、ローエングリン城が損壊することを避けたそうです。単なる記憶だけでなく、価値観さえ継承していると考えられます」
「うん。ただその上で、《ロア=ヘルヘイム》の霧を晴らさせないことを優先順位の最上としている。現実世界での関係が深い相手であってもまったく容赦がない」
これもセリスとリオンの行動からの推察だ。あの二人が自分の意思でベルガルドに攻撃を加えることはまずあり得ないという。
記憶、経験、価値観が反映されていても、霧を払う“敵”であるなら、敬愛の対象であっても滅することを
それがミストマータの行動原理だ。
「《王》という存在のために動いていて、《夢の綻び》という何かを探しているらしい。そのことについては、まだはっきりしたことがわかっていない」
「……このくらいですかね」
エマはそこで考察を止める。
実は一つ、戦闘中にガイラーに試したことがあった。
“ミストマータは自分たちの記憶や経験が呼び出したもので、その呼び出した人物の元に現れる。呼び出した人物の意識が途絶えると、ミストマータはその場から消える”――という仮説だ。
結論から言えば、この仮説はハズレだった。
エマがリィンとラウラに首トン気絶させられてからも、ガイラーは平然とそこに居続けた。リィンたちと二言三言の会話を交わした後、彼はその場を去ったそうだ。
「結局、《幻夢の手記》のミストマータに関わる項目は埋まっていない。謎の黒塗りがなされたままだ」
「ですが不要な考察は捨て、新たな情報を得て、確実に正体に近づいてはいます。接触を繰り返し、その都度試していくしかありませんね。少なくとも現状では」
「……戦いは避けられないかな」
「私たちが霧を晴らす限りは」
そこはどうあっても相容れないのだろう。
消え際にセリスは“《王》のために世界を完結させる”と言い残したらしい。
それが霧を晴らさせないことにどう繋がるのか。そもそもこの霧はどこから発生しているのか。
「私も実感していますが、兄や姉を越えるのは難しいことです。それでもいつかはその背中に追いついて、肩を並べるようになりたいと思っています。まあ姉さんは生意気とか言って攻撃してきそうですけど」
「背中か……そうだね。ありがとう、気持ちが楽になったよ」
二人は笑う。兄姉分を持つ身同士の共感だった。
「あら、ヨシュアじゃない。こんなところにいたの?」
そこにエステルが元気よくやってきた。プールで泳いでいたのは彼女だったようだ。セパレートタイプの水着姿である。
「どうかしたの? エマさんと二人でいるなんて珍しいわね」
「ちょっと相談事を聞いてもらっていてさ。ミストマータの考察もして、有意義な時間だったよ」
「ふーん……ヨシュアが人に相談を……表情もなんか明るい……」
エステルはエマをじいっと見つめて、
「もしかしてヨシュア、大きい方が好――」
「違います」
爆速理解でエマから即座に否定した。
●
「四人そろうのなんて久しぶりだよな。これで異世界じゃなきゃよかったんだが」
クロウがぼやく。
アークライド事務所の三階。空き部屋を利用したジョルジュの軟禁室には、彼の同期が集合していた。
「私とトワが夢に囚われていたなんてね。不甲斐ない限りだよ」
「アンちゃんはいつも通りだった気がするけど。私はノリノリでレース実況やってたんだよね? あんまり覚えてないなあ。アンちゃんに襲われてた記憶しかないし……」
時刻は20時を過ぎた夜。
先ほどアンゼリカとトワもサーキットエリアから帰還することができた。彼女らは《ロア=ヘルヘイム》の状況もすでに理解している。
ジョルジュが疑われていることについてもだ。
「俺としてはジョルジュの潔白を証明してやりてぇんだが、なんせ疑いを否定できる材料もあんまなくてな」
「逆にジョルジュを黒と断定する証拠もないんだろう? 平行線というわけか。困ったね」
「でもこうして私たちだけで話をさせてくれてるわけだから、クロウ君はアークライドさんに信用されてるってことだよね」
ジョルジュを交えて友人四人で話をさせてくれとヴァンに頼んだところ、思いのほかすんなり了承された。
俺はカジノエリアから学校、工房、ノルドの攻略に参加しているし、ジョルジュはサーキット攻略での導力バイク作成に尽力した。
そこを認められたのかもしれない。
せっかく同期が四人そろったんだ。監視制限ぐらいは外して、つるんで行動してえもんだが。
「要するにだ。ヴァンを最初に《ロア=ヘルヘイム》に呼び込んだフード男の体躯がジョルジュに似てるってことと、《バルドルの箱》みたいなわけのわからん装置を作れるのはこいつくらいってのが、疑いの根拠なんだよな」
「えぇ……根拠になってないよ」
トワは呆れているが、ヴァンは鼻が利く。直感で怪しんでいるのだ。
とはいえ決定打がないからこそ軟禁程度で済んでいるわけで、今後のジョルジュの動き次第ではそれも払拭することはできるだろう。
「とにかく重要なのはここからだぜ。俺らでジョルジュの疑いを晴らしてやらねえとな」
「まあ私たちはトワ以外、一度は敵陣営についた経歴の持ち主だし、今度もなんとかなるさ」
「そういえばそうだったね。《黄昏》に至る出来事の中では、四人中三人が寝返った形になるのか」
《C》だったり、紅のロスヴァイセだったり、銅のゲオルグだったりである。
ははは、と声を合わせて笑う三人の中で、唯一敵方経験のないトワだけが無表情だった。
「ああ、うん、笑えないけどね……どうなってるのかな、私の世代って」
アンゼリカがねっとりとトワの肩に腕を回した。
「トワだけはいつまでも綺麗なままでいて欲しいな。そしていつか汚れる時は、それが私の手によってなされることを願う」
「願わないで、お願いだから」
「はっ、順番的に行くと次はトワが黒幕だったりしてな。なあ、ジョルジュ」
「それはないよ。やっぱり僕が黒幕だからさ」
その意味を理解する間もなく、ジョルジュの背後に赤い戦術殻が出現した。
「みんなと話せてよかったよ」
●
ガイウス・ウォーゼルか。掛け値なしにいいやつだった。師父が目をかけ、聖痕さえ託した最後の弟子というのが納得できる。
不出来な裏弟子と自覚がある自分としては、並んで立つとどうにも落ち着かなくなる。
「そういう体面は気にしなくなったと思ってたんだがな……」
自室のベッドで寝帰りを打ちながら、小さくつぶやく。
デザートの食べ合わせが悪かったのか、ラウラ主催の親睦パーティーで体調を悪くし、そのままノルドエリアの攻略に入ってしまった。
バイクレースで無茶をやりまくった挙句、ノンストップで砂漠地帯に放り出され、心身ボロボロの散々な目に遭った。
事務所に帰ってきてからはガイウスから情報の聞き取りをしたりで忙しなく、20時を過ぎた今になって、ようやく人心地つけるようになった。
さすがに休まないと、これ以上はもたない。
上の階から轟音が響いたのは、疲れ果てたヴァンの意識がまどろみに沈む直前だった。
「な、なんだぁ!?」
慌てて跳ね起きて、事務所の扉の外に出る。急いで階段を登ると、同じく音に驚いて出てきたらしいアニエスとレンに出くわした。
「何があった!?」
「ごめんなさい、私も何が何だか……」
「音はまだ上からだったわ。クロウさんたちがジョルジュさんと話してたんじゃなかったの?」
まさか。
「アニエスとレンはうちのメンバーの安否確認に走れ。俺は先行して状況確認をする!」
三階に駆け上ったところで、ヴァンはクロウとはち合った。彼の後ろにトワとアンゼリカもついている。その困惑の表情を見ただけで察した。
「あいつ、逃げたのか」
「……俺たちのいる前で堂々と扉をぶっ壊すとは思いもしなかった。下階で見てねえんなら、おそらく屋上だろ。すまねえ……」
「反省はあとだ。アームブラストはシュバルツァーたちに連絡を回せ。ケースDだ。こっちは俺らに任せて、お前らはすぐに配置へ」
「くそっ、了解!」
クロウは《ARCUS》持ちへの一斉通信を始めた。
ジョルジュが不測の行動をした場合の対応は、事前に何通りも考えて各チームリーダーと共有している。だがこれは一番可能性が低いと踏んでいたパターンだ。
さらに階段を走って登り、ヴァンは扉を蹴り開けた。
「よう、強行突破みたいな真似はしねえと思ってたんだがな」
屋上の端にジョルジュは立っていた。暗闇の中、月明かりが彼を照らしている。
「自分でもそういうタイプではないと思っているよ。どちらかといえば一歩下がって策を巡らす方さ」
「工房エリアで合流し、今に至るまでが演技だってか? いや、そうじゃねえよな。現実世界のアークライド事務所を訪れた時からだろ」
「そういうことになるね。君たちが呼ぶところのフード男は間違いなく僕だ」
ここにきてあっさりと認めた。その可能性が高い前提でこちらも対応していたから、別に驚きはしない。クロウたち旧友との会話を了承したのも、何か尻尾を出すかもという目算もないではなかった。
「不明なことは山ほどあるが、まずはなぜ今動いたかを知りてえな」
「アンとトワを助けられた。その二人の救出には僕自身が関わりたいと思っていた。すぐに逃げることもできたんだが、ノルドエリアを攻略するまでは君たちに同行しておきたかったんだよ」
「同期愛が強くて何よりだ。つまりお前は六番目の《
「黙っていてすまないと思っている」
「気にすんなよ。これからたくさんおしゃべりしようぜ」
不意打ちの一撃がジョルジュの脳天に落ちる。シャードの足場を生成したリゼットの、高所からの強力な踏み下ろし――《レディエンスシーカー》だ。
「ジョルジュ様!」
「リゼットさんか。義体の出力をもっと上げないと。この期に及んで手加減は良くない」
ジョルジュの頭上にバリアらしきものが生み出され、リゼットの蹴足を阻んでいる。
「FIO、足元を凍らせて!」
『細胞全部ブッ壊シテヤルヨォ!』
「それはやり過ぎ!」
屋上の戸口から《オプティカルカノン》が照射された。しかしそれも障壁によって弾かれる。
カトルが屋上に着いてすぐ、次々に他の仲間もやってきた。
「レンとエレインは左側、アーロンとジュディスは右側から挟め。アニエスとカトルはアーツを駆動待機。ベルガルド師父は何かの仕込みがないか、後方からの俯瞰をお願いします。リゼットも念のため周囲の警戒を。フェリは秘密兵器だから勝手に動くな」
「あ、あれ? わたしまた秘密兵器……」
フェリちゃんサンを自由にさせると、ジョルジュにピックアップトラックを突撃させかねない。
「カルバードチームが総出か。――ナグルファル」
ジョルジュの傍らに赤い戦術殻が現れる。リゼットとカトルの攻撃を防御した障壁は、あのナグルファルとかいうのが発動させたようだ。
おそらくアガートラムやクラウ=ソラスと同種の傀儡だろう。
「なるほど。そんなもんを従えてたんなら、いつでも逃げ出せたわけだ。だとしても今は人数の利がこちら側にある。ここからも力づくでどうにかなるなんて考えるなよ。あと転移で逃げようとしても無駄だ」
「うん? それはどういう意味だい?」
「お前に情報は与えない。質問は全て俺からする」
転移先の選定はエリア毎の象徴的な地点に限られる。
すでにクロウから連絡を受けた全チームが散開し、転移可能な地点に分かれて待ち構えている頃だ。さらには魔女の探知と戦術殻のセンサーも広域発動中。
これがケースD。どこへ飛ぼうとも、すぐに発見して拘束してやる。
「なんとなくわかるよ。転移ルールを逆手に取ってメンバー配置してるんだろう?」
「察しが良いな」
「転移の法則を明記したのは失敗だったか。僕を逃がさないために上手く応用されるとはね。さすがに見くびり過ぎていたみたいだ」
「まさか……」
「そう、《幻夢の手記》も僕が作った」
ここまで俺たちの指針となってきた《幻夢の手記》を、だと。
「信じがたいなら証拠を見せようか? たとえばまだ空欄になっているはずの手記の④番は、“《バルドルの箱》の中枢機能である人と人の夢を繋ぐ力は、《ARCUS》のリンク機能の特性を受けて確立されたもの”――そういう内容が書いてあるよ。だから⑤番の“故に《ロア=ヘルヘイム》に囚われている者は、かつて《ARCUS》のリンク機能を用い、縁で繋がれていた者たちである”に繋がるのさ」
ヴァンの胸ポケットに入れている《幻夢の手記》が光り輝いた。ジョルジュの明かした内容に反応して、④番が開示されたのだ。
「だから《ARCUS》を使用していないカルバード組のみんなは、現実世界の時間軸の姿と記憶を保持したまま《ロア=ヘルヘイム》に滞在できるんだ。《バルドルの箱》はリンク機能を使って夢に捕えるわけだけど、そもそも君たちにはリンクの接続が通じないので囚われようがない。《Xipha》持ちだけが自由に行動できていたのは、これが理由さ。ここの条項は⑨番だから、⑧番とセットで読んだ方がわかりやすいかもね」
また手記が光った。ジョルジュの言葉を受けて、次々に開示されていく。
「ご丁寧にどうも。このまま全部の開示をしてくれるとありがてえんだが――いや待て。《幻夢の手記》
「ああ、話す順序が逆だった。この異世界の原因である《バルドルの箱》を作ったのが僕だ。こんなことになるとは当初は思いもしなかったが……」
狙った状況ではないということか? だがこいつの言葉をどこまで信用していいのか。
「つまりこの世界を作った《王》がお前ってことでいいんだな?」
「それは違う。いいかい。良く聞いてくれ。今から手記の㉙番と㉚番を開示する。これからの君たちに必要な情報だ」
一度言葉を切ってから、ジョルジュは続けた。
「エリアの主格者以外に、《ロア=ヘルヘイム》そのものを生み出した統括主格者が存在する。その統括主格者こそが《ロア=ヘルヘイム》の王であり、《バルドルの箱》の所有権を有している」
「統括主格者だと……? そいつが全ての元凶でミストマータ共の親玉なのか? 《王》の目的はなんなんだ!?」
ジョルジュは口を閉ざした。
「急にだんまりか。マジでどういうつもりなんだよ」
「それは君たちに必要な情報じゃないからだ。少なくとも今はまだ」
「これから先必要になるんなら、今知っておいても損はないと思うがな」
「あるんだよ、損が。この先の情報を知ることは、君たちにとっての不利益になる。下手をすれば一発でゲームオーバーだ」
またこれだ。フードをかぶって正体を隠していた時にも、こいつは俺に同じことを言った。
《幻夢の手記》が段階的に情報を与えてくることも、ジョルジュがそのシステムを作ったと知った今では納得の小出し振りだが、なぜそうするのかが未だにわからない。
「まあいい。教えたくなくとも教えてもらう。話の全部を信用するほど純粋じゃねえが、真偽はその上で俺たちが判断すりゃいい。再三言うが、逃げ場はねえぜ。どこにもな」
カルバード組での包囲に加え、転移先は全てマーク済み。戦術殻で空に逃げようとしても、FIOで撃ち落とす。
銃口を向けたまま、リゼットが言った。
「どうか投降してください。あなたに危害を加えたくはありません」
「すまないね、リゼットさん。介抱してくれた恩は忘れないよ」
ジョルジュは踵を返し、ヴァンたちに背を向けた。
「《ロア=ヘルヘイム》に時間が流れ、朝昼夜の概念ができた。ノルドエリアを攻略したことでじきに天候も生まれる。夜空には星さえも瞬くようになった。天体観測でもしたらどうだい? カトル君は望遠鏡を呼び出せるんだろう?」
「狂言で時間稼ぎか? 何を企んでやがる」
「さてね。知りたければ霧を晴らし続けることだ」
ジョルジュは振り返ることなく、闇に向かって叫んだ。
「《王》よ。僕をもう一度“囚われ”にしてくれ!」
その直後、どこからともなく現れた白い霧が、ジョルジュの体にまとわりついていく。
「頼めた立場ではないけど、トワたちには悪かったと伝えて欲しい。それと“銀の扉を開きたければ、クロウに送ったものにヒントがある”とも」
「……一体あんたは何を知ってんだ。本当の目的はなんなんだ」
「一番最初に言っただろう。《ロア=ヘルヘイム》に囚われたみんなを解放し、現実世界に全員を帰還させることだと。皆の武運を祈る。願わくば、君たちが黎明の樹まで辿り着けることを」
白霧はジョルジュを覆い隠す。それが晴れた時、彼の姿はそこになかった。
――つづく――
《話末コラム》【ジョルジュが明かした《幻夢の手記》の新条項】
④【《バルドルの箱》の中枢機能である“人と人の夢を繋ぐ”力は、《ARCUS》のリンク機能の特性を受けて確立されたものである】
⑨【《ARCUS》を使用していないヴァン・アークライドとその仲間たちは、現実世界の時間軸(七耀暦1208年)の姿と記憶が反映される】
㉙【エリアの主格者以外に、《ロア=ヘルヘイム》そのものを生み出した統括主格者が存在する】
㉚【統括主格者は《ロア=ヘルヘイム》の王であり、《バルドルの箱》の所有権を有している】