黎明の軌跡 Break the Nightmare   作:テッチー

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第40話 英霊はヴァルハラに集う

 

「力加減、強くはありませんか?」

「ちょうどいいくらいだ。ありがとう」

 ユーシスはルーファスの背を流していた。鳳翼館の露天風呂に湯気がのぼる。

 兄弟の語らいに気を遣ってなのか、ヴァンたちはすぐに浴場から引き上げた。“囚われ”のスウィンは気にしていなさそうだったが、彼は元々早風呂だったらしい。

 だから二人だけだ。

 ただ……兄上は俺をユーシスだと認識していない。

「君は私が怖くないのかね?」

 不意にルーファスが言った。

「怖い?」

「わたしのことを知っているような口ぶりだった。ルーファス・アルバレア。希代の極悪人が生きていたのだよ」

「……まあ、世間一般の認識ではそうでしょう」

「君は違うとでも?」

「どうでしょうね」

 背に残った火傷の痕を眺める。

 彼は《逆しまのバベル》を止めるために、悪意と恐怖を自分に集めたのだ。史上最悪の独裁者という形で。

 やり方は歪だったが、世界を守ろうとした証の傷。それは彼なりの贖罪だったのかもしれないし、そうじゃなかったかもしれない。

 いつだって心を見せないから、本当の気持ちは誰にもわからない。弟である自分にも……わからない。

「なぜウルスラ医大からいなくなったのですか? 誰にも何も告げずに」

「何かを告げたい誰かがいなかったからね。元々が利己的な人間だ。どうやら君は事情に詳しいらしいが」

「情報通なもので」

「あとは……そうだな。自分の目で世界を見てみたかったというのもある」

「今までは見ていなかったと?」

「見たつもりになっていた。もしくは視界に入っていたとしても、気に留めていなかったのだろうね。私にとって世界とはそこにあるだけの風景でしかなかった」

 そう言ったルーファスの表情は、霧か湯気かで曇って見えなかった。

「何かを告げたい相手はいないと仰っていましたが、ご家族はいらっしゃらないので?」

「家族か」

 一瞬だけ言葉を切って、ルーファスは続けた。

「家族はいないな」

「そう、ですか」

 そんな答えが返ってくるかもしれないと覚悟はしていたが、何も感じずに受け止めることはできなかった。心の深い部分が締め付けられる。

「……ルーファスさんには年の離れた弟さんがいると記憶していますが」 

 本来はエリア攻略のために、彼の望みが何なのかを探るべきだ。わかってはいたが、それを問い質さずにはいられなかった。

「弟か。ああ、いた」

「過去形なのですね」

「少し力が強いな。痛いよ」

「失礼」

 ユーシスは背を流す手を放し、タオルを絞って水を切る。

「君の名前を聞かせてもらえるか?」

「従業員17号です」

「そうかね。では17号。これは世話をしてくれた礼だ」

 美しく透き通る水晶のバッジを渡される。これが仲間の何人かが入手したという《エインヘリヤルの霊珠》か。

「さて、私はそろそろ湯に浸かるが、君はどうするのかね」

「俺はもう上がります。……少し湯あたりしてしまったみたいで」

 

 

《――★第40話 英霊はヴァルハラに集う★――》

 

 

 リゼットが見る限り、一般的に想像するような劇場の雰囲気とは少し違っていた。

 客席は映画館のようで、舞台の広さはオペラハウスさながら。しかし舞台上のギミックは東方歌劇の派手さを備えている。

 “劇”というジャンルが持つそれぞれの“色”を融合させたようだった。

「えへへ、楽しみだねぇ、すーちゃん」

「パンフレットもらったか? けっこうな大作らしいぞ」

 その劇場にナーディアとスウィンが足を運んでいた。

 攻略七日目にかかる午前。ようやくナーディアの望みの通りに、スウィンを連れてくることができた。

 闘技場でシズナを退け、以降もこちらの人員を裂いて、スウィンが望むままに模擬戦闘を続けたおかげだ。気分転換がてらの劇鑑賞にようやく応じてくれたのだった。

「ナーディア様、すーちゃん様。まもなく開演でございます。ドリンクは座席右手側のホルダーに、ポップコーンはお二方の間に設置しておりますのでお気を付けを。追加がご入用でしたら、遠慮なくお申し付け下さいませ」

 二人の傍らに立つリゼットは慇懃な口調で言った。

「すーちゃん様ってなんだ……」

「さすが有能~。かゆいところに手が届いちゃう。支配人さんも横で一緒に劇を見ようよ」

「恐れ入ります」

 リゼットはナーディアの認識の中で、鳳翼館と劇場を統括する総支配人にされているようだった。

 そのナーディアはスウィンと腕を組んだりして、とても機嫌がいい様子だ。満面の笑みが可愛らしかった。

 ブザーが鳴り、いよいよ幕が上がる。

 リゼットもナーディアに言われた通り、彼女らのとなりで鑑賞することにした。

 鳳翼館詰めが多かったので、彼らの劇を見るのは、練習風景も含めて実はほぼ初めてだったりする。

 ストーリー構成やら配役やらで随分と揉めたようだが、果たして――

 

 ★

 

『かつて栄華を誇ったウェイスター王国。とある日、オリヴァルト王の耳に信じがたい報告が入ります』

 

 劇はトワのナレーションで始まった。王国の名前はアーロン・ウェイとジュディス・ランスターから取ったのだろう。あの二人の合作であることはリゼットも知っていた。

 調度品に彩られた王の間で、オリヴァルトが落ち着きなく右往左往している。

「ああ、なんということだ。我が愛する娘がさらわれてしまうとは……!」

「まさか猛将の手の内に落ちるだなんて……うぅ、どうか無事でいて、私の可愛いフィー」

 王妃シェラザードも泣き崩れる。元々演劇肌の夫婦である。二人の芝居はばっちりだった。

 ウェイスター王国のフィー姫が、辺境の地をねぐらにしている蛮族“猛将”に誘拐されてしまったという。

「フィー姫を助け出した強き者には、姫を妃として娶り、次期国王の座を与えよう。城下町に触れを出すのだ!」

 ここでトワがナレーションで盛り上げる。

 

『しかし猛将の恐ろしさは皆の知るところ。誰もフィー姫を助けに行こうとはしませんでした。しかしその中にも、正義感溢れる者たちがいたのです』

 

 オリヴァルト王の前に集まったのは四人。

「王の心中お察し致します。どうかフィー姫の救出は我々にお任せください」

 選ばれし勇者クロウである。

「私の魔術にかかれば、一対多数でも負けはしません」

 善なる魔法使い、ヴィータ。

「この剣から逃れられるものはいないわ。お姫様の救出なんて簡単よ」

 流浪の賞金稼ぎ、ジュディス。

「戦闘はあまり得意じゃないから、僕は後方からみんなの支援をするよ」

 街の音楽家、エリオット。

 彼らこそがクロウに従う勇者のパーティだった。

 多くの国民に見送られ、四人は冒険へと旅立つ。

 ウェイスター王国を出ると、そこには不毛の荒野が広がっていた。

 乾いた風、むき出しの岩肌、枯れ果てた草木、干上がった水場、辺りに転がる朽ちた動物の骨。死の蔓延る世界だ。

 舞台の床装置を回転させながら、うまく風景の移り変わりを表現していく。

「……これが猛将の仕業か。ひでぇもんだな」

「ねえ、クロウ。猛将って何者なの? 話題にはよく上がるけど、わからないことが多いわ」

「それはあたしが答えるわ」

 クロウに問うヴィータに、ジュディスが横から言う。

「猛将アーロンはね。近隣の集落や国を滅ぼし、略奪の限りを尽くしている悪逆非道の男よ。逆らうものには容赦の欠片もないわ」

「詳しいんだな」

「賞金稼ぎで出歩いてると、外の事情には精通してくるもんなのよ」

 荒野を進み、道なき道を行き、険しい山々をいくつも越えていく。

 日の落ちた夕暮れに、クロウたちは野営の準備をする。

 焚き木を囲んで、有り合わせで作ったスープをすすっていると、不意にエリオットが言った。

「もうすぐ目的地だよね……猛将アーロンには部下がいるって聞いてるけど」

「ああ、《猛将の眷属(クレイジー・ブリード)》だな。スネークソードのスカーレット、ダークウィッチのエマ、セクシーアサシンのリーシャ。この三人が猛将を常に守護している。強いぜ、ヤツらは」

「だ、大丈夫かな、僕」

「こういう時こそ演奏だろ? 弾いてくれや。お前の演奏は気持ちが落ち着くんだ」

「う、うん。でもクロウはどうして僕を誘ったの? 音楽ができても戦闘の役には立たないのに。幼馴染だからって理由?」

「ちげえよ。いいか、世の中は荒んでる。人の心には安らぎが必要なんだ。俺がフィー姫を助けて王になった暁には、お前を王室音楽隊の指揮者に任命したい。平和な世界を作る手助けをして欲しいんだ」

「できるかな、僕に」

「弱気なやつだな。昔から俺がいねえとケンカ一つできやしねえんだから」

「逆にクロウはケンカばかりで困るよ」 

 エリオットはバイオリンを弾き始めた。柔らかな旋律が荒れた大地に染み渡っていくようだった。

 穏やかな笑い声と共に夜が明けていく。

 一同は歩みを進めた。

 燃える大地の火をヴィータの魔術で消し、行く手を阻む茨の道をジュディスの剣で切り開く。そうして彼らはついに猛将の根城《猛き冥界に続く森(クレイジー・フォレスト)》の入口へとたどり着いた。

 えげつないトラップをかわしながら、慎重に進む勇者クロウたち。

 その森の最奥。開けた場所に設えられた玉座に、アーロンが横柄に座っている。その傍らには手錠をかけられたフィーの姿もあった。

 離れた茂みに身を隠しながら、クロウはその様子を見ていた。

「あいつが猛将アーロンか……噂通りヤバそうなやつだ。正面から叩くのは得策じゃねえ。回り込んで奇襲をかけるぞ」

 クロウの指示で全員がいったんその場を離れようとする。しかしその時、エリオットが落ちていた木の枝を踏み折ってしまった。

 ごきごきとアーロンが首を巡らす。

「はっ、侵入者のようだな。いけよ、《猛将の眷属(クレイジー・ブリード)》!」

 見つかってしまった。各個散開して、猛将一派との激しい戦いが始まる。

 胸元のばっくり開いたブラックドレス姿のエマと、清楚なブルードレスに彩られたヴィータが舞台上で派手な魔法合戦を繰り広げる。

「ふふふ、善なる魔女ヴィータ。この()しき魔女エマが引導を渡してあげましょう」

「そうはさせないわ、いやらしき魔女め!」

「悪しきです、悪しき」

 一方ではスカーレットの法剣と、ジュディスのステラビュートが火花を散らしていた。

「オーホッホッホ! こぉのスカーレット様の剣撃から逃れられるなんて思わないことねぇ! ん可愛い子猫ちゃぁんっ!」

「ペラペラとうるさいわね! 負けられんないのよ、あんた達なんかに!」

 ジュディスの演技はさすがの一言で、大口を開けて高笑いするスカーレットもはまり役だった。火花を弾けさせながら連接刃が打ち合うアクションシーンは、大作映画もかくやと言わんばかりの大迫力である。

「うわわわ!」

「セクシー……ビームッ!」

 エリオットはセクシーアサシンのリーシャに追いかけられていた。

 指を組み合わせて胸前で作ったハートマークから光線――多分何かしらのアーツ――が放たれる。

 アーロンプロデュースの衣装は布面積が異常に少なかったが、そこは女優のプロ意識で割り切っているらしい。

 照れの一切ないセクシー技の大乱発だ。ローリングセクシー大回脚なる究極奥義は、ナーディアがスウィンの目を覆うほどに悶絶セクシーで、もはやセクシーの定義がわからなくなるくらいに超絶セクシーだった。

「追い詰めたぜ、猛将アーロン! フィー姫は返してもらう!」

「ふん、下賤の勇者が。返り討ちにしてくれるわ」

「助けてー」

 フィー姫の棒読みの叫びが戦いの合図になった。

 勇者クロウの双刃剣と猛将アーロンの二刀がぶつかり合う。

 紙一重をかすめるような剣捌きに、食い入るように見ているスウィンが感嘆の声をもらしていた。

 わずかな隙を見逃さず、クロウの一閃がアーロンの二刀を同時に弾き飛ばした。

「おのれ……っ」

「ここまでだな、猛将。さあ、これで終わりに――っ!?」

 とどめを刺そうとしたクロウが、突然のめまいに襲われ膝をついた。彼だけではない。ヴィータもジュディスも倒れてしまう。

 立っているのはエリオットだけだった。なぜか彼はバイオリンを演奏している。

 そのエリオットを前にして、アーロンたちは(かしず)いた。

 彼はバイオリンを手放すと、その雰囲気を一変させる。

「この程度の輩にどれだけ手間取っている。後ろから見ているのも飽きたわ。我の時間を無駄にするな」

 その台詞がエリオットから発されたものだと、クロウはすぐに理解できないようだった。

「エ、エリオット? お前、なんの冗談なんだよ。なあ、どうなってんだ――がっ!?」

「蠅め」

 エリオットはクロウの頭を踏みつけ、踏みにじった。

「我こそが猛将エリオット・クレイジーなり」

 荘厳かつ支配のバックコーラス。レッドライトがエリオットを赤く暴力的に染め上げる。

「気づかなかったようだな、夜ごとに弾いていた弦の音色が貴様らの感覚を麻痺させていたことに」

「ふざけんな……俺とお前はダチじゃなかったのかよ! 立派な演奏家になるって夢は嘘だったのかよ!」

「我に友など不要。演奏家? 反吐が出る。バイオリンなどくびれに情欲を催すだけの道具、否、性具に過ぎぬ」

「信じていたダチを騙して裏切るなんざ、人として最低だぜ! 相手がどんだけ傷つくかわかんねんのか!」

 クロウ・アームブラスト、渾身の主張だった。どんな気持ちでその台詞を叫んだのかは本人のみぞ知るところである。

「苦悩に満ちたその顔こそが我を歓喜に震わせる。それと我は人ではない。神だ。猛将神クレイジーと呼びならわせ」

 エリオットの指先がプルプル震え、歪む口の端がピクピク痙攣している。あれは相当無理をして演じているのだろう。

「お前に正義はなかったのか!? 平和な国を作るんじゃなかったのかよ!」

「正義も平和も所詮は人の価値観よ。統治者が変われば価値観も変わる。今後は我が基準になってやろう。力こそ正義、血に染まってこそ平和。ガキ共の教育科目には暴力と蹂躙を追加してくれるわ」

「ク、クレイジー……ッ!」

 無慈悲な猛将の足の下で、悔しげにうめくクロウ。絶望の光景の中でトワのナレーションが入る。

 

『猛将エリオットが王国に単身で乗り込んでいたのは、国家転覆の前段階として、《猛将の眷属(クレイジー・ブリード)》を増やすためでした。ついに破滅へのカウントダウンが始まってしまったのです』

 

「今頃は王国も火の手に包まれていよう。勇者どもを欺く演技は中々であった。貴様らには《破壊の四柱(デストロイフォース)》の称号をくれてやろう」

『はっ、ありがたき幸せ』

 アーロン、エマ、スカーレット、リーシャが頭を垂れる。

 彼らを率いて、エリオットは王国への進軍を始めた。

 クロウたちは鉄の足枷をはめられ、別室へと連れて行かれしまった。再教育が施されるという。

「助けてー」

 フィー姫はそれしか言わない。

 多くの軍靴の音が響き、燃え盛る炎が背景に踊る。

「今日をもってウェイスター王国は滅ぶ。以降はクレイジー帝国となり、戦乱の時代の幕開けとなるだろう!」

 エリオットの哄笑と民草の嘆きが重なり、さらに猛々しくなるバックコーラスの中で、幕が静かに下りていく。

 その幕には『第一部、《魔王の凱歌(ルシフェンリート)》 完』と記されていた。

 

 一応、パチパチと拍手するリゼット。

 第一部って何部作まであるのだろうか。救いのなさ過ぎる物語だが、二人は満足したのだろうか……?

 スウィンとナーディアに目を向けてみると、 

「なんか激しいストーリーだったな。だがアクションはすごく良かったし、殺陣なんか間合いの取り方が本格的だ。勇者パーティもここで退場とは思えないし、これはちょっと先が気になるな……」

「うんうん、スペクタクルもバイオレンスもエロスもあって、なーちゃん大満足! 監督さんの指導がいいのかな。何気にみんな演技上手いよね~」

 意外にも高評価だ。作品の感想や考察を楽しげに言い合っている

「面白かったな~、ラーちゃんも呼んでくれば良かったかな?」

「さすがにラピスには早いだろ、この内容じゃ」

「ねえ、お腹空かない? ラーちゃんに会いに行くついでに、ご飯も食べようよ」

「確かにポップコーンだけじゃ物足りないか。ああ、行こう」

 座席から立ち上がったところで、スウィンは思い出したように言った。

「――っと、忘れるところだった。楽しませてもらったし、これを渡さなきゃな」

「あ、そうだった。総支配人さん、受け取って」

 リゼットは二人から《エインヘリヤルの霊珠》を渡される。しかも複数だ。

「まず一つは総支配人さんにあげる。あとはそうだね~、監督をやったっていう二人と、魔女の二人と、あとセクシーアサシンにもあげちゃおうかな。もちろん不遇の勇者クロウにも。フィー姫は……『助けてー』しか言ってないし、やめとこう」

「なるほど。ではご指定の役者たちに渡して参ります。……あら? 一番存在感のあった猛将クレイジーの名がありませんが」

「猛将役の人は本気でヤバそうだからダメかな。成立しなくなると困るし」

「成立……?」

 

 ●

 

 スウィンとナーディアもレストランにやってきた。ラピスを含めた三人で、中央の大テーブルを囲んでいる。

「追加オーダー入りました!」

 メモを片手にウェイターのクルトが厨房に駆け込んできた。メニューを読み上げるのは同じくサーブを担当するヨシュアだ。

「まず“ラーちゃんを納得させるおいしい料理いっぱい”に、“なーちゃんが笑顔になるようなデザートとオリジナルドリンク各種”。あと“すーちゃんの体作りのための肉料理――ただしムキムキ過ぎるのはダメなので、適度な感じがいいのです”をお願いできますか?」

「なんですか、そのアバウトな注文は……」

 アニエスは頭を抱えた。絶対ナーディアちゃんだ。間違いない。

 さらに料理の量も質も求められ、キッチンの中は凄まじく忙しい。

「ふむ、作り甲斐があるというものだ。創作こそが料理の真髄だからな。皆、私の指示で動いてくれるか?」

 しかしラウラはまったく動じることなく調理台の前に立った。

 元々清掃チームに配属されていた彼女は、レストランチームの苦戦を聞いて、改めて自ら名乗りを挙げたらしい。

 リィンたちトールズ男子組が必死に説得していたが、彼女はそれを押し切って参戦してくれたのだ。

 そこまで彼らが反対した理由は不明だ。ただラウラが厨房入りした時、クルトはかちかちと歯の根を鳴らしていた。

 実際のところラウラの手際は良く、彼女の指揮の下で作業効率は上がっている。次々と料理が出来上がった。

 メインの盛り付けをしながらレンが言った。

「アニエスも配膳側に入ってもらえる? ヨシュアとクルトさんだけじゃ手が回らなくなりそうだわ」

「わかりました。すぐに行きます」

「ウェイトレスなアニエスだから……ウェイトレエスで」

「そうまでしてエスに繋げたいですか」

 レエスって。そこを無理やり伸ばさなくても。

 完成した皿を手に、ラピスたちのテーブルに向かう。バターが香り立つサモーナのムニエルを運ぶと、ナーディアがアニエスに反応した。

「あ、2号――じゃなくてあーちゃんだ! レストランでも働いてるんだね~」

「こんにちは、ナーディアちゃん。お食事の味はどうですか?」

「おいしいよー。特にこの豚――」

「豚料理?」

「“豚と罵って、ご主人様。そのトゲトゲの栗をわたくしめに投げつけて下さい”って名前のモンブランケーキは絶品だねぇ」

「ネーミングが狂気なんですが」

 ミュゼさんのセンスだろうか。あり得そうだ。

「ああ、ナーディアが世話になったんだってな。聞いてるよ。迷惑をかけた」

「すーちゃん、そういうのいいから~」

 妹扱いが気に入らないのか、そう言ったスウィンにナーディアはむくれた顔を向けた。

「うん、91点よ! バターの風味が最高ね!」

 その折、サモーナのムニエルを平らげたラピスが、また採点を下していた。かなりの高得点だ。

 いい流れが来ている。このままいけば満点が出るかもしれない。

「わお、じゃあラーちゃん、こっちのショートケーキは?」

「93点! スウィンも食べて!」

「オレは甘いのはちょっとな。その豆の炒め物を取ってくれ」

「なーちゃんはいっぱい食べる人が好きだな~、すーちゃんにはいっぱい食べて欲しいな~」

「スウィンが食べない分は私が食べてあげるわ!」 

「食べないわけじゃないぞ。……そのローストビーフはうまそうだな」

 仲の良い三兄妹に見えてきた。彼らは和気あいあいと食事を楽しんでいる。

 軒並み高得点が出始めた。昨日までとはラピスの表情が違う。

 もしかしたら彼女は味だけを求めていたわけではなく、団欒の雰囲気の中で食べたかったのかもしれない。やはり必要なのは満腹ではなく満足だ。

 ご飯はみんなで食べたほうがおいしい。それはアニエスにも理解できた。

 思い返せば、自分一人での食卓が少なくなってきたのは、ヴァンたちと知り合ってからだったか。

「皆さん、今が好機です。ここで最高の一皿を提供すれば100点がとれるかもしれません!」

 厨房に戻ってアニエスは言う。

「わかりました。さあクローディア殿下、今度こそ女体盛りの出番ですよ」

「や、やりませんから!」

 ミュゼのハレンチな提案を、クローゼはぶんぶんと首を横に振って拒否した。

 女体盛りなる秘密兵器の正体をクローゼは知ってしまったのだ。

「よっしゃ見てろよ。トヴァル特製“仔ボアのTボーンステーキ&サワークリームマッシュポテト、頼れるお兄さんのフルコンプリートエディション”を仕上げてやる」

 トヴァルのコンロにフランベの炎が躍る。

「負けてられないわね。レン特製“ルーアン産マドリガル白エビのカルパッチョ、ロレント式焦がしキノコソースを添えて”を披露するわ」

「こ、こっちはユウナ特製“オムライスオブクロスベルのフレアネスハートケチャップによるヴァリアントチャージ的な何か”!」

 特製合戦が始まった。全員がとっておきのファイナルディッシュを用意する。料理名が無駄に長い。そしてそれに対抗しようとしたユウナが盛大に失敗している。

「では私はこれにしよう。至高にして究極の一品だ」

 最初から仕込んであったらしいボリューム満点のデザート盛り合わせが登場した。そこにラウラが調合したという、オリジナルのフルーツソースがふんだんにかけられた。

 クルトが料理を取りにキッチンに来るや、その全身がカタカタと震え出す。

「こ、これは……《エクストリーム・ラウラマウンテン》では!?」

「ああ、男子たちには立食パーティーの礼として振る舞ったのだったか。ふふ……しかし同じと思ってもらっては困るな。これはそこからさらに改良を加えたものだ」

「改造……!」

「改良だ、改良」

 一人では抱えていけないので、アニエス、クルト、ヨシュアの三人がかりで慎重に大皿を運んでいく。クルトの表情は青ざめていた。

『わあ~!!』

 その《エクストリーム・ラウラマウンテン改》をテーブルに置くと、ラピスとナーディアは目を輝かせた。

「すごい、すごいわ! ねえ見て、ナーディア! フルーツが山みたいになってるの!」

「これは壮観だねぇ。すーちゃんはどう? テンション上がらない?」

「すごいとは思うが……今甘いのはちょっとな。二人で食べていいぞ」

 スウィンが言うと、ナーディアは自分の腹をさすった。 

「実はなーちゃんもお腹いっぱいで……デザートは別腹なんだけど、さすがにこれ以上は厳しいかな~。ラーちゃんはいけそう?」

「私は高貴なローゼンベルク人形よ!」

「うんうん……あー、いけるってこと?」

 ラピスは喜色満面でフォークをフルーツの一つに突き立てる。しっかりとソースを絡めてぱくりと頬張った。

「……がはっ」

「ラーちゃんから可愛くない嗚咽が出たような……大丈夫?」

 ラピスが白目に変わった。くるみ割り人形のように、口をガタガタと開けては閉める。

「あばばババッ、ひゃ、ヒャクテン……でイイから、ゆる、許しテ……」

「あ、あっ、ラーちゃんが壊れちゃった! ど、どうしよう、すーちゃん!」

「落ち着け。ただの食べ過ぎだろ。とりあえずベッドまで連れて行こう」

 スウィンとナーディアはラピスを抱えて席から立ちあがった。立ち去ろうとする彼らに特に異変は見られない。

 スウィンは闘技場で、ナーディアは劇場で、ラピスはこのレストランで、それぞれの望みは叶えたように思う。

 ラピスはよくわからないが、一応100点あげるとは言っていた。

「あ、あの。まだ満足していないんですか?」

 アニエスはスウィンたちに訊いた。

「え? 満足してるよ? 劇は面白かったし、ご飯はおいしかったし、ラーちゃんも楽しそうだったし」

「オレも色々な人に稽古をつけてもらってるしな。ありがたいと思ってるが」

「だったらどうして……」

 大窓から見える外界の霧が晴れた様子はなかった。

 やはりルーファスが主格者なのか。もしくは彼らに別の望みがあるのか――

 

 ●

 

 そういえば《パンタグリュエル》には“幻影”がいない。

 ミシュラムエリアには観光客が、工房エリアには従業員という形でトールズ卒業生たちが、ノルドエリアではレースのギャラリーや第三機甲師団の面々が創られていた。

 しかしこの艦内にはルーファスたち四人の“囚われ”だけしか存在していないようだった。

 艦の運用のためならブリッジクルーを、劇場や鳳翼館に配置したいなら娯楽施設の従業員を、それぞれ想像して創造すればいいだけなのに。

「ふむ、こんなものかな」

「う、嘘だろ……」

 キューを床に落としたランディは、ビリヤード台に両手をついた。

 ルーファスは涼しい顔で使い終わったキューの手入れをしている。

 攻略開始から一週間。カジノにはちょくちょくナーディアが遊びに来るくらいでヒマを持て余していたのだが、今日の午後になって、ふらりとルーファスが現れたのだ。

 警戒はしたが、あまり構え過ぎて不審がられるのもまずい。

 与えられた役割に準じてロイド、ランディ、エリィ、ティオ、ワジ、アルフィンの六名はカジノスタッフを演じることにした。

 カジノには遊戯コーナーもある。気分転換に来たというルーファスに応じて、ゲームの対戦相手を務めたまではいいものの、彼はすさまじく強かった。

 今しがたランディはビリヤード勝負で敗北したし、エリィはダーツ勝負で負けた。ティオは運頼りのルーレットで挑むも歯が立たなかった。

 ワジがディーラーや審判を務めたが、ルーファスはイカサマをしていないし、ランディたちも手は抜いていなかったという。

 単純に勝負勘が優れているのだ。

「まあ、時間潰しにはなったよ。では失礼する」

「待ってください。まだ俺と戦っていませんよ」

 カジノを出ようとするルーファスを引き留めたのはロイドだった。

「君なら私を楽しませてくれるのかね」

「退屈しのぎ程度なら」

「ではお相手願おうか。すぐに勝敗のつくポーカーにしよう」

 楽しむことが目的なのか? まだわからない。彼の望みを推し量るなら、接触できた今が好機だ。

「では場回しはわたくしが。ワジさんは休んでいてください」

 パンツスタイルにジャケット姿のアルフィンが進み出る。ディーラー仕様の皇女殿下だ。とにかく彼女はギャンブルに携わりたいらしい。

 どこで習得したのか、妙に玄人染みたリフルシャッフルを披露して、カードをロイドとルーファスに配る。

 手札は悪かった。ツーペアさえない。

「あなたは《パンタグリュエル》で何をしているんですか?」

 三枚のカードチェンジをしながら、ロイドはそう訊いた。

「何、とは難しいな。どう答えて欲しい?」

「ではあなたの望みは? 自らの退屈を埋めることですか?」

「さてね。スウィン君たちも楽しんでくれていればいいが」

「話をそらさないでくれ」

 強い口調で言ってしまった。エリィが我慢してと目で訴えてくる。

「君の名前は?」

「従業員13号です」

「では13号。君はクロスベルに縁のある人間か」

 どくん、と心臓が大きく脈打つ。

「なぜです?」

「怒りの感情がこもった目で私を見るから、そうかと思った。私の顔を知っていて、かつ深い憤りを抱くなら、それはやはりクロスベル関係者だろう」

「……推察の通り、俺はクロスベルで生まれ育った人間です」

「なるほど。ならば私に恨みを持つのは当然だ」

 俺はルーファス・アルバレアを恨んでいるのか?

 《クロスベル再事変》の顛末は承知している。彼なりの改心もあったのだろう。だからと言って、かつてクロスベルが受けた傷は癒えたわけじゃない。

 どうやっても割り切れない気持ちは残っていた。

「私はカードを二枚変えよう。さあ、ショーダウンといこうか」

「手札を開く前に聞いておきたいことが」

「どうぞ」

 優先順位は理解しているつもりだ。“囚われ”相手に詰問するのがナンセンスであることも。だけど、それでも。

 ユーシスがそうであったように、どうしても個人的に知りたいことがある。

「クロスベル侵攻をどう思っている。占領時下のクロスベルをどう思っていた」

「客観的に見て、あの状況での進め方は間違っていなかった。とはいえ、いくつかの不確定要素を甘く見積もっていたのは失策ではあったな」

「それだけですか?」

「納得してもらえていないようだが」

「俺が欲しい答えじゃなかった」

「だろうね」

「人は駒じゃない。あんたは未だに世界を盤上の遊戯だとでも考えているのか」

「怖い顔だ」

 ルーファスは懐から二つの《エインヘリヤルの霊珠》を取り出した。

「これが私の持つ最後の二つだ。聞いたところ、スウィン君たちも全部配り終わったらしい」

「……?」

「受け取りたまえ。君には“守るもの”の称号が相応しいだろう」

 ロイドは霊珠の一つを渡された。

 ルーファスは手元に残った最後の霊珠を手の平で転がしてみせる。

「なんの真似だ」

「私が気に入らないなら、私と戦うがいい。君の言う、その盤上の遊戯で」

 《エインヘリヤルの霊珠》が光り輝いた。押し広がる閃光に塗り込められ、視界が真っ白に染まる。

「何が起きた……!? みんな、大丈夫か!」

 風が吹き抜ける。屋内じゃない。外か。

 ロイドが目を開けると、そこは第五層の飛行甲板だった。

「強制転移……なのか?」

 振り向くと、先ほどまでカジノにいたエリィたちに加え、他のフロアにいたはずの多くのメンバーも一緒に転移されてきていた。

 しかし全員ではない。

 ヴァンに、リィンに、エステルに、ヴィータに、ガイウスに、ユーシスに――と見回していくと、彼らは皆どういう経緯かで《エインヘリヤルの霊珠》を入手した者たちだった。

 ふと足元に目をやると、甲板に格子状の線が走っている。攻略初日に発見はされていたが、意味のわからなかったラインだ。

 ルーファスから渡された霊珠が熱を帯びていた。さらには透明だったクリスタルが白色に染まっている。黒色に染まった霊珠もあるようだ。続けて文字が浮かび上がってきた。アルファベットだ。ロイドのそれは『R』と読み取れた。

「……これは……まさか。みんな、白と黒の霊珠ごとに固まってくれ。あと浮かんだ文字の読み上げを」

 戸惑いながらも動く一同。白黒で分かれたら、ほぼ半数になった。白が十六人、黒が十五人である。

「わたくしは白の“P”です」

 リゼットが言う。

「私は黒の“B”よ」

「私は白の“B”です」

 ヴィータとエマはアルファベットは同じで、色が違う。

「俺は白の“K”だな」

「オレは黒の“N”だぜ」

 ヴァンとアーロン。

「僕は白の“P”だよ」

「私は黒の“Q”ね」

 ワジとエレイン。

 途中まで聞いて、ロイドは確信を持った。

「チェスだ。間違いない」

 足元の枠線は10アージュ四方で、その正方形が8列×8列で並んでいる。大きさは桁違いだが、これはチェス盤のマス目だ。

 そしてK、Q、R、B、N、Pは駒の頭文字。そして駒の総数は黒と白で十六ずつ。

 人を使ったボードゲームということか……!

「さあ始めようか、盤上の遊戯を。駒は君たちと――」

 ルーファスは最後の《エインヘリヤルの霊珠》を自身の左胸につけた。黒のバッジに“K”の文字が浮き上がる。

「この私だ」

 

 

 ――つづく――

 




《話末コラム①》【マキアスが教えるチェスの基本ルール】

★チェスとは白と黒の駒をお互いに動かして、相手のキングを追いつめていくゲームだ。奥深い戦略と幅広い戦術が求められるぞ!
 作戦会議とかする時に司令官なんかがチェスの駒を盤上で動かしながら布陣を立案するシーンが描かれることがあるが、基本的にあれは雰囲気だけだ!

★チェスの駒は両軍共に16個あるんだ!
・キング(王)  ×1【全方向に一マス】
・クイーン(女王)×1【全方向に直進】
・ナイト(騎士) ×2【周囲八方向に跳躍】
・ルーク(城塞) ×2【前後左右に直進】
・ビショップ(僧)×2【斜め四方向に直進】
・ポーン(兵士) ×8【正面方向に一マス】

それぞれの駒が持つ特性を理解し、効果的に駆使することが重要だな!
それと相手に取られた駒はそれで終わりで、取った側も使うことはできないからな!
余談だがルークは元々は“戦車”を意味していたが、チェスが普及するにつれ、いつしか“城”や“砦”といった守護を象徴するようになっていったんだ。

★用語
・チェック…次の一手でキングを取りに行ける状態のことだ。これをされるとキングは逃げるか、仲間の駒で助けに入る必要がある。

・チェックメイト…チェックされ、逃げ場がどこにもない状態を示す。ちなみに『チェックメイト』と宣言するルールはないが、言った方がかっこいいぞ。言うときにメガネをクイッと上げるのがポイントだな!

・プロモーション…敵陣最奥に到達したポーンは、キング以外のどれかの駒に昇格できる。まあ、大体クイーンになるけどな。

他にもピン、フォーク、スキュア、キャスリングなど様々な用語やルールがあるが、それはまた次の機会にしよう! ……次の機会ってあるのか……?

 ●

《話末コラム②》【《エインヘリヤルの霊珠》によるチーム分け】

《白チーム》
プレイヤー:???
キング  :ヴァン
クイーン :アニエス
ビショップ:ティオ
ビショップ:エマ
ナイト  :リィン
ナイト  :ユーシス
ルーク  :ロイド
ルーク  :ベルガルド
ポーン  :ミュゼ
ポーン  :クルト
ポーン  :ワジ
ポーン  :クレア
ポーン  :デュバリィ
ポーン  :エステル
ポーン  :トヴァル
ポーン  :ランディ


《黒チーム》
プレイヤー:???
キング  :ルーファス
クイーン :エレイン
ビショップ:リーシャ
ビショップ:ヴィータ
ナイト  :クロウ
ナイト  :アーロン
ルーク  :ジン
ルーク  :アンゼリカ
ポーン  :ガイウス
ポーン  :ジュディス
ポーン  :エリゼ
ポーン  :アッシュ
ポーン  :ヨシュア
ポーン  :アルティナ
ポーン  :リゼット
ポーン  :サラ

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