黎明の軌跡 Break the Nightmare   作:テッチー

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第42話 ヴァルキリー・プロファイル

 攻め、守り、牽制。読み、駆け引きの応酬。

 マキアスとナーディアをプレイヤーに、チェス勝負は中盤戦に入っていた。

「クレア様も前線に出てきましたか。相手にとって不足はありません」

 黒ポーンのリゼットが、白ポーンのクレアと鉢合った。先ほどのサラとのポージング対決のダメージから、どうにかメンタルを持ち直したらしい。

「メイドの先輩として負けるわけにはいきません。勝負です、リゼットさん」

「わたくしはメイドではなくSC――というかクレア様も本職はメイドではないような……」

 ラピスが《ラタトスクの羅針盤》を掲げた。

「フィールドバトル!」

『フィールドバトル?』

 初めて出てきた言葉に、リゼットとクレアはそろって首をかしげた。

「フィールドバトルっていうのは、今二人が入ってるマスをいっぱいに使ったゲームよ。今回のお題は――“灼熱の床”!」

 ラピスがそう言うと、リゼットたちの足場が熱を帯びた。そのマスだけ(・・)の温度が上がっていく。

「先にマスから出た方の負けよ!」

「なるほど、いわゆる我慢大会であると」

 クレアは赤熱していく自分の足元めがけ、氷属性のアーツを放った。すぐに溶けて蒸発するが、わずかでも熱さは抑えられる。リゼットより長くマスに留まるだけならこれで耐えていればいい。

「小細工を弄してはならないというルールはありませんでしたからね。リゼットさんは水や氷のアーツはお持ちですか?」

「残念ながら今は装着しておりません。わたくしの《Xipha》のアーツドライバは補助系でまとめていますので」

「時間の問題、ということですね」

「そうなります」

 容赦なく上昇していく床の温度は、すでに70度近い。真夏の砂浜に素足で立ち続けるようなものだ。

 氷アーツを撃ち続けながら、クレアは不審に思った。

 リゼットが平然としている。とてもポーカーフェイスのままでいられる熱さではないはずだが。

「あ」

「ばれてしまいましたね」

 リゼットの足元に目を凝らして、クレアは気づいた。

 浮いている、微妙に。

 シャードの足場を作って、リゼットはそこに乗っているのだ。紙一枚隔てて、灼熱の床には触れていない。

 対してクレアのアーツは無限に発動できるものではない。EPチャージも持っていなかった。

「ず、ずるくありませんか」

「《ラタトスクの羅針盤》からは不正の判定を受けていません。これはありなのでしょう」

「…‥時間の問題というのは私自身のことだったと。ゲームの意図を読み、対応する力。それは自らが仕える主人の望みに応える力でもあります。……なるほど、シャロンさんの言う通り、リゼットさんならいつかメイドマスターの称号に届き得るかもしれません」

「いつの間にシャロン様とそんな話を……あとわたくしメイドでは――いえ、もうメイドで大丈夫です」

「少佐、クレア少佐ーっ!」

 プレイヤースタンドからマキアスが叫んできた。

「もういい、もういいんです。 早く盤外に出て下さい。これ以上少佐が苦しむところは見ていられません。勝敗なんてどうだっていい。僕はあなたが無事ならそれでいいんです」

「マキアスさ――熱っ」

「少佐が抜けたあとも僕は全力を尽くします。絶対に白軍を勝利に導いてみせます。だから、だから……僕を信じてギブアップして欲しいんです。僕は約束を守る男ですから。思い出して下さい、初めて僕らが出会った日のことを――」

「あの、それ全部お聞きした方がよろしいですか? 長くなります? もう出たいんですけど……」

 朗々と思いの丈をつづるマキアスを見やるクレアは、交互に足を入れ替えながら飛び跳ねていた。

 羅針盤の針がリゼットを指し示し、ラピスは判定を下した。

「黒のポーンの勝ちっ!」

 

 

《――★第42話 ヴァルキリー・プロファイル★――》

 

 

「クレア嬢が落とされたか。ポーンといえども戦略には欠かせぬ駒だ。惜しいな」

 豊かな顎髭をしゃくるベルガルド。

 同じマスに入ったアルティナが言う。

「おじいちゃんもチェスをするんでしたね。マキアスさんの采配はどうですか?」

「うむ。攻守のバランスに優れた良い差し手だ。年月をかけて研鑽を積み重ねたことがわかる。今度ぜひ対戦してみたいと思う」

 白のルークがベルガルド、黒のポーンがアルティナだ。

「勝負はポージングバトル、テーマは――」

 ラピスの手の中で回転する《ラタトスクの羅針盤》の針。その間にアルフィンとセドリックの実況が入った。

『ベルガルドさんは初戦もポージングバトルだったね。“マッスル”というテーマでジンさんに勝利したわけだけど……』

『これはお題に大きく左右されるわね。ところでセドリックはエリゼにどんなポーズを取って欲しいの? 女豹とか興味ない? ものすごい衣装の』

『以上、現場からの実況でした』

 セドリックが話を打ち切った直後に、ラピスからお題が発表された。

「テーマは“かわいい”!」

『なっ!?』

 と驚愕したのは、ベルガルドもアルティナもだった。二人とも激しく悩んでいる。

 外野からミリアムがアルティナを応援した。

「がんばってアーちゃん! アーちゃんはかわいいよ! ほら、ウサギのあれやろっ? ぴょんってやつ」

「く、くぅ……っ」

 迷って迷って、アルティナはやった。

「ぴょんっ!」

 

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 両手で耳を作って、アルティナはちょこんとジャンプする。ギャラリーから歓声が上がり、《ラタトスクの羅針盤》の針がアルティナに傾く。

「これは私には厳しいのだが……」

師父(せんせい)!」

 躊躇するベルガルドを応援したのはヴァンだ。

「負けないで下さい! かわいいは作れます!」

「う、うむ」

 苦悩は一瞬、ベルガルドは真剣勝負と割り切った。

「ぴょんっ!」

 

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 筋骨たくましい両腕で耳を作り、ダイナミックにジャンプ。着地と同時にズンと床が揺れる。控えめに言って魔獣とのエンカウントだ。

 ギャラリーからどよめきが起こる。「ベルガルドさん、最高ですぅ!」と声援を飛ばすのはサラだったが、もうその時点で羅針盤の針はアルティナ側に振り切れていた。

「72点対28点! 黒のポーンの勝ちよ!」

 全体割合の28点――すなわち28%は、おそらくサラ一人分の熱い気持ちが反映されていた。

 そしてベルガルドは、ウサギ型魔獣のポーズのまま盤外へと飛ばされていく。

 

 ☆

 

 ナーディアが攻めに転じた。

 黒ビショップのリーシャを一気に動かし、白ビショップのティオへとぶつける。

「アルティナさんにおじいちゃんがやられましたか。白軍としてはルークがなくなるのは痛手ですね。まあ、かわいい勝負ではさすがに分が悪かったでしょう」

「ここでティオさんを倒せば、エマさんに続いて白軍のビショップは二駒とも落ちることになります。削がせてもらいますよ、機動力」

 ラピスがぶんぶん両手を振り回した。

「テンポ上げていくわ! 次はフィールドバトル、“本物のみっしぃはどれだ”!」

『みししっ!』

 マスの中に八体のみっしぃが現れる。お決まりのポーズを取ったり、軽快なダンスを披露したりと様々だ。そして微妙に何かが違う。

「この中の七体は偽物ということですか。ほぼ同じなので見分けるのは困難ですね……」

「え、サービス問題ですよ、これ」

 困惑するリーシャに対して、ティオは何一つ動揺していなかった。

「くっ、ティオさんに先制されるわけにはいきません。私だってクロスベル住まい。みっしぃを見る機会は少なくありませんから。――そこ!」

『うわわ、つかまっちゃったヨ~』

 リーシャの投げた鍵爪がみっしぃの一体を捕らえた。ティオは首を横に振る。

「間違っていますよ、リーシャさん。そのみっしぃはヒゲが一本多いです。それに肉球が規定値より2リジュも大きいじゃないですか」

「え? え?」

「本物はあなたです」

 そのみっしぃの前に行き、ティオはそっと手を取った。

 すると彼女が選んだみっしぃ以外の姿が消える。拘束の解けた鍵爪が床に落ち、固い音を響かせた。

 勝負あり。あっさり飛ばされるリーシャ。

「私とリーシャさんで何が違うかお分かりですか? それは愛です」

 深くうなずいたのはラウラとエレインの《みっしぃ愛好同盟》である。同盟のメンバーであるユウナが気まずそうに目線を逃がしているのは、おそらく彼女だけが本物を見抜けなかったからだった。

 ティオとみっしぃは互いの手を合わせると、完璧に息の合ったダンスで勝利のポーズを決める。

『エンジョーイみっしぃ!』

 

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 ☆

 

「トークバトル、勝利条件は“相手を照れさせる”こと!」

 というお題がラピスから出された。

「灰の騎士ならぬ白の騎士(ナイト)ってか。戦場を駆ける将の一角を、名もなき兵士(ポーン)が潰すのも面白えよな」

「ずいぶん余裕だが、今のお題を聞いていなかったのか?」

 白ナイトのリィンと、黒ポーンのアッシュの対決だ。

「聞いてたぜ。俺が照れると思うか? 逆に教官殿は感受性豊かだからな。俺のセリフが演技とわかってても簡単に(ほだ)されて――」

「アッシュ」

「あ?」

 リィンは柔和な笑みを浮かべた。

「いつも生徒会長の激務をこなしてくれてありがとう。アッシュがいるから、俺も安心できるんだ」

「はっ、馬鹿じゃねえのか。そんな見え透いた持ち上げで照れるとかねーだろ」

「表面上は悪ぶっていても、本当は気遣いばかりする男なのはわかってる。そして気遣い自体を相手に悟らせないような大人の立ち回りをする。後輩の面倒見もいいと評判だ」

「はいはい、そりゃどーも」

「ユウナにクルト、アルティナにミュゼ。同期のみんなもアッシュを信頼してる。それはアッシュが積み重ねてきた全てだと思う。俺もそうだ。アッシュがいてくれて良かった。俺のクラスに来てくれて良かった」

「やめろよ、うぜえな」

「アッシュ……俺の教え子になってくれて、本当にありがとう」

「やめろって言ってんだろ! やめろよ!!」 

 絶叫し、アッシュは吹っ飛んだ。きっちり照れたのだ。反撃の機会すら与えられず、黒ポーンの敗北が確定した。

「まだまだだな、アッシュ」

 風にコートをはためかせるリィンは、強者の風格を醸し出していた。 

 

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 ☆

 

「やはり担当教官は強いね。跳ねっ返りを手玉に取る手腕は見事なものだよ」

 盤外に飛んでいくアッシュを見送りながら、アンゼリカが快活に笑っていた。

「アニエス君もそう思わないかい?」

「ええ、リィンさんがアラミスの先生でも人気は高かったと思いますよ」

「実際は複雑だろうがね。だが最終的にそうなるというのは私も同意だ」

 アンゼリカが言う複雑の意味は、アニエスも理解するところだった。

 帝国の英雄という肩書は、共和国にとっては脅威の象徴でもある。初見から色眼鏡で見られるのは間違いないだろう。

 だが彼の人格を知れば、きっと多くの人が偏見を解く。それはエレボニアとカルバードの確執を取り払う第一歩だ。

 いずれそうなる未来があればいい……。

「しかし生徒というなら、私にとってはアニエス君もそう呼べるね。何といっても私は発勁の先生だ」

「私としては、ゲーム内容がデュエルにならないことを祈るばかりですが……」

 純粋な戦闘になったら、私はまず間違いなくアンゼリカさんには歯が立たない。

 アニエスはラピスの手の中で回る羅針盤の針を見つめた。

 形はどこか似ているが、やはり《ゲネシス》ではない。《アンドヴァリの指輪》の力で消されたというのなら、あれは一体今どこにあるのだろう。

「決まったわ! あなた達のゲーム内容はファインドレース! 指定する物品は――」

 借り物競争だ。エマやヴィータのように転移術で探し回るわけにもいかない。

 何の因果か自分は白のクイーン。盤上における最強の駒。落とされたら一気に戦局が傾く。

 そしてアンゼリカは黒のルーク。防衛の要。ここで倒せば敵のキングへの道も開けてくる。

 ラピスがお題を発表した。

「“自分の大切な人が身に付けている物!”」

「っ!?」

 走りかけたアニエスの足が止まる。

 大切な人。無意識にヴァンの顔が思い浮かんだ。

 ヴァンさんが持っているものを借りに行く? でもそれをすれば“アニエスの大切な人はヴァン”という心情がみんなに知れ渡ってしまう。 

 じゃあ適当にフェイクでアーロンさんあたりを選ぶ? それだと今度は《ラタトスクの羅針盤》が“大切な人”という認識を読み取ってくれないかもしれない。いえ、大切ですけどね、仲間として。ただ大切の意味がヴァンさんとは少し違うというか。

 アニエスの逡巡の間にアンゼリカはスタートダッシュをかけていた。彼女の目指す先にいるのは――

「トワ! パンツだ!!」

 一秒も躊躇しないアンゼリカの凄まじい爆走。蹴足の勢いで派手に床が砕ける。盤外に飛び出すアンゼリカのスピードは音速を越え、ソニックブームを発生させていた。

 

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「パ……ッ!? え、なんで!?」

「大切な人が身につけている物というお題だからさ!」

「だったらリボンでもいいじゃない!」

「私は君のパンツを激しく所望する! 渇望と言い換えてもいいな!」

「やだよ! やだよう!!」

 逃げ回るトワを追い回し、ついには押し倒すアンゼリカ。見かねた周りが引きはがそうとしても、まったく意に介さなかった。

「わ、私も動かなきゃ……そうだ!」

 アニエスは観客のレンの元に走った。

「レン先輩のリボンを貸してください!」

「え、これはダメよ。というか“大切な人”ならヴァンさんのところにお行きなさいな。何を日和(ひよ)ってるのかしら」

「だ、だって、だってぇ……レン先輩……」

「そんな泣きそうな顔しないの。仕方ないわね。ほら、これを持っていきなさい」

 ずしっと渡されたのはレン愛用の大鎌だった。

「え、これですか? もっと他に運びやすい物がありそうな」

「あら、アニエスも私のパンツを持っていきたい?」

「大丈夫です、がんばります」

 スカートに手をかけようとしたレンに背を向け、アニエスはフィールド内に戻った。

 待って、この鎌すごく重い。先輩はぶんぶん振り回しているけど、取り回しにコツがあるのだろうか。

 《ラタトスクの羅針盤》はレンも“アニエスにとって大切な人”と判定したようで、やり直しは要求されなかった。

「黒のルークが全然戻ってこないわね。もういいわ。白のクイーンの勝利よ!」

 ラピスの機嫌次第で時間切れも発生するらしく、アニエスが勝った。

「やだやだああ!」

「眼福ぅ!」

 しかし勝負がついても、アンゼリカはトワに絡み続けていた。

 

 ☆

 

「――俺が教官になる前から、アルティナはずっと俺を支えてくれたよな。君がいるおかげで今の俺があるんだ」

「そんなの別に大したことでは。前半は任務のようなものですし、感謝されるいわれもありません」

 リィンはアルティナの頬にそっと手を添えた。まっすぐに彼女の目を見つめる。

「わかってるさ。でもこれだけは言わせて欲しい。どんな時も俺のそばにいてくれて……ありがとう」

「っ!」

 耐えきれずに視線を逸らすアルティナ。

「白のナイトの勝利ー!」

 ラピスの宣言。

「ああああっ――あうっ!?」

 盤外に飛ばされたアルティナを、ミュゼとユウナがしっかりと抱きとめる。

「危ないところでしたね。ユウナさんのおっぱいクッションがなければ即死でしたよ」

「死なないわよ! 他の人たち死んでないでしょーが! 大丈夫、アル!?」

「あ、はい。おっぱいクッションのおかげで。……しかしリィン教官は強すぎですね。普段から言い慣れている人間の発言ですよ、あれは」

 教え子たちの責めるような視線には気づかないふりをして、リィンは息をついた。

 アッシュに引き続き、黒ポーンのアルティナとの勝負も、トークバトルで“相手を照れさせる”だった。

 仲間同士が駒となる手加減無用のチェス勝負。両軍の駒もかなり減ってきている。マキアスは安定した攻めの布陣だが、ナーディアも巧みな守りを展開していた。

 気になることは一つ。

「ルーファスさん……か」

 黒のキング。ナーディアはほとんど彼を動かしていない。ルーファスは自軍の陣地の最奥で、ただ戦局を静観したままだ。

 リィンはちらりとユーシスを見やる。彼も同じ白軍のナイトだ。最前線で連戦する自分と違い、ユーシスは前に出たり下がったりを繰り返しながら、戦闘を避け続けているようだった。もちろんその采配はマキアスによるものだが。

 チェスは終盤戦へと移行していく。だが白軍にしても黒軍にしても、勝つだけではおそらく意味がない。

 主格者を特定し、最終的にその望みを叶えなければ、霧が晴れることは永遠にないのだ。

 

 ☆

 

「白のビショップと黒のナイトの戦いねえ。めぐり合わせの奇を感じてしまうわ。クロウはそう思わない?」

「別にゲームが進めばぶつかる率も増えんだろ。不思議じゃねえな」

「ロマンがない男はモテないわよ」

「よく言うぜ。お前こそリアリストのくせに」

 対角線上に距離を詰めてきた白ビショップのヴィータを、自陣に入られる直前で黒ナイトのクロウが止めた。

「お次はフィールドバトル、“ぬるぬるの床”! 勝利条件は相手より長く立っておくことよ!」

 ラピスが言った直後に、そのマスの足場にローションのような粘性の高い液体がにじみ出した。

「うおっ!?」

 さっそくツルンと滑りかけたクロウは、とっさに双刃剣を床に突き立てた。それを支えにして、どうにか耐えしのぐ。

「やっべぇ……体幹がどうとかの問題じゃねえな」

「あら、その方法はありなのね? ラピスに聞きたいのだけど、相手への妨害は認められているの?」

「そんなのしちゃダメに決まってるでしょ!」

 ラピスはぷんぷんと怒った。

「もう一回聞くわね。可愛い可愛いラピスちゃん。相手への妨害を認めて欲しいの」

「認めちゃう!」

「おおい!」

 可愛いはチョロワードなのだ。

「でも相手の体に直接触れたり、攻撃したりはさすがにダメだから」

「その辺は弁えてるつもりよ。魔術も使わない」

 ヴィータは足を滑らせないように、慎重にクロウに近づいた。そして足元の液体を手のひらですくうと、それを双刃剣の持ち手にトロトロとかける。

「あっ、ヴィータてめえ!」

「ふふっ、ぬるぬるよ。ぬーるぬる」

「卑怯なことやりやがって……!」

 クロウの手がずるっと柄から抜けかけた。さらにヴィータは追いぬるぬるを仕掛ける。すくった液体をかけては、それを上下にこすりながら双刃剣に塗り込んだ。

「どう? もう限界なんじゃない? あらあら、プルプルと前かがみになっちゃって。どこまで我慢できるか楽しみ。すごぉく楽しみよ」

「くぁっ」

 ヴィータの指と指の間に糸が引く。そのニチャァとした音を、妖艶な手つきでクロウの耳元に近づけた。

『こ、これは僕たちは一体何を見せられているんだ』

『境界線の向こう側よ。ねえねえ、セドリックはエリゼにああいうコトされたいとか思うの?』

『以上、現場からでした』

 またセドリックがアルフィンの実況を打ち切った。

 その最中でもぬるぬるは続けられる。あわやクロウの敗北は決定的かと思われたその時、意外なことで勝負はついた。

「あんっ」

 もうひとすくいと腰をかがめたヴィータが、足を滑らせて普通にこけたのだ。

 上目遣いでクロウを見ながら、彼女は手の中のぬるぬるを自らの胸の谷間にとろぉーっと滴らせる。

「あーあ、負けちゃった。これじゃもう立てないわ。あなたは逆に立っ――」

「早くコイツを盤外に追放しろ!」

 

 ☆

 

「違うぞ、エリゼ。不可抗力なんだ」

「……私はまだ何も言っていませんが」

 兄妹対決だ。ここまで鮮やかな連勝で進んできた白ナイトのリィンと、トヴァルの精神を完膚なきまでに叩き潰して完全勝利を収めた黒ポーンのエリゼである。

 同マスにエリゼが入ってくるなり、リィンはなぜか言い訳を始めた。

「さっきのクロウとクロチルダさんのやり取りはな。勝敗の行く末を見定めるためにも目を逸らすわけにはいかなかったんだ。やましい気持ちはないぞ」

「ですので私は何も言っていませんが。兄さまのえっち」

「待ってくれ、誤解だ。弁明の機会を与えて欲しい」

 すでにタジタジのリィンに、ふんと鼻息を鳴らすエリゼ。アリサとラウラは盤外からリィンをにらんでいる。

「行くわよー! あなた達はトークバトル、テーマは“相手の心を折る”!」

 ラピスからのお題に、二人は戸惑った。

「お、俺がエリゼを……!?」

「トヴァルさんならともかく、兄様の心を折るだなんて……」

 だが手加減はできないルール。どうなるのかと皆が固唾を飲んで見守る中、先に動いたのはエリゼだった。

「私、兄様のことが嫌いです……っ!」

 時が凍った。

 わずかな静寂のあと、リィンは吐血した。

『こ、これは大ダメージ不可避ー! ついに剣聖が墜ちて――』

『待ってセドリック、エリゼの様子もおかしいわ!』

 実況組が異変に気づく。

 エリゼも膝をつき、憔悴した様子で激しくえづいていた。

『まさか……ご懐妊かしら』

『言った側のエリゼさんもショックを受けたってことだろ! いい加減にしろよ、アルフィン!』

 リィンとエリゼはうなだれ、

「……キラ、イ? 俺ノコトヲ……えりぜガ……?」

「ゴメンナサイ、兄様……私、ソンナツモリジャ……」

 処理しきれないショックのせいか、二人とも初期ヴァリマールのような発語になってしまった。

「あっ、《ラタトスクの羅針盤》が50点対50点(フィフティ・フィフティ)を示してるわ。よって引き分け! 両方ドーンよ!」

 それぞれ反対方向に飛ばされる。

 最愛の兄に嫌いと言い、最愛の妹に嫌いと言われ、二人の心は砕けた。

 

 ☆

 

 前進する白ポーンのランディを、軽快な駒運びで黒ナイトのクロウが阻む。

「っと、これまで狙われなかったんだが、ここでつかまっちまったか。つーかローションまみれのままとか、大丈夫かよ?」

「大丈夫か大丈夫じゃないかで問われたら、大丈夫とは言えねえな」

 ベッタベタのクロウである。

「こんな状態でデュエルとか当たったら最悪だ……トークバトルとかがいいんだが」

「俺もヌルヌルのお前さんとなんかやり合いたくねえよ。お触りなしの方向性で頼むぜ、ラピス」

「私が決めてるわけじゃないんだから知らないわよ! えーっと……あ、でもトークバトルよ。お題は――“ゼムリアあるある!”」

 あるある系のネタで、どちらがより多くのオーディエンスを納得させられるかが勝敗に直結するポイントだ。

「先手必勝! 俺から行かせてもらう! “執事とかメイド、大体めちゃくちゃ強い”!」

『おお~!』

 クロウの繰り出したあるあるは、かなりの同意を得ていた。シャロンはもちろんのこと、アルバレア家の執事であるクラウスなんかも手練れだ。

「どうよ、これに勝るもんを出せるか!?」

「さすがはクロウだ。切り口が鋭い。だがよ……そんなもんか?」

「なに!?」

「よく聞け、全員の共感を得るであろう俺の魂の一撃を」

 すぅーと息を吸って、ランディは叫んだ。

「“眼鏡かけたやつは大体黒幕”!!」

『それだあ!!』

 まさしくトップオブゼムリアあるある。尚、裏切り眼鏡カテゴリーにはゴーグルも含まれる。

 カルバードチームはよくわかっていない様子だったが、リベール、クロスベル、エレボニアの三国はこれ以上ないくらいに深く首をうなずかせていた。

「判定! 89点対11点で白ポーンの勝ち!」

 クロウが飛ばされたその時、チェスフィールドに殺意の渦が充満する――

 

 ☆

 

 ――残る駒が削れていく。自軍、敵軍問わず、盤上の駒が少なくなれば、キングへと攻め入るルートが開いてくる。

「ヴァン」

 殺意の中心はエレインだった。あと一手で白のキングのマスへと突撃できる。

「させません。ヴァンさんは私が守ります!」

 その進路にアニエスが割って入った。構わずエレインは直進。

 白のクイーンと黒のクイーン。互いに一つずつしか有さないチェスにおける最強の駒同士が対峙した。

「退いた方がいいわよ、アニエスさん。自分でもわかる。今の私は制御が効かない。立ちはだかるなら粉砕する」

「ふ、粉砕? だとしても退けません。私はキングを守護する白のクイーンです!」

「あなたばかり良い役回りね」

「え?」

 エレインの視線がちらと、アニエスの左薬指につけられた《アンドヴァリの指輪》に向けられた。

 感情の渦を吸い上げているのか、《ラタトスクの羅針盤》の針がかつてないほどの速さで回転する。

「わ、なにこれ。えーっとトークバトル? テーマというか勝利条件は……“自分の好きな異性のタイプを宣言すること”……だって?」

 ラピスは首をかしげながら言う。

「はぇ!? どうしてそんな……! どうしよう……その、頼りがいがあって、ぶっきらぼうでも優しくて――」

「ヴァン・アークライドよ」

 口中を濁すアニエスに押し被せるように、エレインが言った。

「だから私の好みのタイプはヴァンよ。好きでもない人と付き合ったりはしないでしょう。これでいいかしら」

「あ……」

 アニエスの気は動転した。

 二人の雰囲気からして察するところはあった。そうかもとは思っていた。元恋人同士。

 もしかしたら未来の自分はそのことを知っているのかもしれないけど、記憶の拡張を重ねても、今保有している龍來(ロンライ)からの帰り時点の記憶では、まだ知りえない事柄だった。

 なんだろう、この気持ち。わかっていても、やっぱり知りたくはなかった。

 動揺する心。崩される精神の均衡。《ラタトスクの羅針盤》の針がエレインを指し示す。

「勝者は黒のクイーン!」

 アニエスが負けた。

 そして、違う何かでも負けた気がしていた。

 

 ☆

 

 肌を貫く殺気。エレインの動線上にヴァンが位置している。

 一マス動けばひとまずは凌げる。しかしマキアスはヴァンではなく、他の駒を動かした。

「おい! 俺が――キングが狙われてんだぞ! 誰かカバーに入れねえのか!?」

「クイーンのアニエスさんがやられたんです。ヴァンさんの直援に出すほど駒に余裕はありませんよ」

「お前がクレア少佐の周りにばっかり布陣したからだろーが!」

「愛に殉じただけ、と言っておきましょうか」

 悪びれた様子もなく、マキアスはくいっとメガネのブリッジを押し上げた。あのクソプレイヤーめ。

「もちろんキングが落とされたらそれでお終いですから、ヴァンさん自らで戦って下さい。その間に僕は次の布石を打ちます」

「信じるからな……!?」

「来ちゃった」

 思いのほか優し気な声音に、ヴァンの全身に冷たい汗が噴き出す。

 黒のターンに移り、エレインが同じマスにゆっくりと入ってきた。抜き身の剣が怪しい光をまとう。

 ついに黒のクイーンと白のキングの勝負が始まろうとしていた。

「お、落ち着こうぜ? そうだ、トークバトルがいい。平和的な会話でじっくりと話し合おうじゃねえか」

「デュエルデュエルデュエルデュエルデュエルデュエルデュエルデュエル――」

「怖えよ!」

 呪詛の呟きみたいになっている。

 そして《ラタトスクの羅針盤》がゲーム内容を決定した。

「勝負は――デュエル!」

『!!』

 電光石火の切り込み。《ローエングリン》で側面に回ってきたエレインを、ヴァンはすかさず《マグナスラッシュ》で打ち払う。

 ナイトソードとスタンキャリバーの刃が触れた瞬間に、互いにシャードブーストを発動。散る火花に交じって霊子装片が弾けた。

 もはや是非もない。腹を括って戦うのみだ。

「ったく、大盤振る舞いだぜ!」

 右指弾で普段より多めの《コインバレット》を放つ。飛ばした銀貨の弾丸をエレインは斬撃の一閃で切り刻んだ。

 まだだ。今度は左指で追撃の《コインバレット》。しかしエレインの足元に展開したシャードによる高速移動で避けられる。

 急制動で止まったエレインは、《Xipha》でアーツの駆動準備に入った。

「見逃すと思うか!」

「こちらの台詞よ」

 三連続目の《コインバレット》で駆動中断を狙うが、先に《セイントアロー》を撃たれた。

「は!?」

 一直線に駆け抜けてくる光の矢が、射線上のコインを根こそぎ蒸発させる。

 駆動が早すぎる。なんのホロウコアをセットしているのか知らないが、駆動時間短縮効果があるのは間違いない

 しかも初級アーツに絞ることで、さらに発動が早くなっている。妨害が間に合わない。

 続けざまに、間合いの外からの《シルヴァリークロス》が繰り出される。大気を裂く斬撃を、ヴァンは宙に生成したシャードの足場を駆け上がって飛び越えた。

 叩き落としの《レイジングバスター》を食らわせてやる。

「受けやがれ!」

「あなたがね」

 床をぶち抜いて突き上がる《シャドウスピア》。とっさに空中で身をひるがえして、ヴァンは漆黒の穂先を避けた。受け身も取れずに右半身から床に落ちる。

 容赦はなかった。体を起こす時間も与えてもらえず、《シャドウスピア》に連続して襲われる。這いつくばったまま、ゴロゴロと回って避けるしかなかった。

「このアーツ即死効果があんだぞ! 俺のこと好みのタイプだとか言ったくせに殺すつもりか!」

「それとこれとは別の話。一回死んだらいいんじゃない? いいえ、死になさい」

「秘密暴露の件は出まかせが的を射ただけだ!」

「過程は関係ない。結果が全てでしょ」

「過程は大事だぜ! 相手の背景を知ってこそ理解できるっていうか、な!?」

「どの口が言うの……! 過程なんか全部ないがしろにして、私には結果だけを押し付けたくせに!」

 またアーツ駆動。妨害が間に合わないなら、下手に攻めずに後の先を取ってやる。

「……ん!?」

 駆動時間が長い。しまった、はめられた。

 身構えたヴァンの足元に土石が湧く。戦闘フィールドである一マス全てを覆い尽くすほどの大地の鍵爪が八方向からせり上がり、瞬く間に天頂を閉ざした。

 これは上級アーツ――《タナトスジェイル》だ。

「A級遊撃士の戦闘センスってか。こんな程度で俺を仕留められると思うんじゃねえ、エレ公が!」

 スタンキャリバーを地に突き立て、大出力の稲妻を発生させる。大地の檻の内側に縦横無尽の電撃を走らせた。

 削り散れる砂塵の中で、ヴァンは静かに拳を構えた。

(はっ)!」

 ベルガルド直伝の発勁。《蒼破崩拳》で岩地の壁を一点突破。

 崩れていく岩肌の向こうから、それを読んでいたエレインの特攻が迫っていた。

 襲撃の《ナイツ・オブ・アステリア》と、迎撃の《ヴァンダライズレイド》の大激突。

 二人を中心に爆ぜた衝撃が、崩壊する《タナトスジェイル》の残骸を完全に吹き飛ばした。

 周囲を震撼させながら、ヴァンとエレインは鍔迫り合いで拮抗した。

「さっきの台詞は暴露のことじゃなくて、高校での不義理のことだよな!? 許してくれるなんざ思っちゃいなかったが、こないだミシュラムで謝っただろ! やっぱ怒ったままだったのかよ!?」

「謝られた以上はもう責めない! でも理由までを聞かせてもらっていないから納得はできてない!」

「そりゃ当然だ!」

「だからこの場で言いなさい! それで私の秘密をばらしたことはチャラにする!」

「それは……」

「できないの!?」

「いや、言う。それで不義理を少しでも清算できるなら。それでお前が納得してくれるなら……!」

 不意にエレインの剣圧が落ちた。

「……私、なんて性格が悪いのかしら」

「あ?」

「あなたから教えてくれるまで待つつもりだった。話せない事情があるんだろうからって。さっきのは多分……ちょっとした意地悪。私は今もあなたの言葉を待つつもりでいる。いつかちゃんと話してくれるって信じてる」

「お前……」

「でもそれを知るのは、きっと私よりあの子のほうが早いんでしょう」

「……?」

 また剣の圧が強くなる。

「私とアニエスさんで、一体何が違うっていうの?」

 支離滅裂だ。なぜここでアニエスの名前が出るのか。

 だがエレインの中では一つに繋がっている話のようだった。

 そして彼女の剣から、全ての力が抜けた。

「ヴァン。私はね――」

「あ、判定出てる。53点対47点で白のキングの勝ちー!」

 エレインが何かを言おうとして、ラピスの判定に邪魔される。

 先の言葉を聞くことができずに、エレインは盤外へと飛ばされた。

 

 ☆

 

「どうにか耐えてくれたか……」

 エレインを退けたはいいが、ヴァンも力を使い果たしたらしく、膝をついてしまっている。

 マキアスは改めて盤面を視界に入れた。

 白チームの残存戦力は、キングのヴァン、ビショップのティオ、ナイトのユーシス、ルークのロイド、ポーンのランディの五駒。

 黒チームの残存戦力は、キングのルーファス、ポーンのガイウス、ポーンのリゼットの三駒。

 この最終局面において、駒数も駒力も白軍が勝っている。

 ナーディアがこのあとどう布陣してきても、黒のキングにチェックをかける道筋は頭の中でできていた。

 通常のチェスとは違うのでチェックメイトで勝負がつくわけではないが、連戦を仕掛ければ、いかにルーファスでも勝ち続けることは至難だろう。

 黒のキングはまもなく落ちる。だがその一手を担う駒はやはり――

「ねえねえ、白軍のプレイヤーさん」

「うん?」

 不意に声をかけられる。振り向いたマキアスの視界いっぱいに映ったのは、顔面に迫るトランクケースだった。

 

 ☆

 

 

【挿絵表示】

 

「ぶべらあ……っ」

 メガネのレンズを砕け散らせながら、鼻血を噴き出すマキアスがお立ち台から落下していく。

 その様子を、盤外からアニエスは目撃した。

 トランクケースを振り抜いたのはラピスだ。いつプレイヤースタンドに登ったのか気づかなかった。

「マ、マキアスさん!」

 マキアスの体はへの時にくずおれ、尻がびくびく痙攣している。

 すぐさまⅦ組の皆さんが駆け寄り、まずメガネの破片を拾い集めているが、その優先順位が正しいのかは私にはわからない。

 ラピスの行動は反則ではないのか? しかし《ラタトスクの羅針盤》はラピスに対して制限もペナルティもかけていない。

「負けないんだもん、ルーファスは!」

 マキアスを屠ったラピスは、お立ち台から飛び降りると、そのまま逃走してしまった。

 公正公平だから成り立っているチェス勝負だ。ルール無用にしてしまえば、ヴァンに勝ちの目がなくなってしまう。

 とにもかくにもアニエスはラピスを追いかけた。飛行甲板を舞台に人形との追いかけっこ。事態に気づいた何人かのメンバーもラピスを追う。

「来ないで! “べたべたの床”!」

 《ラタトスクの羅針盤》がチェスフィールドの外にも影響を広範囲に及ぼした。

 盤外にいた仲間のほとんどが粘着性の床に囚われてしまう。

「あ、危なかった」

 先に走り出していたアニエスは、べたべたフィールドの効果外だった。

「止まって、ラピスちゃん!」

「いやよ! 絶対止まらない!」

「止まって、可愛いラピスちゃん!」

「わかったわ!」

 急ブレーキでラピスは止まる。

「はぁはぁ……お、追いついた……とりあえずチェスが終わるまで変な横やりを入れさせるわけには――っ!?」

 反射的に飛び退く。アニエスの眼前を刃風が擦過した。

「スウィン君……!」

「ラピスに危害は加えさせない」

 アニエスの前にスウィンが立ちはだかった。双剣の切っ先を突き付けられる。

「ありがとう、スウィン!」

「あっ、待って!」

 ラピスが行ってしまった。スウィンを避けて追おうとした時、その進路の目線の高さにきらりと光る線が見えた。これは――

「勘が良いね~。あと数歩進んでたら小間切れだったのに」

「ナーディアちゃん!?」

「あれ。あーちゃんだったんだ」

 桃色のツインテールを揺らして、ナーディアがスウィンの横に立つ。彼女も黒軍のお立ち台から降りて来たのか。

「ナーディアちゃんはプレイヤーでしょう? こっちに来ていいんですか?」

「どうとでもなるよ。それよりも可愛い妹分のピンチを助ける方が大事かな~」

「ピンチって……でもこのままじゃ、ちゃんとしたチェスゲームにならないから、私は……」

「クマ男爵のことは感謝してるよ~。でもラーちゃんに手をだすなら、あーちゃんでも容赦しない」

 ナーディアはトライニードルを抜き出した。三本の針を指を間に挟んで、投擲体勢に構える。

「下がれ、ナーディア!」

「わわっ!?」

 スウィンが鋭く言うと同時、アニエスと彼らの間に死神の大鎌が降り落ちる。

「ダメよ、アニエス。会話ができるようでも二人は“囚われ”。正常な認識じゃない。正当性の有無に関係なく、ラピスを守ることを優先してる」

 軽やかな跳躍で登場したレンは、地面から引き抜いた大鎌を肩に担ぐと、アニエスのとなりに立った。

「レン先輩はべたべたの床は大丈夫だったんですか?」

「ラピスが何かしでかしそうだったから一応警戒はしていたのよね。アニエスの目的は二人を突破して、ラピスにチェスの余計な邪魔をさせない、でいいかしら」

「理解が早い……」

「誰だと思ってるのよ」

 スウィンとナーディアが《ARCUS》を取り出した。

「あら、《ARCUS》持ち。なら《ロア=ヘルヘイム》には1207年固定の枠で来ているということ。つまりヴァンさんとの縁じゃなくて、クロスベル再事変時の縁で呼び込まれているわけね」

 戦術リンクが二人を繋ぐ。

 臨戦態勢の相手と相対し、アニエスとレンは《Xipha》を携えた。 

「レン先輩、私たちも」

「もちろんこちらはS.C.L.M.(スクラム)で行くわよ。仲良し先輩後輩タッグの力を見せてあげましょうか」

 

 ☆

 

「ラピスにも困ったものだ。私は純粋にチェスを楽しみたいのだが」

「あなたがラピスに邪魔を指示した可能性もあるのでは?」

 ルーファスの目前のマスに、ユーシスが到達した。

「どうやって動いたのかな。白軍のプレイヤーは今しがたラピスに落とされたはずだ」

「意識を飛ばす寸前に、力を振り絞って俺をあなたの元まで運んでくれました。あいつは優秀です」

「戦略の手腕は見ていた。手練れのプレイヤーであることは認めよう。……おや」

 ルーファスは眉をひそめた。

「誰かと思えば使用人17号か。先日の風呂では世話になったね」

「こちらこそ得難い経験をさせて頂きました」

「大げさだな。背中を流したくらいで」

「そんな些細なことでさえ、やる機会がなかったのですよ」

 当たり前の兄弟なら、確かに大げさなことではなかっただろう。けれど当たり前じゃなかったから、俺たちは。

「君もチェスに参加していたのだな。そういえば《エインヘリヤルの霊珠》を君に渡したのは私だったか」

「ええ、最初からいましたよ。こうして目の前に来るまで気づかないとは、相変わらずあなたは人のことを見ない。それこそチェスの駒として見ていたのでしょう」

「どうかな。そうかもしれない」

 なんで真面目に答えてくれない。なんで真っ直ぐに俺を見ない。スウィンたちはそばに置くくせに。

 煙に巻くような曖昧な返答にも、ユーシスは苛立ちを覚えた。

「さて、黒軍のターンだ。君のマスに入るか入らないかは、こちらに選択権があるわけだが」

「また逃げるのですか? 病院からいなくなったみたいに」

 あるいは《逆しまのバベル》を自分ごと消滅しようとしたみたいに。俺にしてみれば、あれも逃げなんだ……!

「ナーディア君」

「なに~!? 今取り込み中~!」

 ルーファスはナーディアを呼ぶ。なぜか彼女はお立ち台から盤外に移動し、アニエスとレンと対峙していた。

「私にプレイヤーとしての権限移譲を」

「はいはい、あげるあげる~!」

 ナーディアが腕を振ると、ルーファスの手元にホログラムのチェス盤が出現した。

 プレイヤーの変更は可能なルールだったが、駒が差し手になることもできるのか。

「いいだろう。君の挑発に乗ろうじゃないか。()すばかりの王ほどつまらないものはない」

 その時、轟音が船体を揺さぶった。《パンタグリュエル》の艦尾側から、もうもうと黒煙が噴き上がっている。

「こ、これは? 何をしたのです……!?」

「さて。知らないよ、私は」

 今のは爆発なのか? 何が起きている。

 不測の事態に眉一つ動かさず、ルーファスは手元のホログラムを操作した。自分で自分の駒を進め、自らの意思でユーシスのマスへと足を踏み入れる。

「艦がどうなろうとゲームは続行する。勝負は勝負だ」

「目的はあるのに物事に執着がない。そこも相変わらずなのですね。上等です」

「怒りのみなぎる瞳だ。その感情がどこから来るのかには興味がある。……ところで17号。君は私に勝つつもりでいるのかね?」

 ユーシスは拳を握りしめた。

 そうだ。俺は真の意味で兄上に勝ったことがない。《黄昏》と《クロスベル再事変》を経ても、一対一で戦う場面はなかった。

 だから、俺は。今日、ここで。

「そのつもりでなければ、俺は今あなたの前に立っていませんよ」

 

【挿絵表示】

 

 

 ――つづく――

 

 

 

 




《話末コラム①》【現時点での両軍の戦況】

《白チーム》
☆プレイヤー:
♔キング  :ヴァン
♕クイーン :
♗ビショップ:ティオ
♗ビショップ:
♘ナイト  :
♘ナイト  :ユーシス
♖ルーク  :ロイド
♖ルーク  :
♙ポーン  :
♙ポーン  :
♙ポーン  :
♙ポーン  :
♙ポーン  :
♙ポーン  :
♙ポーン  :
♙ポーン  :ランディ


《黒チーム》
★プレイヤー:ルーファス
♚キング  :ルーファス
♛クイーン :
♝ビショップ:
♝ビショップ:
♞ナイト  :
♞ナイト  :
♜ルーク  :
♜ルーク  :
♟ポーン  :ガイウス
♟ポーン  :
♟ポーン  :
♟ポーン  :
♟ポーン  :
♟ポーン  :
♟ポーン  :リゼット
♟ポーン  :

 ●

《話末コラム②》【アルティナがまとめる現在の状況】

☆チェス……両軍共に駒が減っていますね。ここでユーシスさんがルーファスさんにチェックをかけました。ゲーム内容が何になるか気になるところです。

☆盤外……マキアスさんの顔面を粉砕したラピスさんが逃走しました。これ以上の邪魔をされてはいけないのでアニエスさんが追いかけましたが、ラピスさんを守ろうとするスウィンさんとナーディアさんが立ちはだかります。
絶体絶命のアニエスさんにレンさんが加勢して、先輩後輩タッグで戦いに臨みます。

☆船倉……“銀の扉”が何かやらかしてる気がします。

☆船尾……爆発しましたね。今のところ原因不明です。大きい戦艦は大体爆発するらしいです。

☆皆さん……ラピスさんの《ラタトスクの羅針盤》の効果が発動して、チェスフィールド以外の広範囲の床がベタベタになり、大勢が動けなくなってしまいました。害虫ホイホイに似ています。
効果外に離脱していたアニエスさんとレンさんに加え、後方に位置していたとあるチームだけはベタベタに囚われていないようです。

☆主格者……結局まだわからないままなんですよね。こんな状況でそれが誰かを特定して、しかも願いを叶えるなんてできるんでしょうか。

こんな感じでいいですか。私もしっかりベタベタの床に囚われてるんですけど。

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