黎明の軌跡 Break the Nightmare 作:テッチー
艦低部からの突き上げるような衝撃に、《パンタグリュエル》が激しく上下に揺れた。
「なっ、なんだぁ!?」
エレインとの戦闘で体力を使い切っていたヴァンは、立っていられず床に手をつく。
艦の後部に立ち昇る黒煙が見えた。
「ヴァンさん!」
カトルが走ってきた。チェスフィールドの外から彼は言う。
「今のは内部じゃなくて外部から何かがぶつかった衝撃だったように思う。いずれにしても、あの煙の元がオーバルエンジンの不具合から来てるものだったらまずい。船倉に降りて確認してくるよ」
「待て。原因は外部の可能性が高いんだろ? 船倉からだと手が出せねえんじゃねえのか?」
「そうかもだけど、とりあえず調査しないことには……」
「いい方法がありますよっ!」
話に割って入ってきたのはフェリだった。
「外から回り込んで船体の確認をすればいいんですよね? これを使えばいいんですっ」
「体にロープでも巻き付けて降下とかか? 火災が起きてたら逆に危険だぜ――あ? なんでピックアップトラックがここにある……?」
フェリの後ろに俺の愛車があった。
「わたしの認識で呼び出しました。《ナイトブレイカー飛天》なら空を飛んでいけます」
「ダメだ、絶対ダメだ。ロクなことにならねえ予感しかない。つーか当たり前に召喚してんじゃねえ!」
“自分のものである認識なら呼び出せる”ルールなのに。
「……でも確かにこれしか方法がないかも。船倉チーム集合してもらえますか? 僕たちの出番です」
カトルの呼びかけで、アリサ、ノエル、ティータも集まってくる。彼らは観覧メンバーの後方にいたようで、ラピスが発動した“ベタベタの床”に囚われずに済んだらしい。
「このメンバーなら上手くいけば、状況によってはその場での応急修理もできるかもしれない。少なくとも原因は見極められると思う」
「だったら俺が行く。他のヤツに、ましてやフェリちゃんサンがいるのに任せておけるか」
「ヴァンさんは白軍のキングでしょ。盤上から出ちゃダメだって」
「く、くそ……っ。なら……ノエル! せめて操縦はお前がやれ」
「
びしっと敬礼するノエル。その返事が俺を不安にさせる。
早くも船倉メンバーたちがピックアップトラックに乗り込んでいく。
ヴァンの指示で運転席がノエル、助手席がカトル、後部座席の中央がフェリで、その両脇をアリサとティータが固める配置となった。
ウィングを展開、ボンネットとフロントバンパーを鋭角にスライド。両翼を広げて、飛行モードに変形した《ナイトブレイカー飛天》が発進した。発進してしまった。
「無事に戻ってこいよ……つーか戻せよ……」
懇願と怨念がこもった目で、飛び立つ愛車の後ろ姿を見送るヴァン。その視線を盤上に戻す。
白のナイトのユーシスと、黒のキングのルーファスが向かい合っていた。対峙する兄弟に、ラピスが《ラタトスクの羅針盤》を掲げる。
「あなた達の勝負のお題は――」
《――★第43話 今、鳥籠を穿つ★――》
「トークバトル! 勝利条件は“相手の心を揺らす”こと!」
ラピスが兄弟対決のテーマを告げた。彼女は近くの物陰に身を隠している。その状態で審判をやる気らしい。
「トークか……!」
くそ、デュエルが良かったのに。
やむなくユーシスは魔導剣の剣先をルーファスから下ろした。
だがこのお題は“相手の心を折る”よりもシビアな条件だ。平常心を保ち続けるというのは存外難しい。
表面の強がりや虚勢は《ラタトスクの羅針盤》がある以上、意味をなさない。
どうする。いや、やはり、ここは。
ユーシスは下ろしていた剣を、再び持ち上げた。
「どういうことかな、17号」
「剣で語るという言葉もあります」
ルーファスは並大抵ではない。言葉でどれだけ動揺させようとしてもうまくいくイメージが湧かない。
「私を戦いで制し、心を揺らそうと? ふむ、正しいと思う。全力で戦った末の敗北で、さすがに何も感じないわけはないだろうからな」
「そうでしょう。さあ剣を構えて下さい」
一対一で直接刃を交える機会は、《黄昏》を巡る出来事のなかでも、実はほぼなかった。
個人的にも、兄に今の自分が届くかどうか挑戦したい気持ちがあった。
「そう逸るものではない。それに――」
剣を下げたまま、ルーファスは無防備にユーシスまで近づいた。
そして、その耳元に
「は……!?」
「あっ、揺れた揺れた! 黒のキングの勝ちー!」
告げられた言葉を問い返す間もなく、負けたユーシスは盤外へと弾き飛ばされてしまった。
「さて、次の手は――」
「デュエルよ、ルーファス!」
ラピスが叫ぶと同時、弾かれたユーシスの陰から何者かが猛スピードで突撃してくる。
「高みの見物気分は早いんじゃないのか? 今はあんただって駒の一つだ」
ルーファスのマスに攻め込むや、トンファーを振り抜いたのはロイド・バニングスだった。
●
「すごい! こんな簡単な操作で空が飛べるなんて!」
ノエルは感激しているようだった。彼女の操縦で《ナイトブレイカー飛天》は、《パンタグリュエル》の側面から後方へと回り込んでいく。
高度計は2,000アージュを示していた。雲が下方を流れている。霧で視界は悪い。
まもなく原因と思われる場所に到達する。助手席のカトルは目を凝らした。
やはり艦底部のエンジン付近から黒々とした噴煙が立ち昇っていた。
「何かいる……青い装甲……?」
霧の奥に歪なシルエットが映る。さらに接近するとメタリックブルーのカラーリングが施された戦闘用機械が見えた。
一応四肢はあるものの、機甲兵のようなマッシブな人型ではなく、ずんぐりした空戦兵器と表した方が近い。
腕部にマニピュレーターの類はなく、両手両足はむき出しのバルカン砲。
張り出したショルダーアーマーには巨体を浮上させるための大型プロペラが四基。
ヘッドパーツもなく、頭部と呼べる位置は胴体と一体型になった強化ガラスで覆われており、そこがコックピットも兼ねているようだった。
「あれは《Gアパッシュ》という空戦兵器の一種です。結社が保有する空戦兵器の一つですね。なら多分乗っている人は――」
『はーっはっハっはー!』
ティータの説明を、男の高笑いが割った。
コックピットの奥に収まる男は、その《Gアパッシュ》をこちらに向ける。
『霧払いたちか。ちょうドいい。君らを紅蓮の炎で染め上げ、白銀の巨船ごと沈めてあゲよう。この僕、ギルバート・スタインがね!』
「あ、やっぱり。えーと、元々ギルバートさんはルーアン市長の秘書だったんですけど、色々あって今は結社所属の芸人さんになっていて。特にエステルお姉ちゃんやヨシュアお兄ちゃんとはささやかな因縁がありまして。あ、最近だとユミル旅行に行った時にも邪魔されたってレンちゃんが言ってました」
ティータの補足から主にはリベール組と奇縁があるらしいとわかった。
《身喰らう蛇》には芸人枠があるのか。つくづく謎の組織だ。
半透明のコックピット内に黒い霧が散っている。あのギルバートという男はミストマータだ。
「大丈夫よ。あの人そんなに強くないし、撃退しましょう」
「アリサさんも知ってるんですか?」
「エマの故郷にも出没したことがあるの。余計な事しかしないわ」
「散々な評価ですね……」
出没って魔獣扱いだ。
とはいえ戦わずに済むならその方が良い。こちらの機体は実は武装が少ないのだ。
それに気になることが一つ。
霧を払させたくないなら、甲板にいた自分たちを最初から狙えばいいのに、なぜ主格者のエリアそのものに直接攻撃を加えるのか。
そういえばエリオットのミストマータも、今わの際に学校エリアの主格者であるレンに襲い掛かっていた。やはりミストマータにとって主格者は庇護する対象ではないのか?
……何かが食い違っている。行動に微妙な矛盾がある。
「ダメ元でいいので、ノエルさんならギルバートさんと会話できませんか? 交渉や説得が無理でも、できればミストマータに関わる情報を引き出したいんです」
「やってみてもいいですが、ネゴシエーションは専門外ですよ。こういうのはロイドさんが得意なんですけどね……」
カトルの提案で、ノエルは外部マイクを繋いだ。
『あーあー、こちらはクロスベル警察フェリちゃん支援課、ノエル・シーカー。貴殿の目的は何か。我々は条件次第で交渉に応じる用意がある』
『用意ぃ? そんなもの必要ナいさ! さあ刮目せよ! ここカら始まる僕のサクセスストーリーを!』
ギルバートの哄笑が大きくなる。
やはりダメか。《Gアパッシュ》がバルカン砲を撃ってきた。《ナイトブレイカー飛天》は急上昇で回避。
「っ、応戦します! カトルさん、この機体に武器は搭載していますか!?」
「機体側部のマシンガンだけです。トリガーは助手席にありますので、僕が射手を務めます。ノエルさんは操縦に集中して下さい」
「マシンガンだけ……あの敵機相手では少々心もとないですね――っと!」
今度は急下降で火線を避ける。
「うっ!?」
シートから尻が一瞬浮き上がり、すぐに頭から押さえつけられるような加圧にさらされる。
「早く前を! カトルさん!」
「あっ――」
回避した先を狙って、ミサイルを撃たれていた。四発だ。とっさのことでトリガーにかけた指先が震える。
近い。間に合わない。早く迎撃しなければ、迎撃を――
●
ナイトソードに弾かれるトンファー。渾身の《ブレイブスマッシュ》が止められた。
今のは挨拶代わりだ。これで勝負がつくとは思っていない。
「俺を動かしてくれてありがとう、エリィ」
ルーファスに突き付けた視線とトンファーは動かさず、ロイドは後方に向かって言った。
「台の一番近くにいたのが私だったからね。それに私は向いているんでしょう?」
「ああ、間違いない」
撃沈したマキアスの代わりにプレイヤースタンドに登ったのはエリィだった。彼女の手元にはチェス盤のホログラムが出現している。
ユーシスが負けた直後に、すかさずエリィがロイドの駒を直進させたのだ。
“俺たちを効率的に動かすのは、もしかしたらエリィの方が向いてるのかもしれないな”というのは、カジノで彼女と交わした会話だった。
「なるほど」
ひゅんと乱れのない刃鳴り。ルーファスが剣を振るった。
「次にキングを落としに来るのはルークか。守護の名を冠する駒だ。やはり君に相応しいものなのかな」
「皮肉にも程がある。俺は最初から最後まで何かを守り通せたことは、ただの一度だってないんだ」
「そうかね。その割に君は敗者の目をしていない。誰かに何かを奪われたのなら、もっと瞳を昏く曇らせるものだと思うが」
「奪われたものを、その度に取り戻して来たからだ!」
強く踏み込んで、トンファーの回し打ちを放つ。渾身の《ゼロ・ブレイカー》が、防御はされるもルーファスの体勢を崩した。
即座に退くルーファスを、追撃の《タイガーチャージ》が攻め立てる。怒涛の連撃。猛虎を象る闘気が咆哮を轟かせた。
《ラタトスクの羅針盤》が選んだ勝負はデュエル。
ルーファスを倒せば、このチェスゲームは終わる。
彼の望みはわからないが、まずは勝つ。ぶつけたい文句も山のようにあるが、全ては霧を晴らしてからだ。
「行けよ、ロイド!」
「ここで決めて下さい!」
ランディとティオの声援に背中を押され、ロイドはトンファーのグリップを握りしめた。
クロスベルの人間なら、誰だってルーファス・アルバレアという人間に思うところがある。当たり前の感情だ。
お前には負けられない。負けたくない。
「おおおおっ!」
「意気は結構。信念も上々。正義も大儀も君たちにあるのだろうな。だが――」
表情一つ変えずに《タイガーチャージ》の猛攻を捌き切り、ルーファスは妖光を宿す刃の刺突を繰り出してきた。
「たったそれだけで、私に勝てるのか」
「ぐっ!?」
ガードしたトンファーに絡みつく光が、ロイドから強制的に体力を奪っていく。《ソウルイーター》だ。
折れそうになった膝を叩き、ロイドは剣を払ってその場から飛び退いた。
背中に衝撃。
「がっ!?」
スパークを散らせるエネルギー体がいくつも浮いている。
避けようとした先にもそのクラッシュスフィアが出現。とっさに引いた腕が、別のスフィアに接触。小規模な爆発が連鎖し、ロイドの退路を塞ぐ。
「逃げて、ロイド!」
爆ぜる光弾の中で、エリィの声が聞こえた。同時、ルーファスがナイトソードを鋭く薙ぐ。
スフィアの群れを両断しながらの横一閃。幾重もの炸裂光に包まれながら、ロイドは《レネゲードエッジ》の直撃を受けた。
「力の伴わない大言壮語は虚しいな。信念だけで想いが遂げられる世界なら、君は今そうして地に這いつくばってはいない」
倒れ伏したロイドを、ルーファスは冷たい瞳で睥睨した。
●
「カトル君、場所変わって!」
「アリサさん!?」
後部座席からアリサが助手席に身を乗り出してきた。
迫りくる四発の誘導ミサイル。緊急回避機動を取る《ナイトブレイカー飛天》。
視界が上下左右に回転する中で、アリサは瞬時に照準レティクルを固定――マシンガンを斉射。
四発全てを迎撃し、爆炎を散らせた。
「す、すごい……」
「これでも最近まで機甲兵を乗り回してたからね。動体検知からのマルチロックはお手の物よ」
「い、いや、今の完全にマニュアル操作でしたよね……?」
一から十までアリサさんの手動だ。それでこんな近距離でミサイルを撃ち落とすなんて神業でしかない。
「火力が足りないわ。操縦者はともかく《Gアパッシュ》自体は性能がいいもの。マシンガンだけじゃあの装甲は貫けない」
「ど、どうしましょう。いったん退却して態勢を整えますか?」
「いいえ、ここで墜とす。これ以上《パンタグリュエル》に攻撃をさせるわけにはいかない」
アリサは助手席側のコンソールを操作して、《ナイトブレイカー飛天》のルーフ――屋根部分をスライドして開く。このオープンカー機能も後付けで仕込んだものだ。
車内に流れ込んでくる豪風に負けない声で彼女は言った。
「こちらのメンバーは幸い遠距離武器持ちが多い。直接撃ち合うわよ!」
麗しの優しいお姉さんかと思ったが、これは相当なスパルタ精神の持ち主だ。士官学院の卒業生ならば、当然と言えば当然かもしれないが。
「ノエルさんは後部座席に移って下さい! 所有武器の特性的にアタッカーの方が良いと思いますっ」
そう言ったのはフェリだった。
「で、ですが操縦は私がやるようにと、ヴァンさんから強く言い含められていまして……」
「緊急時なので大丈夫ですっ」
「
フェリちゃん教官の命令は絶対だった。
急いで座席移動。操縦席はフェリ、助手席はアリサ、後部座席がカトル、ノエル、ティータだ。
「アクセルで加速、ブレーキで減速、ハンドルを奥に倒せば下降で、手前に引けば上昇――理解しました!」
前々から運転したかったらしい。目を輝かせたフェリはアクセルペダルを踏み抜き、一気に鬼加速を促す。
《Gアパッシュ》も変則軌道を取りながら砲口を向けてきた。
「FIO! 敵機を無力化して!」
『コックピットヲ撃チ抜イテヤルヨォ! ドロッドロニナァ!!』
相変わらず殺意が高い。召喚したFIOから放たれる《オプティカルカノン》が、虚空に高密度のレーザーを走らせた。
「続きます!」
「わ、わたしも!」
ノエルは肩に担いだミサイルランチャーを、ティータはオーバルギアの兵装の一部を呼び出して拡散ビームを乱射した。
『僕はもっと出世するンだ! 功績を上げて《王》に取り立テてもらうンだよ~!』
滅茶苦茶な動きで《Gアパッシュ》は霧の空を飛び回る。激しく交錯する火線。《ナイトブレイカー飛天》も被弾した。粉々になった右のヘッドライトが剥落していく。
「撃ち合いはやや劣勢ね……。一気に仕掛けたいところだけど、そうするとこちらもかなりの損害を受けそうだし」
「え、特攻なら全然やりますよ?」
攻め方を考えるアリサに、フェリはあっさり言った。
「でもフェリちゃん。この車壊したら、ヴァンさんが怒るんじゃないの?」
「じゃあ承諾をもらいますね」
フェリはヴァンに通信を繋いだ。
『フェリか? そっちの状況はどうなんだ?』
「すみません。ちょっと立て込んでまして。とりあえずイエスかノーだけで答えて欲しいんですけど。ヴァンさんの車は――」
『ノーだ! 絶対ノー! よくわからんがノーだ!』
「
《Xipha》をしまったフェリはハンドルを握り直した。
「今から突撃します。皆さんは一斉射撃の準備をお願いしますね」
「え? ヴァンさん、良いって言ったの?」
「はい! “車は無傷で返した方がいいですか?”って聞こうとしたら“ノー”と言われましたのでっ!」
「あぁ……それは最後まで話を聞かなかったヴァンさんが悪いかしらね……」
《ナイトブレイカー飛天》が最高速で飛翔する。一度上昇してからジェットコースターの要領で急下降。全弾を撃ち尽くしながら、《Gアパッシュ》に突撃をかける。後部座席の三人が外に投げ出されなかったのは奇跡だった。
爆炎の空を二機が駆ける。外装を砕け散らせていく《Gアパッシュ》の中で、ギルバートが叫んでいた。
『出セよ、《夢の綻び》を! ここにいるんダろう、ヴァン・アークライドがさァ!』
●
ナーディアが《ネメシスピアス》を放つ。投擲された六本の針を、アニエスはとっさにかがんで避けた。頭上を針が擦過する気配に息を呑む。
「からの~、わんだふるステッチ!」
飛び去ったはずの針が急に戻ってくる。鋼糸で繋がれていたのだ。空中に跳ね上がった針は不規則な軌道を描きながら、一斉にアニエスへと降り注いだ。
今度は逃げられない。
アニエスに攻撃が届く直前、別方向から飛んできた高速回転する大鎌が、その針の雨をまとめて切り払った。
「立ち合いの最中に武器を手放すなんてな!」
素手になったレンに、スウィンが切りかかった。
「可愛い後輩を最優先で助けるのに何か問題が? それに武器のことならご心配なく」
レンが投げた《カラミティスロウ》は、弧を描きながらブーメランの要領で彼女の手元まで戻ってくる。
スウィンの剣を打ち払ったレンは、すかさずアニエスの横まで後退した。
「あ、ありがとうございます、レン先輩」
「生ある限り永遠に感謝し続けなさい」
「えぇ、まあ、しますけど……」
後輩を助けるのは当然みたいに言ってくれた割には対価が重い。
チェスフィールドの外。二人はスウィンとナーディアと盤外戦を繰り広げていた。
こちらとしてはチェスを乱すラピスをゲーム終了まで大人しくさせたいだけだが、スウィンたちはその彼女に危害が及ぶのを防ごうとしているのだ。
“囚われ”ゆえ、説得が通じない。戦って相手を退けるしかなかった。
そして肝心のラピスはどこかに隠れてしまっている。
「増援が欲しいところですが……」
「無理そうね」
仲間たちは《ラタトスクの羅針盤》が生み出したネバネバの床に捕まってしまい、身動きが取れないでいた。
後方から見ていた船倉チームだけは難を逃れたようだが、彼らは《ナイトブレイカー飛天》で艦外を飛んでいる。
やはり自分たちでどうにかするしかない。
「スウィン君の手数の多さに、ナーディアちゃんのトリッキーな鋼糸と針。加えて《ARCUS》の連携ですか。一筋縄ではいきませんね」
「私たちはS
「だったら私がナーディアちゃんの糸を何とかしてみます。でも少し時間がかかりますので、レン先輩にはあの二人の足止めをお願いしたいんです」
「二対一をやれだなんて、先輩に優しくない後輩ねえ。ま、策があるなら乗るわよ」
艦後部でひと際大きな爆発音がした。
「な、なに?」
「正面に集中なさい!」
レンの一喝が、わずかに逸れたアニエスの意識を引き戻す。その一瞬のうちに、スウィンが突撃してきていた。
アニエスを狙うスウィンに、レンも特攻をかける。衝突する《刻剣》と《レ・ラナンデス》。鮮やかな火花が散った。
「受けたな、俺の剣を」
「あ、忘れてたわ」
火花が収縮し、鎌の刃に赤い紋様が浮き立つ。マーキングだ。
「はいはーい、アーツは撃たせないよ~、アンドゥトロワでピアス・フォルティシモー!」
掛け声と同時、三連投の針がアニエスに飛んだ。
神経は乱さず、アーツ駆動を継続。
即座にスウィンから離れ、身をひるがえしたレンが《グリムリッパー》で迎撃に入る。紫光を帯びるデスサイズの大振りが、三つの大針を叩き落した。
攻撃の手は緩まない。周囲に鋼糸が張り巡らされていく。一気に引き絞り、なます切りにするつもりだろう。
「すーちゃん、巻き込まれる前に戻ってきて!」
「レン先輩、私の後ろに!」
アニエスの魔導杖に光が満ちる。
「風のアーツで糸を乱すんでしょ。効かないよ。悪条件でも鋼糸を操る訓練は受けてるからね~」
「もちろん想定済みです」
吐く息が白く変わる。静謐な青い輝きが足元に広がる。空気中の水分が凍てつき、巨大な氷塊が立ち昇った。
《クリスタルエデン》の強烈な冷気が、鋼糸を瞬時に氷結させていく。
「あっ、糸がしならない!? バキバキになっちゃった!」
「それでもう精密な操作はできないでしょう。下手を打てばスウィン君も傷つけちゃいますよ」
「悪いあーちゃんめ~。でもまだ手はあるもんね」
ぶんとナーディアがぬいぐるみを高く放り投げた。クマ男爵だ。
「それ爆弾が詰まってるわよ。結構な規模の爆発が起きるやつ」
さらっとレンが言う。
そんなものとわかっていながら、私にあれを回収させたのか。そしてその最中に二人で談笑していたのか。
「あーちゃんとの思い出のぬいぐるみだよ!? 受け取ってくれるよね? 撃ち落としたりなんかしないよね?」
「それはそれ! これはこれです!」
上方に向けて放たれた《プレアデスレイ》が、クマ男爵をきっちり撃ち抜く。四線のレーザーに焼かれたぬいぐるみは、瞬く間に赤々とした火球を膨れ上がらせた。《クリスタルエデン》の残氷が蒸発するほどの熱量だ。
爆発の直下で、スウィンが二つの剣を組み合わせた。炎に炙られた長大な一振りのブレードをかかげ、火の粉をかぶりながら激しく突進してくる。
対峙するレンも前に駆けた。大鎌を肩に担いだその姿に、死神の影が揺らぐ。
「さっきと同じ技が通じると思うな! 闘技場の修練で編み出したオレの剣技を受けてみろ!」
「同じ技なわけないじゃない」
互いに加速。
「クロス――」
「グラン・レ――」
二人の武器が残光を閃かせる。
「ナンバーズ!」
「ラナンデス!」
大鎌に刻まれた印をブレードの斬撃が狙う。
それよりも早く刃を振り抜いたのはレンだった。黒く染まった霊子装片が極大の一閃の後を追い、さながら蝙蝠の群れのごとく虚空に散る。
スウィンの武器は結合のギミックを完全に破壊され、強制的に二つの剣に戻された。
「これで二人の得物は満足に使えない。それでもまだやるなら――」
「チェストーッ!!」
地面を砕く衝撃波がレンを襲う。ラピスが振り下ろした大斧の一撃《アダマスリッパー》だ。
アニエスは《ジブリールガード》で発生させた防護障壁でレンを守った。
「助かったわ、アニエス」
「生ある限り永遠に感謝し続けて下さいね?」
「助けた見返りを要求するとか引くわ」
「えぇ……」
レン先輩が先に言ったのに。
「ラーちゃん!?」
「どうして戻ってきたんだ!?」
「ダメなんだから! スウィンのこともナーディアのこともいじめちゃダメなんだからー!」
兄姉分の前に立つラピス。その手に持つ大斧が形状変化し、トランクケースに組み変わる。「もしもーし!」とラピスがケースの端を叩くと、中から霊体の髑髏が大口を開けて飛び出してきた。
アニエスは魔導杖を背中まで振りかぶって――
「えーい!」
生み出したるは光の大槌。女子高生の気合一発。《セイクリッドハンマー》が迫る髑髏を叩き潰した。
「あっ、グリモアルアークが……でもまだまだだもん! エーデルハーツ!」
胸を中心に赤い稲妻がほとばしり、ラピスの出力が増大した。直後、アニエスとレンを囲むいくつもの姿鏡が出現する。さらに彼女は自ら鏡の中に溶け込むように入ってしまった。
『私の奥の手、ラピス・イン・ザ・ミラーよ! どこから攻撃されるかわからないでしょ! 怖いでしょ!』
ラピスは鏡と鏡の間を自在に移動しているようだった。
「こ、こんなのこちらから攻撃も回避もできないんじゃ……」
「じゃあ、やられる前にやりましょうか」
上空に黒い威圧。
レンの認識で頭上に召喚された八つの鎌が、刃先を全方位に向けながら引き上げられていく。真下から眺めるアニエスには、それが煉獄の天井に吊り下げられた禍々しいシャンデリアのように見えた。
レンが指をぱちんと鳴らす。
「ネメシス・パーティ」
一斉に振り落ちる死の三日月。八方向からのギロチンが、ラピスの鏡を一つ残らず刺し貫く。
粉々に砕け散ったガラス片に紛れて、飛び出してきたラピスも地面に転がった。
「ふふ、お人形遊びしちゃおうかしら」
「あ、あぁ、やだあああ! わあああん!」
《ラタトスクの羅針盤》を握りしめたまま、ラピスは再び逃走してしまった。
「うーん、壁際に追い込んだほうが手っ取り早いかも。行くわよ、アニエス」
「は、はい」
もうレン先輩が強過ぎるんですけど。これが元執行者の力。
アニエスはレンの後ろを走りながら、チェスフィールドに視線を送る。
ルーファスの前で、ロイドが倒れていた。
●
目に映るものは霧の大空だけだった。
クロスベルが占領されている時に見上げた空も、いつもこんなくすんだ色をしていた気がする。
実際は晴れの日も雨の日もあったはずだが、どこまでも曇天の下で鎖に繋がれているような気分だった。
「――イド! ロイド!」
仲間たちの声が聞こえる。俺の名前を呼んでいる。起き上がれない。相当な威力だった。
大丈夫だ。たとえ俺が倒れても、プレイヤーのエリィが次に繋げる一手を打ってくれる。ビショップのティオが遠距離からでも敵の進路を塞いでくれる。ポーンのランディはまもなく敵陣最奥に切り込んで、その能力を変えるプロモーションをするだろう。最強の機動力を手に入れた彼は、ルーファスの前に立ち向かってくれる。
頼れる仲間たちだ。ずっと今日まで苦難を乗り越えてきた。彼らなら信じて後を任せられる。
そういえばキングのヴァン以外で自軍に残ったのは、初期のクロスベルメンバーだったか――
「っ!」
電撃が走ったように見開く目。手から離れかけていたトンファーをたぐり寄せる。指先にまで力がこもった。
「残念だが君に勝ちの目はないよ。まだ立つのかね?」
「今までそうしてきた。これからもだ」
体を起こす。ダメージの抜けきらない膝が震えていた。ルーファスは掛け値なしに強かった。
それでも《ラタトスクの羅針盤》は勝負の判定を下していない。それはまだ、自分の心が折れていないからだ。
「俺は特務支援課のリーダー、ロイド・バニングスだ。俺が立つことに意味がある」
「先ほども言ったと思うが」
「信念だけで想いは遂げられないか? 俺も同感だ。痛感もしている。だけど――!」
足を踏みしめる。
「信念を欠いて成せるものもないだろ!」
ロイドの渾身の一撃を、ルーファスは剣で受け止めた。
トンファーに火が宿る。その小さな火種は周囲の大気を巻き込みながら、爆発的な火焔となって拡大した。
全ての力を放出した《ライジングサン》がルーファスを飲み込む。
「この炎からは逃がさない!」
「では私も君を捕らえるとしよう」
虚空に浮かびたつ紋様が球状の陣となって、《ライジングサン》を囲むように展開される。莫大なエネルギーを内包した《ラストレスルーイン》だ。
膨れ上がろうとする太陽の暁光を、翡翠色の魔法球が力づくで抑え込んでいく。その光景は抑圧されるかつてのクロスベルを連想させた。
「ぐっ! あああ!」
エリィたちが何かを叫んでいるが、この衝撃の奔流の中までは通らない。
声が届くのは目の前にいるルーファスにだけだ。彼も《ラストレスルーイン》の内側にいる。自分と同じダメージを受けているのだ。
トンファーと剣を打ち合わせたまま、身を焼く強烈な波動を互いに受け続けた。
「身を削る戦法なんて、あんたらしくないな……!」
「君がどういう気持ちで戦っているのか知りたいと思った。これが命を賭けるということなのだな」
「違う。あんたのは命を捨てるやり方だ。大事に思っていないんだ。人の命も、自分の命も。だから平然と捨て身になれる」
「怒っているのか、私に」
「当然だ」
戦技の圧に負けて、跪きそうになる。《ライジングサン》の炎が散らされていく。歯を食いしばって顔を上げ、ロイドはルーファスをにらんだ。
「……クロスベル占領をどう思った」
「その問いは二回目だが」
「答えろ」
「何度考えても間違いではなかったよ。あの状況での進め方はあれで良かった。事実、必要以上にクロスベルの人民を虐げてはいない。制限は敷いたが、比較的穏やかな制圧だったはずだ。人的被害もごく軽微だと認識している」
「街の査察はしたか?」
「無論。報告書にも目を通していた」
「そこで何を感じた」
「自分の政策がうまくいっていると感じた。同時に不穏分子の種も見え隠れしていたから、それを封じる手段が必要だとも――」
「そういうことじゃない」
トンファーに力がこもる。
「早朝にランニングするおじいさんがいたことを知っているか? 中央広場から西通りを抜けて行政区まで回るルートでね。健康のために何十年と続けてきたそうだ。俺はその人に挨拶するのが日課だった」
「……何の話かね」
「日が昇り始めると街が活気づいて来てさ。カジノで大負けした人たちが路上で寝てるのをどかしたり、時々その中にランディも混じっていたりしたが……まあ、いつもの朝って感じだ」
「だから何を――」
「子供たちが集まって日曜学校に歩いていく。小さな列にエリィが優しく声をかけるんだ。信号に気をつけてね、って。ティオなんかはパトロール区域にわざわざ湾岸区を入れて、ミシュラムに渡る観光客を楽しそうに眺めていたな」
「………」
「住宅街に幼馴染がやってる上手いパン屋がある。昼にパンが焼き上がった時は最高だ。匂いに誘われてみんなが笑顔で並んでいく。夜になったらアルカンシェルがライトアップされて、煌びやかな舞台の幕が上がる」
「………」
「俺はそんなみんなの日常が大好きだった。何を引き換えにしても守りたかった。きっと兄貴もそう思っていた」
ルーファスの剣圧に押されて、トンファーに亀裂が入った。ロイドは下がらなかった、一歩たりとも。
「ある日、それが全部なくなった。奪われた。おじいさんは朝のランニングをしなくなった。午後の公園で子供たちが遊ぶ姿は見られなくなった。ミシュラムは休園、アルカンシェルも休演した。街から笑い声が消えた」
「………」
「穏やかな制圧? 被害は軽微? 人々を虐げていない? ふざけるな……!!」
再独立は果たした。多くの権利が認められた。笑顔は戻ってきつつある。
だけど奪われた過去の時間は、当たり前にあったはずの日常は、二度と取り戻せない。
「正当な怒りだ。その感情を私に向けるのは当然のことだ。君の憤りを理解した」
「いいや違う。それだ」
「なに?」
「理解した気になっただけで実感してない。だから薄情だ。それは大変だったなと、どこまでも他人事のように聞こえる」
「……悪いが他人事だ。自分の外で起きた事象を、自分の内としては捉えられない」
「お前が行ってきたことを、どうして外のことだと考えられる……!」
俺が本当に怒っているのはクロスベルのことじゃないんだ。
あんたは《逆しまのバベル》を身を挺して止めようとした。そうするあんたを止めに行った人がいた。
あんたみたいなヤツにも、その命を大切に想ってくれている人がいる。そのことに気づけたんだろ。
だから、だからさ。
もしかしたら、あんたを許せるかもしれないって思っていたのに。
「なんでまだ変わってないんだ!」
怒りが噴き上がる。灼熱する心が傷だらけの体を奮い立たせる。
攻撃の圧にさらされ続けたトンファーが、ついに砕け散った。構わず前に出て、ロイドはルーファスの腕を掴む。
「逃がさないと言った」
「君は……!」
初めてルーファスの顔に焦りがよぎる。
ロイドの周囲に光の剣が出現した。旋回しながら五本の輝剣が迫ってくる。《ラストレスルーイン》を発動させたまま、《ブルドガングレイン》を撃ったのだ。凄まじい力だ。
それでも。
俺が、俺たちが、クロスベルが――!
「負けるかああーっ!!」
限界を超えて膨れ上がる灼光。
《ラストレスルーイン》を内側から破壊し、《ブルドガングレイン》さえ打ち破り、炎龍と化した《ライジング・ノヴァ》が一気に立ち昇る。
「か……っ」
ついに通った一撃。
火焔の残滓を燻ぶらせて、ルーファスは倒れた。
仰向けに空を見つめながら、いつまでも起き上がることはなかった。
彼は小さくつぶやく。
「……変わりたいと思っていた。だが心も価値観もすぐには変わらなかった」
その声には微かな感情が揺れていた。
「やっぱりあんたが主格者だ。今から望みを叶える。ひどく利己的なその望みをな」
「………」
ロイドはルーファスの傍らに腰を下ろした。
「スウィンは闘技場で満足したそうだ。こちらの手練れに稽古をつけてもらったりしてな。ナーディアを守る力を増やすことができた。ま、彼自身の問題はまだ残っていそうだが」
「……だが、スウィン君ならいつか乗り越えるだろう」
「ナーディアは劇を楽しんでくれたよ。観劇中はずっとスウィンと腕を組んでいて、とても幸せそうだったらしい。劇の続編を期待しているとも言っていた」
「私も観たかったな。ナーディア君に内容を教えてもらうとしようか」
「ラピスは――自分で訊けばいい」
「ルーファス!」
駆け寄ってきたラピスが、ルーファスに抱き着いた。
「怖いお姉さんがいるの! 私でお人形遊びするって!」
「ラピス。心ゆくまで食事は堪能できたかな?」
「え? うん、おいしかった。最後の方の記憶がないけど。途中からスウィンとナーディアも来てくれたの! 次はルーファスも一緒がいいわ。でも満足よ!」
「……そうか」
ロイドはルーファスを一瞥した。
「あんたの真の望みは自分で言った通り“変わりたい”なんだろうな。でも変われなかった。だからせめて、自分に望めることを願った」
「君には……敵わないな」
「自分についてくる三人の願いを叶えたい。それが
戦っていて感じたことだった。自分自身に強い願いを持っていないくせに、彼は何かのために行動していた。
「ラピス、勝負の判定を。《ラタトスクの羅針盤》はもう結果を下しているはずだ」
「いやよ、言わない!」
「ラピス」
「ううう……」
ラピスは最後の勝者を告げた。
「……100点対0点。黒のキングの敗北により、白軍の勝利よ」
大空に蔓延っていた白霧が晴れていく。囚われから解かれた彼らの瞳に焦点が定まっていく。
ロイドが勝利したからではない。願いが叶っていたことを、ルーファスが知ったからだ。
「……心のどこかが壊れている自覚はあったよ。自分がやってきたことと向き合いたいのに、どうやっても他人事のようにしか感じない。そんな自分を半ば諦めていた」
「時間がかかるだけだ。多分、変わっていく最中なんだろう」
「もしもいつか、私が当たり前の人間の感性を取り戻すことができたなら、そこで初めて罪の重さを実感できるのだろうな。咎に押し潰されるのはその時か」
「ああ、重さは知ってくれ。だが潰れることにはならない」
「なぜ言い切れる?」
「その時横にいる人間が、きっとあなたを支えるからだ。それでもわからないなら、本当に強制連行してみっちり教えさせてもらうが」
「……自分自身が紡いだ"絆"を甘く見た容疑で、かね?」
ルーファスの口元が緩んだ気がした。それは《逆しまのバベル》で二人が最後に交わした会話でもあった。
「それともう一つ。あなたはラピスたちと違って、“囚われ”の時点から俺たちのことを個別認識できていたんじゃないか? ところどころそう感じる発言や態度があった」
「その通りだ。最初から誰が誰だかは理解できていた。私は自分が“なにか”に囚われていることを知っていた」
「その上で演技していたのか。その理由は後で聞くとして……そんなことができる“囚われ”は他にいなかった。なぜあなただけが?」
●
ロイドがルーファスに勝った。
デュエルで100対0なら、ルーファス自身が完敗を認めたということになる。そしてそれはつまり、ラピスの宣言通り白軍の勝利を意味する。
ヴァンはその顛末を、後方から眺めていた。腕組みをしながら、神妙な面持ちで深くうなずく。
あれ、バニングスが全部やってくれた。
最後は両軍のキングとキングが対決する頂上決戦になると思って準備していたのに。俺の出番はエレイン戦で終わりですか。
「うおっ!?」
足元が大きく傾き、ヴァンは体勢を崩した。
《パンタグリュエル》が墜落しかかっている。急速に高度を下げる船体の後部から、先ほどよりも激しく火の粉混じりの黒煙が噴き上がっていた。
カトルたちは間に合わなかったのか……?
そう思うヴァンの視界に、艦の側面から浮上してくる《ナイトブレイカー飛天》が映った。
「ひとまず無事だったか、良かっ――」
愛車の惨状に開いた口が塞がらなかった。
青いボディーは傷だらけで穴だらけ。エンジンがガタガタと異音を鳴らしている。ボンネットから大量の煙を吐いている。破壊神フェリちゃんサンが運転席にいる。
ノエルはどうした。なぜお前が後部座席にいる。こっち見て『すみません』みたいなジェスチャーすんのやめろ。
「くそっ! とにかくなんとかして甲板まで戻ってこい! わかったなフェリ!」
「機体を捨てて脱出します。魔女のお二人お願いしますっ」
「おおい!?」
フェリの判断で、エマとヴィータが転移術を発動。車内の船倉チーム五人を甲板に引き戻す。
操縦者を失った《ナイトブレイカー飛天》はガクンと落ちていくが、その姿が艦の際から見えなくなる前にしっかり爆発していった。
網膜に焼きつく愛車の最期。撒き散らされるカスタムパーツ。立ち尽くすヴァンの足元に、焦げたハンドルだけが転がってくる。
「ウヲン……」
もう泣き叫ぶ気力もなかった。
ヴァンの気持ちの沈みに合わせるように、《パンタグリュエル》は墜落していく。
慌てる気にもなれず、呆然と遠くを眺めるヴァンは、ふとそこに目を向けた。霧の吸い込まれていく先が、この高さからならよく見える――
「あ……!?」
七つのエリア全てを開放した。霧の晴れた大空が広がっている。
《ロア=ヘルヘイム》の中央部が視認できるようになっていた。
依然としてそこには霧が残ったままだが、謎の建造物がなんなのか、そのシルエットだけは明瞭になった。
“塔”だ。
天を衝くほどに高い高い塔が、巨大な湖のど真ん中に屹立している。
ヴァンがそれを目の当たりにした途端、《幻夢の手記》が光り輝いた。
㉜【《ロア=ヘルヘイム》はドーナツ型の大陸で、外円部には各主格者のエリア、そして中央部には煮えたぎる湖《フヴェルゲルミル》が存在する】
㉝【《フヴェルゲルミル》のさらに中央部には、黎明樹《ユグドラシル》が天に向かってそびえ立っている】
「新たな情報開示か!? フヴェルゲルミル湖? 黎明樹ユグドラシル……!?」
手記の光はまだ続いていた。さらに文字が浮かび上がってくる。
㉞【《ユグドラシル》とは歯車で構成された機械の大樹であり、《バルドルの箱》の能力を“霧”を用いて拡散させるものである】
㉟【“霧”は《ユグドラシル》がフヴェルゲルミル湖を吸い上げて精製しているもので、霧の及ぶ範囲がそのまま《バルドルの箱》の能力の及ぶ範囲である】
㊴【《ARCUS》の機構を元に作られた《バルドルの箱》はリンク機能を有しており、黎明樹《ユグドラシル》の拡散機能を利用して、《ARCUS》を持つ者を夢の世界に絡めとる】
霧の大元はあの煮え立つ湖?
それを霧として広げているのが《ユグドラシル》という塔?
《バルドルの箱》はその拡大する霧をリンク機能の媒介にして、《ARCUS》持ちを“囚われ”に変えていた?
情報量が多すぎる。
しかしそれらを整理する間もなく、別の文章に異変が起きる。
㊱【
学校エリア攻略時、“今はまだお前たちが知る必要はない”という謎のメッセージと共に、中途半端に開示された条項だ。その黒塗りが剝がれていく。
㊱【
次々に明かされていく真実。前々から推察していた予想も、確定事項として明記される。
「ミストマータを作るシステムに加え、霧を精製し拡散してもいる……。間違いねえ。あの黎明樹《ユグドラシル》ってやつに、この異世界の謎の根幹がある。あの場所に行けば、俺たちが現実世界に帰還する方法も――っ!?」
腹の底まで響く咆哮がヴァンの言葉をかき消した。
「な、なんだ……あれは……。ドラゴン……なのか?」
黒い竜の輪郭が霧の中に浮かび上がった。これほどの距離が開いていても、その大きさがわかる。この《パンタグリュエル》を遥かに凌駕する巨体が、塔の周りを飛び回っている。
㊵【フヴェルゲルミル湖には《ユグドラシル》の根を住処とする黒き幻竜《ニーズヘッグ》が存在する】
希望を打ち砕くように、手記は淡々とそう告げる。
せっかく《ロア=ヘルヘイム》脱出の鍵が見えかけていたのに、塔にたどり着くためにはあんな化け物を突破しなくてはいけないのか……?
大空に轟く叫び声は、怒りを孕んでいるように思えた。そう。よくも霧を晴らしてくれたな、と。
《ユグドラシル》を守護するように、闇に塗られた両翼を広げる黒竜は、地上に墜ちゆく自分たち――いや、ヴァン・アークライドを確かに見据えていた。
――つづく――
《話末コラム①》【空エリアの真・攻略ルート】
兄上の望み:スウィン、ナーディア、ラピスの願いを叶えること。
★攻略条件:主格者であるルーファスが、他三人の望みが叶ったと認識すること。
スウィン :ナーディアを守るため、今よりも強くなること。
ナーディア:スウィンと一緒に娯楽を楽しむこと。
ラピス :みんなでおいしいご飯をたくさん食べること。
●
《話末コラム②》【ルーファスがユーシスに囁いた一言】
「さすがに弟に二度殴られるのは勘弁願いたいな」
●
《話末コラム③》【アルティナからのお知らせ】
「次話から最終章に入るそうなので、よろしくお願いします」