黎明の軌跡 Break the Nightmare   作:テッチー

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第44話 月と星のリバーサル

 

 《パンタグリュエル》の姿勢制御が効いていない。

 艦後部のメインエンジンから黒煙を噴き上げながら、急速にその高度を落としていく。

 甲板の端から身を乗り出したヴァンは、眼下に広がる赤い街並みを視界に入れた。いつの間にかヘイムダルエリアの上空に侵入している。

 地上までは目算で600アージュといったところか。もはや目鼻の距離だ。

「やべえ、墜落すんぞ! やむを得ねえ。全員転移で違うエリアに退避しろ!」

 そこにいる通行人は全て幻影。人的な被害は出ないし、家屋の崩壊も主格者であるリィンの認識で修復できる。

 そしてこの空エリアを攻略した時点で、エリア間転移も開放されているはずだ。

 切迫した状況でそう叫んだヴァンに、「この艦は放棄しない方がいい」とルーファスが押し被せた。

「どういう意味だ?」

「話は少し聞こえていたが、君たちは遠くに見える霧の巨塔に行こうというのだろう。そこに到達するための足はあるのかね?」

「この六十名近い人数を一気に運べるようなものは……ねえな。少なくともこのパンタグリュエル以外には」

「ならば墜落させない方向で動きたまえ」

「いや、じゃああんたがやれよ! ブリッジで偉そうに足組んでたじゃねえか! 操艦システムの仕組みはわかってんだろ!?」

「自分でやりたいのは山々だが、なにせこの体たらくではね」

 ルーファスはダメージが大きいらしく、横たわったままラピスに膝枕されている。

「人任せのくせして、その態度に腹が立つぜ」

「ははは、ナーディア君にもよく言われるよ」

「なに笑ってんだ……」

「ああ、そうだ。ラピス、それを返してくれ」

 ルーファスはラピスの持っていた《ラタトスクの羅針盤》を受け取ると、そのままヴァンに手渡した。

「これを君に譲渡しよう。役立ててくれたまえ」

「絶対今のタイミングでやることじゃねえよなあ!?」

 呆れるヴァンの脇をアンゼリカとトワが駆け抜けていく。

「私たちが操舵をしにいく。せめて不時着くらいはさせてみせるさ」

「アンちゃんはカレイジャスの操縦も担当してたからね。私はとなりについてサポートに入るよ」

「生涯の、という理解でいいのかな?」

「操艦の、という理解でお願いしたいかな」

 アンゼリカはトワをお姫様だっこで抱え、全速力でブリッジに向かって行った。

 艦の振動が激しくなっていく。

 地上衝突へのカウントダウンが迫る中、ヴァンはそこに視線を転じた。

 黎明樹《ユグドラシル》、幻竜《ニーズヘッグ》。

 おそらくは《ロア=ヘルヘイム》を脱出するにあたって、最後に立ちはだかる障害。そして全ての謎の根幹。高度が下がるにつれ、その威容のシルエットは完全に見えなくなった。

 《パンタグリュエル》の艦底が、背の高い建物の頂上を崩していく。ダメだ。もう落ちる。

「全員、何かにつかまれ!」

 轟音と激震に紛れて、リィンの叫ぶ声がした。

 しかし身構えていた衝撃は訪れず、《パンタグリュエル》の降下の勢いがわずかに緩む。

『こちらブリッジよりアンゼリカ。進路をギリギリまで調整し、マーテル公園への不時着を試みる』

『総員対ショック姿勢! というか私たち以外は転移でどこかに退避してもらった方がいい気がするよ!』

 アンゼリカに続き、トワが言う。マーテル公園というと、ヘイムダルエリアに隣接している凄まじく広い緑地庭園だ。

 確かに操舵者以外が転移すれば全滅のリスクは避けられるが、それでも艦から退避しようとする者はいなかった。

 立ち並ぶ街路樹をへし折りながら《パンタグリュエル》はマーテル公園に侵入。

 土くれを削り上げ、長い轍の跡を残しつつ、やがて傷だらけの白亜の船体は完全に停止した。

 

 

《――★第44話 月と星のリバーサル★――》

 

 

「改めて久しぶりだな。二人とも元気そうで何よりだ」

 どうにか無事に《パンタグリュエル》から帰還したヴァンは、空エリアに囚われていた四人を、アークライド事務所に招いていた。

 ヴァンとは顔見知りだったスウィンとナーディアは、不意の再会に驚いている。

「色々と迷惑をかけてしまった。意識は割としっかりしていたんだが、思考がおかしくなっていたような感覚だ。正誤の判断がわからなくなっていたというか、それを不思議にも思わなかったというか……」

「まさか従業員一号がヴァンさんだったなんて、気づけなくてごめんね。他にも好き放題やっちゃったし、これはちょっと反省かも~」

「恒例の懺悔タイムだな。つーかスウィンはともかく、ナーディアはそんなに反省してねえだろ」

 特にナーディアにこき使われまくったデュバリィは、小さなトラウマを抱えてしまったらしい。

「それにしてもだ。お前らがルーファス・アルバレアと行動を共にしていたってのが、俺にとっちゃ一番の驚きなんだよな」

「色々あってね」

 と、涼しい声で言ったのは、当のルーファスだった。

 彼はゆったりとソファーに腰かけて、アニエスが提供したドリンクを口に運ぶ。グラスの中身は水なのに、ワインでも飲んでいるかのような優雅さだった。

「私たちの関係は……そうだな。諸国漫遊している四人組とでも思ってくれたまえ。ちなみにそちらのラピスが私の主人で、私は彼女の従者という立場になる」

「うそだろ、どんな従者だよ」

「本当よ! 私はルーファスのご主人様なんだから!」

 そう主張するラピスはアニエスの膝の上に乗せられている。

 アニエスは高貴なるローゼンベルク人形をいたく気に入ったようで、「可愛い、可愛いです!」としきりに愛でていた。ラピスもまんざらではなく「あなた、わかってるわね!」と上機嫌だ。

 事務所でルーファスたちの応対をしているのは、ヴァンとアニエスだけだった。

 今回の攻略もかなり疲弊した。他のメンバーは休息中である。

「さて、あんた達の奇妙な人間関係も聞けたところで、そろそろ本題に入らせてもらおうか」

「霧の異世界――《ロア=ヘルヘイム》だったか。聞きたいことは察しがつくよ」

「ルーファス・アルバレア。あんたは“囚われ”の最中、自分が囚われていると認識できたんだよな。バニングスからそう聞いている」

「ああ、スウィン君たちの意識が通常と違うことに気付き、私自身も何か認識がずれている感覚があった」

「それはいつからだ?」

「早い段階からとしか。《オーディンの左目》で地上を眺めて、君たちがいることには前々から気づいていた。少なくとも君たちとパンタグリュエルで出会い、リィン君たちが後追いで艦内に来た時には、私は皆を個人として認識していたよ」

「だったらなぜ、シュバルツァーたちを認識できていないような演技をした?」

「スウィン君たちは知己であるはずの彼らが誰なのかわかっていなかったし、ひとまず私もそのように振舞うことにした。自身に起きている状況を正しく把握するためにね」

 しかし、とルーファスはかぶりを振った。

「ただ私の意識も正常というわけではないらしかった。自分の全てをコントロールすることはできなかったよ。半分は夢で、半分は現実。その中間を行き来しているみたいだった」

「俺が知る限り、そんな状態が成立していたのはあんただけだ。一体どうして」

「さあ、自分の置かれた状況に疑り深い人間だからではないかね?」

「他人事のように言うな、この男は……」

 この現象はただのイレギュラーなのか? それとも何か重要なことなのか?

 勘だが――多分、

 重要なことだ。

「いずれにせよ、《ロア=ヘルヘイム》攻略も大詰めなのだろう。遅ればせながら我々四名も合流させてもらおう」

「この新生帝国ピクニック隊がね~」

「それ言ってるのナーディアとラピスだけだからな……」

「私、お腹が減ったわ! ねえったらルーファス!」

 異色の四人組なのだが、意外と相性は良いようで、しっくりと馴染んでいる感じがする。他のチームとはまた種類の異なる信頼関係とでもいうのか、独特の空気感だ。

 ヴァンはソファーにもたれかかる。

「さて……当面の問題は《ユグドラシル》を守護する《ニーズヘッグ》か。各チームリーダーを招集して、最後の作戦会議を――」

「ヴァアアーン!!」

 扉を蹴り開ける勢いで、ジュディスが事務所に駆け込んできた。呆気にとられるピクニック隊の面々をよそに、顔面蒼白の彼女はヴァンにまくしたてた。

「ど、どどど、どうしよう! な、失くしちゃった! 失くしちゃったのよぉっ!」

「理性をか?」

「違うわ!」

 

 ●

 

「こんなことやってる場合じゃねえんだけどなぁ、作戦会議しなきゃいけねえんだけどなぁ」

 ねちっこく言ってやると、ジュディスは居心地が悪そうに身を小さくした。

「わ、わかってるわよ。でも仕方ないじゃない。あれを失くしたまま現実世界に戻ったら、あたし……殺されるかもしれないわ!」

「短い付き合いだったな。いなくなると思うと、それはそれで寂しいもんがあるぜ」

「なんで受け入れてんのよ!」

 ジュディスは涙目だ。かなりうろたえている。もしかしたら本当に殺されるのかもしれない。

「――で、そのコンパクトだったか。そこまで狼狽するからには、ただの道具ってわけじゃねえんだろ?」

「うっ、うぅ……それは……」

「言いたくないなら言わなくてもいいが、こんだけの人数を動員しての大捜索だ。しかもこの大切な大詰めの時期に、ごく個人的な落とし物の。別に詮索するつもりはねえよ。たださすがに義理には欠けるんじゃねえかなって。ああ、悪い。言いたくねえんだもんな?」

「あーもう、わかった! 言うわよ! ただしあんただけにね!」

「そりゃ光栄だ」

 マーテル公園に不時着したままの《パンタグリュエル》の甲板。そこにしゃがみ込み、観念したかのようにジュディスは言った。

「猫のペイントの入ったコンパクトね。あれでグリムキャッツに変身できるのよ」

「ま、薄々感づいてはいたがな。生まれ持った能力じゃなくて、“道具の継承”ってことか」

「“使命の継承”よ、あくまでね。ただ確かに仕掛けも仕組みもある道具であるがゆえ、あれと同期さえしてしまえば誰もがグリムキャッツにはなり得てしまうの」

「そんな大事なもんを落とすなよ……」

「仕方ないでしょ! 不慮の事故よ、不慮の!」

「どうせただのうっかりミスだろうが」

 いつどうやって紛失したかはわからないが、《パンタグリュエル》攻略中に、清掃班だったラウラがそれらしきものをこの甲板で目にしたという。

 もっとも直後にモップで力いっぱいに吹っ飛ばしたらしく、その後の行方はまた不明になってしまったそうだ。

「甲板はもう大体探したよな。どっかの配管通って艦内に入ってるか……最悪は飛行中に艦外に落下した可能性もあるか」

「そ、そんなの困るし。そうだわ、《オーディンの左目》を使ったらどうかしら!? それで回収するのよ!」

「地上ごと根こそぎやるつもりかよ。迷惑過ぎるからやめてくれ。それに《オーディンの左目》の機能は、霧が晴れたと同時に停止したって話だぜ。そもそもパンタグリュエルは今は飛行不可だ」

「じゃあどうすんのよ!」

「逆ギレすんな。だからこうやって人海戦術を駆使してんだろうが」

 グリムキャッツのことは伏せて、全員に失せ物探しの依頼を出したのだ。各チーム総動員で応じてくれている。今は艦内に散らばって、手あたり次第に捜索中だ。

「それは感謝してるわよ……でもどんな理由でみんなを招集したの? ヴァンはグリムキャッツのことを察していたみたいだけど、まさかそのことを言ったりはしてないでしょ?」

「ジュディスがばあさんの形見を失くしたって」

「いや、おばあちゃん生きてるけど」

「でもいつかは形見になるだろ?」

「人の心ないの、あんた」

 不満そうなジュディスから視線を転じた時、ヴァンは甲板の端にエレインがいることに気付いた。

 あいつもコンパクト探しに協力してくれていたのか。

 空エリア攻略では彼女とも色々あった。秘密の暴露というか誤爆というか。

「あー……エレイン?」

 ジュディスは放っておいて、エレインに声をかけに行く。

「どうしたの?」

「あれだ。ちょっと話をな?」

「話? いいわよ」

 ジュディスじゃないが、殺される覚悟もしていたのに。存外、穏やかな雰囲気だ。

「じゃあ場所を変えましょうか。二人きりになれるところに」

「……はい」

 あ、やっぱり殺されるやつか。

 

 ●

 

 ジュディスさんのおばあさんは、あのドミニク・ランスターだったはずだ。もちろんお会いしたことはない。しかし共和国の人間なら当たり前に知っている有名人。

 おばあさんの形見のコンパクトだというけれど――

「普通にご存命だったような……」

 甲板で件のコンパクト探しを手伝うアニエスは、少し離れたところにいるヴァンとジュディスを見やった。

 どうやらジュディスはヴァンにからかわれている。彼女の性格もあるせいか、よくいじられるのだ。

 そういうのちょっとだけうらやましいな、なんて思ったり。

「あら、レンさん。アニエスさんが乙女の表情をしていらっしゃいますわ~」

「あらあら、ナーディアさん。アニエスさんったら恋煩いでもしているのかしら~」

「一体なんのキャラなんですか、お二人とも……」

 レンとナーディアが、にまにまと含みありげに絡んでくる。

 《パンタグリュエル》での関わりと、年齢も近いことから、三人娘チームとして仲良くなっていた。

「なんでもかんでもヴァンさんに結び付けて……そういうのじゃないですってば――」

 その折、ヴァンは少し離れたエレインの元に向かっていた。ちょっと会話したあと、二人は連れだって艦内に入っていく。

「わーお。あーちゃん、ガン見してるね」

「見てて、もうすぐうなるわよ」

「うう~……」

「本当だ、うなってる」

「これがうなりエスよ。他にも色々なバリエーションがあるわ。全種類コンプリートしたら、期間限定のシークレットアニエスがもらえるから」

「ないです、そんなの……」

 《パンタグリュエル》でのチェスゲーム。その終盤戦の対決で、エレインはヴァンに何かを言ったようだった。

 戦いの音でよく聞こえなかったけど、そこで私の名前が出たような気がする。

「気になるなら追う? 前にミシュラムで二人のデートを尾行したみたいに」

 と、言ったのはレンだった。

「へー、意外にも前科あり? 追跡なら協力するよ~」

「しかも大量の盗聴器まで用意してたのよ。恐ろしい子」

「盗聴器はレン先輩ですよね……」

 レンは楽しそうに笑って、優雅に指をパチンと鳴らした。

「じゃあさっそく始めましょうか。乙女のスニーキングミッションⅡよ」

「おー!」

「……おー」

 もうわかっていた。レン先輩もナーディアちゃんも、ジュディスさんのコンパクト探しに飽き始めていることに。

 

 ●

 

「その後にルーファスさんとは話を?」

「軽くは。《ロア=ヘルヘイム》の仕組みや、ここまでの経緯も俺から伝えておいた」

 リィンから問われ、ロイドは首をすくめてみせる。

 《パンタグリュエル》二層。従業員の生活区画。その通路で二人はジュディスのコンパクトの捜索をしていた。

「あとは……そう。ユーシスにも一言謝っておくように言い含めておいたから」

「助かるよ。実際、ずっとユーシスの機嫌が悪くて困ってる。もうロジーヌじゃないとどうにもできないレベルだ」

「ロジーヌ……ああ、聖杯騎士の」

 認識できているのに認識していない演技をされたことで、ユーシスはへそを曲げてしまった。これは後々尾を引く前に、ルーファスから早々に釈明をしておくべき案件だ。

「ところで、ロイドなら察しはつくか? ルーファスさんが囚われながらも自意識をある程度保っていた理由を」

「いや、さっぱりだ。その辺りはヴァンが問い質してみると言っていたが」

「そうか。直接戦ったロイドならわかることがあるかもと思ったんだが……それにしてもあのチェスゲーム、最後はクロスベルチームの勝利だったな」

「エリィの采配のおかげさ。マキアス撃沈後にすぐに代わりに入った彼女の判断が大きかった。本当にエリィにはいつも助けられるよ。……まあ、よく怒らせてしまうんだけどね」

「なんで?」

「さあ? たまたま機嫌が悪かったのかもしれない」

 リィンも心当たりがある様子でうなずいた。

「俺もよくアリサやラウラを怒らせるんだよな……」

「なんで?」

「さあ? たまたま機嫌が悪かったのかもしれない」

 そろって首をかしげる二人。

 不意にロイドが苦笑した。

「そういえばそのチェスで、ヴァンはあんまり何もしていなかったな……。エレインさんを怒らせて、エレインさんの怒りの相手をしただけのような気がする」

「ロイドがルーファスさんと戦ってる間、最後列でずっと腕組み立ちだったぞ。クロスベル組が必死で声援を送る後ろで、時々うなずいたりして監督っぽい雰囲気だけは醸し出していたが」

 そんな話をしていると、ちょうど前からヴァンとエレインが歩いてきた。

「シュバルツァーにバニングスじゃねえか。ジュディスの形見を探してくれてんのか?」

「それだとジュディスさんが亡くなった感じに聞こえるから。ちょうどいいわ。二人に尋ねたいのだけど、どこか落ち着いて話せる場所ってあるかしら。人気(ひとけ)のないところが希望よ」

 エレインに問われ、ロイドが答えた。

「今は艦内どこも捜索メンバーだらけだし……そうだ。六層の展望レストランはどうかな。さっき少し立ち寄ったんだが、テラスには誰もいなかったと思う」

「そう、ありがとう。じゃあそこに行くわ。ほら、ヴァン」

「……はい」

 エレインの後ろについてトボトボ歩くヴァンは、見えない首輪に繋げられているかのようだった。

 すれ違う時になんだか助けて欲しそうな目を向けてきたが、ロイドとリィンは同時に視線を床に逃がした。

「処刑場に連行される罪人みたいだな……ん?」

 身もふたもない感想をリィンが漏らした時、通路の奥から妙なものが現れた。

 ダンボール箱が三つ、列を成してズリズリと前進してくる。それらはヴァンたちの後を追うように、リィンたちの横を通り過ぎて行った。

 

【挿絵表示】

 

 

 ●

 

 ロイドに勧められた通りに、ヴァンとエレインはレストランのテラスに来ていた。

 洒落っ気のあるカフェテーブルを挟んで、二人は向かい合って座る。

「エレイン……さん?」

 エレインはそこから見えるマーテル公園の景色を漫然と眺めていた。

 《パンタグリュエル》の不時着のせいで、木々がへし折れたり、花壇がえぐれ返ったりと、せっかくの景観が台無しだ。

「なに?」

 ヴァンの呼びかけに微妙な間をおいて、エレインは首を振り向ける。風を受けた彼女のブロンド髪がふわりと揺れた。

 切れ長の瞳に見つめられ、ヴァンは緊張の喉を鳴らす。

「えっとだな。例の一件をちゃんと謝りたいっていうか……マジで悪気はなくてな。適当が的を射たのも嘘じゃなくてよ。まあ、なんだ。……悪かった」

「………」

「覚悟はできてる。やるなら一思いに――」

「ジュディスさんの」

「あ?」

「コンパクト探しの途中だけど、抜け出しちゃって大丈夫なの? 今更だけど」

「あ、ああ。今はお前と話す方が大事だと思って」

「そう」

 エレインは手元のグラスを口にした。セルフで入れてきたドリンクで、中身はただのジュースだ。ほんの少しだけ彼女の表情が和らいだ気がする。

「別にそのことはもういいわ。済んだ話だし」

「ゆ、許されたのか」

「まさか。済んだ話というだけ。埋め合わせはどこかでしてもらうつもり」

「だから俺の命を」

「それだと一瞬で終わっちゃうでしょ」

「とんでもねえサディストだ……」

「冗談よ。とりあえずデコピン一発で相殺してあげる。破格の妥協案なんだからね」

 バヂンッとヴァンの額に衝撃が弾けた。首の骨がイかれたかと思った。

「ふぅおおお……」

「相変わらず大げさね。……ねえ、この機会に一つ訊いてもいいかしら」

「な、なんだよ」

「あなたとデュエルで戦ったじゃない。その最後に私が言ったことについて」

「あー……?」

「私とアニエスさんの何が違うのかって」

「ああ」

 あんな状況での台詞だったし、深くは考えていなかった。正直、忘れていた。

「もしかして忘れてた?」

「もちろん覚えています」

「そ。で?」

「何がも何も、何もかもが違うだろ。お前にないものをアニエスが持っていて、アニエスにないものをお前が持ってる。それは当たり前で、それだけのことだ」

「そうね。それだけ。それだけのことが、どうしようもなく大きい。私が持っていたかったものが、私にはなくて彼女にある」

「抽象的で何の話かわからねえ」

「半分くらいはわかってるんじゃないの? あなたはそんなに鈍い方ではないと思うけれど」

「買い被り過ぎだ」

 もしかしてケンカでもしたのか? 

 しかしエレインとアニエスがそんな状況になっているとは想像しにくい。

 エレインが年下相手に無用な劣等感を抱くとも思えない。

 アニエスだってエレインを尊敬こそすれ、変に壁を作るようなことはしないはずだ。

 わからない。自分に思い当たることもない。強いて諍いらしいものを見たと言えば、《パンタグリュエル》で俺のパンツを二人に引き裂かれたくらいだろうか。

「前言撤回。やっぱり鈍い」

「お前の話は時々すげえ難しい。妙に回りくどく言う癖があるよな、昔から」

「あなたから理解して欲しいだけ、きっとね。悪い癖だって自分でわかってる。言いたいことをはっきり言わず、察して欲しいとばかり思ってる。自分勝手よね」

「そうさせてるのが俺の態度なんだとしたら、やっぱ俺が悪いんだろうよ」

「私の言葉で申し訳なさそうに目を伏せるあなたを見て、このあと部屋に戻った私は自己嫌悪に陥るんでしょうね」

「め、面倒くせえヤツだな、お前は」

「今知ったの? 遅いわよ」

「ナーバスになってんのか?」

「そうかもしれない」

 エレインはテーブルに顔を伏せた。

「……周りに誰もいない?」

「ん? ああ」

 レストランの一角に、大きめの段ボール箱が三つ並んでいるくらいだ。あんなのさっきあったか?

「じゃあ頭撫でて」

「は? そりゃどういう――」

「あなたは知らないでしょうけど、それで大体の問題は解決できるものなのよ。秘密の暴露の件、チャラにしてあげるから」

「さっきのデコピンでチャラになったんじゃなかったのか」

「いいから」

「まあ、そんなもんでいいなら」

 顔を伏せたままのエレインの頭を撫でてやる。

「雑。もっと優しくしなさいよ」

「へいへい」

 ヴァンの指の間を、細い金髪がさらりと透けるように流れていく。

「これでいいのかよ」

「うん」

 エレインは顔をあげると、静かに立ち上がった。

「元の世界に戻ったら、行きつけのバーに付き合ってくれる? ベルモッティさんのカクテルにも負けないものを出してくれるわ」

「そいつは期待しかねえな。しかしどういう風の吹き回しで?」

「ソフトドリンクだけじゃどうにも口が回らなかったから。大人になったらお酒がないと話せないこともあるって再認識したのよ」

「ひどく同感だ」

 エレインは先にレストランの出口に向かう。不意に足を止めて、

「好きよ」

「は!?」

「このストラップ」

 前にミシュラムで贈ったみっしぃストラップだ。それを手の中で弄ぶ。驚かせやがって。こっちが弄ばれているような気分になる。

「これ、元の世界に持って帰れるかしら」

「さあな。《王》にでも聞いてみろよ」

「気の利かない返しだこと」

 微かな笑みを浮かべて、エレインは行ってしまった。

 俺も行くか。ジュディスのコンパクト探しを再開しなくては。

「やあ」

 そこにルーファスがやってきた。

「大変そうだな。人の心とはつくづく難しいと思い知らされる」

「まったくだが、のぞきは感心しねえな。それか庶民の会話を見聞きするのも、大貴族様の嗜みなのか?」

「元だよ。爵位などとうの昔に取り消されているだろうさ。皆の会話に興味があるのは事実だが」

「ならその難しい人の心について、上手な向き合い方を俺にレクチャーしてくれると助かるんだが」

「恥ずかしながら私も学ぶ身でね。誰かに教えるなどと口が裂けても言えないな」

「じゃあ何しにきた?」

「ちょっとした報告を」

 ルーファスは椅子に座った。それだけの動作が洗練されているのが、また鼻につく。

「これから《ユグドラシル》への突入プランを立てるのだったね? つまり《ロア=ヘルヘイム》脱出にかかる最後の作戦を」

「うちのジュディスが厄介ごとを持ってこなきゃ、今頃はその打ち合わせの最中だったんだが」

「懸念事項が一つ。“夢の綻び”だ。最重要事項だと理解しているが、作戦を立てるにあたって不明確なままだろう。しかもミストマータ勢力に情報を先に掴まれてしまったとか」

「《白銀の剣聖》のミストマータのせいでな」

 シズナは消える前に“夢の綻び”の正体に気づき、しかも仲間に共有すると言い残した。

 必要なパーツを欠いたまま作戦を組み立てていくのは、確かにリスクが大きい。

「だからまずはリーダーミーティングで“夢の綻び”に関する予測を立て、それを元にミッションプランを練るしかねえだろ。わざわざその進言に来たのかよ」

「違う。ちょっとした報告だと言っただろう。“夢の綻び”の正体がわかったのでね」

 

 ●

 

「わかりました。リィンに関してはこちらで処理します。ロイドさんの方はエリィさんでお願いします。はい、それでは」

 通信を切ったアリサは、《ARCUS》をホルダーに戻した。

「ごめんなさい、カトル君。終わったわ」

「ああ、いえ。エリィさんからの連絡だったんですよね? 急ぎの案件ならこちらは後でもいいですよ」

 カトルが言うと、アリサは小さく嘆息した。

「大した話じゃないわ。二層にコンパクト探しに行ったロイドさんとリィンが、間違って女子更衣室に入ってきたんですって。二人そろって『不可抗力なんだ!』って騒ぐものだから発砲したってエリィさんが。その業務報告よ」

「業務……?」

 淡々とアリサは言う。“処理する”と告げた事務的な口調に、カトルは恐怖しているようだった。

「入口はあっちですよねっ!」

「あ、フェリちゃん。瓦礫が落ちてくるかもしれないから、気を付けなきゃダメよ」

 フェリを先頭にカトルとアリサの三人で、墜落した《パンタグリュエル》の側面に回る。

 そこに船倉ドックに繋がる扉があった。フェリが無理やり開こうとするが、金属製のドアはうんともすんとも言わない。

「うーん、やっぱり開かないですよ」

 それは“銀の扉”だった。

 空エリア攻略中、船倉内に出現したこの扉は、なぜかあちらこちらに移動を繰り返していて、結局最後までその理由はわからずじまい。

 そして今“銀の扉”は、船倉と外部を直接つなぐ非常扉と完全に同化している。

 ジュディスのコンパクト探しをしていたカトルが、偶然に発見したのだ。

 フェリがこんこんと扉を叩く。

「艦内の階段はねじ曲がって下層までたどり着けなくなってますし、直通エレベーターも止まってますし、船倉に入るルートはここだけですよね……あ、扉を爆破するのはどうでしょう?」

「中がどうなってるかわからないんだから、下手なことしたらまずいって!」

「そういえばフィーも昔、扉を爆破して開けたことあったわね。こういうの似るものなのかしら」

 なんだか懐かしい。

 ほのぼのするアリサだったが、視線を扉横のタッチパネルに転じてふと気づく。

「端末に導力が流れてる。パスコード入力を受け付ける状態になってるわ。ちょっと待ってて、とりあえずクロウを呼ぶから」

 ほどなく通信で呼びつけられたクロウが到着する。彼も艦内にいたようだ。

 扉の前に立つと、クロウは眉をひそめた。

「四桁のパスコードか。俺に贈ったものにヒントがあるっつーが、まったく心当たりがねえんだよな。もう0000から9999まで試した方が良いんじゃね」

「エラープロテクトがかかったら詰むわよ。同期でしょ? 誕生日プレゼントの贈り合いとかないの?」

「俺とジョルジュがかよ。あるわけねーだろ。……いや、待てよ、四桁……まさか」

 クロウはパネルのナンバーを押して、パスコードを入力した。

 ピッと短い音がして、パネルモニターの点滅光が赤色が緑色に切り替わる。ドアが両側にスライドして、銀の扉は嘘みたいにあっさり開いた。

「うそ、なんて入力したの?」

「1203だ」

「どういう意味の数字?」

「ノルド攻略の時、導力バイク作ったろ。俺のマシンを手がけたのが、ジョルジュでな。機体の名前は《ブラストエッジ1203》」

「それだけのことで推測が立つもの?」

「1203ってのは年号だ。俺らが同期四人で初代のバイクを作り上げた年なんだよ。そういう数字を持ってくんのが、何ともジョルジュらしい気がしてな」

 開いた扉の前で、アリサは息を呑む。

 ルーファスは夢に囚われながらも、囚われていることを自覚できていたという規格外。

 だがそんな彼でも『扉が見えていない』という発言は真実だったらしい。本当に視認できていなかったのだ。

 “囚われ”には視えない銀の扉の先へと、アリサたちは足を踏み入れた。

 照明は点いているようだ。本来ならこの先は船倉ドックが広がっているだけだが、果たして。

「な、なんで……っ」

 がらんどうだったはずの空間を、一機の飛行艇が埋め尽くしていた。

 見上げるほどに巨大な両翼を備え、鋭角な船首が前方に向かって伸びている。何よりも船体の全てを覆う深紅の外装が、薄暗い船倉に鮮やかに映えていた。

『カレイジャス……!』

 アリサとクロウが異口同音に言う。

 《十月戦役》から本格的な運用が始まり、一度ジョルジュの手によって爆破されるも、カレイジャスⅡとして再び空を舞った紅き翼。

 そして《ヨルムンガンド戦役》に至るまで、主にはエレボニア陣営の拠点として戦乱の空を駆け抜けた高速巡洋艦。

 その《カレイジャス》が《パンタグリュエル》の船倉に収まっていた。

「……カレイジャスの船倉ハッチが開いてるわ。とにかく行ってみましょう」

 こんな間近では初めて見るのだろう、圧倒されているカトルとフェリの前を、アリサは早足で歩いていく。

 《カレイジャス》を用意したのはジョルジュか? これを使って《ユグドラシル》に向かえということか? だがあの幻竜《ニーズヘッグ》が待ち構えている以上、《カレイジャス》であっても易々とは突破できない。

 そうであるならば。本当に道を切り開かせるつもりがあるならば――

「おいおい、マジか」

 クロウが目を見開いた。

 《カレイジャス》の船倉の中で、四人の前に(かしず)く三体の巨人。

 スマートなシルエットでありながら、炎に彩られたような激しさを兼ね備えたスカーレット専用機、《ケストレル・レギンレイヴ》。

 騎神の操縦性能を再現し、パワーとスピードを両立させたリィン専用機、《ティルフィングS》。

 そして――

「……レイゼル」

 ヴァーミリオンカラーの装甲。あらゆる既存技術の先を行く特殊兵装。

 十月戦役の最終戦で大破したが、時を経てアリサ、イリーナ、グエンというラインフォルト三世代共同製作によってリビルドされた、他を凌駕する最強の機体。

 そのコックピットを開き、《レイゼル雷閃式》がアリサの前に跪いていた。

 

 

 ――つづく――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――another scene――

 

「好きよ、このストラップ」

 そう言い残して、エレインはダンボール箱に隠れる三人娘の前を通り過ぎていく。

 入れ替わるようにルーファスがヴァンの前に座ったが、そんなことはもはやどうでもよかった。

 三つ横に並ぶダンボール箱の右がレン、左がナーディア、真ん中がアニエスだ。

「わー……この雰囲気あれだねぇ……あーちゃん、反応ないけど生きてる?」

 ナーディアが言うも、アニエスは何も答えない。

「どうしたの、アニエス。今の気持ちを教えて欲しいのだけど」

 レンが言うも、アニエスは無言を貫いている。

「あーちゃん何か言わなきゃ、レンちゃんに死にエスとか呼ばれちゃうよ?」

「いいえ、これはもうアニDEATHね」

「許してあげて~、あーちゃんのライフはゼロだよ~!」

「ここで負けたらダメ。攻めの姿勢で行きなさい。ほらほら」

 ナーディアとレンで、左右から真ん中のダンボールをゆさゆさ揺らしていると、

「……ぐすっ」

『あっ』

 

 

 ★ ★ ★





《話末コラム①》【ジュディスのコンパクト】

《破片の十一》の“ぶっ飛ばしてレストラン”で、ラウラがモップでぶっ飛ばしたものが、ジュディスのコンパクトだった。しかしラウラにその自覚はなく、彼女も《パンタグリュエル》の中で捜索の手伝いをしている。

 ●

《話末コラム②》【《虹の軌跡》におけるアリサのパイロット適正】
 
 機械に関する知識と応用力が非常に高く、機甲兵の操縦士としても一級品。ノルド監視塔攻略戦における《ドラッケン》の強奪に始まり、イリーナ奪還作戦では自身の専用機となる《レイゼル》を駆って、一対八の戦闘を無傷で圧勝してみせた。
 以降も対機甲兵戦では無敗を誇り、全ての戦いに勝利している。獅子奮迅の突破力はアリサ無双とまで呼ばれていた。
 機体が大破したのは十月戦役の最終戦で、最強の魔煌兵《イスラ=ザミエル》と相打ちになったからだが、その時の操縦士は頼れるお兄さんことトヴァル・ランドナーだった。
 その後、トヴァルはアリサに大量の反省レポートを提出している。

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