黎明の軌跡 Break the Nightmare   作:テッチー

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第5話 霧の囚われ

「――以上が判明している限りの現在の状況だ」

 全員との面識があるらしいリィンが、経緯を説明してくれる。

 すぐに受け入れられる状況でもないはずだが、ここにいる面々はなぜか異世界絡みの事情に抵抗がなく、すんなりと夢の世界《ロア=ヘルヘイム》のことを理解したのだった。

「それにしても、錚々(そうそう)たるメンバーなんだが……」

 城エリアで目覚めた者たちは、いったんアークライド事務所に来てもらっている。さして広くない室内にそろった顔触れを、ヴァンは今一度見回した。

 剣聖のリィン・シュバルツァーに始まり、彼の教え子であるアルティナ、帝国皇族アルノール家のオリヴァルト、シェラザード、アルフィン、セドリックに、リベール王太女クローディア、アルゼイド流師範代のラウラ、正遊撃士のフィー、元結社所属の《神速》のデュバリィと、普通に生活していればまず出会うことのない人間たちばかりだ。

 幸いにも和を乱すような者はおらず、自己紹介も穏便に済ませたところである。もっともデュバリィだけは憮然として、部屋の隅で腕組みをしていた。

「さて……シュバルツァーが説明してくれた通りだが、改めて確認したいことがいくつかある。先に全員に聞いておきたいのは、記憶はどの程度保持できているかだ」

 ヴァンの質問にはオリヴァルトが答えた。

「それについては、ここに来るまでに確認済みだ。僕たちはクロスベル再事変が解決した時点までの記憶しかない。しかしヴァン君たちカルバード勢は、その一年後――1208年までの記憶があるそうだね?」

「ええ、そうです。この場合、俺たちが未来なのか、あなたたちが過去なのか、どこが正しい時間軸なのかわかりませんが」

「しかも君たちは仲間が増えるごとに、さらに先の記憶まで拡張されるんだろう? だけどその現象は我々エレボニア勢には起こっていない。リベール勢と呼ぶにはクローゼ君のみだが……彼女にもそういった兆候はない」

「なるほど」

 彼らに共通しているのは、全員に何らかの面識や繋がりがあること。これは《ロア=ヘルヘイム》に呼び込まれる条件に関係があるのかもしれない。

 そして記憶の混濁があること。《ロア=ヘルヘイム》に来る直前のことは曖昧にしか思い出せないそうだ。明確に覚えている俺たちカルバード勢と比べ、そこは違う点だ。

 しかし城エリアでやっていたことは覚えているらしい。今考えればあり得ない思考をしていたが、その時点ではそれを疑問にも思っていなかったという。

「再三になるが、初めての人もいるし、この世界での目的をおさらいしておくか」

 ヴァンは《幻夢の手記》を取り出した。

「ここは夢の世界《ロア=ヘルヘイム》だ。ジョルジュとかいうやつが作った《バルドルの箱》って装置がこの事態を引き起こしてるらしい。なかなか有能な先輩だな?」

 皮肉を込めてリィンを見やると、「作ったかもしれない、だ。あくまで……」と歯切れ悪く言う彼に続き、ラウラとフィーも困ったような表情を浮かべていた。

「で、《ロア=ヘルヘイム》にはいくつかのエリアがあって、それを生み出す原因となった主格者がいる。その主格者の望みを満たすと、霧が晴れてそのエリアは解放。そこに囚われている人間は夢から覚める」

 もっとも、肝心の“霧”の正体は謎のままだ。

「今回の城エリアの場合はアルフィン殿下とセドリック殿下だったが、主格者が二名というのはおそらくイレギュラーだと思う。お二人の願望であるリィン・シュバルツァーの独占という内容が偶然重なったからで――」

『わわわ!』

 と、アルフィンとセドリックは焦ってヴァンの言葉を止めた。

「いや、ほら、リィンさんのことは尊敬してるし、剣のご指導とか専属でしてもらえたらなーって」

「わたくしも最近お会いする機会が減ってしまって寂しかったというか……」

 わたわたと顔を赤くする二人。確かトールズの先輩後輩の仲だったか。微笑ましいものだ。

「おっと失礼。じゃあ説明を進めますんで」

「待って。手記が光ってるよ」

 フィーがヴァンの胸ポケットを指さす。ここで来たか。

 ヴァンは光っているページを開いた。新たな項目が開示されている。

 

⑧【《ロア=ヘルヘイム》に囚われし者たちの姿と記憶は、各々が広範囲に、かつ同時に縁を繋いだ時期――クロスベル再事変の年代(七耀暦1207年)に固定される】

 

「あー、まあこんな感じで、こっちの都合とか関係なく情報が出てくるのが、この《幻夢の手記》だ。俺が《ロア=ヘルヘイム》の謎に触れた時に自ら更新されていくってことだが、なぜ俺なのかはわからん。タイミングも良いのか悪いのか、微妙な時があるしな。それで肝心の新情報だが……シュバルツァー、どうだ?」

「俺たちの姿と記憶はクロスベル再事変の年代で固定されている? 理由は広範囲かつ同時に縁を繋いだから……? 確かに再事変解決にあたっては多くの人と協力したが……」

「何をもって縁だと認識されているかだな。たとえばこんな異世界にまとめて放り込まれたとか」

「そんなことが、そうそうあるわけないだろう。……ん? そういえば《幻夢の手記》? 幻夢……?」

 思い当たる節があるような素振りだが、結局特には思い出せなかったようで、リィンは首を横に振った。

 七耀暦1207年というのは、やはり意味があるらしい。だがシュバルツァーたちと違って、俺たちが1208年である理由はまだわからない。

「話を戻すぞ。とにかく元の世界に戻るためには、鍵となる《バルドルの箱》を見つける必要がある。手順としてはこうだ。一つエリアを解放すると、そのエリアの主格者から次のエリアに繋がるキーアイテムがもらえる。それを繰り返しながら、目標に近づいていくってわけだな」

 新たなエリアには他にも囚われている人たちがいるはずだ。エリアの解放に伴い、必然的に彼らの目も覚めていく。行動を進めて行けば《幻夢の手記》も更新され、この世界のことがさらに明らかになるだろう。

 そして全員の目が事務所の卓上に置かれた大きな宝箱に集中する。

 城エリアを解放した際、アルフィンとセドリックの両名から渡されたものだ。これこそが次のエリアに関わるキーアイテムのはずなのだが、中身は使い道のわからないコインがぎっしりと詰まっているだけだった。

「ゼムリアコインねえ。酒場もなけりゃあ盛り場もねえ。いったい何が買えんだろうなァ。裏面の《ミスティルテイン》の意味もわかんねえし」

「だからアーロンさん! 態度悪いですってば!」

「あ? いつも通りだろうが」

「この面々の中でなんでいつも通りにできるんですか……」

 つまらなさそうにコインをつまみ上げるアーロンを、アニエスが焦ってたしなめた。

 その横から、フェリがヴァンに質問する。

「お話を聞いてる限りだと、この世界って自分の認識なんかが影響を及ぼすことが多そうですよね」

「情報が少なくてなんとも言えねえが、その可能性はあるな」

「うーん、エレボニアのお城からコインがいっぱい……お金……あっ」

「お、なんか思いついたのか? 言ってみろ」

 喜色満面でフェリは答えた。

「もしかしてヴァンさん、エレボニアからの賠償金がまだ足りないって思ってたりとかっ」

「思ってねえよ! エレボニアの皆さんがわかりやすくドン引きしてるじゃねえか! いや、マジで思ってねえから! おいフェリ、ちょっと謝れ!」

「? すみません」

「わかってないなこれ!」

 見事に変な感じの空気になる中、セドリックがおずおずと挙手した。

「あの……一ついいですか」

「な、なんでしょうかね、セドリック殿下。今の発言のことならフェリの妄想っていうか虚言っていうか、聞き流してもらえるとありがたいってうか、むしろなかったことにして欲しいっていうか」

「いえ、そうじゃなくて、いないんですけど。……エリゼさんが」

「え?」

 

 

《★――第5話 霧の囚われ――★》

 

 

「ったくフェリのやつめ。あれで悪気がないってんだから困ったもんだぜ」

 一歩間違えていれば凍り付いていたかもしれない空気の中で、いの一番にオリヴァルト皇子が笑ってくれたから助かった。明朗闊達で親しみやすい性格はうわさ通りだったらしい。

「子供らしい無邪気さでいいじゃないか。中東の猟兵だと聞いたが」

 運転しながらぼやくヴァンに、助手席のリィンが言った。

「《クルガ戦士団》って猟兵団の副頭目の娘でね。わけあってウチで預かってる。あれを無邪気と見るのは、教職としての面倒見の良さからか?」

「どうだろう。ただ俺の教え子にはいなかったタイプかな。素直そうだ。ああ、いや。今までの生徒が素直じゃないって意味じゃないが」

「あれで素直とは、ずいぶん跳ねっ返りが多かったらしいな。そういえばアルティナだったか、あの子にぶん殴られた痕はどうなんだ? 正確には黒い戦術殻にだろうが」

「アルティナには散々謝られたよ。認識が普通じゃなかったわけだし、気にするなとは言っておいた。本人は反省していたが……まあ、不埒な人って発言は撤回してくれなかったけど……」

「あーなるほど。英雄色を好むとはいえ、教え子に手を出すのは良くねえよなあ」

「何か誤解してないか? 違うぞ?」

 後部座席のアルフィンが身を乗り出してきた。

「そうです。リィンさんのは不可抗力ですから、仕方ないことなんです!」

「アルフィン殿下、フォローになっていませんが……」 

「あと教え子に手を出すのはいけませんが、後輩なら大丈夫ですよ?」

 じぃっと愛らしい瞳でリィンを見つめる。

 さすがは帝国の至宝の片割れ。破壊力抜群だ。逃げられない車内で、リィンはたじろいでいる。

 さらにずいずいと迫ろうとするアルフィンを、同じく後部座席のセドリックが襟首をつかんで引き戻した。

「やめなよ、アルフィン。リィンさんが困ってるだろ」

「とめないで、セドリック。考えてもみて。もしもわたくしとリィンさんが結ばれでもしたら、リィンさんはセドリックの義理のお兄様になるのよ?」

「そ、それはありかも――じゃなくて! あんまりベタベタいくと、またエリゼさんが怒るよ!?」

 後ろのそんな会話を耳に入れつつ、ヴァンは言う。

「あの受付嬢のエリゼって子が、シュバルツァーの妹だったとはな。顔立ちが似てないし、気付かなかったぜ」

「まあ、血は繋がってないからな」

「義妹だと……? ちっとは自重した方がいいんじゃねえか」

「自重の意味がわからない。しかしエリゼまで《ロア=ヘルヘイム》に囚われていたなんて……」

 ヴァンたちがエリゼに会ったのは、リィンがアルティナにさらわれてからだ。だからリィンは彼女がいることを知らなかったのだ。

 そのエリゼを探すため、リィン、セドリック、アルフィンを乗せて、ヴァンは車で再び城エリアへと向かっていた。

 それ以外のメンバーはヘイムダルエリアに赴いて、捜索の範囲を広げている。

 霧が晴れているおかげで、地理関係の把握はしやすくなっていた。

 どうやらヘイムダルエリアと城エリアは隣接しているらしい。そういえば最初にヘイムダルで目覚め、機械人形から逃げ惑っている間に、遠くにグランセル城の輪郭を見かけたことを思い出した。

 ほどなく城エリアに到着。ヴァンたちは車を降りた。

 改めて三つの城が融合した光景は、クリアになった視界の中では、際立って異彩を放っている。

「おい、あれは――」

「エリゼ!」

 リィンは駆け出した。例の受付席にエリゼ・シュバルツァーが座ったままでいる。

「大丈夫か、エリゼ! どうしてまだこんな場所にいるんだ!?」

「待て! 妙だ」

 リィンに追いついて、ヴァンはその肩を引く。

 エリゼはどこか呆けたように、空を見上げていた。

「《幻夢の手記》の通りなら、夢から解放されているはずだろ。だが明らかに様子がおかしい。まるでまだ夢の中にいるみたいだ」

「確かに……けど、なんで……」

「さあな。ま、こういう時の為のコイツだ」

 ヴァンは《幻夢の手記》をぱらぱらと開く。

「この状況はどうなってんだ! 答えろ!」

 反応がない。それでも辛抱強く待つこと、およそ十秒。ページがじわりと光り、文字が浮き出てきた。

 

㉖【エリアが解放された場合、そのエリア内に囚われていた人間の夢は覚める。しかし何らかの望みを強く持っている人間は、稀に固有の疑似エリアを自身で生成し、囚われたままになってしまうケースがある】

 

 今の間は何なんだ? 手記の反応がやけに遅かったような。

 セドリックとアルフィンが、ヴァンの両脇から手記をのぞき込む。 

「えっと、つまり……エリゼさんは夢からの解放にまだ至ってないってこと? じゃあどうしたらいいんだろう……」

「んー、要領は一緒だと思うけれど。エリア全体としての解放に、他の想いが強かったエリゼの意識はついて来なかったということでしょう。まだ何かに囚われているのなら、その望みを個別に叶えてあげればいいんじゃないかしら?」

 アルフィンの見解は正しいように思えた。しかしそういった希望の中核を、また一から探らなくてはならないのか?

 時間と労力がかかるのは避けたい。どうすれば……。

「はあ、兄様に甘えたいなぁ……」

 空気に溶けるような吐息をついて、エリゼは小さく、しかしはっきりとつぶやいた。

 この上なくわかりやすいご要望だった。

「よっしゃ行け、兄様」

「え!? いや、でも」

「デモもテロもあるかよ。その程度で夢から覚めるんなら可愛いもんじゃねえか」

「う、うーん」

 リィンは何かを葛藤している。アルフィンとセドリックは無言でリィンを見つめていた。

「申し訳ないんだが、悩んでる時間はなさそうだぜ。ほら」

 薄い霧が漂い始めていた。その白霧は揺らめきながら、エリゼにまとわりつこうとする。

「もしかしたら、この霧が拡大して新たなエリアを生むのかもしれねえな。その中心にいるのが主格者ってことなら……できるのは『兄様エリア』って感じか?」

『に、兄様エリア!?』

 セドリックとアルフィンは、『それはそれでアリじゃない?』みたいな反応だが、当のリィン兄様はぶんぶんと首を横に振っていた。

「わかった。やろう。甘えてくれる年齢でもなくなったと思っていたが、はは、なんというか懐かしい気持ちになるというか、やっぱり多少の気恥ずかしさはあるというか」

「そういう前置きはいいから、早くやれって兄様」

「ヴァン……っ!」

 恨みがましい目を向けてきながらも、リィンはエリゼの前に立った。

 そこで初めて焦点があったかのように、不意にエリゼが反応する。

「あら、兄様。いつお帰りになっていたんです?」

「あ、ああ。ついさっきかな?」

「教官のお仕事がお忙しいのですね。お体は大事にして下さい。父様も母様も心配なさっていますよ、もちろん私も」

「いつもすまないな。時間が空いたらユミルに顔を出すよ」

「兄様の“時間が空いたら”は、当てにしておりません」

「うっ、すまない」

 なんとなく兄妹のパワーバランスが見えた気がした。兄が妹にあやまってばかりだ。だが仲は良いらしい。

「……兄様と最近お会いする機会が減って、私さみしいです」

「俺は第Ⅱ分校の教官で、エリゼは本校の学院生だったからな。エリゼが卒業してからは……そうだな、確かに顔を合わす機会が減ったか」

「そういうわけですので、頭をなでて下さい」

 ぶっ込んできた。

「なでっ……!? けどエリゼはもう19歳だろう? そういうのは、な?」

「兄が妹の頭をなでるのは普通のことです。それとも私の頭をなでるのはお嫌ですか?」

「そ、そんなことはないぞ」

 リィンはエリゼの頭をなでる。

「もっと愛おしそうに、優しく、慈しむようにお願いします」

「こ、こうか……?」

「えへへ、兄様ぁ」

 先ほどまでの凛とした佇まいはどこへやら、甘えたの子猫のようになっている。

「もういいか? いいよな? いいはずだ!」

「膝枕」

「え?」

「ひざまくらー」

 地べたにリィンを座らせると、有無を言わせず、その太ももにエリゼは頭を乗せて横になる。

「攻めてる。今日のエリゼは攻めてるわ! うらやまけしからんとはこういうことを言うのね……!」

「ぼ、僕は今、すごいものを見ている気がする。どこまでやるのか知りたいけど、このまま見続けていいものなのかわからない……!」

 言いつつ、ガン見するアルフィンとセドリック。 

「私だけの兄様……ふふ」

 

【挿絵表示】

 

 ひざ枕となでなでのコンボが決まる。

 その瞬間、霧が弾けた。散り散りになった霧の粒子は、風景に吸い込まれるように消えていった。

「………」

「………」

 ひざ枕の状態から、エリゼは上目でリィンを見つめる。それは大層怪訝な表情だった。無言のまま、次にその目はアルフィンたちに向けられる。彼女らもまた何も言わない。居たたまれない視線が、ゆっくりとエリゼから逸らされる。

「あ、あ、あ」

 エリゼの指先がカタカタと震え出した。首元から額まで真っ赤に染まり、その瞳が狼狽に激しく揺れ動く。

「あああっ、いやああああっ!!」

 世界を支える土台が崩壊したかのような絶叫を、ヴァンは終始沈黙したまま聞き届けた。

 

 ●

 

「エリゼ・シュバルツァーと申します。兄が大変お世話になったようで、妹としても御礼申し上げます」

 帰りの後部座席、アルフィンとセドリックに挟まれるエリゼは淡々と、粛々と、ヴァンに淑女然とした挨拶をしてみせる。「お、おう」としか返せないヴァンに、エリゼは上品な笑みを差し向けた。

「ふふ、いかがなさいましたか。ああ、私なら大丈夫ですよ。少し気分が悪くなって倒れたところに、たまたま兄様のお膝があって助かりました。ご心配をおかけしたようですね、姫様たちにも」

「ええ、そうね。なんというか、まあ……そうね」

「うん、エリゼさんが無事でよかったよ、うん」

「はい」

 それ以上の感想が封殺される。穏やかな笑みに含まれる圧の凄まじさが半端ではなかった。魂を削り切るようなあの悲痛な叫びは、完全に無いことになったらしい。

 リィンが速やかに話題を変えた。

「だがこういうケースがあるとなると、解放したエリアにも取り残されている人がいないか、改めて見回る必要が出てきたな。新たなエリアの捜索もあるし、どれくらい人員を割けるものか……」

「そこはあんまり問題ないと思うぜ。エリアを解放すれば、そこにどれくらいの人間が囚われているかにもよるが――少なからずこちらの持ち駒は増える。人海戦術だってできなくはない」

 問題があるとすれば、その全員をアークライド事務所では収容できないことか。《ロア=ヘルヘイム》における一時的な待機場所も考えなければ。

「ん? 通信が入ってるみたいだが」

「運転中は手を離せねえ。悪いが応答してくれ。音声はスピーカーモードで頼む」

「《Xipha》だったか。操作感が《ARCUS》とは違うな……えーと、これか?」

 リィンが受信ボタンを押すと、アニエスの声が通話口から届いた。

『アニエスです。聞こえますか? この世界でも普通に導力通信ができちゃうんですね」

「ヴァンだ。音声は良好。どうした?」

『ヘイムダルエリアの巡回中に、おそらく夢に囚われたままの人を発見しました。今からいうポイントに来てもらえますか?』

 

 ●

 

 アークライド事務所エリアへの帰路を変更し、アニエスから伝えられた場所に車を走らせる。

 リィンとの戦闘やフェリの手榴弾で破壊しまくったヘイムダルの街は、その痕跡の一切がなく修復されていた。

 しかし何より異様だったのは、

「え、普通に人が生活しているんですけど……」

 窓の外を眺めるエリゼは驚いていた。

 ヴァンもその光景を訝しむ。前回訪れた時には、確かに人の姿はなかった。代わりにいたのはうろつき回る人形兵器の群れ。

 先の城エリアでも気になってはいた。舞踏会と武闘会、どちらにも観客が大勢いたのだが、あれらの全員が本当に《ロア=ヘルヘイム》に囚われた人々なのだろうか。

「物は試しといくか。おい、街の人たちはどうなんだ? あいつらも現実世界からここに呼ばれたのか?」

 今度はすぐ反応があった。例によって手が離せないので、手記をリィンに開いてもらう。

 

㉕【“囚われている者たち”を除き、《ロア=ヘルヘイム》内の街や施設に存在している群衆は、夢の主格者たちが見る幻影であり、実体のない存在である】

 

 リィンの読み上げを聞いて、ヴァンは概ねを理解した。

「なるほど。元々このヘイムダルは、シュバルツァーの望みによって作り出されたエリアだ。人形兵器がいなくなった街で人が平和に過ごすところまでが、多分ワンセットの夢なんじゃねえか? その認識がこの大勢を映し出しているんだろうな」

「……どうかな」

 曖昧に濁すリィンだが、後ろの三人は実に納得いった顔でうなずいている。

 いや、もう、どんだけ人格者なんだっつー話だ。

 あるいはずっと戦い続けてきた彼が、いつか手に入れたいと願う夢想なのかもしれなかった。

「とにかくここらの人たちは本物じゃねえってことだ。なら次の質問。イメージで作られた幻の人間と、実際に囚われている人間はどう見分けたらいい?」

 待てども答えは返って来ない。どうやらこの質問には答えてもらえないらしい。相変わらず返答基準が不明確だ。

 車はオスト地区に入っていく。

「おいおい、なんでだよ。おかしくないか?」

 途中、瓦礫の山になったままの邸宅が視界に入って来た。今にも崩れ落ちそうな表札には《レーグニッツ》と記されている。リィンを誘い入れて、フェリがどかどか手榴弾を投げ込んだ家だ。

「この家ぶっ壊したとき、焦ってたよな? シュバルツァーの知り合いが住んでいるのか?」

「まあ、そうだ。……知事閣下やマキアスがこっちの世界に呼び込まれていないことを願うばかりだが……」

 それにしても他の建物は修復されているのに、なぜこのレーグニッツ邸だけ戻らない?

 疑問を抱えたまま、車は目的地に到着。オスト地区にある古びたバーだった。

「あ、ヴァンさんたち、こっちですよ!」

 店の前で、フェリが手を振る。

「待たせたな。アーロンとアニエスに、アルゼイドとクラウゼルも一緒か。他は?」

「オリヴァルトさんたちは他の区域を回ってくれてますよ。ところでそちらがエリゼさんですか? 初めまして、フェリーダ・アルファイドです。フェリって呼んで下さいねっ」

「こちらこそ。エリゼ・シュバルツァーです。よろしくお願いします」

 エリゼは初体面の相手に手短な自己紹介を済まし、フィーとラウラは彼女の無事に安堵する。

 一同は店内へと踏み入れた。

 店構え通りのレトロな雰囲気だ。奥のバーカウンターでは女性が二人、飲み交わしている。

「あれって、サラさんに……スカーレット教官!?」

 トールズ組が駆け寄っていく。

「サラ? サラの姉御か? まさか……?」

 ヴァンはサラと面識がある。

 七耀歴1205年に起こった《北方戦役》で、サラ・バレスタインとトヴァル・ランドナーの両名に、共和国方面からノーザンブリア自治州への潜入ルートの確保をしたことがあるのだ。その際に見知り合っていた。

 リィンの説明によれば、リィンたち旧Ⅶ組のかつての担当教官で、一方のスカーレットという栗毛色の髪をした女性が、エリゼたち新Ⅶ組の担当教官だそうだ。

 よく目を凝らすと、彼女らにも霧がまとわりついているのがわかる。やはりまだ夢の囚われから解放されていないようだ。

「手順はわかってんだ。望みを引き出し、それを叶える。そうすると夢から覚醒する」

「ん。いいかな」

「どうした、クラウゼル。質問か?」

「さっきまではエリゼもまだ囚われていたんだよね。どんな要領で望みを叶えたのかを聞ければ、参考になるかなって」

 ビキリと硬直するエリゼ解放組。誰かが答えるより早く口を開いたのは、他ならぬエリゼだった。

「私、最近寝不足だったので寝たいなーって思ってました。それでちょっと寝たら、解放されてました。以上です」

「え、そんな単純な感じなの?」

「はい、以上です」

 さしものフィーも危険な空気を察して押し黙る。

 ただメインエリアに比べて、この“疑似エリア”の解放は確かに単純そうだった。主格者が誰か最初から判明している上に、望みは話からも汲み取ることができる。

 二人の会話に耳を傾けてみると、

「新任教官は順調? ああ、ごめん。さすがにもう新任っていうのは失礼よね」

「順調って言っていいのかしら。さすがに二年もやれば、多少は慣れてきたけど」

「ハインリッヒのちょびヒゲは相変わらず? ネチネチしつこいでしょ。あたし、何度あの男のコーヒーに液体接着剤を混ぜ込んでやったか」

「いや、死ぬわよそれ。私はリーシャ・マオのブロマイドを愛でている教頭の独り言を録音してね。授業中に館内放送で音量マックスにして流してみたわ。『今日もしゅきしゅきリーシャたん!』のくだりは、全校生徒に物議を醸したわね」

「そっちは社会的に死んじゃうじゃないの」

 ふふふ、と二人は陰惨に笑う。

「うわー、覚えてるよ、その放送。僕はてっきり、またアルフィンが何かやったものと……」

「失礼ね、セドリックったら」

「私も姫様の仕業とばかり……でも、あの時のスカーレット教官の黒い笑みの理由がわかりましたね……」

 事件の真相を思わぬ形で知り、戦慄する教え子三人。

 スカーレットがカウンターに突っ伏した。

「……近頃、すごく寂しいのよ」

「エリゼたちが卒業したから?」

「それもあるけどね。私の任期は二年。そもそもあなたの後を継ぐと同時に、お姫様の護衛や私自身の監察も含めてトールズの教官に任命されただけ。以降は正式な騎士として、バルフレイム宮勤めになるわ」

「そっか。殿下たちが卒業すれば、教官業も終わりってわけね。名残惜しいの?」

「そうなるんでしょうね。二年前はこんな気持ちになるだなんて思いもしなかった。たった二年だけど、多くのことがあったもの」

 溶けた氷が崩れ、からんとグラスを鳴らす。

「私は人に何かを教えて、導いていける人間じゃない。エリゼたちや他の生徒は、私のことをどう思ってるかしら。あの子たちに対して、十分なことは何もしてあげられなかった……」

 そこまで聞いて、ヴァンはエリゼの背中を押した。

「もう望みはわかったろ。行ってやれよ」

「はいっ!」

 エリゼ、セドリック、アルフィンがスカーレットの前に立った。

「あ、あなた達? まだ未成年なのに、バーなんかに入って来ちゃダメじゃないのよ」

 今までこちらには気づきもしなかったスカーレットの目の焦点が定まり、教え子たちを教え子たちと認識する。

「スカーレット教官! 私、教官にはどれだけ感謝してもし足りないんです。私が緋の呪いに侵食されている時も、解呪されたあとも、ずっとずっと支えて頂きました……!」

「僕もです! 教官の指導がなかったら《フレスヴェルグ》は扱い切れなかったし、シャーリィと戦うなんて絶対できなかった。全部、あなたのおかげなんです!」

「もしもスカーレットさんが教官をやりたいなら、続けたって全然いいんですよ。わたくしだって騎士にべったりじゃなくていいんですから。ね? だから自分のしたいことのために生きて」

「あ、あなた達……」

 スカーレットは顔を隠すようにうつむいた。

「……いいのよ、ありがとう。その言葉が聞けただけで、私は――私は……あら?」

 彼女を覆っていた白い霧状の粒子が壁を透過して、すうと消えていく。

 ヴァンは見逃さなかった。

 まただ。エリゼの時もそうだった。霧が消えるときは、決まって同じ方角に向かって散っていく。その方向の先に、何かがあるのか。

『スカーレット教官~!』

「はあ!? な、なによ、ねえ!?」

 感極まった三人が、スカーレットに抱きつく。本人は困惑の極みのようだった。

「説明はあとでする。まだもう一人が解けてねえ」

 サラの霧はまだそこにある。

「サラの姉御はシュバルツァーたちの教官だったな? 今の後輩組みたいな感じで行けるか?」

「もちろんだ。恩師への感謝の気持ちなら、俺たちだって負けない。ラウラもフィーもいいな」

「無論。私もそなたと同じ気持ちだ」

「私は特に遊撃士になってからも、何かと世話を焼いてもらってるしね」

 続いてリィンたちがサラの近くに歩み寄る。

 さっきまで話していたスカーレットがいないことに不審がる様子もなく、サラは一人酒に興じている。

 数年分の想いを込めるように、リィンは優し気な口調で話しかけた。

「サラ教官、安心して下さい。俺たちはあなたに最大の感謝を――」

「いい加減に彼氏欲しいわ―――っ!!」

 望みのカミングアウトと共に、グラスの底がカウンターに叩きつけられる。

 リィンたちは鮮やかな回れ右で戻って来た。

 

 ●

 

「つーことはオレの出番だな」

 自信も満々にアーロンが進み出た。

「要するにあの元女教師は、イイ男に言い寄られたいわけだ。そしてそれができるのは、この場でオレしかいねえ」

「アーロン君。一応聞いとくが、どうして俺を除外したのかな? あとシュバルツァーも」

「あん? そりゃ剣聖サマは元教え子なんだったら対象外だろ。そしてあんたはオッサンだ」

「じゃあお前は?」

「オレはカッコいいからな」

 こいつは威勢でも虚勢でもなく、自分の発言に疑いなく本気だ。

「だったら好きにしろよ。お手並み拝見だ」

「じっくり見物しとけや、お勉強させてやる」

「あ、待って、サラは――」

 フィーが何かを言いかけるも、アーロンは聞き留めずに、こなれた動作でサラの横に座った。

「よぉ、姉さん。となりいいかい?」

 その手際にヴァンは感嘆の声を漏らした。

「野郎、やるな! 警戒されねえギリギリの距離感。顔を照らす照明の位置取り。座ったあとにも関わらず『となりいいかい?』と言う攻めの姿勢! あいつ口先だけじゃねえ。場数をこなしてやがる!」 

「ヴァンさん? 忘れがちになりますけどね、アーロンさんって19歳なんですよ。未成年ですよ?」

 アニエスの責める目線をよそに、「マスター、白乾児(パイカル)は置いてるか?」と、アーロンは当たり前にアルコールをオーダーした。幻影なのだろうマスターだが、物体として存在はしているらしく、言われた通りカウンターの奥でグラスを準備し始める。

「しかしちと暑いなァ。姉さんもそう思わないか? ……ふう」

 色気たっぷりに、アーロンは上着をはだける。汗ばんだ胸元が照明で照り輝いた。キラキラのフェロモンが三割増しだ。

「なあ、どうよ、姉さん。このあと個室で二人だけで飲み直すってのは?」

「さっきからうるさいわね~、お酒を覚えたての子供が絡んでくるんじゃないわよ」

 撃沈。二の句を継ぐ隙間もなく、アーロンはすたすたと帰ってくる。

 フィーが言った。

「サラの好みって、もっと年上なんだよね」

「アーロンくぅん? イキりたって出撃したのにね? なんだっけ、お勉強させてくれるんだっけ? 教科書の何ページかな? 恥ずかしいね?」

「うっぜぇっ!」

 後ろからねっとりとヴァンに肩を組まれ、アーロンは額に青筋を走らせた。

「アーロンくぅんに大人の落としテクってやつを見せてやるよ。端っこで座ってろ、な?」

「オッサンがぁ……っ!」

 意気揚々と出向くヴァンは、アーロンと違って二席空けて腰かけた。

 酒を注いだグラスをカウンターの上に滑らせ、見事サラの前までスライドさせる。

 綺麗に止まったグラスを一瞥し、そこからサラはヴァンを見やった。ヴァンはニヒルな笑みを口元に浮かべ、意識して作った渋い声で言い放つ。

「久しぶりだな、姉御。俺からのプレゼントを受け取ってくれ。今日の再会に……乾杯」

「タイプじゃないわ」

 撃沈。静かに席を立つと、ヴァンはすたすたと帰ってくる。

 フィーが言った。

「ごめん、年上っていうのはサラより年上って意味。それもけっこう上じゃないとダメっぽい。だんでぃなおじさまとか言ってたような」

「そんなやつ、今のメンバーにはいねえよ……」

 告白してないのにフラれた気分だ。

 現状では、どうやっても望みを叶えられない。ダメ元で《幻夢の手記》に確認してみた。

「疑似エリアを解放する手順も、これまでと同じでいいんだよな? その場で主格者の望みを叶えられない場合、このまま放っておいたらどうなる? キーアイテムみたいなのはもらえなくなるのか?」

 一分ほど待っても反応がなかった。

「色々訊き過ぎたか? どうにも使い勝手の悪い道しるべだな……」

 手記をポケットに戻そうとした矢先、アニエスが言う。

「ヴァンさん! 来ました! 光りましたよ!」

「え、今? いつもよりやけに長くねえか? どれ――」

 

㉘【疑似エリアの解放条件も主格者の望みを叶えることであるが、正規の主格者ではない為、何かが手に入ることはない。故に別に放置していてもよい。でも放置し過ぎると新しいエリアができるかもしれないから、少しは気にしておいた方がいいのではないか』

 

「なんだそりゃ!? “かもしれない”とか“ではないか”とか、適当過ぎんだろ! 今回、どうなってんだ!?」

「でも一応、訊いた質問には全部答えてくれていますね……」

 いずれにせよ、やはり今はサラに対して何もできない。

「よーし、撤収!」

 ヴァンは両手を叩いて号令する。

 グラスを傾けるサラを置いて、一同は店をあとにする。霧がどことなく濃くなった気がした。

 

【挿絵表示】

 

 

――つづく――

 

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