黎明の軌跡 Break the Nightmare 作:テッチー
凄まじい圧の斬撃を、クラウ=ソラスのバリアで防ぐ。しかしオーレリアの一刀など受け続けられるものではなかった。
あまりの衝撃に分校のグラウンドがクレーター状に陥没してしまう。
「とんでもねえな。そりゃ婿探しも進まねえはずだぜ!」
「余計なことを言うな! 逆鱗に触れたらどうする!?」
バリアの内側からアッシュは右に、クルトは左に飛び出し、鋭い挟撃を仕掛ける。
「私が動きを止めます!」
さらにミュゼの援護。炎剣を象った魔弾《ムーランルージュ》が、不規則な軌道でオーレリアを狙った。
『誰の婿探しが難航シテいるだと?』
オーレリアの《覇王斬》がアッシュたちの技を蹴散らす。それにとどまらず、彼女は剣先を地面に深く刺した。
闘気によって形成された幻剣が大地から無数に突き出してくる。アルティナたちをかばったクラウ=ソラスがズタズタに貫かれた。
「エクセル――」
猛威を撒き散らす《剣乱舞踏》の隙間を縫って、ユウナが疾風のように駆け抜ける。
「ブレイカーッ!!」
強化トンファーによる大技が、しかし受け止められた。しかもオーレリアは素手だった。メキメキとトンファーの先端を握りしめ、
『もう一度聞こう。誰の婿探シが難航しているだと!』
「アッシュの馬鹿! めちゃくちゃ怒ってるじゃないのよ!」
至近距離で憤怒の形相に睨みつけられ、ユウナは生きた心地がしなかった。
急にオーレリアが飛び退いた。上からの二連斬撃と、横からの棍の打突がかわされる。
「えぇ……この不意打ちが回避されちゃうとか」
「完全な死角を突いたはずだけどね。やっぱりこの人は規格外だな。この人も、か」
転移してきたエステルとヨシュアだった。
「助かりました。でもリベール防衛はいいんですか?」
「向こうも向こうで激戦だったわよ。ヨシュアとレンのおかげでギリギリどうにかなったって感じ。ここからは私たち三人も学校エリアをサポートするからね!」
「心強いです! でも三人って……?」
『え?』
エステルとヨシュアは顔を見合わせる。レンがいなかった。
「あれ? レンも一緒に来たはずだけど」
「他のエリアに行ったのか? だけどシェラザードさんからの指示はないはず……」
「お二人、伏せて!」
ユウナがガンブレイカーを撃つ。ヨシュアたちの真後ろの二足型機械人形を、出現と同時に破壊した。
「す、すごい反応速度」
「まだ来ます!」
驚くエステルにそう言い、ユウナは体勢を低く構えた。警戒したその先で空間が捻じ曲がり、そこから黒い霧の人影が歩み出てくる。
『よォ、俺も混ぜてもらえるか?』
そのミストマータはマクバーンだった。《身喰らう蛇》の執行者№1だ。
「《黄金の羅刹》と《劫炎》の同時戦闘なんざ正気の沙汰じゃねえぞ。しかも片方はブースト状態だしよ」
「それはあんたのせいでしょーが!」
アッシュに文句を言ったあと、ユウナは指示を飛ばした。
「あんたがいると分校長がもっと激怒しそうだから、エステルさんとヨシュアさんのチームに入って、マクバーンの相手をよろしく! 分校長はどうにかこっちで抑えるわ!」
戦力分散はこれが限度。本部もまずい状態だ。これ以上の応援要請は望めない。
しかしユウナは元気もいっぱいに、トンファーを敵に突き付けた。
「任せて! 今日のあたし、なんか冴えまくってるから!」
《――★第51話 黎明の軌跡★――》
「主格者としての権限移譲はしておいたわ。学校エリアのことなら、ユウナさんはほぼ把握できてるはずよ。ま、あの性格だし、やけに勘が働くぐらいにしか思ってなさそうだけど」
《ユグドラシル》の最上層。王の間にて、漆黒のドレスをまとうレンは自らが生み出した“窓”に手を添えた。
宙に浮かぶその四角形の枠の中では、ユウナたちの奮戦が映し出されている。
「ああ、これは《幻夢の破鏡》の力を転用したものでね。《ロア=ヘルヘイム》内のことなら映し出せるのよ。他の人たちの様子も見てみる?」
レンが手をかざすと、虚空に現れた“窓”が次々に開いていく。
ノルド高原の監視塔では、ジンとアンゼリカのタッグが、キリカとヴァルターに立ち向かっている。研ぎ澄まされた泰斗流の技が交錯する様は、一流の演武を見ているかのようだった。今、ジンがキリカに顔面を蹴られた。
そこから離れた高原地帯では、ガイウス、ワジ、トヴァルが、深紅の聖痕を発現させた女性と戦っている。彼女も聖杯騎士だろう。乱舞する法剣が大地を削り、手練れの三人があっという間に追い詰められていく。
クロスベル市街では特務支援課が激戦を繰り広げていた。敵の刀使いの顔は知っている。《風の剣聖》アリオス・マクレインだ。
もう一人、ロイドと雰囲気の似た男の素性はわからないが、とにかく突破力が凄まじい。支援課は防戦一方を強いられている。
レグラム地区での戦闘も激しい。ラウラと同じ髪色をした片腕の剣士が、隻腕とは思えない一撃を繰り出す。ヴィクター・S・アルゼイド。彼も有名だ。
別の場所ではフィーとサラが、巨大なバスターブレードを軽々と扱う偉丈夫相手に立ち回っている。あのジャケットのマーク。あいつも《西風の旅団》なのか。
そしてエマは例の用務員と空中戦の最中だ。一体なぜ、ただの用務員が空を飛べるんだ。
工房エリアはオーバルギア戦。ティータの駆る《デルタ=オラクル》と、もう一体の謎のオーバルギアが苛烈なぶつかり合いを見せていた。『赤毛ェ!』と叫んだ敵機体が執拗にアガットを狙うのを、「やめてよ、お母さん!」とティータが必死で阻止している。何となく事情を察した。
街エリアは機甲兵戦で散々たる有様になっていた。ダブルセイバーを振るうのは、クロウの召喚した蒼の騎神だろう。猛攻を受けて傷だらけになりながら、家屋を踏み潰す巨大な機甲兵との一騎打ちだ。
ローエングリン城の周囲を飛ぶ、翼を備えた二機の騎神が火花を散らしている。黒銀と白銀が刃を重ね、一進一退の攻防で
最後に開かれた窓には、空が映っていた。
《ニーズヘッグ》と戦う三体の巨人。黒竜の背の上で《レイゼル雷閃式》が稲妻をほとばしらせ、《ケストレル・レギンレイヴ》が炎の法剣を振るう。
刃を閃かせるヴァリマールが高速で飛び回り、《ニーズヘッグ》の注意を引いていた。
そのさらに上空では、世界を閉ざそうとする黒い格子が、天頂を目指して広がり続けている。
「《
あの格子はそういう名前らしい。
ヴァンはレンと対峙したまま言う。
「……手記の内容との矛盾から逆算して、お前が裏で手を引いていたところまでは突き止めた。だがな、その動機やジョルジュ・ノームとの関係はわからねえ。《王》としてミストマータに出していたであろう指示についてもだ。話ってのはそこも含めてってことでいいんだな?」
「そうなるわね」
ここまで回りくどいことをした理由。
逆にここに至るまで自分を巧妙に隠蔽してきたくせに、あっさりと正体をさらした理由。
「聞きたいことはたくさんあるでしょうけど、ひとまず順を追って話しましょうか。アニエスもそれでいいかしら?」
「はい……」
「どうしたの、元気ないわね」
「あの、この状況で元気出ると思います?」
「あらあら」
アニエスはまだ受け止めきれていないようだった。
「そうね。まずは私の目的から。と言ってもこれはジョルジュさんが最初に言った通り。〝この世界を壊して、《ロア=ヘルヘイム》に囚われている全ての人を解放すること”に相違はない。事の発端は1208年――今年の2月に遡るわ」
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「レン! そっちに行ったわ、つかまえて!」
「いやよ」
大きな金ピカのカブトムシが飛んでくる。私はそれをしゃがんで避けた。
「なんでよけるのよ! あんなに綺麗なカブトムシなのに!」
「それはよけるでしょう、普通」
ぷんすか怒るエステルに、私は肩をすくめてみせた。
ロレントの雑木林の奥にひっそりと佇むブライト邸。その裏庭での一幕だった。暖かに差し込む陽光の中に、柔らかな音色も聞こえる。見上げると、窓べりでヨシュアがハーモニカを奏でていた。
我が兄ながら、絵になること。
「そういえば、レン。そろそろ出発しなくていいの?」
「あら、もうそんな時間? じゃあ行ってくるわね」
身支度を整え、私は見送ってくれる二人を背に駆け出す。
夕方までにクロスベルに着かなくてはならない。今日はディナーをヘイワース一家と一緒に食べる約束がある。こんなふうに、月に一回は顔を合わす機会を設けていた。
あの人たちは私が〝誰”なのか、もう確信を持っているようだった。でもそれを確定させるような問いかけはしてこない。私もそれでいいと思ってる。
コリンは私を“レンお姉ちゃん”と呼んで慕ってくれる。最近では彼の成長を見るのが、密かな楽しみの一つになっていた。
明日はティータがカルバードに遊びに来るから、観光案内をしてあげましょう。リベールには高層建築が少ないから、きっとトリオンタワーの高さに驚くわ。締めくくりは黒芒街ツアーかしらね。
私ももうすぐアラミスの二年生。
忙しいけど、楽しい日々。いつまでもこんな素敵な日が続けばいい。
いつまでも、いつまでも、いつまでも……
……いいのかしら、私、こんなに幸せで――
「っ!?」
頭に一瞬の痛みが走り、ぐらりとめまいに襲われた。
おかしい。変だ。ヘイワース家との食事など予定していない。ティータが遊びに来るなんて話もない。そもそも今、私がヨシュアとエステルと一緒にいるはずがない。
振り返ると、ブライト邸は霧がかかったみたいに霞んでいた。
波間をたゆたうような感覚の中で、強く足を踏んばり、目を見開く。はっきりと意識が覚醒し、その荒唐無稽さに自覚した。
「ここって、もしかして夢の中……?」
自分の言葉で目が覚める。
いつもの学生寮の天井がそこにあった。薄暗い部屋。朝の五時。まだ冬なのだから、それは暗くて当たり前だ。
今日は七耀歴1208年2月2日。まだ寝ていられる時間だけど、妙な夢を見たせいか眠気はない。
私はベッドから体を起こし、目をこすった。
★
3月初旬。さすがに変だと思った。
夜になり、眠る度に、私は夢の世界に誘われた。
そしてそれが夢の中だと自分でわかるのだ。
さらにその世界には、何人か私の顔見知りがいた。エステルやヨシュアやティータ。リベールだけじゃなくて、エレボニアもクロスベルの人たちも。
ただ最近知り合ったカルバードの人たちはいないようだったが。
「……エステル」
「あ、レン! 今日は何して遊ぼっか?」
「ううん、ちょっと一人で散歩してくるわね」
「そう?」
ブライト邸を出て、ロレントに向かう。もちろん知ってる街並みだ。
そこから町外れまで足を延ばして、私はようやく異常を知った。
「クロスベル……!?」
明らかにクロスベル市街。特務支援課の事務所がある。
困惑しながら歩を進めると、赤い建物群が見えてきた。そこはエレボニアのヘイムダルだった。
各国の各地域の光景が、まるでパズルのように組み合わさっている。
加えて気にかかるのは、途切れることなく漂っているこの“霧”だ。もっと辺りを調べたいのに、先が全然見通せない。
それでも私は時間をかけて、各地区で出会った知り合いたちに話を聞いて回った。
彼らとの会話でわかったことがある。
意思疎通は成立すること。そしてこの状況に疑問は抱いていないことだった。
彼らが保持している記憶の整合性も取ってみた。私が知らず、本人たちでしか知りえないことを知っている。
偽物とは思えない。
であれば彼らもこの〝夢の異世界”に取り込まれていると考えるのが妥当か。
……だけどどうして私だけが、現実世界と変わらない意識を保っていられるのだろう。
★
「――うん、そう。よく眠れてるならいいわ。長話してごめんね。おやすみなさい」
夜、学生寮の自室。ティータとの通信を切る。
〝向こう”で出会っているから、彼女も呼び込まれているはずだが、その記憶はなさそうだった。
「……考えられるのは、
ノート型の導力端末を開く。
仮想空間に意識や感覚を転送する技術の基礎理論について、MK社のサーバーからデータを拾ったことがある。そんな技術が確立されているなら、この現象の解明にも繋がるかもしれない。
多数の方面に、正規非正規問わずアクセスを繰り返す。残念ながら引っかかる情報はなかった。
「古代遺物のことなら教会関係者に聞きたいけど……」
各地を飛び回っているのだろう、ガイウスさんやワジさんとのコンタクトは取れなかった。
こうなると先に技術面を調べたほうが良さそうだ。
だけどティータには心配をかけたくない。この手のことで彼女以外に頼れそうなのは――。
★
3月というのが功を奏した。進級前の春休み期間なので、自由に動ける時間は多い。
私はカルバードを一時出国し、エレボニアに向かった。
帝都ヘイムダル。私が指定したカフェに、その人物の姿はあった。彼は私に気づくと手を振ってくれた。
「やあ、こっちだよ、レンちゃん」
「お待たせしたかしら。呼びつけてしまってごめんなさいね、ジョルジュさん」
ジョルジュ・ノーム。その経歴から、まっとうな機械以外にも知識があると見込んで、相談したいことがあるとアポを取ったのだ。
彼も彼で各地を移動してばかりだが、この頃は都合よく帝都に滞在していた。
「それは全然いいんだけど、このお店じゃなきゃダメだったのかな?」
「ファンシーで可愛いでしょう? クマを描いてくれるデコレーションドリンクがお勧めよ」
「周りがみんな若いお嬢さんばかりで、僕の場違い感がすごいな。いつものつなぎ服で来ちゃったし」
「それはそうね。レディーからのお呼ばれなんだから、多少はおしゃれして来て欲しかったわ。そんなんじゃアンゼリカさんに振り向いてもらえないわよ」
「はは、手厳しいな。アンも洒落っ気がある方じゃないんだが。それで僕に相談というのは?」
「……信じてもらえるかわからない話ではあるのだけど――」
私はジョルジュさんに夢の世界の話をした。
夜ごとに呼び込まれていて、不特定多数の知り合いも同じ現象に見舞われているであろうこと。そしておそらく私だけがその異世界で自意識を保っていることを。
「――という事情なのよ」
「なるほど、理解した」
結論から言えば、最初にジョルジュさんに相談したのは正解だった。
「心当たりが……あり過ぎる」
深く頭を抱えて、彼はそう言った。
★
その日の夜。私はジョルジュさんとトリスタに出向いていた。
ジョルジュさんの案内で、トールズ士官学院の正門前までやってくる。
私は身一つで柵を乗り越えたけど、ジョルジュさんは浮遊するナグルファルに頼っていた。
「もう少しダイエットしたら? 身軽な方が何かと便利よ」
「まったく同意だ。しかしながら甘いものの誘惑にはなかなか勝てなくてね」
「乙女なの?」
月明かりを頼りに歩を進める最中、彼はこんなことを言った。
「〝
「ええ。自分の夢だと自覚しながら見る夢のことでしょう。……あら、それって」
「そう、君に毎晩起きてる現象のことだね。そもそも僕の作った装置は、その明晰夢を誘発することを目的としていたんだよ」
それは《十月戦役》の頃。カレイジャスの整備を一手に担っていたジョルジュさんは睡眠時間もろくに取れず、過労の絶頂だったらしい。
そこで作成したのが“見たい夢を見る機械”。
自らが楽しめる夢を見て、なおかつ夢の中であることを自覚する。好きなことができ、あらゆる望みが叶う世界。
短時間の睡眠でもリフレッシュでき、ストレスは解消。心身の疲れが取れるだろうと当時のジョルジュさんは考えた。
「内部機構には《ARCUS》のリンク機能を転用した。人の意識を繋ぐ感応波を、明晰夢の発生に活かせると思ったからだ」
「リンク波長を夢に干渉させるとか、やっぱり常人の思考じゃないわねぇ」
「ただ失敗した」
技術棟に着く。
ジョルジュさんはドアに手をかけた。施錠されている。ナグルファルが腕を針金みたいに細くトランスさせて、その先端を鍵穴に差し入れた。
がちゃりと音がして、すぐに鍵が開く。
「あーあ、悪いことしちゃってる」
「ハッキングして企業のサーバーに侵入するのと何か違いが?」
「痛いところ突くわね」
「痛いと思っていないだろう」
二人して室内に入る。防護シートの敷かれた床と、飾り気のないコンクリートの壁。
部屋を見回しながら口元を緩めるジョルジュさんは、在りし日々を懐かしんでいるようだった。案外おセンチな人なのかもしれない。
「さっきの話の続きをしよう。そう、“見たい夢を見る機械”の作成は失敗した。起動はしたんだが、僕自身に明晰夢は起きなかった……と思う」
「思う?」
「覚えてないんだよ。妙な夢を見たような気もするけど、目を覚ました時にその記憶は残っていなかった」
「なるほど、だから失敗したと思ったのね。でも夢っていうのは」
「うん、そもそも忘却の仕組みがある。脳内の情報整理の一環でね。起きた瞬間は覚えていても、一日と経たない内に、夢で見た映像は霧のように消えていく」
「霧……」
引っかかる言葉だった。そういえばあの世界には霧が蔓延していた。
ジョルジュさんは部屋のさらに奥、資材置き場に向かった。歴代の試作品が積み重ねられたガラクタの山を崩していく。
何年も前の機材がいまだに残っているのか疑問だったが、技術部では慣習的に失敗作でも軽々に処分はしないのだという。
「あった、これだ」
ほどなくジョルジュさんが引っ張り出したものは、20リジュ四方の小さな銀色の立方体だった。
その箱は、ほのかなプリズム光を発していた。
「うっ、本当に起動していたなんて。まさかこの何年もずっと……!?」
「ちょっと待って、なんだか光が強くなって――」
瞬く間に閃光が拡大し、私の視界を真っ白に塗り込めた。
「え……?」
目を開くと、私は知らない場所にいた。ジョルジュさんの姿はどこにもない。
というより、そこは空だった。どこまでも霧が滞留する大空で、私は上も下もわからずに浮いている。
すると眼前にあの〝銀の箱”が現れた。まとう光を明滅させて、私に何かを訴えかけてくる。
言語とは違う。なぜか私には、その〝箱”の意思を汲み取ることができた。
「この世界はあなたが作ったの? ……そう、ここは《ロア=ヘルヘイム》というのね」
私の問いかけに対して、肯定する意思の返答があった。
「私を探していた? 私をこの世界の王様にしたいの? どうして私なの?」
“箱”との対話は続く。
“箱”は私に異世界を統べる《王》としての権限と知識を与えた。
《ロア=ヘルヘイム》とは、これまでに取り込んだ人間の思念を吸い上げて、少しずつ押し広がっていった霧の大地。
特に意識が強かった人間の思念は主核となり、夢のフィールドの形成に影響を及ぼすらしい。そしてそこには主格者以外の思念や記憶も、統括的に融合されていた。
たとえば街エリア。ヘイムダルが中心となりつつも、クロスベルやリベールの街並みが合成されていたりするのは、そういうことだ。
ローエングリン城の隠し部屋もそう。主格者が知らなくても、誰かが知っていれば、それが反映される。
イメージとしては〝主格者が創造物を決定し、それに関わる他者の記憶がディテールを埋めていく”が近いかもしれない。
「あら、あなたって名前がないの? それは何かと不便じゃない。そうね……ずっと輝いてるし――」
煌めく燐光に
「あなたを今から、《バルドルの箱》と呼ぶことにしましょう」
★
「レンちゃん! レンちゃん!」
体を揺さぶられ、ゆっくりと目を開く。灰色のコンクリートの天井が視界いっぱいに映り、続いてジョルジュさんの心配そうな顔がのぞき込んできた。
「だ、大丈夫かい? いきなり倒れたから驚いたよ」
「ふう、いいかしら? 頭を打ったかもしれない容体では、みだりに体を動かしてはいけないわ。まずは意識と脈拍と呼吸状態の確認を」
「ご、ごめんなさい」
「……ジョルジュさんは光を視た?」
「光? 装置なら絶えず光を滲ませてるけど……」
「そう」
私が視たのは幻――なんかじゃ決してない。
ジョルジュさんが持つ銀の箱に視線を移す。
「聞いて、まずい事態になってる」
今しがた体験した現象と、そこで知った事実をジョルジュさんに伝えた。
彼は半信半疑の表情で、喉をうならせた。
「僕の作った装置……《バルドルの箱》と名付けたのか。それが意思を持つだなんて。元はただの機械のはずなのに」
「でも基盤となる中枢機構は《ARCUS》なんでしょう。リンク機能を介して、人の意識を《ロア=ヘルヘイム》に呼び込む。その過程で他者の思念に何年と触れ続けてきたのなら、意思の獲得も無いとは言い切れないわ」
そもそも《ARCUS》にはブラックボックスも多く、開発元のラインフォルト社ですら把握していなかった《オーバーライズ》といったスペック外の現象も確認されている。
可能性はあり得るとしか言いようがなかった。
「《バルドルの箱》の最終目的は、囚われた人間を《ロア=ヘルヘイム》に取り込んだまま、夢の世界を閉ざして完結させることらしいわ」
「二つ質問したい。なぜレンちゃんが《王》となり、君に関わる人だけが呼ばれるんだ? そして《バルドルの箱》が彼らを異世界に閉じ込めようとする理由は?」
「……わからない。そこに関しては《バルドルの箱》は何も教えてくれなかったの」
ただ確定してることがある。
今は夜に寝たら、誰もが意識だけが一時的に《ロア=ヘルヘイム》に呼ばれ、朝になったら元に戻れている。でもゆくゆくは日中夜問わず
なんとかするしかない。この出来事に深く関わってしまった私たちで。
★
次の日から、私とジョルジュさんは事態解決のために動き出した。
例のファンシーなカフェテラスが、私たちの定例のミーティング場所になった。
「――とりあえず判明しているのはこんなところかしら」
テーブルの上に広げたノートに、箇条書きでまとめる。
「うん、〝レンちゃんに関わる人”という定義は〝《クロスベル再事変》において、《ARCUS》による戦術リンクを含む導力通信で繋がった人間”ということか。でもどうして再事変がピックアップされるんだろう?」
「ここ最近で起きた、私にとって印象的で大きな出来事だからだと思う。どうやら私の認識も《バルドルの箱》に強い影響を及ぼすみたいでね」
私と《バルドルの箱》は常にリンク状態にあるらしく、これにより意思疎通が可能になっているようだ。
「てっとり早い方法は、これを壊しちゃうことなんだけどね。もうやっちゃう?」
ゴトンと《バルドルの箱》をテーブルの上に転がす。
ジョルジュさんが焦った。
「は、破壊はダメだよ! リンク機能を介した手段で〝囚われ”にしているんだから、みんなの精神が《バルドルの箱》と繋がってる可能性は高い。力づくだとリスクが大きすぎる」
「可愛い冗談よ。それに意思を持っているのなら、外敵に対して何らかの防衛反応を示してもおかしくないしね」
「というか、レンちゃんはずっと《バルドルの箱》とリンクしてるんだろう。今更だけど、こんな話をしていることが箱に筒抜けになったりはしないのかな……?」
「うん、大丈夫。あくまで意思疎通が作用するのは《ロア=ヘルヘイム》内でのみだから。それに感情は伝わるけど、思考までを読まれるわけじゃないし。以心伝心の簡略版みたいな感じよ」
「本当にリンク機能がベースなんだな……」
「当面の問題は囚われたみんなを、どうやって開放するかよね。せめてその方法さえわかれば――」
★
外側がダメなら内側だ。私は自ら《ロア=ヘルヘイム》に入り続けた。
そしてついに手がかりを得た。
とある日のこと。あまりにも欲しい欲しいと言うものだから、“囚われ”のエステルに、ご所望のカブトムシを掴まえて渡してあげた。金ピカのゴールドカブトだ。
すると彼女を覆っていた霧が晴れ、《ロア=ヘルヘイム》の中でも正気を取り戻してくれたのだ。
そこで私は理解した。
《バルドルの箱》はリンクの力を介して、本人の望みや願いに絡みついている。
だからその願望を叶えれば、〝囚われ”からの開放に至る。
しかしそれは一時的なものだった。
数日経つと、エステルはまた《ロア=ヘルヘイム》に呼ばれ、再び霧に捕まってしまった。
やはり原因たる《バルドルの箱》をなんとかしなくてはならない。
もはや《バルドルの箱》は《ロア=ヘルヘイム》に存在している思念体の方が本体となっている。
それは異世界の中央に位置する黎明樹《ユグドラシル》にあり、そこに自由に出入りできるのは《王》の権限を持つ私だけだ。
だとしても迂闊に手は出せない。
機能を停止させるような行為を悟られたら、たとえ私であっても《ロア=ヘルヘイム》から弾き出されるかもしれない。
《ARCUS》持ちである以上、《王》とはいえど世界を構築するシステムには抗えない。
待って、それなら――
「《ARCUS》を持っていなければ囚われない……?」
★
「進級おめでとう、レンちゃん。……なんか疲れてないかい? 生徒会の仕事が忙しいとか」
「もちろんそれもあるけど。でも面白い新入生の子が生徒会に入ってくれたから、ずいぶん助かってるわ」
四月。私はアラミスの二年生になった。
まあ、疲れというなら、学業ではなくこちらが原因ではあるんでしょうけど。
お決まりのファンシーなカフェテラス。ずいぶんジョルジュさんも馴染んできた。お気に入りはチョコクランチケーキとミルクコーヒーのセットだそう。ケーキはホールで食べたいと言っていた。わかる。
「さて、本題よ。私のプランは事前にメールでお伝えした通り。いかがかしら?」
《ARCUS》を持たない人間を、《王》の権限をもって《ロア=ヘルヘイム》に迎え入れる。私と強い縁のある人ならば、それが可能らしい。
霧に囚われることがないその人物ならば、《バルドルの箱》の感知を潜り抜けて、最終的にはシステムを
それは多分に不確定要素が絡んだ、いわゆる賭けだった。
「……うん。良いと思う。というかそれ以外に思いつかない。ただ相当精細に状況をコントロールする必要がある。果たして実現できるかどうか……」
「やるわ」
私なら、やれる。やってみせる。
しかし新たな問題点が浮上した。
《ロア=ヘルヘイム》は《バルドルの箱》の監視下にある。
異世界のルールから逸脱することをしては、現実世界に弾き出されて二度と入ってくることができなくなる。
つまり最初からその人物に全ての情報を与えて、《バルドルの箱》に害意を抱きながら最短距離で接近しようとすれば、いかに《ARCUS》持ちではないとはいえ、《バルドルの箱》に気づかれてしまう。
その時点でゲームオーバーだ。
仮に事前に事情を説明しても同じこと。
それを“知っているが故の行動”は必ず違和感として表れてしまう。同行メンバーが増えれば増えるほど、会話や行動の抑制もさらに困難になっていくだろう。
故にベストの方法は、情報を持たせないままその人物を《ロア=ヘルヘイム》に送り込み、それぞれのエリアのルールに従わせながら、主格者たちの願いを叶えて霧を少しずつ晴らしていくこと。
要するに“《バルドルの箱》に異物と見なされにくい立ち回り”をすることだった。
霧のない場所であれば、《バルドルの箱》の感知は及ばない。
そうやって黎明樹《ユグドラシル》まで到達する道を作り上げていくのだ。
「必要なものは……そうね。何もわからない異世界なのだから、行動の指針となるものがいるでしょう」
「うん、それは不可欠だ」
「あとはエリア攻略にあたって、役に立つアイテムもあった方が良いかしら。《バルドルの箱》に手助けがばれないよう、あまり露骨なものは用意できないと思うけど」
そうして私は《王》の力で、《幻夢の手記》と《
自力で辿り着いた事柄や霧の減少度合に応じて、段階的に情報開示をしていく《幻夢の手記》。
それを渡すことによって、その人物が一気に真実に近づき過ぎず、しかし確実に事態の中核には迫っていけるよう管理することにしたのだ。
残る問題はただ一つ。
「あとは誰に依頼するか、か。《ARCUS》持ちではないとなると《Xipha》持ちである共和国人だろう。加えてレンちゃんが《ロア=ヘルヘイム》に呼び込めるほどの〝縁”も必要になってくる。さらに言えば事態解決の中心になれるような資質も必要だ。そんな条件を満たす人物なんて――」
「いるのよ、一人だけ」
彼の気だるげな顔を思い浮かべ、気がつくと私は微笑んでいた。
――けれど本当に重要なのは、ここからだった。
失敗は許されない。
《バルドルの箱》の事態発覚からおよそ半年かけて、私とジョルジュさんは綿密な計画を練った。
その間にも取り込まれる人間は徐々に増え、《ロア=ヘルヘイム》の大地は拡大していく。
そして季節は春から夏へ。
全ての準備を整えた8月27日の朝。
「あの《モンマルト》という店の二階だね? 行ってくるよ」
イーディスの旧市街の一角で、フードを目深にかぶったジョルジュさんは、私にそう言った。
「くれぐれも顔は見られないようにね」
「わかってる。おそらく僕もそろそろ完全な“囚われ”になる頃だ。後に霧から解放された時に、事情を問い詰められるのは避けたい」
「ただリィンさんを始めとした勘の鋭い人も、すでに何人か《ロア=ヘルヘイム》に囚われてる。ゆくゆくジョルジュさんが怪しまれないとも限らないわ」
「それならそれでいい。僕が囮役になれば、レンちゃんに疑いの目は向かないだろう。君の正体だけは最後まで隠し通さないといけない」
「はずれクジを引かせて悪いわね」
「いいさ。僕が蒔いた種だ」
「身から出た錆というのが近い表現だと思うけど」
「厳しいな……」
「じゃあ、よろしく。また向こうでね」
「ああ」
《モンマルト》の脇の階段を上がり、ジョルジュさんの姿は見えなくなった。
それから10分あまり。ジョルジュさんの《ARCUS》の信号が途絶えた。
私は《ロア=ヘルヘイム》側に意識を集中する。
たった今、新たに
一人はジョルジュさん、もう一人は彼だ。
《ARCUS》を持たないその彼は、《バルドルの箱》には囚われない。所在を感知できるのも私だけだ。
「勝手に巻き込んでごめんなさい。でもあなたしか頼れないの。……また私を助けて、ヴァンさん」
直後、一人の少女がアークライド事務所の階段を登っていく。
彼女が今日、この場所に来ることはわかっていた。別件で相談を受けて、私がそう仕向けたから。
《Xipha》持ちの助力は少しでも欲しい。何より彼女の気づきやバイタリティはヴァンさんの支えになるはず。
彼女は事務所の扉をノックするが、当然誰も出てこない。
だがここで依頼を持ち掛けにやってきたということは、今この瞬間に分岐された世界線の未来で、彼との縁ができるということ。
「あなたにはヴァンさんとの縁で《ロア=ヘルヘイム》に入ってもらう。力を貸してね、アニエス」
ヴァン・アークライド。
アニエス・クローデル。
あなたたちの物語が始まる前に、どうか私の夢を終わらせてちょうだい。
――つづく――