黎明の軌跡 Break the Nightmare 作:テッチー
《★釣れないシークレットボックス★》
「普段から釣りはしないので?」
「食材調達も調理も、もっぱらスウィン君とナーディア君に任せている。私とラピスは食事専門だ」
ノルンの工房に続く桟橋の上で、ロイドとルーファスが釣り糸を垂らしていた。湖面にさざ波が揺れ、静かな時間が過ぎていく。
釣りにはロイドが誘った。
《ロア=ヘルヘイム》のことや、ここまでの経緯を伝えておこうと思ったからだ。
あとはチェスゲームの最終戦で全部の感情を叩きつけたわけだから、妙な確執を残すのは良くないと思ったことも理由の一つではある。
とはいえルーファスはそこに頓着がないようで、むしろ本音をぶつけられて納得した節さえあった。
「まあ、『ルーファスも働け』とよくナーディア君に怒られるから、釣りを覚えるにはちょうど良い機会かもしれない」
「へえ、ナーディアは意外に働きものなのか」
「私が動く分だけ彼女が楽をできる。そういうことだ」
なーちゃんは働きたくないのです、と宣言している姿が容易に想像できてしまう。
今さらだが、新生帝国ピクニック隊は異色のチームだ。しかもそれなりにまとまっているから不思議だ。
そんなものかもしれない、とロイドは思う。
自分たちだって、生い立ちも背景もバラバラだが、特務支援課として他には代えられない絆が確かにある。縁の形は様々だ。
「それと……ユーシスには謝りましたか?」
「《パンタグリュエル》を降りてから、まだまともに顔を合わせていない。少し避けられているような気もする」
「自業自得です。ちゃんと腰を据えて話した方が良い」
「君のアドバイスに従おう」
ルーファスは間違いなく霧に囚われていたが、その最中に“自らの認識がゆがめられている”と認識できた稀有な例だ。
なぜそんなことになったのかはまだわからない。
さらにスウィンたちの異変にも気づき、それに合わせるように演技までしていた。もっとも彼自身も“囚われ”ゆえ、完璧な認識ではなく、本人曰く“夢と現実の間を行き来しているようだった”そうだが。
だがいずれにせよ、演技とはいえ、ユーシスに“家族はいない”などの言葉を告げている。ユーシスが怒るのは当然のことだった。
「ユーシスとはしっかりと向き合うよ。兄としてね。ところで一つ気がかりなことがあるのだが。……ヴァン・アークライド。彼は何者なのかね」
「ヴァン? 聞いていませんか?」
「額面通りのことは一通り。突如として《ロア=ヘルヘイム》に呼び込まれた裏解決屋の青年。《ARCUS》持ちがリンク機能を介して願いに囚われていく異世界で、《Xipha》持ちだから囚われることがない。つまり“事態を解決しやすい存在”」
「その通りですが」
「違和感があるよ。《幻夢の手記》の開示事項も読ませてもらった。彼に対して、何かが引っ掛かる」
「何かとは?」
「直感だ。はっきりと何がとはわからない。惑わすようなことを言ってすまなかった。彼のことはさておき……《バルドルの箱》と《王》を探し出すのが先決なのだろうね」
「………」
ロイドにも気になることはあった。思い返せば、なぜ《幻夢の手記》は最初にヴァンの元に落ちてきたのか。
《王》か……?。
皆の話を統合すると、《王》と思しき何者かは、前もって七つのエリア主格者たちにコンタクトを取っていた可能性が高い。
主格者――すなわちリィン、セドリック、アルフィン、ティオ、レン、ティータ、ガイウス、ルーファスだ。
彼らは誰かに会ったことはおぼろげに覚えていて、何か――おそらくエリア攻略に関わる特殊アイテム――を受け取ったそうだが、それが誰だったのかまでは思い出せないという。
《王》の目的が不明だ。
思惑が判明しない以上、全ての可能性があり得る。
例えば《王》がヴァンを招いたという線はないだろうか?
いや、ヴァンを招いたのはジョルジュだから、それは違うか?
ならばジョルジュが《王》というのは? しかしジョルジュは《王》に自分を再び“囚われ”にするように望んだ。
それ自体がブラフだったというパターンはどうか?
「……繋がらないな」
空白を埋める足りないピースはなんなんだ。
●
《★わかってくれないアングリーハート★》
「そう怒らないでくれ、ユーシス。固有認識ができていたとはいえ、私も“囚われ”だった。平時の思考ではなかったのだよ」
ヘイムダル、ヴァンクール大通り。スタスタと前を歩くユーシスは、ルーファスに振り返らないまま言った。
「相変わらず他人の心がわからないようで」
「これは弱ったな。あの一言を怒っているのか?」
ルーファスが言うのは、チェスゲームの終盤戦。ユーシスとの対決で、“さすがに弟に二度殴られるのは勘弁願いたいな”と囁いた言葉だ。
あれは不意打ちだった。自分のことを認識していないと思っていたユーシスは完全に虚を突かれ、《ラタトスクの羅針盤》によって判定負けとなった。
「別に怒ってはいません。納得はいってませんが」
「怒っているではないか。わかった。手合わせできなかったのが残念なのだろう。望むなら相手になってもいいが」
「………」
「違うようだな。ならばスウィン君に背中を専属で洗わせていたことに対する嫉妬だろうか? なんなら今から流すかね」
「くっ、なぜ全部上から目線なのですか!」
耐えかねて走り去るユーシス。
彼の背を見ながら、通りすがったマキアスが言った。
「いや君も大概だけどな」
●
《★力が欲しいか?★》
なんでもヴァンたちは、仲間のばあさんの形見探しに人手を割いているらしい。
親の顔さえ不確かな自分に祖母と言われてもピンと来ないのが正直なところで、その形見というのが、その人にとってどれだけ重要なものなのかも今一つわからない。
そういう感性がきっと一般人とはずれているのだろう。
半ば諦めてもいるが、もしも――もしもオレが普通の世界に生きていられたなら、学校なんかに通って、勉強して、友達もできて、ナーディアともまた違った関係に――
「いや、その場合はそもそも出会ってすらいないか……」
詮無い感傷を打ち切って、スウィンは誰もいない闘技場の中心に立ち尽くした。
《パンタグリュエル》の三層だ。霧に囚われている時はよくここに足を運んだものだが、改めて訪れてみると、もう対戦相手などいるはずもなく、閑散とした光景だけが広がっている。
オレの望みは“ナーディアを守り切れるように強くなりたい”だった。本人には絶対言わないが。
だからルーファスはこの闘技場を作り、戦うための魔獣や人形兵器を生み出した。人間の対戦相手を“幻影”として創造できなかったのは、まあ、そういうことなのだろう。
彼は皆が思うほど器用ではないのだ。生きるということに不器用なのかもしれない。ここに関してはオレも同じか。
「もっと強くならなきゃな……」
“囚われ”の最中、リィンたちが稽古をつけてくれた。それはもちろんありがたかったが、まだ足りない。もっと、もっと――
「力が欲しいか?」
その声が聞こえたのは、スウィンが決意と共に拳を握りしめた時だった。
「誰だ? いや、顔は見覚えがある。確かヴァンの事務所の……」
「アーロン・ウェイだ」
端正な顔立ちの赤髪の青年だ。服の特徴から東方由来だとわかる。
「オレはスウィン・アーベル。ヴァンには昔世話になったことがある。ところでさっきの問いの意味は?」
「質問の通りだ」
「強くなりたいとは思っているが……」
「ならこれを読め」
アーロンが差し出したのは一冊の分厚い本だった。
「《猛将列伝》……? 観させてもらったあの劇とタイトルが似てるな。そういえばあんた、劇に役者として登場していたか」
「ああ、《猛将外伝》な。脚本と総監督はオレが務めた」
激しいストーリーだったが、不思議と引き込まれる内容だった。続編を見てみたいとは、スウィンも密かに思っていた。
「何を隠そう、こいつが原典でな。強い漢のなんたるかが描かれてる。いや違う。正しくはこれを読むから強い漢になれる。興味があるなら貸すが」
「本か……」
読書の機会なんて今までそうなかった。本の主人公にされたことはあるが。
確かに何かの足しになるかもしれない。
「それじゃあ、貸してもらえるか? 時間のある時に読んでみるよ」
「もちろんだ。だが気をつけろよ。一気に読むとトんじまうぜ?」
「飛ぶ……?」
怪訝に思いながらも、スウィンはそれを受け取った。
●
《★わかってあげたいアングリーハート★》
「どーん!」
「おっと」
《パンタグリュエル》の連絡通路。ミリアムに遭遇するや、彼女はルーファスに飛びついてきた。
「えへへ。ルーファス、元気そうだね」
「おかげさまでね。チェスゲームでは迷惑をかけたかな?」
「ううん。アーちゃんの可愛いポーズも見れたし、ボクは楽しかったよ」
「おや、喜んでくれたか。では近々また開催するとしよう」
《
ルーファス、クレア、ミリアム、レクターの四人がかつての――
「……そういえばレクター君は《ロア=ヘルヘイム》に呼び込まれていないな」
「なになにー?」
「ああ、いや、大したことではない。ところでミリアムはユーシスと仲がよかったと記憶しているが」
「うん、ユーシスはボクのことが大好きなんだよ」
「それは何よりだ。では聞きたいのだが、ユーシスの機嫌を直す良い方法はないだろうか?」
「お菓子」
ミリアムは自信満々に言い切った。
「菓子か。しかしユーシスのイメージからは離れている気がするが。喜ぶのかね?」
「甘いなー、ルーファスは。弟でも妹でも、機嫌を直してあげる時はお菓子を渡すんだよ。ボクもアーちゃんによくあげるからね」
「効果があると?」
「だってアーちゃん、『はあ、毎回毎回なんなんです。こんなもので別にメンタルが左右されたりしませんよ。まあ、そのチョコはもらいますけど』って言って食べてくれるもん。そのあとはちゃんとご機嫌さんだし」
「ほう、実のある話を聞かせてもらった」
「キャンディー持ってく?」
「ぜひに」
●
《★可愛がってリバース★》
「クルトはいるかな。……うん?」
ラウラはトールズ分校の学生寮にやってきた。
クルトに用事があって出向いたのだが、そのクルトはラウンジでエレインと談笑している。
エレイン殿がクルトと?
なんだか珍しいと思ったが、例のエリゼとセドリックの一件で、彼女はサポーター役を務めたらしい。それをきっかけにクルトと一緒にいることが増えたようだ。
「チェスゲームの時はごめんなさいね。つい苛立ってて。でも本気でやっちゃおうとは思ってなかったのよ?」
「はは、A級遊撃士の実力を間近に見れて勉強になりましたよ」
「そうだわ。良かったらクルト君の稽古に付き合わせてもらえないかしら。お詫びと言ってはなんだけど、剣の立ち回りで教えられることもあると思うから」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
何なのだ。クルト、そなた何なのだ。すごく嬉しそうではないか。
剣の稽古なら私が付き合っているではないか? 私の稽古はもういいのか? 私に飽きたのか? エレイン殿の方がいいのか?
「じゃあさっそく今日の午後にでも練武場で――」
「と、取らないで頂きたい!」
居ても立ってもいられず、ラウラは自分から声を出してしまった。
「え? ラウラさん、どうしたの?」
「あ……クルトはエレイン殿の方が良いのか……?」
その一言でエレインは察したようだった。
「違うのよ、ラウラさん。私がチェス勝負の時にやり過ぎちゃったから、ちょっと謝りたくて。他意はないの。そうでしょ、クルト君」
「えっと……? つまりどういうことでしょうか」
「あなたはラウラさんの弟分ということよ。たくさん可愛がってもらったのよね?」
「それはもちろん。面倒をかけてばかりの不出来な若輩ですが、これからも宜しくしてもらえれば嬉しいです」
クルトは今一つわかっていないようだが、エレインは全て理解したとばかりに頬を緩めた。
「微笑ましいわ。稽古は別日にずらしましょう。今はお姉さんがあなたに用事があるみたいだしね」
茶目っ気のあるウィンクをすると、エレインは転移で別の場所に行った。
「気を遣わせてしまったか……エレイン殿もいてもらってよかったのだが」
「ところでラウラ先輩のご用向きは?」
「ああ、これだ」
ラウラはクローシュがかぶせられた皿を差し出した。クルトの瞳が曇る。ふたをされた状態でなお、禍々しいオーラが漏れ出ていた。
「新作の料理が完成してな。またそなたに試食してもらえればと思ったのだ」
「ア、ハイ」
●
《★パンデミックは水面下に★》
「これはナーディア様。ご気分はいかがですか?」
「あ、総支配人さん――じゃなくてリゼットさん。うん、もう頭はふらふらしないよ。なーちゃんは元気元気~」
“囚われ”のナーディアともっとも接点があったのが、歓待フロアの責任者役を務めたリゼットだった。
そして今も《パンタグリュエル》のリラクゼーションルームでの再会だ。
「ナーディア様はどうしてこちらに?」
「ピクニック隊の待機拠点はこの艦にしてるんだよ。使える客室も多いからね。なーちゃんはVIPルームなのだ~」
「それは何よりです。すーちゃん様はご一緒ではないのですか?」
「すーちゃんはどこかに行っちゃって、部屋も別々で、なーちゃんは寂しくて。だから癒されようと思って来たんだけど、考えてみればもう従業員さんがいなかったなーと思って」
「では主格者のルーファス様に幻影の従業員を創造して頂くのはどうでしょう。ミシュラムを楽しむ人々をティオ様が生み出しているのと同じ要領で」
「無理っぽいよ。ルーファスは人間を想像できてないもん」
《パンタグリュエル》に従業員がいなかったのは、どうやらそういう理由らしい。
「リゼットさんは何をしてるの?」
「ジュディス様のおばあ様の形見が紛失したそうで、その捜索のお手伝いです」
「ふーん。なーちゃんには関係ありません」
「ただジュディス様のおばあ様はご存命のはずなのですが」
「形見の概念どうなってるの? なんでもいいけども。とりあえずなーちゃんは部屋に戻ってひと眠り~」
「はい、ごゆっくりおやすみ下さいませ」
リラクゼーションフロアを離れ、ナーディアは自室に向かった。
形見か。そういえばお兄ちゃんの形見とか持ってないな。
記憶の中の優しい顔も、だんだんと思い出せなくなっていく。もう会うことも叶わないお兄ちゃん。
形として残っているものがあるだけ幸せなんだろうなぁ。なーちゃんにはすーちゃんがいれば、それで良いんだけど。
「ただいまー……って、すーちゃんはまだいないのか~」
私室は二人共同にしている。
同室というのはまったく構わない。どこかに宿泊する時は今までもそういうケースが多かった。
いいんだけど……『オレは別室にするから』くらい言ってくれた方が、異性として見られてる感があるのに。
「はあ……いつまでも妹扱いだし、なーちゃんはご不満です――あれ?」
自分のベッドにダイブしようとした時、スウィンのベッドの枕元に本が置かれていることに気づいた。《猛将列伝》と記されている。
「おぉー、あの劇の原作かな? すーちゃんが読書なんて珍しいかも」
劇は面白かった。かく言う自分も気に入っていた。栞を挟んでいないところを見るに、スウィンはまだ読んでいないらしい。
興味本位だった。ナーディアはベッドに腰かけて、その《猛将列伝》をパラパラとめくってみる。
「……“わからせの章。捕らえた裏組織の生意気少女エージェント編”……?」
なーちゃんのことですか?
「“しつけの章。妹分を越える新たな扉の向こう側。糸と針の正しい使い方編”……」
なーちゃんのことですね。
「す、すすすすーちゃん!? どどどどうしちゃったの?」
動揺が隠せない。
最終的にそういうの求めてはいたと思う。でも段階があるのに。
そういえば真面目でおとなしい性格ほど、一皮むけば雄の本能全開のモンキーフェスティバルだとゴシップ紙のコラムで読んだことがある。
「はわあ、そんなことまで!? ちょっ、ええ!? こ、これ、これもうビーストすーちゃんだよぅ……ふぁああああ!」
興奮の絶頂で、ナーディアは鼻血を噴き出した。
●
《★伝えたいグラティテュード・メモリー★》
「ここでビショップを動かしますか……!」
「ふふ、逆にこうとしかできなかった。その堅牢な守りは見事の一言に尽きる」
第三学生寮のラウンジで、マキアスとベルガルドがチェスに興じていた。《パンタグリュエル》でのチェスゲームを見て以降、ベルガルドはマキアスと対戦したかったらしい。
一進一退の攻防が続いており、二人とも白熱している。
その様子を、サラは離れたテーブルから眺めていた。
「はぁ……空気読みなさいよ、マキアス」
せっかく今日は孫ズもおらず、ベルガルドさんとお近づきになれる好機だったのに。
恨みごとの一つも言いたくなるというものよ。
「あら、サラ様ったら浮かないお顔で。二日酔いにはお気をつけをとあれほど申しましたのに」
そこにシャロンがやってきて、水の入ったグラスを差し出した。
「沈んだ表情だからって、なんでもかんでも二日酔いにされちゃたまんないんだけど」
「これは失礼を。痛風の痛みは耐え難いと聞きますし、どうかご自愛下さいませ。あ、尿結石のほうでしたか?」
「違うわ!」
二日酔いじゃなかったら痛風か尿結石って。失礼をとか言いながら失礼を重ねてくるスタイルどうにかなんないの?
「相も変わらず、サラ様はナイスミドルな殿方がお好きなようで」
「文句あんの? ベルガルドさん、格好いいでしょうが。渋いでしょうが」
「それは同意ですね。
「でしょうが!」
やはり渋み。渋みこそ全て。
年齢を重ねたとて、トヴァルなどまだまだ青みがあるし、ジンは熟成というかちょっと発酵してる感じがするし、ベルガルド・ゼーマンこそが正しく熟成された男の完成形だ。
「どうして年齢の高い殿方がお好きなんですか? わたくしの持つサラ様のイメージは、若いツバメを追いかけている内に全てが過ぎ去っていき、結局何も得ることができないまま、独りで寂しく場末のバーの片隅でグラスを傾ける……というものなのですけど」
「いくらでも買うわよ、ケンカ。年上が好きなのは……養父の影響よ」
「お父様への愛をこじらせたと」
「身もふたもない言い方しないでよ。まあ、そうなんだけど」
「そのお父様に似ていらっしゃるのですか、ベルガルド様は」
「少なくとも見た目は似てないわね。でも憧れというか、感謝というか……ベルガルドさんに抱く感情はお父さんに近いものがあるかも」
「なぜです?」
「助けてくれたから。私を――ノーザンブリアを」
「……そうでしたね」
《塩の杭》で壊滅状態にあったノーザンブリア。そのあらゆるものを塩化させていく《塩の杭》を回収したのは、当時の守護騎士第八位グンター・バルクホルンだった。
《塩の杭》は縮小状態にあったとはいえ、放置していたらあの後どうなっていたかわからない。誇張でも何でもなく、彼は故郷を救ってくれたのだ。
「サラ様、こちらを」
「なに? コーヒーセット?」
シャロンから渡されたのは、トレイに乗せられたコーヒーポットだった。
「わたくしがお持ちしようと思っていたのですが、サラ様が注がれるのが良いかと。一杯のコーヒーから始まる関係もあるかもしれませんよ」
「あんた……」
珍しい気遣いもあるものだ。
サラはトレイを受け取ると、二人の席へと向かう。ついでだ。優しい元担当教官に加え、家庭的な女性アピールもしておくことにしよう。
「どうもお二方。チェスもいいですが、ここでブレイクタイムにしませんか? 私が手ずから挽いたコーヒーでも――あっ」
慣れないお上品な歩き方をしたせいか、足首がぐねった。早足のまま倒れ込み、サラはコーヒーポットの中身を全てマキアスの顔にぶちまけた。
「だあああっちゃあああ!?」
「ああ! ベルガルドさんにはかかっていませんか!?」
「先に僕の心配でしょうがあっ!」
●
《★重いの? 軽いの? 刈られたいの?★》
「あら、アガットさんじゃない。校舎内に侵入してきた野良犬かと思ったわ」
「んなわけねーだろ……」
トールズ士官学院のギムナジウム。その練武場である。
剣の素振りをしていたアガットに声をかけたのはレンだった。
「適当に巡回していたら見かけたからね。稽古中かしら」
「ああ、時々ヨシュアもここを使ってるって聞いてな。つーか巡回中ってお前、今はミストマータのことがあるから一人で行動するなって周知があっただろ?」
「私なら大丈夫よ。あなただって一人で剣を振ってたでしょう。まったく、自分のことをもみあげして――失礼、棚上げして恥ずかしいとは思わないの?」
「もみあげと棚上げをどうやったら言い間違えんだよ……」
レンは稽古場の隅に腰を下ろした。
「それにしてもお前から俺に話しかけてくるなんざ珍しいな」
「最近どうなの、ティータとは?」
「出し抜けになんだ。別になんもねえが」
「殲滅するわよ、この赤毛」
「いきなり敵意をむき出しにすんな!」
「殺意よ、これは」
「余計やべえ」
「だって、ねぇ?」
レンは呼び出した鎌の刃を指でなぞった。
「ったく、意味がわからん」
「意味がわからない意味がわからないわ。それはそうと、ちょっと言っておきたいことがあるのだけど」
重剣を指さし、レンは神妙な面持ちを浮かべる。
「俺の剣か? こいつがどうした」
「重剣っていうけど、実はそんなに重くないんじゃないかって」
「は?」
「だってほら。ラウラさんも大剣を扱うじゃない。別にアガットさんの専売特許ってわけじゃないし、遊撃士の号にわざわざつけるのもどうなのかしら」
「いや、俺の剣の方が重いし、ちょっと刀身も長いから」
「でもオーレリア将軍の大剣の方が重いし、大きいでしょ。そういう人を差し置いて、わざわざ《重剣》のアガットとか名乗ることに抵抗とか羞恥はないの? あら、ごめんなさい。あったら名乗らないわよね」
「……別に俺が号を決めたわけじゃねえ」
「だけど重剣って武器カテゴリーはないわけだから、そこは自分で名付けたんでしょ、重剣って。なに、重いから重剣? 日曜学校の年少組の語彙力と大差なくない?」
「……意思の重さとか決意の重さとか、そういうのも入ってるから」
「無駄に重い男というのもね」
「………」
「なんで黙るの? 口も重いの? だからティータが言って欲しいことを言えないの?」
「事あるごとにあいつの名前を出しやがって、ティータは関係ねえだろ」
「関係ない? そう」
レンは大鎌を肩に担ぐと、陰惨な笑みを浮かべた。
「決めた。刈る」
「何をだよ!?」
●
《★教えてブラックウィッチ!★》
「あのぅ……」
ひどく遠慮がちに声をかける。
「あなたってそんなキャラだった? もっとこう『なーちゃんの言うことを聞くのです』的な性格じゃなかったっけ」
マキアスがコーヒーをぶっかけられて退散したあと、第三学生寮のラウンジでくつろいでいたヴィータ・クロチルダは、意外そうな顔をナーディアに振り向けた。
「ちょっとお願いしたいことがあって……」
「私じゃなきゃダメってこと?」
「うん……」
「殊勝な態度ね。嫌いじゃないわ。まずどうして私なのか聞かせてもらえる?」
「今《ロア=ヘルヘイム》にいる人の中で一番淫乱そうだから」
「なるほど」
ヴィータは厨房で作業をしていたシャロンを呼びつけた。
「ねえ聞いて。この娘が私のことを淫乱だと罵るのだけど」
「まあ。それは違いますよ。ヴィータ様は淫乱ではなくド淫乱です」
「言ってくれるじゃないの」
「チェスゲームの時のクロウ様とのやり取りを見て、ナーディア様はそう思われたのでしょう。無理からぬことかと」
「あれはクロウへのサービスよ。私も恥ずかしかったわ。でもそれ以上に彼を辱めたかった」
「自らの火傷さえ厭わない責めの姿勢。その心意気には感服いたしますが」
「話が逸れたわ。で、淫乱だと勘違いの上で私になんのお願いがあって?」
ナーディアは事情を話した。
スウィンが《猛将列伝》なる卑猥な本に手を出し、あまつさえそこに記されているモノを自分に求めているかもしれないこと。いや、確実に求められていること。
「理解したわ。そのビーストすーちゃんなる淫猥モンスターから身を守りたいのね」
「ううん、それならヴィータさんのところには来ないよ。そういうすーちゃんが雄の本能全開で襲ってきても、なーちゃんには満足させてあげられるほどの引き出しがないというか……」
「ふうん、雄のすーちゃん。
「もちろんだよ。今まで妹扱いしかされてないと思ってたんだけど、実は欲望の煮えたぎる飢えた猛獣の目でなーちゃんをねめ回していたと思うと……」
「幻滅した?」
「興奮する」
「悪くないわ」
要するにナーディアのお願いとは、ヴィータに師事して“人には言えないアレコレのテクニック”を教えて欲しいというものだった。
「ふふ、いいでしょう。これからは私を師匠と呼びなさい。あとこの件に関してはシャロンも入ったら?」
「そうさせて頂きたく思います。少なくともサラ様よりはお役に立てるでしょう。わたくしたちが指南する以上、
「ふぉおおお! お願いしまぁす!!」
勢いよく90度に頭を下げるナーディア。
お姉さんたちはそれが彼女の勘違いであることは察していたが、互いの視線だけでこう語らった。
“面白いおもちゃが転がり込んできた”と。
●
《★すれ違ってライトアンドレフト★》
ゆったりと観覧車のゴンドラが回っている。幻影の人々の創造も、ミシュラムのアトラクション稼働も、全てティオ一人の認識でまかなっているという。
しかも毎日。凄まじい愛だ。
「愛か……」
ぽつりとつぶやいて、セドリックは視線を上げた。観覧車近くのベンチに座ったまま、深い息を吐き出す。なんだか僕、《ロア=ヘルヘイム》に来てから悩みが尽きないな。
そんなことを考えた時、となりに誰かが座った。
「え」
エリゼだった。
彼女は無言でセドリックの横に腰を下ろし、正面を見据えている。
どうしよう。実はトールズ屋上での告白劇以降、まだまともに話していないのだ。《パンタグリュエル》攻略では同じ清掃班ではあったが、意識してしまって会話しにいけていない。
「………」
「あの、エリゼさん?」
「ミストマータ対策で二人一組を推奨されていますよね」
「う、うん。ごめん。でも近くにそんな気配はないし……」
「いきなり襲われる可能性もあるんですから」
「はい、ごめんなさい」
「避けてます? 私のこと」
「そ、そんなことない!」
「……よかった」
ようやくエリゼは、セドリックの目を見た。
「悩みごとですね」
「なんで?」
「わかりますよ」
そんな理解をしてくれることは、ちょっと嬉しかったり。
「当てましょうか。シェラザード妃殿下のことでしょう」
「アルフィンから聞いてる感じ?」
「なんとなくは」
「そう、なかなか姉上って呼べないんだよね。最近は距離も縮まったような気もするんだけど」
「私に言ったことに比べれば、よほど簡単だと思いますが……」
「その話題に触れないで欲しい……」
“僕を男として見てくれ”発言は、結局皆の周知するところとなってしまった。女性陣は『そういうことをはっきり言うのは素晴らしいわ』と絶賛してくれて、男性陣は何も言わず背中を叩いてくれた。
そしてリィンさんの中から、一連の記憶が消えていたことは幸いだった。
「……エリゼさんってリィンさんと実の兄妹じゃないって初めて知った時ってどうだったの? 立ち入っていい話じゃなかったら先に謝る」
「ああ、構いませんよ。そうですね、子供の時の話にはなりますが……やっぱりどうしたらいいかわからなくて、一時期は兄様って呼べなかったですね。そういえばこれって、妃殿下とセドリックさんの逆パターンですか」
「距離感が開いたんだ?」
「嫌いにはなっていないです。ただ関係性がわからなくなったのかな、と。本当は何も変わっていないのに」
「どうやって元に戻ったの?」
「覚えていないんです。多分、普通に兄様って呼んだんだと思います。大きなきっかけもなく、きっと自然に」
とっさに呼んだだけ。そういうものかもしれない。
「ありがとう、エリゼさん。僕を元気づけようとしてくれたんだよね」
「え?」
「不甲斐ないところを見せたちゃったな。少し一人で考えてみるよ」
「え、え?」
セドリックはベンチから立つと、足早に場を離れた。
「……別にちょっとおしゃべりしに来ただけなのに」
そんなエリゼのつぶやきは、彼の耳には届いていなかった。
●
《★向き合ってアングリーハート★》
「あ、見つけたよ!」
アガートラムの広域スキャンを読み取ったミリアムが、市街の一角を指し示す。
街エリアのバリアハート区画。翡翠色に塗られた邸宅の並びを、機嫌悪そうに遠ざかっていくユーシスの後ろ姿が見えた。
「ほう、さすがだな」
「えへへっ!」
ルーファスは早足でユーシスに追いつき、その背に声をかける。
「待て、ユーシス。私はそなたのことをわかっていなかった」
ぴくりと反応し、ユーシスは足を止めた。
「……兄上」
「詫びの気持ちだ。受け取るがいい」
ルーファスはラッピングされた小袋を差し出した。
「これは?」
「菓子だ」
「菓子……?」
「好きなのだろう。遠慮はいらない」
ユーシスは無言で踵を返した。
この態度から察するに、さらに機嫌を損ねてしまったらしい。
どういうことだ。ミリアムから提供された情報なら、これで万事解決するはずなのだが。
ミリアムに疑問の視線を送るも、彼女は小首をかしげている。どうやらイレギュラーな事態が進行しているようだ。
ルーファスは弟の後を追う。
「菓子は手違いで発注してしまったものだ。そうだ。剣の稽古に付き合おう」
「………」
「ならビリヤードはどうかな。遊戯もたまにはいいだろう」
「………」
「では釣りをしようではないか。最近覚えたのだよ。兄弟二人肩を並べてゆったりとした時間を過ごすのも悪くあるまい」
「………」
「……困ったな。次のプランは――」
「釣りで」
「ん?」
「釣りでいいと言ったのです!」
竿を取りに行くと、ユーシスは振り返りもせずに走り去ってしまった。
「火に油を注いだだけだったか。まあ応じてくれただけ良しとしよう」
「え、あれ嬉しがってる時だよ」
ミリアムが言う。
「そうなのか? やれやれ難しいな。ユーシス対応マニュアルでも作ったほうがいいかもしれない。各シチュエーションにおけるフローチャートの作成は急務だ」
「きっとそういうとこが怒らせるんだよねー」
●
《★呪縛★》
「言いたいことはわかるな?」
「はい……」
アークライド事務所の横。ピックアップトラックの駐車スペースにノエルは呼び出されていた。
腕を組んで仁王立ちのヴァンの前で、肩をすぼめて縮こまっている。
「これを見ろ」
「見てます……」
ピックアップトラックの残骸がひとかたまりになっている。塗装は剥げ落ち、青い部分の方が少なくなってしまった。
「俺はお前を信じて愛車を託したんだよなあ。それがどうしてこうなっちゃったのかなあ?」
「面目次第もありません……ですがフェリちゃん教官の命令は絶対なので……」
「その呪いはいつになったら解けんだよ! クロスベル勢が『
《パンタグリュエル》の火災の原因を突き止めるために、艦後部に向かった《ナイトブレイカー飛天》は、そこでギルバートとかいうミストマータの繰る《Gアパッシュ》と交戦した。
その結果、敵機の撃退には成功。代わりに《ナイトブレイカー飛天》もズタボロにされた。
「はぁ……肝心のギルバートとやらは逃がしちまったんだろ?」
「すみません。爆発した《Gアパッシュ》から飛び降りる姿が見えまして、高所ではありましたけどミストマータですからね。おそらく無事かと」
「次会ったら、そいつに請求してやる」
「修理費ですか?」
「慰謝料だ」
心の傷はすぐに治らねえんだ。
とにかく俺の愛車を修復せねば。
「むんっ」
「おおお~」
認識によるリペア。在りし日のピックアップトラックの姿を思い浮かべる。俺と共に走った日々を。その思い出を。
哀れな金属塊だったものが、少しずつ元の車の形に戻っていく。
「ヴァンさん」
「ふぅおおう!?」
破壊神フェリちゃんサンが突如現れた。心の乱れがダイレクトに伝わり、修復中の車がガクンと傾く。
すぐさま敬礼するノエル。
「いかがなさいましたか、フェリちゃん教官」
「部品が足りないんですよ。ヴァンさんの車を持って行きますね」
「
いや、ふざけんな。なんだ、この鬼のような略奪者は。
「勝手なことさせるかよ! だいたい何の部品だ!?」
「オーバルギア
「は、はあ? あ、おい!」
フェリは転移で消えた。俺の愛車と共に。
ギギギと壊れたブリキ人形のように、ヴァンは首をノエルに振り向けた。
「ノエルくん。キミ今『
「すみませええん!」
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《★繋がってリングリンクリング★》
結局《Xipha》と《ARCUS》の同期はうまくいかなかった。
《ロア=ヘルヘイム》に来てからの課題だった二機種間の導力通信は実現できないままだ。
だが一流のメカニックたちが知恵を絞ったおかげで、とある副産物が完成していた。
「グランドリンクシステム?」
グランセル城の客間で休息を取っていたオリヴァルトは、ティータからの報告を受けてその名前を聞き返した。
「はい。リィンさんたちが使う《
「それは《Ⅶの輪》を凌駕しているようにも思えるが……」
「《ロア=ヘルヘイム》という限定範囲内においては、確かにそうかもですね。でも《Ⅶの輪》みたいに長距離通信はできないので」
「なるほど。だが局所的には非常に有用性が高いんじゃないかな」
情報の全体発信や共有を一度にできれば、あらゆる面で大幅な時間短縮になるのは間違いない。
《Xipha》との連動ができないのは、もはや致し方ないか……。
「ただ問題が一つありまして……」
「わかるよ。収拾がつけられないんだろう」
一方向な発信ならともかく、状況報告や進捗共有を五十名が一斉にやり取りすれば、誰が何を言っているかわからないし、情報の錯綜も起きやすい。
「この機能を本格的に運用する時は、メインオペレーターのような統括役が必要ということだね?」
「適任はいるでしょうか?」
「ふむ……そういう役割に求められる条件と言えば――」
大局を俯瞰できること。
それに付随する正しい判断を下せること。
判断に紐づく的確な指示を、迅速に打ち出せること。
指示を外れるような独断専行気質の者を、強制的に従わせるだけの説得力と発言力があること。
第一線の現場には出張らなくとも、現場からの信頼を得ていること。
「ああ……一人いるね」
「え、誰ですか?」
オリヴァルトは客間のソファーで横になる人物に視線を移す。
すーすーと、シェラザードが寝息を立てて眠っていた。
★ ★ ★
十三枚目の鏡の欠片の光が――
《話末コラム①》《
《ロア=ヘルヘイム》全域を囲む格子状に編み込まれた黒き紐。十字に連なりながら拡大し、天頂まで覆っていく様はまさしく檻と言える。
黒紐が頂上で結ばれた時、《ロア=ヘルヘイム》は完全に閉ざされ、出ることも入ることも永遠に許されない隔絶された異空間となる。ミストマータはそれを“世界の完結”と呼んでいた。
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