黎明の軌跡 Break the Nightmare   作:テッチー

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第50話《霧の王》を読了済みのセーブデータがある方のみお進み下さい。


破鏡のはじまり

 

 

 それは七耀歴〝120●年”のとある日のこと――

 

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《――★リィンとエリゼ★――》

 

「こちらですよ、兄様」

 エリゼが案内してくれるまま、リィンはセントアークの街並みを歩く。白亜の旧都と称されるに相応しく、白を基調とした建築物の数々はどこか清廉さと厳かさを感じさせる。

「先導助かるよ。気を抜いていたら道を間違えそうだ」

「……あら。もしかして兄様、寝不足ですか?」

「そんなことないぞ。早寝早起きは習慣になってる」

「でも今、あくびを我慢なさったでしょう。寝不足でないなら私とのお話がつまらないとか」

「寝不足だ!」

 強い断言。

「いや……確かに眠りは浅いかもしれないな。最近、変な夢を見るんだ」

「変な夢?」

「ヘイムダルの街中で戦う夢だ。視界が悪い霧の中で、ずっと人形兵器なんかと戦ってる」

「気を張り詰め過ぎではないですか? 兄様はもっと肩の力を抜いていいと思いますよ。龍來(ロンライ)への温泉旅行に行けるくらいには情勢も落ち着いているんですから」

「……そうだな」

 龍來(ロンライ)での邂逅で折れてしまった太刀も、すでに打ち直している。不意の遭遇ではあったが、今は気にしても仕方がない、か。

「夢と言えば、私も妙な夢を見た覚えがあります。セドリックさんと姫様が武闘会と舞踏会を開くので、私に受け付けをやって欲しいと」

「はは、あり得そうな話だ」

「受付嬢で座っているより、私は参加したい側なんですけどね」

「舞踏会のほうにだよな……?」

 毎日似たような夢を見るのは、やはり疲れているからだろうか。妙にリアリティはあるのだが、夢は夢。時間が経てば、だんだんと思い出せなくなっていく――

「あ、着きましたよ!」

 エリゼの弾んだ声でリィンは視線を上げた。大通りから外れた一角に、こじんまりとした建物がある。磨き上げられた看板には、《サンドロット薬局》と記されていた。

「お客さんがいるかもしれませんし、裏口に回りましょう」

「繁盛しているとは聞いてる。薬屋が繁盛というのも何だか複雑な気はするが」

「アルゼイド流の方々が、わざわざレグラムから買い付けにくるそうで」

「聖地巡礼みたいになってるんだろう、きっと」

 裏口の前に立つ二人。

 呼び鈴を鳴らしたリィンとエリゼを、白い霧が包み込んだ。

 

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《――★ノエル★――》

 

 今日は非番だった。せっかくの休日なのでバイクをカスタムしたかったが、ユウナがバイクを一日使いたいというから貸してあげた。

 なんでもアルティナをクロスベル巡りのツーリングに連れ出したいのだという。

 卒業前のそういった行動は大切だと思う。

 あたしも警察学校を卒業する直前は、思い出作りに奔走した。

 どんなのやったっけ。ああ、そうそう。思い出のグラウンド走破20周とかキツかったな。その話をフランにしたら『思い出作りってそういうことじゃないよ、お姉ちゃん』って呆れられたっけ。

「さて、それじゃあ今日はこっちを手がけますか」

 袖をまくり、グローブをはめ、気合を入れる。

 ユウナに貸したのは初代。ラインフォルトショップで購入したものだ。

 今からやるのは二台目の作成。一からパーツを組み上げて、新たなオリジナルバイクを作るのだ。

 自室に敷いた保護シートの上に、丁寧に部品を並べる。眺めているだけで楽しい。完成はまだ先だけど、早くいっぱい走りたいな。

 まずは六角レンチとドライバーが必要だ。

 愛用の工具箱を開けると、そこから押し広がった白い霧がノエルの視界を染めた。

 

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《――★トヴァル★――》

 

 遊撃士は協会を通じて各地に派遣されることが多く、時に国家間を跨いで連携を取ることもある。

 本日は合同連絡会ということで、トヴァルは遊撃士協会クロスベル支部を訪れていた。

 ちなみにカルバードからはジンが、リベールからはアガットが出向いている。

 その連絡会は午前で滞りなく終わり、簡単な挨拶も済ませ、あとは鉄道を乗り継いでヘイムダルまで帰還するだけだった。

「ふむ……」

 トヴァルは思案した。

 お土産を買って帰ろうか。もちろんエリゼお嬢さんに。『わざわざ私のために……トヴァルさん、ありがとうございます!』と瞳を潤ませる姿が目に浮かぶ。

 しかし年頃の女の子は何を喜んでくれるだろうか?

「みっしぃだな、やはり」

 クロスベルの王道と言えばこれだ。みっしぃグッズであれば、外れることなどない。

 さっそくトヴァルはミシュラムに向かった。

 

 きらびやかなゲートをくぐり、家族連れやカップルの行き交うメインストリートを歩いて思う。

 俺、一人で来ちゃった。

 なんだ、この場違い感。みっしぃの耳バンドをつけてはみたものの、お兄さん浮きまくってないか。

「お? なんかあったのか……?」

 遊撃士の嗅覚が困っている人の空気を感じ取った。

 ホラーコースターというアトラクションの入口で、従業員らしき二人が頭を抱えている。事情を聞いたところ、

「四人連れの兄妹が入っていったが、機器のトラブルが起こったみたいで……レールの途中でトロッコが止まってしまったんだ」

 しかも復旧させようにもメンテ技師の到着が遅れてて、四人を救出できないという。

 トヴァルは身分証に刻印された“支える篭手”の紋章を見せた。

「この通り帝国所属の遊撃士だ。機械関係の知識もそれなりあってな。簡単なプログラム復旧ならできるかもしれんぜ」

 二人の従業員が顔を見合わせたが、乗客の救出を優先してくれたらしい。

 トヴァルは裏口からアトラクション内部に入ることを許され、工具を手に現場へと急いだ。

 レールを逆に辿って目的の場所に着くと、途中で停止しているトロッコを見つける。

「俺が来たからにはもう大丈夫だ。少し待っていてくれよ」

 安心させるために力強く声をかける。

 確かに四人乗っているようだが、ホラーコースターの建物の中はどこも薄暗く、顔の判別までは出来なかった。

 配線が束ねられた壁付けのボックスを開く。コードの一本が断線しているようだった。

「こいつだな…‥。よし、すぐにトロッコを動かすぜ! この頼れるお兄さんが――」

 コードに手をかけた時、トヴァルは霧に囚われた。

 

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《――★マキアス★――》

 

 今日は久しぶりにクロスベルからエレボニアに戻ってきた。実家でゆっくりしたいところだが、この用事だけは外せない。

 ジャケットの襟を正し、懐から取り出した手鏡で髪型をセットする。

 よし、完璧だ。メガネにも一点の曇りさえない。

 帝都ヘイムダルのライカ地区、リーベルト支社の前で、マキアスは身支度の最終確認を行った。

「よし……!」

 気合を入れ、かつ自然体を装い、一歩を踏み出す。

 そこで彼の視界は霧に覆われた。

 

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《――★アガットとジンとミリアム★――》

 

「目的だけ果たしたら、すぐ退散すっから……」

「ぜひそうしてくれ……」

 クロスベル市内で行われた合同連絡会の後、アガットとジンはミシュラムを訪れていた。

 “ティータに土産を買って帰りたいからMWLに付き合ってくれ”というのがアガットの頼みで、『アガットがティータのために動くなら……』と、渋りつつもジンは承諾したのだった。

 そんなわけで厳つめの大の男が二人、にこりともせずにテーマパークを練り歩く。

「しかしまあ、ミシェルは会うたびにゴツくなっていくな……」

 アガットがぼやく。クロスベル支部の受付のことだ。

「それ本人には絶対言うなよ」

「言えねえよ。まだ死にたくねえ」

「この状況も中々死にたくなるシチュエーションだがなぁ……。はぁ、本当はエレインが出席するはずだったのに」

「エレイン? ああ、最年少A級の」

「そういやアガットは会ったことなかったか。ミシュラムに並々ならぬ執着を見せていてな。エレインに緊急案件が入ったせいで、俺が代打で来る羽目になったわけだ」

「みっしぃが好きなのか?」

「本人は『普通です』と言い張っていたけどな。ただ今日来れないことが確定した瞬間、超機嫌が悪くなっていた。俺ですら近づけなかったぞ」

「じゃあ絶対みっしぃ好きだろ」

 人目を避けるようにアーケード内の土産屋に移動する最中、

「あぁ~……くそっ、どうすりゃいいんだ!」

 MWLのキャップを被ったスタッフらしき男性が、困り果てた表情で頭を抱えている。

 見過ごすこともできず、ジンが声をかけてみた。

「おう、兄さん。どうしたんだい?」

「あ、ああ。これはお客様。お見苦しいところを……」

「いや、気にするな。こちとら遊撃士でな。管轄は違うが力になれることがあるなら――」

「ぜひ力になって下さい!」

 男性は食い気味にすがってきた。

 なんでもこの後の風船配りイベントに参加する別のスタッフ二名が、腹下しを起こして欠員になってしまったらしい。

 というわけで――

「こんな真似をするとは聞いてなかったが……」

「あっちぃ……」

 その半刻後、二人は着ぐるみの中にいた。ジンがワルみっしぃ、アガットがみーしぇである。

「風船さえ配り終えればお役御免だ。受けた以上はやりきろうぜ、アガット」

「早く済ませて土産を見繕わねえと……お、さっそく一人目が来たな。ん? あいつは……」

 見覚えのある少女が駆け寄ってくる。ミリアム・オライオンだった。

「アーちゃん、風船なら喜んでくれるかなぁ。あ、みっしぃがペイントされてるのかー」

 アルティナに渡すために? わざわざクロスベルまで? アガートラムがいれば、確かに行き来は簡単だろうが。

 なんであれ、任務は完遂するのがプロの仕事。やってやるぜ、と二人は決意を固める。

「みししっ! お嬢ちゃんにはこの風船をあげちゃうヨ!」

「妹さんにプレゼントするのかな? 大事にしてネ!」

「わー! ありがとう!」

 風船をかかげて、声をそろえて、元気いっぱいに、

『エンジョーイみっしぃ!』

 で、霧に囚われた。

 

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《――★アルフィンとセドリック★――》

 

 双子だからと言って、何でもかんでも馬が合うわけではない。

「――僕は悩みが多いんだよ。アルフィンと違ってさ」

「なによ、セドリックったら。失礼ね」

 バルフレイム宮の談話室。そこでセドリックとアルフィンは口論していた。

 最初は他愛もない会話だったのだが、何がきっかけだったのか、徐々にヒートアップし口ゲンカに発展してしまったのだ。いつものことではある。

「大体その悩みだって、悩むまでもないことをわざわざ難しく考えてるだけじゃないの。うじうじセドリック」

「言ったな! 僕はアルフィンみたいに短絡的じゃないんだよ!」

「言ったわね! わたくしだって悩みくらいあるわ」

「へぇ、何の悩み?」

「セドリックがいつまでも足を踏み出さない悩み。エリゼにもシェラ姉さまに対しても」

「うぐっ」

 売り言葉に買い言葉。こういう時はそのエリゼが仲裁役なのだが、彼女は今日はセントアークにお出かけだという。

「セドリックってシェラ姉さまを“姉上”って呼んだこと一度もないでしょ?」

「まあ、うん」

「どうして?」

「そう言われても、きっかけがないっていうか……」

「ほら出た。人見知りセドリック」

「うるさいなぁ!」

 自分でも気にはしてる。呼びたいけど呼べないんだ。構えちゃうんだよ、どうしても。

「エリゼに奥手なのも相変わらずだし。ねえねえ、東方のことわざで“目標をゲットしたかったら、まずはお馬さんからやっちゃえ”って知ってる?」

「そんなフランクな格言だったっけ。うーん……リィンさんから先にお近づきになれってこと?」

 エリゼと親しくなりたければ、そこは必ず立ちはだかる壁だ。迂闊に彼女に接近したパトリックがリィンに締め上げられる姿を見たのは一度や二度ではない。

 ただそれを抜きにしてもリィンには憧れがある。

 もしも距離がもっと縮まって、稽古を頻繁につけてくれたり、釣りに誘ってくれたり、もしくは『エリゼを任せられるのは、やはりあなたしかいない』なんて言ってくれたりしたら……!

「いいかも!」

「でしょ!」

 結局は双子で、感性の根本は似ているのだった。

「でもトールズも卒業しちゃったし、最近はリィンさんに会う機会も少なくなったよね」

「催し物を開きましょう。大義名分があればやりやすいじゃない?」

「なるほど……」

 そういえばラウラさんが色んな人と腕試しできる場所がないって嘆いてたっけ。フィーさんも戦闘の勘が鈍りがちともらしていた。平和にこしたことはないが、それでもそういう場は必要なのだろう。

「武闘会とかどうかな。リィンさんなら来てくれると思う」

「舞踏会? いい案ね! 服は何がいいかしら」

「それは動きやすいものが――ってアルフィンも出るの!?」

「当たり前でしょ。わたくしだってリィンさんにアプローチかけたいもの」

「エリゼさん怒るんじゃないかな……」

「じゃあエリゼには受付をお願いして、リィンさんと離しておけば大丈夫」

「あとでもっと怒るやつだよ、それ」

 武闘会と舞踏会。

 致命的な思い違いを抱えたまま、二人は濃い霧に囚われた。

 

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《――★アリサ★――》

 

 アリサはルーレ駅の待合室のベンチに座っていた。

「さすがに早く来すぎたわね……」

 セントアークからの帰りでリィンがルーレに立ち寄るのは夕方と聞いてはいたが、今はまだ真昼だ。

「ん、んぅ……痛ぁ……」

 どうにも肩が凝る。最近デスクワークが多いせいだろうか。書類仕事も抱えているから目も疲れるし。

 父様の血のほうが濃いのか、やっぱり現場仕事が向いてるし、楽しいと思う。

 管理職の立場ではあるものの、自ら工具を手にしなくなって久しく、少し寂しいというのが実際のところだ。

 時々、機械をいじり回したい衝動に駆られてしまうくらいには。

「はぁ……思いきりレイゼルを操縦したい……」

 それができたらこの上ないストレス発散になるのだろうが、あの機体は普段はラインフォルト社の格納庫にある。

 個人での運用は禁止だ。動かすには試験駆動の申請がいるし、通ったとしても自由にフィールドを駆け回ることなどもってのほかである。

 そういえば今度、《レイゼル雷閃式》のデータ計測があって、その後に母様とおじい様と三人でディナーの約束があるのだった。

 ずいぶんと関係も改善されたとはいえ、二人がケンカしないか心配だ。なんで私がこんなに気を揉まなければならないのよ。

「……リィン、早く来ないかしら」

 いっぱい話を聞いて欲しいわ。

 膝の上でバスケットを開く。おいしそうなサンドイッチだ。

 リィン様を待っている間にどうせお腹が空くでしょう、とシャロンが持たせてくれたのだ。

 うるさいわね、と彼女には顔をしかめてみせたが、見事にお腹が空いていた。

 そのサンドイッチを手にした時、アリサは霧に包まれた。

 

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《――★エステルとヨシュアとティータ★――》

 

「エステルお姉ちゃん! ヨシュアお兄ちゃん!」

 列車から降りてきた二人の姿を見つけると、いてもたってもいられずにティータは駆け出した。

 しかしそれより早く、エステルが突進してくる。

「ティーターっ! うりうりうり!」

「や、やめてよぉ」

 頬ずり無双撃だ。エステルにほっぺたをむにむにすりすりされ、それを「はい、そこまで」とヨシュアが止めるところまでが再会の挨拶なのだった。ちなみにこれはレンもやられる。

 駅を出た三人はティータの案内で、中央広場の噴水前――そのベンチに並んで腰を下ろした。

「はぁー、ここがリーヴスなのね。綺麗な街でいいわね」

「うん、すごく住みやすいよ。街の人たちも優しいし」

「あとで学院も案内してくれない? あたしもヨシュアもそういう学校って通ったことがないから、ちょっと憧れがあるのよね」

「あはは、いいよ」

 リベールでの受諾だが、エレボニアを経由する依頼があったそうで、そのついでにと二人はティータに会いに来ていた。

 リーヴスの話は良く出していたが、彼らが実際に足を運ぶのは初めてらしかった。

 ヨシュアは興味深げに首を巡らせている。

「リィンも滞在してるんだろう? 会えるかな?」

「普段はリィン教官も寮住まいだよ。でも今日は自由行動日でエリゼさんとお出かけするって、ミュゼちゃんが言ってたかな。帰りにルーレも寄るから遅くなるって」

「なんでミュゼがリィン君の予定をばっちり把握してるのよ……あ!」

 急に思い出したように、エステルが諸手を打った。

「そういえばリーヴスってジョゼットの出身よね。旧カプア領って聞いてるし。今度行ってきたわよって教えてあげようかしら」

「その話題は多分デリケートだから、あんまり本人に言わない方がいいんじゃないかな」

「そ、そうよね、ごめん」

 ヨシュアに嗜められて、エステルは話題を変えた。

「そうそう、本当は今日アガットも連れて来られたら良かったんだけど、クロスベルで開かれる遊撃士の共同報告会に出てくれててね。あたし達の代理で出てくれてるようなとこもあるし、さすがに引っ張って来れなかったのよ」

「ううん、大丈夫だよ。お仕事だったら仕方ないもん」

 言いつつも、少し寂しいと感じる自分がいた。

「声くらい聞かせてあげるわよ。もう報告会も終わってる時間だから」

「え、いいよ、いいってば!?」

 ティータの焦りは関係なく、エステルは《ARCUS》でアガットに通信をつないだ。

 導力波中継器の設置が進んだおかげで、今では相当な遠距離での通話も可能だ。

「――うん、うん。報告会の出席ありがと。それで今リーヴスに来てるんだけど――え、なに。立て込んでるの? ――は!? あ、ちょっと!」

 通信は一方的に切られたらしい。ぎこちない首の動きでエステルはティータに振り向く。

「アガット……今ジンさんとミシュラムにいるって。……二人で」

「え゛」

 なんで、なんで。

 わたし、連れて行ってもらったことないのに。よりにもよって、どうしてジンさん? 

 やっぱり寂しい。

 もっとわたしを見て欲しいのに。

 アガットさんがわたしを大切に想ってくれているのはわかる。

 でもそれは亡くなったミーシャさんの代わりじゃなくて、妹扱いとかじゃなくて、もっとこう――。

「まずいよ、エステル。ティータの目が曇ってる。どうして言うんだ、そんなこと」

「つ、ついうっかり。あ、あー、そうだわ、ティータ?」

 またしてもエステルは話題を変えた。

「今日はレンも呼びたかったのよ。ただ中々繋がらなくてね。レンとは話してる?」

「レンちゃんとは最近時間が合わなくて。ちょっと前まで夜によくお話してたんだけど……」

 その代わりなのか、この頃、夢によくレンが出てくるようになった。

 ただ少し、勘だけれど。以前と何か様子が違う気がする。

 悩んでいる? 不安? 生徒会の仕事が忙しい?

 何か支えになれたらいいけど、わたしにできるのは物を作ることくらい――

「そうだ! 聞いて、お姉ちゃんにお兄ちゃん! わたしね――」

 

 ――運命の巡る工房を、あなたにプレゼントしましょう――

 

 頭に響く声。一瞬意識が遠のく。視界がかすむ。となりにいたはずのヨシュアとエステルの姿はなくなっていた。

 霧の向こう。どこかの湖に浮かぶ球体が、機械の稼働音を広げていく。

 

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《――★ユーシス★――》

 

「ふう……」

 執務机の書類の束を片付けたユーシスは、椅子の背もたれに寄りかかった。

 これで今日の分の処理は終わりである。無理をして午前中に片づけたのだ。

 午後にアルバレア城館への来客がある。ごく個人的な来客だ。ミリアムにも今日だけは遊びに来るなと言い含めておいた。

 壁掛け時計に視線を移す。あと10分くらいだろうか。

 隙間の時間で思い浮かべたのは、ルーファスのことだった。

「今頃どこにいるんだかな……火傷が治っていればいいが」

 ウルスラ医大から姿を消してしばらく。彼の情報は入って来ない。音沙汰がないことを息災の証と考えるべきか。

 まだしっかり兄上と話していない。いきなりいなくなって……せめて俺に便りの一つでもよこしたらどうなんだ。

 かすかな苛立ちを覚えた時、時計の針がちょうど13時を示した。

 扉がノックされる。時間ぴったりとは相変わらず律儀なことだ。

「少し待て。今――」

 椅子から立ち上がると同時、ユーシスの視界は白い霧に包まれた。

 

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《――★クロウとトワとアンゼリカ★――》

 

 ただでさえ入り組んだルーレの路地を、クロウは一人歩いていく。しばらく進むと、目当ての店は見つかった。

「ここか? わっかりにくい場所だな……」

 隠れ家的な大衆居酒屋で、珍しく個室もあるらしい。

 一応大っぴらに出歩けない身ではあるから、俺に配慮してくれたのだろう。

 店に入ると、店員の案内でその個室に通される。

「あ、クロウくんだ。こっちだよー」

 戸口からトワが顔を出し、手招きしてくる。

「おう。しかし一飲みすんのにルーレは遠いっつの」

「文句を言うんじゃない」

 と奥の席でアンゼリカが笑った。

「君が気兼ねなく羽を伸ばせるような店を見つけるのは苦労するんだ。まあ、確かにヘイムダル辺りだと皆が集まりやすいんだが、あいにく今日は私もルーレを出られなくてね」

「出られない? なんでだ?」

「見合いだよ、いつもの。のらりくらりと逃げていたが、最近は親父殿もあの手この手で私を呼びつけるようになってね」

「ちなみに今回の理由は?」

「不治の病に侵されて、余命二時間。さらには虫歯と痔が併発して死にそうだから、至急家に戻ってこいと」

「行くなよ。わかるだろ、嘘って」

「親父殿がどんな弱々しい演技を見せてくれるのか、ちょっと面白そうだったからさ」

 あの親にしてこの娘ありか。どっちもどっちだ。以前のように殴り合いに発展しないだけマシなのだろう。

「結婚の一つくらいとっととかまして、親父さんを安心させてやれよ」

「イヤだね。私はトワと結婚する。もう式場も決めている。新婚旅行はバイクで帝国一周プランさ。愛の導くままにノルド高原をかっ飛ばそうじゃないか」

「こりゃ逃げられねえな。腹くくっとけよ、トワ」

 トワはぶんぶん首を横に振っていた。

「アンちゃんは平常運転だねぇ……。クロウ君は元気にやれてるの?」

「これで結社の執行者だしな。裏仕事はそれなりにあるが」

「そういうのを元気にこなしちゃダメだよ! 怒っちゃうよ!?」

「もう怒ってるじゃねえか。汚えことはやってねえから心配すんな。それにもうすぐ《身喰らう蛇》を抜けるって知ってんだろ」

「そうだけど……普通に抜けられるものなの? ケジメに小指とか詰められたりしないの?」

「どこの任侠の世界だ。レンやヨシュアとかと一緒だ。問題ねえよ」

 ヴィータのような使徒の場合は大きな計画の一端を担っているらしいので、そう簡単でもないらしいが。

「じゃあさ。結社やめたら、どうやって生計立てていくの?」

「あー、そりゃまあギャンブラーとか性に合うんじゃねえか。あとは――」

 もしくは適当な猟兵団にでも雇ってもらう――とクロウが言いかけた時、肘があたってグラスの中身をテーブルにこぼしてしまった。

「あ、わりぃ」

「粗忽な男だな、君は」

「アンちゃんもそんなこといわないの。あ、待ってください、店員さん――」

 布巾をもらおうとトワが店員を呼び止める。伸ばした手の先から視界が濁り、三人は霧に飲み込まれた。

 

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《――★ガイウスとワジ★――》

 

 大理石の床にブーツの音が響く。

 アルテリア法国の七耀教会の大聖堂。一般人が立ち入ることができない奥間の一つに、ガイウスは向かっている。

 数年前は思いもしなかった。自分がこんな場所を歩いているなどと。

 最近、故郷の――ノルド高原の夢をよく見る。しばらく戻れていないから、懐かしんでいるのだろうか。

 足を止め、自らの手のひらを眺める。バルクホルン師父から受け継いだこの力。責任は重いが、後悔はしていない。

 後悔はしていないが――

「やあ、ガイウス。君も今来たところかい」

「ヘミスフィア興」

「ワジでいい。何度も言ったはずだよ」

「ああ、すまない、ワジ。気をつける」

「その生真面目さは嫌いじゃないけどね。ロイドに通じるものがある」

「他の皆は?」

「多分、もう中かな」

 厳かな扉の向こうに、確かに複数の気配を感じる。

「アイン総長から直々の呼び出しか。何だろう。今日は夜にランディとカジノに行く約束だったんだけど、すっぽかすことになりそうだ」

「カジノ?」

「生きていく上で趣味や息抜きは必要さ。君も絵を描くだろう。最近は?」

「いや、そういえば……描いてないな」

 少しスランプ気味なのだ。こんなことは初めてだった。心に引っ掛かりがあるせいか、筆があまり進まない。

 使命を受け継ぎ、立場が変わり、聖痕の力をこの身に宿した。Ⅶ組のみんなは受け入れてくれていると思う。それは理解している。

 ただ漠然とした不安がある。

 もしかしたら俺は、それを言葉として聞きたいのかもしれない。〝ガイウスのことをわかっている”と。たった一言。

 

 ――誠実ゆえに深い悩み。でも純粋な願い――

 

 ――あなたを六番目にしてあげる――

 

「ガイウス?」

「いや、なんでもない」

 言葉が脳裏に響く。どこかで、誰からか、そう言われた。聞き覚えのある声。

 早く行かねば。総長が待っている。

 ガイウスは扉に向き直ったが、そこにあるべき扉がない。

 白い霧に覆われ、いびつな自然と四季に分かたれたノルド高原が眼前に広がっていた。

 

 ●

 

 

《――★リーシャ★――》

 

 リーシャは東方人街を歩いていた。

 今日は休暇。なんとはなしの散歩である。

「あら……」

 古書店の前で足を止める。店の前にいくつか目を引く本が並んでいた。

「古武術、暗器大全、長持ちする兵糧丸……それと、これは……!」

 その中に年代物の恋愛小説があった。身分違いの恋を題材にしたラブロマンスのようだ。

 立場違いの片思い。私も感じ入るところがある……ような。

 タイトルは《運命の――》となっているが、薄れて後半は読み取れなかった。

 運命。あらかじめ定められた道筋。それを疑わない。まるでかつての私のよう。

 だからかもしれない。

 今でこそ自分の道は自分で選べるようになったが、それでも何かを変えていく事に対して、私は未だに消極的だ。

 ああ、思えば《アルカンシェル》の入団もイリアさんに流されるがままだったっけ。

 運命とか宿命とか。そんな楔からはとっくに抜け出している。

 奥手な性分であることは自覚してるけど、もっと自分から踏み出さなきゃ。この本はそのきっかけになったりして……。

「あ、あの! これ買いま――」

「おや、リーシャさん」

 小説を手に取ったその瞬間、誰かに声をかけられる。ビクリとして振り返るが、リーシャの視界には白い霧しか映っていなかった。

 

 ●

 

 

《――★フィー★――》

 

 クロスベル経由でカルバード入りするのが早いだろう。あとは私が列車の中で寝過ごさなければいい。その自信はないが。

「午後一番のクロスベル行きは……四番乗り場か」

 ヘイムダル駅の雑踏を避けつつ、フィーは運行表とにらめっこする。

 列車の乗り継ぎはいまだに苦手だ。学生の頃はしっかり者のエマやリィンについて行けば問題はなかったし、なんならマキアスが分刻みのスケジュール管理をしていた。それは少々うっとうしかったけど。

 遊撃士になって各地を回るようになってから長距離移動も増えて、多少は列車の利用も慣れはしたが、やはりなるべく一人乗りはしたくない。

「お。おったおった。それにしても人混みがすごいな」

「そうか? 俺の周りには人が集まらないが」

 ゼノとレオニダスがフィーの元にやってきた。

「レオの近くに一般人が寄り付くわけないでしょ。どうしたの、二人とも」

「人が俺に寄り付かない? なぜだ……?」

「どうしたもこうしたもあらへん。お前の見送りや」

 カルバードに出向くのは、共和国の遊撃士協会が人不足らしいからだった。

 Ⅶ組の皆には伝えてあるが、この二人は一体どこから情報を仕入れたのだろうか。

「にしてもⅦ組の連中は見送りに来んのか? 薄情なことやなぁ」

「みんなのスケジュールが合わなかったんだよ。その代わりに事前に送別会開いてくれたし。というか、それ知ってるからゼノたちは来たんじゃないの?」

「まあな。ほれ、餞別や」

 二人はしっかりめの軍用コンテナをその場で開いて、フィーにあれやこれやと渡してきた。

「替えのナイフ刃に、弾丸のマガジン二ダース。保存食一週間分も底に入れとるからな。閃光手榴弾のストックは十分か?」

「少ないが、これは路銀だ。現金で300万ミラと金塊を一ケース用意してある。金のレートは安定しているから、好きなタイミングでミラに換金するがいい」

「ありがとう。いらない」

 物理的に重すぎる。

「現金持ち歩いたり、金塊運んだり。変な金融業に手を出すのはやめてよ」

「ははは、西風信用金庫ってか? 安心せえ。猟兵がバックにおる金貸し業なんざロクなもんやあらへんからな」

「一応自覚はあるんだね」

 レオニダスがどこか心配そうに言う。

「共和国の依頼は荒事も多いだろう。腕は鈍っていないか?」

「ん、前よりは戦闘の機会は減ったかな。ラウラが模擬戦によく付き合ってくれるから、そこまで平和ボケはしてないと思うけど」

「ふむ、なんならイーディスの黒芒街という場所を訪ねてみるといい。地下闘技場があると聞く」

「闘技場でしかも地下街。あまり良い予感はしないね」

 その時、ホームにベルが鳴り響いた。

「おっと、じゃあ、しばしの別れやな。足りない物があれば遠慮なく言いや」

「週一で連絡はするのだぞ。週三でも構わない。本当は毎日がいい」

「ほんと過保護……あれ?」

 いつの間にか視界が曇ってる。スモーク? それにしては周りの通行人が騒いでいないような。

 その白い霧は三人をまとめて飲み込んだ。

 

 ●

 

 

《――★ルーファスとスウィンとナーディアとラピス★――》

 

「やれやれ。これからカルバード入りしようというのに、こんなところに来る羽目になるとはね」

 ルーファスははしゃぐナーディアとラピスを後ろから眺めていた。横を歩くスウィンが、そのぼやきに応える。

「まあ、いいじゃないか。どうせ共和国内の目的地も決まってないわけだし」

「意外だ。君はこういう場が苦手な方かと思っていたが」

「もちろん得意じゃない。でもオレだけ留守番すると言うとナーディアは怒るだろ」

「よくわかっているじゃないか」

 楽しげなアトラクションの数々。それに並ぶ来場者の列。途切れない笑顔と歓声。四人が来ていたのはミシュラムワンダーランドだった。

「オレにしてみれば意外なのはルーファスの方だ。こういうの楽しめるのか? 観覧車とかコーヒーカップとか」

「存在する意義すらわからない」

「もうちょっと言い方があるだろ……」

「そもそもクロスベルの娯楽施設を私が楽しんでいいわけがない。本来ならここに足を運ぶのも(はばか)られるというのに」

 ルーファスはサングラスをかけて変装していた。この程度のごまかしでも、案外バレないらしい。

「だったらどうしてミシュラムに? フリーパスチケットまで購入してくれたし、どういう風の吹き回しだ?」

「私のご主人様が行きたいと所望されたからね。従者としては応じないわけにはいかないだろう。ナーディア君も随分と乗り気のようだったし」

「希望を受けてくれるのはありがたいが、あまりあいつらを甘やかさないように頼む。際限なくわがままを押し通してくるぞ」

「はは、それは目に浮かぶようだ。時にスウィン君に望みはないのかね?」

「オレ? そうだな……」

 スウィンは少し考え込んだ。

 多くの人が行き交うメインストリートの向こうでは、みーしぇとワルみっしぃが子供に風船を配っている。

「望みと言われても、今より強くなりたいとしか思いつかないな。欲しい物も別にない。ただまあ……魔獣狩りじゃ実力を上げるにも限度があるし、あんたに剣の相手をしてもらうにも火傷が完治しないと無理だろうし。そこはちょっとした悩み事と言えるかもしれない」

「ふむ、ならば色んな相手と戦えるように、スウィン君専用の闘技場でも建築してあげたいところだが」

「規模がでか過ぎる……。逆にルーファスはどうなんだ? 欲しい物とかあるのか?」

「徒歩での移動も悪くないが、寝床と兼ねられる飛行艇などがあればとは思う。パンタグリュエルでも手に入れば良いのだがね」

「だから規模がでかいって」

 フードショップを見回っていたラピスが走って戻ってきた。

「ルーファス! あっちのお店のクレープが食べたい!」

「財布係になってしまったな。一万ミラあれば足りるかね?」

「わからないわ!」

 みっしぃ耳のヘアバンドをつけたナーディアも戻ってきて、スウィンと腕を組んだ。

「すーちゃんも一緒に行こうよ。みっしぃショーが午後にあるんだって。なーちゃんは観劇が大好き~」

「ディナーはレストランよ! みんなで美味しいものを食べるんだから!」

「いいね、いいね、ラーちゃんに賛成~。ショーまでも時間があるし、この近くだと、えーと……ホラーコースターがあるよ。そこで遊んじゃおー!」

「おー!」

 彼女たちの提案で、ホラーコースターまで移動する。

 四人乗りの大きなトロッコに乗り込んで、アトラクションスタート。

 ホログラムの魔獣を玩具のレーザー銃で倒していくのだが、

「撃て撃て~!」

「オレ、銃は苦手なんだよな……」

「ほう、よくできた立体映像だ」

「はわっ、はわあ! 当たらないっ、怖い! ――えい!」

 興奮したラピスはとっさにトランクケースを変形させて、思い切り十字斧を投げてしまった。

『あ』

 一同の声がそろった時には、コースを外れたところに設置されていた何らかの制御盤に、斧が直撃してしまっていた。

 ガクンと不調をきたしたトロッコが、レールの途中で停止する。

「こ、怖かったんだもん! 私悪くないもん!」

「大丈夫だよ、ラーちゃん。弁済費用はルーファスが持つから」

「任せておきたまえ。なんなら全面見直しも図って、内容をグレードアップさせよう」

「なんで誰も反省してないんだ……」

 下手に動かず、助けが来るまでトロッコの中でしばし待つ。

 ほどなくスタッフらしき男性がやってきて、復旧作業に取り掛かった。

「すぐにトロッコを動かすぜ! この頼れるお兄さんが――」

 何者かのその言葉と同時に、四人は暗闇の中で白い霧に包まれた。

 

 ●

 

 

《――★アッシュとミュゼ★――》

 

 夕暮れ時の教室は好きだった。誰もいないとなればなおさらだ。

 アッシュは窓べりに肘をかけ、グラウンドから届く運動部の掛け声に耳を傾けた。

 今日はテニス部はやっていないみたいだ。そういえばユウナはクロスベルに帰省中だったか。アルティナもいない。

 こういう日は読書がはかどる。

 胸ポケットから読みかけの小説を取り出した時、教室の扉が開いた。

 ゆるふわの緑髪が風に揺れる。

「あら、アッシュさん。夕焼けにたそがれる生徒会長だなんて、またファンクラブの会員が増えてしまいますよ」

「ねえよ、ファンクラブなんざ。そもそも未だに生徒会長だと思ってねえやつもいるだろ」

「“一発で信じねえやつリスト”でしたか。順調に更新されているようで」

「どうせ言ってる内に卒業だ。せいぜい優秀な後進を探さねえとな」

「ですね」

 副会長であるミュゼには、かなり助けられたというのが本音だ。

 実務はもちろん、手回しや水面下での段取りは誰よりも優れている。

 対外折衝なんかをさせれば、目的の五割り増しの成果を当たり前のように持ち帰ってくるくらいだ。

 有能この上ない。感謝もしている。口に出して伝えたことはないし、その予定もないが。

「ところでその卒業にあたってなんですけど、進路はもう決めましたか?」

「いや、特には。推薦や勧誘は山みてぇに来てるけどな。それはお前も同じだろ?」

「ええ。さすがはトールズの生徒会長と副生徒会長という肩書ですよ。そこには乗らないので?」

「そりゃ軍関係ばっかだからな。性に合わねえ。いったんはラクウェルに戻るつもりだ」

 この二年間は色々あった。改めて身の振り方を考えたいとも思う。お袋の墓参りもしばらく行ってない。

 なんやかんやで生徒会長という役割は忙しかった。オーレリア分校長の無茶ぶりもダイレクトに飛んでくるのだ。あの性格では、婿が決まるのは当分先だろう。

 そういえば……ティータが話を回したのか、ずいぶん前にヨシュアから生徒会長就任を祝う手紙が届いていた。

 返信はしていない。

 途中まで書いたが、それ以上はペンが進まなかった。なんて書けばいいのか……わからなかったんだ。

「アッシュさん?」

「なんでもねえよ。それでお前の卒業後は……あ?」

 妙に視界が白く霞む。そう思った時には、二人とも霧に包まれていた。

 

 ●

 

 

《――★エマとセリーヌ★――》

 

「そういえば今日、ヴィータ姉さんは女子会があるんだって」

「へえ、ずいぶんと俗っぽくなったものね」

「あ、人前であまりしゃべっちゃダメよ、セリーヌ」

「アンタが話しかけてきたんでしょうが!」

 エマとセリーヌはライカ地区の大通りを歩いている。もちろんセリーヌは黒猫形態だ。

「というかそのイベント会場にアタシも入っていいの? 見た目は猫よ? 猫じゃないわよ!」

「自分で言って怒るってどうなの?」

 かくいうセリーヌも俗っぽくなったとエマは思う。よく言えば柔軟性が増したというか、人間に興味を持つようになったというか。

 おばあちゃんの跡を継ぐ決意が固まりつつあるのだろう。どういう形であれ、人への親愛の情はあった方が良い。

「何ぼけっとしてんの? 見えてきたわよ、あれでしょ」

「そうね、久しぶりだわ」

 二人の視線の先には帝国博物館の柵門があった。

 今日だけは一般客は入れない。公共施設を貸し切っているという。

「さすがは皇族の威光とでもいうべきかしら……」

「ほら、さっさと入るわよ。ゲストが遅れたら示しがつかないわ」

「はいはい」

 足を踏み出し門をくぐった時、エマとセリーヌは白い霧に囚われた。

 

 ●

 

 

《――★サラとスカーレットとクレアとヴィータとシャロン★――》

 

 仲良しこよしというわけではないが、なんだかんだでお姉さん同士でつるむことは多かった。

 今日は休日や非番を合わせての昼飲みである。ヘイムダルのオスト地区、半地下のバーで、そこはサラの行きつけだった。

 サラの招集に応じたのはクレア、シャロン、スカーレット、ヴィータのベテランお姉さんたちだ。

「最近どうなのよ」

 注文したドリンクが来るまでの間、開口一番でサラが言った。

 大人のベテランお姉さんにもなると、わざわざ話のネタを用意して飲み会に望むことなどしない。

 大体この一言から始まり、銘々が近況を語り出し、ああなの、そうなの、こうなのよ、と適当に話が広がっていく。

「私はもうすぐバルフレイム宮詰めになるわ。お姫様たちの卒業に合わせて、出向解除ってわけ」

 こういう時は割と生真面目なスカーレットが、話を切り出してくれる。

「あたしの後釜もいよいよ終了ね。お疲れ様」

「ま、色々あったけど楽しかった。名残惜しいし、教え子が手元から離れていくのは、やっぱりこう……寂しいものがあるかも」

「そう、そういうことなのよ。わかってきたじゃない」

 シャロンがクスクスと笑った。

「サラ様ったら先輩風を吹かして、ずいぶんと可愛いですね」

「ふん、あたしが可愛いのは周知の事実よ」

「あ、違います。今のは嫌みですわ」

「説明されなくてもわかってるわ! ――クレア!」

「は、はい?」

 いきなり呼ばれて、クレアはきょとんと目を丸くした。

「あんたもさっさと転職すればいいのよ。TMPなんてやめて、メイド喫茶あたりで働けば? お堅いイメージを払拭するために、カジノとかの受付嬢なんかもいいかもね」

「いきなり何かと思えば……私は職業軍人です。娯楽施設で働くつもりも、メイドになるつもりもありませんよ」

「口ではそう言うけどね。最近のあんた、趣味趣向が変わってきてるから! たとえばその服!」

「服?」

 以前のクレアは動きやすさ重視のカジュアルな私服だった。それが今や、ゆるふわ系の可愛らしいドレスタイプの服を好んでいる。さらには完璧に着こなしている。

「何か変ですか? 可愛いじゃないですか」

「あんたは“可愛い”とかそういう感じじゃなかったでしょ! もっと尖っときなさいよ! なんでいつものサイドテールじゃなくてツインテールなのよ!」

「ちょっと意味がわからないですね……」

 アルフィンたちの卒業に合わせて、クレアも学生寮の世話係の任を解かれ、TMP本隊に復帰する。しかし心身に刻み込まれた世話役の魂は、彼女を無意識の思考レベルからメイドへと変えていた。

「転職ねぇ……」

 小さくつぶやいたのはヴィータだった。サラが怪訝そうに訊く。

「なに? あんたまで職を変えるの? 結社を職って言っていいのかわからないけど」

「ああ、まあ。どうにか使徒は抜けれそうなのよ。ただそこからがね。オペラ歌手に戻るのもいいけど、多少のブランクがあるし……」

「だったら規模を小さくして、テーマパークのショーにでも出たら? ミシュラムとかで歌のお姉さんでもやればいいんじゃない?」

「なんで私の価値もわからない子供相手に愛想振りまかないといけないのよ」

「性格が悪くなる古代遺物でも持ってんの?」

「言ってくれるわ。あなたはどうなの? いいひとでも見つかった?」

「ぐっ」

「あっ、ごめんなさい。傷つけるつもりはなかったの。でもそろそろ、ねえ?」

「ぐくぅ……!」

「あはっ」

 ターゲットをロックオンしたヴィータの目が輝く。

 あれこれ散々にいじられて、とうとうサラはカウンターに突っ伏した。

「いい加減、彼氏欲しいわー!!」

 悲痛な叫びと共に、お姉さんたちの足元から霧が這いのぼる。

 

 ●

 

 

《――★オリヴァルトとシェラザード★――》

 

「城の雰囲気には慣れたかい? 君には窮屈に感じるところも多いだろう」

 シェラザードの私室を訪れたオリヴァルトは、大げさに首をすくめてみせた。

「ぼちぼちね。運動に制限をかけられたのがフラストレーションではあるけども」

「身重なのに活動的だからさ。侍女たちの心労も察してあげて欲しいな」

「適度な運動は必要でしょ」

「君が物を担いだり、段差を飛び越えたりする度に寿命が縮まる思いだよ。いやまあ、あんまりないんだけどね、お妃様が物を担ぐシチュエーションって」

「立場が変わったからって待遇も変えられるのは、あんまり好きじゃないのよ。変にうやうやしくされるのも」

「もちろんその性格は知ってるさ。だけど父上と母上も心配してる」

「それを言われたら弱いわね。最近はお義父様とお義母様とも雑談できるくらいにはなったし。まだ気は遣うけど」

 オリヴァルトは少し考えて、

「実際のところ、シェラ君は父上たちより、セドリックに気を遣っているだろう」

「……否定はしないわ」

 アルフィンに接するようにはできていない。彼も遠慮している節があるし、距離感がつかめないのだ。グイグイいって嫌われてしまうのは……。

「セドリックも君と仲良くしたいと思ってるはずだ。まずは軽く食事にでも誘ってみたらどうだい?」

「コホン……〝セドリックさん、お茶でもいかが?” こんな感じ?」

「あっはっは、ガラにもないねえ。いだっ」

 失礼な夫をスパンとはたき、シェラザードは椅子から立ち上がる。

「どこに?」

「セドリックさんのとこ」

「今から?」

「こういうのは勢いが大事なのよ」

 あたしがお姉さんだし、やはりこちらから声をかけるべきだ。

 確かにちょっと不安はあるんだけど。

「……オリビエもついてきてよ」

「仰せのままに」

 私室から出た瞬間、二人は霧に囚われた。

 

 ●

 

 

《――★エリオット★――》

 

 バイオリンの柔らかな旋律がマーテル公園に響き渡る。

 噴水の前でエリオットが演奏しているのは夜想曲(ノクターン)だった。

 その穏やかで優美なメロディに、ギャラリーからの合いの手が入る。

「いよお~! ハイ! ハイ! ハイハイハイ!」

「どっせいどっせい! ソォーイ!」

「ウンダッタ、ウンバッタ、ハァー! ハァー!」

 なんなのこの人たち。ふんどし一丁で足を踏み鳴らして。

 バイオリンの独奏会だよ。どこぞの部族の儀式じゃないんだよ。一般の方々が離れていっちゃうんだけど。

 というかよく見たら、全員第三機甲師団の人たちだった。

「ご、ご清聴ありがとうございました」

『イェーイ!! 五臓六腑を撒き散らせーっ!!』

 最悪の掛け声。エリオットはたまらず逃げ出した。

 しかし益荒男の集団は、ゼクス中将を筆頭に追いかけてくる。

「お待ち下されい! サイン会と握手会がまだですぞ!」

「ありませんから、そんなの!」

「ご無体な! 皆が楽しみに待ちわびておりますのに! 血しぶきで記す猛将剛筆サインと、手骨を粉砕する猛将剛腕握手をぜひ我らに!」

「ひいい!」

 一個師団も動員して、ゼンダー門の警備はどうなっているんだ。

 とにかくどこかに隠れなくては。

 ちょうどマーテル公園の一角に公共トイレが見えた。

 そこに待ち構えるように滞留していた白霧に、エリオットは自ら飛び込んでしまった。

 

 ●

 

 

《――★ラウラ★――》

 

「がはっ、なんという美味か……っ!」

 ヴィクター・S・アルゼイドがよろめいた。《光の剣匠》が膝をつきかけている。

 エプロン姿のラウラは苦笑した。

「またそのように大げさな。そもそもそれは試作品のクッキーですよ」

「死作品の苦ッ鬼ーか……その名に違わん出来と言えよう。凄まじいな。アルゼイド流の奥義もかくやと言わんばかりの破壊力……あ、いや、美味しすぎてという意味だ」

「世辞も行き過ぎるとむずがゆいものですよ、父上?」

「世辞ではないぞ。身体が驚いて、左腕も生えてきそうだ。もちろん美味しすぎてな!」

「ブラックジョークはいかがなものかと」

「う、ううむ……」

 アルゼイド邸一階。渋い顔をして、ヴィクターはキッチンから退散した。

 父上は気にした素振りを見せず、日常生活でもそこまで不便ではないというが、娘としては正直複雑だ。

 もしも左腕を失っていなければ――とはやはり思う。

 しかし原因となってしまったジョルジュ自身が誰よりも悔恨の念を抱いているから、無暗に恨み言を吐くこともできない。

 本来命を失っていたかもしれないところを、腕一本で済んだと考えるべきなのか……。

「戦ってみたかったな。全力の父上と」

 ぽつりと本音がこぼれる。

 ラウラはオーブンに視線を移した。マフィンがもうすぐ焼き上がる。新作だ。

 リィンとクルトにも食べさせてやりたいが、いかんせん遠方だ。こういう焼き菓子は運送してもらえるのか、カプア特急便に問い合わせてみようか。

 それにしても、ずいぶんとレパートリーが増えたものだ。研鑽を重ねてきたから当然の結果とは言えようが。

 しかしその分、剣の腕が落ちていないかは気になるところだ。

 稽古は怠っていないつもりだが、実戦の機会が以前より減ったのは間違いない。どこかで腕試しでもできればいいのだが。

 オーブンからブザーが鳴る。

「お、完成か――なっ!?」

 オーブンを開けると煙が広がった。まさか失敗したのか? その白霧はキッチンに充満し、ラウラを覆い隠した。

 

 ●

 

 

《――★ロイドとエリィとランディとティオ★――》

 

「お前たち、最近ちょっと気が緩んでるんじゃないか?」

 いつもの仏頂面でセルゲイ・ロウが言う。

 特務支援課の事務所で、ロイド、エリィ、ランディ、ティオは横並びに整列していた。

 いきなり課長から招集をかけられ何事かと思ったが、どうやら今から自分たちはお叱りを受けるらしい。

 ロイドは姿勢を正す。

「それは……申し訳ありません。しかし一体どのようなことで……」

「心当たりはないか?」

 そう言われて、ロイドはまずランディを見た。

「そういえば一週間前、支援課の専用車をぶつけてたよな? 日報で読んだぞ」

「いやいや、ロイド。人間のやることだぜ。たまにはミスもあるだろ? もちろん反省もしてるし、物損が絡むような大きな事故には繋がってねえ。ちと車体の片側をこすっただけだ」

 そんなランディに、セルゲイは嘆息した。

「その社用車でどこに向かってた? 勤務時間外だったはずだな」

「……歓楽街」

「緊急の案件か?」

「まあ……カジノのコイン二倍キャンペーンの終了時間が迫ってたんで、緊急の案件であることは間違いねえが……」

「書いとけ、始末書」

「……うす」

 次にセルゲイはティオに視線を移した。

「え、私ですか? ランディさんと違って、真面目に市内巡回もやってますよ」

「その巡回のことだが、お前は湾岸区ばかりに行ってるな」

 ぎくりとティオが目をそらす。

「ミシュラムへの送迎船を見えなくなるまでうらやましそうに眺める少女の目撃例がほぼ毎日あるんだが、これは?」

「観光客がミシュラムまで無事にたどり着くための安全確保を、私の責任でやらねばと……」

「そういうのはな、運営会社の責任でやるんだ。お前は反省文を提出しろ」

「はい……」

 なるほど、これではセルゲイに怒られるのも無理はない。

 そもそも彼は放任主義だ。見るに見かねたということだろう。

「自分の管理不足です。俗にいうクロスベル再事変も収束し、どこかで気持ちが緩んでしまったのかもしれません。支援課のリーダーとして皆の気を引き締める必要があると感じました」

「お前もだ、ロイド」

「俺も……? お言葉を返すようですが、腕が鈍らないよう昨日はエリィと一緒に訓練場に行きました。俺は走り込みを、エリィは射撃訓練をしましたし、職務に対して手は抜いていないと思っています」

「お前、そこで間違って女子更衣室に入っただろう。堂々と、爽やかな笑顔で。一体どういう種類のモンスターだ」

「そっ、それは不可抗力で気づかず。訓練後の爽快感も相まって……」

「しかも先に中で着替えていたエリィと鉢合わせたな。そしてエリィは近くに飾っていた壁掛け時計をロイドに投げつけた。市からの寄贈品だったそれはフリスビーのように滑空し、ロイドの後ろの扉に激突。ネジとバネと歯車が弾け飛び、完全に死んだ。殉職で二階級特進だぞ、時計様が」

 セルゲイの鋭い目がロイドからエリィに転じる。彼女は気圧されながらも、

「ですが不可抗力というなら私の側でしょう。着替えの最中だったんですから当然の反応です!」

「そのあと立て続けに三発発砲しただろう」

「い、威嚇射撃を。ほぼ裸だったのに言い訳ばかりで全然出て行かないから、いい加減にしなさいと。ただ空砲のつもりで。ま、まあ、そうしたら……」

「実弾だったと。ロッカールームに開いた穴を誰が修繕したと思う」

「ま、まさか課長が?」

「たまたまソーニャが来ていてな。女子更衣室で作業に没頭する俺を見る目は実に冷たかった。二ヶ月前から予約していたディナーの約束をすっぽかした時以来の氷の目付きだった」

 ソーニャ・ベルツ。クロスベル警備隊の司令にして、セルゲイの別れた奥さんである。

「エリィは始末書、ロイドは始末書と反省文と全員分の顛末書のフルコースだ」

 肩を落とすロイドとエリィ。優等生のエリィは特にダメージが大きそうだ。

「お前らの根性を叩き直す必要がありそうだ。はあ、まったく……全員、警察学校からやり直ししてえのか!?」

 近くのはずのセルゲイの怒声がどこか遠くに反響する。白い霧が視界を覆った。

 

 ●

 

 

《――★デュバリィ★――》

 

 セントアークの整然とした街並みを、ずんずんと大股で歩くのはデュバリィだった。

「はぁ、なぜわたくしがこのような……いえ、やりますけども」

 むっつり顔で、いかにも不機嫌そうにひとりごちる。

 リアンヌ様からお使いを頼まれた。それはいい。どのような雑事であれ、マスターからのご用命は至上のもの。異議など差し挟む余地もない。

 納得いかないのは、それが今日に来訪するシュバルツァー兄妹のためだということだった。

 手ずから料理をお作りになり、それを彼らに振る舞う。月一であの兄妹が遊びに来る日をマスターは何よりも楽しみにしている。

 だがその料理に使う香辛料をうっかり切らしてしまったことに先程気づかれたのだ。そんなうっかりのマスターも素敵ですわ。

 そんなこんなで今に至る。

「はぁ……」

 またため息がもれる。

 マスターの前では口にしないが、この平和過ぎる生活がどうにも肌に合わない。馴染めないのだ。ぬるま湯に浸かっている感覚とでもいうのだろうか。

「おっ、デュバリィちゃんじゃないか」

 セントアークも裏通りに入ると、けっこう庶民的な露店が並んでいたりする。

 声をかけてきたのは、その屋台の店主だった。

「お使いかい。偉いね。ポトフが仕上がったんだけど。味見していくかい?」

「子供扱いしないで下さいまし! ポトフは頂きます! お肉多め、にんじん少なめで!」

「ははは、はいよ」

 ポトフをたいらげ、歩みを再開すると、近所の子供が走ってきた。

「デュバリィ姉ちゃん! またボール遊びに付き合ってくれよ。ヒマだろ?」

「はあ? あなたとは違って、わたくし忙しいんですの。まあ、買い物が終わってからなら、少々揉んでやってもいいですけど」

 次は自警団の若者が向こうの通りから手を振ってくる 

「こないだの魔獣討伐、手伝ってくれてありがとうな! またよろしく頼むよ!」

「誰が好き好んで手を貸しますか! 危なっかしくて見ていられなかっただけですので!」

 古びた民家からおばあちゃんが顔を出した。

「まあ、デュバリィちゃん。あなたに背中に貼ってもらった湿布、すごい効くのよ。とても体が軽くなっちゃった」

「サンドロット薬局謹製ですので当然ですわ。また貼ってあげますから、予備が無くなる前にちゃんと買いに来てくださいな」

 この通りまったく馴染めない。

 わたくしはずっと戦いの中にいた。もちろん今も剣の稽古は欠かしていないが、実戦の機会はどうしても減る。

 ああ、思い切り腕試しがしたい。エンネアもアイネスも仕入れと伝票整理が忙しそうで、稽古に付き合って欲しいとなかなか言い出せない。

 このままではラウラ・S・アルゼイドに追い抜かされてしまう。

「あーもう!」

 憤懣やるかたなし。デュバリィは道端の石ころを思い切り蹴る。もちろん人がいないことは確認して。

 勢いよく飛んだ石は、近くの壁に跳ね返って、デュバリィの額に直撃した。

「いだぁっ!」

 のけぞった視界に広がった青い空が、白い霧に濁っていく。

 

 ●

 

 

《――★クローゼ★――》

 

 一昨日は公務、昨日も公務。今日の午前は城下町の査察。

 しかし午後は珍しく予定がなかった。

 グランセル城の私室まで戻ってきたクローゼは、ベッドに寝転がった。ふうと息を吐いて、張っていた気を抜く。

 時間が空いた。何をしようか。そうだ。ユリアを呼んで紅茶でも飲みながら、久しぶりにゆっくりおしゃべりでも――

「ダメだわ。そういえば……」

 彼女は今日は非番で、どこかに出かけている。特別休暇まで取るものだから、何か用事があるのかと聞いたら、濁してばかりで教えてもらえなかった。

 気になる、気になる。私には隠し事とかしなかったのに。

 誰かと気兼ねなく話したいな。とはいえ王太女の立場になってから、そうそう新しい友達なんてできるはずもなく。

 エステルさんもヨシュアさんも最近はグランセル城を訪ねてきてくれない。なんというかこう……ご近所の家に遊びに行く感覚で、遠慮せず気軽に来て欲しいのだけど。

 そう思いはしたものの、小さく首を振る。

 さすがに一国の城にそれは無理か。いや、エステルさんならやれそうだけど、横からヨシュアさんが止めるに違いない。

「あ、良いこと思いついたかも」

 イベントを開くのはどうだろう。大々的じゃなくて、ごく内々の。催しにかこつければみんなも来やすいかもしれない。

 この手の企画立案はアルフィン皇女が得意だ。よし、エレボニアの皆さんもお招きできるような何かを、彼女と一緒に考えてみよう。セドリック皇子もきっと手伝ってくれる。これもある意味外交? 親睦会? みたいな感じでやれば申請も通ると思うし。

 しかし他国の皇族と連絡を取るのは、いくつもの手続きがいる。プライベートチャンネルで『もしもし、クローゼです。ちょっと相談したいことが』というわけには行かないのだ。

 まずはユリアにも話を通しておいた方が無難か。ならば結局、彼女が帰還するまで待たなくてはならない。

 時間つぶしには読書が一番だ。ベッドから起きて、本棚の前まで移動する。

 その背表紙に指をかけた。何度も読んで内容は完璧に覚えてるけど、何度読んでも飽きないお気に入りの一冊。

「うん、やっぱり“陽溜まりのアニエス”かな」

 物語の始まりの一ページへ。

 ページをめくると、クローゼを白い霧が包んだ。

 

 ●

 

 

《――★ユウナとアルティナとクルト★――》

 

「風が気持ちいいわね! 本当は街道を飛ばしたいんだけど!」

「安全運転でお願いします」

 クロスベル市内を軽快にバイクが走っている。運転はユウナで、後部シートに乗るのがアルティナだった。

「アルはこのあとミシュラムに行くんだっけ? いいなー」

「ミリアムさんに誘われまして。ただ先に入っちゃったみたいですけど」

「え、なんで?」

「あの人の行動は読めませんよ。もうちょっとしたら合流しますので、ご心配なく」

「やりたいアトラクションとかあるの?」

「鏡の城は興味がありますけど」

「あー、アルはお城の案内役とか似合いそうだもんね。ウサギ的なあれよ」

「お客として遊びに行くのに、なぜ私が案内を……」

 正午の太陽が街を照らしている。

 アルティナがクロスベルに立ち寄るというから、帰省中のユウナは彼女を市内観光に誘ったのだった。

「卒業しても時々は遊びに来てよ、アル」

「はい、行きます」

「ほっぺたムニムニさせて」

「それは……要検討で」

 卒業という言葉を使うと、なんだか無性に寂しくなる。未来へと踏み出す新たな門出なのに。

 きっと、まだまだみんなと一緒にいたいと思っているのだろう。青春と呼べるこの時間を。楽しい学校生活を。もっと。

「ちょ、ユウナさん。ここ歓楽街ですよ」

「えっ、わわっ」

 少しばかりの考え事のせいで、変な道に入ってしまった。ここは大人のお店が多い。夜になると派手なネオンが輝く一帯だ。

「ごめーん、すぐに引き返すから――ええ!?」

 急ブレーキで止まる。アルティナの顔がユウナの背中に埋まった。

「わぷっ、ユウナさん、安全運転とあれほど……」

「いや、あれ、クルト君じゃない?」

 まさかとは思った。しかし間違いなかった。なぜクロスベルの、しかも歓楽街に。

「お店の看板とか凝視してますよ。吟味と言い換えるべきでしょうか」

「ク、クルト君にはまだ早いわ!」

 居ても立ってもいられず、ユウナはクルトに駆けだした。

「ユウナじゃないか。アルティナまで……。一体なぜここに?」

「それはこっちのセリフよ! アッシュやランディ先輩の影響を受けたんでしょう!?」

「クルトさんは真面目ですからね。学校生活で抑圧されていた闇が弾けようとしているのかもしれません」

 たじろぐクルトにユウナは詰め寄る。

「だからって、わざわざクロスベルの歓楽街まで来たりする!? クルト君のムッツリ!」

「ムッツリーニとかいうパスタありそうですよね」

「はあ!? 何か誤解してるぞ、ユウナ! あとアルティナはさっきから状況をややこしくすることしか言わないな!?」

 何よ、クルト君。そういうのは青春とは言わないわよ。いや、男子的にはそういうのも青春なわけ?

「はぁ……仕方ない。白状するよ。実は――」

 青春っていうのはこう、部活に汗を流して、遊びにも全力で、勉強は程々に、時には恋とかしちゃったりして――

「だからユウナ。僕は兄――アさんとの――場――」

 クルト君がしゃべっているのに、よく聞き取れない。顔も見えない。白い霧が何もかもを覆っていく。

 霧の向こうに何かが見えた。大きな建物。たくさんの校舎が連なっているみたい。《クロフォード総合学院》? なんであたしの名前が学校になってるの?

 その時、どこかから声が響いた。

 

 ――あなたのエリアをちょうだい――

 

 誰? 聞き覚えがあるような……

 

 ――でも安心して。あなたの願いは私が叶えてあげる――

 

 学園の名前が塗り替えられていく。

 よくわからない。思考が夢の中に沈んでいくみたい。

 青春を謳歌したい。学生生活を楽しみたい。そんなことができる場所を作りたい。それが私の望み。

 だってあたしは、この学院の生徒会長だから……。

 

 ★ ★ ★

 

 

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