黎明の軌跡 Break the Nightmare   作:テッチー

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最終話《夢にて夢みて》を読了済みの、本編クリアデータがある方のみお進み下さい。


破鏡のおわり

 

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《――★フィー★――》

 

 一瞬スモークでも焚かれたのかと思ったが、視界はクリアだった。

 ヘイムダル駅を行き交う人々に変わった様子はない。気のせいか?

「どうしたの、二人とも」

 フィーが問うと、ゼノとレオニダスは首をかしげた。

「あ、いや。金貸しやっとったら天井が崩れてきて……?」

「ふむ……どうしたと言ったら、フィーこそどうしたのだ。ずいぶんと機嫌が良さそうだが」

「そう?」

 そうかもしれない。

 なぜかさっきまで団長と――お父さんと話をしていた気がするのだ。ごつごつした手の平の感触が、ずいぶんとリアルに思い出せる。

 そういえばこんなことを言っていたような……。

「団長がさ、私につきまとう悪い人を排除しろって、ゼノとレオに伝えてくれって」

「なんや急に……けどそんなん心配いらんで」

「ああ。元よりフィーにたかるハエは木端微塵に粉砕するし、実際にしてきたからな。ケネスとかいうハエをな」

 往来のど真ん中で、レオニダスがマシンガントレットを稼働させた。ガッシンという威圧的な音に、通行人たちが彼を綺麗に避けていく。

 その時、ベルが鳴った。アルタイル市行きの列車の発車予鈴だ。クロスベル経由でアルタイル市に回り、そこからカルバード入りするルートである。

 乗り換えが少なければいいけれど。いや、その前に寝過ごさないようにしなくては。

「首都イーディスか……」

 そこでは一つの別れと、たくさんの出会いが待っている。そんな予感があるのだ。

 ふと人懐こい笑顔が脳裏によぎった。

 たくさんお話しようね。また髪も洗ってあげるよ。

「……? それじゃあ、行ってくる」

 なに、今の。

 見送ってくれるゼノとレオニダスを背に、フィーはカルバード方面へと向かう列車に乗り込んだ。

 

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《――★マキアス★――》

 

 軽いめまいを覚えたあと、マキアスは変わらずリーヴェルト社の前にいた。

 クロスベルから戻ったその足で来たわけだから、さすがに少し疲れているのかもしれない。

「はっ!?」

 邪悪な気配を感じて飛び退く。直後、振り下ろされた拳が路面を砕き割った。

「小僧が……!」

 露骨な舌打ちをしたのはハイベルだった。マキアスの一つ上のトールズ卒業生で、吹奏楽部の部長を務めた男だ。現在は正規軍の音楽隊に所属している。

 マキアスとはクレアを巡って犬猿の仲だった。

「やれやれ、またあなたですか」

「せっかくの非番で来てみれば、迷い犬の姿が見えたものでね。ここで追い払っておこうかと思ったのさ」

「虫にたかられ続けるのも煩わしいものです。大した手間ではありませんし、ここで潰させて頂きましょう」

 二人は出会って五秒もあれば殺し合う。ハイベルも元来は大人しい性格だが、クレアとマキアスが絡んだ時には修羅になるのだ。

 こほおおおお、と戦いの呼吸を吐き出し、同時に地を蹴る。公共の道路を舞台に、修羅と修羅は拳を打ち合わせた。

 マキアスの放ったミラーデバイスを、ハイベルは拳圧だけで叩き落していく。

「ふははは! 音楽隊だからとなめてもらっては困るな! クレインと一緒に第三機甲師団にスカウトを受けたくらいだぞ!」

「受ければいいじゃないですか、ノルド高原から二度と戻って来ないで下さいよ。きっと素晴らしい毎日になる」

「言ってくれるな、小僧が!」

「クレア少佐にたかる羽虫め!」

 二人のフィニッシュブローが激突する刹那、鋭い閃光が彼らの首裏を通った。

「がはっ」

「ぐうっ」

 道端に倒れた修羅たちは起き上がることができない。

「他のお客様のご迷惑になりますので」

 そう言って登場したのは、リーヴェルト社のモーガン社長だった。口ひげを整えたスーツ姿の紳士は、振り下ろしたばかりの手刀を構えてみせる。

「ところでクレアお嬢様はお出かけでご不在なのですが……ちょうどお嬢様が愛用しておられるフルートと同型のものを限定入荷しましてな。定価は30万ミラの品なのですが」

『100万ミラで買います!』

「いつもお買い上げありがとうございます」

 

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《――★リーシャ★――》

 

「おや、リーシャさん」

「っ、ツァオさん!?」

 古書店の前、いきなり声をかけてきたのはツァオ・リーだった。

 リーシャは手にしていた恋愛小説を、とっさに背に隠す。

「奇遇ですね。今日は舞台公演はないのですか?」

「ええ。天気もいいので散歩でもと。もう帰りますけど」

 この人に関わるとろくなことがない。早々に退散するのが吉だ。

「まあまあ、そう邪険にしなくとも。実はちょうどリーシャさんに商談がありましてね。カルバード方面での仕事なのですが」

「暗殺業ならもう請け負うつもりはありませんが」

「いえ、ちょっとしたボディーガードだと思って頂ければ」

「あなたにボディーガードは不要かと」

「私ではありませんよ。詳しいことを説明したいので、少し歩きながらお話ししませんか? どうか貴女の散歩に同行する許可を」

 細目に眼鏡の男は信用してはいけない。それが世界の鉄則だ。あと『ふふっ』とか不意に笑う男。

「すみません、このあと所用が」

「その後ろ手に隠した恋愛小説を早く読みたいとか?」

「なっ、なにがでしょう」

 声が上ずる。何が奇遇か。私に話しかける機を窺っていたらしい。それにしても私がその気配にすら気づけないとは。

「恥じいることではありません。しかしまあ、あのリーシャさんが俗な色恋物語にご興味を……ふふっ。ああ、失敬」

 この人、殺しちゃっていいのかな。

「殺気がダダ漏れですよ。こんな往来の真ん中で、自重して頂きませんと。ああ、そうです。今回の依頼を受けて下さった暁には、私がセレクションした珠玉の一冊をお譲りしましょう。ボイド捜査官と相棒のランドリルが繰り広げる――」

「いりません」

 ジュディスにも散々いじられたし、なんなのもう。

 ん? ジュディス? 最近会ってないのに?

 そういえばついさっきまで、ツァオさんと戦っていた……?

「なんだかツァオさんを滅多打ちにした夢を見た気がします」

「それはまたずいぶんと素敵な夢を」

「夢は現実にしてこそでは」

「……やめて下さいよ」

 カルバードか。向こうに行けばジュディスに会う機会くらい作れるだろう。

 隠すのをやめて、恋愛小説の表紙を眺める。『運命の――』と記されたかすれたタイトルの先はやはりわからない。

 最後まで読み切ったら、その続きの言葉はわかるのかしら。

 

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《――★アガットとジン★――》

 

『エンジョーイみっしぃ!』

 風船を渡したミリアムの前で、ワルみっしぃのアガットとみーしぇのジンが、元気よく着ぐるみの腕を突き上げる。

 が、しかし。

「ぐふうっ……」

「がはあ……っ」

 いきなり謎のダメージを受けて、二人はうずくまってしまった。

 そんな彼らには気づかず、ミリアムは上機嫌で去っていく。

「だ、大丈夫かよ?」

「おぉ、いてえ……」

 アガットが案じると、ジンは着ぐるみの上から頬をさすった。

「なんかキリカにボッコボコにやられた気がする……。脛、腿への極悪コンボに続けて水月にキッツい発勁。そこからは天突、下昆、人中と正中線上の人体急所を狙った連撃オンパレードだった……」

「な、なんだそりゃ。この暑さで幻覚でも見てたんじゃねえか?」

 と言いつつ、アガットにも不穏な後味が体に残っていた。

 エリカ・ラッセルだ。ティータの母親にオーバルギアで散々に追い回された……ような気がするのだ。

 多分、ティータが全力で守ってくれなければ普通に死んでいた。

「はぁ、慣れない着ぐるみ仕事なんかしたからかね。風船も配り終えたし、もう行こうぜ。ティータへのみやげを見繕うんだろ?」

「ああ、だな」

 着ぐるみをスタッフに返却し、ひとしきりの礼を受けてから、二人はアーケード内のショップに赴いた。

 眼光の鋭い大男たちが、ファンシーなグッズを求めて練り歩く。

 その最中、アガットは先ほどの〝白昼夢”について思い出そうとした。

 確か――劣勢だったティータのオーバルギアが半ば特攻で押し返し、激しいぶつかり合いを繰り返したのだ。

 双方からのビームの応酬で、工房のような場所の天井が崩落していく中、俺はエリカに何かを問われた。

 俺はその問いに勢いで答え、赤面のティータは狼狽し、そしてエリカは精神に大ダメージを受けて爆散した。

 俺は何を言ったのだったか……。

「おう、アガット。このストラップなんてどうだ?」

「あー……それならティータも喜ぶかもな」

 可愛らしいみっしぃマスコットがくくりつけられたキーホルダーだった。無難っちゃ無難だが、間違いない一品だ。

 キーホルダー受け取ろうとして、自問自答する。本当にそれでいいのか?

 反射的に別の棚に手が伸びた。アガットが手にしたのは、赤いハート型の輝石のはめ込まれたネックレスだった。

「おいおい、ティータには大人過ぎやしないか?」

「別に構わねえさ。もうあいつも子供じゃねえんだ」

 驚くジンに笑みを向けてやると、アガットは手のひらのネックレスに視線を落とした。

 

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《――★ノエル★――》

 

 ノエルは開いたばかりの工具箱を見つめていた。

 一瞬の思考停止。私は今、何をしようとしていたんだっけ……?

「そうだ、バイク作り……」

 なんだかすでに完成させたような錯覚に陥るけど、床に敷いた大量のパーツは手つかずのまま並んでいる。

 さて、どんなふうに組み上げよう。カスタマイズはどうしよう。

 悩みどころでもあり、製作の楽しみでもあるはずなのだが、頭の中では不思議なことに設計図がもう出来上がっていた。

 え、あたしの才能が開花しちゃった感じ? 警備隊を辞めることがあったらメカニックとしてもやっていけたりして。

「……なんてね」

 あくまで趣味の域。整備士肌ではあろうが、アリサやティオなんかの専門職とは比べるべくもない。

 そう、機械いじりは昔からの趣味。亡くなったお父さんの影響だろうとは思う。

 逆に妹のフランは服やらアクセサリーやらを好むから、バイクや車の話題にはついてこれない。

 長女だからどうしようもないことだが、そんな話ができる兄弟というものに憧れはあったりする。

「ヴァンさんは面白かったなぁ。あんなお兄ちゃんがいても楽しそうだけど――ん?」

 誰?

 思い出せないけど、車を語る時の子供のような目と、同時に謎の絶叫が脳裏によみがえる。

「んー? ……うーん? フェリちゃん……教官?」

「あーお姉ちゃん! またそんな格好で、こんなに散らかして!」

 フランが部屋に入ってきた。今日はお互いに非番が重なっていたらしい。

「そんな格好って……タンクトップとショートパンツって普通でしょ。それに散らかしてるんじゃなくて並べてるの」

「もう、お姉ちゃんったら色々はみ出てるよ。えっと……バイク作り?」

「そうそう、既製品じゃなくてオリジナルのね。一から作ったほうが愛着わくし、カスタムも好きにできるし」

「設計上の安全基準はクリアしてないと捕まっちゃうよ。完成したら公道を走る前に、交通課まで届出してね?」

「わかってるってば」

 休みだというのに、フランの服は可愛い。それを言うと〝休みだからこそオシャレをするんだよ、お姉ちゃん”と怒られるのだが。

「……それで、そのバイクができたら誰を後ろに乗せるの? 〝俺が勝ったら君をもらう”で有名なロイドさん?」

「な、なんでロイドさんの名前が出るのよ! いや待って、そのセリフって有名になるほど乱発されてるの!?」

「やだ! 最初に後部座席に乗るのは私だもん! いいでしょ、お姉ちゃん!」

「はぁ……まあ、いいけど。わかった、一番はフランね。約束」

「えへへ、やったー」

 フランに抱きつかれる。やれやれ、とノエルは笑った。

 こんな甘えたがりな妹がそばにいるのだから、お兄ちゃんがいたら――なんて妄想にゆっくり浸れるのは、まだまだ先のことになりそうだ。

 

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《――★ユウナとクルト★――》

 

「ははー、そういうことだったのね」

 バイクでクロスベルの市中を走るユウナは、後部座席に乗るクルトに言った。

「まあ、あんなところを一人でうろついていた僕にも非があったと思うが」

「ホント驚いたわよ。まさかクルト君まで猛将だったのかと」

「それはどういう意味なんだ……」

 クルトは誰かとの食事の約束があってクロスベルに来ていたという。

 しかし店を探している内に場所がわからなくなり、知らずの内に歓楽街に迷い込んでいたそうだ。

 困っていたところ、ユウナとアルティナに発見されたという経緯だった。

「ところでアルティナを置いてきてしまって良かったのか? 君たちは君たちで予定があったんじゃ……」

「ああ、それなら大丈夫。どのみちアルは別件の約束が控えてたから。ミリアムさんとミシュラムに遊びに行くんだって」

「そうだったのか。姉妹仲が良くていいな」

「えっと……聞いていいのかな。その食事会って、誰との……?」

「ちょっとわけありで――いや、ユウナになら話してもいいか。実は兄上とそのご友人から招かれたものでね」

「クルト君のお兄さんっていうと、あのミュラー・ヴァンダール少佐よね。ふぅん……」

 だからと言って、わざわざ国を跨いでクロスベルまで?

 ピンときた。乙女のセンサーが反応している。

「そのミュラー少佐のご友人って女性?」

「まあ……そうだ。兄上はエレボニア軍人で、その女性はリベール軍人。しかも顔の知れた二人だから、どちらの国でも変に目立ってしまうだろう。だから中間点のクロスベルで、ということになったらしい」

「へぇー! お忍びなんだ。うんうん!」

「すごい目が輝いてるな……」

「だってそういうの好きだし」

「そんな事情だから店も完全個室の予約制で、しかも兄たちに同行しなければ入店もできないんだ」

「またガッチガチのお店ね。じゃあ絶対に遅れちゃダメじゃない。約束の時間までは?」

「あと五分なんだが……」

「安心して。そこの角を曲がれば、目的地までは三分もかからない――えっ!?」

 道が封鎖されていた。クロスベル警察の車両が数台止まっている。その傍らにはアレックス・ダドリーの姿もあった。

 彼まで出張っているということは、事故ではなく事件絡みだろう。

「つかまってて!」

「うわっ、ユウナ!?」

 バイクを急旋回。進路を変えつつ速度を上げる。

「このままじゃ通れない! 別のルートにするわ!」

「間に合うのか!?」

 ユウナはアクセルグリップを回した。正面からの風当たりが強くなる。ぐんと加速するバイク。

「任せて、青春は突っ走ってこそよ!」

 

 

 通行止めを迂回しての大回り。運転するユウナの後ろでクルトは叫んだ。

「法定速度の順守と安全運転でお願いしたい!」

「わかってるってば! それよりも落っこちないように、あたしにしがみついてて!」

 言われるがまま、ユウナの腰に手を回す。思っていたよりもずっと細く、クルトはどこか落ち着かない気持ちになった。

「準備いい!? フルスロットルで行くから!」

「速度遵守! 安全運転!」

「調子いいから大丈夫! なんか今だったら、オーレリア分校長やマクバーンとも戦える気がするわ!」

「何を言ってるんだ、君は!?」

 ユウナのテンションがやけに高い。ハツラツとしていつも通りと言えばいつも通りなのだが。

「ねえ、クルト君!」

「な、なんだ?」

 加速するバイクの上で、ユウナは言う。

「卒業後はどうするの?」

「いったんはヘイムダルの実家に戻るつもりだ。パルムの道場を拠点にすることも考えているが、まだなんとも。士官学院卒業なわけだし、軍に入隊する道もあるだろうが、含めて検討中という感じかな」

「そうなんだ。リィン教官には相談したの?」

「もちろん。“クルトが決めればいい。未来に悩めるのは若者の特権だ”とアドバイスを頂いた」

「あの人って、あたし達とそんなに年離れてないわよね……?」

「苦労は人一倍されているからな。そんなリィン教官を見ていたからか、実は教職にも興味を抱いていたりはする。まだ内緒だけどな」

「クルト君が教鞭を振るう姿……。すごく、すごく女子の人気が出そう」

「出ないだろう、僕の授業なんて。きっとなんの面白みもないぞ」

「断言するわ。人気は出る」

「まったく、何を根拠に……」

 ユウナのことだ。僕が落胆しないように持ち上げてくれているのだろうが。

「さっきアルにも言ったんだけど」

「ん?」

「卒業してからも会おうね。お互いにどんな道に進んでも」

「ああ。でもまずはその道を決めないとな」

「そうだ。アルカンシェルとかどう? クルト君が出るショーなら、あたし何回でも見に行くけど!」

「君の想像の中の僕は今、どんな役割と格好で出演しているのか聞きたいな」

「え、えーと? あ、お店が見えてきたわよ! うわー、いかにもな高級店……」

 にわかに低くなった声音にユウナが焦り、同時に目的地が視界に入った。格式高そうな料亭だ。

 その店の門の前に、二つの人影がある。兄上たちだ。

 時間ぎりぎり。いや、少しオーバー。兄上はもう一人来ると告げているようだが、律儀な店員が二人を恭しく店内に案内しようとしていた。

 あれに遅れたら、もう店内には入れない。

「急いでくれ、ユウナ!」

「あっ!」

「はっ!?」

 ユウナが急ブレーキをかける。野良猫が道を横断していた。一気に跳ね上がる後輪。クルトは後部座席から宙に飛ばされてしまった。

 放物線を描いて打ち上げられたクルトの視界が、スローモーションで流れゆく。

 その中に二人――ミュラーとユリアの姿が入った。

 ユリア・シュバルツ。リベール王国の王室親衛隊のリーダーを務める女傑。

 兄上から紹介したいと言われたのは彼女だ。厳格な人柄は音に聞く。

 失礼などあってはならないし、遅刻などもっての外。僕を紹介すると言ってくれた兄上の面目も潰すことになってしまう。

「――遅いですね、クルトさん」

「ええ、時間にはきっちりした性格なのですが」

「な、なんだか緊張してきました。私は面白い話とかできませんよ」

「ご心配なく、私もです。まあ、クルトも物静かな性格なので――」

「うおあああああ!!」

 ミュラーたちの目の前にダイナミックに着地。

 唖然とする二人をよそに、クルトは咳払いして襟を正す。

「お待たせしました、兄上。そして初めまして、ユリアさん。クルト・ヴァンダールと申します」

「ユ、ユリア・シュバルツです。以後お見知りおき頂ければ……えっと、その、ずいぶんとアグレッシブな弟さんですね……?」

「はは……しばらく会わない内に元気いっぱいだな……」

 出迎えの店員も固まっている。空から客が来店したのは初めてだろう。

 後方に振り向くと、猫を抱えて親指を立てるユウナのドヤ顔があった。

 その口元が“なんとかなったわね!”と満足そうに動く。

 いやいや、後で大反省会だ。

 

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《――★クローゼ★――》

 

 手からすべった本が、ばさっと床に落ちる。

「あっ」

 クローゼはそれを慌てて拾い上げた。良かった。表紙に傷はついてない。

 私のお気に入りの“陽溜まりのアニエス”。

「大切な本を落としちゃうだなんて、やっぱり疲れてるのかしら……」

 本を手にベッドに寝転がる。読書は学術書であれば机に向かって。物語であればベッドでと決めている。

 さあ読もう。

 

『――エドウィン・アーノルドがその少女に勝てたことは一度としてなかった』

 

 何度読んだかわからないその一行目に目を通す。私を物語の世界に誘うその一言。〝陽溜まりのアニエス”は章ごとにわけてストーリーが進んでいく。

 

 第一章のタイトルは《クリーム色の少女》――そのイメージが二重にぶれた。

 

 子供の頃から慣れ親しんだ主人公アニエスと、それとは別にアニエスと呼ばれた少女の面影が重なって映る。

 優しげな横顔。芯のある瞳。どこか似通う立ち姿の輪郭が、ノイズ混じりの視界の中に見えた。

「アニエス……さん?」

 その幻影をそう呼ぶ。

 あなたの物語はもう始まっていますか? 願わくば、あなたのお話の登場人物の中に、どうか私がいることを。

「……ん」

 微かな違和感を覚えながら、ページをめくっていく。読み進めるごとに何かが薄れて消えていった。

 思い出せない。忘れてしまう。忘れたことさえ忘れてしまう。

 それでも。

 私の心の奥底には、誰かの笑顔が残っている。

 

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《――★サラとシャロンとクレアとヴィータ★――》

 

「――いい加減彼氏欲しいわー!」

 雷鳴がごとき魂の叫び。

 ボトルの底が台に打ちつけられると同時、皆の景色が二重にぶれる。

 興奮冷めやらぬサラを、となりのシャロンがたしなめた。

「ここはお店の中ですよ。店員さんが稀有な生物を見る目をしてますよ。遊撃士協会に討伐依頼だされちゃいますよ」

「あ、ごめん。ていうか討伐依頼までは出されないわよ! あたしは魔獣か!」

「カテゴリーとしては同じかと」

「はああ!?」

 サラ、シャロン、クレア、ヴィータ、スカーレットのお姉さん組の女子会である。

「でもさ、サラが求めるような全ての条件を満たす男性なんて、そうそういないんじゃないの?」

 スカーレットの指摘を、サラは鼻で笑った。

「いいえ、あたしはついに出会ったのよ。全部を兼ね備えたナイスミドルなダンディとね」

「へえ、どこの誰なの?」

「それは――」

 あれ。名前が出て来ない。顔も輪郭がぼやけてしまっている。どこで会ったんだっけ……。

 どうにも思い出せず、言葉に窮していると、ヴィータに突っ込まれた。

「あらあら、見栄張っちゃって。もう諦めなさいよ」

「ち、違うわよ。ホントに出会ったんだから! もう喉元まで名前出て来てるのに!」

「そうなの。良かったわねー」

「きいいー! クレア、フォローしなさい!」

 クレアがそこはかとなく面倒そうに弁護してくれた。

「行き過ぎた妄想と干からびた心が虚構の恋愛――イマジナリーラバーを生み出したのでしょうね。現実を見たほうがいいと思いますよ」

「あたしの傷口に粗塩揉み込んでどーすんのよ! フォローの意味知ってる!?」

「知ってますけど」

「すました顔が腹立つわ!」

 ああ、今どこにいるの、愛しのあなたは。

 獅子のような立派な髪と口髭。泰然とした立ち振る舞いに、行き届いた真摯の気遣い。

 早くあたしの前に現れて、『壮健そうでなによりだ』って言って欲しい。

 恋人ゼロよ。零なのよ。もはや零の御子なのよ。お願い。早く。ハヤク――

 

 アタシヲミツケテ

 

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《――★エリオット★――》

 

「はあっ、はあっ……! あ、しまった!」

 マーテル公園のトイレに逃げ込んだエリオットは、それが女性側だったことに気がついた。

 慌てて外に出ると、すでに第三機甲師団の益荒男(ますらお)たちに取り囲まれていた。

 その集団の中から、眼帯の男が歩み出てきた。隻眼のゼクスである。

「ほう、ご婦人用のトイレに駆け込むや、そこまで息荒く興奮なさるとは。猛将の真髄ここにありと言ったところですかな」

「いやいや、全力疾走したからですって! というか毎度毎度ゼクス中将まで……ゼンダー門の警備は大丈夫ですか……」

「我らは一騎当千の《猛将の眷属(クレイジーブリード)》ですぞ。《破壊の四柱(デストロイフォース)》を一人配備しておけば、それだけで一個師団に匹敵しましょう」

「そんな言葉はそもそも存在しないんですよ。これも毎回言ってますけど」

「ふふ、ますます猛々しくあられるようで安心しました。常人であれば、いかに心身煮えたぎろうとも、ご婦人方のトイレに足を踏み入れるなど躊躇して当然。にもかかわらず、微塵の迷いもない突撃。いやはや驚愕の極みでございます。猛将の覇道を目の当たりにしては、この隻眼(SEKI☆GAN)もうずくというもの」

「もう何が何だか……」

「それはちょっと違うかな」

 第三者の――女性の声。人垣の隙間にのぞくのは、二つに括ったお団子頭。

 察した機甲師団員たちが左右に割れ、すぐさま道を作る。

 彼らがかしずく間を通り、ミントが姿を見せた。

「こんにちは、ゼクスのおじさん」

「これはミント嬢。貴女までいらしていたとは。ところで〝違う”とは何が?」

 ミントは《猛将列伝》布教の功績により、第三機甲師団では《猛りの聖女》としてあがめられている。

「エリオット君は男とか女とか関係ないよ。自分以外は等しく肉の塊としか見てないんだよ」

「おお、天上天下唯我クレイジー……。さすがはエレボニアを手に入れた漢」

「エレボニアだけでいいのかなあ?」

「といいますと……まさかついに西ゼムリア猛将化計画を!?」

「うん。リベールとレミフェリアには種を蒔いたし、次はカルバード辺りを狙おうかな」

「ではラングポートが良いでしょうな。東方文化を代表する街。クレイジ―色に染めるにはちょうど良いかと」

「だっ、だめだよ! そこにはアーロンさんが――」

 記憶の端で、挑発的な笑みと紅い髪が揺れる。嬉しそうに《猛将列伝》を小脇に抱える彼の姿が――。

「エリオット君?」

「あ、えっと……よくわからないけど、ラングポートは良くないっていうか。とにかくそこに猛将とか広めたら爆発的に広がっちゃうっていうか」

「じゃあ持って行かなきゃ」

「あーそうなるよね! 僕のバカ!」

 

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《――★アルティナとミリアム★――》

 

「アーちゃん、こっちだよー!」

「どうも」

 ミシュラムのメインストリートで、アルティナはミリアムと合流していた。

「はい、風船あげる。さっきもらったんだ」

「いりませんよ」

「えっ」

 しょぼんと肩を落とすミリアム。

 アルティナは仕方なく風船を受け取った。

「まったく……これでいいですか」

「うん! ほらほら、風船にみっしぃがペイントされてるんだよ」

「見ればわかります。ところでミリアムさんは、どうして私をミシュラムに誘ったんですか?」

「妹と遊びたいのは普通でしょ? アーちゃんもボクと遊びたいでしょ?」

「これで私も忙しい身なのですが」

「ドーナツ買ったよ。食べる? 半分こしよ。大きい方あげる。ボクはお姉ちゃんだからね」

「相変わらず話を聞いてくれませんね。頂きますけど」

 手渡されたドーナツを頬張るアルティナ。

 大きい方とは言うものの完璧に二分割されていて、どちらの量が多いかはまったくわからなかった。

「じゃあ、どこから回ろうかな? アーちゃんは行きたいとこある?」

「そうですね、ホラーコースターなんてどうでしょう。シューティングはけっこう得意ですので」

「ええー、ボク怖いの苦手だなー。それに今、ホラーコースターは機器トラブルで動いてないみたいだよ」

「では鏡の城は?」

「いいね、行こ!」

「あ、そっちじゃないですよ!」

 見当違いの方向に走り出すミリアムを、アルティナが慌てて止める。

「まったく、私がついていないと危なっかしくて見ていられません」

「ごめんねー、アーちゃんと一緒だから楽しくてさー」

「仕方がないから、手を繋ぎますよ。あー、んん?……お姉ちゃん?」

「えへへ、うん!」

 差し出された手をミリアムは嬉しそうに握った。

 

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《――★ガイウスとワジ★――》

 

 雄大なノルドの光景が広がって、すぐに元の視界に戻った。

 アルテリア法国の大聖堂。とある一室の前だ。

「ん……《アンドヴァリの指輪》……?」

「どうしたんだい、ガイウス。開けないなら僕が開くよ?」

 戸惑うガイウスの横から、ワジがその扉を押し開けた。

「来たか。遠路はるばるご苦労だった」

 厳かな雰囲気に包まれた来賓の間。その最奥の席から立ち上がった女性が二人を労った。

『ア、アイン総長……っ!』

 ガイウスとワジは不自然に硬直した。

 星杯騎士団、守護騎士第一位、アイン・セルナートである。

「ふふ、どうした二人とも。ガイウスはともかく、ワジまで姿勢を正すというのは。今夏は雪が降るかもしれんな」

 ガイウスはワジと目配せした。

 理由は判然としないが、なぜか彼女のことを恐れている。聖痕を開放したアインによって、トヴァルがぶっ飛ばされていく光景を生々しく幻視した。

「おっ、ガイウスじゃねえか」

「セリスさん。ご無沙汰しています」

 先に到着していたらしいセリス・オルテシアが、背伸びしてガイウスの頭に手の平を乗せた。

「相変わらずでっけえな。またでっかくなったんじゃねえか。 ん?」

「わけないでしょう」

 と、横から嘆息をついたのはリオン・バルタザールだ。

「人間の身体成長の期間って知ってます? まあ、セリスさんは早い段階で成長が止まってしまって、短身童顔だからピンと来ないのかもしれませんが――ぐふっ」

「るっせえ! 蹴られてえのか!」

 というセリフの途中で、すでにリオンはセリスの靴裏を腹に食らっていた。

「ったくよ。少しはガイウスの可愛げを見習いやがれ。ところでガイウスはこのあと時間あるか? いい店を見つけてな。いっぱい食べさせてやるぜ」

「それはぜひ。しかし時間が空くかどうかは、今回の招集の内容によるのでは。一体どのような用向きで?」

「そりゃアタシも知らねえ。そろそろ教えてもらえると予定も組みやすいんだが、総長」

 セリスが言うと、アインはうなずいた。

「もったいぶるつもりはないさ。ゲストを呼んでいる。先ほど到着したらしいし、そろそろだろう」

 通路に重厚な靴音が響いた。

 ぬっと戸口をくぐって、ニアージュ近い体躯が姿を見せる。

「壮健そうでなによりだ。皆、久しいな」

 驚くその場の全員を見渡すと、彼は精悍な笑みを湛えた。

 

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《――★ラウラ★――》

 

 やっぱり父上は強い。両腕の父上と戦えて良かった。敵わなかったが、それはそれでいい。

「うん……?」

 オーブンのブザー音で我に返る。

 マフィンが焼き上がったようだ。取り出して皿に移す。

 見た感じはよくできていると思う。しかし味見してみないと成功かはわからない。忌憚のない意見が欲しいところだが――

「おお、ラウラお嬢様。やはりこちらの処刑場――いえ、調理場におられましたか」

「ガヴェリではないか。どうかしたか」

「午後からの稽古のことで相談がありまして。お取込み中であれば出直しますが」

 彼はアルゼイド流の年長者で、門下生たちをまとめる立場にある男性だ。

 ガヴェリには何度も自作の料理の味見を頼んだことがある。まさに適任だ。

「いや、構わない。だがその前に小腹は空いていないか? ちょうど新作の菓子が焼き上がったところでな。味見していくといい」

「ははは、それは何とも興味深い。しかしこのガヴェリ、一生の不覚。今は腹が空いていないのです。ええ、ええ、まったく残念でなりません」

「遠慮する事はない。焼き菓子一つだ。この程度も入らぬ胃袋の小ささではあるまい」

「くっ……! で、では手づかみで失礼」

 ぱくりと一口。

 瞬く間にガヴェリの全身の皮膚がドス黒く変色した。

「どうだ。マフィンの味は?」

「魔フィンというのですか。その名に違わぬ罪の味。あ、美味しすぎるのは罪という意味でして……!」

「おだて過ぎは良くないぞ? そうだ。味を変えてみてくれ。これは自作のマーマレードジャムだ」

「ほう、魔ー魔レード! 魔を重ねていくスタイルですな!」

 瘴気あふれる魔の産物を口に詰め込むと、ガヴェリは静かに瞳孔を開いた。

「ふう、馳走になりました。では少々席を外しますゆえ」

「ん? 相談があるのではなかったか?」

「ゲゲゲッ。よく考えれば一人で解決できるものでした。ラウラお嬢様の手を煩わせるまでもありませんよ」

「なら良いが……そなた、笑い方が妙だぞ?」

 黒々とした闇をまとい、おそらくはこれから魔物に変じていくのであろうガヴェリは、よたよたと厨房を後にした。

「ふむ、マフィンは成功したようだ。これならリィンやクルトに振舞っても恥ずかしくないな」

 私の手料理を食べ続けている二人のこと、そろそろ舌も肥えてきただろう。レパートリーをさらに増やしてやらねば、飽きてしまうかもしれない。やれやれ、贅沢者たちめ。

 私の実力も上がってきた。こうなってくると、もっとたくさんの人に料理を食べて欲しいものだが……。

「よし、立食パーティーを開催しよう!」

 Ⅶ組だけではない。これまでに出会った各国の人々に、最大の感謝を込めて。

 なぜか急にラウラはそれを思い立った。

 

 ●

 

 

《――★セドリックとアルフィン★――》

 

 今何の話をしていたっけ。ああ、そうだ。リィンさんとの接点を増やすために、催し物を開催しようという会話をアルフィンとしていて――

「……んん?」

 あれ。もしかして僕は〝武闘会”で、アルフィンは〝舞踏会”を考えていないか?

 なぜ不意に思ったのかは定かではないが、セドリックはそう予感した。

「あのさ、僕が言ってるのは武闘会。腕試しのやつ。アルフィンが言ってるのは舞踏会。ダンスだろう?」

「え。そうだけど、そんなニアミスある?」

「実際にそうだったじゃないか。そのせいで一つの城の中で、武闘会と舞踏会をやる羽目に――」

 いや、待て、僕は何を。

「…‥そういえば綺麗なコインをレンさんから頂いたのよね。確か《フノスの銀貨》とか――あら?」

 アルフィンも首をかしげて不思議そうにしている。

 なんだ、この変な感じ。双子ゆえか奇妙なシンパシーは稀に起こるが、今回もそういうことだろうか。

「んー? そういえばセドリック、どことなく顔つきが変わったような?」

「え?」

「上手く言えないけど……たくましくなったっていうか、ちょっとだけ男らしくなったっていうか。さっきまでそんなことなかったと思うのだけど……」

「珍しいな、アルフィンが僕にそんなことを言うなんて」

 だが自分の中で何かが変わったような実感は確かにあるのだ。

 たとえばそう……エリゼのことだ。

 彼女に気持ちを伝えることに、なぜか抵抗がない。なんならもう伝えた気さえする。

 《銀の騎神》の継承についても、もう自分に引け目を感じていない。全力でアルグレオンを駆り、アリアンロードの操る漆黒のアルグレオンに一太刀を入れた。

 消える間際、彼女から『アルグレオンの継承者があなたで良かった』と――そう言われた……?

 シェラザードさんのことだって、自然に姉上と呼べそうな――。

「なんだか頭がふわふわするな……」

「どうしたの?」

「別に。ただ今の僕なら……さっきまで悩んでいたことを、まとめて解決できそうなんだ」

「根拠のない自信ね。どうせセドリックのことだから、肝心なところで二の足を踏むんでしょう?」

「むっ。じゃあ証拠を見せるさ」

「はいはーい、期待してまーす」

 ずんずんと大股で歩き出したセドリック。その後ろをアルフィンはてくてくと付いていった。

 

 ●

 

 

《――★シェラザードとオリヴァルト★――》

 

 廊下をずかずかと歩くシェラザード。

 バルフレイム宮に勤める侍女たちは、その姿を見て焦っていた。

「ひ、妃殿下! どうかゆっくり、ゆっくりと!」

「もっとお体をご自愛下さいませ!」

「オリヴァルト殿下にもお止め頂かないと!」

 シェラザードの後ろに続くオリヴァルトは肩をすくめる。

「皆が君を心配しているよ。もう少し落ち着いていこう」

「わかってないわね、こういうのは勢いよ。勢いが重要なのよ」

「でもシェラ君は変なところで失速するからさ」

 オリビエのいうことは理解していた。

 自分のセドリックに対しての遠慮は、彼に苦手意識を持たれたくないという気持ちに端を発している。

 でも。

 彼は歩み寄ろうとしてくれた。つたなくとも姉弟の形を取ろうとしてくれた。その手の剣を振るい、わたしをかばってくれた――

「……?」

 いつのことだ、それは。

 目頭を揉んで、曖昧な記憶を振り払う。

『あ』

 通路の曲がり角に差しかかった時、シェラザードはセドリックたちと出くわした。

「まあ、お兄様にシェラ姉様。ごきげんよう」

「やあ、アルフィンにセドリック。二人してどうしたんだい?」

 気やすい挨拶を交わすオリヴァルトとアルフィンに対して、やはりシェラザードとセドリックの態度はぎこちなかった。これまでと変わらない。

 かたや姉と呼べず、かたや弟して接することができないまま――

「昼食に行くわよ、セドリック!」

「はい姉上!」

『えええええ!?』

 口をあんぐり開けて驚くのはオリヴァルトとアルフィンだ。

 今まで散々関係を寄せるのに慎重だった二人が、当たり前のように姉弟している。しかも逆に心配になるほど、距離の詰め方が全速力だ。

「食事のあとはフレスヴェルグの第三形態をちゃんと扱えるようにしごいてあげるわ。覚悟はいいかしら?」

「望むところです!」

「ところでセドリック。昼のメニューはペペロンチーノだそうだけど、にんにくは?」

「マシマシで!」

「それでこそよ!」

 オリヴァルトたちは困惑の極みだ。

「いやいや、急に変わり過ぎじゃない? 間合いへの踏み込みの強さが達人のそれなんだけど」

「あら……? でもどうしてシェラ姉様が魔導剣の変形機構のことを知っているのでしょう……?」

 セドリックと肩を並べて歩きながら、シェラザードは魂に刻まれた何かに触れる。

 それは忘れたくなかった大切な言葉。どうしても覚えておきたかった宝石の一言。

「守ってくれるんでしょう、私とこの子を」

「え……?」

 戸惑ったセドリックの目が、かすかに見開かれた。

「はい、必ず。姉上の弟として」

「あたしも守るわ。セドリックのことを。お姉ちゃんとしてね」

 

 ●

 

 

《――★ユーシス★――》

 

「今扉を開ける――……?」

 言葉の続きを発して、妙な違和感が去来する。

 なんだ。今何かあったか? 

 首を振って、ユーシスは改めて部屋の戸口に向かう。

 扉を開けると、そこにブロンドヘアの女性が微笑んでいた。

「こんにちは、ユーシスさん」

 ロジーヌだった。

 彼女とは卒業してからも連絡を取り合い、互いに忙しい身の上ながらもこうして会える日を作っている。

 あとなぜかロジーヌが来る日は、クラウスを始めとした使用人は屋敷から全員姿を消す。

「今日はシスターの格好ではないのだな」

「いつも修道服というわけではありませんよ。がんばっておめかししたのですけど……似合いませんか?」

「あ、いや。似合う、と思う」

「思う?」

「似合う」

「はい」

 白を基調にした清楚なコーディネートだった。軽い印象のスカートというのも、彼女にしては珍しい。

「髪、少し伸びたな」

「伸ばしてるんです。ユーシスさんは以前のようなショートヘアと、どちらがお好みでしたか」

「どちらがということはないが」

「………」

「今だ今。今の方が良い」

 じっと見つめられては、そう答える以外になかった。

 そんな会話をしながら、ロジーヌをソファまでエスコートする。

「今日はご機嫌がいいのですね」

「そう見えるか? 珍しくはずれだ――ん?」

 さっきまで兄上のことを考えて苛立っていたのに、今はそうでもない。

 兄上とどこかで話をした気がするのだ。そんなはずはもちろんないのだが……確かに気持ちが晴れている。

「お前に会ったからかもしれない」

「い、いきなりですね。もう……」

 顔を赤くしてうつむいたロジーヌは、持参していた手さげカバンを開けた。

「今朝方に焼いてきました。召し上がって頂けますか?」

「ああ」

 いつものロジーヌのお手製クッキーだ。思えば何年も前に日曜学校の臨時先生をした時から食べ続けているが、飽きることなく楽しみにしている自分がいる。

「これからも作ってくれるか」

「はい、ずっと」

 

 ●

 

 

《――★アッシュとミュゼ★――》

 

「――それでお前の卒業後は……?」

「え?」

 なんだ、今の視界のぶれ(・・)は。放課後の教室。アッシュとミュゼは妙なタイミングで言葉を止める。

「なんでしたか。ああ、卒業後のことですね。私もオルディスに帰郷しますので、一般就職というわけではありませんよ」

「そうか。まあ、お前はそうだろうよ」

 しかしミュゼは小悪魔的な笑みを浮かべて、

「とはいえ第一希望はリィン教官のお嫁さんなんですけどね。シュバルツァー家への永久就職を狙ってます」

「ちなみに第二希望は?」

「リィン教官の愛人枠を」

「ゆがんでやがる……」

「私、教官にとって都合の良い女になります。ヴァリマールみたいに呼んでもらえればいつでも飛んでいきますよ」

「来い、灰の愛人ってか」

「応♡」

「応じゃねーよ。あの義妹に燃やされんぞ、マジで」

 ったく、コイツは。

 いつか略奪愛とかやらかしそうで怖い。ま、口ではそう言いつつも、道理に反することはしないタイプだから大丈夫だとは思う。

 もっとも〝エリゼ先輩の反応を見たいから”とか言う理由で、リィンにちょっかいかける可能性はゼロではないだろうが。

「そのエリゼ先輩、私たちの卒業式には来て下さるんですって。アッシュさんは個人的に招待する予定の人はいないんですか?」

「いるわけねーだろ」

 ふとヨシュアの顔が脳裏によぎる。なぜかレーヴェの顔も。

 幼少期に別れたきりなので、顔の判別などろくにできるはずもないのに、どうしてかその顔はレーヴェだとわかった。

 ヨシュアからもらった手紙もまだ返していない。そうだな、ほんの気まぐれ程度なら――

「ヨシュア兄ちゃんを呼んでもいいか……あ」

「ヨシュア……兄ちゃん?」

 しまった。やらかした。ミュゼの瞳が輝く。

「いや、なんでもねえ」

「あらあら、ふふふ、聞きましたよ。兄ちゃん? まさかアッシュさんが弟属性を開花させるとは。これはタチアナさんとの乙女トークがはかどりそうですね」

「てめえ……今の言いふらしやがったら生徒会長権限で――」

「いやらしい要求をすると?」

「するか!」

「〝秘密のお仕置き生徒会、~生意気副会長は鎖に縛られて”とかどうですか」

「提案を重ねてくんな!」

 卒業式。生徒会としての締めくくりの大仕事。そうだ、せっかくだから派手にしてやれ。本校じゃ絶対にできないことをやってやる。

「おい、副会長。良いことを思いついたから手え貸せ」

「もちろんですよ、生徒会長。それでどんな悪いことをするんです?」

 

 ●

 

 

《――★デュバリィ★――》

 

 仰向けに倒れたままの視界には、青い空がどこまでも広がっている。

「痛い……」

 自分が蹴り、跳ね返って自分の額を打ち、そして傍らに転がった石を、デュバリィは恨みがましい目で眺めた。

 忌々しい小石め。

「何を一人で遊んでいるのかしら」

 太陽が遮られ、何者かに顔をのぞきこまれる。ウェーブのかかった青色の髪。エンネアだった。

 デュバリィが体を起こすと、エンネアの後ろにはアイネスも控えていた。

「ど、どうして二人がここに?」

「リアンヌ様からのお使いを受けたのでしょう。帰ってくるのが遅いから様子を見に来たのよ」

「どうせ道草を食っていたのだろう。脇道に逸れるのは悪い癖だ」

 ため息交じりのエンネアとアイネス。

「なんなんですの、子ども扱いして。道草など食っていませんわ!」

「だが露店の主人からポトフを頂いていただろう。ご厚意にも関わらず、肉多めでと注文までつけて」

「ガツガツいってたわよね。幸せそうに緩みきった顔で」

 様子を見に来たという割に知り過ぎている。一体いつからついて回られていたのか。

 というか薬局の店番を抜けてきていいのだろうか。

「ふふ、店番はどうしたのかって顔してるわ」

「案ずるな。客人もいるのだから、今日はもう店を閉めている」

「うっ、人の心を読んで……!」

 こう……なんか子供扱いされてる感じ。くやしい。くやしいですわ。

「ふ、ふん! 馬鹿にしていていいんですのー? わたくし、一対二であなた方を退けたんですのよ?」

「あらあら、いい夢見たのねー」

「寝言は寝てから言うがいい」

「はぁん!? 空き地が向こうにあるからついて来なさいな! 一丁揉んでやります!」

「困ったわ。弱い者いじめは趣味じゃないのだけど、しつけは必要よねえ」

「やれやれ、接客業務に支障をきたさない程度にな」

 くぅー、この態度。誰が筆頭なのか今一度教えてやらねば。

 リアンヌ様、お許しを。お求めの品を届けに上がるのが少々遅れそうです。

「吐いた唾、飲まんとけやですわ!!」

 大剣を振り回して、デュバリィはセントアークの空に叫ぶ。

 鉄機隊は今日も平和だった。

 

 ●

 

 

《――★トヴァル★――》

 

 ――ふふ、トヴァルさんみぃつけた。

「おっ、おああああっ!!」

 ホラーコースターの中腹。暗闇の中にトヴァルの絶叫が響き渡った。

 とっさにレバーのスイッチを入れる。導力が配線を通り、止まっていたトロッコが動き出した。

 乗っていた四人組に声をかけたかったが、謎のダメージが体に残っていて、トヴァルはうずくまってうめくのみだった。

「うぐぅ……」

 アインのやつめ。ガイウスやワジと違って俺は聖痕なんざねえんだぞ。善良な一般市民だぞ。容赦なくボコボコにしやがって。

 しかもようやく攻撃が止んだと思ったら、今度はまさかの《エンド・オブ・ヴァーミリオン》に襲われちまってさあ。

 俺を執拗に追いかけ回す緋の魔王からは、いかにも楽しげなエリゼお嬢さんの笑い声が聞こえてきた。トラウマになんぞ、ありゃ。

 アイン? エリゼお嬢さん? 俺は何を言ってる……。

「アインか……。そういえばしばらく顔を合わせてないな」

 それにしては夢の中で、やたらと嫌味を言われた気がするが。

 なんだっけか。一体いつまで待たせてくれる、とかなんとか。

 俺は何かを答えたはずだが、直後にエリゼお嬢さんの襲撃があったせいか記憶が飛んでいる。

 久し振りだしな。みやげを片手にアインのところにでも行ってみようか。

「あいつ、みっしぃマスコットなんて喜ぶかな……?」

 

 ●

 

 

《――★ルーファスとスウィンとナーディアとラピス★――》

 

 腕のいい作業員だろうか。誰かが手際よく配線を繋ぎ直し、トロッコは再び動き出した。

 どのみちゴールが近かったようで、すぐに終点までたどり着く。

 ホラーコースターの建物の外に出たルーファスは、後ろに振り返った。

「わ、私は悪くないんだもん!」

「わかってるよ、ラーちゃん。企業側のリスク予測不足と安全対策の怠慢だよね。運営が傾くほどの損害賠償請求しちゃおっか~」

「やめとけ。どう考えても非はこっち側なんだから。ほらラピス、斧を回収しておいたぞ」

 興奮するラピスを、ナーディアとスウィンがなだめている。

「やれやれ、とんだアクシデントだったが……まだ時間はあるな。次はどうするか――」

「あっ、あんた……まさかルーファス・アルバレア……?」

 近くにいたアトラクションスタッフが、ルーファスの顔を見て驚いていた。

 しまった。ホラーコースターの中は暗いから、変装用のサングラスを外していたのだ。

「人違いです。私はスウィン・アーベルという者です」

「仲間の名前を偽名に使うヤツがあるかよ……」

「すーちゃん、多分これ何回かやってるよ」

「え? なに? なんなの? 逃げるの?」

 呆気にとられるスタッフに背を向け、四人は逃走した。

 アーケード内に入って、並ぶ店の間を走り抜ける。

「ルーファス、ルーファス! 遊びに来た記念にキーホルダーが欲しいわ!」

「仕方ないな、手早く選びたまえ」

「この状況で足を止めるのかよ!」

「なんかラーちゃんには甘くない~?」

 店員にお金を押し付けるや、「釣り銭は結構」と一同はまた走り出す。

 スウィンがルーファスを横目に言う。

「あんたも何か買ってたな?」

「便箋を少々ね。みっしぃがペイントされたものしかなかったが、やむを得まい」

「便箋……? 手紙でも書くのか? むしろ書く相手がいるのか!?」

「ははは、私を何だと思っているのかね。大方の人間関係は清算済みだよ」

「だから驚いてるんだけどな!」

 清算しようとして、どうしても割り切れなかった相手。ただ一人の弟。

 ユーシス。君が今、怒っていると、理由もなくそう思った。

 手紙くらいよこせと、弟に対して不義理だと、不満気な顔でね。

 悪かった。ちゃんと送るよ。

「しかしすまないな。私のせいでミシュラムを楽しめなかっただろう」

 ルーファスが謝ると、意外そうにしながらも三人はかぶりを振った。

「でもやりたかったことはやれた気がするんだよね~。すーちゃんと劇を見るとかさ~」

「俺も実力者たちに散々稽古をつけてもらったような……」

「私も美味しい料理をたくさん――がはっ」

 何を思い出したのか、可愛くない嗚咽を吐いて体を震わせるラピス。

「そうか、ならいいさ。さてこのままカルバードに向かうのは良しとして、どこを目的地にしようか。希望はあるかね?」

「なーちゃんはすーちゃんが行きたいところ!」

「オレは静かで落ちつける場所ならどこでも」

「ご飯がおいしいところがいいわ!」

 手帳に挟んだ地図を開くと、ルーファスは行き先を決めた。

「ふむ……ではこのクレイユという村に行こう。牧歌的な雰囲気とガレットが有名だそうだ」

 

 ●

 

 

《――★アリサ★――》

 

「あー……あ?」

 口に入れかけたサンドイッチが止まる。ほんの一瞬、見ていた景色が別のものに……?

 やっぱり疲れてるのかも。

「ん」

 アリサは改めてそれを食べた。

 さすがはシャロン。私の好みをばっちり把握している。ハニーマスタードとレタスとハムのバランスが完璧な黄金比に仕上がっていた。

「……あら?」

 いつの間にか肩の凝りがない。疲れがなくなっている。ストレスが発散されたかのような爽快感だ。

 まさかシャロンのサンドイッチのおかげ? ないとも言い切れないのが彼女の料理のすごいところではあるけれど。

 そういえばさっきまで抱いていたはずの、機械を散々にいじりまくりたいという欲求が満たされていた。

 バイクやオーバルギアを手がけ、さらには《レイゼル》まで乗り回した――ような気がする。

 そんなわけないのにね。

「はあ、やっぱりレイゼルも単独飛行できるようにするべきよね。となると、ボディラインの見直しとヴァルキリーユニットの運用コンセプトから変えた方がいいかしら……」

 どうして飛行能力が必要と思ったのかはわからない。けれど次々に機体改修のアイデアが浮かんでくるのだ。

 リィンがセントアークから戻ってくるのが夕方。待つのが長いと思っていたけど、機械いじりの事を考えていればすぐに時間は経つだろう。メモ帳を開いて、案を書き連ねていく。

「ふふっ」

 笑みがこぼれる。

 ディナーはお気に入りのお店を予約してあるし……うん、今日は良いことがありそうね。

 

 ●

 

 

《――★ロイドとランディとエリィとティオ★――》

 

「――警察学校からやり直ししてえのか!?」

 セルゲイの怒声が特務支援課の事務所に響く。普段から声を荒げるタイプではないが、これは相当お冠のようだ。

 おそらく女子更衣室の扉補修を、元妻であるソーニャ司令に目撃されたのが理由だろう。

「……?」

 思考に空白が生じた。

 なんだろう。この刹那に、言葉に言い表せない大変な出来事があったような……。

 そして自分の頭に残る、どこか懐かしい暖かな感触は――

 ロイドは訝しげに左右に視線を振る。両脇に控えるランディ、エリィ、ティオも奇妙な感覚があるようだった。

 互いに目を向け合い、小首をかしげる。

 他意はなかったが、その行動がセルゲイの怒りを煽ってしまった。

「なんだ、お前らのその態度は……たるんでるってレベルじゃねえな」

「あ、いえ、その……」

 まずい。地雷を踏んだ。これは大激怒だ。

「その根性、一から叩き直してやる! 返事はどうした!」

了解(ウーラ)ッ!!』

 電撃的に姿勢を正し、支援課全員の大声が重なる。

 フラッシュバックしたのは屈託のない笑顔と容赦のない罵声。今のセルゲイのそれとは、比べ物にならないほどの非情な責め苦。

「え、なんだそりゃ……」

 唐突に切り替わった戦士の顔つきに、ただセルゲイはたじろいだ。

 

 ●

 

 

《――★エマとセリーヌ★――》

 

 一瞬視界が曇って、すぐに抜けた。

 妙な感覚に疑問を覚えたが、エマはそのまま戸口をくぐる。

「エマさん、待っていましたよ」

「ドロテ先輩、お久しぶりです」

 帝国博物館のエントランスに入ってすぐ、受付のドロテが嬉しそうに立ち上がる。彼女は文芸部の先輩だ。

 そう、今日は《ノベルズ・フェスティバル》。

 その催しを端的に説明するなら――各国の現役文芸部員、元文芸部員が一堂に会して、各々の作品の講評や品評を行う祭典なのである。

 男子文芸部と女子文芸部が袂を分かち、血で血を洗う抗争を繰り広げたのも、もはや数年前。以降は良好な関係を維持している。

「あ、シルビエンテさん」

 エントランスの端にいた女性が手を振ってくる。

 彼女は件の抗争の際、女性文芸部員の戦闘に立って戦った人だ。ちなみに男子文芸部の代表だったリッターさんとは、なんやかんやで婚約したのだとか。

 《恋のシルビエンテ》も《炎熱のリッター》もペンネームで、二人の本名は実はまだ知らなかったりする。

 なお今回の《ノベルズ・フェスティバル》は乙女ver。女性だけの参加だった。

「アタシ、適当に散策してくるから。はぁ、こんな催しつまんないわ」

「あ、セリーヌ」

 人間形態のセリーヌはその場から離れた。

 目がらんらんと光っていたから、立食パーティーの魚の刺身を狙い撃ちしにいくのだろう。

 ドロテが言った。

「今年はエマさんが審査員長ですからね。重責かと思いますが、頑張って下さいね」

「え!? 私がですか!? 何も聞いてませんよ!」

「でも今日の来賓リストにはそう記載が……」

「こ、このやり口はまさか……!」

 その時、天井からバラの花びらが舞い落ちた。

 ドロテが喜色満面の表情で見上げる。

「《G》よ! 同志《G》がお見えになったわ!」

『エーックス!!』

 乙女たちの怒号がエントランスに響く。シャンデリアをバックに黒い外套をはためかせ、《G》ことガイラーが華麗に降り立った。

「やあ、エマ君。おっと、この場ではこう呼ぶべきかな、《紅のグラマラス》と」

 彼は人前では仮面をつけている。私以外にその本性を知るものはいない。

「ガイラーさん……また勝手なことを。私を審査員長なんかにして!」

「異なことを言う。君に相応しいポジションを用意しただけさ」

「あなたのせいで“夢の綻び”の場所がばれるわ、せっかく立てた作戦がご破算になるわで、すごく大変だったんですよ!」

「はて、身に覚えがないが」

「大体ミストマータの中でだって、あなたの立ち位置は謎で――……?」

 私は何を言っているの?

 いや、もうなんでもいい。きっとこれは夢の続きだ。

「結局、レグラムでは勝負はつきませんでしたからね。品評会が始まる前に、少しあなたを大人しくさせておきたいところです」

「ふむ……よくわからないが、私が勝てば君は審査員長を引き受けてくれるのかな?」

「それでかまいませんよ」

「実にいいね」

 毎年繰り広げられる恒例行事に、文芸部員たちも慣れた様子で安全地帯に避難する。

 この二人だけは夢でも現実でも変わらず、宿命の対決シーズンⅧが始まった。

 

 ●

 

 

《――★ティータとエステルとヨシュア★――》

 

「んー……なんか久しぶりにカブトムシ欲しくならない?」

「久しぶりというかさ、僕はそれを思ったこと自体ないから。急に何を言い出すかと思えば」

 ティータの両どなりのエステルとヨシュアは、そんな話をしている。

 エステルお姉ちゃんは虫取り好きだなあ。でもわたしにはちょっと無理かなあ。

 昆虫の構造は機械工学上、とても参考になるのだけど、直に触るとなると話は別だ。

「ねえ、せっかくリーヴスまで来たんだし、あとでトールズ分校の裏とかで虫を捕まえに行かない?」

「なんの〝せっかく”なんだよ……。まったく、ティータからも何か言ってくれないか?」

「う、うん。エステルお姉ちゃん、虫取りはまた今度にしようよ」

 お姉ちゃんは「仕方ないわねー」と一応納得してくれた。

「まあ、ティータは今ダメージ甚大だしね。あれ? 表情が明るくなってない?」

「そ、そうかな?」

 ダメージ甚大。ジンさんとアガットさんが二人でミシュラムにお出かけと言うのは、確かにショックは大きかった。

 でも今はそうでもない。むしろ元気だ。

 アガットさんがわたしのことを大切に想っていてくれて、そしてそれは妹のミーシャさんの代わりじゃないってことがわかったから――

「どうして私そんなふうに……」

「ところでティータ。さっき良いこと思いついたって言ってたわよね?」

「え、ああ、うん」

 エステルに訊かれて、思考を戻す。

「レンちゃんのことなんだけど……恩返しがしたいって思ったの」

「恩返し? レンに?」

「何か特別なことでもしてもらったのかい?」

「そういうわけじゃないよ。ただ……それでもレンちゃんのために何かがしたい」

 どうして急にそう思ったのかはわからない。

 だけどわたし達のために、彼女は霧の中を走っていた。一生懸命に走っていた。その気持ちと尽力に報いたい。

「うん、もちろん手を貸すわよ!」

「でも具体的には何を?」

「それはね――」

 わたし一人じゃ無理だ。今までに繋いだ人脈も、各国を跨いだ協力も総動員しなければ、到底実現できないだろう。

 でもレンちゃんを想う人は、彼女に心の底から笑って欲しいと願う人は、きっとたくさんいる。

 縁の輪を紡いで、彼女のための奇跡を今――

「記憶データも全てサルベージして、《パテル=マテル》を復活させよう」

 

 ●

 

 

《――★クロウとトワとアンゼリカ★――》

 

 ルーレの隠れ家的なバーの個室。

 店員から布巾をもらったトワは、こぼれて濡れたテーブルの上を拭いた。

「あ、ごめんごめん、クロウ君の話の途中だったよね。それで結社を抜けたらどうするんだっけ?」

「ああ、どこかの猟――」

 猟兵団にでも世話になろうかと思う。

 そう言いかけて、言葉が止まった。

 そっちじゃねえ、と懐かしい声が心のどこかに残っている。

「……教官」

『え?』

 トワとアンゼリカが目を丸くした。

「教官、興味あるの?」

「君がか?」

「え、あ、いや、え……?」

 なんでそう言ったのか、自分でもわからなかった。考えたこともなかったはずなのに。

 すぐに前言撤回しようとしたが、トワの勢いが凄かった。

「そ、そうなの!? うんうん、いいよ! それで行こう! すぐにリィン君にも連絡しておくから!」

「はあ!? よせって! 違う、別に本気で言ったわけじゃ」

「面接に備えてロープレ練習だよ! 履歴書の職務経歴に帝国解放戦線って書いちゃダメだからね!?」

「またこの流れかよ!」

 また? またって何がだ?

 初めての掛け合いのはずなのに、物事を繰り返したような違和感がある。

 ふんすふんすと鼻息の荒いトワを、アンゼリカが笑った。

「ははは、さっきまでカレイジャスを乗り回していたから興奮しているんだろうさ。……ん? カレイジャスなんていつ乗った?」

「俺に聞くな、意味不明なことを」

「まあいいか。しかしなんだな。興奮しているトワを見ていると興奮してくるな……」

 トワに襲い掛かるアンゼリカ。ぎゃーぎゃー騒ぐトワ。まったく防音性の高い部屋で良かった。

「やあ、もう盛り上がってるみたいだね」

 個室の引き戸を開いたのはジョルジュだった。

「おう、遅かったな。遠出してたんだっけか?」

「うん、カルバードに行ってたんだけど、なんで行ったかよく覚えてないんだよね。すぐにトンボ帰りしてきたよ」

「大丈夫か、お前……」

 ジョルジュはクロウの横に座った。

「……なんだろう。みんなが元気そうでよかった。よく眠れているかい?」

「なんだその質問。ま、昼寝なら良くするぜ?」

「私もよく寝てるよ! 寝る子は育つって言うからね」

「それはダメだ、トワ。育たないことが君のアドバンテージでありアイデンティティであるというのに」

 ジョルジュはうなずいた。とても満足そうに。

「で、何の話で盛り上がっていたんだい?」

「クロウ君が教官を目指すって話!」

「やれやれ、不良教官か。教え子に手を出すんじゃないぞ」

「出さねえよ! ならねえよ!」

 クロウの抗弁は全て聞き流され、まもなく各々の手にグラスが渡る。

 教官ね。柄じゃねえとは思うが、誰かに後押しされた気もする。まあ試しに願書くらいは書いてみてもいいかもな……?

『乾杯!』

 チン、と四人のグラスが重なった。

 

 ●

 

 

《――★リィンとエリゼ★――》

 

 呼び鈴を鳴らす。

「ん?」

 一瞬意識が飛んだような錯覚に陥った。

 エリゼもどこか不思議そうにしている。

「お待ちしていましたよ、お二人とも」

 開かれるドア。長く美しいブロンドの髪が風に揺れる。柔和な微笑でリィンたちを出迎えたのは、エプロン姿のリアンヌ・サンドロットだった。

「こんにちは、リアンヌさん。お元気そうで何よりです」

「エリゼさんも変わりないようで」

 リアンヌはエリゼをぎゅっと抱きしめた。

「さ、リィン。あなたもいらっしゃい」

「い、いえ! 俺はいいです!」

「あら、そうですか?」

 リアンヌは残念そうだった。

 彼女の案内でリビングに通される。

「店番はいいんですか?」

「アイネスとエンネアがいますので大丈夫ですよ。それに今日はもう店じまいです」

「デュバリィさんは?」

「お買い物をお願いしています」

 エリゼとリアンヌは気やすい会話を交わしている。リィンはくすりと頬を緩めた。

「あら、おかしいことが?」

「すみません。仲の良い姉妹のようだな、と」

「ふふ、実際エリゼさんのことは妹みたいに思っています。もちろんリィンのことも息子のように思っていますよ」

「え……なんか変じゃありませんか?」

 リアンヌの手作り料理が食卓に並ぶ。どれも絶品だ。

「そのパスタはドライケルスも好物だったのですよ。オリーブオイルを少量混ぜるのが特にこだわりだったみたいで」

「すごい話を聞いてるな、俺たち……」

「ドライケルス大帝が食べたのと同じパスタ……」

 レグラムの人たちが来たときにも振舞ったそうだが、彼らはパスタをありがたく拝んだり、ご神体として奉ろうとしたりで中々食べなかったという。

 食事に舌鼓を打ちながら、他愛無い話をした。リアンヌは楽しそうだった。

 なんだか気持ちがすっきりしている。今日はヘイムダルで戦う夢は見ないような気がしていた。

「それでセドリックさんが剣のお稽古を――」

「……エリゼ、なんだかさっきからセドリック殿下の話が多いな」

「え? い、いえ。そうでしょうか? なんでしょう、変ですよね、急に」

「隠し事していないか、俺に」

「な、なんですか、兄様。その目は。ないですって。妙にセドリックさんのことが頭に浮かぶだけで」

「どういうことなんだ、それは」

「なんでもないですってば!」

 リアンヌが笑っていた。

「ああ、お見苦しいところを」

「兄様が変なこと言うからですよ!」

 優しげに首を横に振ると、リアンヌは二人の手を取った。

「あなた達を見ていると……この先何があっても乗り越えていけるのだと、私はそう思えるのですよ」

 

 ●

 

 

 ――――――――

 

 

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《――★おわりとはじまり★――》

 

 《ロア=ヘルヘイム》が終焉を迎えようとしていた。

 空も、大地も、そこに広がる街も、全てが消えていく。

 フヴェルゲルミル湖も外側から削れるように消えていき、今や残るのは異世界の中心たる《ユグドラシル》だけだ。

 夢と現実を繋ぐ黎明の樹。

 その最上層、王の間にレンは一人佇んでいた。

 ヴァンたちはもう現実世界に帰還した。ここでの記憶は抹消され、私もまもなく戻ることになるだろう。

 

「ねえ。最後にお話してくれる?」

 

 手の平にたずさえた《バルドルの箱》に問う。

 わずかな間のあと、箱が光をにじませた。ヴァンが付けた傷痕から力が漏れ落ちているのか、弱々しい明滅だった。

 

「判明していない謎が三つあるって、ヴァンさんが言っていたわね」

 

 なぜルーファスは〝囚われ”でありながら自意識を保てていたのか。

 なぜレンが《王》に選ばれたのか。

 《バルドルの箱》が世界を閉ざそうとしていた理由は何なのか。

 

「何度聞いてもあなたは教えてくれなかったし、ヴァンさんにもそう言ったけど……私、本当はわかっていたのよ」

 

 《バルドルの箱》はレンを見つめ返している。目なんてないのに、そんな気がした。

 

「夢の中で夢と知覚する明晰夢。それが起きる条件は、おそらく〝今の自分の境遇に疑問を抱くこと”でしょう。夢から覚める直前、私はこう思ったわ。『こんなに幸せでいいのかしら』って」

 

 ヨシュアやエステルと一緒に過ごせて、二人の義妹になれて、私は確かに幸せだ。

 でも同時に心の奥底で、こうも感じていたのだ。

 

 “私は本当にこの幸福を享受していいのか?”

 

 傷つけられ、傷つけてもきた。

 器用に振る舞う反面、誰に対しても心を開かず、無邪気を装う仮面をつけて、気持ちとは一致しない表情を浮かべる歪な人生。

 そんな薄暗い生き方しかできなかった私が、太陽の下で本心からの笑顔を浮かべているなんて。

 

 いいんだよと言ってくれる人がいる。

 いいわけないとつぶやく自分がいる。

 

「あなたは意識が正常化した私を見て思ったのよね? “この子は夢を見ていない。今も小さな闇に囚われている”と。だから光の箱は、私にあらゆる権限を行使できる力を与え、《王》の座に座らせた」

 

 私が望む世界を、私自身が作れるように。

 ずっと優しい夢を見ていられるように。

 きっとルーファス・アルバレアにも、私と似通う心情があったのだろう。

 おそらく彼は“自分は裁かれるべき人間だ”と思っている。

 新たな道を歩み始め、そばにいる仲間を得てもなお、罪を背負ったままこの境遇を受け入れていいのか、心のどこかで自らに疑問を抱いている。

 だからルーファスも、《ロア=ヘルヘイム》に囚われながらも半覚醒し、明晰夢状態となったのだ。

 もしも私より先に《バルドルの箱》と接触していたら、《王》となっていたのは彼だったのかもしれない。

 

「……あなたがたくさんの人を取り込んで、世界を閉ざそうとしていたのは、私の幸せを永続させようとしていたからでしょう。外の世界には怖いものが多いから、私を守ろうとして」

 

 《閉ざしの影檻(グレイプニル・シャドウ)》は、囚われた人を閉じ込めるためのものじゃない。外界からの脅威を侵入させないための防護壁だ。

 全てを守護し、そして夢を“完結”させる。それが《バルドルの箱》がやりたかったこと。

 《ロア=ヘルヘイム》に時間の概念ができたり、気候ができたり、だんだんと現実世界に近づいていたのは、私たちが不自由なく過ごせるようにするためだった。

 

「ああ、それと……ヴァンさんは最後まで気づかなかったみたいだけど、《ロア=ヘルヘイム》に囚われる条件はもう一つある。それは“レン・ブライトと知り合いであること”。そうよね?」

 

 クロスベル再事変で《ARCUS》による導力通信を行なったという囚われ条件は、固有のリンク波長を《バルドルの箱》がトレースして取り込むためという、いわばシステム面での都合。

 一方裏では、その選定基準は私と知己の関係であることが求められていた。

 

「私が寂しくないようにって? 配慮してもらって嬉しいけど、関係性の深さまではわからなかったみたいね。私、《西風》の二人とは別に仲良くないし。ふふ、そこはお勉強不足よ」

 

 そう、私だけが全員と繋がっていた。

 リベールから始まり、クロスベルに、エレボニアに、そしてカルバードへ。

 小さな縁を紡ぎ続けて、いつしか大きな円になっていた。

 きっと私も誰かにとっての縁であり、円の一部。

 とっくに私は、世界と一緒に回っている。何も……何も寂しくはない。

 

「感謝してる。明るい夢を見させてくれて、とても楽しかった。本当よ。でもね、もう大丈夫。私なら大丈夫だから……心配しないで」

 

 もう大丈夫。

 その一言に満足したように、《バルドルの箱》は無数の光の粒となって、虚空に輝きを散らしながら消滅した。

 それをきっかけに王の間の崩壊が始まった。

 ふと気づく。

 ヴァンが消える間際まで立っていた場所に、《幻夢の手記》が落ちていた。

 レンはそれを拾い上げる。役目を終えた冒険の指針。

 44項目の条項を解き明かし、彼は見事に霧を晴らしてみせた。

 ヴァンさん、あなたはやっぱりすごい人よ。

 

「……あら?」

 

 何気なく手記をめくると、最後のページが空白だった。あとがき用のスペースだ。

 今さら書き入れることはないし、読む人さえいないが――ほんの気まぐれだ。ちょっとだけ記しておこう。

 ペンを使う必要はない。念じれば手記に転写される。

 ほどなくレンの体も光に包まれた。

 《ロア=ヘルヘイム》に残された最後の一人も、ついに現実へと帰る時が来たのだ。

 

「ヴァンさんも、他のみんなも……《バルドルの箱》も――」

 

 ありがとう、私を助けてくれて。

 

 夢から醒めたら、また会いましょう。

 

 

 

 ――THE END――

 







《幻夢の手記》


①ヴァン・アークライドが《ロア=ヘルヘイム》の謎に触れる度に、この手記は自ら更新されていく。


②《ロア=ヘルヘイム》とは《バルドルの箱》の力を介して、多数の人間の思念で形成された夢の世界である。


③《バルドルの箱》とは“見たい夢を見る機械”が転じて、“人と人との夢を繋ぐ機械”となったものである。


④《バルドルの箱》の中枢機能である“人と人の夢を繋ぐ”力は、《ARCUS》のリンク機能の特性を受けて確立されたものである。


⑤故に《ロア=ヘルヘイム》に囚われている者は、かつて《ARCUS》のリンク機能を用い、縁で繋がれていた者たちである。


⑥《ARCUS》を介した縁に繋がれていないヴァン・アークライドとその仲間たちは、《ロア=ヘルヘイム》に囚われることなく行動できる。


⑦“夢に囚われる”とは、そこが夢の中であることに疑問を持たない状態である。会話も思考もできるが、自身の主観による認識が世界の全てとなる。


⑧《ロア=ヘルヘイム》に囚われし者たちの姿と記憶は、各々が広範囲に、かつ同時に縁を繋いだ時期――クロスベル再事変の年代(七耀暦1207年)に固定される。


⑨《ARCUS》を使用していないヴァン・アークライドとその仲間たちは、現実世界の時間軸(七耀暦1208年)の姿と記憶が反映される。


⑩ヴァン・アークライドとその仲間たちは、新たな仲間と合流する度、記憶が段階的に拡張されていく。


⑪ヴァン・アークライドの仲間と認知されるものは、現実世界でヴァン・アークライドと雇用関係を結んだ者である。


⑫記憶の拡張域は、ヴァン・アークライドに《ロア=ヘルヘイム》で合流した者が、“現実世界でアークライド事務所に雇用された時点まで”となる。


⑬ヴァン・アークライドと雇用関係になくとも、現実世界の縁で繋がれた者であれば《ロア=ヘルヘイム》に召喚されることがある。ただしその場合は仲間ではなく同行者と認知され、記憶の拡張には至らない。


⑭《ロア=ヘルヘイム》は過去、現在、未来が圧縮されて存在すると同時に、時間の概念が存在しない世界である。


⑮時間、及び次元圧縮された空間であるが故に、ヴァン・アークライドとその仲間たちが召喚される際は、個々が呼び込まれる時期に差異が発生する。

 
⑯召喚されるヴァン・アークライドの仲間及び同行者は、同一時間軸上から選定される。


⑰《ロア=ヘルヘイム》における時間の流れは、現実世界のそれと連動していない。


⑱《ロア=ヘルヘイム》は複数のエリアで構成されており、エリア毎に強い影響を持つ“夢の主格者”が存在する。


⑲夢の主格者が持つ一番強い望みを満たすとそのエリアは解放され、エリア内に囚われていた全ての人間はそこが夢の世界であることを自覚できるようになる。


⑳夢であることを自覚しても現実世界に戻ることはできないが、エリア間の移動は可能となる。


㉑一つのエリアを解放すると、その主格者から次のエリアに繋がるキーアイテムが手に入る。


㉒各エリアへの移動、及び転移はアークライド事務所エリアから繋がる虹の影橋(ビヴロスト・シャドウ)を使用する。


㉓アークライド事務所からの転移は、各エリアに点在する象徴的な地点にのみ行ける。逆に各エリアからアークライド事務所への転移は、どの地点からでも可能である。


㉔現在《ロア=ヘルヘイム》には、七つのエリアが存在している。


㉕“囚われている者たち”を除き、《ロア=ヘルヘイム》内の街や施設に存在している群衆は、夢の主格者たちが見る幻影であり、実体のない存在である。


㉖エリアの主格者の権限として、自らのエリアに囚われている人間、及びイメージで作り出した人間に対し、自身の望む役割を付与できる。


㉗エリアが解放された場合、そのエリア内に囚われていた人間の夢は覚める。
しかし何らかの望みを強く持っている人間は、稀に固有の疑似エリアを自身で生成し、囚われたままになってしまうケースがある。


㉘疑似エリアの解放条件も主格者の望みを叶えることであるが、正規の主格者ではない為、何かが手に入ることはない。故に別に放置していてもよい。でも放置し過ぎると新しいエリアができるかもしれないから、少しは気にしておいた方がいいのではないか。


㉙エリアの主格者以外に、《ロア=ヘルヘイム》そのものを生み出した統括主格者が存在する。


㉚統括主格者は《ロア=ヘルヘイム》の王であり、《バルドルの箱》の所有権を有している。


㉛その者が当たり前に所有しているという認識があれば、それは《ロア=ヘルヘイム》に実体として呼び出すことができる他、すでに《ロア=ヘルヘイム》内に存在しているものを手元に移動することもできる。


㉜《ロア=ヘルヘイム》はドーナツ型の大陸で、外円部には各主格者のエリア、そして中央部には煮えたぎる湖《フヴェルゲルミル》が存在する。


㉝《フヴェルゲルミル》のさらに中央部には、黎明樹《ユグドラシル》が天に向かってそびえ立っている。


㉞《ユグドラシル》とは歯車で構成された機械の大樹であり、《バルドルの箱》の能力を“霧”を用いて拡散させるものである。


㉟“霧”は《ユグドラシル》がフヴェルゲルミル湖を吸い上げて精製しているもので、霧の及ぶ範囲がそのまま《バルドルの箱》の能力の及ぶ範囲である。


霧人形(ミストマータ)とは《ユグドラシル》の歯車を心臓部に持ち、フヴェルゲルミル湖から精製した霧を凝縮し、そこに夢に囚われし者たちから得た思念を込めることで形作られた傀儡人形である。


霧人形(ミストマータ)は各エリアを巡回している。目的は《ロア=ヘルヘイム》内の異常を察知し、《王》に報告する為である。その是非は、夢に捉えた者たちを現実世界に帰さないことにある。


㊳アークライド事務所エリアは《ロア=ヘルヘイム》と現実世界を繋ぐ唯一の特異点であり、《夢の綻び》である。


㊴《ARCUS》の機構を元に作られた《バルドルの箱》はリンク機能を有しており、黎明樹《ユグドラシル》の拡散機能を利用して、《ARCUS》を持つ者を夢の世界に絡めとる。


㊵フヴェルゲルミル湖には《ユグドラシル》の根を住処とする黒き幻竜《ニーズヘッグ》が存在する。


㊶囚われた人物たちから吸い取った思念は《バルドルの箱》に送られ、新たな夢のエリアを構築するエネルギー源となる。外敵から自身を守護するために、そのエネルギーを分け与えて生み出されたのが幻竜《ニーズヘッグ》である。


㊷《ロア=ヘルヘイム》内で命を落とした場合、現実世界に帰還することなく精神は消滅し、実質的な死を迎える。


㊸《バルドルの箱》が失われた場合、《ロア=ヘルヘイム》も消滅する。そこに囚われていた全ての人間は夢から解放され、現実世界における各々の時間軸へと帰還する。


㊹現実世界へ帰還する過程で、《ロア=ヘルヘイム》で得た記憶は完全に忘却される。





 ――あとがき――

夢は終わって、今が始まり、未来が動き出した。

けれどその先に何が待っているのかは誰にもわからない。

もしかしたら夢の中にいた方が、やっぱり幸せだったのかもしれない。

それでもあなたは、前へと進むのでしょう。光と闇の狭間に惑う多くの人たちを救いながら。

あなたは仔猫だった私が“私”になる、最初のきっかけをくれた人。

私は忘れない。

不器用だけれど、それでも私の手を取ってくれた、いつかのあの日のことを。

 ――レン・ブライト――

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