どうして連れて行ってくれなかったのか、と。
はじまりの街のティラノモンに頼まれた依頼を引き受けたのはいつもの興味心からではなかった。
事が事なのだ。ティラノモンに恩があるメールとクーランは事態の深刻を予感して二つ返事で協力することになった。
「あれだ。降りようクーラン」
「クアァ!」
そこにいつものメールの余裕はあまりなく、表情は相変わらず黄色い被り物で分からないが少しこわばっているように思える。
クーランも息をやや切らせながらの降下に少し手間取りそうになっていた。
「クォゥゥ…」
「あぁ…やっぱり、遅かったのか」
ティラノモン程のデジモンでも問題なく暮らせるような大きな入り口のある住居。
木製の家屋はやや原始的ながらも造りはしっかりしており、居心地の良さよりも頑丈さが目立つ…とメールたちは聞いていた。
今それらは全て火で焼かれ、黒い炭の塊へと姿を変えている。
焼けて脆くなった家屋に巻き込まれないように注意して村を歩くメール。クーランは宙を浮きながら未だに燃える火を見つけては消火を繰り返しつつ村を回っている。
そこは村の広場…だったであろう場所。今は見る影もなく、黒く
村に降りる前、上空から見た、唯一生き残っているであろうデジモンにメールは接触するためにここに来たのだ。
座り込み、大きく
メールの足音に気が付いていないのか、それとも聞く余裕などないのか。メールはどう声を掛けるか一瞬迷った後、大きなオレンジ色の背中に声を掛けた。
「…何があったんだい」
「………いつもみたいな喧嘩だと思ったんだ…どっかで思い留まるって…だけど、止めようとしたやつが怪我した途端、急にみんな殺気だって…」
そこでようやく、項垂れていた"グレイモン"が"自分が誰かと話している"ことに気が付き、次いでメールの存在に気が付いた。
メールの問いに答えたのは無意識の反応でしかない。今、宙ぶらりんだった意識が呼び戻される。
茶色い恐竜の頭蓋のようなアーマーの内側にある生気のなかった瞳は見る見るうちに恐怖を宿し、ティラノモンと同等のオレンジ色の巨体が震えだす。その大きく凶悪そうな牙の生えた口を開け、叫び出そうとして―――
「落ち着いて」
グルグルグルグル
メールがその身体に触れた。
その腕は焼けたわけでもないのに真っ黒に黒ずんでいる。メールが言葉を発し、その腕で触れた途端グレイモンの震えは止まっていた。
それから間を空けずに、彼は両目から涙を溢れさせる。
パニックを起こさなかった代わりに、悲しみがグレイモンの心を埋め尽くし始めたのだ。
立ち上がろうとしていたグレイモンは膝の力を失い、再び足を投げ出すように座り込む。大きな
間もなくクーランが村に
むせび泣くグレイモン諸共メールは大量の水を被ったが、彼は
「飲んで」
「えっと…」
「僕はメール。こっちがクーラン…こいつの吐き出した水を飲ませるわけにもいかないからね?」
「クゥォゥ」
「あ、えっと…うん、ありがとう………」
グレイモンから見れば小さいが、飲み物の入ったボトルをメールは手渡す。メールが持ち歩いてるもので、中身は紅茶だ。精神を落ち着かせるというハーブティー。
薬品のような効果は期待できないが、それでもないよりはましだろうと自分のものを飲ませていた。
村の消化を終えたクーランは既に合流しており、メールの背後に控えて周囲を警戒している。
「どう、落ち着いた?」
「えっと…あんまり美味しくないかな…」
「さっきよりはいい顔してるよ。…僕たちは"はじまりの街"の管理者であるティラノモンから依頼を受けて来たんだ…話せるかい?」
何を、とは言わない。
「姉御の…」
姉御って呼ばせてるんだあのティラノモン。その言葉は飲み込んだ。
「大丈夫…もう大丈夫…話せるよ」
もっと落ち着いてからでも…と言うわけにもいかない。
なんとなくグレイモンの最初の言葉で察してはいるものの、この惨劇が村の外部からの介入という線もあり得る。そうだとするならばその襲撃者と戦うことになるかもしれないのだ。
だがその線は消え、メールの予想は当たることになる。
―――――ここはグレイモンの村。
彼を残して一匹も残ってはいないが、それなりの数と、そして実力を有したグレイモンたちが集まる集落だった。始まりは、より強力なデジモンに生活を脅かされないための集まりだったらしい。
しかし始まりの理念は既に忘れられていた。
ある時、
村のグレイモンは強さに自信があったし、何よりプライドが高かった。それが争いの原因になり得るのは
それでも当然やり過ぎれば誰かが止めるし、その先はダメだということを内心分かっていたから渋々止まれていたのだが…
そんな状態が、ずっと続いていた。
神経を
風船は空気を入れ続ければ破裂してしまうものだ。
つまり、その時が来てしまった。
「最初はいつもみたいに誰かが止めようとしていたんだ…でも、その止めようとした相手に対して手を上げて…」
「後はそれが繰り返され、歯止めが効かなくなっていった?」
「温厚な性格のグレイモンは大分前に村を出て行ってたから…まとめ役も去年病気で…それで…」
「…君はどうしていたんだい?」
メールの言葉に、グレイモンがさらに項垂れる。
地面に頭のアーマーを擦り付け、
メールの手が再び黒ずみ始める、が、今度はまだ触れていない。
「ボクは…ボクは逃げたんだ…っ!!怖くてっ!見捨てたんだ!!あの時っ!!!まだ間に合ったかもしれないのにっ…!!!」
メールはもう一度グレイモンに触れようとして…それをやめた。
伸ばした手は人の手と変わらぬ肌の色に戻っており、静かにポンチョの中へと戻されていく。
メールの目はただじっと、グレイモンの姿を写している。
「ボクが何も出来なかったから…!!誰か、誰か…!誰かを助けられたかもしれないのにっ!!ボクに勇気があれば…良かったのにぃ…」
「勇気だよ…逃げることも勇気なんだ」
「そんな勇気いらないよっ!!」
「君は戻ってきた。全部終わった後でもちゃんと戻ってきた」
「何の意味があるの…!ここで泣いて叫んでることに何の意味があるの!!教えてよ!!」
周囲への警戒を必要としなくなったクーランは、その言葉を聞いて悲しそうにメールを見やる。
メールは視線を一度足元へ下げ、そして上げた。
「さぁ立って、後悔しているのなら、やれることをやろう」
「…………っ…!…‥…やれる、こと…?」
「さぁ」
グレイモンは小さいわけではない。
通常4~5メートル程あるのがグレイモンで、座り込んで
頭を上げれば見下ろすことしか出来ない。
その少年が手を差し伸べている。
「…何が、出来るって言うのさ…」
「ティラノモンの所へ行く」
つまり、はじまりの街に。
「君がやれることはある。けれどそれを選ぶのは君で、僕ではない。」
グルグルグルグル
「必要なのは勇気だけだよ…踏み出すならば、行こう」
「………」
差し出された腕は再び黒ずんでいた。真っ黒に、深い黒に。
それを見た時グレイモンが感じたのは言いようのない恐怖だった。初めて見る物を怖がるような未知に対する恐怖、それがあった。悲しみも、自分に対する怒りも全部抜け落ちて。
とても、小さな手には見えなかった。
グルグルグルグル
たっぷり時間をかけて迷った末に、グレイモンはその手を取る。
やれることがあるならば、ボクがやらなくちゃいけない。もう逃げ出しちゃいけない。それがグレイモンの出した勇気だった。
そしてグレイモンの意識が暗転し、気が付けばはじまりの街にいた。
「…え?」
「早かったでしょう?ティラノモンの所に行こうか」
「え?え?…え??」
「クォァア」
「え?うん…分った、聞かないよ」
クーランに「聞かないで上げて欲しい」と言われればグレイモンも頷くしかない。心なしかなんだか体も軽く感じるが、そのことを聞くのも遠慮した。
メールの後ろに慌てて追いついたグレイモンが続き、その後ろからクーランが続く。その過程でグレイモンはちらりとはじまりの街を見渡してみる。
生まれたばかりのデジモンが笑い合い、笑顔に溢れている。時に喧嘩もするかもしれないが、少し経てば仲直りして、またいつものように遊んでいる。
―――――あぁ、ボクらも最初はそうだったと言うのに。
段々と、幼いデジモンたちの声がどこか遠くで響くように聞こえ始める。
どうして、何故、何で。
今や一匹だけになってしまった村の生き残りに、打ちひしがれるなと言った所でそれは難しい話。特に責任感が強く、臆病であれば尚更に。
だが、このグレイモンは"勇気"を示した。だからメールは連れて来た。
街に行けばどうなるか知った上で連れて来た。
…グレイモンが生まれたばかりの"ボタモン"たちを見つけるのは必然で、その面影に、かつての仲間たちを見てしまうのも偶然ではなかった。
思わず駆け出すグレイモンを、メールもクーランも静かに見つめる。
「…ぅっ………今度こそ…今度こそ…っ!!」
ボクが守るから。
何も知らないボタモンたちに囲まれてグレイモンは誓う。
泣き始めたグレイモンに無遠慮によじ登るボタモンを見て、彼はようやく笑えた。
―――――後に一匹のグレイモンと多くのボタモンが暮らす村は『ボタモンの村』と呼ばれ、確かな平和をそこに築いていく。
メールは果たしてそれが良かったのかは今でも分からない。そんなメールを尻尾の先端で優しくバシバシ叩くクーランも本当は不安だった。
彼は唯一匹のグレイモンとしてボタモンたちを育てている。メールとクーランは時たま生活のための物資を届けに行くが、彼はいつだって笑顔でいる。それでも不安になる時はある。
彼はまた別の場所で過ごした方が良かったのではないか。
メールは言った。「逃げることも勇気」だと。彼は、グレイモンは逃げなかった。一度逃げたが故に、己の弱さを握りつぶし、その勇気を示した。それは本当に幸せな事なのだろうか?
「これで良いのです…あなたも、いつかわかる時が来ます」
ティラノモンは穏やかに笑い、今日も生まれたデジモンを抱き上げる。
その目はいつだって優しく、自信と慈愛に満ち満ちていた。あぁ成程、グレイモンの気持ちも良くわかる。
「姉御…!」
「その言い方は止めなさい」
「はい」
グルグルとクーランの回りを回ってはよじ登って遊ぶ幼いデジモンたち。それを眺めながらメールは今、ティラノモンと対面している。
メールは椅子に、ティラノモンも椅子…なのだが彼女に合ったかなり大きな椅子のためにその一人と一匹が対面で座っているのは中々の絵面となっている。気にするデジモンなど、どこにもいないのだけれど。
「デジタマの大量出現なんて聞いた時は何事かと思ったよ、意味するのは悲劇以外何ものでもないからね…それにしても先を見過ぎていなかった?」
大量のデジタマの出現はイコール大量のデジモンの死を意味する。あまり気持ちの良い話でもない。
「村の状況を知っていて、現れたデジタマにあのグレイモンが含まれていないとなれば、なんとなく分かるものです」
「敵わないなぁ…」
見ずとも経験と予想だけでティラノモンは確信していたわけだ。
何が起こって、誰が生き残って、さらに生き残った見知ったグレイモンならば、グレイモンたちより生まれ変わったボタモンたちを任せられると言うことを。
その生き残ったグレイモンへのフォローとして、そして念のため外敵への保険も兼ねてメールとクーランを村へと向かわせた。
メールが村へ訪れた時に「やっぱり」と言ったのはその推測を聞かされていたからだった。
「私は多くの誕生を目の当たりにし、そしてそのデジモンがここに戻ってくるのを何度も見てきています…多少は分からなければ管理者失格と言うものです」
「…一生頭が上がらない気がするよ、上げる気もないけど」
「出来れば私は子供たちに見送られたいのですけどね…」
「それを言われるととてつもなく複雑かなぁ」
本当に敵いそうもない。
多くのデジモンが彼女に恩を感じているからこそ、このはじまりの街は安全でいられるのだ。究極体であろうとも頭を下げる。それが管理者であるティラノモンの
事実、メールも彼女の事を母親だと思っている。恩は、いつまで立っても返しきれそうにない。
当然クーランも同じように思っている。
なので、クーランがベタモンになるまでの頃はどちらかが怒らるのを恐れて逃げ出せば片方が刺客として放たれていたりしたものだ。いや今この話は関係ないけど。
頭の被り物に小さなデジモンたちがよじ登るのをそのままに、一人と一匹は話を変え、"これから"について話していく。
「街のことだけどね、どうにかする方法がありそうなんだ」
「前に私が言っていたことを覚えていたんですね?」
彼女には究極体でも頭を下げるとは言ったが、当然例外はいる。
だから必ずしもこの街は安全とは言えない、どころか頭のネジが外れたアウトローな連中であれば場合によってはここは良い"狙い目"になり得る。
"デジモンが輪廻転生される場所"など悪用されればたまったものではない。より安全なものを求めるのも仕方のない事だろう。
以前ティラノモンが零した不安を、メールは忘れていなかったらしい。
クーランがガリヴァ―旅行記よろしく全身をデジモンたちによじ登られてることに対してヘルプの視線を送るのを無視しつつ、話は続いていく。
「それにしてもメールあなた…あの時ボタモンたちが生まれるまでずっとグレイモンの
「うん。ずっと傍にいたよ。それが僕に出来る限界だからさ。彼はティラノモンが言うようにボタモンを任せるのに
「いつか
「えぇ‥……いやぁほんと…敵わないよ。…約束する…と言っても、割とすぐ話す事になりそうだけど………言っとくけど、変なことはしてないよ?」
「それは話してくれるまで保留にしておきます」
「はい…」
「クアァ…!」
「おちるー!」「キャー!」「のぼれのぼれー!」「せいあつしろー!」
「クァア………」
グルグルグル…ギィ…
はじまりの街が"デジモンアドベンチャー"の設定では名の通り全てのデジモンの始まりなのでしょうか?
だとするならばそこはもっと多くのデジモンが意識を向ける場所になりそうなものですよね。良くも悪くも。
■メール
精神的なフォロー役として選ばれた。
ティラノモンの意図しない方向で確かに最も適している人材。
何かを始めようとしているようだ。
■クーラン
消火役として活躍する。
基本的にメールを支える裏方に徹している。
■ティラノモン
みんなの母。初代デジモンのパッケージも飾ってるんだから間違いない。
はじまりの街から生まれるデジモンがほとんどのため、彼女に世話になったデジモンは数知れず。(代替わりはある)
あまりの先見にメールは一生逆らわないことを誓った。
■グレイモン
その勇気は受け継がれる。