その剣、純愛の力で全てを断つ ~なおドスケベボディの姫様が同行する~ 作:本間・O・キニー
穏やかな朝の陽の光が、眠る少女の横顔を照らしていた。
朽ちかけた廃屋というステージの上で、崩れた石壁の隙間から差し込む光をスポットライト代わりにしていても、変わらぬその神々しさ。
思わず、ため息が漏れた。
そんな少女の寝顔を、俺はそっと確認する。
この眠り姫が、確かに熟睡していることを、多少の刺激では決して目覚めないだろうということを、念入りに確認する。
そして、素振りを開始した。
同僚の一人がよく言われていた。
「そんなに欲求不満なら、素振りでもしていろ」と。
かつての俺には、意味が分からない言葉だった。だが、今はそのありがたみを実感していた。
聖剣をまっすぐ振り上げ、まっすぐ振り下ろす。休む間もなく、それを繰り返す。
一往復するごとに、自分の中から何かが抜け出ていく。こころなしか、聖剣の重みも僅かに和らいでいる気がする。
そんな反復運動を続けながらも、少女から視線は離さない。
欲望を発散させるのも大切だが、何より重要なのは、愛。そして愛を育むために必要なのは、相手と接する時間を増やすことだ。
その愛らしい顔を何の気兼ねもなく眺められる、貴重な時間。一瞬たりとも無駄にはできない。
剣の道と同じだ。
無駄を削ぎ落とし、鍛錬を積み重ねる。
邪欲を削ぎ落とし、愛情を積み重ねる。
純愛道は、長く険しい。
やがて少女は目覚める。
魔王を倒し、人類を救うために。今日も、愛すべき人との旅が始まる。
「騎士様は、好きな食べ物ってありますか?」
携帯食の白いパンを優雅にちぎっては小さな口へと運んでいた少女が、ふと手を止めて呟く。
早々に自分の朝食を流し込み、周囲を見回していた俺は、その声に思わず振り向いた。
振り向いて、しまった。
相変わらず、ありえないほど大きいその胸は、今日も元気に存在を主張していた。
石畳に乗せられたデカい尻からはムチムチのふとももが伸びて、無造作に投げ出されていた。
不思議と汚れ一つ付かない純白の衣装は、軽く身動きするたびに乱れてギリギリな部位をさらけ出していた。
今日も、少女の身体は淫魔だった。
その魔性に目を奪われていると、背中の聖剣がギシリと主張をしてきて、我に返る。
気がつけば、少女が不思議そうな顔で見つめ返してきていた。
慌てて取り繕うように返事をする。
「ええと、すみません姫様。なんでしたか」
「食べ物の好みの話です。普段、どんなものをよく食べるとか」
「そうですね……あんまり、考えたことはありませんでしたが」
本当に、食事について深く考えたことなんて無かった。騎士団の食堂では、メニューを選ぶ自由など無かったということもある。
しかし、その返答に少女は納得いかない様子。
「でも、体を使うお仕事ですからお肉とか……そう、お魚とか好きなんじゃないですか?」
そう言って、唐突に少女は自らのスカートを捲くり上げた。
「ひ、姫様!? いったい何を!?」
ただでさえ深いスリット入りの大胆なそれを、腰で結んで極ミニスカートへと転職させた少女は、続けてブーツを脱ぎ始める。
不意打ちの露出。その素肌の輝きが、目に焼き付き脳を焦がしていく。
艶めかしい素足。肉付きの良い真っ白な脚のライン。そして、その奥までも。
「近くにあった川で、お魚を獲ってこようと思うんです! 携帯食料だけじゃ物足りないかと思って!」
「いや、ほら怪我とか危ないですって! 食料は十分持ってきてますから!」
「遠慮しないでください! こう見えて魚のつかみ取りは得意なんです!」
会話が噛み合わない。そもそも動機からして理解できない。視界の端では、生足が活き活きと踊っている。
どうにかして彼女の説得に成功した頃には、俺の貧弱な理性は早くもボロボロになっていたのだった。
「あ、指のところ、怪我してますよ。治してあげますね、騎士様」
二人して平野を歩いていた時、不意に言われて手を見ると、いつの間に擦りむいたのだろうか、指先に軽く血が滲んでいた。
それを考えている間もなく、横から細い両腕が伸びてきて、捕まえられたその手がぐいっと持っていかれる。
そして、そのまま少女の胸に押し付けられた。
「ああ、手を暴れさせないでください。固定してないと治療がやりづらいんですから」
呑気な声の少女。しかし、こちらはそれどころではない。
柔らかな拘束具に包まれるように捕獲されたその手から、甘い刺激が絶えず脳まで送りつけられてくる。
仄かな光を放つ治癒魔法のむず痒い感覚と相まって、意識が混濁する。
「このくらい舐めておけば治りますから! 大丈夫ですって!」
「じゃ、じゃあ私が舐めましょうか!」
「何を言ってるんですか!」
抵抗すればするだけ、その手はより深く強く取り込まれていく。それは、食いついた物を決して逃すまいと蠢く淫靡な罠。
なんとかして腕を引き抜いた頃には、俺の軟弱な理性は溶けたアイスクリームのような有様になっていたのだった。
「騎士様、汗を拭いて差し上げますね!」
もはや前置きも何も無い強引な言葉とともに、ハンカチを取り出しながらしなだれかかってくる少女。
甘酸っぱい香りが鼻から脳まで突き抜け、温かな感触に覆いかぶさられた体は石のように硬直する。
「自分で拭けますから! ちょっと、姫様!」
「ほら、汗がどんどん出てきてるじゃないですか! 大人しくしてください!」
もう訳が分からなかった。この少女が、一体何の意図があってこんな事をしてくるのか。
そして、既に俺の理性は抵抗を捨て、されるがままになっていたのだった。
流石に、ちょっとおかしくないだろうか。
純粋な優しさからの親切だというなら、それでいい。
いちいち人の欲望を煽ってくるのは困りものだが、無自覚ゆえの行動だろうし、俺が心を強く持てば済む話だ。
だが、気づいてしまったのだ。その優しさの裏に見え隠れする、必死さに。何かに急き立てられているかのような、焦りに。
だから、直接尋ねることにした。
「姫様は、どうしてそんなに優しくして下さるのですか?」
その突然の質問に、少女は驚いた様子もなく。
「私はただ、騎士様に少しでも何かをしてあげたいだけですよ」
なんでもないことのように、答えを返す。
「だって、貴方をこんな旅に巻き込んだのは、私なんですから」
懺悔をするような声色で、微笑みを顔に貼り付けたまま、少女は語り続けた。
「十年以上会っていなかった父が、突然やってきて言うんですよ。『この中から、お前の伴侶を決めろ。共に魔王を討伐しに行く伴侶を』だなんて、経歴書の束を積み上げて。私、びっくりしちゃって」
「それで……俺を?」
「はい。でも、特に何が、という理由は無かったんです。ただ、ポートレイトの貴方を見た時に、自然と心の中に、『ああ、この人にしよう』って。ああいうのを、一目惚れって言うんでしょうか」
騎士の中には、俺より剣に優れた者も、俺とは比べ物にならないほどの人格者も、女性と接することに慣れた者も、大勢いたはずだった。
どうして俺が選ばれたのか、ずっと疑問には思っていた。
「私は、聖剣の力を引き出すためだけに育てられた女。そして貴方は、そんな私の気まぐれで、巻き込まれてしまっただけの騎士様。だから、私がただの足手まといで、護衛されるだけのお姫様でいるわけにはいかないでしょう?」
そう言って、くるりと後ろを向く少女。
そして再びこちらに振り向いた時には、その顔はいつものような明るい笑顔だった。
でもその瞳は、いつも宝石のように輝いていたその瞳は、今は少し、くすんで見えた。
「そんな特別に頑張ろうとしなくても、姫様は、足手まといなんかじゃありませんよ」
「うそ」
「本当ですよ。箱入りのお姫様が、こんな歩き旅について来たり、野外や廃墟で寝泊まりしているだけでも大したものです。それに、そんな中でも変わらない姫様の笑顔が、私に元気をくれているんです」
この気持ちだけは、俺の本心だった。
長く危険な旅に引っ張り出された少女が、それでもたくましく、明るく微笑んでくれる。その事がどれだけ心に安らぎをくれただろうか。
だから、少女には無邪気に笑っていて欲しかったから。
つい、慣れない冗談など口にしてしまったのだ。
「あのクソマズい携帯食を食べてる時ですら笑顔でいられるなんて、凄いと思いますよ」
少女の瞳に映る色が、少し変わった事に気づけなかった。
「味が無いし妙にニチャニチャするし。妙に腹が膨れて保存も効くのが優秀だけど、味だけ見たらゴミですよゴミ。騎士団での評判は『食べる拷問』とか『シェフは舌を悪魔に売った』とかでしたからね。一体誰がどうやって作ってるんでしょうねあれ」
一度喋り始めると、積もりに積もった不満が噴出してくる。
同じ物を食べた者同士、通じ合える所があるんじゃないかなんて思っていた。
「あの、すみません。作ってるの、私です」
背筋が凍った。
「といいますか、神殿のみんなで作ってるんですよ。お役目の一つとして」
「……なんで、神殿がそんな事を?」
「うちの神話、そんなに知られてないんでしょうかね?」
少女曰く、かつて人々が飢餓に苦しんでいた時、聖女の切なる祈りに応え、一柱の大神が降臨した。
その大神が聖女に授けたのが『飢えを克服する法』。すなわち、あの保存性に優れ少量で満腹になる理想的な食糧にして、クソマズいパンのレシピだったという。
もしかして、神様って価値観が捻くれた奴しかいないんだろうか。
使い手に純愛を強要する愛の聖剣が、背中でガチャリと音を立てた。
「その『節制の聖餅』を配ることで多くの人々を救った聖女は、大神様のお眼鏡にかなって死後に昇神されました。その御方こそが、私達の信仰する愛の女神ピュアハート様。だから、あのパンは私達にとって、とても、とても、とても、重要で特別な食べ物なんです」
なるほど、同族か。
なんて、妙な納得を得られたのは良いが、現状は非常にマズかった。
神様由来の特別な品、その上彼女の手作り料理。それを俺はたった今、ボロクソに貶してしまったのだから。
さっきから、少女は俯いたままだ。それなのに、そこから得体の知れない力が放たれて、俺の頭蓋を揺さぶってくる。全身に冷や汗が湧いてきて、震えが止まらない。少女の方を、直視できない。
どうやったら、この場を取り繕えるだろうか。
「なんて……ごめんなさい、すこしからかっちゃいました」
その言葉とともに、あれほど息苦しかった威圧感が、嘘のように消し飛んでいった。
「実はあれ、神殿でもマズいって評判なんですよね。でも、物が物なので、大きな声では言えなくって、おかげで美味しそうなフリをするのが上手くなっちゃいました」
恐る恐る視線を向けると、そこにはいたずらっぽく笑う少女の姿。
その姿を見ていると、不思議と心が落ち着いてゆく。
「影ではみんな、『食べる荒行』だとか『節制の神様は倹約のために舌を売っぱらった』なんて言ったりしてるんですよ。人の事は言えませんよね」
「そうだったんですか……でも、やっぱり手作りを貶してしまったのは、申し訳ないです」
「いいんですよ。だって」
そして、何かを噛みしめるように息をついて。
「やっとひとつ教えてもらえましたから。騎士様の食べ物の好み」
姫様は、無邪気な笑顔を浮かべたのだった。