その剣、純愛の力で全てを断つ ~なおドスケベボディの姫様が同行する~   作:本間・O・キニー

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忍び寄る淫魔の気配

「騎士様。このあたりって、誰も住んでないんですよね?」

 

 姫様が、ぼんやりと呟いた。

 

「そのはずです。少なくとも、ここ二百年ほどは」

 

 俺もぼんやりと返事をする。

 口から出てきたその声は、自分でも驚くほどに自信なさげだった。

 

「じゃあ、あれはなんですか」

 

 呆けた顔の男女二人、揃って目の前の光景を再確認する。

 そこにそびえ立っていたのは、古い城塞だった。

 

 城塞が存在する事、それ自体は何も問題はない。

 この地域一帯は、かつて先代魔王の軍勢と人類との死闘が繰り広げられた古戦場だ。人類圏の後退とともに打ち捨てられた無人の街や砦を、これまで何度も通り過ぎてきた。

 

 だが、今回見つけた城塞には、それらの廃墟とは明らかに違う点があった。

 城塞から視線を上に移した先、夕暮れの赤く染まった空に、いくつもの白い煙が立ち上っているのだ。

 

「あれって、炊事の煙ですよね?」

 

 それは、明らかにここで生活している者達の存在を示していた。

 人類圏から遠く離れたこの地に、誰かが住んでいる。何者なのか。どういう理由で。

 その疑問は、見張り塔の上からひょっこり出てきた男の姿を見て、氷解した。

 背が低く、横幅が広く、岩のように頑健な独特の体。

 

「……ドワーフ」

 

 幽霊でも見たかのような顔をしてこちらを見下ろすドワーフの男と、はっきりと目が合った。

 

 

 

 それから、いくつかのやり取りの後に、俺たちは壁の中に招き入れられた。

 そこで俺たちが目にしたのは、城塞内に築き上げられた、一つの町だった。

 大通りに立ち並ぶ店の数々。行き交う人々。客引きの声。

 それは、祖国の繁華街と何ら変わりのない光景だった。人間の姿が見えず、ドワーフしか居ない事を除けば。

 

 そんな不思議な空間を通り過ぎ、俺たちは城塞の中央に建てられた、大きな屋敷の一室へと案内される。

 中央に巨大なテーブルが鎮座する、広い石造りの大広間。そこかしこに散りばめられた繊細な彫刻の数々が、冷たい石の色調に彩りを与えている。

 本来は会議室か何からしく、たくさんの椅子が並んでいたが、今はほとんどの席は空のまま。

 そして、テーブルの向こうには、見るからに仕立ての良い服を着た老ドワーフが座っていた。

 

「遠路はるばるよく来たのう。今晩はゆっくりと養生して行くといい」

 

 そう言って、老ドワーフは岩から彫り出されたようなゴツい顔を笑みの形に歪める。

 異種族の旅人が、こんなにもすんなりと迎え入れてもらえたのも意外だったが、頑固で排他的と評判のドワーフに、このような好々爺然とした男がいることも意外だった。

 その上、彼はこの町の長だというのだ。

 

 そんな俺の考えが、どうやら顔に出ていたらしい。

 ドワーフの町長は、陽気な声で語りかけてきた。

 

「いやなに、かつての戦友たちの子孫が、百九十三年ぶりに訪ねてきてくれたのが嬉しくてのう。しかも、何やら懐かしい剣を背負っておるし」

 

 戦友。約二百年。そして何より、この聖剣を知っているような口ぶり。

 

「あなたは、前回の魔王との戦争に?」

「ああ。あれは、ワシがまだ四十を過ぎたばかりの若造だった頃じゃな。魔王という存在は、ワシらにとっても脅威じゃったからのう」

 

 遠い過去に想いを馳せるように、懐かしそうな眼で語る老ドワーフ。

 知識として、彼らの寿命について知ってはいたものの、こうして実際に長い年月を生きた者と会話していると、そのスケールに圧倒されそうになる。

 魔王討伐の旅の途中で、先代魔王討伐に関わった生き証人に出会えたことにも、運命的なものを感じずにはいられなかった。

 

「あの、聖剣をご存知ということは、ご先祖様……私たちの建国王様とも、面識がおありなのですか?」

 

 姫様も横から話に入ってくる。

 町長は、目を細めるようにして姫様の顔を眺めると、何かを納得したように頷いた。

 

「遠目に見た程度じゃがな。かつて聖剣を振るい、魔王を討った男。後に国を建てたとは聞いておった。ああ、君には少し面影が残っておるのう。まさか王族の娘さんが、こんな所まではるばるやってくるとは」

 

 姫様と老ドワーフ、揃って感慨深げな顔をした二人は、ぼんやりと物思いにふけっているようだ。

 かつての戦士と、かつての英雄の子孫。何か感じる所があるのだろう。

 特に何の因縁も無い俺は、微妙な疎外感を味わっていた。

 

 その時、広間に一人の女が入ってくる。

 

「宴席の準備が整ったわ。お父さん」

 

 老ドワーフを「お父さん」と呼んだその女性は、しかし全くドワーフには見えなかった。

 長身で、均整の取れた体つき。緩く纏めた金色の長髪。陶磁器のように滑らかに整った顔。その容姿は明らかに、人間のそれだ。

 

「彼女は……そう、数年前に拾った子なんじゃ。どうやら記憶喪失らしく、町の外を彷徨い歩いておってな。今はワシの養子として、ここに住んでおるのじゃ」

 

 人類圏から遠く離れたこの地で、記憶喪失の放浪者。

 何か、複雑な事情でもあるのだろうか。

 

「まあ、そんな事より、宴じゃ! 新たな魔王の討伐という重大な使命を果たすためにも、今宵は存分に楽しんで英気を養ってくだされ」

 

 どうやらいつの間にか、宴会が開かれる事になっていたらしい。

 あまりにも熱烈な歓迎。トントン拍子で進んでいく話に困惑はするものの、このおもてなしは素直に嬉しかった。

 

 以前、姫様の魚捕りの提案を拒否したりもしたが、やはりパンしか口にできないというのは地味にストレスだ。

 ドワーフの宴会料理。ずっと食べていなかった肉、魚、野菜。想像するだけで、胃袋がはしゃぎ始める。

 

「騎士様、宴ですって! どんな料理が出るんでしょうね!」

「楽しみですね! 姫様!」

 

 姫様が興奮を隠せていない。きっと、姫様から見たら、俺もそんな様子なんだろう。

 二人、視線を合わせて頷き合う。

 やはり、同じ物を一緒に食べる事は、絆を深めてくれるのだと実感できた。

 

 ドワーフの町長も、優しい目をしながら頷いている。

 

「ワシらには特別な宴会の時だけ食べる、特別な料理があってな。もしかすると、そちらの国ではもう、伝わっていないかもしれんが」

 

 そのとき、期待と興奮で埋まっていた脳内に、一抹の不安がよぎった。

 そして、それはあまりにも遅すぎた。

 

 各々ジョッキを手にしたドワーフの男の群れが、一斉に広間へと入ってくる。

 彼らに続くのは、数人がかりで運ばれる巨大なお盆。そして、その上に溢れんばかりに積み上げられた、うんざりするほどに見覚えのある、小ぶりのパン。

 

「これがかつて神様から授かったという神聖なる食物。その名も『節制神の聖餅』じゃ!」

 

 町長は、自信満々の声で叫んだ。

 

 

 

 ドワーフ式宴会コースメニュー。

 食前酒、ジョッキいっぱいの酒。

 前菜、例のパン。

 メインディッシュその1、酒。

 メインディッシュその2、酒。

 デザート、酒。

 

 要はさっさと腹を満たして、後は浴びるように酒を飲む。

 そんなものに最後まで付き合ってられないので、俺と姫様は、早々に抜け出して宿へと落ち着いていた。

 どうせ、全員酔っ払っていて気づかないだろう。

 

 今回は二人、別室だった。姫様は少し不満そうだったが、こちらとしてはありがたい。

 もう随分と久しぶりな気がする、独りの時間。以前はこちらの方が日常だったはずなのに、最近はいつも傍らに賑やかな声があった。

 

 床に投げ出していた聖剣を拾い上げ、鞘からゆっくりと引き抜く。

 灯りを消した室内の薄暗闇の中、仄かに光る刀身が、ぼうっと浮かび上がっていた。

 

 道中いくつも見てきた廃墟。町長の言葉。

 旅立つ前は別世界のもののように思えていた魔王という存在が、具体的な痕跡や証人によって、だんだんとその強大さを実感できるようになってきている。

 そして、魔王を打ち倒すためには、この聖剣の力を十二分に引き出すしかない。

 

「けっこう、仲は深まったと思うんだけどな」

 

 つい、独り言が溢れる。

 旅立つ前よりは着実に愛が深まっているはずなのに、聖剣は依然として重たいまま。

 それはつまり、俺の中の欲望が邪魔をしているのだろう。

 

 大きくため息を一つ。聖剣をしまい、そろそろベッドに入ろうかと思った時だった。

 コンコン、と軽いノックの音がした。

 苦笑しながら立ち上がり、ドアへと向かう。また、聖剣が少し重たくなりそうだと予感をしながら。

 

 しかし、ドアの向こうにいたのは、予想とは違う人物だった。

 金髪を靡かせ、質素なドレスに身を包んだ女。先程見かけたあの、町長の娘という女だった。

 

「こんばんは、旅の騎士様。よければ、旅のお話を聞かせてもらえないかしら?」

 

 

 

「つまり姫様は無自覚にドスケベな動きをしすぎなんですよ! なんなんですかあれ! なんでお湯を沸かすだけで俺の理性が削られる事態になるんですか!」

「そ、そう……大変ね」

 

 最初は、無難に道中見たものや魔物との戦いの話をしていたはずだった。

 だが、話が聖剣のことに移ると、後は止まらなかった。

 満月の綺麗な夜。寝静まった静かな街並みを一望できる、城壁の上の特等席。そこに、俺の怒声がこだまする。

 なんだか目の前の女性の顔にも疲れが浮かんできているが、俺にそんな事を気にする余裕はない。

 

「このふざけた聖剣のせいで、毎日毎日ジレンマに襲われて。いっそ捨ててやりたいくらいなのに、これが無いと魔王は倒せないなんて言われて」

「ええっと……そういうことも、あるわよね……?」

「こんな悩み、姫様に言ってドン引きされたらと思うと、もうどうしたらいいか。あなただけですよ、こんな事話せたのは」

「まあ、役に立てたなら、嬉しいけど……」

 

 実際、普段ならこんな悩みを誰にも打ち明ける事はなかっただろう。

 先程の宴会で少々酔っていたとしても、旅先で出会った後腐れのない人が相手でも。

 それを話せたのは、この人の持つ不思議な包容力のおかげだ。人の心の後ろ暗い部分を全て包み込み、受け入れてくれるような、そんな雰囲気。

 

「大丈夫。元気だして。あなたの悩みも、きっとすぐにどうでもよくなっちゃうから」

「本当に、そうなりますかね?」

「ええ、本当よ。だってね」

 

 そして女は、その笑顔のままで。

 

「あなたの旅は、魔王様に辿り着くことなく、ここで終わるんだもの」

 

 気づけば、女の姿が変貌していた。

 印象的だった髪の金色は、魔性を示す紫へと。質素で地味な衣服から、胸と腰だけを覆う大胆な衣装へと。

 そして、背中には大きなコウモリのような翼。腰の後ろからは特徴的な尻尾。

 数々の伝説にその名を残す、英雄を誑かし精気を啜る高位の魔物。その姿はまさしく、淫魔。

 

「先代の魔王を滅ぼした聖剣の新しい使い手。どんな男かと思ったら、まさかこんなウブな坊やだったなんてね」

「淫魔、だと。こんな所で、何をしていた!」

「もうちょっとあなた達が来るのが遅かったら、この町のオトコみんな操っちゃって、あなたを捕まえさせようと思ってたんだけどね。まあ、必要無かったみたいだけど?」

 

 淫靡に微笑む淫魔。その二つの瞳が、爛々と怪しい魔力の輝きを放っている。

 

「淫魔の持つ魅了能力。あなたみたいな欲求不満の男の子には良く効くわ。魔王様は聖剣との直接対決を望んでいらしたようだけど、どうやら叶いそうにないわね」

 

 余裕綽々で語りながら、淫魔は飛び上がり、俺の正面に降り立つ。

 そして、そのほとんど裸同然となった身体を、さらけ出し、見せつけてくる。

 

「さあ、この身体を見て、欲望に素直になりなさい。アタシと一緒に来て。そうしたら、ご褒美をあげるわ……」

 

 その隙だらけの身体を、正面からたたっ斬った。

 ギャアアアアアアアアアアと、さっきまでの妖艶さが嘘のような悲鳴を上げる淫魔。

 

「なんで! アタシの魅了を受けてオチなかったオトコなんていないのに!」

「すまんな、魅了とかぜんぜん効かなかった」

「そん、な……」

 

 淫魔は、聖剣の光に包まれて消え去った。

 

 正直、危なかった。

 勢いで余裕ぶった台詞を吐いてみたものの、魅了能力を抵抗できていなかったら一発で全てが終わっていた所だったのだ。

 毎朝欠かさず行っている素振りの成果か、それとも毎晩の瞑想のおかげか。知らず識らずのうちに、俺の精神の抵抗力はだいぶ上がっていたようだ。

 

 この調子で鍛錬を続けていけば、いずれ聖剣も使いこなせるかもしれない。

 姫様の前でも、平静でいられる時が来るかもしれない。

 それは、この何もかもが奇妙な旅の中で、初めて感じた確かな手応えであった。

 

「そうだ、姫様っ!」

 

 今ここにはいない少女。その様子が、やけに気になってくる。

 淫魔は滅ぼしたが、奴に魅了された手駒がどれだけいたかは分からない。その魅了が、いつ解けるかも分からない。

 もし、俺を呼び出す一方で、姫様の方にも何かを仕掛けていたら。

 そう思うと、目の前が真っ白になりそうだった。

 

 思った次の瞬間には、走り出していた。夜の街並みを通り抜け、まっすぐに、宿へと駆ける。

 その時、手の中の聖剣から、奇妙な感覚が伝わってくる。まるで、どこかへ引っ張って導くような。

 

「この方向に、姫様がいるのか……?」

 

 確証は無い。理由も分からない。

 でも、確かに、姫様はそこにいる。そう心が確信していた。

 宿屋に飛び込み、部屋のある二階ではなく、一階の奥へと。廊下の突き当たり、ドアの向こうへ。

 

 そこに、全裸の姫様がいた。

 

 その呆れるほどに大きい胸と、デカい尻と、ムチムチのふとももと、とにかく全てが、隠されることなく目の前にあった。

 

「騎士様、ここ女湯ですよ?」

 

 裸体を見られているというのに、いつもと全く変わらぬ様子で声をかけてくる姫様。

 その声で、止まっていた時が、俺の意識が動き出す。

 

 握りしめたままだった聖剣が、急激に重量を増す。その手に引っ張られるように横へぶっ倒れ、そのまま床と口づけを交わした。

 おい、今回はお前のせいもあるんじゃないか。クソ聖剣。

 そんな俺の不平を聞くつもりは無いと言うように、聖剣は光を無くして転がっていた。

 

 今日、一つ分かったことがある。

 姫様の身体は、淫魔なんかよりずっと凄かった。


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