その剣、純愛の力で全てを断つ ~なおドスケベボディの姫様が同行する~   作:本間・O・キニー

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壊れる時

 きっかけが何だったのかは、よく分からない。

 それはきっと、ほんの些細なことだったんだろう。

 姫様の肌の艶がいつもより綺麗だったとか、髪に少し寝癖が残っていたとか、その程度のこと。

 

 俺は、姫様を押し倒していた。

 

 もうどうなってもいい。

 あの下らない聖剣には、うんざりだ。

 純愛なんて、くそくらえだ。

 頭の中を、数々の言葉が駆け巡った。

 

 散々お預けされてきた身体が、その全てが、俺の両腕の間にある。

 耳に響く荒い吐息は俺のものか、それとも姫様のものか。

 毎日のように抱きつかれて嗅ぎ慣れたはずの匂いも、今は一際甘く脳髄に染み込んでくる。

 乱れた服の端から覗く、新雪のように真っ白な肌。そこに俺の痕跡を刻み込むには、あとほんの少し、距離を縮めるだけ。

 

 最後の一歩を踏み出そうとした、その時。

 何かが、肩を押し返すのを感じた。

 

 弱々しい力。ほんの少しの、形ばかりの抵抗。

 獣欲に身を任せた男を前にして、あまりにも儚い力。

 それなのに、その手を押しのけることが、どうしてもできない。

 それは、この少女が初めて見せた、確かな拒絶の意思だった。

 

 そして俺は逃げ出した。

 姫様も、使命も、聖剣も、何もかも投げ出して。

 

 

 

 空が、綺麗だった。

 雲ひとつ無い晴天から燦々と太陽の光が降り注ぐ。異形の鳥たちが編隊を組み、高い空を滑っている。

 憎々しいくらいに、良い日和だった。

 

 大の字になって寝そべりながら、空を見上げる。

 近頃は寝ても覚めても心休まる時が無かった。少しくらい、のんびりしていても良い気がしていた。

 己の手で傷つけた少女を、置き去りにしたままでも。

 仕方ないじゃないか。だって、あんな事をしてしまった後で、どんな顔で向き合えばいいか分からないんだから。

 

 しかし、会ったこともないがきっと偏屈に決まっている運命の神様は、そんな俺の逃避を許してはくれないようだった。

 

「随分と元気そうですね、暴行魔が。わたしに、あんなことをしておいて」

 

 声が聞こえる。俺を糾弾する声が。

 のろのろと起き上がり、声の方へと顔を向けると、嫌悪を露わにした女が立っている。

 こちらをまっすぐ睨みつけてくる、冷たく輝きの無い瞳。それを見て、俺は。

 

「造形が甘い。姫様はそんな顔してない。声も全く似てない。出来損ないだ」

「これは、手厳しいですねえ。急造にしては、そこそこ自信作だったのですが」

 

 姫様に似せた形をした、何か。

 それが演技を止め、邪悪に唇を歪める。

 

 キラリと、それの周囲で何かが光った。

 目を凝らして見れば、それの四肢のあちこちには細い糸が付けられていて、どれもが上へと伸びている。

 その先に浮かんでいたのは、巨大な手。紫色のそれが指を蠢かせるのに合わせ、姫様の醜悪な似姿がカクカクと四肢を動かし、仮面を変えるように表情を切り替えていた。

 見たことも、聞いたこともない異形。

 だが、それが魔物であることに疑いは無かった。

 

「すみませんねえ。遠い国からはるばるいらっしゃった聖剣の使い手を、出迎えようと来てみれば、まさかあんな面白いシーンが見られるとは思わなかったもので。つい少々遊んでしまいました」

「悪趣味な奴だ。そのまま襲ってくれば手っ取り早かっただろうに」

「残念ながら、我らが神は無駄な殺生が嫌いなお方なのですよ。特に美しい女性などは大切にせよとの教えで」

 

 どうせ、その神とやらもロクな奴じゃないんだろうな。

 なにせ神なんだから。

 

「聖剣を持たぬ貴方を無力化した後で、お姫様と二人一組の生き人形にして差し上げましょう。仲睦まじい恋人同士、ずっと一緒にいられるなんて、素晴らしいとは思いませんか?」

 

 その言葉を合図に、戦いが始まった。

 

 

 

 まず先手を打ってきたのは人形だった。人形らしく小細工も無く、真っ直ぐに飛びかかってくる。

 その顔面に鉄拳を叩き込み、さらに胴を蹴り飛ばす。

 久しぶりに聖剣の重量から解放された体は、実に軽快に動いてくれていた。

 

 そこに、上空から手の本体が強襲してくる。

 見た目からは想像もできない猛スピードの、叩きつけるような突進。あまりの勢いに操り糸が外れ、人形が力無く地面に崩れ落ちる。

 それを軽く横ステップで躱してから、隙だらけの手の甲の部分を踏み抜き、打撃を叩き込む。

 

 瞬間、膨れ上がった嫌な予感から逃げるように、その場を飛び退いた。

 見れば倒れていたはずの人形が、先程まで俺の居た空間を、両腕を広げて通り過ぎていく。

 

「おや、これも避けられてしまいましたか。単純なようで、案外引っかかる人が多いんですけどねえ」

「あいにく、俺は死角から抱きついてくる女に対する護身術の熟練者なんでな」

 

 本物相手には、一度も成功したことが無かったけれど。

 

「剣もまともに振るえない、聖剣頼りの未熟な騎士だとばかり思っていたのですがね。少々認識を改める必要がありますかねえ」

 

 倒れ込んでいた人形が、また起き上がった。

 本体も人形も、こちらの打撃に堪えた様子はまるでない。

 上空から牽制してくる手へと意識を割かされている間に、人形がじりじり距離を詰めてくる。

 

 姫様の雑な模造品。それでも、その姿が傷つき、倒れ、土まみれになってなお動かされ続ける光景に、耐え難い嫌悪感がこみ上げてくる。

 その姿はきっと、姫様自身の未来だ。

 俺が捨ててしまった、姫様の辿る姿だ。

 

 どうして俺は、こんな所にいるんだろう。姫様の傍にいないんだろう。

 気まずさだとか、罪悪感だとか、ケチな自尊心だとか、聖剣への不安だとか。

 そんなもの、姫様の無事に比べたら、取るに足らないものだというのに。

 

 だからこそ、俺は戻らなければならない。愛する人がいて、その人を守るための力が残された場所へ。

 聖剣に拒絶されるかもしれない。本物の姫様にも糾弾されるかもしれない。もう、姫様はどこかへ行ってしまったかもしれない。

 

 それでも、姫様を守るために。自らの手で傷つけ、置き去りにしてしまった愛する人を。今度こそ。

 たとえ、許されなくとも。

 

 そうして俺は敵に背を向け、脇目も振らず走り出した。

 

 

 

 そこには、焚き火の跡と、一人分の荷物と、聖剣だけが残されていた。

 黙って歩み寄り、聖剣に手を伸ばす。

 しかし、触れる寸前で、その手が止まった。

 

「いやあ私、足が遅いもので。ちょっと焦りましたよお。どうしたんですかあ? 聖剣、拾わないんですかあ?」

 

 追いついてきた魔物が、何かを察してか、嘲笑の声を上げる。

 口も顔も無いバケモノだけれど、どんな表情をしているかは、人形が教えてくれていた。

 

 既に選択肢は一つしか残されていない。

 今の俺がまだ、聖剣を振るえること。その可能性に、賭けるしかない。

 硬直したまま動かない手に、力を込めようとする。

 

「ああ、よかった! 騎士様、帰ってきてくれたんですね」

 

 そこに、緊迫した空気をぶち壊すような、底抜けに明るい声が響き渡った。

 

「騎士様、聖剣も持たずに行っちゃって、何かあったらどうしようって心配だったんですよ?」

 

 まるで、何も起きなかったというかのように。

 ちょっと散歩に行った人間を出迎えるかのように。

 人を責めるという感情を持たないかのように。

 

「姫様、俺は姫様を襲ったんですよ。抵抗する力の無い女性を相手に、己の欲望を満たそうとした最低の人間なんですよ。どうしてそんな風に平然としていられるんですか」

「え、だって、嫌じゃありませんでしたし」

 

 一刀両断。

 俺の葛藤を、苦悩を、ビリビリに切り裂いて丸めてゴミ箱に放り込む。

 

「本当は抵抗するつもり無かったんですけど、ほら、聖剣たぶん使えなくなっちゃいますし。まあ別にそれは良いんですけど、騎士様はきっとすごく後悔するんだろうなって思ったら、つい」

 

 挙句の果てに、あれほど拘っていた、生きる意味のように言っていた聖剣を「それは良いんですけど」で済まされた。

 その、怖いほどの優しさが、疲れてささくれた心に染み入ってくる。

 

「さあ、騎士様。敵を前にして申し訳ないんですけど、ちょっとこちらを見てもらえませんか?」

「また、襲うかもしれませんよ」

「嫌じゃないって言ってるじゃないですか。それに、大丈夫ですよ。あなたはちゃんと、聖剣にも認められる、立派な騎士様ですよ」

 

 ずっと振り向けずにいた俺の顔に、見えない暖かな両の手が添えられたような気がして、首がゆっくりと回っていく。姫様の声のする方へと。

 そこに、立っていたのは。

 

 美少女 in ズタ袋。

 

 他に、その姿を形容する言葉が見つからなかった。

 その顔は確かに愛する姫様の美しい顔。だが身に纏ったその服は、いつもの妙にサイズの合っていない白装束ではなく、謎の布の塊としか言いようがない物体だった。

 

 地味を通り越して貧乏臭さの漂う雑な色合いの分厚い布。それが姫様の全身を覆い尽くしている。

 ずっと俺を悩ませ続けてきた胸、尻、ふともも、どれも布の洪水に埋もれて、気配すら感じ取れない。

 ああ、ようやく彼女の言葉の意味が分かった気がする。

 

「これはですね、愛の女神様が考案されたという、清貧と純愛を貫くための神聖なる衣装なんです。凄いんですよこれ、こんな見た目なのに夏でも涼しくて、動きやすくて」

 

 また、神製品か。

 

「そして最大の効能は、着るだけでどんな女性でも性的魅力を無くしてしまい、貞淑さを守ることができる画期的なデザイン! まあ神殿ではダサすぎて女性陣から蛇蝎のごとく嫌われてましたし、あだ名は『着る荒行』とか『神器避妊具』とかだったんですけど」

 

 姫様のセールストークを聞いていると、俺の小さな悩みなど全部どうでもよくなってくる。

 おまけに、すっかり緊張の取れた手が、いつの間にか聖剣に触れていて。

 そこからは目がくらむほどの激しい光が放たれていた。

 

「あの、こんなので認められるって、納得いかないんですけど」

「まあまあ。それに騎士様なら、私のこんな小細工が無かったとしても、きっと聖剣に認められていただろうって信じてますよ?」

「そうだったら良いんですけどね……」

 

 すっかり気の抜けた空気の中、ふと視線を戻すと、光に阻まれ近づくことすらできずにいる、手と人形がいた。

 無造作に手を上げると、これまでの苦労が嘘のような軽さで持ち上がる聖剣。

 すっと降ろすと、傀儡師と傀儡は揃って両断され、光になって消えていった。

 あまりにもあっけない、終わりだった。

 

「姫様。魔王を倒して、二人いっしょに国に帰って、聖剣がもう必要無くなったら、その時に、伝えたい言葉があります」

「……はい。その時が来たら」

 

 旅の終わりは、近い。


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