自分以外誰もいない状態でジャングルに投げ出され、異世界の無人島で28年もたった一人で暮らし、最後には奇跡的に冒険者たちに助けられた中身が日本出身の爺な竜娘の生涯と不思議で驚きに満ちた冒険についての記述   作:野良野兎

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中身重い分これぐらい軽い方がいいかなと(サブタイ)


最悪の災厄

 翌朝。まだ空も白み始めたばかりの頃。

 私は、かつてないほどの痛みと共に目を覚ました。

 激痛である。

 まるで、腹の内側を引き裂かれるかのような痛みであった。

 思い当たる節は様々ある。昨日食べた蟹か、貝か、あるいは島での生活を始めた頃に飲んでいた生水が今になって悪さを始めたのか。

 何はともあれ、尋常な痛みではない。

 さらにそれは強烈な眩暈と吐き気を伴って、朝から私は腹の中の物を全てぶちまける羽目になった。

 止まらない嘔吐と下痢。

 典型的な食中毒の症状であった。

 

「これは、不味い、なあ」

 

 不味い、どころの話ではない。

 幸い、僅かながら食料に蓄えはある。獲ってきた貝を干したものと、多めに拾ってきたグアバの実を少しずつ貯め込んでいたのだ。

 水もまあ、土器で煮沸するぐらいの無理ならば、何とか押し通せるだろう。

 だが、火はまずい。非常にまずい。

 夜中にも細かく薪をくべて絶やさないようにはしていたが、万が一火が消えてしまうようなことがあれば、もう一度火おこしからやり通すほどの体力はない。

 身体が重い。まるで四肢が鉛にでもなったようだ。

 しかし体力を失い、これ以上体調が悪化することは防がなければならない。

 私は聞きかじっただけの知識を総動員させ、脱水症状だけは避けるべきだとまず煮沸消毒した飲み水を無理矢理に流し込み、寝床でひたすらに丸くなった。

 無論、痛みで眠ることなどできず、ただただ身体中を苛む激痛に耐える為に尻尾を抱え、歯を食いしばり、それでも堪えられなくなって、まるで赤子のように泣き叫んだ。

 地獄だった。

 この島に病院などあろうはずもなく、薬も無ければ医者もいない。

 薬草があれば何としても欲しいが、探しに行く体力、気力が残っている訳もなく。

 ただただ、耐え忍ぶしかない。

 この時ばかりは、死んだ方が、一度死んだこのくそじじいでさえ、死んでしまった方が楽なのではと思うほどの生き地獄。

 水を飲んでは、吐き。

 少しだけでもとグアバの実を齧っては、また吐き。

 薪をくべに寝床から這い出してはのたうち回り。

 腹を抱えて泣きわめき。

 ようやく、口からも尻からも何も出なくなった頃。

 日が天辺を超えて、空が赤く染まり始めた頃。

 未だじんじんと痛みを抱える腹を撫でながら、私はようやく歩ける程度にまで回復した身体を引きずり、薪やら木の実やらを集め始めていた。

 腹も頭も痛い。倦怠感はいつまでたっても身体中に纏わりついたままであるし、関節は油の切れた機械のように軋み、ぎこちない。

 つんとした匂いが口内に残っているせいで、鼻もまともに利いていないように思う。

 正直、寝床で横になっていたい。だがそんな呑気なことをしていれば、私はあっさりと死んでしまうだろう。

 それがわかっているからこそ、動く。

 今日の命を切り詰めて、明日の命を繋ぐ。

 辛い。

 今にも身体がばらばらになってしまいそうだ。

 だが幸いなことに、無理を押し通して得たのは何も苦痛ばかりではなかった。

 

「これは、ドクダミ、だろうか。ああ、なんとありがたい」

 

 それはまさに、地獄に仏であった。

 腹を抱え、俯きながら歩き回っていたのが吉と出たのか、森の中で見つけたのは日本でも良く目にした薬草によく似た植物。

 ハート形の葉に、くっきりと浮かぶ葉脈。

 似ているだけで実は全く別の植物なのかもしれないが、一日中のたうち回った私にとって、そんなものは些細なことであった。

 ドクダミは古くから生薬としても利用され、十薬(じゅうやく)などと呼ばれるほど様々な効能をもっている。

 食せば高血圧、動脈硬化の予防、食あたりや下痢に効き、塗れば湿疹やかぶれなどに対する薬として利用できる。

 つまり、これを食らえば少しは苦痛を和らげることができるかもしれない。

 私はそんな浅はかとも思える短絡的な思考で、見つけたばかりのドクダミの葉をむしり取り、無我夢中で食んだ。それが無害である保証など、どこにもないというのに。

 藁にも縋る、とはまさしくこのような心境なのであろう。

 鼻に抜ける独特の香りを感じながら、私は人心地が付いた気分であった。

 心なしか、腹の痛みも和らいだような気がする。

 しかし、弱り目に祟り目、という言葉があるように、人生不思議なことに悪いことは往々にして重なるものである。

 匂いが強いドクダミを、これでもかと頬張ったのも良くなかった。

 元より馬鹿になっていた鼻が、これでもう完全に役立たずになってしまっていたのだ。

 それがなければ、私はその異常を感じ取り、難を逃れていたかもしれない。

 あるいは、その後訪れる苦難が、いくらかはましになっていたのかもしれない。

 しかし、弱り切って気も滅入っていた私は、あまりにも無防備であった。そう、己のすぐ傍までやってきていたその気配にまるで気が付かないほどに。

 それは、私が腹を撫でながら木陰に座り込もうとした直後の事であった。

 枝を踏み折り、草むらを薙ぎ払いながら迫りくる何かの気配。

 ぞくりと背筋が震え、半ば反射的に翼を畳み、尾で己の脇腹を庇った。

 刹那、私の身体を衝撃が突き抜ける。

 生半可ではない。まるでトラックにでも撥ねられたのかと錯覚するような衝撃であった。

 翼と尾で二重に防御したというのに身体中の骨は軋み、ぶちぶちと何かが千切れるような嫌な音がした。

 

「か、はっ」

 

 驚くべき速度で、森の景色が横に流れる。

 何本か、木がへし折れる音。

 跳ねる。折れた枝先や石で身体中に傷をつけながら、二度、三度地面を跳ねる。

 ぐるりぐるりと、景色が回る。

 回って、回って、回って。

 背中と後頭部に強い衝撃が走ったところで、ようやく止まった。

 どうやら、かなりの大木と激突したようだ。

 頭の中は、大混乱である。

 しかし、歪む視界の中で、それでも必死に頭を回す。

 何が起こった。

 殴られた。

 否、ぶつかられた。

 何に?

 痛い。

 翼は、どうか。

 左が折れている。

 皮膜に裂傷。

 尻尾は。

 真ん中あたりが大きく陥没。鱗も何枚か剝がれた。

 左腕。

 動く、が、芯からくる痛み。骨折の可能性。

 脇腹。

 痛みはあるが打ち身程度の怪我。

 獣?

 猪?

 襲われたのか?

 意識がはっきりしない。

 咳込む。

 血を吐いた。

 かなりの距離吹き飛ばされた。

 正面を見る。

 何本も木がへし折れ、獣道に似た痕跡がずっと奥まで続いている。

 その先に、いた。

 土色の、岩?

 違う。

 足がある。蹄も見える。

 猪?

 あれが?

 馬鹿な。あんな猪がいるものか。

 体高だけでも二メートル近い。

 全長はいくらだ。

 四メートルは超えていそうだ。

 体に比べ、小さな頭。

 反り返りながら伸びる、二本の牙。

 かなり太く、大きい。私の身体ぐらいはありそうだ。

 あれに貫かれなかっただけ、ましか。

 立派なたてがみが生えている。

 眉間から尻まで、まっすぐに。

 何をしている。

 私が座ろうとした、木の根元を掘っている。

 根を齧っているのか?

 まずい。

 目が合った。

 真っ黒な、不気味なほど真っ黒な目。

 吠えた。咆えた。

 口元から濁った(あぶく)と泥を吐きながら、虎のような雄叫びをあげる。

 まずい。まずい。

 蹄で地面を掘る動作。

 わかりやすい、突進の前兆。

 まずいまずいまずい。

 本能が最大音量で警鐘を鳴らす。

 震える身体に鞭打って、痛みをこらえ、歯を食いしばって立ち上がった。

 巨体が爆発的な加速を以て、まるで大砲から打ち出された砲弾の如く迫る。

 転がるように、身を投げ出した。

 轟音。

 まるで嵐の日のような、暴力的な風の音がすぐ背後を走った。

 先ほどまで背を預けていた大木が、めきめきと音を立てて倒れる。

 馬鹿げた威力だ。

 車がぶつかってもああはなるまい。

 よくもまあ、私は無事だったものだ。

 頑丈な身体でよかったと、呑気にもそんなことを考える。

 怪物が振り向く。

 不気味な目で、こちらを睨みつける。

 本能的に、足元に転がっていた枝を握っていた。

 馬鹿馬鹿しいと、自分でもそう思う。

 こんな化物を相手に、小枝一本でどうなるというのか。

 いわゆる錯乱状態だったのだろうと、思う。

 巨大な牙が迫る。

 薙ぎ払われた。

 よりにもよって、先程と同じ左の脇腹を強かに打ち据えらえる。

 防御した左腕の骨が軋む。

 だが、ここでまた吹き飛ばされる訳にはいかない。

 距離が開けば、またあの突進が来る。

 そうなれば、次はもう、避けきれない。

 おぼろげな意識の中で、それは確信に近い直感であった。

 だからこそ、私は左腕にぶつかってきたその逞しい牙に力いっぱいしがみついた。

 化物が暴れる。

 咆える。咆える。

 身体が、まるで布切れのように左右に振り回される。

 しかし、身体中を化物の涎と泥で汚しながらも、私は決して組み付いた腕を解きはしない。

 激しい動きに、意識が明滅する。

 限界が近い。

 また、目が合った。

 化物の左目。

 まるで感情を感じられない、夜の海を見るような、不安感を煽られる目。

 手にした枝を、ぎゅっと握る。

 振り上げる。

 だが、片手ではもう、化物の牙には捕まっていられない。

 振り解かれる。吹き飛ばされる。

 だが、その前に。

 振り上げた枝を、化物の左目に突き立てた。

 身の毛がよだつような、化物の叫び声が響く。

 浮遊感。

 直後、身体中を衝撃が襲った。

 もう身体のどこをぶつけているのかすら、わからない。

 身体の感覚が、輪郭がぼやけている。

 瞼が、重い。

 意識が、沈む。

 ゆっくり、ゆっくりと暗くなる景色の中で、私が最後に見たもの。

 それはのたうち回り、辺りの木々をなぎ倒す化物の姿であった。

 ふ、ははは。

 

「ざまあ、みろ」

 

 そうして、私の意識は

 深い深い

 闇の中に

 沈んでいった――

 

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