自分以外誰もいない状態でジャングルに投げ出され、異世界の無人島で28年もたった一人で暮らし、最後には奇跡的に冒険者たちに助けられた中身が日本出身の爺な竜娘の生涯と不思議で驚きに満ちた冒険についての記述   作:野良野兎

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動物の解体描写、グロテスクな表現が含まれます。
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にわか知識にて恐縮ではございますが、都度ご指摘いただけますと幸いです。
宜しくお願い致します。




解体

 

 清々しい気分だった。

 力が漲る。

 煮えたぎるほど熱い血潮が身体中を駆け巡り、指先まで余すところなく満ち満ちていく。

 煙が、蒸気が立ち昇るほどの熱量を感じながら、私の心を満たすのはこの上ない充足感であった。

 口元は血で塗れ、足元には無残にも食い散らかされた大猪の残骸が横たわっている。

 むせ返るような血の匂いに包まれながら、私はまた、鷲掴みにした拳ほどの大きさの心臓に喰らいつく。

 濃厚な血の味わい。力強く押し返してくる歯ごたえ。嚙み締めれば滲み出る油の甘さ。

 嗚呼、なんと甘美な、芳醇な肉であろうか。

 貝や魚、果実では味わえない力強さ。

 食物連鎖の上位者として君臨し続け、濃縮され続けた瑞々しい生命力の味。

 嗚呼、漲る。染み込んでいく。

 育まれていく。身体が、命が。

 

「熱い、熱い。だが、良い、心地良い……っ」

 

 身じろぐ。

 火照った肢体に汗が流れる。 

 蛇が這いまわるかのような、その這いまわるような感触すら今は心地良い。

 まるで全身の神経が剥き出しになったよう。ほんの少しの風の流れ、香りすら肌で感じ取れるのではと思うほどの感覚。

 満ちる。満ちて、巡って、膨れていく。

 それはまるで、皮袋に水を灌ぐように。

 あるいは果実が熟し、その身に甘露を貯め込むように。

 熟れていく。熟していく。

 そして、そして、熟した果実はやがてその身を弾かせる。

 瑞々しい甘露を滴らせながら、熟しきったと鳥や虫たちに知らせる為に。

 そして、そして、私もまた熟す。

 古い外皮を引き裂いて、旧き殻を打ち砕き。

 私は、私は、私は……。

 私、は……。

 ……。

 気が付けば、私は晴れ渡る青空をじっと見つめていた。

 はて、私はいったい何をしていたのだろうか。

 あの化け物と共に落とし穴へ転がり落ちたところまでは覚えているのだが、そこから先の記憶が随分と曖昧である。

 何やら一心不乱に鱗の刃を振り下ろしていた覚えはあるので、恐らくは仕留めたのだろう、とは思う。

 しかし、そこから私はいったい何をしていたのか。

 

「げほ、げほ。うぐ、なんだこれは、血か?」

 

 口の中に広がる、えずきそうなほどの血の匂い。

 すわ吐血かと内心ひやりとするが、どうやら自分のものではないようだ。

 周りを見やれば、そこには見るに堪えない、悍ましい光景が広がっていた。

 それを一言で表すならば、血の海である。

 あっと、私は声を上げた。

 今の今まで、己が何の上に座り込んでいるのか、まったく理解していなかったのだ。

 それほどまでの、地面だと錯覚するほどの巨体。

 すでに息絶えた化け物の腹の上で、私は呆けていたのである。

 そこからは、一息の間に様々なことを確かめていった。

 日の傾き具合から、どれぐらいの時間が経過しているのか。

 化け物の毛皮、肉の状態。

 特に私自身の身体に異常がないかどうかは、入念に確認を行った。

 その結果、私の肉体に尋常ではない変化が起こっていることが分かった。

 まず、怪我が完治していた。

 全て。

 化け物の牙で抉り取られた腹も、吹き飛ばされた時にできた細かな裂傷、掠り傷も、ひとつ残らず完全に、綺麗さっぱりなくなっていた。

 むしろ、以前よりいっそう健康体ですらある。

 そしてもう一つの大きな変化。

 身体が、大きくなっていた。

 いや、成長していた、というべきか。

 以前までの肉体はよくて十代半ば、下手をすれば十を超えたばかりの未成熟さであったが、今はそれよりも二、三ほどは年を重ねているように見える。

 あまり性差を感じなかった胸も僅かに膨らみ始めているし、肩や腰、尻も少し丸くなった。

 背丈も、はっきりとはしないが多少は伸びているのだろう。以前と比べ、明らかに視点が高くなっていた。

 肉体が成長したから傷が治ったのか、あるいは怪我も完治し、肉体を急成長させるほどの効果を持つ何かを食ったのか。

 ちらりと、足元を見やる。

 化け物の肉はその四分の一ほど、内臓がいくつかと前脚一本、そして肩と首の肉がまるっと食われていた。

 状況的に見て、認めたくはないが、私が喰らったのだろう。

 口に残った血の味、腹を満たす幸福感。

 この小さな腹に、少なく見積もっても数百キロはあるだろう生肉が詰め込まれているとは思いたくないが、残念ながらそれ以外考えられない。

 つまり、腹いっぱい肉を食ったから腹の傷も満たされたし、精がつくものを食ったから、身体もすくすくと成長して大きくなった、と。

 そんな馬鹿な。

 ないさ、いくら何でも、そんな馬鹿げた話はない。

 ならば今まで食ってきた果実や貝の分まで育っていなければ、おかしいではないか。

 四分の一で幼子から少女に変わるのならば、残り四分の三を食らえば、私は老婆になるのか。

 ない、この摩訶不思議な島であっても、それはない。

 苦笑いを浮かべ、頭を振って無駄な考えを拭い去る。

 ともかく、怪我が完治したというのならば、まずは解体、毛皮の肉の確保が優先だ。

 幸か不幸か、もうすでに腹は割かれ、内臓は掻き出されている。

 胃袋や腸、膀胱などは傷付いていないため食えないほどではないが、仕留めてからしばらく経つので肉にはもうかなりの血が回ってしまっていた。

 どうやら無意識のうちに首元へ食らいついたようだが、大きさが大きさ故にそれだけでは血抜きとして十分に機能しなかったようである。

 これ以上放置していては、この大量の肉がすべて駄目になってしまうだろう。

 それは駄目だ。

 それは、命に対する侮辱だ。

 可能な限り手早く、丁寧に解体する。

 骨のひとかけらに至るまで、無駄にはしない。

 しかし、解体するにはまず、この巨体を川で洗い、木やら何やらに吊り下げないといけないのだが、果たしてこの落とし穴の底から引きずり出せるのだろうか。

 落とし穴に仕込んでいた杭もがっちり刺さっているようだし、重機でもなければこれは引き抜けないのではないだろうか。

 ……などといった心配は、まったくもって杞憂であった。

 案ずるより産むが易し、というべきか。

 あるいは瓢箪から駒、棚から牡丹餅と表現するべきか。

 

「よい、こら、しょっと」

 

 軽い掛け声。

 腰を深く落とし、しかし目いっぱい踏ん張りを利かせるほどでもない力加減で、腕と、背中の筋肉で持ち上げる。

 手ごたえは、まるで米の詰まった袋を持ち上げる時のような、軽いもの。

 ぐっと重さは伝わるが、持ち上がらないと感じる程でもなく。

 あまりにも軽く、呆気なく、大猪の巨体は穴の外に放り出された。

 正しく怪力。怪しい、人ならざる、その細枝のような見た目からは考えられない出力。

 降って湧いた戦利品に内心複雑な気持ちではあるが、私は使えるものは使う主義である。

 生き死にの関わった場なら、特に。

 何故、こんな怪力が宿っているのか、そんなことはどうでもいいのだ。

 ただ、大猪の解体が容易くなった。

 その事実だけがあればいい。

 

「できれば下流の方で片付けたかったが、仕方がないか」

 

 まずは血だらけ、虫だらけの毛皮を洗う。

 さすがに水源である泉でやるわけにはいかないので、すぐ傍の川を使用する。

 勿論洗剤などあるはずもないので、今朝使ったたわしを使う。

 自分の身嗜み用の道具を獣に使うのは僅かに抵抗があったが、駄々をこねている場合でもない。

 ごしごしと、毛皮を剥ぐくらいの心持ちで洗っていく。

 私の怪力で目いっぱいやっては本当に毛皮が傷んでしまわないかと心配だったが、大猪の毛皮は想像以上に丈夫で、多少毛が千切れたりはしたものの、大きく傷んだりはしなかった。

 そうして血と泥を落とし、ノミやらダニやらをひとしきり追い出した後、次は内臓を掻き出していく。

 優しく、慎重に。

 特に膀胱は丁寧に扱い、万が一にも破れないように気を配る。

 猪の尿は匂いが強烈で、過って破ってしまえば最後、尿を被った部分はその殆どを廃棄しなければならなくなる。

 いわば爆弾のようなもの。

 少しでも衝撃を加えれば爆発する危険物だと思いながら、慎重に摘出する。

 そうして内臓を取り出し、腹の中を洗い終えたら、これを手頃な木の下に吊るす。

 しかし流石は規格外の大物と言うべきか、吊るすにはシュロの縄を何重にもして太くした物でなければ耐えられなかったし、私の背丈よりも高い枝に吊るしたというのに、その首は地面の上でくの字に折れ曲がっていた。

 

「さて、まずは皮だな」

 

 道具は、私の鱗を利用して作ったナイフを使う。

 ぶら下がった後ろ足から、頭の付け根まで。皮と肉の間、正確にはその肉についている脂と皮を切り分けるような感覚で、刃を入れる。

 ここで綺麗に剥げれば後のなめし(・・・)が楽になるのだが、これがまた大きいので非常に手間がかかって仕方がない。

 ここで時間がかかればかかるほど、肉の質は落ちていく。

 そんな焦りもあって後半はかなり雑な仕事になってしまったが、ひとまずは日が落ちきる前には皮を剥ぐ工程は終えることができた。

 首元で皮を切り離し、次は頭を落とす。

 通常であれば頭と胴を繋いでいる頸椎をのこぎりで切断したり、隙間を落としたりするのだが、これもまたその巨大さ、太さ故に大仕事となった。

 手持ちのナイフでは刃が通らず、最終的にはもうお役御免かと思われていた石斧を引っ張り出し、何度も何度も頸椎に打ち付けて切り込みを入れ、足で蹴り折る羽目になったのである。

 しかし、その甲斐あって、日が落ち始め辺りが茜色に染まり始めた頃、私はようやく大猪の、大きな大きな頭を切り落とすことに成功し、大きく息を吐いたのだった。

 ここまでくれば、後はもう肉を部位毎に切り分けていくだけだ。

 見てくれだけなら、精肉店に並ぶ前、解体される前の牛の肉とそう大差はない。

 早いとこ燻製なり、焼き肉なりにしなければならないが、そう急ぐ必要もなくなった、というわけだ。

 と、なると、先に手を付けるべきは掻き出した内臓と、頭の片づけである。

 これはそれぞれ落とし穴に投げ入れて、土を被せて処理することにした。

 可能であればあの大きな牙も加工して利用したかったが、残念ながらあれに関しては私の鱗も歯が立たず、どうしても取り外せる気がしなかった。

 奴に残った最後の意地というべきか、誇りというべきか。

 そんなこんなで早々に牙を諦めた私は、せめて首だけでも手厚く葬ってやろうと、そんな偽善染みた思い付きをしたのであった。

 こいつからしてみれば私は、後からずかずか縄張りに侵入し、不法占拠したならず者である。

 最終的には私が勝利したが、それこそ罠やら道具やらを利用した結果で、正々堂々と勝負した訳ではない。

 だから、まあ、私なんかに手を合わせられてもこいつは嬉しくともなんともないのだろうし、結局は私の自己満足なのだろうけれども。

 それでも私は、手を合わさずにはいられなかった。

 深く深く埋めた墓穴の上に、墓標代わりの石を置いて。

 

「お前さんとは色々あったが、どうか、どうか安らかに眠っておくれ」

 

 貴方の命は、無駄にはしない。

 祈る私の頭の上で、流れ星が一つ、煌めいて消えた。

 

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