自分以外誰もいない状態でジャングルに投げ出され、異世界の無人島で28年もたった一人で暮らし、最後には奇跡的に冒険者たちに助けられた中身が日本出身の爺な竜娘の生涯と不思議で驚きに満ちた冒険についての記述   作:野良野兎

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それは甘く、切ないもの

 

 それは、まるで夢のような光景であった。

 

「いただきます」

 

 手を合わせ、私は白い湯気を立ち昇らせる茶碗に手を伸ばし、よく粒立った白米を箸で摘み上げる。なんとも香しいそれを口に含めば、噛めば噛むほど旨味と甘味が口内に広がっていく。

 その味わいに頬を緩めながら、次は皿に盛られた焼き魚の身をほぐし、白米と共にいただく。これが実に美味い。焼き魚の程よい塩気が白米の甘さを引き立て、互いの旨味が混ざり合い調和し、それぞれをさらに上の段階に高め合っている。

 さらにそれを豆腐の味噌汁で流し込み、こりこりとした沢庵漬けを挟むことで食感を変え、舌を飽きさせない。

 これはいかん。箸が止まらない。

 

「そんなに急がなくても、ご飯は逃げませんよ」

 

 あっと言う間に茶碗一杯の白米を平らげてしまい、名残惜しそうに箸を置く私の隣でそう微笑むものがあった。

 割烹着を着た若い女である。長い黒髪を一つに纏め、それを首筋から前に流している、どこか田舎臭い女であった。たれ目の端に泣き黒子(ぼくろ)があって、頬にそばかすの跡が残っている。

 女は畑仕事でがさついた指で私の茶碗を取り上げて、慣れた手つきで横に置いたおひつから白米をよそい、私の前にそっと戻す。その落ち着いた所作にどうにも気恥ずかしくなってしまった私がぎこちなく笑って礼を言えば、女はその夜空のような瞳をこちらに向けて、また静かに微笑みを返した。

 

「本当、――さんはせっかちなんですから」

 

 それはかつての幸せな日々。かけがえのない思い出であった。

 そう、思い出。過去の出来事である。

 もはやとうに過ぎ去った、あるはずのない光景。

 景色が歪む。

 あの温かい、穏やかな日々が薄れていく。

 あの懐かしい味も、最愛の人の穏やかな表情も、己の意識さえもその色彩を失って、墨を溶いたように薄まり、歪み、混ざり合っていく。

 そうして辺りが薄暗がりに落ちた後、ふっと私の目の前に立つ者があった。

 それは銀の髪を腰まで伸ばし、夜色の肌をした、目の覚めるような美しい少女であった。腰はきゅっと細く、幼い体つきながらもどこか魔性めいた色香を感じさせる。

 そして蜥蜴(とかげ)のような瞳孔をした赤い目が、暗闇の中で怪しく光っていた。

 少女は、何も語らない。ただ静かにこちらを見つめ、鱗の並ぶ大きな尾を揺らすだけ。しかしその瞳はまるで何かを諭すような、慈愛とも憐憫ともとれぬ色を孕んでいた。

 さっと、暗闇を銀色の光が払う。

 現れたのは二重の月。まるで目の前にあるかのような巨大なそれは少女の背後を優しく照らし、その艶やかな肢体を縁取っていく。

 月光が少女を照らし、銀の光が少女を包み込む。

 それはまるで銀色の糸。静かに、そして優しく少女を包み込み、月明りで浮かび上がったそれは巨大な繭のようであった。

 そしてその繭の中で、何かが揺れる。巨大で、強靭で、何物にも犯しがたい何かが。

 そうして繭を突き破り、生まれ出でたものこそは――

 

「んが、米、おかわり……」

 

 そんな、何とも言えぬ間抜けな寝言と共に、私は目を覚ました。

 何やら随分と懐かしい、そして不思議な夢を見ていたような気がする。

 大方、生前の思い出でも夢に見たのだろう。この島での生活もいよいよ百日の大台に乗り、私の精神も随分とすり減ってきたと見える。

 

「しかしこれは、酷いな」

 

 そう呆れながら、私は口元に塗りたくられた大量の涎を拭う。

 普段私は背にある翼と尻尾が邪魔にならないよう、だいたい横向きかうつ伏せの体勢で眠るのだが、そのおかげで寝床に敷いていた毛皮はそれはもう涎まみれのぎっとぎと。赤子でもこうはなるまいというぐらいの汚しっぷりであった。

 これはもう、一度洗って干してやらないと使い物にならないだろう。

 

「それほど腹は減っていないのだけどなあ」

 

 可愛らしい臍が乗った腹を、そっと撫でる。

 よほど美味い物を食う夢でも見たのだろうか。特に私は妻の作った飯には目がなかったので、新婚当時のそんな夢を見た日には、もしかすればこうもなる、かもしれない。

 

「まったく、こっちはそれどころではないというのに、我ながら呑気なものだ」

 

 泉の水で毛皮をざぶざぶと洗いながら、私は肩を竦めた。そんな私の胸には、毛皮で拵えたさらし(・・・)が巻き付けられている。

 こうしておかなければ寝転んだりした時にひどく胸が痛み、とてもではないが眠ることができないのだ。

 原因は、先日から感じていた胸のしこりにあった。はじめはすわ悪性の腫瘍か、と慌てたものだが、さらしを巻き始めたことで徐々にその正体についても察しがついてきた。

 勿体ぶっても仕方がないので結論から言えば、これは恐らく成長痛である。

 どうやら中身が爺でも身体はしっかり育ち盛りの女子のようで、日々さらしを巻き、注意深く観察していたことで、己の胸が僅かながらに膨らんできていることに気が付くことができたのである。

 私自身、背丈が伸びる際の成長痛に泣かされた苦い思い出はあれど、それももう随分と昔のことで、まさか女子の胸にも同様のことが起こるなど、露にも思っていなかった。

 正直、どこまで大きくなるのかと、今から不安で仕方がない。

 この世の女性たちには誠に申し訳ないが、あまり大きく膨らまれると動くのに邪魔になりそうなのだ。特に、左右に揺れるほどになれば走るだけでも影響が出るだろうし、何よりうつ伏せで寝ることが多い私にとっては、これが邪魔になるのは何よりも辛い。

 柔らかい布団やらマットレスがあればまた違うのだろうが、生憎ここにあるのは固い竹の床とごわごわした毛皮だけである。つまり、潰れた乳はそのまま身体を押し上げてくるのだ。邪魔以外の何物でもない。

 幸いなことに、今はまだ手で包んで少し余るぐらいであるので、そこまで影響は出ていないが、これから先のことを考えると何とも頭の痛くなる問題であった。

 いや、女子としては大きいほうが良いのかもしれないし、乙女の身体を好き勝手に扱っている爺が言えたことではないのかもしれないが。

 ともかく、大きくなるなと唱えたところで成長が止まる筈も無し、こちらはしばらく様子見である。

 

「さてと、それじゃあ今日も頑張って生きようか」

 

 さらしに腰巻き、編み籠に鱗のナイフと、いつも通りの格好に加え、今回は枯れ枝とドクダミを少々持っていく。

 向かう先は拠点から山を挟んだ向こう側。断崖絶壁が並ぶ岬の手前に広がる森の中。

 そこにある大きな木の洞に、面白い物を見つけたのだ。

 その当時は装備も揃っておらず、泣く泣く拠点まで引き返してきたが、今回はそうはいかない。

 育った胸の分、心なしか少しばかり重くなった気のする身体で空高く飛び上がる。珍しく本日は快晴であり、遠くの空には大きな入道雲が見えていた。

 燦々(さんさん)と照り付ける心地良い陽光を背中に浴びながら目的地へと降り立った私は、目をつけていた大木を少し離れた場所から覗き込み、しめしめと笑う。

 一見すれば、何の変哲もないただの木である。だが、その大きく開いた洞の周りには小さな蜂が数匹たむろしており、時折どこからか別の蜂が飛んできては、その洞の中に出入りしていた。小さな体に丸い胴、黄と黒の縞模様をした尻。間違いない、蜜蜂である。

 つまりあそこには、彼らの巣があるのだ。そして蜜蜂の巣とくれば、そこには甘い甘い蜂蜜がたんまりと貯め込まれているに違いない。

 蜂蜜。この島では極めて貴重な甘味である。

 これを頂戴しない手はなかった。

 私は用意した枯れ枝とドクダミに火をつけると、樹を燃やしてしまわないよう細心の注意を払いながら立ち上る白煙を洞の傍まで近づけ、翼を使って中へと送り込んだ。

 こうして巣にいる蜂たちを追い出して、その間に巣の一部を頂戴する算段である。

 ドクダミを混ぜたのは、何やら薬草を燻すと鎮静効果があるらしいと小耳に挟んだことがあったからなのだが、ドクダミにも同様の効果があるかは定かではなく、まあ無いよりはましだろうと、そのような曖昧な動機であった。

 やがて、何事かと巣から大量の蜂が飛び出してきた。あっという間に木の周りは、文字通り蜂の巣をつついたような大騒ぎである。

 凄まじい羽音が耳元で鳴り響く。幸いなことに今のところ襲ってくる様子はないが、相当気が立っているようなのでさっさと目的の物も頂くとしよう。

 そうしておっかなびっくり洞の中を覗き込めば、黄金色に輝く大きな短冊がひとつ、ふたつ、みっつ、おおよそ六つほど。樹の大きさにふさわしい、立派な巣である。

 今回はそのうちの一つだけ、一番小さいものを頂戴した。本当は一番大きなものを持って帰りたいが、一人分ならばこれでも十分であるし、何よりこの巣にはこれからも何度かお世話になるだろうから、なるべく小さいものを選ぶことにした。

 何であれ、一方的に巣を壊され、持ち去られる奴さんからすればたまったものではないだろうが。

 

「あいて、こら、こら、すまん、ご勘弁を!」

 

 これまで穏便に済ませてくれていた蜜蜂たちも、巣を崩すために手を突っ込んだ無礼者には容赦しなかった。翼があろうが鱗があろうがお構いなしに、外敵から家族を守るために殺到してきた。猛毒を持っている訳ではないだろうが、無数の蜂に集られて平気でいられるほど図太い人間という訳でもなく、最終的には翼で身体を包み込みながら、這う這うの体で海岸まで逃げ帰る羽目となった。

 ともあれ、抱え込んだ腕の中には一抱え分の大きな蜂の巣が甘い香りを立ち昇らせており、苦労した甲斐は十分にあったと言えるだろう。

 晴れ渡った空の下、鮮やかに広がる大海原を眺めつつ、私は艶やかに煌めく、甘い甘い指先を舐め上げ、満面の笑みを浮かべるのであった。

 




やったね爺ちゃん、甘味が増えるよ!
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