自分以外誰もいない状態でジャングルに投げ出され、異世界の無人島で28年もたった一人で暮らし、最後には奇跡的に冒険者たちに助けられた中身が日本出身の爺な竜娘の生涯と不思議で驚きに満ちた冒険についての記述   作:野良野兎

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明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い致します。




出会いと別れ

 

 男の容態は、ただただ凄惨の一言に尽きた。

 私には医学の心得などないが、そんな素人の私の目であっても、目の前のこの男が危篤状態に極めて近いものであると一目でわかる程であった。

 肌は乾いた砂漠の砂のようで、脈はあるかどうかもわからぬほど。履いていたズボンと船内の状況から、下痢や嘔吐も繰り返していた可能性が高い。

極度の栄養失調、脱水症状の症状である。

 だがしかし、そんな中であってもひと際目を引いたのは、身体全体に広がる皮下出血の跡。唇をめくって見れば歯茎は腫れあがり、酷い所は腐り落ちて鼻の曲がるような悪臭を放っていた。

 この症状には、生前覚えがあった。

 壊血病という、ビタミンCが不足することによって引き起こされる病気だ。

 現代日本においては全くと言っていいほど目耳に触れることのない病気ではあるが、十五世紀半ばから十七世紀半ばの、いわゆる大航海時代においては二百万人もの船乗り達の命を奪ったとされる恐ろしい大病である。

 小難しい説明は省くが、これに罹ると非常に出血しやすくなり、痣のような皮下出血や、歯茎からの出血などの症状が現れ、末期になれば脳内出血などを引き起こし、適切な治療を行わなければ百パーセント死に至る。

 私は背筋に冷たいものを感じ、身震いした。

 助けられるのか、この爺に。

 いや、助けるのだ。

 暗くなった意識を、頬を張って奮い立たせた。

 幸い、致命的な外傷はない。外科手術などという、この島ではどうあがいても実行できない処置が必要な訳ではないのだから、であるならば、抗うべきだ。

 

「ええと、まずはあれだ、応急処置だ」

 

 取り急ぎ、私は男を小屋まで運んで回復体位を取らせた。

 横に寝かせて手は頬を支えるように顔の下へ、そして顎は少し前に出して気道を確保。足は上側を前に出し、膝を九十度ほどに曲げておく。

 これでひとまず、舌が気道を塞いだり、吐血、嘔吐などで出たもので窒息することは避けられる。

 そうして私は島中を飛び回り、治療に必要と思われるあらゆる物を掻き集めた。

 まずグアバの実。

 これにはビタミンA、B、Cが多く含まれており、壊血病の治療にはこれ以上の物は無い。

 まずこれを絞り、種を取り除いたグアバジュースを器一杯に確保。

 集めた野草を細かく刻みながら、湯を沸かすために囲炉裏へ火を入れた。

 男の、未だ優れない顔色を伺いながら、私は思考に耽る。

 くすんだ金髪に、青白い肌。顔つきは欧米人に近く、なかなかに彫りが深い。

 しかしいかんせん髪も髭も伸び放題で汚れており、衰弱しきって目は窪み、頬はこけている為、かなり老けて見える。

 一人旅。

 そんな良いものではないだろう。

 あの程度の大きさの船ならば積み込める物資の量もたかが知れているだろうし、この大海原、もとい大空を旅するのには少し、いやかなり心許ない。正直に言って無謀、自殺行為に近いだろう。

 ならば何かの事故に巻き込まれたか、嵐に巻き込まれて流されたか。

 脳裏に過ぎるのは、あの赤い髪の少女。

 嵐を引き連れる者。

 荒れ狂う大風、狂飆(きょうひょう)の名を冠する龍。

 あれに巻き込まれれば、あんな小さな船などひとたまりもないだろう。

 だが、あれほどの嵐に巻き込まれたにしては舟の状態が綺麗すぎる。

 あの龍の嵐に巻き込まれたのであれば引き裂かれ、振り回され、それこそ二つに折れて原型など残っていないはず。

 であるならば、後は水難にでも遇ったか、人為的なものか。

 亡命、流刑、口減らし。

 思いつくものなど、いくらでもある。

 そうして私が深い思考の底に沈んでいると、不意にそれを引き上げるものがあった。

 小さく、男が呻き声を漏らしたのである。

 私は弾かれるようにして飛び上がり、男の枕元へ転がり込んだ。

 そうして、必死に声をかける。

 

「おい、おい、気が付いたか、私の声が聞こえるか、おい!」

 

 今にも男の肩を抱え、揺さぶりたいところではあるが、壊血病で脳内出血の恐れがある病人にそれをやってしまえば致命傷になりかねない。

 故に私は男の顔を覗き込むように、床に頬をぴったりと重ねながら声をかけ続けた。

 私の問いかけに、男が答えることはない。

 だがその目は確かに開き、露わになった青い瞳は何かを求めるように力なく左右へと揺蕩っていた。

 

「なんだ、水か。待てよ、すぐに持ってきてやるからな」

 

 私はひとまず男を仰向けに寝かせ、先程作っておいたグアバジュースを持ってきて飲ませた。

 ゆっくりと、少しずつ。まずは唇を湿らせる程度から始め、一滴一滴、浸すように飲ませる。

 そうして器の三分の一、少しばかりのジュースを飲んだところで、男はまた意識を失った。

 これまでか、水を飲ませたのがいけなかったのかと慌てふためいたがどうやらそれは杞憂だったようで、横になった男から穏やかな寝息が聞こえてきたところで私は大きく息を吐いて倒れるように腰を落とした。

 

 そうして、翌日。

 目を覚ました男の目には、心なしか前よりも強い光が宿っているように見えた。

 だがどうやら言葉を発せる程には回復していないようで、ああ、ううと呻きながら視線で私を追いかけるばかりである。

 果たして、彼には私がどう見えているのか。

 

 男が目覚めて、二日が経った。

 この二日、ひたすらグアバジュースを絞っては男に飲ませることを繰り返していたが、ついに男はたどたどしくではあるが、しっかりと言葉を発せる程には回復していた。

 

「おお、大丈夫か、自分の名はわかるか?」

 

 私の問いかけに男はたどたどしく、すきま風のような声でゆっくりと答えた。

 男はウィリアムと名乗った。

 驚くことに、それは地球でもそれなりに耳にするものと同じものであった。

 私はこの世界に来て初めて出会う人間との会話に心躍るばかりであったが、次に彼が放った言葉は、そんな私の心を深い絶望の底へと叩き落とすことになった。

 

「君が、助けてくれたのか、ありがとう、ありがとう、シエラ」

 

 シエラ。

 誰だそれは。知らぬ名である。

 私はまだ、彼に名乗っていない。

 そも、私は生前日本人であり、男であったのでそのような、いかにも別嬪さんについているような洒落た名などではない。

 彼が発したのは英語のような、あるいはラテン語のような、聞いたことがあるようでまるで覚えのないものであったが、私はその聞き覚えの無い言語を自然と理解していたことよりも、彼が発した聞き覚えの無い名前の方に衝撃を受けていた。

 

「おい、ちょっと待ってくれ、それは誰だ、嫁さんか、娘さんか」

 

 上ずった私の声に、ウィリアムは答えなかった。

 ただただ、嗚呼ありがとうシエラ、と、私ではない誰かの名を添えて、祈りのような言葉を繰り返している。

 そしてどうやら、件のシエラという名は彼の娘のものであるようだった。

 それもまた、彼がうわ言で愛しの娘、だとかなんとか零しているところから知りえたものであった。

 そう、彼は回復の兆しを見せ始めていたが、正気ではなかったのである。

 私は泣いた。

 いつも通っていた浜辺で叫ぶように、さめざめと、嵐のように泣いた。

 この一年、死に物狂いで生き抜いてきた。

 そうしてようやく出会った、この世界で生きる純粋な人間。

 私を島の外に導いてくれる、希望の光。

 しかし掴み取ったその光はあっさりと、嘲笑うかのように私の手のひらからすり抜けていく。

 そうして、いつの間にか傍にいたごん太を抱きながら幼子のようにひとしきり泣き喚いたあと、私はウィリアムの元に戻ってまた彼の看病を続けた。

 シエラと名乗り、彼の娘のふりを続けながら。

 彼の命がそう永くはないだろうということは、朧気に察していた。

 恐らくは壊血病が原因で脳出血が起き、それによって認知症が併発している。

 どうやら彼は、この小屋も自分の自宅と思い込んでいるようであった。

 ならば、彼には最後まで家族に囲まれた、穏やかな思い出を。

 そう、前世の私に、家族がそうしてくれたように。

 だが、記憶すら曖昧である筈のウィリアムであったがそれでも、ぽつりぽつりと零すその言葉は私に予想以上の情報を齎してくれた。

 ウィリアムは冒険者と呼ばれる、この空を渡り歩いては新たな島を開拓することを生業とする人間ということだったりだとか。

 クレアという妻がいたが、ずっと前に病で先立たれてしまった、だとか。

 また、彼の舟は大きな嵐に襲われ、備え付けられていた小型の船で命からがら逃げだしてきたのだとか。

 彼の国では、龍は森羅万象を司る神のような存在として奉られているだとか。

彼が暮らしていたのはマス・ティアラという名の国であり、アレキサンダーという王が統治しているだとか。

 そのようなことを、彼は突拍子もなく突然、思い出したかのように語った。

 私は彼が、我が子に語るように瞳を輝かせながら聞かせる冒険譚を、彼の娘のように寄り添いながら静かに聞いていた。

 だが、もう、彼がその冒険譚を語ることはない。

 丁度、彼が目を覚ましてから十日が経とうとした頃であった。

 彼はそっと、眠りにつくように息を引き取った。

 ありがとう、と。

 貴女の炎で、送ってください、と。

 驚くほど穏やかな声で、たったそれだけを、言い残して。

 それを聞いた時、私の頬を涙が伝っていた。

 彼はきっと、今際(いまわ)(きわ)のほんの一瞬だけではあるが、正気に戻っていたのだろう。

 そして、私が龍であることを見抜いた。

 私のような外見的な特徴を持った者は龍であると人間たちに伝わっているのか、あるいは彼の信仰心に寄るものか。はたまた認知症による錯覚か。

 真偽のほどは定かでは無いがともかく、彼は最期にそれを望んだ。

 私は海が良く見える崖に丸太を組み、彼の遺言通り、龍の炎で荼毘に付した。

 ぱちりとはじけ、天へと昇っていく炎に手を合わせながら、私はまたしとしとと涙を流した。

 

 翌日。

 彼の墓もまた、同じ崖の上に建てた。

 本来ならば彼の母国語で名を刻むべきなのだろうが、私は現在の年数も、家名もわからずじまい。さらには文字も綴りもわからなかった為、墓標には英文字で“William”と刻んである。

 

「また、お前さんの国にも行ってみるよ。そうしたら、今度はこっちが色々と土産話をしてやるからな」

 

 

 墓前に手を合わせながら、私は静かに眠る彼へと語りかける。

 頭上には、雲一つない青空がいっぱいに広がっていた。

 




お待たせしました。

彼の役割はプロットの時点で決まっていて、ようやく序盤の節目を終えられたかな、というところです。
今年中にいい感じの山場まで仕上げていきたい(完結するとは言ってない)

※勝手ながら、話の整合性を取るために一部変更しました。
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