自分以外誰もいない状態でジャングルに投げ出され、異世界の無人島で28年もたった一人で暮らし、最後には奇跡的に冒険者たちに助けられた中身が日本出身の爺な竜娘の生涯と不思議で驚きに満ちた冒険についての記述 作:野良野兎
ようやく主人公の名前が出ます。
夏である。
五度目の夏が、やってきた。
「どっこら、せいっと」
木を削り、石の刃を嵌め込んで拵えた鍬を振るう。
泉の傍、ほんの小さな囲いから始まった手製の畑も今はもうバスケットコート一つ分ほどになり、十分とは言えないが一人で暮らしていくには不自由ない程度の広さにはなった。
だが、畑とは何かと手間がかかるもの。適当に耕して種を蒔けば終わり、というような簡単なものではない。
まずは土作りから。これをしっかりと行っていないと、作物は元気に育ってくれない。
「よし、次はこいつだな」
畑を一通り耕し終わったら、次はそこにいつも使っている例の堆肥と、貝殻を焼いて砕いた石灰を撒いていく。あとは鍬を使って土とよく混ぜ合わせれば、栄養満点、ふかふかの土の出来上がりである。
あとは平たく
額に浮かぶ汗をぬぐうと、私は鍬を適当な切り株に立て掛けて川へと向かう。
島の夏は相も変わらず
そうして手を顔の泥を洗い流し、喉を潤して小屋へと戻ろうと踵を返したところで、角の付け根に何とも言えぬむず痒さを感じた。ここのところあまり感じることのなかった感覚に目を細め、空を睨む。
ぐっと足の裏に力を込めると一息のうちに森を抜け、島の上空へと飛び上がった。
敵意というか、そういった悪いものは感じない。
だが、何かある。いや、何かが近づいている。
感覚としては先日の、ウィリアムが乗っていた空飛ぶ船の時と似ているが、今回はそれよりももっと強い。
そうしてしばらく私が雲の向こうをじっと見つめていると、悠々と立ち上る入道雲を掻き分けながらついにそれはやってきた。
島である。
決して見間違いではない。
私が暮らすこの島と同じか、僅かに大きな浮島がごうごうと大気を唸らせながらやってきた。
そのあまりにも圧倒的な光景に私が言葉を失っている間に浮島はぐんぐんとこちらへと接近し、やがて雷鳴にも似た轟音を響かせながらこちら側の海岸線と衝突した。
島全体が震え、驚いた鳥たちが森の中から一斉に飛び立っていく。海面が波立ち、大地が隆起する。衝突したところがかなり浅瀬の場所だったことが幸いし津波というほどの高波は発生していないが、隆起した海底がまるで一本の道のようにこちらとあちらとを繋ぐその光景は、この摩訶不思議な世界で五年間生きた私であっても目を疑いたくなるような異様であった。
島同士がぶつかるというのは、過去にも経験があった。
いつぞやか大虎が島を渡っていった、あの日のことである。
だが、実際にこれほどの、巨大な質量同士が衝突するという圧倒的な光景を目にした時の衝撃たるや、かつて
しかし、いつまでも呆けている訳にもいかない。
あまりの光景に吹き飛ばされた思考をようやっと引き戻した私は、今なお余震を繰り返している島の上空へと向かい、その全容を確認する。
大きさはやはり、こちらの島と同じ程度のもの。明らかな違いは、どうやらあちらの島には海と呼べるものがなく、せいぜいが池が数か所と、川が何本か流れている程度のものであった。そして全体的に荒廃、とまではいかないが、荒れている。あるいは、痩せていると表現した方がいいかもしれない。
とにかく緑が、木が少ないのだ。
見たところ、島の半分以上が荒れ果てた荒野と岩山で形成されている。
いるのか。こんな島に生物が。
砂漠化はしていないが、その一歩手前。草木さえも枯れ果てたようなこんな荒野に。
と、そうして上空から島を観察しているさなか、足元に何者かの気配があった。
何ぞやとそちらの方へと目をやれば、島同士が衝突した場所。その接点から伸びる隆起した海岸線を進む影がいくつかあった。
生物である。それを目にした途端、私の胸が否応なく高鳴ったのは言うまでもない。
「おい、おい!」
翼を打ち、声をあげながらその影の方へ向かう。影の数は五つ。過酷な日差しから体を保護する為か、皆が編み笠のような、木の皮で編んだ笠をかぶっている。
私の声が届いたのか、濡れた足場を慎重に進んでいた影の歩みがぴたりと止まった。
「こっちだ、こっち。いやあ、良かった、まさか人が暮らす島とぶつかるとは。ああ、角やら翼やら生えているが、警戒しないでおくれ。お前さんたちをどうこうする気はないんだ、どうだ、せっかくだしうちで茶でも飲ん、で……」
影たちの前に降り立った私は、舞い上がった気持ちのまま口早に捲し立てた。
だが、それも束の間。向かい合い目にした影たちの姿に、私はまたも言葉を失うことになる。
影たちは、人間ではなかった。
いや、人の形はしている。だがその背格好は、人間というよりは猿に近い。
背丈は軒並み、百五十センチもないだろう。子どものような体格である。
髪の生えていない、石のような頭。小さい目に平べったい鼻。尖った耳。
肌は燃え尽きた灰のような色をしていて、痩せこけた胴に短い足と、その倍はあるだろう長い腕が生えている。
いつぞやか目にしたことのある、仏教における餓鬼と呼ばれる亡者。
あれの見た目を幾分か整えたなら、このような見目になるのではないだろうか。
そう思ってしまうような生き物であった。
彼ら、と、そう呼んでいいのかも怪しいがともかく、皮の腰巻に編み笠というどこか頼りない恰好をした彼らは、突然空からやってきた私の姿にたいそう驚いたようで、ぎいぎい、ぎゃあぎゃあと、何やら猿にも似た声で互いにあーだこーだと何やら話し合っているようであった。
当然であるが、日本語ではない。むしろどちらかといえば、あの時ウィリアムが使っていた言語に近い。
果たして、意思疎通はできるのか。
この際、友好的な関係を築くことができれば見た目などどうでもよかった。
だが、それもどれほど期待できるか。
ちらりと、いまだ話し合いを続ける彼らの姿を観察する。いや、正確にはその手に握ったそれらを確認する。
石の刃を嵌め込まれた手斧に、木の枝に弦を張っただけの原始的な短弓。腰には矢筒と、これもまた石を削って作ったであろう短剣を帯びている。
明らかな武器。狩りのためか、はたまた別の用途か。ともかく、生き物を殺すための道具。
穏便に済ませてくれるなら、これ以上のことはない。
だが、もしも敵対し、襲ってくるようなら……。
そうして私が固唾を飲んで見守る中、どうやらお相手さんの話し合いは滞りなく終了したようであった。
さて、どうなるか。
身構える私を、五対の緑色をした小さな瞳が射貫く。瞬きほどの空白の後、彼らが取った行動は私の予想だにしないものであった。
彼らは何を思ったのか頭の編み笠や手にした武器を全て打ち捨てると、私の面前で跪き、両の手を組み合わせ頭上高く掲げ始めたのである。
命乞い、いや、それこそは正しく祈りの所作であった。
余りにも突然のことに呆気にとられ、立ち竦む私。何やらむにゃむにゃ口上を述べながら組んだ両手をゆらゆらと揺らす彼ら。何やら怪しい宗教でも始まったのかと疑るような光景である。
だがしかし、いつまでも彼らにそんな真似をさせる訳にもいかない。ただでさえここは元々海底だった場所であり、足元は尖った岩やら貝殻やらで埋め尽くされているのだ。そんなところで膝をつくものだから彼らの膝はもう切り傷だらけの酷いもので、早く手当てしなければ感染症などに罹る危険があった。
「こら、こら、あんたたちが敵じゃないのはわかったから、顔をあげてくれ。ああもう、傷だらけじゃないか、あんたら、私がそんな怖い生き物に見えたかね」
私のように鱗が生えているわけでもないだろうに、無茶をしたもんだ。
私がそう言って肩を撫で、顔を覗き込んでみれば、そこにはまるで叱られた子どものように委縮しきった小さな目があった。
私は彼らを身振り手振りで言い聞かせようやく立ち上がらせると、近くの川まで彼らを案内して傷の手当てを行った。
手当と言っても真水で傷口を洗った程度だが、やらないよりはマシだろう。
そうして世話を焼いていると、どうやら五人組の内の一人、獣の牙で作った首飾りをした男がリーダー的な存在であることがわかった。
何をするにも彼が率先して先頭に立ち、私の話も彼がまず聞き、他の四人に伝えているようだった。
彼はどうやら、ヨークという名であるようだった。
果たして私の発音が正しいかどうかはわからないが、ともかくそのように名乗ったのだ。
対して私はどう名乗ったものかと考えたが、しばらく頭を悩ませた後、シエラと名乗ることにした。
生前の名を使うこともできたが、それはあくまで生前の、爺だった頃の名であり、この娘のものではない。
そこでどうしたものかと悩んだ時に口から漏れ出たのが、この名前であったのだ。
あの日、ウィリアムが病の床で漏らしたシエラという名。
人様の娘の名だった筈が、それはまるで生まれ出でた時よりそうであったかのように、染み入るように私の心に馴染んでいった。
シエラ。
シエラ、か。
「何とも、妙な気分だ」
しかし、悪い気はしない。
ウィリアムには悪いが、しばらくこの名、借りることにしよう。
小さく微笑む私を見て、ヨークとごんが並んで首を傾げていた。
もしかして:ゴブリン