自分以外誰もいない状態でジャングルに投げ出され、異世界の無人島で28年もたった一人で暮らし、最後には奇跡的に冒険者たちに助けられた中身が日本出身の爺な竜娘の生涯と不思議で驚きに満ちた冒険についての記述   作:野良野兎

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お待たせしました。


花龍風月

 

 露わになった洞窟を抜けると、そこは見知った森の中であった。振り向けば、いつぞやか世話になった大虎一家が巣穴として使っていたあの洞窟がぽっかりと口を開けている。

 そう、川の洞窟は丁度反対側にあるこの洞窟までまっすぐに繋がっていたのだ。あの時、洞窟の最奥で流れ込んできた匂いからまさかとは思ったがいやはや、本当にここに出てくるとは。彼の一家はまだ、健やかに過ごしているだろうか。僅かに懐かしさを覚える洞窟の入り口をそっと撫で、遥か遠い地へ思いを馳せる。

 そうして少しばかり感傷的になっていると、背後の草藪が大きな音を立て枝が踏み折られる音が辺りに響いた。

 すわ何事かとその場から飛び退いて音のした方を見れば、藪の中からどこか見覚えのある大きな角が二本、ひょっこりと顔を出した。続いて小さな耳がぴょんと出て、呑気な表情をした三角形の頭がにゅっと顔を出す。口元に食べかけの草をぶら下げて、呆気にとられるこちらを不思議そうな目で見つめている。

 そんな二頭に、私は大きく息を吐いた。

 

「なんだ富士、誰かと思えばお前か。ちよの奴はどこに、おお、お前もそこにいたのか。こら、年寄りを驚かすんじゃない。腰が抜けるかと思ったぞ。まあ丁度いい、帰りも背中を貸してもらうとするかい」

 

 富士の尻に隠れていたちよの頭を撫でて、その背中へ飛び乗る。

 日は既に沈み始め、森の向こうは早くも茜色に染まり始めていた。のんびり帰れば、丁度夕飯時には家に着くだろう。

 そうしてちよの背中に揺られながら家まで帰ると、まず私は空いていた土器に土を詰め、そこに洞窟の奥で手に入れたあの謎の種を植えることにした。

 たった一粒だけの謎の種。大切に大切に育てなければ。

 

「さてさて、お前さんはいったい何者なのかねえ」

 

 順当に考えれば、あの洞窟の奥で咲いていたものと同じ、結晶のような美しい花が咲くのだろう。しかし、果たしてそれだけだろうか。

 蒔いた種に優しく土をかぶせ、水をやりながら考える。

 恐らく、それだけではない。そんな単純な話ではないだろう。

 むしろ、そうでなくては困る。そうでなくては、面白くない。

 これは枕元において、姫のように世話をしてやるとしよう。

 そうして夜が更け、朝日が昇り、また夜が来て、それをしばらく繰り返していくうちに、また春がやって来た。

 

「ううん、ううーん、何だろうなあ、困ったなあ」

 

 穏やかな陽気のとある春の朝。泉の表面が朝日で鮮やかに輝き、気持ちよさそうに横になった富士の腹の上で子狸三匹がじゃれ合う、そんな和やかな空気の中、私は鉢植え代わりにした土器を前に云々と唸り、頭を抱えていた。

 芽は出た。しっかりと、間違いなく芽は出ている。

 土を押し上げ顔を出したのは真っ白な、まるで星の光を留めたような美しさを湛えた小さな芽であった。いつぞやか起き抜けに鉢植えの中を覗き込み、芽が出ていたのを見た時は正しく飛び跳ねて喜んだものだが、そこからが問題だった。

 ひょっこりと二枚の若葉を伸ばしたまま、まるで育つ気配がないのである。

 いや、少しずつ大きくなっている、ような気がしないでもないのだが、目の錯覚と言われればそうかもしれないと悩んでしまう程度には、その差は極めて微妙なものであった。

 やたらとのんびりとした者が多い我が家ではあるが、これは些か呑気が過ぎるのではないだろうか。

 

「ううん、どうしたもんか、うーん」

 

「稀有なものを得たようだな、同胞よ」

 

「いや、珍しいのは珍しいんだが、これが中々曲者でなあ」

 

 はて。

 今、誰ぞ言葉を差し込まなかったか。

 澄み切った、晴れやかな雪山の肌を撫でる涼風のような音色。

 

「興味深い。やはり、貴公は興味深い」

 

 ふと横を見やれば、そこには黄金のような美しい瞳があった。

 長いまつ毛、小さな鼻、無表情な整った(かんばせ)はまるでよくできた人形のようで。

 思考が停止する。

 まるで全身に甘い毒を流し込まれたよう。

 絹糸のような赤い髪が、真っ白な頬から紅の塗られた妖しい唇へさらりと流れ落ちる。むせるような、心ごと引き寄せられるような色香であった。

 互いの息が混ざり合う程の、至近距離。

 艶やかな流水紋様の着物。僅かに露わになった胸元。

 薄っすらと浮き上がる鎖骨。

 透き通った金色の瞳の中には、呆ける自身の姿が映っていた。

 ひとつ。

 ふたつ。

 みっつ。

 私の口から、生娘のような悲鳴が鳴り響いた。

 

「だあっ、おま、おま、お前ぇっ!」

 

 ごろごろ。

 ごちん。

 ぼちゃん。

 それはまるで、不意を突かれた猫のような有様だった。

 転がって、泉の傍の岩に頭をぶつけて、そのまま足を滑らせて泉に転落。

 今更、岩に頭をぶつけたぐらいでどうこうなる軟弱な頭ではないが、泉から這い上がった時の惨めさ、恥ずかしさときたら、穴があったら入りたいぐらいであった。

 そうして全身くまなく水浸しになった私は髪をぎゅっと絞りながら元居た場所へと戻り、こほんとひと息。

 

「面白い」

 

 びくんと、肩が跳ねた。

 

「そりゃあ、お気に召したようで何より。お前さんも、現れる時はもう少しゆっくりと出てきてくれんかね」

 

 唇を尖らせながら私がそう愚痴ると、真っ赤な髪の少女、狂飆(きょうひょう)はまるで無垢な娘のように首を傾げ、すっとまたその瞳を目の前の小さな芽に向けた。

 

「否。いや、貴公を故とするからこそ、これは現れた。ならば、やはり、面白いのは貴公であるのかもしれない」

 

 なんというか、相変わらず難解な言い回しをする龍である。

 何を考えているのかわからない、能面のような顔をして鉢植えを眺める彼女を見て、ふと気が付く。先程まで呑気に昼寝をしていた、富士たちの姿がない。

 いや、彼らだけではない。

 走り回っていた子狸たちもいつの間にか巣穴に引っ込み、普段は我が物顔で辺りを歩き回っている鶏たちも、どうやら今は巣箱の奥に姿を隠しているようだった。

 見慣れぬ来訪者の姿に警戒しているのか、いや、それにしたって富士やちよまで小屋に逃げ込むとは相当である。

 

「人と巡り合ったか」

 

 不意にかけられた声にそちらを向けば、鉢植えにはもう興味がないのか、次は広場の隅に押し込んでいた飛空艇、いつぞやかウィリアムが乗っていたそれに目を付けたようであった。

 あれから気が向けば手入れをしていることもあって、飛空艇はほとんど当時と同じ状態のまま保存されている。それにはもし動かすことができるなら、これに乗って島の外に旅立つことができるかも、という淡い希望もあったりするのだが、残念ながら今の今まで飛空艇が動き出すような素振りを見せたことはない。

 

「ああ、残念ながら助けることはできなかったがね。優しい、良い男だったよ」

 

 どういった顔で、ああいった性格で、おおよそこういった事を成していたのだろうと、そういった内容のことを私は彼女に語り、彼女自身もこの島に流れ着いた人間には多少の興味が湧いたのか、長ったらしい爺の話を大人しく、時折頷きながら聞いていた。

 特に関心を引いたのは、私の名に関する部分であった。

 

「シエラ、名が付いたのか。名を付けられたのか」

 

 特にその部分に関しては、普段は仮面でも被っているのかと思う程の彼女の無表情が、ほんの一瞬、見間違いかと思うほど僅かに揺らいだ、そんな気がした。

 何ぞ不味いことなのかと私が問うと、彼女はいつもの能面のような顔に戻って首を横に振る。

 

「否。それもまた、貴公なのであろう。貴公であるからこそ、なのであろう」

 

 彼女は、それ以上は語らなかった。

 無駄な問答は好まぬ、とは彼女の口癖のようなもので、これ以上追及しようものなら彼女の機嫌を損ねてしまうことは火を見るよりも明らかであった。

 君子危うきに近寄らず。

 わざわざ藪をつついて蛇を出す必要もなかろう。

 結局、彼女はそれからしばらく私の思い出話に耳を傾け、手製の茶や焼き魚などを興味深げに味わった後、あっさりと去っていった。

 

「それは今まで通り、貴公の傍で育てるといい」

 

「貴公が如何なる花を咲かせるか、楽しみにしている」

 

 そんなことを言い残して、彼女はまたどこぞへと飛び立っていった。

 長い身体をくねらせながら、まるで泳ぐように優雅に空を飛ぶ姿は何度見ても目を奪われるような光景であるが、しばらくして風を生み出し雲を巻き込み、やがては雷鳴まで響かせる巨大な嵐になっていくその様こそ彼女が如何に規格外の存在であるのかを雄弁に語っていた。

 見るもの全てを畏れさせ、また魅了してやまない存在。それこそが、龍なのだろう。

 古今東西、龍が信仰の対象になるのも当然といえる。

 尤も、この世界において龍は幻想でも何でもなく、確かにそこに存在しているというのが凄まじいところであるが。

 

「しっかし、傍で育てろ、と言われてもなあ」

 

 彼女がそういうのなら、この芽はきっと健やかに育ち、花を咲かせるのだろう。

 しかし、三か月以上は経とうというのに一向に背を伸ばさぬこの芽は、花が咲くまでにいったいどれほどの年月を必要とするのか。一年、二年、あるいは十年以上かかるかもしれない。

 足元に置かれたままの鉢植えを抱え、私は天を仰ぐ。

 空は憎らしいぐらいの快晴。真っ白な月が二つ、薄く遠くに映っていた。

 

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