自分以外誰もいない状態でジャングルに投げ出され、異世界の無人島で28年もたった一人で暮らし、最後には奇跡的に冒険者たちに助けられた中身が日本出身の爺な竜娘の生涯と不思議で驚きに満ちた冒険についての記述   作:野良野兎

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お待たせしました。


兆し

 

 六度目の夏。

 あれから鉢植えの中の小さな芽は少しばかり背が高くなって、天辺に広げた葉も親指の爪ほどの大きさに成長した。

 花を咲かせるまで数年は要するだろうと覚悟はしていたものの、一年経ってようやくこれだけとは。僅かばかりでも大きくなってくれたことに喜ぶべきではあるものの、しかし戒驕戒躁(かいきょうかいそう)を心掛ける私とはいえこれは流石に悠長が過ぎるのではないだろうかと気が気ではないこの頃である。

 しかし鉢植えと向き合い語らったところで腹が膨れる訳でもなく、今日も今日とて日々の糧を手に入れる為に浜辺へと向かう訳であるが、もうすっかり踏み固められて道になった川沿いを少し歩いたところで私は己の眉間を揉み解した。

 

「ううん、どうもおかしいな」

 

 具合が悪い、ということはない。

 ここ最近はありがたいことに食料を切らすことも無かったし、寝不足が続いている訳でもない。無論どこか怪我をしたとか、変なものを口にした記憶もないのだが、どうにも見えるのだ。

 変なものが。

 いや、別に気をやってしまった訳ではない、筈なのだが、先日から森の中などを歩いているとこう、(もや)というか、白や赤や緑と様々な色をしたものがうっすらと、風に乗って流れていくのが見えるのである。

 幽霊だとか妖怪だとか、そういったものではない。

 初めて夜中に見た時は腰を抜かすかと思ったが、偶然そのような形になって人に見えることはあれど、それに意志だとか魂だとか、そういったものが宿っている様子はなく、 消えたり現れたり、見えたり見えなかったりはするが、どちらかといえば自然現象、例えるならば虹やオーロラに近いのではないか、というのが今のところの私見である。

 これが私や他の生き物に悪影響を与えるようなら何かしらの対策を考えなければならないが、これが見え始めて十数日経った今でも体調に変化はない。であるならば無害なのだろうが、それはそれとして得体の知れないものがちらちらと視界に入るというのは中々に落ち着かないものなのだ。

 現代日本で暮らしていた私からすれば、色の付いた気体のようなものといえばあまり良い物である記憶がない故に猶更である。

 

「ええい、悩んでいたところで埒が明かん。とりあえずは飯だ、飯!」

 

 どうせこの謎の靄をどうこうする手段は今のところないのだし、つまるところは慣れるしかない。そうして頬を叩いて悶々とした気持ちを吹き飛ばすと、私はいつもの磯場でいそいそと貝集めに勤しむことにした。

 スガイ、イボニシ、マツバガイ。豊かな土壌から溢れ出した栄養たっぷりの海には、丸々と太った貝たちが所狭しと身を寄せ合って暮らしている。しかし、そんなより取り見取りの中で私が真っ先に向かったのはいつも貝を集めている場所から少し離れた岩場の陰。少しばかり盛り上がった岩の後ろに回り込めば、そこにはびっしりと張り付いた紫色の貝たちが。

 ムラサキイガイ。

 そう聞けばぱっとしないだろうが、ムール貝と言えば殆どの者が聞き覚えがあるだろう。

 フレンチ、イタリアンでは代表的な食材であり、とても良い出汁が出るので蒸したり煮たりするとそれはもう絶品である。

 その名の通り紫色の貝殻が特徴で、その色合いから日本の一部の地域ではカラスガイなんて呼ばれたりする。そう、こいつは意外にも日本の海でも獲れる貝なのだ。

 元々は船底に引っ付いて日本にやってきたらしいが、もしかすればこの島にもどこぞの漂流物に張り付いてやってきたのかもしれない。

 ともかく、これほど美味な食材が獲り放題とくれば、これを見逃す手はない。

 特に今後はとある目的の為に貝殻が大量に必要となってくるため、我が家の食卓にはしばらく貝料理ばかりが並ぶことであろう。

 背負った編み籠にムール貝を放り込んで、ついでに先程の磯場でもイボニシをいくつか集めて我が家へと戻れば、お日様もあと少しで空の天辺まで昇りきろうかという頃合い。

 昼飯時には少し早いが、島での調理はとにかく時間がかかるのでこれぐらいに手を付け始めないと下手をすれば昼飯が夕飯に化ける。

 まずは火おこしから。

 とはいえ自前の炎を吐き出すだけなのだが、ここしばらくはこの単調な作業がまた楽しく思えてきた。というのも最近になってついに、いや、ようやくと言うべきか、我が厨房に(かまど)がやってきたのだ。

 石と粘土で組み上げた簡易的な、出来上がりとしてはお粗末な代物であるがその利便性は焚火などとは比べ物にならない。火の持ちも良いし、風の影響も受けにくく何より火力が段違いだ。嗚呼、文明とはなんと素晴らしい物か。

 私は水を注いだ土器を竈で火にかけ、その間に集めた貝を洗い、ムール貝は中身だけを取り出して沸騰した湯の中へ。イボニシたちは石板の下で火を焚いて石焼きにする。

 続いて畑からハマダイコン、蔵代わりにしている大樹の洞から筍を取ってきて刻み、ムール貝が踊る土器の中へ。

 スープは貝の出汁だけで、石焼きの方には魚醤をちょんと垂らしてから頂く。

 枝を削って作った楊枝で身をほじくり出してぱくりと食らいつけば、磯の香りが鼻先に抜けると同時に貝自体の旨味が口内にふらりと広がる。

 

「うん、相変わらず美味い、美味い」

 

 続いて箸はムール貝のスープへ向かう。

 ぷりっとした肉厚の身は意外にも柔らかく、食感としては牡蛎(かき)に近いだろうか。他の貝と比べて強いクセや風味も無く、クリーミーでほんのりとした甘さがある。

 これは是非とも酒蒸しで頂きたいが、残念ながらまだ酒造りには着手出来ていない。アテはあるのだが、取り掛かるのにはもう少しばかり時間がかかる。

 イボニシを頬張りながらちらりと見やるは丘の上、りんごの木の傍に拵えた手製の巣箱。

 実はこの春先に、巣箱へと数匹の蜜蜂がやってきていたのだ。

 その時は巣箱の中を観察してどこぞへと飛び去ってしまったが、私はこれが分蜂(ぶんぽう)、蜜蜂たちが群れを二つに分ける予兆ではないかと思っている。

 蜂の群れには毎年、春になると新しい女王蜂が生まれてくる。すると新しい女王蜂を生んだ元々の女王蜂は群れを二つに分け、新しい巣へと引っ越しを始めるのだ。

 そう、面白いことに蜂の場合は新参者が出ていくのではなく、元々の家主が子孫に巣を引き渡すのだ。これにはより若い個体に安定した環境を引き継がせるという合理的な理由があるのだがそれはともかくとして、重要なのはこの分蜂の際に新たな住処を探す偵察部隊が我が家の巣箱にやってきていた、ということ。

 残念ながら今季の分蜂では新居に選ばれることはなかったが、巣箱を改良したりだとか、周りの環境を改善していけば次の女王様のお眼鏡に適う可能性は十分にある。

 そして先程述べた通り、一度定住すれば蜂は次の世代にその巣を引き継ぎ続ける為、毎年安定して蜂蜜を入手することが出来るようになる。さらには蜂は植物の受粉を助けるポリネーターと呼ばれる媒介者であり、住み着いてくれればりんごや他の作物の収穫量も上がっていくだろう。

 まさに農業を行う者にとっては心強い味方ということだ。

 まあその分、外敵や越冬から群れを守る為の手助けは欠かせないのだが。

 蜂蜜が安定して手に入れば、水を混ぜて蜂蜜酒(ミード)が作れる。蒸留すればより度数の強い酒にだって出来るだろう。

 さらに楽しみなのが、小鬼族から譲り受けた植物の種である。

 実はこれ、どうやら古代米に近い穀物の種だったらしく、今は我が家の畑で少しずつ品種の改良を進めている。品種改良と言えばさも小難しいことをしているように聞こえるが、実際は実りの良い個体同士を交配、雄しべと雌しべを擦り合わせて受粉させ、より大きく、より多く実るように手を加えているだけなのだが、当然ながらこれがまたとんでもない年月がかかる。

 質としては野生、(ひえ)などに近い逞しい品種ではあり、品種改良が重ねられたものと違い水田などを用意しなくともそれなりに実ってくれるので非常に助かっているのだが、喉から手が出るほど望んで止まなかった米が食えるかも、となればどれだけ時間がかかろうとも必死になるのは必然であった。

 

「まあどれもこれも、いつになるかはわからんがなあ」

 

 グアバの葉を乾燥させて煮出した茶を啜りながら、私はほっと息を吐く。

 泉の上で、青色をした靄が踊るように身をくねらせていた。


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