自分以外誰もいない状態でジャングルに投げ出され、異世界の無人島で28年もたった一人で暮らし、最後には奇跡的に冒険者たちに助けられた中身が日本出身の爺な竜娘の生涯と不思議で驚きに満ちた冒険についての記述   作:野良野兎

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予定していた更新から遅れてしまい申し訳ございません。


火照り

 

 気さくな龍が去ってから、また冬がやってきた。

 冬は良くない、とても良くない。雪が積もる程の厳しい寒さは鱗の奥まで凍てつくようだし、川は凍って湯を沸かさなければ飲み水を手に入れることすら難しい。

 それでいて腹はしっかり減るものだから狩りには出ないといけないし、家畜たちの世話も必要だ。夏の間に保存食は大量に作ってあるが、流石にそれだけでどうにかなるほど冬は優しいものではないし、こう寒くては農作物もろくに育たない。

そんな訳で冬の間ずっと温かい家に引き籠る訳にもいかず、私は今日も今日とて毛皮のコートを身にまとい、手を擦り合わせながら森の中を歩き回っていた。

 

「ああ嫌だ嫌だ。どうせなら常夏の島にでも流れ着いていれば楽だったのになあ」

 

 とはいえ文句を言っていても腹が膨れる訳も無く、さらに言えばこうして空を飛ばず、多少面倒でもこうして自分の足で森を歩いて回っているのにもまた訳がある。

 こちらの方が空を飛ぶよりも寒くないというのが一つ、そしてもう一つが――

 

「出たな」

 

 綿帽子を振り落としながら現れたのは、どこぞ見覚えのある巨大な熊であった。

 これだ。この大熊こそ、私が朝方から半日かけて森中を歩き回っていた理由である。

 現れた大熊は記憶にあるあの大熊よりも一回り小さな体躯ではあるものの、それでもその体長は三メートルは下らないだろう。

 十分に化物と呼べるサイズ。

 鼻息荒く唸り声をあげる大熊を前にして、私は身を包んでいた毛皮のコートを脱ぎ捨てる。四肢は長くしなやかで、艶やかな銀髪は(くび)れた腰へ流れ落ち、胸と尻が程よく膨らんだその身体はおおよそ十代半ばを超え、二十には満たぬ程度の齢か。

 様々試した結果、運動性においては一番バランスがよい体付きがこの辺りであった。

 コートを脱ぎ捨てた下にはよく鞣した皮で拵えたサラシと腰巻きのみ。正直、物凄く寒い。年頃の女子の身体でこんな寒空の下こんな薄着になるなど、もし子や孫であれば慌てて上着を被せてやるところであるが、これは何もとち狂った訳ではなく、しっかりとした理由がある。

 

「よし、やるか」

 

 息を吸い、全身に力を漲らせる。露わになった肌を通し、辺りに漂う(もや)、魔力を感じ取り吸い寄せる。

 それはまるで大きな渦のように否応なく巻き込み呑み込み、己の力へと変換していく。

 これもまた、ここ数年で練り上げた技だ。

 吸い込んだ靄を体内で練り上げることで一時的に身体の強度や膂力、反射神経などを上げる便利な技だが、これがまた、肌を晒しているかどうかで効率がかなり変わってくるという難点があった。

 こんな凍えるような寒さの下で水着めいた格好をしているのは、そういうことなのだ。

 ともあれ、力を練り込めば体温も上がって寒さ自体がそう気にならなくはなるのだが、間違っても人目のあるところで扱うような技でないことは確かである。

 そうして漲らせた力を利用して両手は龍の爪を備えた強靭なそれへ姿を変え、急所となる胸、腰、脇腹は強靭な鱗で覆われて全身へと赤い紋様が広がり奔っていく。

 息を吐く。ちろりと赤い火炎が漏れ、足裏の雪が蒸気と共に掻き消える。

 この間、数秒。

 大熊が咆える。

 これだけ姿を変えれば龍の力の気配は感じ取っている筈だが、奴さんも穴持たず(・・・・)、つまりは冬眠に失敗し食うにも困り果てた果ての果て、ここで退けば死ぬしかない背水の陣。

 だが、私とてここで此奴を仕留めねばならぬ理由がある。

 いつかあの大熊にやられた雪辱を果たす、という訳ではない。

 獲物が少ない冬に、腹を空かせた熊が楽に仕留められる家畜に目を付けるだろうことは想像に難くない。つまりここで奴を仕留めなければ富士やちよ、つまりは我が家の家畜が襲われる可能性が高いのだ。

 冬備えに失敗し、食うに食えず彷徨う飢えの苦しさは十二分に理解できるが、だからといって食料を分け与えていては次はこちらの身が持たない。

 故に、ここで仕留める。

 踏み込んだ。

 足元で雪が爆ぜ、仁王立ちで身構える大熊の姿があっと言う間に目の前にまで迫る。

 大熊の鋭い爪が振り下ろされた。

 躱す。否、受ける。

 私はもう、あの頃の脆い私ではない。

 龍の腕で、鋼よりもなお強靭な龍の鱗で大熊の爪を迎え撃つ。

 鉄で鉄を打つような、鈍い音が響く。

 木々に積もった雪が雪崩落ち、血飛沫が舞う。

 裂けたのは私の腕ではない。弾け飛び、くるりくるりと回り落ちたのは大熊の爪。鉈のような爪がさっぱりと切り飛ばされ、雪の中へと沈んでいった。

 鋭く固い鱗に思い切り打ち込んだのだ。それはまさに寝かせた刃物に拳を振り下ろすが如く。鋭いものが、より鋭いものによって切断されるのは道理である。

 大熊が怯む。

 よもや自慢の武器がこうもあっさりと敗北するとは思いもしなかったのだろう。先程まで飢えによる狂気に支配されていたその目に宿るのは少しばかりの戸惑いに似た色。

 大熊が状況を理解し、次なる行動選択に至るまで数秒。

 そこに生まれた僅かな隙に、私はするりと滑り込む。

 振り上げるのは石斧。丸太に大岩を嵌め込んだだけのそれは切断よりも殴殺することに重きを置いた、余りにも武骨すぎる一振り。

 細く息を吐く。

 状況を理解し、目の前の脅威から逃走しようとほんの僅かに身を鎮めた大熊に向けて、その凶器を振り下ろした。

 唸る。

 悍ましく響いた轟音はまるで嵐の日の夜のようで。

 後ろ向きになった大熊の頭へ、冷徹な一撃が入る。

 手に伝わるのは、命を奪う感触。

 肉を切る、魚を捌く、それらとは明らかに違う、重い手応え。

 振り下ろされた石斧は、大熊の頭を八割ほど潰してあっさりとその命を奪った。

 大熊の体がびくりと跳ねる。

 手にした丸太の柄から伝わる、生暖かい感触。

 残心。

 息を吐く。細く吐き出された白煙は大熊を弔うように天へと上り、やがて痙攣すらもしなくなった大熊の亡骸を前に、私はそっと手を合わせた。

 

「頂きます」

 

 たったそれだけ、万感の思いを込めてそう唱えた。

 命を食らう。

 命を頂く。

 生前は何気なく繰り返してきた行為の、なんと尊いことか。

 そしてなんと罪深いことか。

 己が生きる為に、他の命を奪う。

 死にたくないと、まだ生きていたいと足掻きながら、その肉に刃を突き立てるのだ。

 だからこそ、私はその亡骸に手を合わせるのだろう。

 許してくれと、あるいは許しは請わぬと祈るのだろう。

 そうして罪を喰らい、喰らって、最期は――に還るのだ。

 ――眩暈。

 世界がぐにゃりと歪に歪み、堪らずその場に膝をついた。

 頭を振る。

 二、三度瞬きを繰り返すと、世界はあっと言う間に元の形を取り戻した。

 

「少し頑張りすぎたかな。さて、ささっと片付けて飯にしようか」

 

 少しばかり頼りない足取りで立ち上がると、私は大熊の体を手近で一番逞しい木の枝に吊るし血抜きと解体を始める。

 まずは皮を剝ぐところから。

 初めはぎこちないことこの上なく、剥いだ皮には赤い肉がごろりと残る程であったが今となっては実に手慣れたもので、件の宝箱から頂戴した短剣を皮と脂の間に滑り込ませればあっと言う間に毛皮を剥ぎ取ってしまう。まだ少しばかり赤い肉が残ってしまうのは御愛嬌。これでも随分と上達した方なのだ。

 そうして腹を開いて内臓を掻き出し、手足を落とす。珍味で知られる熊の手であるが調理するにはかなりの時間と手間がかかる為、食べられるのはもう少し先になるだろう。

 ちなみに熊の手は左手よりも右手の方が旨いらしい。

 理由としては利き手である右手を使って蜂蜜などを舐めている為、その味が染み込んで旨味が増しているのだとかなんとか。真偽のほどは定かでは無いが、その味は豚足などに似てゼラチン質でとても美味だそうなので食卓に並ぶ日が今から楽しみだ。

 そうして頭を落とし、背、あばら、肩など部位ごとに切り分けたらお終いである。

 巨体なだけあって肉の量もかなりのものとなった。これだけあれば、この厳しい冬の中であっても当分は食っていけるだろう。

 私は戦利品を担ぎ急ぎ足で小屋まで帰ると、地下の貯蔵庫へと肉を詰め込んでさっそく夕飯の支度を始めた。

 

「腹いっぱい肉を食えば調子も戻るだろう」

 

 焚いた火の上で炙るのはあばら肉。

 私の腕ほどはあろう太さのあばら骨をがっしりと掴み、直火で焼く。これがもう、堪らなく良い。兎に鹿、猪、果てには熊と、この島で様々な動物を喰らってきたが、やはり一仕事終えたあとのこれほど素晴らしいものはなかった。

 あばら肉、いわゆるスペアリブであるので肉付きは悪いかと思いきや大きさが大きさ故にその肉もまるで厚切りのステーキのようで、火に炙られて脂の泡を浮かべるその様子はもはや官能的ともいえる。

じゅうじゅうと肉の焼ける音。大型の獣とは思えないほど香ばしい脂が赤い肉の上で踊り、滴り落ちては線香花火のように弾けて消えていく。

やがて表面に少し焦げ目が出来始めた頃、私は何度か息を吹きかけ、満を持して熱々の肉へ食らい付いた。

 

「熱、うまっ」

 

 口元から湯気が溢れる。

 噛めば噛むほど溢れ出る甘味と旨味。後味にふわりとジビエならではの獣臭さがあるが、数日干した後のような野性味溢れる濃厚な味わいはまさに暴力。口内を蹂躙する滋味の氾濫だ。

 食らう。食らう。

 こびり付いた肉の一片まで余すことなく、舐めれば舐める程甘い太い骨に卑しく舌を這わせて、私は脂塗れになった唇から熱い吐息を吐き出した。

 

「さて、お楽しみだ」

 

 腹を撫でながら取り出したるは私の頭ほどある肉の塊。

 遠火で中までじっくり焼かれたそれは、あの大熊の心臓である。

 これだけの大きさ、完全に火が通るまでかなりの時間がかかると思い、あばら肉を食べている間に枝に刺して焼いておいたのだ。

 味付けは少量の塩だけだが、改めて見ればその威容は思わず固唾を飲んでしまう程。それは立ち昇る湯気まで旨そうなその見た目だけでなく、そこに渦巻く例の(もや)、その量にこそあった。

 もはや凄まじいという他ない。死してなおその炉心には濃厚な、小動物数匹分はあるだろう命の力が残り、ともすれば今にでもまた脈動しそうな力強さすら感じる。

 

「頂きます」

 

 筆舌に尽くしがたいその生命力に感謝し、甘い香りを立ち昇らせるそれへと牙を突き立てた。

 直後、溢れ出たのは肉の比ではない量の肉汁。

 ()せ返る程の濃厚な香りが鼻へと抜け、口内から零れ出た蜂蜜のような脂が胸元へと流れ落ちる。

 噛む。

 口内で爆発した肉汁を飲み下し、ぐっと押し返してくるその肉を噛み締める。

 歯応えはあるが、固くはない程よく歯切れの良い食感。

 しかしそこに秘められた命の源泉は一口飲み込むたびに身体を火照らせ、内側から肉体を叩く程の力強さ。

 額に汗が浮かぶ。身体中から湯気が立ち昇る。

 

「嗚呼、なんという旨さだ」

 

 翼が広がる。尾が喜びに打ち震える。

 汗ばみ、上気した頬に手を当て、身体の熱が溢れるように口先から炎が漏れた。

 降り注ぐ雪が、肩に触れるなり蒸気となって消えていく。

 身体を捩る。嬌声が漏れる。

 しかし、肉を喰らうその手が止まることはない。

 嗚呼、嗚呼、なんと心地良く、そして罪深い味なのだろうか。

 まさか肉を食って酔うことがあるなんて思いもしなかった。まるであの大熊の生命力がそのまま体内に流し込まれたようだ。

 精が付く、などという話ではない。

 まるで媚薬。食らう者によっては正気すら失いかねない劇薬である。

 その後、その強烈な効果から獣の、特に大型の心臓は基本的には幾つかに切り分け、時間をかけて食べるという決まりが生まれた。

 

「いやはや、老いさらばえ枯れ果てたと思っていたが、異世界とはかくも不思議なことばかりよ」

 

 蕩けるような倦怠感に包まれながら零したその言葉は立ち昇る湯気と共に解れ、真っ白な空へと昇って行った。

 




エッな装備にしてナニしたかった。
後悔はしていない。
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