自分以外誰もいない状態でジャングルに投げ出され、異世界の無人島で28年もたった一人で暮らし、最後には奇跡的に冒険者たちに助けられた中身が日本出身の爺な竜娘の生涯と不思議で驚きに満ちた冒険についての記述   作:野良野兎

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お待たせしました。
少し駆け足です。


覚醒

 

 小さな友人がこの世を去って、丁度一年が過ぎた。

 あの日から今日で丁度三百六十五日目。この世の暦が生前の世界と同じものかどうかは定かでは無いが、私の基準であれば丁度一年、今日がごんの一周忌になる。

 

「よっこら、せいっ!」

 

 あの日、身を投げる程の悲しみに暮れていた私は今、ただひたすらに斧を振るっていた。

 木を伐っては薪にして、皮を剥いでは柵にして、根を掘り起こしては畑を広げ水路を引いた。ただひたすらに身体を動かしていなければ、あの日の情けない自分が背後からさっと追いついてきそうで怖かった。

 幸いこの身体の体力は無尽蔵である。その気になれば七日七晩走り続けることもできるだろう。

 現実逃避と言われればそれまでのことだが、しかしそのお陰で泉の周りは随分と賑やかなものになった。

 この泉に辿り着いてからずっと世話になっている大樹には手製のしめ縄が巻かれ、その傍には洞から溢れんばかりだった漂流物の数々を収めた蔵が一棟。泉の傍にも休憩用の床几台(しょうぎだい)が備え付けられ、我が家の軒先には竹製の風鈴まで靡いている。

 

「よし、とりあえずはこれぐらい広げればいいだろう」

 

 額に浮かぶ汗を拭い、私は以前よりも少しばかり広くなった広場を眺める。

 後は新しく切り拓いた場所を柵で囲み、家畜たちを放すだけだ。面積としてはサッカーコート一つ分ほど。これぐらいの広さがあれば、富士たちものんびりと過ごすことが出来るだろう。

 一仕事終えたら川で汗と泥を流し、海岸で食料集めと漂流物探し。

 なのだが。

 

「あっ、おいこら、またやりおったな」

 

 水浴びを終え、髪を絞りながら川べりへ戻ると、そこには引き倒され、ひとりでに転がる籠がひとつ。ため息交じりにそこへ手を突っ込むと、乙女の肌着を頭巾にした不届き者の丸い尻尾がぽろりとまろび出た。

 どこか見覚えのあるのんびりした顔の下手人は、ごんが残した子孫たちの一匹である。島ではかなりの数を見かけるようになった彼らであるが、子狸のうちはこうして悪戯をする個体も少なくなかった。とはいえ成熟するまでの一年余りのことであり、遊び回る子狸たちの様子は実に微笑ましいものなのだが、たまにこうして物をかっぱらおうとするのは困ったものだ。

 何を隠そう、広場を拡張したのも半分はこいつらの遊び場を作る為だったりする。

 

「ほれ、あっちが広くなってるからあっちで遊んできな。ああもう、こら、離さんか、破れるだろ。ほれ捕まえたぞぉ、この悪ガキめぇ」

 

 遊んでもらっていると勘違いしているのか、肌着を咥えたまま右へ左へ、捕まえようとする私の腕からするりするりと逃げ回る子狸と格闘すること数分。ようやくその首根っこをとっ捕まえて腹をくすぐっていると、ざわりと角の付け根に随分と久しぶりな感覚が走った。

 

「おっと……何だ?」

 

 まず耳にしたのは、幾つもの刃が空を切り裂くような甲高い音だった。

 森が震える。腕の中の子狸が背中の毛を逆立てながら一声鳴き、慌てふためきながら茂みの中へと逃げ去っていった。

 なんだ。まるで島そのものが身を強張らせているような、これまでにない張り詰めた空気が肌を刺す。かつてあの怪鳥が現れた時でも、これほどの変化は見られなかった。

 私はさっと身支度を整えると、我が家から相棒(石斧)を引っ張り出して空に出る。

 そして見た。

 それは巨大な舟であった。

 それは私の記憶にある舟とは少しばかり異なる姿をしていて、いつぞやかウィリアムが乗ってきた、いまだ泉の広場の片隅に転がるあの船ともまた違う。

 似ているものを挙げるのならば、そう、大航海時代に活躍していたガレオン船に近い。あれのマストと衝角、そして船尾にプロペラを幾つか取り付ければこうなるだろうという、戦艦とレシプロ機を足して二で割ったような不思議な見た目をしていた。

 そんな船が、島から少し離れた海の上に錨を降ろしている。がらがらと、音を立てて錨が海へと沈んでいくのが見えた。

 それの様子を目にした時、我が胸に去来したのは喜びではなく悲しみであった。

 自然に流れる島ではなく、人が作った船。ということは、そこには少なくともあれだけの大きさの船を操り、航海できるだけの知能、文明を持った人がそれなりの人数いるのだろう。

 これまで何度も夢に見た、この世界に生きる人間との邂逅。

 歓喜し、飛び跳ねて韋駄天の如く疾くあの船へと向かうべきだろうに、私はそれをしなかった。

 何故ならばその船からは人の気配が、生命の息吹が欠片も、これっぽっちも感じられなかったから。

 苔の生えたマストに、圧し折れた衝角、穴だらけの甲板。横っ腹には大きな穴が開き、そのまま二つに圧し折れても不思議ではないほどその船は傷んでいた。

 人同士の争いに寄るものか、あるいは龍の嵐にでも巻き込まれたか。ともかく私はその脆く、今にもぼろぼろと崩れ落ちてしまいそうな甲板の縁に降り立った。

 そこは、思わず咳き込んでしまう程澱んだ空気に満ちていた。それは、死の気配であった。

 甲板上の様子は、それはもう酷いものだった。

 骨、骨、骨。そこら中に転がる人の骨。

 あるものは胸に剣を突き立てられ、またあるものは頭蓋に拳大の穴を開け。

 それは地獄だった。

 私は嘔吐した。この凄惨な、凄惨だったであろうかつての光景を想起して涙さえ流した。

 それは明らかに争いの跡だった。

 何者かに襲われたか、あるいは仲間割れだったのか。

 間違いないのは、この場で人と人との凄まじい殺し合いが発生した、ということ。

 

「なんて酷い。なんまいだぶなんまいだぶ……」

 

 拝み手で念仏を唱えながら、私は甲板の奥に立派な拵えの扉が嵌められた部屋を見つけた。場所からすると、恐らく地位の高い人物、船長が使っていた部屋に違いないだろう。

 鍵はかかっていない。しかしその豪華な金の拵えの上には、夥しい程の赤黒い染みが出来ていた。

 喉が鳴る。今にも心臓が口から零れ出そうだった。

 意を決し、私はドアノブに手をかける。ぎい、ぎい。不気味な木の軋む音と共に扉が開く。

 ごつんと、石斧の柄が扉の縁に引っかかった。なんとも心細いが、中もそう広くはなさそうだし石斧はここに置いていくとしよう。

 そうして石斧を壁に立て掛け入った奥にあったのは机と椅子、そしてそこに鎮座する豪華絢爛な服装をした骸骨がひとつ。

 手には金の盃と短剣。争った跡はなく、最期は自死か衰弱死か。どちらにせよ、外の有様を見るに穏やかな最期ではなかっただろう。

 日が陰る。濁った硝子が嵌められた鉄格子が、風に打たれて呻き声のような音を立てた。

 

「可哀そうに。せめて安らかに眠っておくれ」

 

 手を合わせる。今の私に出来ることはこの程度しかない。

 ふと、骸骨が向き合う机の上に、小さな木箱を見つけた。

 随分と長細く、装飾も金縁の立派なものだったのでてっきり骸骨の握る短剣を収めていたものかと思いきや、覗いてみれば何と中身は煙管であった。

 船乗りの喫煙具と言えばもっと丸っこいパイプを連想するが、どうやらこの船長は随分と洒落っ気が強い人物だったようだ。

 煙管、煙草か。そういえば最後に煙草を吸ったのはいつだったか。

 正直、興味はある。興味はあるが、流石にこれ(遺品)に口をつける気にはなれない。

 

「主人と一緒に弔ってやるからな。さて、まずは船を島に寄せるか。まずは(こいつ)を固定している錨を引き上げて――」

 

 そこまで口にして、私は全身の血がさっと引いていく感覚に襲われた。

 そう、錨が下りているのだ。いや、下ろされている、といった方が正しいか。

 誰が下ろした。私はこの船に来る前、錨が海へ下りていくところを見た。あれは、何らかの衝撃で錨が勝手に転げ落ちたようには見えなかった。明らかに、しっかりと操作されて、本来の役割通りに動いていた。

 では、誰が。

 ごとりと、背後で何かが落ちる音がした。

 こつんと、床を転がったそれが私の踵にぶつかる。恐る恐るそちらの方へと目をやれば、そこには煌びやかな装飾をされた金の盃が転がっていた。

 先程まで骸骨が握っていた、金の盃が。

 さっと身を翻す。両手の肘までを龍の姿に変えて、振り向き際に捉えた白刃を手の甲で弾いた。

 

「ひっ……!」

 

 思わず、声が出た。

 そこにいたのは、先程まで椅子に腰かけていた筈の船長の亡骸。空洞になった眼窩に青白い鬼火を宿しながら、けたけたと顎の骨を鳴らしてこちらを睨みつけていた。

 一世紀近く生き、死まで経験した私であるが、流石に干乾びた皮膚の切れ端を引っ掻けた人骨に襲われれば悲鳴も上がる。

 あまりの出来事に我を忘れ、咄嗟に扉を開けて逃げようとした私の後ろ髪を枯れ枝のような骸骨の指が絡めとった。

 不意を突かれ、龍の膂力を発揮する前に床へと引き倒された私が見たのは、今まさに自身が逃げ出そうと開いた扉の奥から、真っ白な骨の腕がいくつも溢れ出る背筋も凍る光景であった。

 それはまるで地獄から這い出る亡者の如く、悍ましい呻き声のような音を頭蓋から響かせながら、無数の腕が私の足先を、股を、腹を、胸を、首を這い上がり、絡めとらんと迫る。

 私はそのあまりの光景に、想像を絶する感触に気が狂いそうだった。

 このまま私は地獄に引き摺り込まれるのだろうかと、そんなことすら頭を過ぎった。

 だがついに意識を手放しそうになったその瞬間、私は聴いた。亡者たちの呻き声の中に混じる小さな小さな異音。濁流の中に紛れ込む、小さな声を。

 それを耳にした瞬間、私の胸の奥底がかっと熱を孕み、全身の紋様が室内の薄暗がりを吹き飛ばさん勢いの輝きを放った。

 

――嗚呼、そうか

 

 視界が透き通る。

 全能感が身体中を駆け巡る。

 光が満ちる。月の光に似たそれは亡者たちを吹き飛ばしその身を壁に、天井に、床に叩きつけた。

 風が吹く。舞い上がった銀の髪が全身を包み込み、まるで繭のように私を覆い隠す。

 変容する。身体が、心が龍のそれへ変わっていくのを感じる。

 そうして理解する。己の使命。定め。在り方。龍とは何か。私は何故ここにいるのか。

 繭が解ける。

 現れたるは一柱の龍。

 闇夜の如き鱗。妖しく光る緋色の瞳。龍としては小さな体躯。しかしそこに宿るのは夜空のような底知れぬ神秘と魔性。

 

『嗚呼、嗚呼、可哀想な迷い子たちよ』

 

 零れた声は、自分のものとは思えぬほど甘く、そして優しかった。

 見つめる。

 吹き飛ばされ、手が折れ、足が折れても尚立ち上がろうとする哀れな亡者たちを。その向こうにある、哀しい魂たちを。

 

『よくぞ、よくぞ余の元まで辿り着いた。さあ、愛しい我が子たちよ、其方らの苦しみは余が飲み干そう』

 

 翼を広げる。

 屋根を突き破り、船を眼下に納める。弓を手にした骸が矢を放ってくるが、それがこの鱗に触れることはない。その悉くが、この身から漏れ出る力に触れて灰塵と化していく。

 翼を広げる。

 背後に開くは月の門。死者を送る黄泉の道。

 甲板の上、こちらを見上げる亡者たちが手を伸ばす。それはまるで神へと祈りを捧げる信者のように、母へと愛を求める赤子のように。

 

――助けて

 

 あの時、確かに耳にしたそれは、救いを求め苦しむ亡者たちの、道に迷い泣きじゃくる子どもたちの声。魂の叫びだった。

 月の門が、二重の月が一つになる。月の光が船を照らし、迷える魂を吸い上げる。

 

――ああ、ありがとう、ありがとう

 

 門を潜り、天へと昇る魂たちの声が響く。それは本当に、本当に安らかな声色で。

 そうして仮初の月が消えた時、もうそこに泣きじゃくる魂はひとつもなく。

 ただただ、どこか穏やかになった船だけが佇んでいた。

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