自分以外誰もいない状態でジャングルに投げ出され、異世界の無人島で28年もたった一人で暮らし、最後には奇跡的に冒険者たちに助けられた中身が日本出身の爺な竜娘の生涯と不思議で驚きに満ちた冒険についての記述   作:野良野兎

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龍か人か

 

 困ったことになった。

 寄せては返す白波をぼんやりと眺めながら、私は深く溜息を吐いた。

 龍として覚醒したのがつい先日。己が何を成せるのか、己が何と定められたのか、ぼんやりと、まるで曇り硝子の向こうから見ているような感覚で、それでいて所々曖昧な記憶の中であるが、それらを何となく理解したのもつい先日。

 そして、この世界にやってきてからこっち、ずっと気掛かりであったこの身体に抱える問題。つまりはこの身体に私以外の、本来の持ち主ともいえる魂は宿っているのか、そして両親と呼べる者たちが存在するのか、その問題もまるっと解決した。

 結論から言えば、この身体に私以外の魂は存在しない。つまりこの身体は私自身のものであり、それはつまり私は私として、龍の少女として今後悠久の時を生きていかなければならない、ということであった。

 いや、それはいい。あるいはそうなるであろうと覚悟していた一つではあるし、これで晴れて何の後ろめたさも抱かずに日々を送れるというものである。

 問題は、今の私の姿にあった。

 龍である。

 黒い鱗に覆われ、大きな翼を持ち、立派な角を生やした、まるで絵に描いたような見紛う事なき龍である。

 その大きさこそいつぞやの熊や猪程度のものではあるがこれがまた厄介で、何しろ私がこれまで拵えてきた家やら食器やら風呂やらは当然ながらその全てが人間用であり人間サイズ。つまりはこの身体で扱えるようにはなっていないのである。

 家に入ろうとすれば入り口で詰まるし、そもそも爬虫類のようなこの手はどうやっても皿や匙を扱えるようにはなっておらず、満足に行えるものといえば水浴びぐらいのもの。ついでに言えばこの姿のままでは家畜たちがどうにもよそよそしく、私であることは薄々察してはくれているようなのだが、なんというか子どもが初めて大きな犬を見た時の距離感というか、これがいわゆるドン引きというやつなんだろうなあ、と。

 そんな感じであった。

 さて、まあここまでだらだらと前に置けば概ね言いたいことは察して貰えただろうが、そう。

 戻れなくなったのである。

 龍の姿から。

 件の幽霊船がやってきた日からもう三日経っているが、まるで人の姿に戻る様子がない。いくら念じようと、後ろ足で立ち上がって人のように振舞おうと、挙句の果てにはそれっぽい変身ポーズを決めてみてもうんともすんとも言わなかった。

 これは困る。非常に困る。

 食ったり寝たりする分には問題なのだろうが、文明的な暮らしにおいてこの姿はあまりにも生きにくい。

 

「流石に今から野犬のような生活というのはなあ」

 

「やあ、お姉さん。何かお困りかな?」

 

 溜息交じりに呟く私に、横から返す声があった。

 横に視野が広くなった目でそちらを見れば、そこには少年が立っていた。いや、あるいは少女なのかもしれない。中性的な、人の姿の時の、幼い方の私と同じぐらいの年頃の中性的な姿をしている。薄っすらと笑みを張り付けて、緑色の、春先の新芽を思わせる瑞々しい色をした瞳の中に黒い龍が映り込んでいた。

 驚きはしまい。この島に来てこの展開は何度も経験した。故に驚くのは終いだ。

 いや、正直なところ少しばかり面食らった。まさかあの龍がこういった姿になるとは、こういった姿を選ぶとは思いもしなかった。

 瞳と同じ色をした、顎をなぞるように切り揃えられた髪がふわりと揺れる。それと合わせるように赤色と黄色で染められた、藍染めのような淡い色合いのワンピースが舞った。

 

「まあ、まあ、うん、まずはおめでとう、かな。前に話した時より、ずっとボクたちらしく(・・・)なった」

 

「らしくなった。らしくなった、か」

 

 薄々感じてはいたが、どうやら今の状態が、この姿になったことが完全に覚醒した、という訳ではないようだ。

 それはそうだろう。力の扱い方も以前より随分と上手くなったが、完全に操れている訳ではない。何より完全に龍としての力を使えるのならば、人の姿に戻れないと夜な夜な頭を抱える事態にはなっていない。

 閉口しもにょもにょと唸る私を見て、緑がころころと笑う。全く、こちらとしてはとても笑いごとではないというのに、他人事だからと気楽なものだ。私がふんすと鼻を鳴らすと、緑は特に悪びれた様子もなくひらひらと手を振って見せた。

 

「ごめんごめん。(ぼくたち)に成りたいと悩む子は星の数ほど見てきたけれど、人の姿になりたいと頭を抱える同胞(かぞく)は初めてだったから可笑しくて。でも、うん、やっぱり君は稀有な存在みたいだね」

 

 こつんと、緑の小さな、若葉色をした靴が地面を叩く。

 こつん、こつん。

 叩く度に柔らかな髪が跳ね、ワンピースの裾が踊る。

 しかし私が目を剥いたのはその妖精のような美しさではなく、その周囲で舞い踊る赤、青、緑などの色鮮やかな(もや)たち、魔力であった。それらはまるで緑の動きに吸い寄せられるかのように集まり、やがてその小さな体躯をすっぽりと覆い隠してしまった。

 

「世界が定めた(すがた)を変えるというのは、ボクたちからしても特殊な力の操作が必要になる。力押しでやってもダメだよ、肝心なのは力の扱い方さ」

 

 靄が晴れた時、そこにはいつぞやか見た色鮮やかな龍の姿が在った。

 力の扱い方。そうは言ってもこちとらついこの間にようやく初心者マークが外れたようなもので、その力というのもまだまだ理解したとは言い難いものなのだが。

 じっと緑の目を見る。星を散りばめたような美しいその瞳には、何かを期待するような光が宿っていた。

 己が手を見る。脳裏に思い浮かべるは人だった頃の、あの見慣れた少女の腕。

 力を込める。緑がそうしたように、周囲に漂う魔力を掻き集め、思い浮かべる形へと成形する。そう在れと強く念じて腕を振れば、そこには傷一つない、健康的な褐色をした少女の腕があった。小さなその拳を握ったり、開いたりしてみる。うん、動作には何も問題ない。変身は無事に完了したようだ。

 腕だけ。

 

「これは流石に気味が悪いな」

 

 黒い龍の胴からか細い人間の腕だけ生えている光景は、控えめに言って心臓に悪い。

 見れば、そんな私の姿があまりに滑稽だったのか、緑の奴はその鮮やかな色をした身体を小刻みに震わせながら、腹を抱えて身を捩っていた。

 何ともはや、お見苦しいものをお見せしてしまって恥ずかしいやら、笑われたことに腹が立つやら、複雑な心境である。

 ともあれ、姿を変える感覚は掴めた。あとはこれを、この感覚を全身に巡らせるのみである。

 目を閉じ、息を吸う。思い浮かべるは十七年共に過ごしてきた己の、龍の少女としての姿。

 息を吐く。周囲の魔力が、不可思議な力場が私を中心に渦を巻いているのがわかる。集めた魔力を、自身が思い描いた形へ練り固める。押し固める。溶けた鉄を型へ流し込むように、私という、シエラという器へ流し込む。

 ゆっくり瞳を開けば、そこには見知った両手と両足があった。

 

「ああ、何とか上手くいった……」

 

 息を吐き出し、ぱたりと四肢を投げ出して横になる。背中から伝わる砂の熱が心地良い。思えばこうして仰向けに寝転がるのも三日ぶり。龍の姿が窮屈という訳ではないが、やはり一世紀近く慣れ親しんだ人の形は実に馴染む。まるで全身に巻き付けていたベルトが外されたような解放感であった。まあ実際に一糸纏わぬすっぽんぽんではあるのだが。

 

「おめでとう。それじゃあ君の顔も見たことだし、ボクは行くよ。あまり長居をすると良くないからね、君にとっても、この島に暮らす者にとっても」

 

 緑がその翼を広げる。甘い花の香りが鼻先を舞った。

 

「緑よ」

 

 今まさに飛び立たんとしたその背へ、声をかける。

 

「私は、善い龍なのだろうか」

 

 それはあの日、龍としての力を振るったあの時から私の胸の奥に燻っていた一抹の不安。

 私はあの時、あの世に行けず彷徨っていた亡霊たちの魂をあるべき場所へ還した。それこそが、私という龍が成すべきことだという確信があったからこそ。しかし私という龍が振るう力はそれだけではない。

 思い出すのはいつぞやか、冬の日に襲い掛かってきたあの大きな熊の姿。泉の傍に横たわる、こと切れたあの巨大な亡骸。

 奴を仕留めたのは他でもない私だ。私の龍としての力が奴から命を奪った。

 それは何も比喩や言葉の綾ではない。文字通り『命を奪った』のである。私にはそういう力が、命を、魂を操る力があった。それはまさに死神のように、私の力は問答無用で命を狩り取ることができる。

 それは、人間と共に歩もうと夢見る私にとって絶望でしかない。私がこの世界にとって畏怖される存在であり、傍に在るだけで彼らを傷付ける可能性を孕んでいるのだとすれば、いっそ私はこの孤島で、誰とも会わずにひっそりと暮らしていた方がいいのかもしれない。

 

「ボクたちに善悪はないよ。いや、善であり悪である、と言った方がいいのかもしれないけれど、ボクたちはこの世界に在るだけで周囲を変えてしまう存在だ。だからこそ人はボクらを畏れ、伏して祈りを捧げる」

 

 それは母が子を諭すような、慈愛に満ちた声であった。

 

「でも君は、一度は人として生きた君ならばあるいは、生きとし生けるもの全ての傍らにある君の力ならばあるいは」

 

 こちらを見下ろすその瞳には、いまだ何かを期待するような光があった。

 

「足掻いてみるといい。龍としてはみっともないかもしれないけれど、人という存在は足掻くものだ。足掻いて藻掻いて、より良い道を探し出す。それこそが人としての在り方だと、ボクは思うよ」

 

 風が吹く。砂を巻き上げ吹き荒れるつむじ風に思わず目を閉じる。

 しばらくして風が収まった時、目の前にはもう誰もいなかった。

 

――君には期待しているよ

 

 花の香りと共に、そんな言の葉だけを残して、彼の龍は去っていった。

 

「言われずとも、精々足掻いてみせるとも」

 

 ひらり舞い降りたひとかけらの花弁を握りしめ、私は踵を返す。富士たちの世話に、畑の手入れ、ガタが来ている小屋の補修もしなきゃならん。やるべきことは、文字通り山のように。

 しかし、まあ。

 

「……くしっ」

 

 とりあえず、着る物を拵えるところから始めようか。

 身震いする私を笑うように手のひらから花弁がひらりと舞い落ち、空へと消えていった。

 

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