自分以外誰もいない状態でジャングルに投げ出され、異世界の無人島で28年もたった一人で暮らし、最後には奇跡的に冒険者たちに助けられた中身が日本出身の爺な竜娘の生涯と不思議で驚きに満ちた冒険についての記述   作:野良野兎

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切る、組み立てる

 

 朝だ。

 雨上がりの爽やかな朝である。

 昨夜まで降り続いた雨が嘘のように空はからりと晴れ渡り、森はいつも通りの静けさを取り戻していた。

 寝床から顔を出しすっと息をすれば雨上がり特有の匂いが鼻の奥にむっと広がり、私は思わず眉間にしわを寄せた。

 腐葉土のような、湿気た土の臭いである。

 生前はさほど気にならない、爽やかで澄んだ空気だと好んですらいたのだが、ここではその土臭さが桁違いだ。

 比較的開けたこの辺りでもこれだけ濃いのだから、森に入ればもはや匂いが肌に纏わりつくほどだろう。

 それがわかっていながらも、生きる為には森へ入らなければならない。なんとも、まあ、気が重くなる話だ。

 しかしそんな重くなった気持ちも、寝床から一歩踏み出せば霧散してしまう。

 草と、苔と、昨日たっぷりと雨水を吸ったはずの土から、まるで湿り気が感じられなかったのである。

 いや、僅かに湿ってはいるのだが、それも雨が降り出す前とほとんど遜色のないものであり、草木に雨露が浮かんでいなければ、昨日丸一日雨が降ったなどとは誰も信じないことだろう。

  

「これはまた奇怪(きっかい)な。丸一日降られてこれかい」 

 

 踏み出した足裏から伝わるのは、瑞々しくもしっかりとした土の感触。

 相当水はけが良いのか、それとも地面を覆う草木や土壌が特殊なのか、まるで昨日の雨が嘘のようにさっぱりと乾いている。

 ここに畑なんか作れば、良い作物が育ちそうだ。

 これだけ乾いていれば火種を外に移しても大丈夫そうだが、その前にそれを保護するためのシェルターを作らなくてはならない。

 もはや日課である薪拾いを終えた後、昨夜拵えたばかりの手製の石斧を手に私は森へ入った。

 昨日の雨の影響か、森の空気は先日よりも澄み渡っており、まるで滝の傍を歩くような清々しさであった。

 心なしか草木もより青々としており、なんと言うべきか、森全体が活気に満ちているような気がする。

 そんな清々しい空気の中を進みながら、私は周囲に目を光らせる。

 雨が降り、風が吹けば、それに伴って手に入りやすくなるものがある。

 

「おっ、あったあった」

 

 足元に転がっていたそれを拾い上げる。

 丸っと肥えた、緑色の果実。先日から何かと世話になっている、グアバの実だ。

 もっとも見た目が似ているだけで実際は異なる種類なのだろうが、似たような見た目と味なのだから仮称だろうが何だろうが構いはしないだろう。

 周囲に転がった果実を拾い集め、頬張りながら周囲を確認してみるが、あるのは私の胴ほどはあろう太さの巨木ばかり。

 探しているのは手頃な太さの、私の腕ほどの太さの若木だ。

 屋敷を建てるわけでもなし、そもそも手製の小さな石斧では、巨木を切り倒すなどできるはずもない。

 丁度いい塩梅のものはないものかとまた森を進んでしばらくすると、ようやく目当ての木を見つけることができた。

 見つけたのは理想よりも少しだけ太い、男の二の腕ほどの背の高い木であったが、この程度ならば少し時間をかければ切り倒すことは可能だろう。

 まだ若いのか表面はあまり苔むしておらず、天辺あたりに青々とした葉を茂らせている。

 

「すまないが、頂いていくよ」

 

 肌を撫で、静かにそう語りかける。

 長く生きた樹木には、神や精霊が宿るという。

 この木がどれほど生きているのか知りようがないが、私よりも先にこの地に生きていた命を、こちらの一方的な都合で切り倒すのだから最低限の礼儀は必要だ。

 生前であればあまり意識していなかった感覚である。

 だがこの島で目覚め、生きていく中で、そういった他の命への意識というか、自分は他の生物の命を頂いて生きているのだという実感、それを強く感じるようになった。

 だからこそ、感謝しなければならないのだろう。

 手を合わせ一礼した後、私は木の幹へ石斧を打ち付けた。

 がつんと固い音がして、石の刃が樹皮を数ミリ程度削り取る(・・・・)

 お世辞にも、切る(・・)とは言い難い切れ味だが、数回打ち付けても刃は欠けることはなく、道具が壊れず体力勝負となればもうこちらのものだ。

 がつんがつんと石斧を振るい続け、半分ほど削ったらちょいと飛び上がって幹にしがみつき、体重をかけて引き倒していく。

 あとは削った反対側をまた斧で叩き切り、予想よりも少し早い時間で一本目を切り終えた。

 しかし、これ一本だけではシェルターを作るのには少し足りない。

 息つく間もなく、二本目に取り掛かる。

 額に汗し、肉体労働に勤しむ。

 嗚呼、なんと健全な生活だろうか。

 と、殊勝なことを考えたところで近代世界、その中でも先進国、いわば恵まれた環境で生まれ育った人間がそう簡単に甘えを捨て切れるはずもなく。

 鉄の斧があれば、いやチェーンソーがあればこの十倍以上の速度と労力で、あっと言う間に掘っ立て小屋でも建てられるだろうに。

 嗚呼、懐かしきかな近代文明。

 冷房の効いた涼しい室内。冷蔵庫で冷やされた麦茶に調味料をふんだんに使った料理たち。

 がつん、がつんと斧を振る毎に、煩悩(それ)はまるで湯水の如く湧きあがった。

 

「煩悩退散、煩悩退散」

 

 念じながら、二本目を切り倒す。

 やれやれ、我ながら呆れる軟弱、強欲ぶりである。

 何の因果か、老いさらばえてくたばった筈の爺がこうして二度目の生を得られたのだ。

 例えそれが近い将来、この肉体本来の持ち主(たましい)へお返しするまでの仮初の生だとしても、得がたい経験に感謝こそすれ、不平不満を漏らすなどあってはならない。

 全身全霊をもって、本来の主に失礼のないように生きる。

 それこそが、私が今すべきことであろう。

 さて少しばかり湿っぽい思考になってしまったが、無事に材料は確保できた。

 切り倒した木を両肩に担ぎ、引きずるように拠点まで戻ってきた私は、まずこれらの木材を加工するところから始めることにした。

 石斧で丁寧に枝を落としていくのだが、ここで落とした枝も後で使うので、葉が付いたまま固めてすぐ傍に置いておく。

 次は私の背丈ほどの長さのものが四本。その半分ほどの短いものが二本。少し長めのものが四本できるように木材に目印を入れる。

 それが終わったら目印の部分を焚火の上に置き、両側から焼いて炭化させた後、石などに立て掛けてへし折る。

 てこの原理を使えば、炭化して脆くなった部分なら簡単に蹴り折ることができた。

 石斧を使っても切り分けることは可能だが、こうした方が早いし楽だ。

 そうして必要な分を揃えたらまずは背丈ほどのものと二本、短いもの一本を組み合わせてローマ字のAの形になるように固定する。

 固定するのには蔓を使う。丈夫なロープがあれば文句はないが、これも上手く使えば十分にその役目を果たしてくれるだろう。

 それを二組作ったら、次は長い木材をAの字の頂点に乗せて固定する。

 そうしてバランスを確認した後、残った最後の一本をAの字の真ん中辺りに足して固定すれば、簡単な骨組みの出来上がりだ。

 あとはここに、先程取っておいた枝を立て掛けていく。根元を骨組みの頂点に結び付け、なるべく隙間ができないように。

 どうしても隙間ができてしまう場合は、拠点周辺に自生する幅の広い葉を上から被せて固定した。

 作業時間、およそ半日。

 火を雨露から守る、簡易シェルターの完成である。

 今回は火を守ることが目的であるので一方向だけ屋根を付けたが、同じ要領で残りの三面も葉で覆えば簡易的なテントとしても利用できるだろう。

 まあ寝床はあの洞があるので、当面は休憩所兼調理場として利用することになるだろうが。

 

「いやあ、やればできるもんだなあ」

 

 さっそく火をシェルターの下に移し、よっこらせと地面に座り込む。

 少しばかりぼうっと空を見上げ、自由気ままに形を変える雲を眺める。

 このあとすぐに食料を集めに行かなければならないが、一仕事終えた後だ。ちょっとぐらいのんびりしたってバチは当たらないだろう。

 翼を揺らし、ぐでっと地面に伸ばした尾っぽから伝わるひんやりとした感触を楽しみながらそうしていると、呑気していた私の思考を吹き飛ばすような光景が目の前に飛び込んできた。

 見上げた空の向こう、流れる雲の奥から現れたのは、島であった。

 土砂や岩、木の根が入り混じった断崖絶壁。

 外縁部に並ぶ大小さまざまな滝。

 遥か上空にある為に正確な大きさはわからないが、周りに浮かんでいる雲を見るに相当な大きさだろう。

 もしかすれば、私がいるこの島より大きいかもしれない。

 

「本当に浮いているんだなあ……」

 

 頭が真っ白になり、阿呆みたいに開いた口が塞がらない。

 空に浮かぶ島。

 自分がそういった所で生きている事実は理解していたが、それでもやはり、実際に島が浮いているという非現実を外から見た瞬間に湧き出た感情は、まさしく言葉では表現できないような複雑怪奇なものであった。

 人は、いるのだろうか。

 真っ白になった頭に、まず浮かび上がったのがそれだった。

 ここからでは島の裏側しか見えない。もしかすればあの島には大勢の人々が暮らしていて、町や港なんかがあるかもしれない。

 あるいはあの島から何かしらの人工物でもこの島へ落っこちてくるようなことがあれば、この不思議な世界にも私以外の人類が存在する証明になるのだが。

 あの高さなら酸素も相当少なそうだが、今の私のような人とは少し異なる種も存在しているようだし、この特殊な環境に適応し、進化した人類がいたとしても不思議ではない。

 風が吹く。

 焚火がごうごうと燃え上がり、吹き飛んでしまいそうな薪を尻尾と両手で慌てて押さえつけた。

 島全体を吹き上げるようなその風に乗り、鳥たちが遥か上空へと飛び去って行く。

 あの島に行くのだろうか。或いは、また別の浮島が近くにあるのだろうか。

 

「私も連れてってくれると、助かるのだけどねえ」

 

 その呟きは風の中に溶けて消え、森には水を打ったような静けさだけが戻ってきた。

 浮島が、また雲の中に消える。

 雲の合間から顔を出すことは、もうなかった。

 

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