自分以外誰もいない状態でジャングルに投げ出され、異世界の無人島で28年もたった一人で暮らし、最後には奇跡的に冒険者たちに助けられた中身が日本出身の爺な竜娘の生涯と不思議で驚きに満ちた冒険についての記述 作:野良野兎
「があっ!」
吐き出した熱線が飛竜を逆袈裟に切り裂く。臓物をまき散らしながら落ちていくそれらを眼下に、私は黒煙混じりの溜息を吐き出した。
船の修繕を始めて、五年が経った。
作業自体は実に順調である。元々そこまで大きな破損があった訳でもなく、三年経った頃には海に浮かべても問題がないぐらいには船としての機能を取り戻していた。
問題はやはり力の制御と、船に施された細工の理解。これをある程度習熟する為にさらに二年を費やした。
予想していたよりもかなり時間はかかってしまったが、失敗することは即ち死を意味する今回の試みに対して、どれだけ準備をしようとも大袈裟ということはないだろう。
そうして島での生活が二十五年を迎えた今年であるが、今は船へ積み込む食料の用意と家畜たちを収容する為に船の中をちょいと手直ししている最中である。
何せ次の島を見つけるまでどれぐらいの時間がかかるのか、それがまるでわからないので積み込めるだけ積み込むつもりではいるが、それでもひと月ほど保てれば良いほうだろう。
その内容としてはまず干し肉と魚。島での生活においてはこの二つが最も馴染み深い。そして米粉に塩を加えて焼いた堅パンと呼ばれる、ビスケットのようなもの。これは別名をハードタックといい、保存が利く代わりにべらぼうに固い。その固さから、とある軍隊の兵士からはアイアンプレート、つまりは鉄板と呼ばれ嫌われていたほどだ。
しかしまあ、例え鉄板のように固くとも私の顎であれば何ら問題はない。むしろ程よい噛み応えでスナック菓子代わりに重宝している程である。
ちなみに我が島随一の悪食を誇るごんの一族にこのハードタックをお裾分けしてみたことがあるのだが、すこぶる評判が悪く四方八方から抗議の視線を向けられる結果になった。解せん。
あとは水。これはもっと短い。恐らくは三日か四日。
島を発つのは気候が穏やかになる春先を予定しているのだが、まだ肌寒い頃であっても生水というものはそう長持ちするものではない。
その代わりに用意しているのが蜂蜜酒や口噛み酒。より日持ちする蒸留酒が欲しいところだが、これがまた、蜂蜜酒を利用して何度かやってみたがなかなか上手くいかない。とはいえ飲み水の確保は最重要課題であるので、これに関しては数年以内に解決する必要があるだろう。
しかし口噛み酒。そう、口噛み酒だ。これに関して私は、致命的な過ちを犯していた。
それこそ、これらの発酵をあろうことか納豆と同時に、同じ場所で行っていたという信じがたい愚行であった。
納豆を作るうえで欠かせない納豆菌は自然界に存在する微生物の中でも最強とまで言われ、その乾燥や熱に対する耐性は勿論のこと、何よりも厄介なのがその繁殖力。その強さはなんと、一個の納豆菌が十六時間で四十億個にまで分裂、増殖するというのだから凄まじいの一言に尽きる。
そしてそんな繁殖力の強さが、ほかの菌類、酵母菌やイースト菌の生育を妨げてしまう。なにせたった一つからでも爆発的に増える代物だ。さらに納豆菌は百度の熱にも耐えるほどの耐性を持っているのでちょっとやそっとでは死滅しない。醸造を行う酒蔵などでは、発酵中のお酒が全滅してしまう可能性があるため、納豆との接触を禁止している程である。
つまりそんな代物を同じ場所で管理していた為に、口噛み酒の完成には少しばかり時間がかかった。
何故うまく発酵できないのか、その原因を食いながら美味い美味いと舌鼓を打っていた当時の自分をぶん殴ってやりたい。
そんなこんなで船の改造や食料の確保、動植物の積み込みにさらに三年かかった。
準備期間だけで八年である。
しかし、ついに明日の朝、私はあの大空へと旅立つのだ。
夜空に輝く二重の満月を眺めながら、私は両手を強く握りしめた。
これだけしっかり準備したのだ、もはや万が一にも失敗は許されない。
大柄で大食な富士たち牛もどきは残念ながら連れていけない。今回の旅では、余分な物資を積み込むほどの余裕はない。しかし鶏たちはこの準備期間で少し多めに繁殖させて、その数を増やしておいた。彼らは船の食料が尽きた場合の頼みの綱だ。飼料が少なく済み、繁殖力も強い鶏は最強の保存食といってもいい。
それも尽きたらいよいよ飛竜の皮でも齧る必要が出てくるが、今はただ、そんな事態にならないことを祈るしかない。
気になるのはここ数年、飛竜たちの襲撃が増えてきていることだ。今のところその戦力が脅威になることはないが、それなりの数で船を囲まれると守り切れない可能性がある。最悪の場合は、龍の姿となって力を振るう必要があるかもしれない。
そして、そう、気になることといえば、この島の住民として忘れてはならない彼ら、ごんの血を引く狸たちのことだ。
彼らもまた富士たちと同様、この島に残ってもらうことになる。前述のとおり食料諸々の事情もそうだが何より、船の食料が尽きた時に彼らまで食ってしまいそうで怖い。
なに、そもそも彼らは元々この島で暮らしていた種族だ。私がいなくなってもうまくやっていくだろう。
「あ、そうだそうだ、忘れるところだった」
最後の荷物を積み込んだ後、私はぽんと手を叩いた。駆け足で戻っていったのは長年世話になった小屋の中、戸棚の上に飾った一輪の花。
そう、あの洞窟で見つけて以来、ずっと傍に置いていた水晶の花である。
あれがつい先日、ついにその
月明かりに照らされながら、私は泉の傍でその蕾を覗き込む。その開きかけた花弁の間からはきらきらと何やら雪の結晶にも似た光の粒が零れ落ちている。
そのなんとも幻想的な姿に見入っていたその時、変化は訪れた。
蕾が一度ぶるりとその身を震わせたかと思えば、じわりじわりと花弁を押し広げ始めたのだ。
「おお、ついに来たか!」
思えばあの洞窟の奥で出会い、
押し広げられた花弁から、光が漏れる。
白い雪のような、いや、これは月の光だ。柔らかで人の心を包み込むような優しい光が溢れている。
そうしてついにその頭が持ち上げられ、大輪の花が開く。
それと同時に、かっと、目も明けていられないような眩い光が辺りを白く染め上げる。
真夜中の、月明かりしか照らすもののない森の中である。抗うことなど出来る筈もない。
そうしてどれぐらいの時が経っただろう。
森の中に再び静寂が訪れた頃、私の目の前には思わず目を疑いたくなる光景が広がっていた。
人である。
真っ白な、お月様に型を押し当ててくり抜いたような、美しい少女であった。
二つに束ね、それでもなお足元まで伸びる月の光を編み込んだような髪。
処女雪のように儚げな肌。
触れただけで砕けてしまいそうな肩からは、水晶のようなドレスが吊り下げられていた。
そしてその後ろには、花弁にも似た半透明な翼が四枚。
何より驚きなのは、その大きさ。
私の両手ですっぽりと覆い隠せそうなほど、その少女は小さかったのだ。
この島で暮らしてから驚かされることばかりだった私であるが、これには腰を抜かすかと思った。
「これはたまげた。妖精、なのか」
そう、それはおとぎ話に登場する妖精そのものであった。
しかしなぜ、妖精が花の中から現れたのか。狂飆の奴はこのことを知っていたのか。
頭が混乱する。大事な旅立ちの日の前だというのに、私の頭は彼の龍が巻き起こす嵐の中に放り込まれたようなありさまだった。
右往左往する私をしり目に、妖精はその長い睫毛を震わせて、ゆっくりと瞳を開く。露わになったのは吸い込まれるような、星空を映し出したような美しい瞳。
そしてほんのりと朱に染まった、私の爪先ほどしかない、しかし果実のように柔らかな唇がゆっくりと言葉を――
「おっそいのよ、このおたんこなす!」
目の前に突如として現れた小槌が、強かに私の頭頂部を殴打した。
「あいたーっ!」
それは正しく、意識の外からやってきた衝撃だった。二重の意味で。
おたんこなす。
聞き間違えであってほしいが、まさかこの妖精、おたんこなすと言ったか!
「何十年もたらたらだらだら、呑気にやってんじゃないわよまったく。
何だろうか、この、あの、何だろうか。
先ほどまでの幻想的な雰囲気を、利子をつけて返してほしい。
私の中の妖精像が、音を立てて壊れていく気がする。
しかし彼女はどうやら私と、正確には私と同じような者と面識がある様子。何やら誤解があるようだが、少なくとも敵意はないようだ。
開口一番、頭は叩かれたが。
「待て、待ってくれ、まずは落ち着いてくれないか。遅いだの、次の代だの、どうにも話が見えてこないのだけれど」
私の言葉に、勢いよくがなり立てていた妖精さんの動きが止まる。そして怪訝そうにその瞳を歪めた後、私の鼻先まで飛んできてこちらの瞳をじっと覗き込んだ。
私が何事かと固まっていると、今度は盛大にため息を吐き、何やらぶつぶつと呟き始めた。
「おい、何かあったのかい」
「だあーっもう!」
何か良からぬことでもあったのかとその顔を覗き込んだ途端、妖精さんは突如としてその長い髪を振り乱しながら金切声をあげる。そしてまた私の鼻先まで飛んでくると、垂れ下がった前髪をむんずと掴んで抗議するように前後へ振り回し始めた。
「何にも継承できてないじゃないあんぽんたん! だから拾い物の魂なんて上塗りするもんじゃないって言ったのに、そりゃあ私を起こすのに時間がかかるわけよ!」
「あの、とりあえず、相当に込み入った事情があるのは察するが、お前さんは何者なんだい?」
その時彼女が浮かべた表情を、なんと表現するべきか。
呆れ、悲しみ、憐憫、それらをない交ぜにしながら、仮面の下に押し隠したような、そんな表情。
まだ彼女の名も知れぬ私であるが、それでもなお、私の何気ない一言が彼女を傷付けたのだろうと察せられる程の、一瞬の変化だった。
「ルールーよ」
たった一言、そうぶっきらぼうに口にされた名前を聞いた途端、私の心の奥底で、じわりと広がる温かく穏やかな感情。
そっと胸に手を添えて、私はそれを懐かしむ。
「シエラと、そう名乗っている。何やら期待を外してしまったようだが、どうか仲良くしてやってほしい」
そうして伸ばした私の指を見て、少女はため息を一つ。
「変な名前ね、まあいいわ。成ってしまったものはどうしようもないし、私の役目が変わるわけでもないし」
その指を妖精の、ルールーの小さな掌が包み込む。
「
そうして、島の生活に新たな仲間が加わった。
ルールーという名の、小さくも美しい少女が。
何やら私の、私となる前の龍に関しても詳しいようであるし、彼女の存在はこの世界で、この島で生きていく上で何よりも得難いものとなるだろう。
そう、この島で生きて――
「あ、そういえば明日の朝にはこの島から出ようと思っているのだけれど、君は何か食べ物が必要だったりは――」
「ばっかじゃないのー!!!」
妖精の叫び声が再び、島中に響き渡った。
ようやく出したかったキャラを出せました。
二十八年目に入ってるのでタイトル詐欺ではない!