自分以外誰もいない状態でジャングルに投げ出され、異世界の無人島で28年もたった一人で暮らし、最後には奇跡的に冒険者たちに助けられた中身が日本出身の爺な竜娘の生涯と不思議で驚きに満ちた冒険についての記述   作:野良野兎

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お待たせしました。


最後の試練

 

 朝が来た。

 旅立ちの朝だ。

 見渡す限りの青い空には雲一つなく、私の旅路に立ち塞がるものは何もない。

 正しく処女航海に相応しい、そんな朝。

 

「もう一度言うけど、本気で島を出る気なのね」

 

 甲板の上、舵輪を前に両手を広げ、吹き抜ける涼風に頬を緩める私の肩で妖精の少女、ルールーが呆れ顔でため息を吐いた。

 彼女は月の妖精であり、月の龍に付き添う眷属のような立ち位置にあるらしい。そしてその月の龍というのが私であり、私の本質というか、本来の在り方らしかった。

 どうやら彼女は私が私となる前、つまりはこの地球育ちの爺がこの身体に宿る前の私と面識があり、それなりに親しい間柄であったようなのだが、それについてあまり詳しく語ろうとはしない。

 教えられたのは、月の龍というのがどうやら生と死、そして魂の巡りを管理する役割を担っていたということ。そして以前の私は全く変化のない日常に、世界に飽いていたということ。

 辟易した末にこの世界を変革する為、この世界とは全く異なる理で生きた魂を呼び込み、己の身に取り込んだ、ということ。

 彼の龍が、以前の私が何を思い、何を憂い、何を願い私にこの身を任せたのか、その真意は定かではないが、今の私は龍と人の魂が複雑に絡み、溶け合っている状態なのだという。主導権が地球から来た私にあるのは、数千、数万という悠久の時を生きた龍の記憶を私の、人間の魂では受け止めきれないから。

 あえて記憶に鍵をかけ、私という人間の記憶だけを残すことで魂が砕け散ってしまうのを避けたのだという。

 何やら、不思議な気分だ。

 つまり私という、地球で生きた――という人間は確かにその天寿を全うし、そして生まれ変わったのだ。しかしその生まれ変わりも輪廻転生、巡り巡ってというよりは横から掠め取られて無理矢理与えられたような、そんな歪な形。

 正常に巡ればまた地球のどこかで新たな、無垢な魂として生まれていたような、そんな流れの中から奪われた、無造作に掴み取られた魂が私なのだ。

 不思議な気分だ。

 恨みや怒り、悲しみなどの感情は傍からなく、感謝というには少し足りない、そんな不思議な、ふわふわした気分だった。

 何せ魂だとか、異世界だとか、常人として生きて死んだ私にとってはあまりにも理解の外。そんなところの話をされたところで、ああ、そうですか、ぐらいの感想しか浮かんでこない。

 とにかく私はこの世界に二度目の生を受け、なんやかんやで龍として生きなければならない。

 それだけわかれば十分だろう。

 そも、人とは元より何故生まれ、何故生きているのかを考えながら死んでいく生き物である。これぐらいで丁度よい。

 

「本気も何も、島を出るというのはそんなに悪いことかい。私は外の世界が見たい。この世界をもっと見てみたい。前の私やお前さんはもう飽きるほど見てきたのかもしれないが、今の私にとってこの世界はまだ初めてのことばかりなんだよ」

 

 潮風にさらわれた髪をかき上げながら、私はにっかりと笑ってみせる。もっとも、ルールーがこうも口酸っぱく言う理由もわからないでもない。何より、それは私が今の今までこの島を出なかった、出られなかった理由でもあるのだ。

 この島から一定の距離まで離れると、私は龍としての力の多くを失う。

 今となっては墜落しかけることも無くなったが、それこそ龍の力を扱えるようになる前はろくに翼も扱えなくなるほどだったのだ。しかしそれも、度重なる訓練と力の覚醒のおかげでそれなりに、万全の十分の一、いや百分の一ぐらいは、島から離れても力を振るえるようになった。

 今回の船出を決めたのは、そういった変化もあってのことなのだ。

 まあ、いい加減に一人でいることに堪えられなくなってきた、というのが正直なところではあるが。

 

「まあ、アンタがそうしたいならそうすれば? それでこそ(アンタたち)らしいのでしょうし。でも、どうなったって私は知らないからね」

 

「はは、まあ、もしも野垂れ死にしようものなら、墓石に大馬鹿者とでも刻んでおいてくれ。さてさて、それじゃあ行くか!」

 

 むくれ顔で頬杖をつくルールーにそんな軽口を叩きつつ、私は広げた両手に力を、魔力を漲らせる。

 船の心臓に火が灯り、巨大な船体の隅々にまで大小様々な文様が光の尾を残しながら走り抜けていく。

 軋む。マストが揺れ、船全体が大きく息を吸い込むように身をよじった。

 行け。

 浮け。

 動けっ!

 

「さあ、目覚めろ!」

 

 船体が浮かび上がる。

 床板が軋むような唸り声をあげ、船体に取り付けられたプロペラが降り積もった砂を振り払いながら回り始めた。轟々とうねるその音はやがて甲高い風切り音となり、足元の海面にいくつもの白波を作り始める。

 

「おお、おおっ、やったぞ!」

 

 翼をばたつかせ、尾を振り回しながら私はその場で飛び上がった。

 成功だ。ついに、ついに私はやり遂げたのである。

 手元の舵輪を握り、そこに走る紋様を操れば船はその高度をぐんぐん上げ、あれだけ大きかった島はあっという間に私の手のひらに収まってしまうほど小さくなってしまった。

 森の中にぽっかりと開いた泉の傍に、今まで散々世話になってきたあの逞しい大樹と小さな小屋が見える。

 もうすっかり小さくなってしまったそれを見下ろした時、私の胸の中に筆舌に尽くしがたい情動が大挙して押し寄せてきた。

 二十八年。

 二十八年である。

 それだけの長い時をあの島で、あの場所で過ごしてきた。

 これから私を待ち受けるであろう未知なる世界。そこへ進み出すことに一片の迷いもない。しかし住めば都とはよくぞ言ったもので、文明のブの字すらなかったあんな無人島であっても、数々の苦難を乗り越えた後となってはそれなりの愛郷の念も湧こうというものであった。

 今までお世話になりました。

 言葉にすることなくそう念じ、じわりと滲んだ光景を拭い去って私は前を向く。

 目の前には清々しいほど青く、どこまでも広がる美しい大空が広がっていた。

 

「よし、それでは行こうじゃないか。面舵いっぱーい!」

 

 舵輪を回し、船が頭を振り始める。

 風が流れていく。

船と並走するように海鳥たちが歌い、穏やかな陽の光を受けながら、足元でころころと太った毛玉が心地よさそうに腹を見せていた。

 そう、毛玉が。

 毛玉。

 

「おい」

 

 いつの間に紛れ込んだのか。ご先祖様に似てふてぶてしい顔立ちをした毛玉を拾い上げて睨みつければ、当の本人は何のことかと間の抜けた顔を晒すばかり。

 

「あら、可愛らしい子ね。荷物に紛れ込んできたのかしら」

 

 頬がひくつく。

 ルールーはこんな呑気なことを言っているが、あのごんの子孫でここまで血を濃く受けついた個体であれば、そんな理由で島を離れる船に乗り込んでくる筈がない。

 大方、私についてきたほうが美味しい思いができると踏んだか、あるいはただただ、リンゴが詰め込まれた木箱でだらだらごろごろしていたら船が出てしまったとか、その辺りであろう。

 島に戻そうにも出発してからもう随分と時間が経っているし、この分だと何度連れて帰ってもあの手この手で乗り込んで来ようとするだろう。そこでかかる時間、手間を考えれば、いっそのことこのまま連れて行ったほうがまだ楽かもしれない。

 ため息。

 餅のような手触りの頬を摘み、にゅっと伸ばしてみる。

 

「まったく、似なくていいところばかり似おってからに……」

 

月の龍(アンタ)にここまで懐くなんて、この子たちの祖は随分と(したた)かだったのね。どちらかといえば妖精(わたし)に近い、精霊の類だったのかもね」

 

「そんな馬鹿な」

 

 あの唯我独尊を地で行くような毛玉が精霊なら、今頃は島中が精霊だらけになってしまう。いや、たしかに野生動物とは思えないような賢しさはあったが、しかしあれはどう見ても狸であったしなあ。もしかすれば、化けるぐらいのことはできたのかもしれない。

 とにもかくにも、着いてきてしまったものは仕方がない。こうなったらもう、早いこと人が暮らす島を見つけて腰を落ち着けるしかないだろう。

 遊んでくれとせがむ様に腕の中で身じろぐ毛玉を見やり、またため息。

 刹那。

 予感。

 寒気。

 頭のてっぺんからつま先まで、まるで雷に打たれたような強烈な痺れが走り抜けた。

 それは直感。私の奥底に根付く、龍としての第六感によって与えられた数秒の猶予。

 抱えた狸をそのままに、普段の数十倍は緩慢な、まるで空気が水飴にでもなってしまったような濃厚な時間の中で私はルールーに手を伸ばす。

 端正な顔立ちがゆっくりと驚愕の表情に変わっていくさなかでその細い体をむんずと掴み、二人まとめて胸の中に抱え込んだ。

 背後、遥か頭上よりこちらを押しつぶさんばかりの圧が迫る。

 足に力を籠める。

 床板を踏み抜かん勢いで、後のことなど考えず己の直感が告げるままに私は船から身を投げた。

 執行猶予は、残り何秒か。

 その間に何度羽ばたける。もはや龍としての力が弱まり始めたこの身体で、いったいどこまで飛んでいける。

 一つ。

 風を掴み、少しでも距離を稼ぐために大きく、大袈裟なまでに翼を振るう。

 二つ。

 船が離れていく。しかしあれは私が離れようと勝手に沈むことはない。

 今はただ、掛け替えのないあの船が傷付かないように。

 三――

 

 世界から音が消えた。

 耳鳴り。

 胸の中で、ルールーが何やら訴えている。

 背中が、熱い。

 翼が動かない。

 龍の姿に、龍に変じなければ。

 嗚呼、駄目だ。

 力が、薄れていく。

 最後に見たのはこちらに覆いかぶさる巨大な影と、鱗に覆われた大きな足と鋭い爪。

 閃光が奔る。

 眩い、しかしどこか優しい光を浴びながら、私は青く深い空の底へ、黒煙に巻かれながら墜ちていく。

 どこか遠くで、私を呼ぶ誰かの声を聞いた気がした。

 

 




少し詰め込みました。
次回、あの人たちが再登場します。
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