自分以外誰もいない状態でジャングルに投げ出され、異世界の無人島で28年もたった一人で暮らし、最後には奇跡的に冒険者たちに助けられた中身が日本出身の爺な竜娘の生涯と不思議で驚きに満ちた冒険についての記述 作:野良野兎
飛空艇『輝ける白鳥号』は、マスティアラ王国で活動する『黒薔薇冒険団』が所有する、船尾の辺りから左右に張り出した白い翼と、船首に取り付けられた鋭い衝角が特徴的な高速飛空艇だ。
それを操る冒険者たちも鍛え抜かれた
それは長く続く団の歴史の中で洗練されたものであり、そして団長でもあるシャルルの強い拘り、信念によるところが大きく、粗野な口調でがなり立てることはあっても、その統率が取れた動きは騎士団のそれに近い。
実際、彼らの積み上げてきた実績は凄まじく、数々の新素材や亜人族の発見、交流、さらには他の島々とのいざこざの仲介役を買って出たりと、王国内で黒薔薇の名を知らない冒険者はいない、と言われるほどの実力者集団である。
だからこそ、俺自身も数ある冒険団の中で最も信を置いているし、今回の冒険も彼らでなくては決して成しえないであろうという確信があった。
そしてそんな俺の直感は正しかった。
「強い力を、感じます」
甲板で風を受ける俺の背後で、黒い外套を纏った細身の女がそう呟いた。
編み込まれ、背中に垂れる長い黒髪。白い肌。すっと通った鼻筋。正直、同性の俺でさえ羨む美貌の持ち主であるが、その両目は呪いの刻まれた麻布で塞がれている。
彼女はアイビス。この船において最も重要ともいえる
そんな彼女の一言で、男たちが慌ただしく行き来する甲板上にひりつくような緊張感が走る。
「魔物か、あるいはそれに近しいものです。しかし、その近くに別の、これは、今まで感じたことのない力です。これはいったい……」
「何だかわからないが、ヤバいのが近づいてるってことだろう。目的地が近いってのに、参るねまったく」
辟易しつつ、腰の剣に指を絡ませる。
港を出て二十と六日。これまで魔物や空賊の襲撃にも、嵐にさえ当たらずここまで来たが、どうやら快適な船旅もここまでのようだ。
「避けられそうか」
「航路、風向きからして難しいかと。気配遮断の魔法を使います」
アイビスはそう言うと、懐から龍の意匠が刻まれた杖を取り出し、頭上に掲げて何節かの呪文を唱えた。杖の先端、龍の頭に嵌め込まれた赤い宝石が淡い光を放ち、船全体を覆っていく。
やがて外套をはためかせていた風がぴたりと止み、辺りが雲に覆われたように薄暗くなる。いや、実際に雲に覆われているのだ。船自体を流れる白雲と同化させ、外敵から身を隠す。それこそが気配遮断の魔法の効果であった。
「これでしばらくは誤魔化せるかと。私は団長へこのことを報告してきますので、シエラ様は引き続き見張りをお願いします」
「ああ、任せてくれ。いざとなれば戦える奴を何人か借り受けるよ」
そうして彼女を見送った後、薄く張られた雲の向こうへ目を向ける。
何かいる。雲の向こう、僅かに赤くなった空の果てに。
「まったく、もうすぐ日も暮れるってのに勘弁してくれよ」
もしも相手が魔物の類だった場合、完全に日が暮れてしまえば夜目が利かないこちらが不利だ。勿論、魔物の中にも夜目が利かず日中しか動かない奴もいるが、この時間帯に空を飛び回っている時点でその可能性は低いだろう。
頬がひりつく。まるで烈火の向かいに立っているようだ。しかし何だろう、身を焦がすような炎の中に、凪の中にいるような安らかさと穏やかさが混ざっている。
俺自身、色々な島を巡って様々な亜人、魔物を目にしてきたがこんな感覚は初めてだ。
雲の向こうにいるのは本当に魔物なのか。
魔力を感じることに長けた魔法使いや、アイビスのような風読みであればより詳しく感じ取ることができるのだろうが、素人に毛が生えた程度の俺ではどうしても大雑把な感覚しか掴めないでいた。
ともかく、備えはしておいた方がいいだろう。
「おいアンタたち、何だかわからないがヤバいのがいる。魔法が効いているうちは見つかることはないだろうが、念のため砲の準備を――」
俺が船員たちにそう指示しようとしたその直後、空が火を噴いた。
大空が赤く染まり、耳をつんざく爆音が船体を大きく揺らす。
「な、なんだっ!?」
甲板上の男衆がにわかに騒ぎ出す。
だが俺の目を引いたのはその黒煙の向こう。目を凝らさなければ捉えられないであろう雲の隙間に微かに見えたそれ。
あれは、飛空艇か。
雲に隠れるほんの一瞬ではあったが、あれはたしかに船の尻だった。
俺たちの他にも、この空域を飛んでいた連中がいたのか。しかしそれにしては気配を感じさせなかったし、風読みであるアイビスも気が付いていないようだった。
こちらと同じような気配を消す魔法を使っていたか、あるいは――
そうして雲の向こうに消えた船に思考を巡らせていた俺の頭上で、今度は夕闇を吹き飛ばすような閃光が
船体を隠す雲の向こうからでも目を焼かれそうな光だ。現に甲板にいた百戦錬磨の戦士たちの中には、その閃光を直に見たせいで苦しそうに頭を抱えている者も何名かいた。
謎の爆発の次は、謎の閃光。次々と襲い掛かってくる異常事態の中にあって、それでもそれぞれの持ち場へ向かい武器を構えるその様は流石は『黒薔薇』といったところか。
しかしそれでも、三度襲い掛かってきた、いや飛び込んできたそれには全員が己の目を疑い、呆気にとられてしまった。
「何か落ちてくるぞ!」
甲板にいた男の一人が叫んだ。
指差した先には黒煙から飛び出し、今まさにこちらへ向かって落下してくる何かの影。
そこからはもう、あっという間。
慌ただしく指示を出し、甲板を走り回る団員たち。中にはそれを撃ち落とさんと弓を射る者もいたが、放たれた矢がそれを貫く前に不思議な光の膜に受け流されてしまい、まるで効果がないようだった。
時間にして十数秒余り。
身を隠す薄雲を突き破り、とうとうそれは甲板のど真ん中へと着弾した。分厚い床板にいくつも罅を入れながら、二度三度と跳ね回った後ようやくその動きを止める。
そうして男たちが手に手に武器を持ち、俺自身も腰の剣を引き抜いていまだ黒煙を上げるそれに切っ先を向けていると、誰ともいわずあっと声をあげた。
「女、女だ!」
「亜人の女だ!」
誰が予想できただろうか。
空から落ちてきた何か。煙が晴れたそこに横たわっていたのは、まだ年端もいかないような幼い少女だった。
日に焼けたような褐色の肌に、銀色の髪。細い手足。やけに肌を晒した服を着ているが、年中暑苦しい島に暮らしている民族も似たような恰好をしていたので、それはあまり気にはならなかった。
気になったのは、やはり頭と尻に見られる異形。
牛とも山羊ともつかぬ角と、蜥蜴のような尻尾。
よくよく見てみれば、足と腕も尻尾と似たような鱗で覆われている。
明らかな亜人。
しかも、男であれば誰もが目を奪われるほどの美貌。
今はまだ幼さを残し、美しさより可愛らしさが前に出た顔立ちではあるが、それでもなお、取り囲んだ男どもの何人かが生唾を飲み込む程度には色香を放っている。
どこぞの姫君だと言われても不思議ではないような、それほどの美しさだ。
しかし煤に汚れたその顔は苦痛の表情に歪み、何かから身を守るようにその小さな身体を丸く固めていた。
しかし何故こんな亜人の少女が空から降ってきたのか。
いや、今はそんなことはどうでもいい。
「おい、医者だ、医者を呼んで来い!」
俺は目を覚ます様子のない少女に駆け寄り、戸惑う男たちに向かって叫んだ。
少女を抱え込んだ俺の腕は焼けるような熱を帯び、見る見るうちに赤黒い血に塗れていった。
少女は深手を負っていた。
いや、深手なんてもんじゃない。何をどうされたのか背中の肉の殆どが焼け爛れ、一部は固い炭のようになってしまっている。
正直、治療を施したところで助けられるかどうかは怪しいが、少なくとも死にかけの少女を放っておけるほど、俺は人でなしではない。
「呼んでも無駄よ」
だがそれを否定したのは誰でもない少女自身、いや、その腕の中から響いた何者かの声であった。
固く抱き込まれた少女の腕を押し退け現れたのは、全身から淡い光を放つ、拳三つ分ぐらいしかない大きさの美しい少女だった。その背には四枚の羽があり、光の粒を零しながら小刻みに羽ばたいている。
驚いた。目にするのは初めてだが、彼女は妖精族だろうか。さらにその後ろからは灰黒い毛色をした犬、いや、犬ではない、何だこの生き物は、犬に似たずんぐりむっくりした謎の獣が顔を覗かせていた。
そんな、混乱の極みにある俺たちを睥睨した後、妖精族の少女は足元で苦悶に呻く亜人の少女を見下ろして小さくため息を吐き、やがてとある方向を指差して見せた。
「時間がないから要点だけ伝えるわ。あそこまで私たちを連れて行って」
少女が指し示すその先には、俺たちが目指していたあの小さな島が。まさか、彼女たちはあそこからやってきたというのだろうか。
星空を嵌め込んだような、美しい金色の瞳が俺を見る。
強い意志を秘めた、あるいはこの船にいる誰よりも力強い瞳だった。
「……よし野郎ども、気合い入れろ。尻に火が着いたつもりでな!」
「だ、だがよ姐御、まだ団長の指示も出てねぇのに――」
「天下の黒薔薇が四の五の言うな! とにかくのんびりしてたらヤバいことになる。生きたまま国に帰りたいなら黙って仕事に戻りな!」
そうして俺は手を叩き、呆けていた男衆の尻を蹴り上げる。
違和感はまだある。肌を刺すような緊張感、空気が焦げ付くようなひりついた感覚はいまだ雲の向こうに何かあることを雄弁に語り、本能は速やかに身を隠した方がいいと、逃げてしまった方がいいとしつこい程に俺の胸を叩いていた。
ぐんと、船がその足を早める。恐らくは甲板にいた誰かが、操舵室にいる団長へことの次第を伝えたのだろう。しかしその様子はいつもの明らかに違い、どこか切羽詰まったような余裕の無い急加速に船旅に慣れた俺や団員たちでさえたたらを踏んでしまう。
何事かと訝しんだその直後、船尾から炸裂音が響き、黒煙が立ち昇るのと共に船全体を大きな揺れが襲った。
慌てる団員たちの頭上を、巨大な影が覆う。
現れたのは、俺たちの予想を遥かに超える化け物だった。
「来たわね。ほら、食べられたくなかったら急いでよね。まあ、貴方たちが
馬鹿な。
誰かが呟いた。
そう、こんな馬鹿げたこと、誰が予想できるだろうか。
金の鱗に覆われた岩のような体。船一隻を丸々包めてしまいそうな大きな翼。丸太のように太い足。剣のように鋭い爪。
そして血のように赤い目が嵌め込まれた、鋸のような牙が並ぶ恐ろしい
「三つ首の化け物……まさか、こいつが龍か!」
外見的特徴は、書物に記されたものと一致している。嵐こそ伴っていないが、肌で感じる魔力の強さはこれまで見知ってきたどの生物とも一線を画すほどの強大さだ。
こいつが、いくつもの文明を滅ぼしてきた、龍という存在。
剣を引き抜きながら、俺は全身が粟立つのを感じた。
腕の中には傷付いた美姫。肩には妖精。お供につくのは犬もどき。
これで俺が純白の鎧でも着込んでいれば絵になったろうが、残念ながら俺は俺だ。武勇の一つも持っていない、冒険者の小娘だ。
そんな奴が、伝説の化け物と対峙する。
酒場で聞かせる馬鹿話にしても、出来が悪い。
だがそれでも、そんな俺でもそれなりの死線は潜り抜けてきた。
目の前に訳のわからない化け物が現れたのも、それに剣を向けるのも初めてではない。
ならばやってやろう。
この死線も、潜ってやろうではないか。
「こいよ化け物。そのそっ首叩き落として、うちの玄関に飾ってやる」
こちらの言葉を理解しているのか、あるいは単純に目障りだったのか、その鎌首をもたげた化け物が吼える。
矢が、槍が、あるいは銛が、筋骨隆々な冒険者たちの手により放たれる。
俺が鬨の声と共に化け物へ飛び掛かるのと、奴の三つの顎から真っ赤な炎が吐き出されるのは、ほぼ同時であった。
ラスボスです。