自分以外誰もいない状態でジャングルに投げ出され、異世界の無人島で28年もたった一人で暮らし、最後には奇跡的に冒険者たちに助けられた中身が日本出身の爺な竜娘の生涯と不思議で驚きに満ちた冒険についての記述 作:野良野兎
今にも肌に火が点きそうな熱気の中で、俺は額に浮かんだ大粒の汗を拭う。
睨みつけた先、夕暮れの中にあって燃えるように赤い空の上には、いまだ傷一つなく悠々とこちらを見下ろす化け物が一匹。
三つ並んだ、鋸の刃に似た細かな牙が並ぶ顎の奥。ちろりと燻る赤い光が灯る。
「こん、のおっ!」
杖代わりに甲板へ突き刺していた剣を引き抜き、下から上へ、剣へ魔力を流しながら振りぬく。直後、龍の顎から鉄さえ溶かす灼熱が解き放たれた。
巻き起こるのは旋風。周辺に満ちた熱気を巻き込みながら放たれたそれはやがて巨大な竜巻へと変わり、龍が吐き出した紅蓮の炎さえ吞み込んで天高く上ってゆく。
「撃てぇ!」
炎の壁が消え去った瞬間、号令と共に矢が、槍が、手斧が龍めがけて放たれる。
だが、それらが奴を傷つけることはない。その全てがあの馬鹿みたいに固い鱗に阻まれ、あるいは巨大な翼が生み出す突風に吹き飛ばされて雲の中へと消えていった。
もう何度目かになるその光景に舌打ちを一つ、俺はまた剣を構える。
空賊を追い払う時に使っている大砲か
しかもどうやら奴は知恵も回るらしく、砲口を向けた途端に素早く射線から外れるように立ち回っている。
流石は伝説の龍と言うべきか、いや、これが、この程度が龍なのか。これが天候すら操り、一国を滅ぼしたとまで伝わる龍なのだろうか。
たしかに強大な相手ではある。しかし伝説の、数々の文献に天災とまで記される程の力かといえばそうではない。現に俺は、大砲などの高い火力を用いれば倒すことも不可能ではないと感じている。
何かがおかしい。
だが奴が龍ではないというのなら、あの時、雲の向こうから感じたあの圧倒的な気配の正体はいったい何だったのか。
頭の片隅にこびりついた違和感に顔をしかめるが、とはいえまずはあの化け物を片付けるのが先だ。
空に目をやれば、奴さんもこちらが一筋縄ではいかない獲物であると認識を改めたのか、船から少し距離を取って様子を伺っているようだ。雲の狭間に、あの三つ首の影が見え隠れしている。
「あのまま諦めてどっかに行ってくれれば楽なんだがな」
「いえ、それは絶対にないわ」
ぽつりと零したその言葉に、妖精の少女がはっきりとした口調で答えた。
「アイツからすれば今は千載一遇の好機だもの。この程度の邪魔が入ったところで諦める筈がない。すぐにもう一度、今度は本気の攻撃が来るわよ」
アイツも、のんびり構えてもいられないでしょうし。
そう呟いて見つめる先には、船医によって治療を施される亜人の少女の姿があった。
矢弾飛び交う戦場に寝かせたままというのは
だが、何か様子がおかしい。
何故だか妙に慌ただしいような、いや、そりゃあこれまで見たこともないような傷なのだから多少は慌てもするだろうが、あれは何というか、困惑しているような、そんな雰囲気だ。
あまりに妙な雰囲気に少し様子を見てこようかと足を浮かせた途端、雲の向こうから雷鳴にも似た悍ましい咆哮が響いた。
「来るわよ。アイツは何としてでも私たちが島に近づく前に仕留めようとしてくるはず。まず間違いなく、甲板に取り付いてくるわ」
「
黒薔薇の団長が舵を取る船橋は船の後部。辺りを見渡せるよう周囲よりも少し高い位置に作られている。あの団長がそう易々とやられるとは思えないが、あの巨体で突っ込まれたら中にいる団長はともかく、船橋自体はひとたまりもないだろう。
そして船の心臓ともいえる魔力炉ある機関室はその下、船底に近い場所にある。その位置関係から頑強な甲板と船橋がある上からの攻撃には強いが、腹の下に潜り込まれた時にはめっぽう脆い。
だが目の前の妖精は、そんな俺の懸念を一蹴してみせた。
「それはない。アイツにとって貴方たちは巣を守る蜂のようなもの。少し面倒ではあるけれど平手で叩けば何とでもなる、その程度の認識よ」
だからこそ、小細工なしに正面からやってくる。虫を平手で潰すように。
「なんだそれ。俺たちは虫か」
鼻で笑う俺に、妖精は肩を竦めてみせる。
だがしかし、こちらとしても奴に効果的な一撃を食らわせるにはどうにかして接近戦に持ち込む必要があった。何の策も弄せず、向こうから突っ込んできてくれるというのならこれほどありがたいことはない。
「大砲とバリスタに弾を込めろ! 喉元に食らいついてきた瞬間、奴のどてっ腹に風穴を開けてやれ!」
応、と俺の声に荒くれ者どもが拳を突き上げる。
直後、雲の向こうから身の毛もよだつ雄叫びと共に巨大な影が飛び出してきた。三つの顎からめらめらを炎を漏らしながら、船の真上から真っ逆さまに落ちてくる。
「来るぞ、来るぞっ!」
巨大な影に覆われ、まるで真夜中のような暗闇に包まれた中で俺は細く息を吐き、手にした剣を頭上高く掲げた。大きく息を吸い、止める。
そうして俺が渾身の力を込めて剣を振り下ろすのと、三つ首から紅蓮の炎が吐き出されるのはほぼ同時であった。俺の全身全霊、体内に宿る魔力の殆どを注ぎ込んで放った斬撃が竜巻となり、船を焼き尽くさんとする炎を吹き飛ばす。
周りの男たちが感嘆の声を漏らすが、ここまでは想定通り。肝心なのは、次だ。
吹き飛ばした炎の向こう。炎の残滓で揺れる陽炎のその向こうから鱗に覆われた丸太のような足が二本突き出され、そこに備わった鋭い鉤爪が甲板に深く食い込んだ。
それはさながら水面で魚を浚う海鳥のようで、その図体は翼を伸ばせばこの船全体を包み込んでしまえそうなほどであった。
長い三つの首をしならせ、ぞっとするような金の瞳で辺りを睥睨している。
たまらず、叫んだ。
「撃てえっ!」
号令に合わせ、響いた轟音は四つ。甲板上にある大砲全てが一斉に火を噴き、続けてバリスタ二門から大型魔物用の矢が放たれる。
この至近距離で弾が外れる道理はなく、放たれた矢弾はその全てが化け物の胴へ命中し、砕け散った鱗が雨あられの如く頭上から降り注ぐ。
大の大人が二人がかりで運ぶような砲弾を四発も浴びたのだ。貫通こそしなかったものの、その衝撃力は凄まじいものだろう。
さらに砕かれ脆くなった鱗の上からはバリスタから放たれた大型の矢が突き刺さっている。普通の生物ならば、まず致命傷だ。
「やった、やったぞ!」
「化け物を仕留めた!」
確かな手ごたえを感じたのだろう。先程痛烈な一撃を加えた砲手たちが両手を空に投げ出し、満面の笑みで勝鬨の声を上げていた。
そんな様を遠巻きに見つめ、そして血を垂れ流し、力なく項垂れる化け物を見上げる。
本当に、これで終わりなのか。
たしかに致命的な一撃は与えられた。だがしかし、あまりにも上手く行き過ぎているような気がする。
その時、ぐらりと化け物の巨体が揺らいだ。
長い三つ首を力なく垂れ下げたまま後ろへ、背中から空中へ身を投げるようにして落ちていく。
その鋭い爪で、船の甲板をしっかりと掴んだまま。
さっと、顔が青くなるのがわかった。
「おい、おいおいおい!」
がくんと、船全体が大きく傾き始める。あの巨体、あの重量を引っ張れるだけの馬力などこの船にはない。まるで小山に翼を生やしたかのような化け物をぶら下げて、俺たちの船はぐんぐん高度を下げていく。それはもはや、墜落とそう大差ないありさまだった。
甲板にいる船員がそれぞれ手近な何かにしがみつく。俺も船橋へ続く階段の手すりに飛びついて、全身を襲う浮遊感に肝を冷やしていた。
「ま、ここなら何とかなるかしら。じゃあ私はアイツを叩き起こしてくるから、あとはまあ、適当に頑張りなさい」
そんな、顔を真っ青にした俺の横までやってくると、妖精の少女は信じられないような気軽さでそう言い残し、手まで振りながらどこぞへと飛び去ってしまった。
「てめぇっ、ずるいぞそれはっ!」
必死にその小さな背中にそう文句を飛ばすも、まさかしがみついた両手を離すわけにもいかず。そして船は大きな水飛沫を上げ、海面へと突き刺さった。
目尻には涙が浮かび、きゃあだの何だの、何とも情けない悲鳴も上げていた、気がする。
目指していた島の外縁部分、その端っこに何とか着水した俺たちは、全身水浸しになりながらもなんとか五体満足で生き延びていた。
これまで未開の島々を渡り歩き、度々酷い目にも
手足の震えが止まらないのは、頭から海水を被ったことだけが原因ではないのだろう。
そんなことよりも、今はあの化け物だ。
大砲四門とバリスタ二門による一斉射撃により与えたあの深手。普通の生物ならば即死、あるいは致命傷は避けられない筈だが首を飛ばし、止めを刺した訳ではない。
まずは、確かめなければ。そして万が一にも息があるようなら心臓を抉りだすなり、首を搔き切るなり、きっちりと息の根を止めなければ。
そう思い、手すりに掴まって身体を引き上げた。
その瞬間であった。
目の前で、海が盛り上がった。
現れたのは、牙を剝き出しにして怒りに歪む三つの頭。
血走った眼は赤く、深く裂けた口の奥を舐めるように灼熱の炎が燻っている。
死んだ、と思った。
船員は皆満身創痍。仮に動けるものがいたとしても、この巨大な化け物を相手に大立ち回りを演じられる者などいるのだろうか。
可能性があるとすれば黒薔薇の団長ぐらいだろうが、この状況で未だ船橋から現れない辺り墜落の衝撃で気を失ったか、くたばったかしたのだろう。肝心な時に役に立たない奴だ。
「まあ、足掻けるだけ足掻いてみようか」
六つの目に睨まれながら、俺は剣を構える。
残された魔力はほんの僅か。特別製の剣も、度重なる魔法の行使に悲鳴を上げ始めている。だがそれでも、ただで食われてやるほど俺の命は安くない。
せめて、あの世で親父に自慢できるぐらいの土産話は欲しいもんだ。
三つ首の奥で炎が揺れる。遥か頭上にありながら、その熱はまるで全身を焼き尽くされるようであった。
息を吸い、吐く。
口から迸るのは死にゆく者の断末魔などではなく、強敵へと立ち向かう強者どもの鬨の声。
振り上げた剣をそのままに、前へ。
そして放たれた地獄の業火に、戦士たちは骨まで溶かされ――
「おい」
炎が止まった。
振り下ろさんとした剣の切っ先。そこに見えない壁でもあるように、揺れる姿はそのままに炎は何者かに押し留められていた。
「私は今、非常に機嫌が悪い」
炎が捻じれ、引き寄せられる。
引き寄せられた先には、一人の少女がいた。
俺の腕ほどはある太い角に、水銀を溶かし込んだような美しい白銀の髪が尻の後ろまで伸びている。そして手足は光沢のある黒い鱗で覆われ、その背中には同じ色をした大きな翼と、大きな尻尾が生えていた。
かつん、かつんと床板をその爪で鳴らしながら、少女は俺の前に立つ。化け物の前に、立ちはだかる。
見たこともない、亜人の少女。
いやその顔つきには覚えがある。先程、何の前触れもなく空から落ちてきた、瀕死の、瀕死だったあの少女だ。だが棚引く銀髪のその隙間から見えるのは、傷一つない硝子のような背中だった。あの悲惨な光景がまるで嘘だったかのように、そこには何もなかった。
そうして少女は三つ首の化け物を見上げ、己の右手を、その小さな掌を掲げた。
そこには先程引き寄せた炎が渦巻いており、骨まで溶かされそうな程の熱気を孕んだそれを、少女は徐に自身の口元へと誘い。
「は、夢でも見てんのか、俺は」
あろうことか、吞み込んだ。
文字通り蛇が蛙を飲み込む様に、固めた炎を一口で呑み込んでしまった。あの、近づくだけで肌を焦がすような灼熱を。
少女の身体に、その全身に紋様が浮かび上がる。
どこかで目にしたような、どこかで憧れ、そして畏れた紋様が、怪しく光る。
「てめえルールーを、ごんの身内を狙いやがったな」
それは満月のように穏やかで、しかし溶けた鉄のような熱さを含んだ声。
そして次に訪れた変化に、俺は己の目を疑った。
紋様から溢れた光に思わず目を瞑ったその直後、そこに在ったのは世界そのものだった。
闇夜の如き鱗。血のように赤い瞳。
三つ首の化け物の半分に満たない体躯でありながら、しかしその圧倒的な存在感たるや、まるで島一つ、いやこの空全てをこの形に押し込んだようではないか。
気が付けば俺は己の胸の前で手を組み、目の前の存在に祈りを捧げていた。
人の理を超える者、あるいは自然そのもの、意志を持つ摂理とまで呼ばれた存在を前に、俺はただただ、祈ることしかできなかった。
「強欲に罰を、傲慢に報いを。さあ、理を喰らわんとした己の愚かさを知りなさい」
三つ首ドラゴン「あっ」