自分以外誰もいない状態でジャングルに投げ出され、異世界の無人島で28年もたった一人で暮らし、最後には奇跡的に冒険者たちに助けられた中身が日本出身の爺な竜娘の生涯と不思議で驚きに満ちた冒険についての記述   作:野良野兎

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解き放たれる龍

 

 シエラ嬢曰く、龍とはこの世界における頂点に位置するとも言われる存在であり、私に出会うまでは誰しもがまさか実在するなどとは思っていなかったほどの、正しく伝説上の生き物として扱われていたのだとか。なるほど、その辺りは生前の知識にある龍と似たような扱いなのだなと私は呑気に相槌を打ったが、それに対し周りは頭を抱えたり目を回したりと、まあ阿鼻叫喚の一歩手前といった具合であった。

 私としてはこの島で暮らす中での数少ない意思疎通ができる人物の一人であり、もう一人の龍、緑の奴も随分と気さくな人物であったので、まさかそこまでありがたい存在(もの)だとは露ほどにも思っていなかったのである。

 そんなことをぽつりと零せば、まさか三体、いや三柱目(・・・)まで出てきたりしないだろうなと割と深刻な顔つきで訪ねてきたので、流石にそれはないだろうと答えておいた。

 どうやら本来であれば龍同士がこうして面を合わせるのも極力避けた方が良いようであるし、未熟な私はともかくとして狂飆(きょうひょう)と緑は名実ともにしっかりと竜神様だ。この二柱がばったり出会うことなど、そうはないだろう。

 しかし神出鬼没はいつものことだが、まさか私以外の人間がいるこの場に狂飆が現れるとは予想だにしなかった。さらに驚きであったのは昨日、あの三つ首の竜に襲われた際にどこか空の彼方へ消えてしまったと思っていた私の船を、狂飆がこの島まで引き連れてきたことであった。

 経緯(いきさつ)を訪ねてみれば、どうやらこの島に向かう道中、妙に私の力を感じる船があったので寄って見れば船にいるのは家畜ばかり。肝心の私はどこにもおらず、また妙な、彼女からすれば興味深いことをしでかしたのかと思い、ひとまずこの島までやってきたのだという。

 

「未熟なまま人間の道具を使って揺り籠を飛び出すとは。つくづく貴公は興味深い」

 

 そんなことを言いつつも、狂飆の顔はいつも通りの無表情であった。

 ともあれ、助かったことには変わりない。これでシエラ嬢たちの船を直す段取りも進むだろうし、あの船にはこの大食らいな私であっても数週間は生きていけるだろう食料を積み込んでいる。流石に十数人の男衆を相手にどれほどの足しになるかはわからんが、この島中から食い物を掻き集めるよりは楽だろう。

 そして奇しくも、狂飆が私の船を置いてきた場所はシエラ嬢たちの船が座礁したあの浜から目と鼻の先だったようで、早速で悪いがシエラ嬢たちには船に積み込んでいる物資の回収と家畜の保護をお願いし、先んじて船へ向かってもらった。

 その間、私はこの絶世の美少女と少しばかり話をすることにする。

 その話とは他でもない、私自身の、龍の力に関してだ。

 

「昨日、三つ首の怪物を殺して食らった」

 

 共に草の上に座し、蜂蜜のような色をした、魅入られそうな魔性を秘めた瞳をじっと見つめる。

 昨夜、誰もが寝静まった夜更けに私は三つ首の竜の心臓を喰らった。流石に血の滴る臓物を喰らう様は人様に見せられたものではないと忌避したのと、心臓を喰らった際に、正確にはそこに宿る魔力を取り込むことで強大になった龍の力が周囲に影響を与えることを避ける為にそうしたのだが、結果としてそれは杞憂に終わった。

 取り込んだ三つ首竜の力は、私にさしたる影響も及ぼさなかった。何も変わらなかったのだ。何も。

 これまでのように内側から身を焼かれるような熱に襲われることも、脳を蕩かすような幸福感に包まれることもなく、まるでただの肉を喰らった時のように、まるで私の身体は特別な反応を示さなかった。

 それほどまでに、あの三つ首の化け物が宿す力は弱いものだったのか。いや、それはありえない。万全の状態ではなかったとはいえ、龍である私の身に傷をつける程度の力は持っていた。その力は、いつか戦ったあの化け物鳥さえ凌ぐだろう。

 では何が変わったか。器だ。

 三つ首竜の力を注いでなお溢れない程、器が大きくなったのだ。

 つまりは総量。私が扱いきれる力の総量が増したのだ。それはつまり、成長である。

 そして、巨大になった器に並々と注がれる三つ首竜の力。それは更なる成長への呼び水となり、私の龍としての格をまた一つ押し上げた。

 狂飆がこの場にやってきたのも、きっとただの気紛れではない。より龍として覚醒した私の気配を感じ、様子を見にやってきたのだろう。無表情で不愛想で冷血な様に見えて、これでなかなか面倒見が良い龍なのだ。

 だからこそ、この場で問いただしておきたかった。

 

「私は、まだこの島から出てはいけないのかね」

 

 それは確認だった。

 私自身、内から溢れるこの力に確信染みたものは感じている。しかしそれでも同じ龍として、あるいはこの世界をより詳しく知る者として、私は龍たり得ているのかと、この揺り籠から旅立つ資格はあるのかと、彼女の口からはっきりと聞いておきたかったのだ。

 片膝を立て身を乗り出す私に対し、狂飆は答えない。ただじっと、その全てを見通す金色の瞳で私を見続けている。澄んだ瞳のその奥に、少しばかり強張った表情をした私の顔が映りこんでいた。

 そうして対峙することしばらく。彼女の桜色をした唇がゆっくりと解ける。

 

「貴公は、まだ未熟だ」

 

 そこから染み出るように零れたのは、氷のような声であった。

 

「龍としての在り方も、この世界の在り様も、何一つ知らぬ幼子だ」

 

「まだ、足らんかね」

 

 それはほんの少し、口答え程のものでも、異を唱えたつもりもない、ほんの少しの反抗心から出た言葉だった。

 そして刹那、私の心臓は氷の刃で貫かれていた。

 狂飆は変わりない。いまだいつもの無表情のまま、私の前に座っている。だが、そこから発せられる存在感、圧力が一変した。まるで一息で海の奥底まで引きずり込まれたように手足が重くなり、押しつぶされた肺からは壊れた笛のような音が漏れる。狂飆と呼ばれ畏れられる龍が、その力を私を殺し尽くす為だけに研ぎ澄まし、振るわんとしている絶望感。常人ならば魂ごと砕かれているであろう圧倒的な力。

 何より恐ろしいのはその殺意が、破壊が私以外に一切の影響を与えていないということ。誰も彼も相も変わらず、小鳥は枝先で(さえず)り、泉の水面も波風一つ立てることなく静寂を保っている。それはまるで音もなく静かに喉を切り裂く暗殺者の刃が如く、いっそ慈悲すら感じるほどの悍ましい意志。

 しかし、それでもなお私は正気であった。

 翼も畳まず、尻尾も丸めず、身体中に力を漲らせてその場に踏みとどまる。

 負けていない。私という龍はこの目の前の龍にも負けないほど強くなったのだぞと、そう自分に言い聞かせては震えそうになる膝小僧を握り締め、その双眸を睨みつけていた。

 狂飆の瞳が、僅かに見開かれる。

 

「なるほど、やはり貴公は興味深いな」

 

 衣擦れの音と共に、狂飆が立ち上がる。止まった時が再び流れ始め、途端に全身から玉のような汗がどっと溢れる。私は張り裂けんばかりに鼓動する胸を押さえながら、えずくように息を吐き出した。見れば、手足の鱗がほぼ全身にまで広がり、半ば龍の姿に変化し始めている。どうやら無意識の内に、本来の姿に立ち戻らんとしていたようである。

 長く息を吸い、吐く。額の汗を拭い顔をあげれば、無機質な金色の瞳が目の前にあった。

 吐息が混ざり合うような距離にあるその貌に、思わず目を奪われた。

 永遠にも感じられる刹那の間。心の奥底まで見通しているような妖しい瞳が不意に離れる。

 

「いまだ未熟ではあるが、その在り様は定め始めているか。ならば同胞として見送ろう」

 

 燃えるような赤い髪が逆巻く。木の葉と共に舞い上がった髪はその先端から風に溶けるように解け、次第にその形を失っていく。金の刺繍が施された絢爛な着物が、白い(うなじ)が、その美しい(かんばせ)がつむじ風の中にかき消えてゆく。

 

――揺籃の時は終わった。感じるまま、願うままに生きよ。

 

――貴公の在り様、見届けさせてもらうとしよう。

 

 そうして森には、再びの静寂が取り戻された。

 風が吹き去ったそこにはもはや何者もおらず、嵐が去った後のような、澄み切った風の匂いだけを置き去りに彼女はまた何処へと去っていった。

 晴れ切った空を見上げれば、ひらり舞い落ちた木の葉が一枚、私をからかうように鼻先をかすめていく。

 

「とりあえず、お墨付きは頂けた、ということでいいのかな」

 

「いいんじゃない。まったく、相変わらず身内には甘いんだから」

 

 足元に落ちた木の葉を拾い上げてそんなことを言ってみれば、いつの間にか肩に乗っかっていたルールーがどこか不満げに息を吐く。

 彼女はこんなことを言っているが、あの厳格な狂飆の言である。後顧の憂いはもう無くなったと判断していいだろう。

 大きく息を吸い、吐く。

 翼を目いっぱい広げ、私は再び空を見上げた。

 

「あっ、ちょっと待ちなさ――」

 

 次の瞬間、私はルールーの制止の声すら聞かず力いっぱい地を蹴り、大空へと飛び出していた。

 昇る。昇る。昇る。

 緑の天蓋を突き抜け、遠くで船を調べるシエラ嬢たちに影を落としながら(そら)へ、(そら)へ。

 そうして突き抜ける、島を覆う力場、私を二十八年保護してきた殻を抜ける。

 全身に漲る龍の力は、それでもなお衰えず。少女の姿から(ほんらい)の姿へと変じた頃には島はすっかり遥か彼方へ過ぎ去って、頭上には無限の空に瞬く星々の光と、真っ白な二重の月だけがあった。

 それは私が、私という存在が解放された、この世界での自由を手に入れた瞬間であった。

 

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