自分以外誰もいない状態でジャングルに投げ出され、異世界の無人島で28年もたった一人で暮らし、最後には奇跡的に冒険者たちに助けられた中身が日本出身の爺な竜娘の生涯と不思議で驚きに満ちた冒険についての記述 作:野良野兎
船出の準備は大至急に、手際良く進められた。
さらにはどうやら名のある船乗りたち、彼らの言う冒険者の一団が乗っていたというありがたい船らしく、船体さえ大きく損なっていなければそれなりの値で買い手がつくのだとか。それもあって剥ぎ取られた板や釘は最小限に留められ、乗り込んでいた家畜たちもいっそそのまま積んでいこうと今は男衆が甲斐甲斐しく世話を焼いている。どうにも手慣れた様子であったので訳を尋ねてみれば、空に出ていない間は実家で牛や豚を育てて生計を立てているそうな。冒険者、海の男も色々だ。
そして私はといえば、あくせく働く男たちを眼下に大欠伸をかましていた。
というのも、私が手を貸せば木材や積み荷の運搬、加工、修繕作業に至るまで文字通り百人力の働きをする自信があるのだが、どうにも龍の手を借りることを畏れ多いと考えているのか、あるいは若い娘を働かせることに抵抗があるのか、中々声がかからぬ。あまりに呼ばれないので何か仕事はないかと団長殿に訪ねてみたこともあったが、貴女はいつぞやのような化け物がまた現れないか辺りを見張っていて欲しいと言われるばかりであった。
私としては島の周囲にそういった危険な気配があれば眠りこけていても察知できるのだが、龍である私が見守ることで皆が安心して作業に集中できると、貴女にしかできない重要な仕事だと、そこまで言われてしまえばもう駄々を捏ねる訳にもいかず、大人しく引き下がる他なかった。
「シエラ様、少し宜しいでしょうか」
そんなこんなで大樹の枝先で足をぶらぶらさせていると、ふと足元から呼びかける声があった。はて何事かと足元を覗き込んでみれば、そこには目隠しをした黒髪の美女の姿が。
相も変わらず息を呑むほどの妖艶さであるが、ふと目を引いたのはその細い肩の上に乗っかった一羽の大きな
いや、本当に鳶なのだろうか。主の髪とよく似た艶のある黒い羽。くりくりとした丸い瞳は可愛らしくも理性的な光を宿しており、その体躯は記憶に残るそれよりも一回り程大きく、鷲のような筋肉質な作りをしている。
しかし、何やら見覚えのある鳥だなと顎を撫でていたのだが、ふと思い出した。そうだ、彼らがこの島へやってきた晩に、あの団長と呼ばれていた大男の肩に停まっていたのと同じ鳥である。てっきり彼、いや彼女だろうか、ともかく団長さんのペットか何かだと思っていたのだが、どうやら私の思い違いだったらしい。
その体躯からして普通の鳥ではないことは想像に難くないが、不思議なのはその身体から伸びる《もや》、つまりは魔力で編まれた縄のようなもの。ぼんやりと薄く、しかし解けることなくしっかりと編まれたそれは烏の首元から伸び、美女の項の辺りへと繋がっていた。
手綱、ではないだろう。龍の知識をある程度思い出した今だからこそ理解できることであるが、どうやら感覚の幾つかを共有している、そういったことを可能にする術のようであった。
どれとどれを共有しているか、そういった細かいところまではまだ見通せないが、彼女が盲目であるところから察すると少なくとも視覚は共有していそうだ。
なんとも気になる限りではあるが、あまりずかずか無遠慮に詮索するようなものでもないだろうし、また機会があれば訪ねてみることにしよう。
「これはまた、別嬪さんがこんな爺に何か用かい」
そう口にしてから、随分と高いところから人様に物を言うじゃないかと、慌ててそう反省した私は腰かけていた枝からひらりと身を翻し、翼を広げて大樹の根本へと着地した。
いかん、いかんなあ実に。何十年と人と関わっていないものだから、ついつい接し方を間違えてしまう。
そう
「ええと、たしかアイビスさんだったかな。高いところから大変失礼した」
実際に言葉を交わしたのはほんの数回だが、彼女の名前はしっかりと憶えていた。何せその特徴的な外見と神秘的な美しさである。頭に残らない方がどうかしている。
彼女は私が頭を下げるのを見るや否やさっとその場に膝をつき、静々と首を垂れて両手を合わせた。その姿には教会で神に祈りを捧げる修道女のような神聖さがあったが、目の前で突然それをやられたこちらはぎょっと飛び上がらんばかりであった。実際に私の尻尾は飛び上がった猫のようにぴんとはち切れんばかりであった。
「いや、いやいや、どうか顔を上げておくれ。お前さんみたいな別嬪さんにそんなことをされると何というか、その、困る」
美人に弱いのは男の性だ。これは世界が変わっても、龍となっても変わらない。
妻一筋の私ではあるがそれはそれ、これはこれ。
あたふたする私を、彼女の肩に乗った烏が首をくりくり動かしながらさも不思議そうな目で眺めている。
「失礼致しました。畏れながら、シエラ様に船へお越し頂けないかと、団長より言伝を預かっております」
ほう。
私はそう短く呟き、顎を撫でながら尻尾をゆらりと一度しならせた。
団長直々の呼び出しとなれば、それなりに重要な用件であろう。私自身、あの益荒男には非常に興味があったし、シエラ嬢たちが乗ってきたあの大きな船にも一度乗ってみたいと思っていたところだ。
何せ私が修繕して利用したあの元幽霊船とはどうやら様式が異なるようで、シエラ嬢たちの船の方がより近代的というか、すっきりした形をしている。所々に金属の装飾も施されているし、何より大きな帆船など浪漫を感じずにはいられない。
「本来ならば団長自ら足を運ぶべきところ、誠に申し訳ございません」
「いやいや、だからそこまで畏まらなくても……。いや、うん、私はそんなこと気にしていないから、船まで案内をお願いしてもいいかな」
こちとら生前はしがない農家の爺である。家屋よりも田畑の方が多いような田舎暮らしであったし、爺さん爺さんと敬われることはあれど、こう、まるでお殿様のように持ち上げられてはなんともむず痒い。
そりゃあ、今の私は彼女らにとって伝説上の存在であり人智を超えた怪物であるのは間違いないのだけれど……。いや、そういえば小鬼族、あのヨーク達の種族は龍を信仰の対象としていた。となればシエラ嬢たち人間もまた、龍を神だ何だと信仰していても不思議ではない。というか、幽霊船の動力部に龍の装飾が施されていた辺り、その可能性は高いだろう。
これは困った。
私の願いは、この島を出てまだ見ぬ広い世界を見て回ることだ。だが龍が信仰の対象となっているのであれば、行く先々で色々と騒ぎになるのは火を見るよりも明らか。人の姿になっても角や翼、尻尾はどうしようもないし、はてさてどうしたものか。
そんな風に一人云々と唸っていると、シエラ嬢たちの大きな船が見えてきた。
いやはや何度見ても立派なものだ。大きさや作りは元幽霊船とそう変わらないが、船の先端には雄々しい龍の飾り物が嵌め込まれ、要所要所に大きなバラの花をあしらった細工が施されている。
「あらシエラちゃん、呼びつけちゃってごめんなさいネ」
そんな船のやや後方。中央に大きなバラの花の細工が嵌め込まれた扉を潜れば、天井に頭がぶつかりそうな程の大男が妙に艶っぽい声で出迎えてくれた。
あの夜、月夜の元で晒されていた分厚い胸板は真っ白なシャツに押し込められ、薔薇の刺繍が施された茶色のチョッキは今にもはじけ飛びそうであった。
相も変わらず、気圧されそうな程の存在感である。色々な意味で。
「こちらこそ、こんな素晴らしい船に招待して頂けるとは光栄です。いやあ、なんせ初めて乗った船が初めからあんな状態だったもので、賑やかなところに出てくるとなんともこう、小恥ずかしいですな」
ここまで案内をしてくれたアイビスさんが傍にいたこともあったのだろうが、まあ人目を引くわ引くわ。甲板で金槌を振るい修繕作業に当たっていた、長い航海で女日照りが続く男衆にとって今の私、つまり瑞々しい若い女など目の毒だろうに、やはり世界が変わっても男の性は変わらないのだろう。
「あらあら、ごめんなさいねうちのコたちが」
「いやとんでもない。私としても、もう少し身なりを整えた方がいいとは思っているのですがね、残念ながらこれが一張羅でして。それに、ああこれは誤解して頂きたくないのですが、肌を晒していた方が調子が良いのです。私には翼も尾もありますし、結局はこういった形になってしまうのです」
それに、今更スカートだのワンピースだの、見た目相応のお洒落をするのはこの格好で男衆の前を歩くのよりよほど恥ずかしい。そろそろこの身体に合わせるべきだと思わなくはないが、こちとら一世紀近く男として生き、今生では三十年近く獣同然の生活を送ってきたのだ。今更小奇麗に着飾れと言われても困る。
「それは困ったわネ。うちの船にはシエラちゃんに合う大きさの服なんて置いてないし、でもそのままの恰好でいてもらうっていうのも、ネエ?」
「いや、私は別にこれで不便していないので――」
「ダメよ!」
私の遠慮しがちな言葉は、鬼気迫る団長さんの声に吹き飛ばされた。
「シエラちゃんはこんなに
やばい、なんか変なスイッチ入った。
身振り手振り、文字通り熱の入った弁を振るう団長さんを前に、私は若干、いやかなりドン引きだった。
というかドレスって言ったか。もしそんなものを持ってきたら私は飛んで逃げるぞ。例えでもなんでもなく。
「あ、それはそれとして、明後日の朝には出航することになったから、今からシエラちゃんの扱いについて皆で話し合っていきましょうネ」
「それを先に言ってくれんかなあ」
急に素面に戻りそんなことを言う団長さんに、私は大きくため息を吐く。
崇め奉られるのも勘弁だが、こうも濃ゆいのに振り回されるのもそれはそれで遠慮願いたい。
そんな風な、とある日の昼下がり。
呆れる私の心情を表すように、甲板で釘を打つ金槌の音がかあんと響き青空の向こうへと消えていった。