自分以外誰もいない状態でジャングルに投げ出され、異世界の無人島で28年もたった一人で暮らし、最後には奇跡的に冒険者たちに助けられた中身が日本出身の爺な竜娘の生涯と不思議で驚きに満ちた冒険についての記述 作:野良野兎
一日目。思えばこの日が最も心身共に疲弊した日であったのかもしれない。
朝一番から、いまだ眠気の覚めぬ頭で寝床から這い出た私を待っていたのは清々しい朝日、ではなく、呆れ果てて頭を抱えるシエラ嬢の姿だった。
状況を理解するまでに一つ、二つ、三つほど数え、ああそういえば団長さんが色々と言っていたなあと私が手を叩くのと、ため息たっぷりにシエラ嬢がその手を掴んで部屋へと引き戻すのはほぼ同時。そうして乱暴に椅子に座らされた辺りで、私の思考は穏やかな微睡みの中からようやっと頭の方へと戻ってきた。
「なんだなんだ、まだ顔も洗ってないのに」
「馬鹿、こんな格好で表に出る奴があるか! 今までよく男衆に襲われなかったなお前!」
不満げにそう口に出せば、まるで子どもを叱りつけるような様子でそう肩を押さえられる。
こんな格好とは言われても、いつも通りの恰好ではあるのだが。
私は椅子に押し付けられた己の身体を見下ろして、そんなことを考える。たしかに上着一枚というのは問題だろうが、とはいえ足は爪と鱗のせいで靴どころかズボンの裾に足を通すことすらできないし、背中にも翼と尻尾があるので着れるものは自然と限られてくる。これはもう、どうしようもないことだと思うのだが。
そんなことを、長生きして培ってきた理屈やら屁理屈やらでかさ増しして伝えてみたら、再びの大ため息と共に櫛で髪を梳かされる羽目になった。
「こら、待て、そう引っ張るな」
「うるさい。アンタが頑固なのは十分にわかったから、大人しくしとけ。くそっ、こんな、適当、なのに、何で、寝ぐせ一つないんだ腹立つな!」
「そんな、こと、言われても、なあっ」
どうにも理不尽な妬みが多分に含まれているような気がするのだけれど、そんな乱暴な口ぶりとは裏腹にその手つきは随分と慣れたもので、多少引っ張られる感覚があるもののそこに不快感や痛みはない。
しかし彼女の髪はそこまで長いものではないし、もしや姉や妹でもいたのかと尋ねてみればどうやら近所の子どもたちの面倒を見ているうちに
なるほど、たしかにそう言われてみれば納得である。シエラ嬢は面倒見が良さそうだし、要領も悪くない。気が強いので角が立つ場面もあるだろうが、相手があの
ついつい老婆心からそんなことをぽろりと口走ると、急に目いっぱい髪を引っ張られてしまった。ぐきりと、首から嫌な音が鳴る。
「お前な、いくら私が頑丈だからといって、いくらでも乱暴にしていいということにはならないんだぞ」
「ば、馬鹿、アイツはただの幼馴染で、そんなんじゃねえよ!」
おや、普段の様子からしてあまり意識していないのかと思ったが、これは意外と脈ありなのではないだろうか。
「呵々。よきかなよきかな。人の一生っていうのは長いようで短いからな。目いっぱい、思い残すことのないよう生きなければ駄目だぞ」
「また年寄り臭いことを……」
「呵々ッ、実際に年寄りだからな」
「ほんと、アンタの話は与太なのかマジなのかわっかんねえな。ほら、終わったぜ」
「おっ、流石に手早いね。ありがとう」
梳かされた髪に指を通してみれば、なるほど以前と比べても艶が増したような感じがする。指ざわりなどは歴然の差だ。
これでも髪を洗ったり手櫛を通したりと、無人島での限られた環境下でできる限りのことはやっていたつもりだったが、こうまで違いを見せつけられると私としても閉口せざるを得ない。
「どうだ、見違えただろ」
「ああ、こいつは驚いた」
「元々不思議なぐらい綺麗な状態だったけどな、それでも少しは傷むし、汚れもするってこった」
言われてみれば、これまで三十年もこんな気の利かない爺に手入れされていたにしては、私の髪は状態が良い。これもきっと龍であるが故なのだろう。もしかすれば、髪も鱗と同じような成分でできているのかもしれない。
そうして三十年ぶり、いや生まれて初めて髪を梳かれるという経験をした私であったが、続けて鱗や翼、尻尾などの邪魔にならないよう創意工夫がなされた肌着やら、衣装の扱い方を一通り教えられて、やっと部屋の外へ出ることができた。
朝日の元で露わになるのは、肩から股下まですっぽりと外套で覆われた私の姿。まるでてるてる坊主にでもなったような心持ちだが、このありさまは淑女がむやみやたらに肌を晒すものではないという団長さんの考えからくるものであった。
一応、翼を畳まなくてもよいようにスリットのような切れ目が背中にざっくりと入ってはいるが、それでもこの窮屈な、狭苦しい箱に押し込められたような居心地の悪さはいかんともしがたいものがある。
ほらみろ、甲板で仕事に精を出していた男たちも、すわ何事かと目を丸くしているじゃあないか。
あ、いや、あれはお目当てのものが拝めなくてがっかりした顔だな。色に目がない盛りとはいえ、もう少し隠さんと私はともかく、隣にいる女傑が怖いぞ。
そう思っていた矢先に、件の男はシエラ嬢にひと睨みされて肩を竦めていた。
「ったく、船乗りってのはこれだから」
「まあまあ、男ってのはどんなになっても女の肌には弱いもんさ」
「だからって、アンタみたいなナリの奴だろうとお構いなしってのはね。アタシやアイビスぐらいの歳ならまだしも」
そっちの方にも成れるが。
そんな台詞を、私は既のところで呑み込んだ。
見た目が年端もいかぬ少女の今でさえこれほど口うるさいのだ。これが己と同じぐらいの、女盛りの姿になってしまえばもう、付きっ切りであれやこれやと世話を焼かれかねない。それはちょっと、ほんの少し嬉しい気持ちもあるが、やはり困る。
今のこの衣装も色々とサイズが合わなくなるし、必要に迫られない限りは、もうしばらく黙っていよう。うん、それがいい。
そんなことを考えながら船長室までやってきたところで、私はひょいと両脇を抱えられ、まるで犬猫でも扱うようにぽんと室内へ投げ入れられた。てんてんと転がった私を、科を作った団長さんが凄くイイ笑顔で見下ろしている。
これから訪れるだろう苦難の数々を想像し、私はごくりと喉を鳴らした。
「来たわネ、シエラちゃんズ」
「纏めるな。ほら、あとはアンタの仕事だろ」
「任せてちょうだい。さあ可愛らしい龍様、これからたっぷりねっとり、
「はは、お手柔らかに、お願いします」
ぎいぎいと、まるで亡霊が引っ掻くような音と共に船長室の扉が閉じる。
それからはもう、筆舌に尽くしがたい荒行であった。
「はい、また上半身がブレてるわよ! 肩は動かさない、イイ女は腰で魅せる!」
「ぐぬぬ、腰に
頭に本を乗せて、ひたすら床板に沿って歩かされたり。
「はいはい、座る時にお股は開かない! イイ女に隙はないのよ!」
「どうにも落ち着かんなあ。妙に収まりが良いのも逆に違和感が……」
ひたすらに立って座ってを繰り返したり。
「はいはいはい、動かない。あらやだ、シエラちゃんってばお化粧のノリがすっごくイイのね。お肌も赤ちゃんみたいですべすべぷにぷに、羨ましいワ」
「これ、どうせ落とさんといかんのだろう。わざわざ手間暇かけんでもよくないかあ」
「ダメよ! この素材を活かさないだなんて、全人類に対する冒涜よ!」
鏡の前で何時間も化粧の手引きを受けたりと、それはもう濃厚で未知に満ち溢れた時間であった。
何というか、通算百年以上生きてきた我が身であるが、まだまだ世界は広いのだなあと実感した次第で。開いてはいけない扉を開いたというか、無意識の内に避けていた部分を突き付けられたというか。
「つ、疲れた」
ようやく解放された頃には日はすっかり沈み、ふかふかのベッドに身を投げた私の口から空気の抜けるような音が漏れた。
「お疲れ様。随分とまあ、いいようにされてたわね」
うつ伏せに沈む私の後頭部に、遠慮の欠片もない妖精の尻が乗る。
返事代わりにため息を漏らすと、寝台から投げ出した指先に無邪気な毛玉がじゃれついてきた。相変わらず元気いっぱいな狸を掴み上げて抱き枕代わりに抱え込めば、それは何度かもぞもぞと身じろぎして収まりのよい場所を探り当てると、満足げに鼻を鳴らした。
「見ていたのなら、少しぐらい助け舟を出してくれたってバチは当たらんと思うがなあ」
「あら、貴方が色々と足りていないのは事実じゃない。私がその都度指摘してあげてもいいけれど、その手間を人間たちが纏めて片付けてくれるのならそれに越したことはないわ」
「薄情な奴だなあ。な、お前もそう思うよな」
ごん太にそう問いかけるも、返ってくるのはとぼけたような丸い瞳と表情だけ。
「色々見て知ってはいたが、いやはや、いざ経験してみると色々大変なんだなあ」
爺だった頃はなんだかんだと準備に時間をかける妻を急かしたもんだが、今になってその努力には感心するばかりである。
ああ、そんなことを考えているうちに心地よい眠気が――
「おい、気になったから見に来てやったぞ。ああもう、寝る前にちゃんと髪を纏めろって」
「もう勘弁しとくれぇ」
龍を殺し得るもの、それは剣でも槍でもなく、女子力なのかもしれない。
じたばた暴れる毛玉を抱きしめながら、私はそんなことを思うのであった。
諸事情からPNを変更させて頂きました。
今後は蒼い兎改め野良野兎として活動していきますので、どうか宜しくお願い致します。