自分以外誰もいない状態でジャングルに投げ出され、異世界の無人島で28年もたった一人で暮らし、最後には奇跡的に冒険者たちに助けられた中身が日本出身の爺な竜娘の生涯と不思議で驚きに満ちた冒険についての記述 作:野良野兎
穏やかな陽の光が差し込み、小鳥たちの囀りが優しく窓を叩く。心地よい微睡みの中を揺蕩いながら、私はゆっくりと目を開いた。少し埃臭い枕に、自分以外の匂いが残る固いベッドとぼろぼろのシーツ。借り物の寝床は、お世辞にも寝心地の良い物とは言えない。しかしあの無人島で愛用していた手製のそれと比べれば、私にとっては最高級品にすら劣らない、正しく至高の寝心地であった。
何より外敵の心配をしなくてもいいのが素晴らしい。これほど安心して熟睡したのは、果たしていつぶりだろうか。
私は凝り固まった手足、翼や尻尾をぐっと伸ばすとベッドを降り、窓の外を見やる。
今日も今日とて気持ちがいい程の青空が広がり、少し離れたところからは仕事へ向かう大人たちの話声やら、走り回る子どもたちの元気な声が響いていた。
「あら、ようやくお目覚め?」
少し呆れたような色を含んだ声に振り向けば、部屋の隅に置かれた姿見の前で、ルールーがその長い髪に指を通し整えているところだった。そのすぐ傍では、茶色い毛玉が丸くなっていびきをかいている。
「おう、おはよう。いやはや、あの島ではこんな上等な寝床は用意できなかったからな、ついつい堪能してしまう」
呆れたようなルールーの視線を背に受けながら、私は幅の狭い階段を翼やら尻尾やらがぶつからないよう、一歩一歩慎重に下っていく。降りた先には居間、であっただろう部屋があり、中央には分厚い本が幾つも重ねて置かれたテーブルが、そしてその先には今にも外れて倒れそうな、蝶番がぶら下がった四角い扉が嵌め込まれている。一応、扉の上には来客を知らせるための鈴が備え付けられているが、あれが本来の役割を発揮するかは甚だ疑問である。
そんな、余りにも防犯意識の低い光景を横目に奥へ進めば、そこはキッチンであった。石組みの
ひょいと覗き込めば、どうやら今日の朝食は芋のスープであるようだった。
「おお、これは美味そうだ」
そう私が涎を我慢できず尻尾を右へ左へ振り回していると、居間の方から扉が軋む音と鈴の音が響いた。どうやら同居人、というよりもここの家主が帰ってきたようである。
「ああ、起きたのか。今朝は港で良い魚が手に入ってな、丁度いいから夕飯にでもしようかと思うんだけど――」
そうして手に青魚、どこかサンマに良く似たものを三尾程掴んで入ってきたのはくすんだ金髪に蒼い目をした女性、シエラ嬢であった。彼女は手にした魚を部屋の隅に吊るすとこちらに向き直り、そこでぴたりと動きを止めてしまった。
そして額に手を当て、たっぷりとため息を吐いた後。
「お前な、ほんと、真っ裸でうろつくなって散々教えたよな」
そう言われ、己が身体を見下ろす。相変わらず傷一つない、玉のような肌である。
尻尾を一振り。
「おお、そういえばそうだったか。いやあ、いつのも癖でついつい」
「いい加減どうにかしてくれよ。俺だからよかったものの、フライデーの奴が見たら泡を吹いて倒れちまう。まったく、ルールーの奴にも言っておいたのに……」
「いや、泡は吹いてなかったぞ。できの悪い案山子みたいにはなってたが」
「……見せたのか」
再びのため息。今度のは一回目より少し長い。
とはいえ、あれはノックもせず家に入ってきた奴さんが悪い。いくら気心が知れた間柄だろうと、仮にも女二人が暮らしている家の戸を勝手に開けるなどと、むしろ相手が私であったのは彼にとって幸運であったと言える。これがシエラ嬢であったならば、今頃彼の頬は両方とも倍以上に腫れあがっていることだろう。シエラ嬢がそんな迂闊な真似をするかどうかはさておいて。
「だから最近アンタに対してよそよそしかったのかアイツ。まあいい、とにかくまずは服を着てこい。今日は色々と予定が詰まってるんだ」
咎めるようなシエラ嬢の視線を背に受けながら、私はまた二階へ戻り用意された下着やら衣装を着込んでいく。今日用意されていたのは白いワンピースだった。袖がなく、肩ひもだけのタイプなので頭からずぼっと被るだけ。背中側もざっくりと開いたデザインになっているので、翼が引っかかることもない。なお尻尾はスカートの中に収める。
初めこそ角やら翼が引っかかって少しばかり手を焼いたが、今となってはささっと着替えることができるのでずぼらな私としてはかなりお気に入りの種類となっていた。
「見た目はいいんだけどな、見た目は」
とは、着替え終えた私の恰好を見てのシエラ嬢の言である。
「ほら、ここ座って。髪、やってやるから」
促されるまま椅子に座り、髪を梳かされながらも視線は食卓の方へ。芋のスープに黒パン、目玉焼き。実にシンプルな献立ではあるが、彼女の懐事情を考えれば少しばかり寂しい内容ではる。聞くところによれば、私の、というよりもあの島を探索する為に団長さん率いる黒薔薇冒険団を雇ったのは彼女であるらしい。あの大人数であの実力となれば、それにかかる費用も相当なものだっただろう。さらにこちらに戻ってきてからは、王からの報酬もかなりの額入っている筈。私が島で蓄えていた金銀財宝も船にいた全員に分配しているし、大金持ちとはいかずとも、幾らかは贅沢ができる程度には稼いでいる筈なのだが。
「なあ、お前の親父さんや、団長さんがやっているような仕事は儲からないのか」
だからこそ、私は髪を梳かされた後、石のように固くなった黒パンに齧りつきながらそんなことを訪ねてみた。シエラ嬢は固いパンをスープに付け、柔らかくなってから口にしていたが、私にとってはこれぐらいでも丁度いいぐらいであった。
「なんだ、贅沢がしたいならあのままお姫様と一緒にいればよかっただろうに」
シエラ嬢のその言葉に、私は思わずしかめっ面をした。
事の起こりは先日、王に謁見した後に催された会食が終わったあたりのこと。貴族だのなんだの、どうやらこの国のお偉いさん連中の相手で精魂尽き果て、さあ港へ帰ろうかというところで王から待ったがかかったのだ。どうにも、表向きには国賓として招かれている以上はそれ相応の扱いを受けて欲しいと、そういうことであった。
無論、つい先日まで人っ子一人いない森の中を駆けまわっていたような私である、今更ここにきてお姫様扱いを受けるのはどうにも気が乗らないというか、前世と合わせて百年余りそういったことに縁がなかった身としてはどうにか遠慮したかったのだが、まさか国民に敬愛される王を前にして否と言えるはずもなく、私はノーと言える日本人になれなかった己を恨みながら城に戻り、贅を尽くしたような歓待を受けることになった。
それはもう、筆舌に尽くしがたい内容だった。
美味い飯。美味い酒。風呂に入るにしても
間違いなく、前世を合わせても一番の贅沢な時間であった。
二日目には、私の部屋までお姫様がわざわざやってきて色々と話をした。
どこからやってきたのか。龍とはどういったものなのか。皆そのように可憐で美しい者ばかりなのか。そして、自由に空を駆けるとはどういった気持ちなのか。
目を輝かせながら問いかけてくるお姫様の姿は年相応の少女のそれであり、どこか孫娘を彷彿とさせるその姿に爺の心が蕩け切ってしまうまでそう時間はかからなかった。
だが、お姫様との時間を楽しみつつも私はその贅沢な暮らしにどこか窮屈さを感じずにはいられなかった。たしかに腹も膨れるし毎日ぐっすり眠れるが、自由に空を飛び、野を駆けたあの無人島での暮らしを思えば不自由はあれど押し込められるような窮屈さはなかった。
故に私は王に城を出ることを伝えた。
侍女の方々も親切だし、お姫様も大好きだが、どうも自分に城での贅沢な暮らしは合いそうにないと。
そうしてその後
とはいえ、何だかんだと文句を言いながらも面倒を見てくれる辺り、やはり根はとても優しい子なのだ。
「そうは言っておらん。言っておらんが、王からの褒美やら私が譲った宝石やら何やらでそれなりに稼ぎはあったろうに、あのぼろぼろの扉も直さんので心配になってな。何だ、まさか借金でもあるのか」
ため息は、勿論シエラ嬢から。
「色々あるんだよ、こっちにも。それより早く食え、今日は市場に行くぞ」
「おお、いいな、市場というと、大通りにあったあれか」
先日、城に向かう道中で目にしたことがあるが、港町から城へと伸びる大通りに露店が軒を連ねるあの光景は中々に壮観であった。活気に満ち、沢山の人々が行き交うその光景にいつかは行ってみたいと思っていたのだが、まさかシエラ嬢からお誘いがあるとは。
しかしあの人通りの多い場所に向かうとなれば、顔を隠せるようにいつもの外套は用意した方がいいだろう。そう考えた私は朝食を済ませるとすぐさま二階へ戻り、壁に掛けていた外套を引っ掴み、すっぽりと顔を覆った。
「出かけるの?」
「ああ、シエラ嬢のお誘いでな。ちょいと市場まで行ってくる。お前さんも来るかい?」
「遠慮しておくわ。月も出ていないうちに人間だらけの場所に行こうだなんて物好き、アナタぐらいのものよ」
窓辺に腰かけ、ぼんやりと外を眺めていたルールーに声をかけるも、彼女はまるで取り付く島もない様子であった。家の中で暇そうにしているぐらいなら、少しぐらい付き合ってくれてもいいものだが、どうにも彼女の人間嫌いは筋金入りのものらしい。
これさえなければ心根の優しい娘なのだが、いやはや、まるで反抗期真っ盛りの我が子を見ているような心持ちである。
「本当にいいのか? きっと楽しいと思うがなあ」
「行かない」
「お菓子も買ってやるぞ?」
「行かない!」
いやはや。
梃子でも動かないといった風のルールーに、私は肩を竦めた。
「それじゃあ、留守は頼むよ。ごん太も、勝手に外をうろつかないようにな」
私の言葉に大欠伸で返すごん太と呆れ顔のルールーに手を振り、玄関で待っているシエラ嬢の元へと向かえば彼女は淡い若葉色のシャツに革のズボンという、随分と動きやすそうなラフな格好に着替えを終えていた。すらりと伸びる長い足が映える、彼女に良く合った服装である。
そんな彼女の着こなしをじっと見、次いで己が身体を見下ろしてみる。やはり、どうにも野暮ったい。ワンピースだけならまだしも、その上に被った外套がどうにも全体を重く見せてしまうし、実際重いし邪魔だ。
そうしてじとりとした目線を向けてみれば、彼女はこちらの言わんとしていることを察してか少し居心地の悪そうな顔をして頭を搔いた。
「仕方ないだろう。アンタの見た目で市場を練り歩いたら、それこそ買い物どころじゃなくなっちまう。尻尾やら翼やらはどうにか誤魔化せるが――」
そこでシエラ嬢はこちらをじっと見、
「顔が悪い」
と宣った。
「人聞きが悪すぎる! こんなに愛らしい顔のどこが悪いもんか」
「いや、ごめん、たしかに言葉が悪かった。良すぎるんだよ、顔が。その顔で表を歩いてみろ、変なことを考えた野郎に路地裏へ引き込まれても文句は言えないぞ」
「龍を引き込めるほどの腕っぷしがあるのなら、そら大したもんだ」
そう言って胸を張ってみれば、何故だか盛大にため息を吐かれた。
「いねえよそんな人間。うっかり相手の腕を引き千切らないか、そっちの方が心配なんだ」
いや、そんなことは。
すぐさまそう否定しようとするも、いやたしかに、無くはないなと思い止まる。いや、しかし、いくら
そう思い、実際にそうなった場面を想像してみる。
市場でのんびりと買い物を楽しむ私。不意に物陰から伸びる手。二の腕を掴まれ、まさに路地裏の薄暗がりへと引き込まれそうになったところで、そうはさせじと足に力を漲らせ目いっぱい腕を引き返さんとする。無論、龍の膂力を惜しみなく使って。
ううむ。
飛ぶな、人が、物理的に。
いや、飛び上がるまで腕が持てば良いが、間が悪ければ飛ぶな、腕だけ。肘か肩か、外れやすいところから。まるで玩具の人形のように。
さっと、顔から血の気が引いていくのがわかった。
「わかったか? それで相手に遠慮して好き勝手させようもんなら、そっちはそっちで大問題になる。お前だって嫌だろ」
「ううん、それは嫌だが、まあ、人の子は孕まんしなあ。それに力んでしまえばそこに
快音が響いた。
すわ何事かと、ひりつく頭頂部をさすりながら顔をあげればそこには手頃な大きさの本を手に、それを振りぬいた姿勢のままのシエラ嬢の姿があった。息も荒く肩を震わせる彼女の顔は熟れた林檎のように赤く染まり、心なしかその金髪は鬼のように逆立っているように見えた。
「どうやら教育が足りなかったみたいだな」
「あ、いやこれはほら、私こう見えても中身はかなりの爺でな?」
どうやら虎の尾を踏んだようだ。こめかみに青筋を浮かべ、口元を引くつかせるシエラ嬢に私の言葉はどんどん尻すぼみになっていく。
これは恐ろしい。生前、妻が本気で怒った時よりもよっぽど恐ろしいかもしれない。
「喜べ、これからまたきっちりかっちり教育してやるからな」
「いや、まあ落ち着いて話をしようじゃないか。龍と人とでは色々と感性というか、価値観が違うだろう? まずはその部分からすり合わせをだな」
「何か不満でも?」
「いや、はい、なんでもないです……」
口は禍の元。
これからは、シエラ嬢の前では迂闊なことは言わないでおこうと心に誓った私なのであった。
難産オブ難産。
話もあまり進んでませんが、長くなりそうなのでひとまずここまで。