自分以外誰もいない状態でジャングルに投げ出され、異世界の無人島で28年もたった一人で暮らし、最後には奇跡的に冒険者たちに助けられた中身が日本出身の爺な竜娘の生涯と不思議で驚きに満ちた冒険についての記述 作:野良野兎
「これはまた、たまげたなあ」
今日も今日とてよく晴れた気持ちの良いある日のこと。先日、あの市場での一件にてその名も姿も、その面相すらもすっかり国中に知れ渡り、もはや人目を避けるように顔を隠すこともなく、白昼堂々とその顔と翼を晒して、そして見上げた。
洋館、である。
壁は白く、屋根は赤。二階建て、左右対称のデザイン。中央には大きな玄関があり、その上にはバルコニーが。窓は硝子張り。そしてそれらが眺める庭は実に美しく、花は無いが荒れているわけではない。壁や屋根が朽ちていないのを見るに、どうやらこまめに手入れがされているのだろう。
いや、それにしても綺麗すぎる。まさか、新築か?
私が王と謁見してからまだひと月と少ししか経っていないというのに、これほどの屋敷を建てたと。いや、魔法という超常の力があるこの世界である。見た目こそ似通っているものの、建築一つとっても扱われている技術は全くの別物なのかもしれない。
「家具などは既に運び終えております。手入れの方も、私がこの目でしっかりと確認しておりますのでどうぞご安心下さい」
そう言って、王城でも色々と世話になった執事のウァルター殿が胸に手を当て、深々と頭を下げる。
「寛ぐ、と言われてもなあ」
尻尾を揺らめかせ、私は頭を掻いた。
事の起こりはつい先日、シエラ嬢と市場に買い出しに赴いたあの日。初めは食料であったりとか、日用品を買い足しに来たのかと思っていたのだが、途中からは箪笥やら鏡やら鍋やら匙やら、どうにも様子がおかしくなった。
それはまるで誰かが一人暮らしを始めるような、そう、私がまだ爺であった頃に息子が実家を離れ都会へ移る前の日のような。
そうして彼女に問いかけてみれば、私にはあと十日程であの家を出て行ってもらうと、今日はその為の準備をするために市場に来たのだと、そういうことらしかった。
それを聞いて私は少し悲しくなったが、話を進めていくとどうやら厄介者を追い出すとか、邪魔になったとか、そういうことではないようだった。何やら私が暮らす家が見つかったとかで、私はそこに引っ越すことになったらしい。
だから、居候生活はもうお終い。
そういうことらしかった。
そんな訳で後日、私はこうして六島の一つ、本島の後方に控える牧場島にやってきたのだった。
牧場島とはその名の通り、牧畜を主にした島である。豚、牛、羊、山羊、馬、鶏、様々な家畜が放たれ、そしてその様々な家畜を育てるに適した気候の島であり、それ即ち、人という獣にとっても最も暮らしやすい島とも言えた。
龍をこの島に据えるとは、あの王も中々に皮肉が効いているというか、豪胆というか、そのようなこともふと考えたものだが、恐らくこの采配は王ではなく、かのお姫様が振るったものであろうことは想像に難くなかった。
というのも、王城で世話になっていた際に私はあのお姫様に生前の話を幾らかしていたのだ。朝起き、畑を耕し、作物を育て、夜が更ける頃には家に帰り飯を食う。そんな、どこにでもある日々の話を。
だからこそ、彼女は私にここを宛がったのだろう。のどかで、穏やかで、のんびりと時間が流れるこの島の、この場所を。
幸い、本島へはこの翼があれば渡るのは容易い。それこそひとっ飛びというやつで、その辺りの渡し船よりも遥かに早く渡ることができる。故に、生活にそう支障はない。
だがしかし――
「こんな立派な屋敷とは、これは困ったなあ」
用意された住処はそれはもう、一人では、いや、一人と一匹とひと妖精では広すぎる、立派過ぎるものであった。
「それでは、お部屋をご案内致します」
ウァルター殿に連れられて、屋敷の中を歩く。
いつものように尻尾を揺らし、後ろには呑気な獣が一匹と、その背に座る妖精が続く。
大きなエントランス。大きな厨房、大きな浴室。
十を超える部屋。天蓋付きの寝室。
床は木製であったが、これは私の足を、この龍の足を考えてのことだろう。大理石であろうと削り取るこの爪先であれば、適応するのは固い物よりも柔軟な物になる。
それでも床板は定期的に取り替えなければならないだろうが、つるりと足を滑らせて頭を打つよりは随分ましだ。
さらに感心したのは玄関や各部屋の扉、廊下の幅など、ありとあらゆるところに私用、というよりも私のような翼や尻尾を備えた亜人の為の工夫が見られた点であった。
つまり扉や通路の幅は翼や尻尾がぶつからないようやや広く、天井も高い。そういえば浴室も随分広かったが、もしかすればあれも身体の大きな種族であっても十分に寛げる為のあの広さなのかもしれない。
それにこの匂い。館全体から立ち昇るこの木の香り。信じられないことではあるが、どうやらやはり、この館は私専用に、私の身体に合わせて拵えらえれたものに違いなかった。
いやはや何とも凄まじいのは王の力か、はたまたそれを振るわせる龍の力か。
「ご安心下さい。ご用命とあらば庭師、大工、使用人に芸術家に至るまで手配致しますので」
「それはまた、至れり尽くせりというやつだな」
「本来ならば使用人を何名か派遣する予定でございましたが」
「それは勘弁してくれ。若者に身の回りの世話をさせるというのは、何というかこう、困る」
食事から着替えから、風呂で身体を洗うところまでうら若いメイドさんたちに世話を焼かれるというのは、爺からすれば少々複雑なのだ。恥ずかしいとか申し訳ないとかそういうことではなく、何だか介護施設にいるような気分になる。
そもこの世界に生れ落ちてから三十年近く無人島で暮らしていた訳であるので、大抵のことは一人でこなせるし、熟すべきなのだ。仮初のものではあるものの、この国において私が辺境の姫という扱いをされているのは仕方がないことだと理解しているが、それはそれ、これはこれである。
「本来なら、こうして貴女が人間に寄り添っていること自体が在り得ないことなのよ」
私の肩に飛び乗りながら、ルールーは呆れたようにそう話す。
いや、私が殊更変わり者であるのは否定しないが、それはそうと先程まで彼女が乗り物代わりにしていたあの毛玉はいったいどこに消えたのだろうか。
「ああ、彼ならさっきまでいた部屋の窓辺が気に入ったとかで戻ったわよ。今頃昼寝でもしてるんじゃないかしら」
呑気か。呑気だったわ。
流石と言うべきか、これからどう暮らしていこうかと思案している家主よりもよっぽど寛いでいる。
あいつも元は野良の獣だった癖に、野生の本能はどこに行ってしまったのだろうか。いや、元から無かったのかもしれない。
トイレの場所も覚えるしちょっとした言いつけも守るので馬鹿ではないのだが、どうにもこう長い物には巻かれておく気質というか、威を借るのが得意というか、そういったどちらかといえば狡賢い類なことは間違いないだろう。
「そういえば、お前さんも気に入った部屋があれば好きに使ってくれていいぞ。どうせ幾つか部屋は余ってくるだろうから」
「別に、私にとっては人間用の住処なんてどれも同じでろくに使えないものばかりなのだけれど、そうね、バルコニーには大き目のテーブルと、鉢植えを一つ用意して貰おうかしら」
バルコニーにテーブル。茶会でも開くつもりかと私は訝しんだが、話を聞くにどうやらあそこは月の光をより浴びやすい場所らしく、日光浴ならぬ月光浴には丁度いいのだとか。
月光浴。私には馴染みのない言葉であるが、月の妖精である彼女にとってそれは生きる上で欠かせないものであり、人間でいう食事に近い。そして彼女が月光から得ているもの、それは魔力。月より降り注ぐ微量の魔力を取り込んで、己の活力としているのだ。
尤も彼女の場合は私の身体から流れ出ている魔力を取り込むだけでも十分らしいので、やはりこれは食事というよりティータイムに近いのだろう。
たしかに私自身、龍の姿になるのも、その力を振るうのも、月の光がより強ければ強い程負担が少なくなるし、身体の調子も良い。
ような、気がする。きっと。
いや、私自身も月に縁深い龍であるので、少なからずその恩恵を受けているのだろう。
「あい心得た。ついでに椅子も一つ見繕ってこよう。しかし、鉢植えは何に使うんだ」
「アナタもしっかり便乗する気じゃない。鉢植えの方は気にしないで。ま、私の趣味みたいなものだから」
趣味。妖精の趣味とはいったい。
いや、詮索は止めておこう。私は個人の意思を尊重する龍故に。
「では時間も丁度良いですし、紅茶などは如何でしょう。こんなこともあろうかと、焼き菓子も用意してあります」
「おお、それはいいな、素晴らしい」
そうして、いつの間にかバルコニーに運び込まれていた円卓を囲んでのティータイムである。茶請けは三角形の焼き菓子。スコーンに近いが甘みは薄く、少し粉っぽい。しかし現代の、バターや砂糖をふんだんに使った代物と比較するのは余りにも酷だろうし、これはこれで素材の味を上手く引き出していて美味い。
そして茶請けの甘みが薄い分、それが紅茶の風味を良く引き立てている。
「うん、これは良いものだ!」
「感謝の極み」
アールグレイに似た味わいに舌鼓を打ちつつ、屋敷の前に広がる庭を眺める。
敷地はサッカーコート二つ分、といったところだろうか。中々に広い。実に弄り甲斐がありそうだ。
市場を眺めた時、まず目を引いたのはそこに並ぶ作物の、その種類の豊富さだった。恐らくは様々な島の、様々な環境が幸いしているのだろう。流石に主食となる穀物は偏っていたが、野菜に関しては相当な種類が揃っていた。
腕が鳴る。土いじりを生業としていた私としては、それはまさに宝の山。まあ半分は家畜用として利用するとして、残り半分は土壌の改良を含めても相当な時間をかけることになるだろう。
さらにはそれらの作物を運んできた多くの島々。まだ見ぬ世界。それらを想い、私は高鳴る胸の鼓動を押さえるように、また一口紅茶を含む。
「うん、美味い、美味い」
そうしてまたスコーンへと手を伸ばそうとして、掴んだのはもふっとした獣の尻。
どこからともなく、呼んでもないのに現れた狸が一匹、焼き立てのスコーンにがっついていた。
「お前、ほんと、お前なあ……」
ため息と共に、力なく尻尾が床に落ちる。
呑気な狸の鳴き声が、晴れ渡る青空に響いて抜けた。
最近タヌキの諸々がXに流れてきて、このぐらい図々しくてのろくても
本物には遠く及ばないのだなと痛感しております。
流石タヌキ。タヌキやばい。