「……そなたらは本気なのか……本気でこのチビ竜を害しようとしておるのか」
苦しげに顔を歪めながらサムライは問う。
ムーアたちにとっては何を今更というべき質問だが、しかしこの『共和国』の一般市民としてはむしろ当然というべき疑問ではある。この国において最も神聖不可蝕たる権威は国法でもなければ国家元首でもない。竜族を怒らせるという事態――それこそがこの国で最もしてはならない禁忌であり、常識なのだ。
自分たち四人は、そのタブーをあっさりと踏みにじっている。彼ら二人から見れば、さぞかし異様な者たちに見えることであろう。
が、ハッテはむしろそんな自分たちを誇るかのように言葉を続ける。
「我が主君たる黄竜王陛下の命に従い、そこの緑竜王の小せがれの首を取る。それの何が不思議なんだ?」
「その結果何が起こるか、そなたらは理解しておるのか?」
「考えるのは俺たちの仕事じゃねえ。俺たちの仕事は、上からの命令をきっちり遂行することだけだ」
「…………」
「だから俺たちゃ必要なことは何でもやるぜ? 人質になってるダークエルフのババアを俺たちの里に連れ帰って、寸刻みにしてやることだってな」
「なッッ!?」
「お前らは竜族を怒らせることをえらくビビってるみたいだが、この世の竜族は緑竜王だけじゃないんだぜ? 俺たちの仕事を邪魔してる時点で、お前らは黄竜王陛下の意思に逆らってるってことを理解してるのか?」
(なるほど、いい攻め口だ)
ハッテの言葉に、ムーアは内心ニヤリと笑った。
その発言は、確かに彼らの思考の盲点を付いたらしく、二人はぐうの音も出ない顔をしている。
特にエルフ娘は明らかに血の気を失っている。
おそらくはあと一押しで、娘の心は折れる――そう思い、ムーアはハッテをちらりと見、それに応えるかのようにハッテはとどめの一言を言い放つ。
「主君の腹いせの対象として、仕事を邪魔したクソエルフの母親一匹連れ帰りゃ、里じゃさぞかし歓迎してくれるだろうよ。ヒドラの餌かオーガーの餌か、どっちがいいってなぁ」
「わかった……あたしたちが悪かったわ、それは認める!! 刀だって捨てる!! こいつが目障りだって言うならここから帰す!! だから……だから……母さんだけには手を出さないでッッ!!」
そう叫びながら、まるで子供のように取り乱すクシャトリス・バーザムズール。
「お、おい、お前いきなり何言ってるんだ!?」
と、言いながらエルフ娘に言い返そうとするサムライを、彼女は、
「うるさいッッ!! やっぱりアンタなんか連れてくるべきじゃなかったのよ、余計なことばかり言って相手を怒らせてッッ!!」
と、一喝し、なんとそこから縛られた幼竜をサムライに押し付け、山道に膝と手を付き、額を地面にこすりつけたのだ。
「クシャ子……」
サムライが絶句する。
ハッテとザーンも、その異様なポーズに気を呑まれたかのようになっていたが、それでも彼女のとった行為の真の意味までは理解していないようでもあった。
が、ムーアにはわかる。
彼は来世流というサムライ式の剣術を学んだ身だ。これが何を意味する所作なのかくらいは十分すぎるほどに知っている。
それは土下座(ドゲザ)という――この国の人間種における、相手への最上級の謝罪と敬意を含んだ礼法だった。
ダークエルフの彼女がなぜ人間の礼をするのかはわからないが、そんなことは問題ではない。
わかるのは、このエルフ娘は彼女なりの最大限の礼を尽くしてでも、己の母を無事に取り返したいということだ。
(なるほど……)
ムーアは納得できた気がした。
彼女の真剣さにほだされたわけではない。
この気位の高そうな娘が、ここまでやるからには、もはや罠はあるまい――そう判断したのだ。
「よかろう」
その台詞を聞き、ハッテとザーンが振り返る。
が、ムーアは二人の部下を目で制した。
「その竜の子を渡してもらおう。それさえ手に入ればこちらとしても文句はない」
「……本当に母さんを返してくれるのね?」
「嘘は言わん。もとより我々としても貴様の母親の命などに関心はないのだ。目的のものさえ入手できれば、もう用はない」
そう言い切るムーアの瞳を、土下座の姿勢のまましばらく睨みつけていたクシャトリスであったが、やがて決心したように目を閉じ、
「新助、その子を渡して」
と告げ、そこから更に数秒ためらっていたサムライも、やがて諦めたように幼竜をこちらに差し出す。
両手両足をひとまとめに縛られ、眠ったように動かない『目標』を受け取ったザーンが確認を済ませ、こちらに頷いてみせると、ムーアはハッテに改めて指示を出した。
「これで任務は終了だ。人質は引き渡すと言って来い」
「おう」
そう言うや、ハッテは踵を返して洞窟に駆け込んだ。
もとより油断はなかった。
人質の女にはずっと魔法をかけて眠らせてあったから、こっちの身元の手がかりになるような会話も聞いていない。だから敢えて口を封じる必要もない。
ここにいる二人にしてもそうだ。このサムライも少なからず腕が立ちそうだし、エルフ娘に関して言うまでもない。本気で抵抗する気が無いなら、敢えて戦闘に持ち込む愚を選択すべきではなかろう。
だから人質を二人に返したら、すみやかにここを立ち去る――それがこの場における最善の判断だったのだ。
「さあ、それは果たして本当に最善かな?」
エルフ娘でもサムライでもない。それが誰の声か――などと疑問に思う暇さえなかった。
振り向いたムーアが見たのは、荷物のように引き渡された幼竜が、カッと目を開くと同時に、突然口から火を吐いた瞬間だった。
「ぁぁぁぁああああああッッッ!!!」
今日の昼間に黒コゲになったミノタウロスとそっくりな悲鳴を上げて、ザーンがその顔面を真っ赤な炎に包み、その場にのたうちまわる。
そして、その頭上を幼竜が、ふよふよと飛んでいる。彼の自由を奪っていたはずの縄はそのままだが、背中の翼で宙に浮く程度の動作なら、確かに四肢の戒めなど意味はない。
「息(ブレス)だと…………ッッ!??」
うかつだった――などと思う暇もない。
確かにドラゴン種にとって『息』は、その牙や爪以上に危険な武器だ。とはいえ、生誕百日程度の幼竜の吐く『息』など威力としてもたかが知れているはずだった。
だが、それも至近距離から吐きかけられたなら話は別だ。
ザーンとしてもなんでたまろう。その胸に抱きかかえた距離から火を吐かれては火ダルマになる以外に選択肢はなかったろう。
そして、最初からこうする予定であったというなら――つまり自分たちは、彼らに一杯食わされた、ということなのだ。
ならば、事ここに至っては、ムーアのすべきことは一つしかない――。
三歩の距離を半呼吸で詰め、いまだにのんきに宙を浮かぶ幼竜に、ムーアは渾身の抜き打ちを叩きつける。
人を小馬鹿にするような顔をしていた幼竜が、初めて明確に恐怖の表情を浮かべる――。
ムーアの学んだ来世流は、『共和国』内の剣法諸流派の中でも、その特徴として抜刀術に特化した流派だという事実がある。
抜刀術とは、いわゆる「居合(いあい)」のことで、あらかじめ剣を構えず、腰に差した鞘から剣を抜きながらの斬撃のことであり、極めれば、この技一つであらゆる武技・剣技に対抗できるようになるとまで言われる。
ムーアは、流派の抜刀術に自分なりの工夫を加え、それを評価されて師から免許皆伝を得た。いわば彼にとって抜き打ちの一刀は、まさに得意技であると同時に必殺技であると言えた。
が、この場合――ムーアにとって不幸であったのは、そこにいたのが、クシャトリス・バーザムズールと池波新左衛門の二人だったということか。
硬い手応えと金属音。
皆伝を得た時に師匠から譲られた総州村綱二尺三寸の一撃を、見事に受け止めた一本の杖。
そして、我が意を得たりとばかりに会心の笑みを浮かべるダークエルフ娘。
「やらせないよ」
その言葉を聞いたという自覚すらない。
クシャトリスがその一撃を受け止めたのと全く同時に、池波新左衛門の峰打ちの一刀が、彼の横っ腹に叩き込まれていたからだ。
「かは……ッッ!」
肺の中の息を残らず吐き出し、たまらず膝をつくムーア。
しかし、そのまま無様に倒れるような真似はしない。
地面に手を付き、そのまま悪鬼のような表情で睨み上げる。
さっきとはまるで逆の構図となったわけだが、とはいえ、その視線の先にあるのはサムライとエルフ娘ではない。
ホッとしたような表情を浮かべる、ぬいぐるみのような外見をした竜の幼生。クシャトリス・バーザムズールが「ナマイキ」と呼ぶこの生物こそが、彼の刃物のような視線の先にある存在だった。
だが――。
「おお、上手くいったようじゃな」
そう言いながら、洞窟から出てきたサムライ装束の老人を見た瞬間、ムーアの意識は混乱した。
(馬鹿な……ッッ)
結界を張っていたリアは、侵入者は確かに二人だと言い切った。
ならばこの老人は一体いつの間に、どうやってこの場に入ってきたというのか。
もうわけがわからない。いったい何故こんなことになってしまったのか。
すべての状況が、ムーアの想定の斜め上を行ってしまっている。この稼業について結構経つが、こんな不可解すぎる事態が連続するのは初めてだ。
しかし、ムーアに分かることもある。
この老人が無傷で、洞窟から出てきたということは、つまり――。
「済まんのう、中におったおぬしの部下は全員斬らせてもらったぞ。まあ、わしの弟子にちょっかいかけた以上は、少しは懲りてもらわんとな」