「一同、神前に礼!!」
という渡辺源太夫の声に応じる様に、
「ありがとうございましたァッッ!!」
と、床に座した門弟たちは、一斉に道場上座に設けられた神棚に頭を下げた。
数秒後、彼らは顔を上げ、そして池波新左衛門は立ち上がる。
同じように道場の門下生たちの中には、膝を払って立ち上がるエルフもいれば、互いに隣の者たちと私語を始めるワーウルフたちもいる。「今日の稽古はキツかったなぁ~~」と寝そべって独りごちるドワーフもいれば、周囲に構わず汗まみれの稽古着を早速脱ぎ捨てようとするオークもいる。
「おいおい、まだ女子が残っているうちに服を脱ぐな服を」
新左衛門が苦笑いしながらたしなめるが、そのオークも「さーせん」と誰に向かって言ったのかもわからない謝罪を照れたように口にするだけで、その汗臭い道着をふたたび着ようとはしなかった。
そして、数人の女子たちも、そんなオークの半裸にいまさら照れたりはしない。この道場においてはそんな眺めは、ある意味日常茶飯事と言っていいものだったからだ。
が、そんな女子たちがぞろぞろと、更衣室に入ろうとした頃、手ぬぐいで汗を拭きながら渡辺源太夫が、思い出したように振り向いた。
「ああ、そうじゃ、今夜は皆でバラバラに帰らず、なるべく道を同じくする者同士一緒に帰れ」
「何ですか先生、その寺子屋の集団下校みたいなお言葉は?」
そう、からかうように言い返すワーゴートのガルヴァ・ルーディに、新谷喜十郎という武士が師の代わりに答える。
「たわけ、先生が仰っておられるのは最近ジュピトリアムに徘徊しておる辻斬りのことじゃ」
「辻斬りぃ……?」
ガルヴァは半分嘲るように喜十郎を見下ろすが、喜十郎の目は笑っていない。
「七日前に木星流のメッサーラがやられた。五日前は白天木馬流の小林隼人がやられた。三日前に至っては武才流のジン・デニムまでがやられたのだ。今夜あたりこっちに来るかもしれぬ」
その三名ともにジュピトリアムの剣壇においてはいずれも名を謳われた者たちだ。
が、このガルヴァも一応は道場の高弟(序列高位の門弟)に名を連ねる一人であり、その三人に己の腕が劣るなどとは考えてもいないのだろう。喜十郎の言葉を、道場内に響くような大声で笑い飛ばす。
「来たら返り討ちにすればいいだけでしょうが、そんなもん」
「そうあっさり行くかのう」
と言い、ガルヴァの喚き声を遮ったのは源太夫だった。
さすがに師匠に口答えするわけにも行かず、山羊頭の獣人は喉に物でも詰まらせたような顔で口ごもるが、源太夫はこれ以上彼一人を相手にはせず、皆の方を振り返る。
「他の者も聞け、巷(ちまた)で噂になっておるこの辻斬りを侮るではない。夜道を一人で帰ろうなどとは、ゆめゆめ思うな。自分だけは大丈夫だなどと根拠のない自信を持たず、皆と一緒に帰りながら周囲を警戒せよ。敢えて危地から身を遠ざけるもまた修行ぞ」
「しかし先生」
ガルヴァが食い下がるように口を開く。
「仮にも渡辺派の剣士たる我々が、たかが辻斬り風情を恐れて徒党を組んで帰ったなどと風説が立っては、それこそ流派の名に傷をつけることになりませぬか」
それは苦し紛れにしては、なかなか勘所を得た扇動句だったと言える。現に師の言葉を黙って聞いていた門下生たちの顔にも、ざわざわと同意するような反応が現れ始める。
が、そんな弟子たちを沈黙させたのも、やはりこの師匠の一喝だった。
「そなたら、少しは頭を使え。わしの言葉の裏を最後まで言わねばわからんのか。いまジュピトリアムをうろつきまわっておる例の辻斬り――奴を捕まえるのは、我が渡辺派じゃということよ」
その言葉を聞いた門下生たち全員の頭に、大きなハテナマークが一斉に浮かんだことだろう。
が、源太夫はむしろ出来の悪い教え子に授業をする教師のごとき表情になり、嘆息混じりに先刻の言葉の続きを吐く。
「集団で帰れと言ったのは、ガルヴァが申したような、単に辻斬りを恐れて徒党を組むなどという意味ではない。これは――陣形じゃ。戦のための備えじゃ」
「…………」
「木星流、白天木馬流、そして武才流を血祭りにあげた辻斬りは、間違いなく次の標的を我ら渡辺派無明流に定めるはずじゃ。そして貴様らは、我らを狙うこの不埒者を確実に包囲し、捕えよ。これはそのための陣形なのじゃ」
「…………」
「ジュピトリアムの主だった流派を総なめにしたこの辻斬りを、我らが捕えれば、渡辺派の剣名も更に不動のものになるであろう。わかるか? これはむしろ好機じゃと思え。練武館には大統領杯優勝者クシャトリス・バーザムズール以外にも剣士ありということを世に示してみよ!!」
おおおおお!!!と、どよめくような怒号とともに、門下生たちが一斉に興奮したように拳を突き上げ、羽目板を踏み鳴らす。
その様相を見て、新左衛門もさすがに(すごいな、この先生は……)と思わざるを得ない。
余人ならばいざ知らず、日頃から源太夫と共に過ごす時間が多い新左衛門には、さすがに師匠の本心がわかる。特にここ最近の事件で、源太夫の思考回路がまさに一筋縄ではいかないものであることを充分すぎるほど思い知っていたからだ。
師匠の本音は、まさにガルヴァが言った通り、辻斬り風情を恐れて徒党を組んで帰れという一言であったに違いない。それをこんな口車一つで門弟たちの士気を下げず、集団帰宅に積極的に同意させたのは、まさに鮮やかな手並みであると言うしかない。
そう感心する新左衛門の心を見抜いたかのように、不意に源太夫は振り向き、不機嫌そうに言う。
「何を笑っておる池波」
「え、いや……拙者笑っておりましたか?」
「白々しいことをほざくでないわ。よし――ならば「陣構え」の具体的な班割りはおぬしに任せる。他の高弟どもと協議して速やかに人員を振り分けよ」
「え……そういうことは普通、先生の御下知があってこそだと思いますが……」
そう答える新左衛門の肩に手を置くと、源太夫はそのまま囁くような声で、
「わしを笑うた罰じゃ。面倒くさいことは全部おぬしに任せるゆえ、適当にやれ」
と言い捨て、毅然とした背中を見せたまま屋敷の母屋に通じる渡り廊下に出ていく。
あとには「え~~?」という表情をした池波新左衛門と、必要以上にテンションを上げた門弟たちが残された。
現在『共和国』に存在する武術は、その発祥を辿れば、ほぼその全ての開祖が人類種であるという事実がある。
体力・身体能力、生命力においてことごとく人間を凌駕する獣人種たちにとっては、「技」という概念によって戦闘をマニュアル化するという発想はなく、エルフ種やドワーフ種においては魔力を行使しない近接戦闘などそもそも考慮の外だ。
これはつまり武術という概念が、そもそも人類が、人外種族に対抗するための手段の一つとして生み出した技術であるという証拠であり、人類が人外種に対していかに劣等感を持っていたかという証拠でもある。
そしてそれは、この大陸の大半を支配している人類文明圏諸国において武術が廃れ、人間が総人口の四割ほどしか存在しないこの『共和国』において深く根付き、今では武術諸流派の高弟の大半を人外種が占めているという現実に対する、強烈な皮肉であるとも言える。
そういう意味では、高弟にずらりと人間を並べるこの渡辺派無明流という流派が、現在の『共和国』において、いかに異端な存在であったかがわかるであろう。とはいえ、その序列筆頭には人外種たるダークエルフのクシャトリス・バーザムズールという名が燦然と輝いていたが。
とはいえ、そのクシャトリスは道場内にあっては、実はさほどに重んじられていない――というより歴然と孤立している事実がある。
仮にも大統領杯で二連覇を果たした剣士である彼女は――流派総帥たる渡辺源太夫を別格とすれば――いまや名実ともに渡辺派の最強剣士であることを、すべての門弟が認めている。
だが、彼女が認められているのは、その「強さ」という一点のみだ。
渡辺道場「練武館」は、ジュピトリアム市でも最大手の剣術道場であるゆえ、その門弟は総数五百人とさえ号される規模を持つ。
まあ、その全員が一斉に稽古ができるほどに広大な道場ではないため、その習熟の度合いによって稽古時間は分けられ、その指導には高弟がそれぞれ師範代として就くという慣習が存在している。
すべての時間のすべての門弟を指導するには、渡辺源太夫の身体は一つしか存在しないのだから、これはある意味当然のことだ。さらに言えば源太夫は市庁の現役の官吏でもある以上、その直接指導に割ける時間に限界があるのもやむを得ない。
が、以上の事情があるにもかかわらず、当時序列十位となり「高弟入り」したばかりだったクシャトリス・バーザムズールは、師範代として指導者の立場に身を置くことを拒絶したのだ。
彼女は自分の剣がまだ他者に指導できるような域には到達していないと断言し、他の高弟たちと共に後進を指導するというに道場の慣習に、敢然と逆らった。
もしもここで源太夫が、師としての立場から彼女の身勝手を叱っていれば、それでも事態はここまで深刻化しなかったかもしれない。だが、渡辺源太夫はクシャトリスの主張を認め、彼女にそれ以上師範代就任を迫ることはなかった。それが他の高弟たちの更なる怒りを呼び、彼女の孤立を決定的なものにしてしまった。
もともと社交的でなく、寡黙だったクシャトリスは、道場でこれといった友人もおらず、さらに彼女を唯一庇える立場にいた新左衛門にしても、当時は他の門弟たちと同じ気持ちだった。いや、旧知の仲であるだけに彼女への怒りはさらに激しかったと言っていい。
だが、今はもう、その事件から三年以上の歳月が経っている。
なにより、ズサ・ハンマガルス事件やラヴィアン・バーザムズール誘拐事件を経て、クシャトリスに接する機会が増えた新左衛門は、この件に対する彼女の本心も一応聞いてはいる。そのためもあってか、新左衛門の彼女の発言に対する不快感は、かなりの部分が解消されている。
彼女は現在、毎夜のこの時間――序列最上級者三十人の稽古時間にのみ道場に顔を出し、それ以外の、例えば初心者や中級者たちの稽古時間は、ほとんどここに寄り付かない。
しかし、その時間に家で寝ているというならともかく、クシャトリスは自分なりに己の剣を向上させるための個人練習に打ち込んでいるのだという。
その個人練習にどんなメニューを組んでいるのかまでは新左衛門も聞いてはいないが、しかしそれが無為なものでなかったことだけは確かだった。
なぜなら――クシャトリス・バーザムズールの剣がさらに飛躍的に伸び、道場の序列筆頭になり、大統領杯で優勝するまでの剣士に成長したのは、師範代就任を拒否し、その個人練習とやらに打ち込むようになって以来の話だからだ。
しかし彼女は、現在もなお道場の師範代就任を頑なに拒み続けている。
それから四半刻(約三十分)ほど時間をかけてようやく集団帰宅のための「班割り」を終えた新左衛門と、その他の門弟たちはようやく道場を出た。
最初の四つ角で集団はそれぞれ帰り道の方向に分かれ、新左衛門は自らが率いる八人ほどの小集団の先頭に立って提灯を掲げる。
渡辺道場において一応「高弟」と呼ばれるのは序列十位以内の者たちだけであるが、この小集団は序列二位の新左衛門と序列一位のクシャトリス、そして序列四位の新谷喜十郎が差配するという段取りである。もっとも彼女は帰宅時の班割りをしている段階から興味なさげな顔を見せるばかりで、一言も口をきかなかったが。
(やっとれんな実際……)
新左衛門としてはそう思わずにはいられないが、傍らの喜十郎が後輩たちと辻斬りの強弱論で盛り上がっているような現状の空気では、ここで不満を漏らすわけにもいかない。
隣にいるのがクシャトリスなら小声で愚痴くらい言えるのだろうが、彼女は集団の最後方を黙々と一人で歩いている。いや、そもそも彼女は公衆の面前で新左衛門と親しくする姿を見せることを好まない。ならば彼女が現在位置に選んだポジションは当然とも言えた。
そもそもこの時間帯に道場にいる門弟は、序列三十位以内のいわば渡辺道場の最精鋭というべき者たちであり、ここまで世話を焼かねばならない義務が本当に必要であるかは疑問なのだが、先生の命令には逆らえない。つまり新左衛門とクシャトリスと喜十郎の三人は、ここにいる全員が無事に帰宅するまで、まるで保護者のように彼らの背後を守らねばならないということだ。
そうこうする内に最初の角を曲がり、通りに出る。
そして、そこにあるのが、いわば渡辺道場の門弟たちの溜まり場ともいうべき「だるま」という一杯飲み屋である。
「おう新左、今夜ちょっと付き合わぬか?」
と、喜十郎が右手でクイッと盃を傾ける仕草を見せる。
今更ながらの説明だが、この新谷喜十郎という武士は、年齢的にも新左衛門に近く、彼にとっては渡辺道場の同門の中でも特に気の合う友人と言える。が、なにしろ度外れた飲み助で、さほど酒好きではない新左衛門は、懐具合によっては彼の誘いを断るのに苦労するという相手でもあった。
「おいおい、今夜はさすがにまずいだろ」
面倒ではあるが、それでも自分たちは源太夫から直々に門弟たちの先導役を命じられているのだ。それを露骨にボイコットするわけにもいかない。
が、喜十郎は言う。
「なあに、先生が禁じたのは我らがバラバラで帰ることだけじゃ。ならば、ここにいる全員で飲めば問題はなかろう」
「いや、まあ……しかしな」
「それにじゃ、ここに居並ぶ面々を見れば、少々酔ったところでどうということはなかろうが」
「おお、確かにそうですね」
「いいッスねぇ~~行きましょう行きましょう」
「新谷さん、奢りッスか? 奢りッスよね?」
「池波さんも行きましょうよ。こないだの妹さんの話の続きを聞かせてくださいよ」
などと皆が盛り上がり、新左衛門としては無視できぬ場の空気が醸されつつある。
「しかしなぁ……」
と口ごもりながら、横目でちらりと集団の最後方にいるはずのクシャトリス・バーザムズールを見る。
「気になるのか?」
からかうように言う喜十郎に、新左衛門は慌てたように「何のことだ」と言い返した。
ここ最近、新左衛門にとっては稽古からの帰り道を、クシャトリスと一緒に歩くというのが習慣となっており、そういう意味で彼女の存在が少し気になったことは間違いない。
とはいえクシャトリスが、道場内で浮いた存在であることは未だ変わらぬため、新左衛門としても彼女と並んで道場を出るというような真似はせず、帰路の道すがら、いつの間にか彼女と合流するといった風を装ってはいたが。
クシャトリスにしても、そんな腫れ物に触るような新左衛門の態度には思うところもあるだろうが、今はまだ何も言わない。彼女自身も、ここ最近で急速にかつての親密さを回復させた新左衛門との関係を、道場の連中に知られたくないという気分があったのだろう。
が、そんな二人の白々しさは、見る者が見れば一目瞭然ではあった。
現に、この新谷喜十郎のように、事あるごとに新左衛門をからかうような口をきく者たちも道場にはいる。もっとも、その最たる存在が師匠たる渡辺源太夫であるという事実が新左衛門を閉口させたが。
「じゃ、そういうことなら、あたしは先に帰らせてもらうわ」
その声に振り向いた新左衛門が見たのは、クシャトリスが無表情で、一団のしんがりで屹立する姿だった。
「え~~、そんなこと言わずにバーザムズールも付き合えよ~~」
一応申し訳のように喜十郎が彼女を誘う言葉を吐くが、その表情にはあからさまに感情が込もっていない。もっともそれは喜十郎だけではなく、新左衛門以外の全員が同じような顔を彼女に向けている。
そういう空気の中で、クシャトリスが「あたし、お酒は苦手なの」と返答したのが、まだしも以前より彼女が丸くなった証拠とさえ言える。かつてのクシャトリスなら間違いなく無言でここから消えていたはずだ。
「おいバーザム――」
何か言おうとする新左衛門の横をすれ違うように通過し、そのまま一同に背を見せたまま、彼女は夜道を去ってゆく。
が、新左衛門の顔には、先程までなかった微笑がある。
彼のとなりを通過する際、彼女は新左衛門にだけ聞こえるような小声で「あんまり飲み過ぎるんじゃないわよ」とささやいていったのだ。
」」」」」」」」」」」」」
月は出ていない。
星あかりが無いこともないが、雲に遮られて地上にはあまり届いていない。
早い話が、夜道はほとんど一点の明かりなき暗黒に包まれていたが、それでもクシャトリスは携帯用の提灯に火を入れることもしない。
エルフ族――ことにダークエルフ種は、一般的に夜目が効くと言われているがそれだけではない。彼女にとってこの道は、少女時代から通い慣れた、まさしく目をつぶっても歩ける道なのだ。
とはいえ、ここ最近、彼女の傍らを共に歩いていた池波新左衛門の姿はここにはない。
しかし、クシャトリスの胸中には、自分の側から新左衛門を連れ去った道場の連中に対する怒りなどない。
というより彼女の中には、新左衛門の不在を寂しがるような感情は、そこまで育っていないと言ったほうが正確だったろう。
(アイツにはアイツの付き合いがある)
そう考える分別くらいは持ち合わせているし、何よりクシャトリスにとって一人で歩く帰り道は決して苦痛ではない。新左衛門以外にこれといった友人もない彼女は、むしろ集団の中に身を置くほうが苦手だったからだ。
「…………ッッ」
その瞬間だった。
一抹の殺気を勘が捉えると同時に、彼女はその場に立ち止まった。
ただ止まっただけではない。
腰を落とし、竹刀や防具といった荷物を放り出し、エルフ愛用の杖に魔力を通し、それを逆手に構えた。のみならず、小声で囁くように呪文を唱え、自分の周囲に対攻撃魔法用の結界を貼る。
そこまで戦闘態勢を整えた上で、クシャトリスは数間先の曲がり角の暗闇に潜む気配に向けて、ようやく口を開いた。
「一応、人違いかもしれないから言っとくけど、あたしは渡辺道場のクシャトリス・バーザムズール。そこに隠れてる奴、あんたが最近話題になってる辻斬りさんなら、せめてツラを見せな」