魔界の国のお侍さん   作:アルジェリア

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第二十話 「辻斬り(其の三)」

「辻斬りにあったぁ!?」

 

 

 池波新左衛門と渡辺源太夫が、驚きのあまり目を剥くが、当のクシャトリス・バーザムズールは涼しい顔で、ずず……と、湯呑の緑茶をすすっている。

 

 ここはジュピトリアム市庁の特別総務掛の詰所――言わずと知れた新左衛門と源太夫の職場である。彼女は今日、そこに源太夫から呼び出され、やってきたのだが、しかし師匠がその用件を言う前に、クシャトリスは昨日の夜の事件を話さずにはいられなかった。

 そして二人の男たちは彼女の予想取り、驚きのあまり呆然となり、ダークエルフ娘はその顔を愉快そうに見ている。

「それは……昨日の夜のことか?」

「ああ。あんたらが『だるま』で楽しくやってる最中の話だよ」

 その一言を聞いて源太夫の険しい視線が新左衛門に突き刺さり、新左衛門はうろたえたように顔をそらす。その様を面白そうに見つめながらクシャトリスは、さらに緑茶を一口すする。

 

「で、ケガはなかったのか」

 口ごもる新左衛門の代わりに源太夫が厳しい表情で尋ねるが、彼女はあっけらかんと答える。

「はい。どこにも」

「偽りは申しておらぬであろうな。そちの手傷が我が道場の不名誉になるなどと勘違いしておるなら、構わぬから正直に申せ」

「大丈夫です。我が父に誓ってケガなどしておりませぬ」

「……そうか」

 と呟くと、源太夫は浮かせた腰を下ろし、脇息にもたれかかる。

 そこでようやく、この場に安堵したような空気が漂う。

「で、相手は? 辻斬りはどのような奴であった?」

 そう訊いたのは威儀を整え直した新左衛門だ。

 だが、その質問にクシャトリスは何かを思い出したように、ぷっと息を吹き出し、うつむいて笑いをこらえ出す。

 むろん新左衛門には何のことかわからない。

「なんだ、何を笑っておる?」

 

 

「いやいや、辻斬りにしては面白い奴だったよ。なにしろ去り際にあたしに尻を叩いて見せるようなひょうきんな奴だったし」

 

 

 新左衛門は一瞬言葉を失った。

 「辻斬り」という単語と「尻を叩く」という行動が、彼の脳裏でうまく繋がらなかったせいだが、ある意味それも無理はなかった。

「それは……辻斬りがお前のケツを撫でたとか、そういうことか? 助平親父が若い女にやるような?」

「違う違う。去り際にこっち向いて自分の尻を叩いてみせたんだよ。子供が喧嘩で『ここまでおいで』ってやるみたいにさ」

「…………なんなんだそいつは。本当に辻斬りだったのかそれは」

 呆気にとられたように言う新左衛門。しかし、そこでようやくクシャトリスの顔に厳しさが宿る。

「それは間違いないよ。互いに対峙したのは数秒くらいだったけど、あのサムライの殺気は間違いなく本物だった」

「サムライ?」

「ああ、頭巾から羽織袴に刀の拵えから足袋の色まで黒一色で統一したサムライさ。しかも着物の生地が黒光りしてたから、あれはそこらの浪人や貧乏侍じゃないのは間違いない。おまけにニンジャ姿の護衛まで背後にいたくらいだし」

 

「ふ……ん」

 しかし、新左衛門はその情報を聞いても特に驚かない。死体に残された太刀筋からして、辻斬りが使った剣技が、流派はともかくいわゆるニホン剣道のものだというのは判明していたからだ。

 しかし、去り際に己の尻を叩いたという子供っぽさや、高級身分っぽい身なりや護衛といった情報は、確かに聞く価値がある――とは新左衛門は考えない。

(だいたい辻斬りなんて真似は食いつめ浪人か、もしくは暇を持て余したお偉いさんのボンボンくらいしかやる馬鹿はいないもんだ)

 そういう常識が彼の頭にはある。

 そして今回の犯人は、被害者の懐から財布を抜き取るような真似をしていない。それはつまり容疑者としては後者――上流階級に属する武家に絞られるということであり、それに苦労知らずの坊ちゃんなら、クシャトリスが目撃した子供っぽさも(少し苦しいが)まあ納得がいくというものだ。

 

「しかし、そんな奴が本当に強いのか?」

 新左衛門が首をかしげる。

 辻斬りにやられたという木星流のメッサーラ、白天木馬流の小林隼人、そして武才流のジン・デニムは、いずれも新左衛門の旧知の剣士であるが、彼らは決して雑魚ではない。特にジン・デニムは道場で筆頭剣士を務めるほどの使い手であり、そんなわけのわからん子供じみた辻斬りごときにやられたとは、少し信じがたい。

「ひょっとして、辻斬りは二人いるということか?」

「いや……そうじゃない。そいつらを斬ったのは、間違いなくあたしを襲った奴だよ」

 クシャトリスは、ある種の確信をもってそう断言する。

 しかし、新左衛門は納得いかない。

「何故そう言い切れる? おまえはそいつと直接剣を交えてはおらんのだろう?」

 

 

「だからこそ――じゃよ。だからこそバーザムズールは、そやつを強いと言い切れるのじゃ」

 

 

 彼女の代わりにそう答えたのは、それまで新左衛門とクシャトリスの会話を聞いていた源太夫だった。

「はぁ?」

 説明してくださいよと言わんばかりの表情で振り向く新左衛門に、源太夫はいかにも面倒くさげに嘆息する。

「互いの空気を嗅ぎ取れる距離で睨み合っておきながら、相手の実力を正確に読み取り、なんら恥じることなく背を向ける。ただの阿呆にできる芸当じゃと思うか?」

 師匠にそう言われて、さすがに新左衛門の顔にも少しは冷静さが戻る。

 確かにそうなのだ――武芸者にとっては、対峙した相手の実力を正確に測定するのも強さのうちであり、さらに言えば、一流と呼べる実力者でなければ、相手の強さを正確に測ることなどできないものなのだ。

「その辻斬りがただのお調子者ならば、何の迷いもなくバーザムズールに斬りかかり、あっさり返り討ちにあっておったろう。が、奴は堂々と逃げた。去り際に挑発までかましてな。そのふてぶてしい態度こそ、奴が相応の強者だという、何よりの証だと思わぬか」

「…………」

 新左衛門は答えない。そんな彼に源太夫は苦笑する。

「まあ、おぬしの気持ちも少しはわかるがのう。おぬしは、その三人とはかなり親しくしておったのじゃろう? そんなふざけた相手にあっさりやられたとは思いたくはないわな」

「…………はい」

「じゃが、現実を認めぬのはやはり危険じゃ。その三人は斬られた。負けたのじゃ。つまり、その辻斬りは少なく見積もっても、その三人以上の腕を持っておると考えねばならん」

「…………はい」

 

 悔しげな顔のまま俯く新左衛門に、源太夫はやれやれとばかりに苦笑いを送ると、クシャトリスの方を振り向いた。

「まあ、とりあえず当分の間は警戒が必要じゃな。一度逃げた以上、その辻斬りが再びバーザムズールを狙うとは考えにくいが、これは裏を返せば、うちの他の門下生が狙われる可能性が増えたということじゃからな」

「じゃあ……やっぱり昨日のうちに斬っておけばよかったですかね?」

 いかにも済まなさげに言う彼女に、源太夫は目を細めて「いやいや、そちが気にすることではない」と微笑するが、しかし次の瞬間には真顔になって一言付け加えるのも忘れない。

「ただ、もう二度と勝手な単独行動を取ることは許さぬぞ。よいなバーザムズール?」

「は、はいっ」

「池波、貴様もじゃ。今度わしの言葉を無視して飲み屋にしけこむような真似をしたら、即刻破門にするぞ」

「は、破門ですか!?」

 師匠の口から飛び出た、予想外に重い処分に新左衛門はたちまち狼狽する。

「此度は許す。じゃが、もはや次はないと思え。仮にも貴様は道場の次席――練武館の幹部格と呼んでも差し支えのない立場じゃ。自覚なき振る舞いには相応の責を負ってもらう。わかったな?」

 そう言われて新左衛門は――だったらそこにいる筆頭剣士の言動はどうなんだ――と言わんばかりの目をしたが、それも一瞬のことだ。新左衛門は畳に手をついてそのまま頭を下げた。

「申し訳ござりませぬ先生。此度の不始末に対する寛大なご処置、まことに感謝致します!!」

 その土下座をを満足そうに見下ろしながら、源太夫は「ふむ、よかろう」と言いつつ、キセルを火鉢の縁に叩きつけ、灰を落とした。

 

 

「さて、それではバーザムズール、今日おぬしをここに呼び出した本題に入ろうかの」

 

 

「本題、ですか?」

 そう言われて、クシャトリスは初めて自分が辻斬りの話をするためにここへ呼び出されたわけではないということを思い出した。

「何の用かは知りませんが、道場で言っていただければ済むことだと思うのですが」

「たわけ、それだけ重大な用件ということじゃ」

 とツッコミを入れる源太夫の口調は優しいが、しかしその目には、むしろ弟子を叱っていた先刻よりも厳しいものがある。

 クシャトリスは視線を移すと、そこには苦汁を飲んだような顔で目を伏せる新左衛門がいる。彼もどうやら、その「用件」とやらを知っているようだが、口を挟む様子はない。というより、彼の表情から察するに、どうやらロクな用ではなさそうだ――クシャトリスは腹をくくる。

 

 

 

「関白殿下が、そちに会いたいと仰せになられておる。明後日にここの謁見室でじゃ」

 

 

「カンパク……デンカ?」

 クシャトリスはポカンとした顔のまま源太夫を見上げる。無理もなかった。彼女はそんな名をこれまで聞いたこともなかったからだ。

 しかし、彼女の間抜け面とは対照的に、源太夫の顔に走った表情は苛立ちだった。

「知らんのか、我らが武家の棟梁――関白太政大臣・豊臣秀綱卿じゃ!!」

(ああ、公爵豊臣家のことか)

 そう言われて初めてクシャトリスは「カンパクデンカ」なる存在に思い当たった。

 むろん豊臣家の存在も知っている。初等教育の歴史の授業で必ずといっていいほど習う名前だったからだ。

 

「で、その公爵様が、このクシャトリス・バーザムズールに何の用で?」

 

 いかにも面倒そうに言うダークエルフ娘に、二人の侍たちは不安を隠せない顔をする。

 武家の棟梁などと仰々しく言ったところで、武士階級にあらざる者には、所詮その権威は通用しない――わかっていたことだが、ここは『共和国』であってニホンではないのだ。

 しかし、エルフ娘がいかにその権威に対して鈍感であっても、結局それが許される立場なので、その点に関して何を言うこともできないが、二人にとっては立場的にそうはいかない。すべての武士にとって豊臣秀綱とは階級上の象徴なのだ。少なくとも、エルフ娘にこんな不遜な態度を取らせたまま会わせていいような存在ではないのだ。

「バーザムズール、殿下がそなたに何用があるのかは、わしらも知らぬ。知る立場にないしのう。しかし、一応言っておくが、関白殿下は我らの旧主じゃ。つまり殿下にお前が無礼を働けば、我ら二人がその責任を負わねばならん」

 と源太夫が厳しい声で言うが、それでも彼女はピンと来ていない顔で「はぁ」と言うだけだ。

 そんな彼女に、師の言葉を引き継いで、それまで黙っていた新左衛門が苛立たしげに口を開く。

 

 

 

「わからんのか、お前の態度次第で我らは腹を切って殿下に詫びねばならんということじゃ!!」

 

 

 

「腹を切るって……え!?」

 そこでようやく驚いて腰を浮かせるバーザムズールに、二人の武士は苦虫を噛み潰したような表情を隠さない。

「いや、その……確かにサムライと言えばハラキリだけどさ……今どき本当にそれをやるっていうの?」

 クシャトリスにとっては、むろん素直にその言葉を信じる気にはなれない。

 武家階級の所属者が事あるごとに自害を繰り返し、『共和国』の社会問題になったのは、武士という人間たちがこの国に腰を下ろして最初の数世代まで――つまり、すでに三世紀以上前の話だ。今ではもうハラキリという言葉はある種の揶揄用語にさえなっているほどだ。

 しかし、その言葉が現役の武士の口から出たとなれば、もはや重みが違う。

「本気、なのですか……?」

 新左衛門から視線を師匠に移し、恐る恐るといった感じで尋ねるが、源太夫はむしろ子供に諭すような口調で言う。

 

 

「バーザムズール、わしらは侍なのだ。侍とは単に和装の帯に刀をぶち込んだ者を言うのではない。命を担保に主君に奉公する者を初めてそう呼ぶのだ」

 

 

「で、でも、あたしが何かやらかしたとしても……その責任はあたし自身が負うべきでしょう!? それを先生たちがどうして!?」

「…………」

「それにさっき『命をかけて奉公する』とか言ってたけど、今はもうそんな時代じゃないでしょう!? なのに何故そんな時代錯誤なことを言い出すんです!!」

「…………」

「じゃ、じゃあ――その謁見とやらが中止になれば、無礼も何も起こらない。先生たちがハラキリするような責任はどこにも発生しない!! そうしましょう!! それで全ては丸く収まるじゃありませんか!!」

「そうはいかん」

「どうしてですかっ!!」

「それじゃと、主君の御意向を完遂できなかった責任を、結局我らが負わねばならん」

「…………ッッ」

 

 

 クシャトリスが絶句するが、しかし新左衛門はそんな彼女を見て苦笑する。

「おいおい、何も必ずおれたちが腹切る羽目になると決まったわけじゃないんだから、そんなツラをするなよ。要はお前が下手な真似をせずに、つつがなく謁見を終わらせりゃそれで済む話なんだからさ」

 そう言われて、クシャトリスもようやくホッとした顔を見せる。

「そっ、そうだよね……あたしが普通に終わらせりゃ、それで無事解決なんだよね……!」

「おうよ。まあ、いかに傲慢不遜で知られたクシャトリス・バーザムズールといえども、おれたちの命を背負ってると思えば、無難を目指してくれるだろ?」

「何よその言い草、お偉いさんにあたしを会わせるのがそんなに不安だったって言うの?」

 口を尖らせてはいるが、クシャトリスの目は笑ったままだ。

 新左衛門は(少し脅かしすぎたかな)と思っていたので、彼女の表情にちょっと安心した。

 

 

 もとより生来のトラブルメーカー属性持ちの彼女のことだ。これくらい脅しておかないと、謁見の際に何を言い出すか知れたものではない。

 昔カタギの武士道や切腹という用語を持ち出してクシャトリスに釘を刺したのは、もちろん彼女に好き勝手な真似をさせないために、源太夫と示し合わせて言ったことだ。さもないと、この女エルフは謁見の約束さえ「面倒だ」と言って、すっぽかしかねない。

 もちろん本心を言えば、新左衛門といえども腹など切りたくはないし、切るつもりもない。もっとも関白殿下から「死ね」という直命があれば自害でも切腹でもせざるを得ないが、それでも謁見でクシャトリスが少ししくじった程度なら、まさか死を命じられることはないだろう――が、クシャトリスを大人しくさせる程度には、「切腹」という言葉の効能は十分だ。

 とはいえ、彼女に対する不安が全く解消されたわけではない。

「しかしな、バーザムズールよ、先程わしは殿下がそなたに何用があるのかは知らぬと言ったが、ある程度想像することはできるのじゃ」

 という源太夫の言葉に、クシャトリスはふたたび首をかしげる。彼女にしてみれば名も知らぬ貴人から会いたいと言われたところで、それは当然の反応だったろう。

 だが、源太夫と新左衛門は違う。

 と言うより、彼ら二人が本当に言いたい「本題」は、ここから始まるのだ。

 

 

 

「殿下は『大統領杯優勝剣士』のクシャトリス・バーザムズールに会いたいと申された。つまり、殿下の目的は、おぬしと剣を以て立ち合うことではないかと推測できる。なにせあの御方は、神風流の免許皆伝を許された剣士でもあるからな」

 

 

 

 その瞬間に、クシャトリスの表情が消えた。

 当然だろう。さすがにここまで言えば、この二人の言いたいことは馬鹿でもわかるだろうからだ。

「つまり、その際に――あたしに勝ちを譲れ、と先生は言うのですか?」

 源太夫は無言でうなずく。

 新左衛門も何も言わない。

「なら、切腹うんぬんの話も、あたしにその負けを認めさせるためですか?」

 なるほど、この女は不器用ではあるが馬鹿ではない――わかっているつもりではあったが、新左衛門は改めて思い知る。

 しかし、ここで怯むつもりはない。ここでの彼女の返事次第で新左衛門たちがペナルティを負うという現実は変わらないのだから。

「立ち合うといってもどうせ竹刀でのものじゃ。負けても死ぬわけではない」

「だからって!! わざと負けろなんてそんなこと!! あたしが承知できるわけ――」

「万一の際、責めを追うのは我ら二人じゃと言うたはずじゃ」

 

 その言葉でクシャトリスは沈黙する。

 しかし、その表情を見れば、彼女が納得していないのは明らかだ。

 とはいえ源太夫もこれ以上は強制はできない。クシャトリス・バーザムズールがどれほど本気で剣に打ち込んでいるか、師である彼自身が誰よりも理解しているからだ。

「まあ、今日のところはこれで話は終わりじゃ。あとはそなたが己でじっくり考えて結論を出せ」

「……はい」

「池波、外まで送ってやれ」

 そう言うと、源太夫は沈鬱な表情のまま、すっかりぬるくなった緑茶を一口すすった。

 

  

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