「殿下!! そのお言葉、しばしお待ちください殿下っ!!」
呆然と刀を受け取ったクシャトリア・バーザムズール。
楽しそうに破顔する豊臣秀綱。
その光景を絶句したまま眺める池波新左衛門。
そして、まるで秀綱の吐いた言葉が聞こえていないかのように顔色も変えず、微動だにしない秀綱の側近たち。
そんな謁見室の中で、秀綱の真剣勝負宣言に唯一まっとうな反応を示したのが、この渡辺源太夫だった。
「殿下、仮にも関白豊臣家の長として『共和国』の武家衆を統御せねばならぬ御方が、そのような御短慮をなさってはなりませぬ!!」
と、まるで彼の足元に縋り付くようにして諌止の声を張り上げる。
もっとも、源太夫からすればこの叫びは当然のものだった。この若き「武家の棟梁」が、己の腕にどれほど自信を持っていようが、それでも大統領杯で二連覇を果たしたクシャトリス・バーザムズールを凌ぐほどであるわけがない。
もしもこの勝負が実現すれば、さすがに源太夫といえども、もはや弟子のクシャトリスに勝ちを譲れとはとても言えない。真剣勝負での敗北とはすなわち死を意味するからだ。かといって、彼女が本気を出せば勝負の帰趨はあまりにも明らかである以上、己の旧主が己の弟子によって斬殺されるような状況を座視するわけにも行かない。
まさに板挟みというにはあまりに過酷な状況だが、そんな彼の心境を嘲弄するのように秀綱は言う。
「渡辺、そちが心配しておるのは余か、それとも弟子か、いずれじゃ」
そんなことを言われてしまえば、源太夫としても
「何を戯れ言を申されますか、この国のすべての武士にとって殿下以上に案じねばならぬ御方などおりませぬ!!」
と言い返すしかない。
しかしその言葉は同時に、
「つまり、余とそなたの弟子が立ち合えば、余が斬られるのは確実じゃと、じゃから真剣で立ち合うなと、そう言いたいのか?」
という秀綱の言葉を全面的に認めることになってしまう。
が、それでも源太夫は懸命に反論する。
「いやいや、さにあらず。我が不肖の弟子ごとき、殿下の御身を傷つけることなど到底叶うはずもござりませぬ。なれど――!!」
「なれど、なんじゃ?」
「なれども、勝負は時の運と申しまする! 殿下の御身に万が一のことがあらば、この老骨の皺腹などいくつ掻っ切ったところで追いつくはずもござりませぬ!!」
「ふむ、なるほどのう……」
と秀綱は、源太夫の言葉を少しは理解したようなつぶやきを漏らすが、それが口だけのものであることは、この青年の顔を見れば歴然だ。
源太夫は歯ぎしりせんばかりの表情で、秀綱の背後に居並ぶ側近たちを振り返り、
「おぬしらも何を黙って突っ立っておる!? 殿下をお止めせぬか!!」
と叫ぶが、彼らはやはり沈黙を保ったまま一向に動こうとはしない。
「この状況がわからんのか貴様ら!! この期に及んで一体いかなるつもりじゃッッ!?」
と、旧主に向けられぬ怒りを代わりにぶつけるかのように、源太夫は彼らに声を荒げるが、涼しい声でそれを遮ったのは、他ならぬ秀綱自身だった。
「この者たちは、余の指示がない限り動きはせぬよ。加藤、福島、黒田といった我が家の家老連中と違って、こやつらは余の子飼いじゃからのう」
それを聞いた源太夫は、まさに「ぐぬぬ……」とうめき声を上げんばかりに歯を食いしばるが、それも一瞬のことだった。老人は若者に向き直ると、その場に土下座した。
「どうか!! どうか殿下には、真剣での勝負だけはなにとぞお止め下さりますよう、この渡辺源太夫、切にお願い申し上げまする!! この老人を助けると思って、なにとぞ! なにとぞ!!」
その叫びは、確かに見る者の肺腑を貫く気迫に満ちていた。
この秀綱が凡庸の男であったならば、おそらくはその悪ふざけもこの場で終了していただろう。が、源太夫にとって不幸だったことは、この若者が、渡辺源太夫という一個の高名な剣客の血を吐くような叫びを目の当たりにしていながらもなお、己の自尊心を優先できる硬骨さを持ち合わせていた点であろうか。
秀綱はここに至ってようやく、その顔に貼り付けた涼やかな微笑をかき消して怒声を放つ。
「この無礼者がッッ!! たとえ万が一であっても、余が貴様の門弟ごときに遅れを取る恐れがあると、左様に申すかッッ!!」
その叱責を浴びながら、源太夫は絶望する。
(もうだめだ)
そう思わずにはいられない。
「万が一」という可能性自体を「無礼」として封じられてしまえば、もはや源太夫にはこの若者を諌める言葉がないということになってしまうからだ。
顔を歪めて絶句する源太夫から、秀綱は視線をクシャトリスに移すと、ふたたび微笑を浮かべ、
「見苦しきところを見せたな。では行くか」
と言って扉に向かって歩き始める。この期に及んでもその笑みに嫌味が漂わないことにクシャトリスは半ば感心しながらも、しかし彼女は今まで黙っていた口を開いた。
「待ちなよ、カンパクデンカさん。あたしはまだその決闘を受けるとは言ってないよ」
ふたたび室内の空気は凍りついた。
これまで一応は礼に則った口をきいていたクシャトリスが、明らかに普段の傲然不遜な態度に戻っている。
いや、それはいい。
問題は彼女が、この試合を「決闘」と呼んだことだった。
いや、確かに秀綱が主張するこの勝負は、命懸けである以上、稽古試合の域を明らかに逸脱している。もはやこれは客観的に見て「決闘」と解釈して差支えはないだろう。しかし『共和国』において法的に制定されている決闘のルールとしては、当事者間にいわゆる拒否権が存在することは、この国の国民ならば誰もが知る常識だ。
しかも彼女は、渡辺派無明流という武士の剣術を学んでいても、しょせん武家階級の所属者ではない。関白太政大臣であろうが武家の棟梁であろうが、命懸けの真剣勝負を強制される筋合いはないのだ。
しかし、一介の侍としては己の主君にそんな態度を取る者を見過ごすわけには行かない。
たまらず新左衛門が二人の間に割って入り、クシャトリスを怒鳴りつける。
「控えよバーザムズール!! いったい誰に向かってそんな無礼な口を利いておる!?」
しかし、もはや遠慮は無用と判断したのか、クシャトリスは顔色も変えない。
「あたしはこいつの家来じゃない。ここにこうやって顔を出したのも、アンタと先生の顔を立てて試合をするため。生き死にの決闘をするためじゃない」
「いや……それはそうかもしれんが……しかしだな」
言い返された途端に口ごもる新左衛門に、秀綱はクシャトリスに向けていたのとはまるで別人のような冷たい視線で「目障りじゃ、下がれ」と言い放ち、新左衛門を硬直させる。
そして、その冷たい表情のまま秀綱はクシャトリスを振り返ると、言った。
「なんじゃ、おぬし今になって臆病風に吹かれたのか? 国内最強を謳われる剣士にしては野暮なことをほざきよるのう……いや、これは少々買いかぶっておったかな?」
が、クシャトリスも負けてはいない。
「こっちもあんたの酔狂に付き合って捨てるほど安い命でもないんでね。とはいえ、やらない――とも、あたしは言ってない。そういう酔狂自体は嫌いじゃないしね」
「ほう……つまりは条件次第というわけか。望みは何じゃ? 金か?」
「金はいらない。欲しいのは言葉よ」
そこでクシャトリスは初めて新左衛門と源太夫にちらりと目をやり、厳しい顔で秀綱に言う。
「この場で誓いなさい――もしも勝負であたしがアンタを斬ったとしても、我が師と我が友に一切の責任を負わせず、渡辺派無明流に一切の後難が及ぶことはないと。この国のサムライすべてを代表して約束しなさい。それがあたしの条件よ」
もはや敬語すら使わないダークエルフ娘に、しかし関白秀綱はむしろ納得したような顔さえ見せる。
「なるほど、これは確かに余の迂闊……そなたの申す通りじゃ。たとえ勝負の結果としても余を手にかけたとあらば、それは『共和国』中の武家衆を敵に回すのと同義じゃしな」
おい、誰ぞ紙と筆を持て――そう側近に呼びかける秀綱はクシャトリスに笑いかけ、
「言葉だけでは不安であろうから一筆したためてやろう。余の直筆の誓紙があらば、よもやそなたらに手を出す愚か者もいまいし、こやつら二人も早まって腹を切ったりすることはなかろう」
そう爽やかに言い切り、そして、それを聞いたクシャトリスの顔にも入室以来初めて笑みが浮かぶ。
(まずい)
その獰猛な笑顔を見て新左衛門は、クシャトリスがその気になりつつあるのを見抜いた。
もはや手段は選んではいられない。たとえ虚言を並べ立ててでも、この決闘だけはなんとしても防がねばならないからだ。
言うべき言葉を失い動かない師匠に代わり、羊皮紙に向けてさらさらと文章を書き連ねる旧主に向けて、新左衛門は膝をついて声を上げる。
「申し上げます!! 確かに英邁たる関白殿下がひとたび剣を振るえば、たとえ相手が誰であろうとも殿下の勝利は動きますまい。なれど――なれど、それが殿下の身に更なる厄介事を持ち込む可能性がございます!!」
その言葉を聞き、秀綱も興味を催したのか「ほう、申してみよ」と発言を許可する。
「そこのクシャトリス・バーザムズールは士籍を持たぬ一介の平民に過ぎませぬ。なれど、その父はジュピトリアム市警騎士団において本部長を務めており、いわば市における顕官の令嬢というべき女でありまする。もしもこの女が殿下の手にかかって果てたということになれば、殿下は彼女の父、ひいてはバーザムズール家の属するダークエルフ・ズール氏族そのものを敵に回す恐れがございます!!」
確かにこの発言は、すでに成立しかかっていた決闘に冷水をかけるには十分な威力を持っていた。
源太夫は命綱を見つけたかのような表情で俯いていた顔を上げ、秀綱の顔からはその微笑が消えた。
それに新左衛門の発言は、確かに大げさではあるが決して無根拠なものではない。ガルス・バーザムズールが市警騎士団の上級幹部であることも、さらに一人娘が剣術に夢中になっていることに対して不快な目を向けていることも事実なのだ。この決闘で彼女の身に何かがあれば、新左衛門も知るあの頑固親父が黙っていないことは確信を持って言える。
が、それに水を差したのは、肝心のクシャトリス本人であった。
「ああ、確かにそうなるかもしれないけど、多分そうはならないよ。この勝負でいかなる結果になろうとも自己責任だって、あたしも父さんに向けて一筆書くし」
(クシャ、てめえ……!!)
声を出せるなら、まさしくそう発したであろう表情で新左衛門がエルフ娘を睨みつける。
いや、愕然として彼女を振り返ったのは源太夫も同じだ。
が、クシャトリスはまるで平気な顔でソファから立ち上がり、にやりと笑って新左衛門に言う。
「大丈夫だよ、決闘決闘と大袈裟に言っても、しょせんアンタが考えるような結果にはならないよ。誰も死なないし、あたしもケガなんかしない」
そこで言葉を切って彼女は挑戦的な目を秀綱に向けると、言い放った。
「ただ、そこのカンパクさんは、腕の一本くらい覚悟してもらうことになるだろうけどね」
ほう、なかなか煽るのうバーザムズール――そう楽しげに言うと、秀綱とクシャトリスはもはや無二の親友のように声を合わせて笑う。
その様子を呆然と見つめる新左衛門の耳に、師匠の囁き声が届く。
「どうやらここまでじゃ池波……こうなってしまっては、もはや我らには止められぬ」
「しかし……本当に良いのですか先生?」
「これでも手は尽くしたのじゃ。それに殿下が仰せられた通りの誓紙を書いてくださるなら、もはや我らが勝負の結果に責を負わねばならぬ義務もない。それにじゃ……」
「それに?」
「実はわしも、この成り行きには少なからず腹に据えかねておる。殿下には……少し痛い目を見てもらう必要があろうよ」
これまで見せたこともないほどのしかめっ面でそう囁く源太夫を、新左衛門は絶句しながら見つめるしかなかった。
」」」」」」」」」」」」
風は南東。
陽は中天。
男は上段に剣を構え、女は中段に剣を構える。
睨み合う両者から一歩離れて渡辺源太夫が審判役として屹立し、そこからさらに数歩離れて池波新左衛門や、秀綱の御側衆である武士たちが、この立ち合いを検分する。
上段に剣を構えた秀綱は、もはやさすがに笑ってはいない。
空にピンと伸びた一本の日本刀からは、尋常ならざる剣気が漂い、この空間を圧していく。
(言うだけのことはある……か)
クシャトリスは思う。
いや、その思考すらが強がりであることを、彼女はすでに気づいている。
この男は強い――予想以上に――という確信がある。
しかし動揺はしない。
自分自身の強さに対する余裕ではない。彼女は彼女なりに場数というものを踏んできている。国内最強と呼ばれる今の実力を手に入れる前には、自分より強い相手と生き死にの決闘をしたこともある。その経験によって生み出された豪胆さが、彼女の強さを支えているのだ。
(くる……!)
彼女の勘がささやいた。
その瞬間、秀綱が五歩の距離を一気に詰め、頭上に掲げた一刀を振り下ろす。
その踏み込みの速さは、確かに一派一流の免許皆伝を口にするだけのことはあった。この初動で放たれた一撃をさばける者は、少なくとも渡辺道場『練武館』の高弟たちの中でも三人とはいまい。が、勘に従い予測を済ませていたクシャトリスは、余裕を持ってその剣を躱した――つもりだった。
しかし、彼女の肉体はそうは動かなかった。
その一撃のタイミングは予測できても、その一撃の鋭さはクシャトリスの予測以上のものだったからだ。回避にこだわった動きをしていれば、おそらく躱しきれずに斬られ、即死していただろう。
だが、彼女の身体は、その攻撃が予想以上のものであった事実など全く感じさせない動きで間合いを詰め、秀綱の渾身の一刀を受け止める。
鋼と鋼がぶつかり合い、衝撃によって毀れた刃の微小な破片が、金属音と火花と同時に光を伴って舞い散る。
額と額をくっつけ合わせるような体勢のまま、豊臣秀綱とクシャトリス・バーザムズールは鍔迫り合いに入る。
が、剣さばきのテクニックならばともかく、剣を介しての力比べというべき鍔迫り合いの姿勢になっては、クシャトリスの不利は明白だ。単純なパワーという土俵では所詮ダークエルフ種の、しかも女性でしかないクシャトリスは、ヒト種の二十代男性である秀綱に及ばない。人間がパワーで獣人に敵わないように、エルフと人間では、その生まれついての筋力量にどうしても差が生じるのだ。
「くっ」
クシャトリスは顔を歪めて息を漏らし、懸命に踏ん張る。
とはいえ、彼女にとっても鍔迫り合いという体勢の攻防に自信がないわけではない。
彼女レベルの剣士ならば、自分のパワー不足という弱点に気づき、克服していて当然だ。さもなければ大統領杯という国内最強の戦士を決める大会で連覇を果たすなどということは出来るものではない。
クシャトリスは道場にいる獣人種の剣士たちを相手に「鍔迫り合いの体勢からの攻防」というシチュエーショントレーニングも普段から充分に積んでいるし、たとえオークやオーガーを相手に鍔迫り合いになっても、相手の膂力を足さばきや重心移動で崩す技術を持ち合わせている。
が――クシャトリスの最大の誤算は、眼前の相手が道場の獣人どもごときではなく、神風流免許皆伝の剣士であったという事実だった。
(こいつ……うまいッッ!)
鍔迫り合いの体勢に入って、初めてクシャトリスは秀綱のテクニックに舌を巻いていた。
体勢の入れ替え、足さばき、重心移動が絶妙で、クシャトリスといえども彼の姿勢を崩せないのだ。
「どうしたぁ……こんなもんかバーザムズール?」
秀綱がそう囁く。
と同時に、彼は手首を返し、己の刀を使ってクシャトリスの刀を上から押さえつける。
それだけではない。刀を押さえながら体を入れ替え、己の左肩を彼女の右肩に預けるような姿勢になる。
ここまで間合いが近づいてしまえば、もはや剣は使えない。互いの耳が触れ合うような体勢で、両者ともに間合いを取り直すための一瞬の隙を、この消耗戦のような力比べの中で探り合うしかない。
彼女がそう思った瞬間だった――。
「ぐッッ!?」
クシャトリスの全身を不意の激痛が貫く。
秀綱が左足のかかとで、彼女の右足の甲を踏みつけたのだ。
並の剣客なら、その痛撃は一瞬以上の隙を作るに十分なものだったろう。
が、必要以上に喧嘩慣れしているクシャトリスの肉体は、この事態に陥ってもなお反撃のリアクションを失わない。激痛によって動きを止めるどころか、その痛みを引き金として彼女の反射神経は、彼女自身すら予想だにせぬ動きを繰り出した。
それは、手に持つ刀どころか拳や蹴りさえ不可能な超近間からの――頭突きだった。
「ごはッッ!?」
思わず勝利を確信した笑みを浮かべていたのであろう秀綱は、その顔面にクシャトリスの頭突きをまともに食らい、たたらを踏む。
その隙にクシャトリスは後方に大きく飛び下がり、間合いを取り直す。
「今のは……なに? まさかそれが神風流とかいう剣の技なの?」
「その台詞はそっくり返すぜ……まさか渡辺派には頭突きの技術まであったとはな」
「そんなわけないでしょ。ただの反射よ」
「そうだよなぁ、そんなわけないよなぁ」
踏まれた右足をかばうように半身に立つクシャトリスが言い、曲がった鼻から血をたらしながら秀綱が言い返す。
「でもさっきの足踏みは、確かに効果的だと思うわ。特に鍔迫り合いにはね。武家の棟梁を名乗る公爵様の技にしては少し下品だけどね」
「そう言うなよ。頭突きほどには下品じゃ無いはずだしな」
「ただの反射だって言ってるでしょ……アンタと違って普段からそんな真似をしてるわけじゃないわよ」
「へえ……わかるかい」
「わかるわよ。こっちも伊達に喧嘩慣れはしてないんでね」
互いに笑いながら軽口を叩いているように見えるが、もちろん隙など見せていない。
秀綱は話しながら、曲がった鼻梁を掴んでむりやり捻じ戻し、その鼻血も止まりつつあるし、クシャトリスも半身になって浮かせていた右足の痛みが引いてきたのか、重心を両足立ちに戻す。
「確かに色々聞いてるよ。練武館のお姫様は道場の外でもかなりお転婆だってな」
「噂してくれてアリガトウね。あたしはアンタなんか知らなかったけどさ」
「今日で忘れられなくなったろう?」
「そうだね。正直言って名前を聞いたこともない奴と立ち合うなんてって思ってたけど……ちょっと気が変わったよ」
「ほう、それは余の腕を評価してくれたと解釈していいのか?」
「ええ。利き腕一本くらいで許してあげようと思ってたけど、そんなぬるい覚悟じゃ、あたしも無事に済まないって今更ながらにね」
「つまり、お遊びはここまでだと?」
「そうね。この国のおサムライさんたちには悪いけど……あたし、アンタを殺すわ」
そう言いながらクシャトリスは刀を下段に下ろす。
それは彼女の得意技である刺突をコンビネーションに組み合わせた構えで、つまりはクシャトリス・バーザムズールの本気の構えであると言ってよかった。
いや構えだけではない。それと同時に、彼女の放つ剣気も露骨に殺意を含んだものに変わったのだ。それを見る源太夫や新左衛門の表情が変わったのは言うまでもない。
が、その剣気をまともに浴びていながら、豊臣秀綱は動じない。
「おもしれえ……そうこなくっちゃな」
そう言って獰猛に笑う男を見て、女もまた、不敵な微笑を浮かべた。