「あれがズサ・ハンマガルスか」
新左衛門が遠目の魔法で眺めるその男は、いかにもな巨漢で、全身から精気を発散しているような風貌をしていた。
「まるでワーべアーね。体臭もきつそう」
やはり同じく隣で遠目の魔法を使っていたクシャトリスも、ぼそりと呟く。
その言葉にフッと笑って、新左衛門はちらりと彼女を横目で見る。
家族を心配させるほどに寡黙なはずの彼女は、道場で二人きりで過ごした昨日の夜から、妙に言葉数が増えていた。
とはいえ、それでもよほどにクシャトリスと近しい間柄でなければ、そのわずかな変化には気づけない程度のものであったろうが、新左衛門から見れば、この幼馴染の変化は微妙ではあっても明確だった。
もっとも、その原因は何かと問われれば、彼にはまったく心当たりはなかったが。
話を戻すと――いま二人は、用心のために敢えてその旅館から距離を置いて、路地の角に身を潜めつつ、遠見の魔法で偵察をしている。
が、例の男を見ようと思えば、そんな苦労はある意味まったく必要ないとさえ言えた。
なにしろズサ・ハンマガルスは、その旅館の前の通りにいれば、どこからでも見ることのできる場所にいたからだ。
己の宿泊する旅館の最高級・最上階(とはいっても三階でしかないが)の部屋を借り切っているであろうズサは、なんとその部屋のテラスで長椅子に腰かけ、そのまま眼下の街の景色を楽しむかのようにを見下ろしつつ、近在の娼館から呼び寄せた高級娼婦たちに酌をさせながら、酒を飲んでいたのだ。
街の景観を肴に酒を飲む「観光客」は、ここでは決して珍しいものではない。
人間と人外種族が渾然一体となって構成されている社会――ある意味『共和国』のどこにでもある日常は、この国に初めて来訪した「観光客」にとって何よりのカルチャーショックであるからだ。
だが、その「観光客」が、誰の目にも明らかな『共和国』の敵にあるならば、話は別だ。
買い物カゴを腕にぶら下げたラミア種の中年女性や、積荷を満載した荷車を引くミノタウロス、さらには四つ辻で細工物を売っているドワーフなど、街の住民たちは露骨な白眼を投げかけている。
無論その対象は、下品な嬌声をあげながら、自分たちを見下ろすようにテラスで酒を飲んでいる白人種の男と、その頭上で翻る、この『共和国』に対するあからさまな侮蔑と挑戦を刻んだ、一枚ののぼり旗だ。
「しかし、あんな目立つ場所で……いくらなんでも無警戒すぎるだろう。攻撃魔法で狙われたらひとたまりもないのに一体どういうつもりなんだ」
「狙われないという確信があるんでしょう。だからわざとああやって挑発してるのよ」
「おれ達をか?」
「この国を――よ」
「なめやがって……ッッ!!」
新左衛門は、拳を掌に叩きつけ、パシンという乾いた音を立てる。
しかし、現実は確かに、あの白人男の想定通りに進んでいるのだろう。
街中から白眼と嫌悪の視線にさらされながら、それでも彼は誰はばかることなく美女と酒を楽しみ、対照的に、同僚を斬殺された『共和国』国境警備軍の者たちは、歯軋りをしながらも奴に一指も触れられないでいる。
それらはすべて、ジュピトリアム市長ゲイン・マルクスを通じて『共和国』大統領ギレニアン・ズムが命令したことだった。
「では、そろそろ行くぞ」
そう言いながら、街角の路地に身を伏せていた新左衛門も威勢よく立ち上がった。
――祖国に挑む身の程知らずな『帝国』の白人に、ようやく罰を与えてやることができる。まあ、おれの手で斬れるならもっと最高だったんだがな。
それが新左衛門の心中に存在する最たる感情であった。
が、そんな彼の胸中を知ってか知らずか、クシャトリスは腰を下ろしたまま、何かを考え込むように俯いている。
「どうした?」
「まだダメ」
「何が?」
「まだ、見極めが済んでない」
その言葉に、思わず新左衛門は「え?」と間抜けな声を漏らした。
見極めとは、あの男の実力の見極めという意味か?
それが済んでないと言うが、むしろ当然ではないか。遠目の魔法で確認できたのは、結局日光浴を楽しんでいるズサの下卑た人相と薄汚い半裸だけなのだから。
「野郎の実力なぞ実際に立ち合えば見えてくるだろう。さあ行こう!」
必要以上に大きな新左衛門の声に促され、クシャトリスは仕方なくといった様子で立ち上がるが、その表情は未だに晴れない。
そして、結局彼女が歩み始めた方向は、討ち果たすべき標的がいる旅館とは正反対の方向だった。
「おい……どこへ行く!?」
新左衛門は慌てて訊くが、しかしクシャトリスはもはや答えない。
こちらを振り返りもせず、足早に歩いてゆく。
必然的に新左衛門も、舌打ち一つして、彼女のあとを追うしかなかった。
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今朝のことだった。
このジュピトリアム市を含む『共和国』の八つの主要都市で、「怪文書」が大量に出回っていることが判明したのだ。
その内容は『帝国』の騎士たるズサ・ハンマガルスが、単身この『魔界』に挑戦するという宣告と、それに合わせた挑戦者の募集だった。
調査報告によると、その「怪文書」がバラ撒かれたのは、どうやら昨日の朝――つまり、彼がジュピトリアムで旅館にのぼり旗を上げた時間に合わせて配布されたらしい、ということだ。
つまりそれは、この一連の事件が、きわめて周到に計画されたものであり、その背後に、敵国内の八つの都市で、同時に、そして大々的に文書を配布できるほどの、大規模な組織が存在することを証明するものであった。
(この『共和国』には、それほど大量の『帝国』の間諜が潜入しているのか)
誰もがそう思い、この国の王たる大統領ギレニアン・ズムでさえそう思った。
何が恐ろしいと言って、この件における『帝国』の狙いが全くわからないということだ。
『共和国』の各主要都市に、『帝国』の組織的な間諜団がすでに潜伏している(これ自体信じがたい話であるのだが)と仮定するとして、ならば、この一件でそれを事実上暴露してしまうメリットは何だ。
考えられる回答は二つある。
一つは示威行動だ。
貴様ら『魔界』は、すでに我ら『帝国』の厳重な監視下にあるのだぞと脅しをかけ、この国における『帝国』の影響力を強めようとする。
そしてもう一つは、間諜団の存在を誇示することで、この『共和国』在住の人間すべてに対する人外種族からの種族間疑惑、もしくは人間同士による疑心や不信を煽り、社会不安を招くことであろうか。
しかし、そんな程度のメリットを期待して起こしたには、今度の事件は大掛かりすぎるのだ。
常識的に考えれば、それほど大規模な間諜団が存在するのなら、あくまでその存在を隠匿して情報収集をさせ続け、『帝国』との開戦(あくまで仮定の話だが)に合わせて各都市でテロでも起こさせた方が、よほど彼らの国益に添うであろうことはわかりきっている。
また、人間に対する疑心暗鬼の醸造という狙いに対しても、合理的ではないとハッキリ断言できてしまう。
なぜなら、人類文明圏の構成人種は、例のズサ・ハンマガルスと同じく歴然たる白人種であり、そんな彼らが、黄色人種が九割以上を占める『共和国』の現地人の中に隠れ潜んで諜報活動を起こすことなど到底不可能と言うしかないからだ。
また、人類文明圏の白人種と『共和国』の黄色人種の間には、深刻な人種差別感情が存在し、互いに「猿」「毛唐」と呼び合い軽蔑し合っているという現状があり、そういう感情面から考えても、『共和国』の現地人が『帝国』の間諜に手を貸す確率など、ほぼゼロに近いと断言できる。
物理的に潜伏することも不可能。そして現地人が間諜の協力者となることもありえない。となれば、つまり疑心暗鬼など起きようがないのだ。
ならば――なおのこと間諜団の存在をいたずらに誇示する目的はいったい何なのか。
それがわからない。
なればこそ、不気味なのだ。
水晶玉を経由する念話魔法によってリアルタイム通信を可能としている『共和国』では、情報の共有速度は、まさしく人類文明圏の比ではない。そして、彼ら『共和国』上層部が念話会議によって下した結論は、可及的速やかなズサ・ハンマガルスの「無力化」。
しかし、そのための手段が限られているというジレンマがあった。ここまで事が大きくなった以上、もはや軍や外交筋を使っての解決など、絶対にありえない。
状況は結局、昨日から何も変わってはいないのだ。
そのため、ジュピトリアム市長ゲイル・マルクスは、クシャトリス・バーザムズールに個人的な依頼を出し、事態の解決を独断で図ったという事実を大統領に報告し、あらためてその許可を得た。
つまり今朝に至って、彼女がズサ・ハンマガルスと戦うという行為は、市長レベルではなく『共和国』大統領の意思である、という法的解釈を得たのだ。
その旨を記した公式文書は、ただちにクシャトリス本人に届けられ、そして池波新左衛門も、その場に偶然にも立ち会っている。
彼が必要以上に闘志を沸き立たせているのは、そのためだと言ってもいい。
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クシャトリス・バーザムズールを追って、池波新左衛門が歩く。
すでに彼女の態度に不快になっている新左衛門は、もはや一言の口も利かない。
(勝手にしやがれ)
とばかりの表情で、拗ねたように押し黙りながら、クシャトリスの三歩後を歩く。
が、数分も歩くと、どうやら彼女の真意について新左衛門にもようやく見当がついてきた。
(ここは七丁目ではないか)
ジュピトリアム北区の七丁目といえば、国境警備軍の本営がある番地だ。そして、そこは、昨日ズサに斬殺されたオークたちの死体が引き取られている場所でもある。
(なるほど、死体を検分して、やつの剣筋を見極める気か)
そう思えば、確かにクシャトリスの考えも理解できなくもない。
だが、納得できるかと言われれば、新左衛門にとってもやはり、話は別だった。
「そんなに奴の実力が気になるのか」
と問うが、クシャトリスは何も言わない。しかし無視したわけではないことは、彼女が無言で頷いたことでわかった。
「知ってどうする? どうせそんなことは戦えばわかることではないか」
しかし、相変わらず彼女は答えない。
というより今度は頷きすらしない。完全な無視だ。
「知ったところで意味があるのか? どの道おまえが奴を斬らねばならないことには変わりがないのだぞ。弱けりゃ戦い、強けりゃ逃げる――そんなことが許されない立ち合いなのだぞ」
言いながら、新左衛門はだんだん腹立ちを抑えきれなくなってきた。そもそも彼は決して気の長い性格をしていない。年齢相応もしくは階級相応に血気盛んな一面を持ち合わせている男なのだ。
「大統領は、そもそもこの件の解決に、可及的速やかにと条件をつけたはずだ。この言葉の意味を理解しているのか? これは可能な限り早くという意味なんだぞ!? この御役目を理解しているのか貴様は!?」
すでに声が荒くなっているため、道を歩く者たちも思わず振り返り、自分たちが衆目の的になりつつあるのはわかっている。だが、興奮状態に入りつつある新左衛門は、もはや他者の視線など気にもならない。
「今の自分の立場を名誉に思わないのか!? 御役目を受けた貴様がそのザマでは、補欠に回されたおれの――いや、道場や大統領杯で貴様に敗けた者たちの立場はどうなる!?」
「…………」
「そんなにあの毛唐が怖いのか!! なれば討手をおれと代われ!! お前に代わって、おれが立派にやり遂げてみせるわ!!」
そこまで言われ、クシャトリスはようやく立ち止まり、新左衛門に向き直った。
「勝利に一番必要なのは臆病さと慎重さよ。少なくとも血気に身を任せることじゃない」
「な……ッッ!?」
その言葉に、とっさに新左衛門は何も言い返せなかった。
天才と称される女剣士の口から出たにしては、あまりに意外すぎる言葉だったからだ。
「いずれはあなたにもわかる。だからこれ以上余計な口出しはしないで」
そう言い捨てると、クシャトリスは本営門番のケンタウロスに市長からの書状を見せ、
敷地内にスタスタと入っていった。
では、また二日後にお会いしましょう