魔界の国のお侍さん   作:アルジェリア

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第六話 「討手(其の六)」

「よかろう。ならば、貴様から先に死ね」

 

 

 その瞬間、ズサが動いた。

 男が着込む、露出部分が一切ない鋼鉄作りの全身甲冑。おそらくその重量は十貫(約37kg)はあるだろう。にもかかわらず、その踏み込みは、むしろ身軽ささえ感じさせるものだった。

 反射的に後退しようする新左衛門ではあったが……しかし、その背はラミアの女剣士に、どんとぶつかり、その刹那になってようやく新左衛門は、いま自分が彼女をかばって剣を抜いたのだという事実を思い出す。

 

(おれは馬鹿かッッ!!)

 

 誰に頼まれたわけでもない。他人の一騎打ちに勝手に割って入り、あげくの果てに敵の気に呑まれ、守ろうとしたはずの女の存在を後退の邪魔と感じている池波新左衛門。

――なんという無様な。

 師たる渡辺源太夫が、そして幼馴染のクシャトリス・バーザムズールが見れば、間違いなくそう思うだろう。

 そんな、唾棄すべき自分への怒りが、新左衛門を突き動かした。

(死ね!!)

 下がるどころか一歩前に踏み出し、岩をも断つ勢いで振り下ろされるズサの一撃を、がっきと受け止める。

 新左衛門の刀とズサの剣が衝突し、激しい火花を散らした。

 しかし、もはや新左衛門には、さっきまで五体を萎縮させていた、この男の「妖気」に対する怯えはない。

 あるのは怒りだ。

(死ね……ここで死んでしまえ、池波新左衛門!!)

 無様すぎる自分への怒りが、新左衛門の剣を支えている。

 いや――もはや、相手が誰であろうとも、どうでもいいことであった。

『己に恥じぬ己であり続ける』

 これこそが、新左衛門が父から受け継いだ、武士としての最低条件だったからだ。

 

 

「ぁぁぁぁああああああッッッッ!!!」

 

 意味をなさない叫び声をあげ、肉体の奥底から気を、力を振り絞る。

 ズサの怪力に吹き飛ばされそうになるのを懸命にこらえ、鍔迫り合いの体勢を維持する。

(たとえここで惨めに斬り死んだとしても、それもまた武士の本懐)

(いや、そうではない)

(たとえ、ではない。おれは……)

(死ぬのだ。死なねばならない。死ぬべきなのだ。眼前のコイツは……)

(その死出の旅路の介添え人にすぎない)

 

 

 ただ己への怒りのみによって支えられた新左衛門の剣は――その瞬間、ようやく力が抜けた。

 

 

 鍔迫り合いの剣を通して伝わってくるズサの怪力。

 が、新左衛門はそれを誘い、導き、そして不意に力を抜き、体を入れ替える。

 支えを外された形になったズサは、たまらず前のめりに体勢を崩す。とはいえ彼も一流だ。そう簡単にブザマに転倒するような真似はしない。一歩踏み出してこらえると、後ろ殴りに剣を薙ぎ払った。

 が、新左衛門にとっては、彼が体制を維持するために一歩を踏み出す――その一瞬の隙で十分だった。

 後ろ殴りのズサの一剣を、まるで意に介さぬように踏み込んだ新左衛門は、渾身の一撃を敵の脳天に振り下ろし、魔力付与を施されてその威力を倍増された刀は、黒光りする彼の鉄兜を叩き割っていた。

 

 

 

「やった……やったぞ!! お侍さんが『帝国』のクソ野郎に勝ったぞ!!」

 どこの誰の声かはわからない。

 とにかく、兜を叩き割られ、そのまま沈むように大地に崩れたズサ・ハンマガルスをみて、それまで息を飲んで一騎打ちの成り行きを見守っていた野次馬の誰かが声を上げ、そして、その声をきっかけに、その場にいた野次馬たちは大歓声を上げた。

 旅館のテラスから蔑むように自分たちを見下ろしていたこの男に、皆よほどストレスを感じていたのだろう。

 新左衛門は誰とも知らぬドワーフに抱きつかれ、ミノタウロスに肩を叩かれ、ケンタウロスの美女には頬にキスマークをもらった。

「あんたスゲエな!! うちの娘を嫁にやるからもらってくれ!!」

「池波さんだっけ、やっぱ渡辺道場の人かい!?」

「こんなに胸がスカッとしたのは久しぶりだよ、お侍さん!!」

「いや、今からでもいいからウチの店に来なよ! 町を上げてアンタにおごってやるぜ!!」

 

 

 だが、割れんばかりだった歓声は、その瞬間ピタリと止まった。

 

 

 男は動いていた。

 兜の頭頂部――脳天を打ち砕かれたはずの全身甲冑の男は、そのまま地面に手をつき、ふたたび立ち上がったのだ。

 野次馬たちは、ふたたび悲鳴を上げ、蜘蛛の子散らすように駆け出した。

 とはいえ、ここから距離をとり、あるいは物陰に隠れ、あるいは路地の角に隠れ、身を隠す場所を見つけられなかったその他大勢の者たちは、さっきよりさらに遠巻きにこの場所を囲み、様子を窺っている。

 かつてズサ・ハンマガルスが、決闘の場所として使用したこの旅館前の道端という空間は、ふたたび静寂に包まれていた。

 

 むろん池波新左衛門は逃げてはいない。

 家伝の甲州光政を右手にぶら下げたまま――いや、そこでようやく彼は気づいていた。 

 己の刀に血がついていないという事実を。

 そして、立ち上がったズサ・ハンマガルスの、砕かれた兜からは血も流れず、人間の肉体と思しき一切のものが見えないという事実を。

「なるほど……」

 その異様すぎる眺めに、新左衛門はむしろ納得した。

 戦闘前に彼の脳裏に走った唯一の違和感が、ようやく腑に落ちたのだ。

 

 

「どうやら……あまり驚いておらんようだな」

 

 

 

『彼』はそう言ったが、その口調に微妙に羞恥の感情が混じっているように聞こえたのは勘違いではあるまい。

 新左衛門は、答えた。

「いや、充分驚いていますよこれでも。ただ……」

「ただ?」

「貴殿の言動と、ここのテラスで女をはべらせていたあの男が、どうしても繋がらないという違和感はありましたから」

「そうか……違和感があったか」

「貴殿とあの男は別人――それだけわかれば十分です」

「何故そう思う」

「尊敬すべき敵を軽蔑したくない、と言えばご理解いただけますか」

「そうか……ふふふ……」

『彼』はそう言い、小さくだが確かに笑った。

 

 

「で――いかがなさいます。続きをやりますか?」

 

 

 挑発のつもりはなかった。

 が、新左衛門にその気はなくとも、客観的にそう解釈されてしかるべき発言だったろう。

 現に『彼』からは、

「ほう、此の身の正体を知ってなお、まだ我が妄執に付き合ってもらえると?」

 という嬉しげな言葉と同時に、兜を砕かれ一度は消え失せた、例の「妖気」がふたたび発散され始めたからだ。

 だが、それも一瞬のことだった。

「いや、やはり見苦しき真似はよそう。私はすでに、そなたに敗れたのだから」

『彼』は、一度構えた両刃の剣を下ろし、鞘に収めた。

 一騎打ちの決着は、いずれか一方の死を以て決着となす――それが常識だ。

 が、死んだかどうかは問題ではない。死は相手に敗北を認めさせる一手段でしかないからだ。これが互いに生身同士なら、兜を砕かれた時点で『彼』の敗北は明らかだ。

 なればこそ『彼』は、戦闘再開を「見苦しき真似」と言ったのだ。

「それに、そんな時間もなさそうだしな」

『彼』はそう言い、ちらりと旅館の入口に目をやり、新左衛門もつられたようにそっちを見た。

 

 旅館の入口が開き、そこから――ダークエルフの女剣士が出てきた。

 しかも独りではない。

 とはいえ彼女は「二人連れ」でもなかった。

 後ろ手に中年の白人男性の頭髪を引っ掴み、ここまでズルズルと引きずってきていたからだ。

 その顔を見忘れるはずがない。この白人種の男こそ、遠見の魔法で新左衛門が目撃した、例のズサ・ハンマガルスであることは間違いなかった。

 しかも、そのあまりに異様な「荷物」と、それにそぐわぬ悠然たる物腰に新左衛門も、そして周囲で見物していた野次馬でさえ、唖然となった。

 

 

「クシャ子……何やってるんだお前……」

 

 

 あまりに予想外の光景だったので、思わず幼少期の呼び名を使ってしまったが、新左衛門はそれに気付いていない。

 逆に、クシャトリスは自分がその名で呼ばれたことを一瞬とまどったような顔をしたが、

すぐにいつもの仏頂面に戻り、

「何って決まってるでしょう、命令通りズサ・ハンマガルスを無力化してきたのよ」

 そう言い、その「荷物」を皆が見ている前に放り出した。

 道端に転がされた男は、まるで死んだように微動だにしない。

 いや「死んだように」ではない。

 彼はすでに死んでいた。

 血走った目を見開き、だらしなく緩んだ口元からは血が流れ、いや――それ以前にその顔色を見れば、この男がすでに死んでいることは、誰が見ても一瞥で判別できただろう。

 

 

「これは……おまえの仕業なのか」

「馬鹿言いなさい。取り抑えようとしたら勝手に死んだのよ」

 

 確かに、男の死体には刀傷はない。

 細かいことは分からないが、それが毒殺であることは死体の顔を見れば明白だ。

 そんなものをこの女エルフが持っているはずがない。

 クシャトリスは、兜を砕かれた全身甲冑に視線を移し、言った。

「で、あなたは誰なの?」

 そういえば、まだ名前を聞いてなかったな――と新左衛門も思いながら、『彼』に目をやる。

 しかし『彼』は答えなかった。

 少し照れたかのように顔をそらすと、

「かりそめの生にはしゃいで見苦しきところを晒した未練者じゃ。名乗るのは勘弁願いたい。だが、ひと時とはいえ、現世に戻れた甲斐はあった。礼を言うぞ池波新左衛門」

 と、笑った。

 むろん顔など見えようもないが、しかし声だけ聞いても『彼』の声は明らかに笑っていた。

 楽しげに。

 そして満足げに。

 

 

「――では、さらばだ」

 

 

 兜が落ちた。

 籠手が落ち、マントが落ち、そして甲冑全体がガラガラと崩れ落ちた。

 それはどこにでもある、がらんどうの鎧だった。

 

 

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「で、つまり……どういうことなんじゃ?」

 渡辺源太夫は釈然としない顔で訊いた。

 

 

 ここは渡辺家の例の客間。

 クシャトリス・バーザムズールと池波新左衛門は、おととい話を聞かされたこの場所で、昨日の一件の顛末(てんまつ)を、渡辺源太夫相手に語っていた。

 

 

「ズサ・ハンマガルスは死霊術者(ネクロマンサー)だったんです。彼は降霊儀式で、あの全身甲冑を触媒にして騎士の霊を召喚し、それを手駒に使っていたんですよ。挑発に乗って誰かが喧嘩を売りに来たら、自分は部屋に隠れてね」

「ふぅむ……」

「で、召喚主のズサが死んだので、鎧に憑依していた霊も魔力源を失って成仏したというわけです」

「つまりその騎士の霊は、なんじゃ――戦いたくて召喚に応じた、ということなのか」

「さあ、それはわかりませんが、それでも彼との一騎打ちに敗れたことで未練が晴れたような印象を受けましたから、あるいはそういうことかもしれません」

 そう言いながら、クシャトリスは新左衛門をちらりと見る。

「つまり、最初から正々堂々などと言わずに、死霊術者ズサ・ハンマガルス一人をとっとと始末しておけば、誰の血も流れずに済んだ――などと言う馬鹿がのちのちになって出てきそうだの」

 そう溜息をつく源太夫に、新左衛門は慰めるように言った。

「ですが、奴は結局死にましたし、鎧の騎士も拙者が負けを認めさせました。上々の結果だと思いますが?」

 しかし、その言葉を聞いた源太夫が新左衛門に向けた視線には、明らかに非難の意志が込められていた。

 

 

「そういえば池波、我々がズサ・ハンマガルス本人と思い込んでいた、その鎧の亡霊と戦ったのは、バーザムズールではなくお前だと聞いとるんじゃが……これに関して何かしらの釈明は無いのか?」

 

 

 新左衛門は答えない。

 というより、答えられない。

 あのとき新左衛門はとっさに思い出せなかったのだ。『彼』と戦うべく市長から認められた討手は、自分ではないという事実を。

 もっとも、あの状況において、鎧騎士と新左衛門が戦ったのは、ある意味避けられない成り行きであったというべきだし、言い訳ならいくらでもできる。

 たとえば、あの場に討手たるクシャトリス・バーザムズールはいなかった。

 そして、あのタイミングで自分が一騎打ちの邪魔に入り、名乗りを上げていなければ、あのラミアの女戦士は確実に殺されていただろう。

 犠牲者を増やさないために新左衛門としては、ああするしかなかったのだ。

 

 

「まあ、いいじゃありませんか先生。もう済んだことなんですから」

 

 

 しれっとそう言い切ったクシャトリスは、

「それに結局、本物のズサ・ハンマガルスは御指名通り、このクシャトリス・バーザムズールが討ち取りましたし、この事実を前に誰が何を非難できると言うんですか」

 と笑った。

「それは結果論じゃろうがバカタレ!! もし池波があの場で斬られておったらどうするつもりだったんじゃ!!」

 そう怒鳴りつける老人にも彼女は取り合わない。

「現に勝ったじゃないですか。師としてはむしろ弟子の勝利を誇るべきだと思いますが」

「じゃからそれは結果論じゃと言うとろうが!!」

 口答えをするな口答えを!!――と唾を撒き散らしながら源太夫が喚きたてるが、そっぽを向いたクシャトリスはもはや師匠を見もしない。

「ったく、市長から直々におまえに対処させろと命じられたわしの立場も考えんか、このたわけが……」

 なおも未練がましくボヤいていた老人ではあったが、やがてフッと力を抜いて座椅子にもたれて、諦めたように言った。

「……まあよかろう。市長閣下がなんぞ言うてきたら、お前がいま申したその線で押すこととするわい」

 しかし源太夫の目は鋭さを失わない。

 問題はまだ解決していないとばかりの口調で「しかし、な――」と続けた。

 

 

「バーザムズール、その死霊術者は、本当にそなたが殺したのではないのじゃな?」

 

 

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