魔界の国のお侍さん   作:アルジェリア

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第八話 「竜の子(其の一)」

 この国の朝は早い。

 日の出とともに人は起きだし、活動を開始する。

「早出(はやで)」という早朝出勤のシフトが大抵の職種に存在し、そうでない者たちも明六つ半(あけむつはん:午前七時)の鐘が鳴る頃には、みな出勤を済ませて職場にいるのが当然という常識もある。

 とはいえ、それでもやはり低血圧で朝が弱い者たちもいるのが現実だ。

 たとえば、池波新左衛門の家族たちがそうであろう。

 

「母上、いい加減に目を覚ましなされ!!」

 と、毎朝叫び声を上げながら、母親を揺り動かす。

 しつこく二度寝・三度寝をし続ける彼女の顔を濡れ手ぬぐいでこすって強制的に洗顔させ、状況によっては着替えの手伝いまでしなければならない。

 以前はここまで母の寝坊癖は酷くはなかったはずだが、ここ数年はいよいよ寝起きが悪くなり、今では新左衛門が起きた時に、彼女が朝食を作り終えていたことなど皆無と言っていい。

 とはいえ、それは彼に朝食を作る者がいないというわけではない。

 

 

 

「兄上、もうそんな人のこと放っといて、一緒に朝食を食べましょう……」

 

 

 水気を含んだ声でささやくように新左衛門の袖を引っ張る女性が一人。

 新左衛門の妹、綾。

 いや、いま「女性」と呼んだが、彼らの所属する武家階級は、成人年齢が低いため、客観的には彼女など思春期のハイティーンに過ぎないのだが、それでも十代後半での婚姻・出産が当たり前のこの階級的には、彼女もいわゆる「行き遅れ」の一人であり、新左衛門にとっては悩みの種の一人でもあった。

「放っておけって、そういうわけにも行かんだろう」

「でも兄上、このままではお味噌汁が冷めてしまいますよ……?」

「ん~~~うるさいにゃ~~~」

 枕元でやりあう二人の子供を尻目に母は寝返りを打ち、頭から突き出た猫耳をひくひく動かしながら、そうつぶやく。

 イラっとした新左衛門は、枕を蹴り飛ばし、

「とっとと起きんか!! それでも武家の一家を預かる母親か!!」

 と怒鳴りつけた。

 

 

 そう――池波新左衛門の実母たる池波静流(しずる)は、人間ではない。

 彼女は獣人種のワーキャットである。

 そして、母がそうであるように、その娘である新左衛門の妹・池波綾もやはりワーキャットであった。

 

 

 そもそも獣人種というのは、その外見に獣類の身体的特徴を多く残すものであり、たとえばワーウルフやワータイガーなどの、いわゆる一般的な獣人などは、それこそ二足歩行する狼や虎そのものと言えるほどに、人間とは異なる外見を持つ。

 が、それは獣人の中でも男性だけの話であり、獣人種の女性は、男性に比べて体毛も少なく骨格も平均的な人間サイズで、早い話がその外貌などは、人類種の女性と比べてもさほどに差異はない。

 彼女たちにはヒゲもなく、全身を覆う毛皮もない。

 敢えて言うなら、その頭髪から突き出た耳や、八重歯状に伸びる牙、もしくは尾てい骨から生える尾くらいであろうか。その気になれば服や帽子でいくらでも隠せる程度の(ことさら隠す必然性もないが)ものであった。

 もっとも、彼女たちも種としては純然たる獣人である以上、その身体能力や五感の鋭さなどは人間とは比較にならない。が、人間と結婚し、その家族として家庭を築くことを選択した獣人種の女性にとっては、平均的な人間を凌駕する能力というものは、もはや社会生活的に不要と言えるものだった。

 

 ここで言えることは、人間と獣人種との結婚は、この『共和国』においては決して珍しいものではないということだ。

 そして新左衛門にとってこの母は、決して血の繋がらない義理の存在ではない。

 妹の綾が、母の実の娘であるように、新左衛門も彼女の腹から産まれた実の息子である。

 が、彼はワーキャットではなく純然たるヒト種であり、獣人特有の身体能力も鋭敏な感覚も受け継いでいないのだ。

 これは何も新左衛門の両親が特殊なわけではない。

 厳密に言えば、この世界において、知的生物を含むあらゆる種は、交配によって血が混じりあうことはないのだ。

 魔術儀式を応用した品種改良ならばともかく、異種族同士が子をなした場合には「ハーフ」という概念は存在せず、その新生児が男児であった場合は父の、女児であった場合は母の、どちらか一方の種族として、この世に誕生する。

 池波家を例に取ってみると、新左衛門の亡父である文左衛門と、ワーキャットの静流(当時の名はシズラー)が結婚し、一男一女をもうけた。

 そして男子は人間として、女子はワーキャットとして育ったというわけなのだ。

 くりかえすが、これは『共和国』においては何ら珍しい家族構成ではない。

 

 

――結局、池波家の家族が全員揃って、朝食の膳の前に座ったのは、それから四半刻(約30分)が経過してからだった。

 

 

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『結局遅刻ではありませぬか、これも全部母上のせいですぞ!!』

『新左殿、それは私の知ったことではありませぬ。この母を咎めるならば、なにゆえ私のことなぞ放置して寝させてくれなかったのです』

『それが武家の母親の言葉ですか!! 恥を知りなされ恥を!!』

『ええい、うるさい! いいからとっとと仕事にお行きなさい!!』 

 

 

(相変わらずうるさい家ね……)

 クシャトリス・バーザムズールは隣の池波家から聞こえてくる怒声や罵声を聞き流しつつ、稽古着をまとって自宅の庭で木刀を振っていた。

 彼女は新左衛門とは違って定職に就いていないので、道場に出かける以外の時間も、ほぼ100%の確率で自主稽古に当てている。

 というより彼女の日常は、道場での稽古もしくは自宅での稽古だけがあり、その他の時間は食事と睡眠のみと断言できてしまうようなものであった。

 同年代の一般女子のように恋愛・遊興・美食・趣味・おしゃれといったものに一切興味を持たず、その修道者のような生活態度は、もはや粛然というより殺伐とさえ表現できるものだった。

 バーザムズール家は、隣の池波家のように異種族婚で成立した家庭ではない。

 両親二人ともに保守的なダークエルフである彼女の家では――特に父親は、そんな娘の神経を測りかねていたし、そして彼女本人も、自分が家族に心配をかけているという事実を自覚していた。

 しかし、剣術の面白さに没頭している彼女にとっては、そういった浮世の事々はどうにも、わずらわしいものでしかなかった。

(剣を振っている間は、そういう面倒なことを考えずに済む)

 という逃避の要素が皆無であったとは言わないが、それでも――やがて剣を振る彼女の脳裏からは雑念が消え、全人格的な没入状態になり始めていた。

 

――防具をつけて竹刀で打ち合うだけではわからないことがある。

――撃剣はあくまでも型稽古の応用に過ぎない。

 それがクシャトリスの出した、自分なりの「武道論」であった。

 彼女が渡辺道場『練武館』で学ぶ剣は、『共和国』の武士階級で一般的な流派とされる無明流であるが、しかし師匠たる渡辺源太夫が永年の修行によって自得した工夫と独創をかなり加えて技術再編を行っているため、もはや別派と言っていいほどに変質してしまっており、世間的には渡辺道場の流儀は「渡辺流」もしくは「渡辺派無明流」で通っている。

 クシャトリスに言わせれば、渡辺源太夫が独創したという「型」は、おそろしく実戦的かつ機能的であるという。というのは、彼女が道場で頭角を現したのは、個人的に型稽古を重視し始めてからだという事実があるからだ。

 

 

「お姉さん頑張ってるねえ……欲求不満でも溜まってるの?」

 

 その声を聞いた瞬間、クシャトリスは雷に打たれたように驚き、かつ振り向いた。

 ここ数年、彼女は気づかぬままに、自分の間合に勝手に他者に入り込まれたという経験を持たない。しかし、その声はまさに彼女の背後二歩あたりの距離から届いてきたからだ。

 だが彼女は、そこに誰の姿も視認できなかった。

(幻聴……? いや、でも、確かに聞こえた……)

「こっちだよこっち」

 そう言いながら、発言者はパタパタと羽ばたきながら彼女の眼前まで舞い降りてくる。

 それを見てクシャトリスは絶句した。

 

 

 そこにいたのはドラゴンの幼生だった。

 

 

 その大きさは一尺(約30センチ)程度であろうか。まるでぬいぐるみのような可愛らしい外見に小さな翼をはためかせ、彼女の眼前を悠然と浮遊している。

「ちょっとボクお腹減っちゃってさ、何か食べさせてくれない?」

 そう言うと、ドラゴンはいたずらっぽく笑い、彼女の木刀の上にちょんと止まった。

 

 

 

 ドラゴンは『共和国』を含むこの世界で、最強の個体戦闘力を有する生物である。

 五百歳以上の成獣であればその平均体長は十丈(約30m)を超え、それほどの巨体であるにもかかわらず、背中の翼は亜音速飛行さえ可能にするという。

 また、全身を覆うそのウロコは、鋼鉄以上の硬度を誇り、さらにその一枚一枚に対魔法属性があるため、魔力付与を施した武器をもってして傷つけることは難しく、さらに、その個体属性によって――火属性ならば火炎、水属性ならば吹雪、風属性ならば稲妻――といった、様々な「息」を吐く。

 つまり彼らは、攻撃力・防御力において世界最強レベルの力を種族単位で備えているというデタラメな種族であり、もし成竜が三頭も集えば、国さえ容易に滅ぼせるであろう。

 しかも、話はそこで終わらない。

 無限の寿命を持つ彼ら竜族は、数千年以上の生を積み重ねると、最後の脱皮を果たしてトカゲ型の四足獣「竜(ドラゴン)」から竜頭蛇尾の神獣「龍(ナーガ)」に羽化すると言われている。

 むろん伝説上の話であり、羽化を遂げた竜族の個体は『共和国』でさえ確認されていないのが現状であるが、それでも「神獣」の存在は、この世界の生物進化の極限として人類文明圏の某国では信仰対象にさえなっている。

 

 もっとも、かれら竜族の真骨頂は、その戦闘力ではなく、あくまでもその無限の寿命を活かして蓄積された膨大な知識と高度な知性である。

 その叡智は神に等しく、真偽のほどは分からないが、現在のこの世界の知的生物に文明を与えたのは、古代竜族であるという伝説まである。

 彼らはまだ知的生物に進化する以前の、獣人・人間・エルフたちに火を扱う知識を与え、文字と言語を与え、そして魔法を与えたという。

――むろん伝説上の話であり、確認された事実ではない。

 

 とはいえ、そういう神秘的なヴェールをすべて捨てた具体的な話をするなら、ドラゴン種というのは、この『共和国』に市民権を持つ知性体としては、もっとも個体数の少ない少数種族にすぎない。

 その生活圏も、死火山の火口や樹海の最深部といった、都市部から隔絶した場所ばかりであるため、『共和国』の一般市民にとってドラゴン種は、直接交流する機会などほぼ皆無と言ってよく、彼らに比べれば、同じ竜族でも知性を持たないワイバーン種の方が、よほど社会的に馴染み深い生物とさえ言える。

 また、ドラゴン種は無限に近い寿命をもつが、その繁殖力はむしろ乏しく、竜族の新生児などそれこそ数百年に一度しか誕生しないとさえ言われている。

 

 

 

 つまり、この『共和国』内でも、ただでさえ珍しいドラゴン種。

 その幼生ともなれば、一般市民層の目撃例など、ここ数百年間でほぼ絶無と言えるだろう。

 クシャトリス・バーザムズールの目の前をふよふよと飛んでいるのは、そういう生物なのだ。

 

 

「そんなところで凍りついてないで、少しは何か答えてよ。ひょっとしてお姉さん、その歳で言葉がわからない人なの?」

 飄々とした口調でそういうドラゴンではあったが、しかしその態度は、呆然となっていたクシャトリスを正気に戻し、なおかつ彼女が本来備え持つ、気の強さを刺激するものだった。

 彼女はおもむろに手を伸ばすと、ドラゴンの眉間に強烈なゲンコツを一発叩き込む。

「あぎゃ!!」

 可愛い声で悲鳴を漏らすドラゴンの、その頭部から生える角を鷲掴みにすると、そのまま、幼生を自宅の勝手口まで持ち運んだ。

「ちょっ、お姉さん!? 痛い痛い、そこ引っ張られると痛いってば!!」

 と騒ぐドラゴンの幼生ではあるが、クシャトリスはもちろん一顧だにしない。

「肉が食べたいんでしょう? だったら望むものを振舞ってあげるわ」

「それは嬉しいけど……痛い痛い痛いツノ引っ張っちゃダメだってば!!」

「その前に少しあんたは礼儀ってやつを学ばないとね。少なくともあたしは赤ん坊にそんな生意気な口をきかれる覚えないし」

 

 

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「『目標』発見。ジュピトリアム中央区の民家で住人と接触、邸内に入りました」

「どういうつもりだろう」

「住人を懐柔して味方につける気かもしれませんね」

「『目標』にそんな知恵があるか?」

「あれでも一応竜族の子だぞ、生まれたての赤ん坊でも油断するな」

「逆に言えば、今この瞬間『目標』は油断しているはずだな」

「突入するか?」

「馬鹿言え、『目標』は自分が追われてることを認識している。また逃げられるだけだ」

「魔力追跡も、対魔属性持ちの竜族には通用しないしな」

「では何故『目標』は、自分の現在位置を我々に確認されることを承知で、あの民家に降りてきたのですか? あのタイミングで降りてこなければ、我々は『目標』を捕捉できなかったはずなのに」

「何か理由がある、ということか」

「まあ、想像は出来なくもないな」

「というと?」

「遠見の魔法で見た限りだと、あのダークエルフはクシャトリス・バーザムズールだ」

「誰です? 有名人なのですか?」

「昨年と一昨年の大統領杯の優勝者だ。さらに言えば今年の最有力優勝候補でもある」

「それが事実なら、護衛として使うには最適な人材だな」

「我々から逃げ回るのに飽きて、その女を使って後顧の憂いを断つ気か」

「強いのか」

「ああ、強いな」

「我々よりもか」

「それはわからん」

「所詮は表の流派の使い手だろう」

「やるか」

「やるか」

「面白そうだな」

「ああ、面白そうだ」

「馬鹿な、冷静になれ」

「我々の任務は戦闘ではありません。危険は可能な限り回避すべきです」

「そうだな」

「どうする」

「どうする」

「クシャトリス・バーザムズールと直接矛を交えることなく無力化する方法はあるか」

「あるにはあるが」

「殺しますか?」

「そこまでやる必要はなかろうと思うが」

「まあ、状況次第だろうな」

「しかし、その女を封じても『目標』に逃げられては意味がないぞ」

「そうだな」

「では、しばし様子を見よう」

「今のうちにボスに連絡を送ります。次の指示を待ちましょう」

「わかった」

「わかった」

 

 

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