魔界の国のお侍さん   作:アルジェリア

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第九話 「竜の子(其の二)」

「ちょっ……クシャトリス!! あんた一体どういうことよこれ!!?」

 

 

 突然客間に放り込まれたこの奇妙な生き物を見て、家族の母親たるラヴィアン・バーザムズールは、娘を振り返って声を上げるが、クシャトリスはしかめっ面を戻しもしない。

「母さん、こいつに何か食べさせてあげて。肉がいいんだってさ」

「肉って……昨日の残りでいい?」

「十分よ。で、あんた名前は?」

「え?」

「母さんじゃないわよ、あんたに訊いてるのよ。名前は!? あるんでしょう!?」

 

 ドラゴンの幼生は、そう問われて、にわかに態度を改めた。いや――改めたというよりは、戻したと言う方がより正確だろうか。

 クシャトリスの不意の暴力に涙目になっていたが、さっきよりもさらに傲然と胸を張ると、甲高い声で叫んだ。

「無礼者!! エルフ風情にこの正統なる竜の血を継ぐ我が真名(まな)を教えろと申すか! 身の程を知れ!!」

 しかし、そんな言葉にひるむクシャトリスではない。

 むしろ大人気ない力を込めたゲンコツを、先程と全く同じ眉間にブチ込むと、低い声で宣告した。

「じゃあ、あんたの名前は今あたしが付けてあげる。取り敢えず、あんたの名前は『ナマイキ』よ。わかった?」

「そっ、そんな名前は嫌だっ!」

「うるさいっ!! 要求通り肉を食わせてあげるんだからガタガタ言うんじゃない!!」

 

 

 

「これ、美味しいねえ……おかわりある?」

「はいはい、ございますよ」

 まるで幼児のようにあどけない表情で、ナマイキ――結局彼は、しぶしぶその呼び名を受け入れた――は眼前の肉料理に舌づつみを打つ。

 とはいえ、それは特に贅を凝らしたメニューでもなんでもない。

 兎肉とオスカー豆のシチューといえば、『共和国』のごく一般的な家庭料理でしかなく、より詳しく言うなら、バーザムズール家の昨日の夕食の残りでしかなかった。

 しかし、そんなことはまるで無関係のように竜の幼生は、器にがっつき、健康的な音を立てながら肉や豆を咀嚼する。

「ナマイキちゃんはよほどお腹がすいてたのねえ」

 ラヴィアンは、笑顔を崩すことなく、要求通り彼の器におかわりをよそってやる。

 最初は彼女も、クシャトリス同様に竜の幼生という希少すぎる生物に戸惑っていたが、それでも冷静さを取り戻すと、まるで子供をあやすように上機嫌になり、ニコニコと彼の健啖っぷりを見守っている。

 

(そういや母さんは子供好きだったっけ)

 そう思いながらクシャトリスは母の笑顔を見ている。

 母のその笑顔は、単に可愛らしい愛玩動物にではなく、年端もいかない幼児に向けるものだったからだ。

 思い当たるフシもある。

 ラヴィアンは、年に一度の、一族一党が集まるイベントを特に好んだ。

 クシャトリスから言わせれば、会いたくもない一族の長老や親戚たちの顔を見なければならない、ただ面倒くさいだけのものでしかなかったが、母はつねに上機嫌で一族の子供たちの面倒をみていたものだった。

 エルフ種は、人間と同じく一年中発情が可能だが、妊娠出産に関しては人間ほど自由ではなく、数年に一度の繁殖期にしか子を成せない。

 バーザムズール家は、隣の池波家と違って両親ともに健在な家庭ではあるので、今からでも子供を作ること自体は決して不可能ではない。が、やはり、努力が結果に結びつく可能性は、これまでの結婚生活を鑑みても低いと言わざるを得ない。

 ましてや、本来ならそろそろ結婚適齢期であるはずの一人娘クシャトリスの、およそ年頃の娘らしくない殺風景な日常を毎日見せつけらているのだ。母がこの家庭生活に一抹どころではない寂しさを感じているのは間違いなかった。

 

 

 やがてナマイキは器を舐めるようにシチューを食べ尽くし、ごちそうさまとあどけない顔で言うと、大口を開けてあくびをした。

「まあまあ、ナマイキちゃんったら、もうおねむなの?」

「うん、満腹になってちょっと眠くなったよ」

「じゃあ、二階のベッド使う?」

「いいの?」

「もちろんよ。好きなだけお眠りなさい」

 そう言うと、ラヴィアンはまるで赤ん坊のようにナマイキを抱きかかえ、階段を上っていき、その様子をクシャトリスは、じっと見ていた。

 

(でも、だからって今更あたしに、どうしろって言うのって話だし……)

 そう思うと、クシャトリスは首の関節をこきりと鳴らし、ソファから立ち上がると、木刀を拾った。

 それを、階段から降りてきたラヴィアンは見とがめる。

「どこか行くの?」

「稽古を続ける。まだ途中だったし」

「そう……」

 とだけ言い、娘に背を向ける。

 その背中が何を感じているのか、おおよその見当はつくが、それでもクシャトリスはこれ以上母に何か言われる前に、庭に出てふたたび稽古に没頭したかった。

 

「とりあえずクシャトリス、お母さんもそろそろ出かけるわね」

 

 クシャトリスは無言で頷く。

 母は、この時間になると、近くの大衆食堂の手伝いに出かけるのだ。

 拘束時間は午前中から夕方までなので、夕食時の混雑は別のお手伝いに引き継ぎ、ラヴィアンは基本的に日が暮れる前には帰宅する。

 もっとも日によっては夜の手伝いも頼まれることもあるらしく、父が勤めから帰ってくる時間までクシャトリスが家に一人になることも珍しいことではなかった。

 とはいえ、ここ数年は、彼女もそれを寂しいなどと感じたこともなかったが。

 

 

 

「ああ、それから、あんたの昼食はもうないわよ。全部あのナマイキちゃんが食べちゃったし」

 

 

 その言葉に戦車のような勢いで振り返るクシャトリスだったが、母は動じない。

 むしろいたずらっぽい顔を向け、言う。

「あ、もうちなみに食材の予備もないから買い物にも行っておいてね。何を買うのかはあんたに任せるから好きな物を買ってきなさい。財布はいつものところにあるし」

「ちょっ、なにそれ……?」

「それともお昼は『お隣さん』に食べに行く? 昔みたいに」

 そう言われてクシャトリスもさすがに苦い顔でそっぽを向く。

 が、その表情に羞恥の感情が混じっているのを確認すると、母はそんな娘に生温かい視線を送り、

「ま、あんたもたまには自分で料理でもしてみなさい。一応は年頃のお嬢様でしょ?」

 と言い放ち、そのままクシャトリスに何も言わせず、笑顔で出て行ったのだった。

 

 

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 ジュピトリアム中央区の露天市場は、この周囲一帯では最大のアーケード街というべきだろうか。

 面積的には数町(一町:約100m)ほどの長さの通りにすぎず、大型馬車が二台もすれ違えばその時点で大渋滞が発生する程度の道幅しかない。

 が、そこはつねに多数の買物客でごった返しており、客引きの大声や迷子になった子供の泣き声、店先で買物客が主人と値下げ交渉している怒声などの喧騒で満ち溢れている。

 この混雑は、日没による市場自体の閉店時間まで続き、逆に日中は、雨が降ろうが風が吹こうが解消されることはない。

 そこは、あらゆる食材はもちろん日用雑貨や衣服、魔術用品から武具、または得体の知れない肉や酒を出す一杯飲み屋や一膳飯屋などが軒を連ね、さらにそこから裏通りに行けば娼館のポン引きや違法麻薬の密売人なども徘徊しているという。

 時刻にしてちょうど正午。

 汗まみれの稽古着を、いつもの民族衣装に着替えたクシャトリス・バーザムズールは、杖を一本たずさえながら、幼竜「ナマイキ」とともにそこにいた。

 

 

「ねえ、ちょっとお姉さん、こんなうるさいところに何をしに来たの?」

「何って買い物に決まってるじゃない」

「買い物はいいけど……なんでボクを叩き起してまで付き合わせるの?」

「あたしの昼食の食材がもうないのよ。全部あんたが食べちゃったから」

「だから買い物に付き合わせると?」

「当然でしょ。あたしが買い物行ってる間にあんたがグーグー寝てるなんて許せるわけ無いし」

「なんかひどいな……もう少し偉大なる竜族に尊敬の態度をとってもいいと思うけど」

「あんたのどこが偉大なのよ。図々しいだけじゃない」

「それに、さっきから何か周りの視線が痛いんだけどさ」

「偉大なる竜族なんでしょ? 有名税か何かだと思ってなさいな」

 

 確かに二人は注目を浴びている。

 より正確に言うなら、彼女の頭上を浮遊するように飛び続ける幼竜に対して、だ。

 当然といえば当然だろう。クシャトリスですらこの竜の幼生を初めて見たときは驚きで呆然となったくらいだ。

「ねえ、あれ本当にドラゴンなの?」

「いや、でも、こんなところをドラゴンがうろついてるわけないしなぁ」

「だいたい本物のドラゴンってワイバーンとは違って私たちには懐かないって聞いたわよ?」

「でもさ、やっぱアレ、どっからどう見てもドラゴンにしか見えないんだけどさ」

「だよなぁ……」

 

 とはいえ、それはクシャトリスの歩みを妨げるほどの騒ぎには発展しない。

 道行く者たちは、皆この露天市場に遊びに来ているのではない。敢えてこの幼竜を無視するような者たちはいないが、それでも彼女の道を塞いでナマイキについての詳細を尋ねてくるような暇人もいないというのが現実だ。

 それにクシャトリスにしても、そんな好奇の視線にいちいち付き合えるほどの余裕もなかったと言えた。

 

 

「――で、まだ追って来てるのかい、例の尾行者ってのは?」

「ええ」

「お姉さんって随分恨まれてそうだしね」

 あまりに白々しい幼竜の言い草に、クシャトリスも苦笑する。

「何言ってるの、あんたの客に決まってるじゃないの」

 

 

 母親が出勤していった後、それでも心のモヤモヤを晴らすかのように庭で稽古を再開したクシャトリスではあったが、やはり空腹と、家に食料がないという事実の前にいかんともしがたく、結局母の指示通り買い物に行くしかないと諦めたのは、正午の少し前。

 井戸水を沸かして汗まみれの体をぬぐい、稽古着を普段着に着替え、家族共有の財布を家の手文庫から取り出すと、中に入っている額を確認する。

 もちろん両親のベッドでのんきに熟睡していたナマイキは、眉間に一撃を入れて叩き起し、外に出る。

 彼女が、自分をぴたりと追尾する不穏な気配に気付いたのは、その直後だった。

 

 むろんクシャトリス・バーザムズールも決して清廉潔白と言える身ではない。

 これまでの人生では、持ち前の無愛想さで必要以上に敵を作ってきた自覚はある。

 道場内にも彼女を嫌う者たちはいくらでもいるし、大統領杯などの公式試合で恥をかかせてきた者たちも、いちいち数えるのも面倒なほどだ。

 それに剣の修行だと思えば、ただでさえ売られた喧嘩は全部買うようにしてきたし、相手によっては自分から積極的に喧嘩を売ったことさえ何度もある。

 しかし、いま自分たちを追って来ているのは、そういう「素人」たちとは明らかに違う。

 しょせん尾行を気付かれるような連中ではないかという言い方もできるが、それでも違うのだ。

 敢えて言うなら――雰囲気が。

 戦意に冷静さがある、とでも表現すればいいのか。

 そこいらのチンピラのように、これみよがしな殺気を発散するような不細工な真似をせず、糸のような細く、それでいて執拗な視線は、明らかに荒事に慣れた連中だと確信させる。

 

(いったい何者だろう……?)

 

 そうクシャトリスは思う。

 が、その疑問に対し、彼女は必要以上に考え込むようなことはしない。

 彼らが一体何者か、そんなことは彼らに直接訊けばいい。どうせ今、あれこれ考えたところで答えなどえるはずがないのだから。

 そう結論づける彼女の口元に、獰猛な笑みが浮かぶ。

 クシャトリス・バーザムズールは決して好戦的な性格をしていない。だが、売られた喧嘩に背を向けるような精神も持ち合わせていないのだ。

 彼女はまだ今起こっている事態をまるで把握していない。それは事実だ。

 そして、なればこそクシャトリスは、この現状を、むしろ楽しんでいた。

 

 

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「しかし、あの女、存外食えぬやつだな」

「とは?」

「とりあえず我々の追跡には気付いているようですが」

「というより、むしろわかりやすいではないか。あの女エルフ」

「だな。露骨に後方に警戒と敵意を放っている。いつでも好きなときにかかってこい――そう言いたいのが丸分かりだ」

「しかし、この混雑の中で仕掛けるような真似はできんぞ」

「これみよがしに『目標』を連れ回しているおかげで、周囲の注目まで浴びているしな」

「自宅まで監視されている事実には気付いていなかったようですが」

「わからんぞ? 気付いてないフリをしているだけかもしれん」

「我々全員を引っ張り出し、なおかつ我々が容易に手を出せぬ状況を作り出している。それが偶然なのか意図的なのかも測りかねる、となればな」

「食えぬとはそういうことか」

「ああ、そうだ」

「……考えすぎではないか?」

「そうか?」

「俺が見るに、この現状はすべて偶然が積み重なった結果だと思うが」

「根拠は?」

「我々への警戒が本物ならば、あの女の態度は無邪気すぎる」

「私もそう思います。彼女の背中には……なんというか、覚悟が感じられません」

「それも演技かもしれんぞ」

「…………」

「…………」

「…………」

「まあいい。で、例の段取りはどうなった」

「さきほど入った念話通信によると、無事成功したようです」

「それを証明できるものは?」

「すぐに届けさせるとボスは仰せでした。今頃こっちに向かっているはずです」

「よし、ではそれが届き次第、クシャトリス・バーザムズールに仕掛ける――いいな?」

 

 




少し遅くなってしまいました。
申し訳ございません。
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