幼女のせいで青春が終わりました、あと世界もついでに終わってます 作:今北産業小説部
はああああああああ。
口から大きな溜め息が出た。
最悪だ。あの女の子はこの幼女に囲まれた膠着状態を打破する可能性を秘めた何かだったかもしれないのに……それを見失ってしまうなんて。次いつこんなチャンスが来るか分からんないんだぜ俺……はあ。
帰宅した俺は、落ち込んだ心を慰めようとコーラを冷蔵庫から取り出してデスクトップパソコンの電源を入れた。
現実での人間関係がほぼ皆無である代わりに、俺の安楽の地はネットにある。
ネットなら顔が見えないから相手に気を遣う理由も無い。ボイスチャットをすると幼女の声が聞こえてしまってダメだが、テキストチャットだけなら普通に会話出来る。
そこに新たな可能性を見出した俺が始めたのがMMORPG。有り体に、オンラインゲームである。
【ココロさん、おはで~す】
何時も通りログインをすると、同じギルドの妹ラッチさんがチャットを送ってきた。今日も朝からログインしているな、流石ニート。
今日はまだ他のメンバーはログインしていないみたいだ。まあ俺と妹ラッチさんを除いて他のメンバーは社会人だからしょうがないな。今日は平日だし。
【おはです~。ラッチさん一人ですか?】
【はい。先週から春イベなのにインしてるのは僕らだけ。みなさん意識低いですよね~】
【仕方ないですよ、社会人は大変そうですし】
【全人類ニートになれば良いのに】
【社会、終わりますよ?】
今日も絶好調だなぁラッチさんは。人生超楽しそうだ。
改めて、このピンク髪の猫耳ロリアバターは妹ラッチさん。このスピカ・オンラインでギルド『ゆとりクラブ』として一緒に遊ぶ仲間である。妹ラッチさんはロリコンで、ハンドルネームの通りリアルに妹がいないくせにどうしようもないほど妹が好きなオタクだ。因みに好きな女の子のタイプはこのアバターに全て詰め込んだらしい。聞いてないけど勝手に言ってきた。あと実家暮らしの25歳ニートらしい。これも聞いてないけど言ってきた。
正直ろくでなしなのは間違いないが、それでもこういうテンプレオタクの友人は俺にとって非常にありがたい。彼は年中引き籠りだからオフ会にも誘ってこないし、リアルと一線を引いているのか通話にも誘ってこない。本当にこのスピカ・オンラインでしか繋がっていない友人だ。
妹ラッチさんの存在は本当に助かっている。周囲を幼女でロックされている俺からすると、こういう男友達は得難いものだ。オタクのクラスメイトも漏れなく幼女だし。
馬鹿話をしながら一緒に遊ぶ。しかし殆ど現実の話はせず、ある一定の距離感は持ち続ける。他人からすれば吹いて飛ぶような希薄な関係性と思われるかもしれない、それでも今の俺にとっては凄い貴重なものだ。
ぽこっ、という通知音と共にラッチさんのアバターの上に吹き出しが表示された。
【今日どうします?】
【ラッチさん、先に聞きますけど俺に拒否権あります?】
【よく言ってくれました流石です!さあイベント周回しましょうコッコロさん!】
【俺な〜んも言ってないですよラッチさん。あとその名前は利権的にマズいですよラッチさん】
【あの子可愛いですよね~僕的にはああいうロリっ子を妹にしたい!ココロさんは妹を作るならどういうロリがお好みですか?】
【何で妹が作れる前提で話を進めようとするんですかラッチさん。てか良く考えて下さいよ、妹だって20年経てば酒も煙草も嗜めるんですからね?】
【え?もしやココロさんってニュートンの運動4法則をご存じない?】
【ニュートンさんはいつ運動法則を4つに改定したんだろうか……】
【慣性の法則、運動の法則、作用反作用の法則、妹
【おかしい。最後の妙な法則だけ聞き覚えが無いな……気のせいかな……】
【あ、今パーティー作りました。通知送ったんで参加お願いします】
馬鹿話をしながらキーボードをカタカタする。
いや~落ち着くなあこれ。現実よりもこっちの方が良い。幼女と話すより遥かに心が安らぐ。もうこっちに住みたい。スピカ・オンラインに永住したい。住民票ってどうやったらゲームの中に移せますか?
【そう言えばこの前の話、なんか進展しました?】
【この前の話?】
自キャラを操作しながらキーボードを打ち込む。いつの話のことを言ってるんだ?
【ロリに囲まれて辛いとかほざいていませんでした?】
【ああ、それかー。進展なんて無いですよ】
【それなら良かった。僕は別に良いですけど妄想は程々にして下さいよ?僕、ネットの友人が逮捕されて新聞に載るのは嫌ですからね】
【載りませんから。大体、あの時もちょっと疲労から口が滑っただけで他意は無いですって】
【疲労からって……何だか心配になってきました。ココロさん大丈夫ですか?本気で幻覚症状とかあるなら精神科とか行ってみたらどうでしょう】
【ありがとうございますラッチさん。でも大丈夫です、オールグリーンと診断されたので】
【ええと。もう受診済みでしたか……何かごめんなさい】
【いえ……こちらこそ】
モンスターをバタバタと倒す俺とラッチさんのアバターの間に気まずい空気が漂う。精神科なら一年前の五月に行ったんですよね……一応専門家が何も無いって言うんだから精神病ではないはず。
でも、ラッチさんもまさかここまで俺が本気で悩んでるとは知らなかったんだろうな。ラッチさんからのチャットの返信が滞ってしまった。……ここは俺が話題を振るべきだな。
【そうです。もしラッチさんがパラレルワールドに飛んだらどうします?】
【お、良いですねーそういう思考実験。僕好きです。で、どんな世界なんです?】
【その世界には幼女しかいません。それ以外は現実と同じです。この条件下で、ラッチさんならまず何をしますか?】
【なるほど、同じですか……】
二分ほどチャットが止まる。ネットオンリーの繋がりとは言え一年は一緒にオンラインゲームをしてた仲だ。俺にはラッチさんが長考に入ってるのが良く分かる。
ボス討伐三周目が終わり、四周目に行ったところで漸く返事が来た。
【取り敢えず両親の様子を確認しますね】
【あれ、意外と普通の反応。ラッチさんってロリコンじゃないんですか?もっと、町中で奇声を上げながら幼女ウォッチを始めるとかそういう反応を予想してました】
【何言ってるんですか〜ココロさん。そんな人を危険人物扱いしちゃって。僕はただ妹はロリじゃないと我慢できないだけで、他人ロリはどうでも良いです】
【新しい造語を作らないで下さい】
他人ロリって何ですか? あ、解説は必要無いです。何となく下らない意味合いが篭ってることは想像付くんで。
【にしても家族が一番ですか…………ラッチさんって思ったより普通の人なんですね。ニートの癖に】
【ニートに対する熱い偏見は止めて下さいよー。僕だって世界がそんなヘンテコなことになれば両親のことくらい心配しますって】
【へーそうですね】
【随分と気の抜けた返事ですね。ならココロさんは何をするんです?】
【俺ですか?】
【僕は答えたんですから教えてくださいよー】
キーを叩く指が止まる。
一年前。入学式の日の放課後。
俺の世界がとんでもないことになってしまったと自覚した時。俺って何をしたっけな。
確か、そうだ。
【コンビニ】
【?】
【コンビニで、四川省麻婆豆腐を買いました】
俺は疲れ目を指で抑えながら、コンビニの幼女店員に業務用電子レンジで温めてもらった麻婆豆腐を家で食べた気がする。人の心配なんて一ミリもしなかったな……。
そう考えるとラッチさんは偉いよ。俺なんかより万倍偉い。年上に偉いって言うのはおかしい気もするけど偉いんだ。
【あの。何で過去形なんです?やっぱりココロさん、現実と妄想との垣根が……】
【本当に大丈夫ですから!冗談はともかく、心配ありがとうございます】
【いえいえ。貴重なネトゲ友達は失いたくないですしね。まあ、悩みがあるんだったら相談してくださいよ。僕で良ければですけど】
【はい、とても頼りにします……………………………………】
【何ですかその三点リーダーの数。言いたいことがあるならちゃんと文字にして下さい】
【いえ。特には。ニートの癖に良く言うなぁって思っただけですからラッチさんは気にしないで下さい】
【辛辣!?ニートはニートでも僕はそこまでニートじゃないんだよ!?】
【分かってます。はい。俺は分かってますから】
【エモートでアバターの頭を前後に動かされても流されませんからね!!】
〇───〇 〇───〇 〇───〇
翌日。
我が愛すべき母校、勿忘高学園の通学路はいつも通り女子校ならぬ女児校と化していた。
「先輩!ぐ、偶然ですね!一緒に学校まで行きませんか?」
「おっ、おう。行こうか」
不意に視線を向けると、前方には青春ボーイミーツガールだろうと思われる初々しい幼女二人組の姿。溜息が地面に落ちる。駄目だ。いくら目尻を揉んでも幼女ミーツロリにしか見えない。慣れねえよこの光景。
学校に着いて、新しい教室に入ってクラスメイトを俯瞰してみる。確かに面子は変わってる。変わってるけど、俺からすると全員幼女にしか見えないから前のクラスの人間以外は性別不明である。せめて男はショタにしてくれ……マジで分かんねえんだよ性別が……!
「あの、こんにちわ」
「え、ああ。こんにちわ……?」
脊髄反射で挨拶を返す。
声の主は隣の赤髪幼女。見覚えがあんまりないからこのクラスで初めましての人だと思う。
「僕は樋上ユウキ。隣人としてよろしく」
「お、おん。俺は錦田。宜しく、頼む」
ヤバい。凄いどもってしまった。俺ってこんなコミュ障だったっけか?最後にマトモに人と話をしたのって………………アレ。ヤバい。思い出せない。嘘だろ俺。幾ら周りがこんなんだからって日々を無言で生きてるなんて社会不適合者じゃん。これじゃ俺、ラッチさんのこと笑えないぞ……!
樋上さんは俺のキョドりっぷりに可愛らしく笑うと、そのまま筆箱から鉛筆を取り出して芯を削り始めた。今時鉛筆派なんて珍しい。削りカスとか出るから超面倒だろうに。
はぁ……にしても気まずい。
春休みが終わってまた幼女だらけの教室に舞い戻ってきた訳だが、俺だけ浮いている気がする。いや気じゃなくて本当に浮いてる。教室で制服なのは俺だけで他は女児服というこのアウェイ。勿論俺の認識がバグってるだけで本来はクラスメイトたちも制服を着ているんだろうが、それでも主観的には幼稚園と変わらない。なので俺の中では間違いなく上空37万メートルくらいは浮いてる。月まで届けこの想い。
身が入らない学校での一日が始まって、教科書をペラペラと捲ったりノートに落書きしている内に授業が終わる。改めて思うが何だか凄い不真面目学生だな俺って。
ただ勘違いされたら困るが俺は馬鹿じゃない。これでも暇な時間はゲームと勉強しかしてない青春だから成績だけは良かったりする。だからこそ普段の授業態度がゴミで定期試験だけ満点近く取る俺を教師たちは疎んでたりして、俺の成績簿はどんだけ点数が良くても上限10中の7を超すことは無い。これ、大学推薦絶望的だよな……。狙ってた訳じゃないにせよ、凹むよなぁ……これ……。
別に俺だって好きで自分から不利になろうとしたんじゃない。だが幼女と一緒に幼女から勉強を教えてもらうとかもうちょっとした幼稚園の学芸会だろ。さながら高校の授業ごっこだ。そう考えたら授業に身が入るはずもない。あと微妙に滑舌の良くない甲高い声を集中して聴き続けるのも無理。すげぇ疲れる。その結果として集中出来ず、授業からドロップアウトしてしまう訳だ。
授業から開放されるとさっさと荷造りして学校を離れる。俺の安息の地は真の意味で自室にしかない。外にいると自分だけがこの世界の異物であるような強迫観念を覚えてしまう。
廊下ですれ違う同級生たちを目で追いながらふと思い出す。
そう言えば、昨日見たあの女の子。彼女は誰なんだろう?
俺の目は、どんな人間でも俺に幼女と知覚させようとしてくる。老若男女無差別に。なのに彼女だけは幼女の姿じゃなかった。
彼女には他の人となにか違う点がある?
それとも俺のこの目には人を幼女に見せるために必要な条件がある?
「分からねえよな、んなの」
突いて出た言葉が空気に交じる。いつも通り、誰に言うでもなく独り言だった。
○───○ ○───○ ○───○
家に帰ってもすることがゲームか勉強しかない。
タッチさんとまたイベント周回をするのも良いが、それよりも俺は昨日の少女のことが気になった。この世界を打破できるかもしれない初めての希望だ。追わない理由なんてないし、何より暇だった。
と言ってもそう簡単に探し出せたら苦労しない。何せほぼ一年間、この世界で生きてきて一度も見掛けなかったのだ。
昨日見かけた街頭へ繰り出してもその姿は欠片も見えない。幼女軍団の中で唯一の少女は目立つから見逃すはずもないだろう。
自転車で軽く街の中を駆け巡り終えると、俺は休憩のために小さな公園に立ち寄る。川沿いに併設された、バスケットコートくらいの広さしかない公園だ。午後の良い時間だというのに人気は無い。昨今のデジタル世代の子供たちの公園離れは進んでるようだ。
一つしかないベンチに腰を掛けると、俺は自販機で買ったメロンソーダのプルタブを押した。
風で微かに揺れるブランコを見ながらぼーっとしてみる。
実際、あの女の子がこの街にいるとしたらどこにいるんだろう。特定する手段が無いっていうのは滅茶苦茶キツイ。どこかの学校の制服を着てたんなら待ち伏せとかもできたんだがモロ私服だったしな。街中にいないとなると、探すのは困難かもしれない。
誰もいない公園で4月の青風に黄昏れていると、不意に左側から衣が擦れる音が聞こえた。誰もいなかったはずだよな?と脳内を巡らせながら反射的に視線を向ける。
「あれ……?」
金髪の長い髪を風に靡かせた女の子が、俺と同じように空を眺めている。背丈は俺より少し小さいくらいで、顔の無表情。
あの時は横顔しか見えなかったが、絶対そうだ。この幼女しかいない異様な世界じゃ勘違いしようがない。
彼女は、俺の探してる少女だ!
と、取り敢えず何か言わないと。こういう時なんて言えばいいんだ……って俺何を悩んでるんだよ。コミュ障かよ。いや、もう認めてしまおう。俺はこの一年で重度のコミュ障になったのだ。って認めたところでだから何だって話だけど。
とにかく、ナンパにならない程度に柔らかく相手のことを慮った言葉を投げなくては。
「ゆ、夕日が綺麗ですね」
馬鹿か俺。死ねよ俺。立派にナンパしてんじゃねえよ殺すぞ俺。
軽い希死念慮に苦しんでいると女の子は首を縦に振った。……これは『夕日が綺麗』という感想を言葉通りに受け取った結果、同意したと考えて良いのだろうか。良いんですよね。じゃないと俺は今ここで自分の首を絞めて死ぬ。死んでやるからなガチで。
えへへ、へへ……と誤魔化すための愛想笑いをしてみるが女の子には効果がいまひとつのようだ。未だ一言も発しないし。え、この短い時間で嫌われた?
「あのー……良ければ自己紹介とか……」
掠れそうな情けない声音は風に流された。
女の子は俺のことなど眼中にないように空を眺め続ける。
誰か、ヘルプミ―。俺をこの無音の空間から助けてくれ。
……でも、このまま口を閉じたらこのチャンスが不意に終わる気がする。この神出鬼没な女の子に出会える機会なんて二度とないかもしれないのに。
そうだ。別に女の子には嫌われても構わない。元の世界に戻る手掛かりがここにあるなら、手離す理由なんてどこにもないだろ!
「俺……俺の名前。錦田一心って言うんだ。錦鯉の錦に田んぼの田、一つの心で錦田一心。どうだこの名前……ってまあ普通だよな。別に難しい漢字とか無いもんな。はは……名前、聞いても良いか?いや、言いたくないなら大丈夫だ。俺は気にしない。別に無理に聞こうってわけじゃない。ホントにホント、ナンパとかそういう目的じゃないから。それどころでもねえし……」
そこまで言い散らかして、やっと女の子は俺の方を見た。
……右色の瞳は緑なのに、左目は青色。これはオッドアイってやつか。ゲームとかじゃよく見るが、現実じゃ初めて見たな……って待て待て、冷静になれ俺。なに普通に受け入れてるんだよ俺。オッドアイとか無いって、これはカラコンだ。多分。二次元じゃないんだぜおい。まあこの女の子って結構な不思議ちゃんっぽいしカラコンくらい付けててもおかしくないだろ。今更ながら本人目の前にしてまあまあ失礼な事を考えてんな俺。
「ええと……えっと?」
女の子と目が合った。顔が良い。違った。そういう事を言ってる場合じゃない。
どうするんだこの空気。まさに濡れ手に粟。この子一言も喋らないぞ。
頑張って更に話題を振ってみるが、女の子は1ミリも表情筋を動かさないまま俺の言葉を聞いているんだが聞いてないんだか。相槌すら返してくんないからマジで分からない。コミュ障というレベルじゃないぞこれ。ここまで話が出来なかったら最早日常生活に支障をきたすだろ。声に反応自体はしていたから耳が聞こえないって訳でもないだろうし……誰か助けてくれ。
連綿と話を続ける努力をした俺だったが、話題は有限である。語る言葉を失うのもすぐだった。口が止まると、当然この空間には静寂で満たされる。
横たわる沈黙。
話してる時は麻酔みたいにドーパミンが駆け巡っていたけど、こうなればもう俺の貧弱な対人能力じゃどうすれば良いか分からない。実質、詰みだ。
いやさ?
でも俺、頑張ったと思うのよ。頑張った。ここまで頑なに閉口する女の子相手に諦めず食い下がって。
だが、俺はそれで良いのか?
明らかに何かありますよ~という空気を醸し出す女の子を見過ごして、今まで通り幼女だらけの世界で生きるという選択をして、後悔とかしないのか?
いいや。絶対にする。
断言してやるよ俺。
俺はそこまで諦めの良い人間じゃない。
話してくれなかったら、はいそ―ですかと流せるように俺って人間は出来ちゃいない。
コミュ障?口から出す言葉が思いつかない?
んなの全部どうにでもなるだろ。
仲良くなる必要は無いんだ、とにかく俺は情報が欲しいだけなんだからな。
こうなったらもう直球勝負だ。頭のおかしいロリコンと蔑まれても良い。正直に事情を話すしかねえだろ、腹括れ俺。
「あの! 俺、実は」
そう切り出した瞬間、バギリッ、と何かが壊れる音と同時に浮遊感を覚えた。
俺は女の子にお姫様抱っこで抱えられていた。どうして、という疑問を抱いて視線を音の発生源に向ける。
破壊音の発生源はベンチだった。つい今まで座っていた、何でもない公園のベンチ。だがその背もたれ部分は真っ二つに折れ曲がり、破片が宙を舞っている。
ベンチの背後には刀を持った女の人の姿があった。藍色の和服を着こなし、足元を見れば下駄を履いている。黒い長髪と整然とした大人びた顔立ちはさながら大和撫子だ。そんな出で立ちをしているから、右手に持った日本刀は異質極まりない。
なんだ。何が起きてるんだ!?
誰だこの人、ってかこの人も幼女じゃない……!?
「奇襲で仕留め損ないましたか」
和装女は刀の血糊でも払うかのように刀身を一度振るうと、此方に向けて構えた。刃先の先は……俺だ。
……は、はぁ!?
仕留め損なうって、つまりこの女、俺を殺そうと!?どんな超展開だよ!?昨今のギャグマンガだってもうちょい段取り踏むぜ!?
「ま、待てよ!何をどう勘違いしてんのか知らねえが俺もこの子も何もしてねえ!冤罪だ!つかそんなけったいな刀ブンブン振ってんじゃねえよ!危ねえだろうが、銃刀法違反だぞそれ!」
「大変申し訳ございません。当方、聞く耳を持ちませんので」
「はあ!何だよそれ!?」
「非常に心苦しいのですが、簡潔に説明しますとあなた方を処理いたします。苦痛を与える気はありませんので、ご安心を」
淡々と御伽噺を子供に言い聞かせるみたいに眉一つ動かさず、鋭い眼光で和装女は俺を睨みつけた。
本当に何なんだこの状況!話聞いてくんねえし……何で和装美人に襲われなきゃならねえんだよ俺は!
訳分かんねえ……ああそうだ。
「助けてくれてサンキュな」
そう言って俺は女の子の腕から抜け出す。
あの女も大概だが、この女の子もあんな唐突な奇襲に気付いて俺を庇ったなんてただもんじゃないな。俺なんか気が付いたらお姫様抱っこされてたし……だっせせえな俺。てかただもんじゃないとかいう台詞、現実で使うこと実際ないよな。アニメかよ。
とかどうでも良いことを考えて一周回って冷静になる。マジ、この状況ってどう咀嚼すれば良いか分からねえ。
何か分からないかと思い俺は和装女の持つ日本刀を凝視する。
だが分かるのは結局、右手に持った日本刀はベンチを破壊するほどの凶器性を持っていて、和服美女はそんな獲物を軽々と振り回しながら俺と女の子に敵対しているということだけだ。そもそも斬るならまだしも、ベンチを叩き折るってどういうことだよ。日本刀だよな?使い方絶対間違ってるって。
「にしてもやはり精霊使いですか……厄介ですね」
「精霊使い……?」
意味深に呟く和装女に俺まで繰り返してしまう。
精霊使い……ファンタジーか?ごめん、どうやら突発性中耳炎になってしまったらしい。聞き違えたからもう一度言ってくれ。今度はもっと現実味のある言葉で置き換えてくれると助かる。
「その精霊……いえ、言うまでもなくあなたがこの虚実拡融現象の黒幕ですよね?答えは聞いていません。安心してください、死体はちゃんと無縁仏として供養しますので」
「供養してねえだろそれ……」
刀をシャランと鳴らして構える女に、つーっと額から汗が滴る。
おい、また変な言葉が出てきたぞ。虚実なんちゃら現象……?より現実味が薄くなって代わりに中二病味が濃くなったじゃねえか。
ってんなこと考えてる場合じゃないよな。
そうだよそう、俺って今命狙われてんだ。突拍子も無くて着いていけなくて、自覚しろと言われても未だ出来てないが。それでも少なくとも目の前の和装女から放たれる殺意だけはビンビンと感じてしまって胃が荒れそうだ。穴が開いたらどうすんだよクソ、胃潰瘍って治すの大変なんだからな?
「話は終わりにしましょう」
その言葉に俺は慌てて両手を振った。
ヤバい。このままだとヤバい気がする。語彙力が壊滅してるが本当にガチヤバい。早くこの和装女を説得しないと…………!
「待て。俺達は人間だろ?相互理解は大事だ、な?幸い人種だって同じなんだから理解し合えるはずだ。事情を話せばきっと通じ合えるはずだ!」
「その御託が遺言ですか。良いでしょう」
和装女は取り付く島もなしといった風に目を細めた。
……これ、マジだ。殺る気だ、俺のこと。交渉失敗。俺って本当にコミュ力も交渉力も無いんだなぁ。凹む。
継ぐ言葉を発そうとして、土煙が巻き上がった。
次の瞬間には和装女が俺の目の前に立ちはだかっていた。100mはあったのに、一瞬のことだった。速すぎる……全然走ってきた過程が見えなかった!バグキャラかよお前……!人間の身体能力超えちゃ駄目だろ……!
和装女が刀を振りかぶる。間違いなく、その刃は俺の首を捉えようとしている。
……あーあ。俺、死ぬのかな。このままだと死ぬんだろうな、まあ。確実に。
俺って何か、アレだな。しょうもない人生を生きてきたって気がする。中学では妹が虐められて、だからやり返してやったら地元で浮いた。自分の環境を変えたくて親に無理言って遠くの高校に通って心機一転人間関係リフレッシュ祭りだぜ!と意気揚々と入学式への一歩を踏み出せば、周囲は全員幼女で。まるで意味不明だったが、何より意味不明なのは誰もがその状況に適応していて、俺だけが疑問に感じていたという事実。俺だけがおかしかった。また俺だけが弾かれた。社会不適合者の烙印を押された気分だった。そうして、俺は年末年始すら実家には帰らずに下宿先と学校とスーパーを行き来するだけの学生半ニート生活。
これが走馬燈ってやつね……どうせならもっと幸せな記憶とか呼び起こしてくれよ。まるで俺の人生ずっと鬱屈としてたみたいじゃねえか。家族との思い出とか、ギルドでの日常とか、もっとこう色々あるだろ。色々さぁ。
なのにこんな憂鬱な気分にさせられて……薄暗い記憶だけサルページされて、それを冥土の手土産に死ねと?
ふざけんじゃねえよ……ふざけんじゃねえ!
世界がどうとか、幼女がどうとか、そんなのはどうでも良い!
精霊だのなんだのにも興味はねえ!勝手にどうぞラノベってろ!
だがな、俺には一つ溜まらなくムカつくことがある。
理不尽に奪われ、罵られ、そのまま泡みたいに何も出来ず弾けて消えるのだけは我慢できねえんだよ!
「ラァァァァァ!」
「つっ……!?」
破れかぶれに放ったカウンター気味のヤクザキック。
到底この和装女には通じない。だが俺を斬るよりも、自分が怪我をする可能性に憂慮したのだろう。多少の動揺はあったみたいだが少し大袈裟な動作で躱す。
それでも意味はあった。完全にギャンブルだったが、その賭けに俺は勝ったのだ。和装女がその意味の無いだろう、精々が服を汚して終わりの蹴りを大きめの動作で避けることで、決して出来るはずがなかった一瞬の隙が生まれた。
ここが人生の分水際だ。考えろ俺。
一秒にも満たない空白の時間を使って、この場で俺が取れる有効策。
戦ったら100%負けて死ぬ、逃げてもあの脚力じゃ追いつかれる。言葉を用いた和解も失敗。
万策尽きたかと思われたが、一つだけ。方法は残っている……凄く情けないけどな!だがやるしかない!
俺は貴重な時間を使って視線を女の子へと向けると、声を張り上げた。
「頼む、助けてくれ!」
俺が縋ったのは誰でもない、死の一振りから俺を助けてくれた女の子だ。本当に情けねえぜ俺……男としての自信が崩落しそうだ。
でも、今の俺にはこれしかない。自分でどうにかしようと足掻いても死ぬだけなら、いっそ腹をくくって全身全霊で他力本願な俺でいるべきだ。
俺の言葉に女の子は頷くみたいに不器用に肩を竦めて顔を小さく縦に動かすと、何の気負いもなく俺の前に立った。
……あんれ、もしかして初めて反応してくれた?
「精霊……!へぇ……なら仕方ないですよね。斬ってしまっても許されますよね……!」
女の子の一動作に思わず気を取られたが、和装女の言葉ですぐに現実に戻る。
仕方がない……ね。
声音こそ残念そうに聞こえたが、俺は和装女が歯茎を剥き出しにして、息を押し殺して嗤っているのを見てしまった。まるで目的のおもちゃを見つけて興奮したみたいに。……まさかこいつ、俺より女の子の方を殺したがっているのか?
ふらりと和装女は足元のバランスを崩すと、先程のような超加速で女の子へと迫る。
刃一閃。そこにいたのが女の子じゃなくて俺なら、今度は確実に死んでいた。
だが女の子はダンスでもしてるみたいに軽快な仕草で避ける。
そこを目掛けて重ねて二閃、三閃と軌跡が増えていく。
それでも先程以上に殺意の籠った余念を感じさせない精練な太刀筋を、女の子は僅かな動きだけで避けていく。和装女の動きもヤバいが、女の子のそれも異常だ。まるで空間の何処を刃が走るか分かっているかのような、迷いの無い効率的な動作。素人目からしてもとてもじゃないが普通の女の子が取れる動きじゃないように見える。本当に精霊……なのか?
避け続ける女の子に、苛立った和装女は舌打ちを一度鳴らすと更に刃の速度を速めた。
まだ本気じゃなかったのか……!最早俺じゃ刀がどこを走っているのか分からなんだけど!どんだけ力強いんだよ!?日本刀って1キロくらいはあるんだぞおい!?
残像しか見えない刀身を、やはり女の子は完璧に知覚してるみたいに避ける。身体がブレて、更にブレる。
……よく見たら和装女は何かを警戒してるみたいに、時々不自然に刀が過る音が途切れている。もしかしてこの女の子、何か牽制攻撃を仕掛けてるのか……?全く見えないが、和装女の不可解な攻撃のリズムを鑑みるとそうとしか思えない。人外染みた力だ……精霊というあの言葉、本当なのかもしれない。ミステリアスだし、それに可愛いし。何より殺意を放ってこないからこの女の子の背後にいると胃が平和である。平和は大事だぜ、うん……現実逃避してる場合か俺。
キンッ、と何かに弾かれる高い音が聞こえて、和装女が距離を取ろうと後ろに下がった瞬間だった。
突然俺の視界が空に舞い上がって、物凄い勢いで公園の出口が過ぎ去って住宅街へと吸い込まれていく。
次第に小さくなる公園の景色に数秒して悟った。
女の子が俵を抱えるみたいに俺を担いで、跳躍したのだ。
家の屋根を駆けるように女の子は走り続ける。程無くして、俺は家々の外壁に囲まれた狭い路地に下ろされる。
……勝てそうだったのに、俺のために隙を見て逃げた、のか?
女の子は俺を見つめてくる。緑と青の双眸がジッと俺の目へと固定された。
全然何を言いたいのか分からないぞ……てかこの女の子に関してはマジの一言も喋らないから何も分かることなんて無いが。それでも俺を助けてくれたのは動かざる事実だ。悪い女の子じゃないはずだ。
「あ、ありがとうな……アンタは命の恩人だぜ!……なんて、こんな言葉を言う機会が来るとは……てか言われる立場になりたかったっつーか……えっと、そんなのどうでも良くてだな。すまん、マジで混乱してる。頭が纏まらんからちょっと時間貰えるか?」
俺は女の子を手で制す。別に急かされてるわけじゃないが、こうも無反応でいられると逆に焦ってしまうのが人情ってもんなのかもしれない。
あの和装女。
最初は俺を狙ってきた。ベンチを叩き折った時に間違いなく俺の背後にいたし、あの殺意も本物だった。
だが女の子が前に出た瞬間、あの女の殺意が女の子に向かった。
……精霊。この言葉に何かあるのだろうか。
佇んで考えていると、女の子にジッと見上げられているのに気付く。
「ごめん、現状を頑張って考えてみたけど何も分からん。……良かったら連絡先とか交換しないか?礼、したいし」
自分のことながら流れるように連絡先交換の提案が出来たな。なんだか結果だけ見りゃ本当にナンパみたいだなこれ……いや考えちゃ駄目だ。マジ、そう言うのじゃねえから。恩はちゃんと報いたいタイプなんだ俺って。
だが予想通りと言うべきだろう。女の子は一切表情筋を動かさず、ただただ俺を見つめるだけ。あの、携帯は……持ってないですかね。はい。
……やりづれーなぁ。幼女相手よりかはマシかもしれないけど、コミュニケーション成立しねえんだもん。幾ら知らない人に話しかけちゃ駄目って言われてたとしても身持ち固すぎだろ……。
「聞きたいこと、沢山あんだけど……今日はその、ちょっと疲れた。じゃあその、俺、帰るから。そっちも気を付けてな」
多少、どころか多大に後髪が引かれる部分がある。今日一日でこの世界について、終わらせられる可能性も得たのだ。
ただそれを引き換えにしても酷い疲労感には比べようもない。今根掘り葉掘り聞いても俺が整理できないだろうし、何よりこの女の子が一切喋らない可能性も激熱。なら体を休めることが先決だ。
俺は女の子に背中を見せると、そのまま下宿先のアパートへと帰還するべくここからの最短ルートを脳内マップで引いた。